第4章 〈扉〉 

第25話

 喇叭の音が吹き鳴らされ、食堂が俄かに喧騒を増した。食事中の魔術師たちがやおら席を立ち、広間の一角に集まっていく。十分に注意を惹いたことを確認し、喇叭を下ろした配達人が朗々と名を読み上げはじめた。

「イ――インロット――モーレイ――ジャットル――」

 半年に一度、神殿に仕えるものたちのために、配達人によって故郷からの手紙が届けられることになっていた。此方から返信することは叶わずとも、故郷に残した家族からの文は魔術師たちの孤独な心を慰めるものであるらしい。とは言っても、三通りしかない配達経路にメイズのような小さな村は含まれていないし、そもそも身寄りのないレドニスには縁のない話だ。食事を終えたレドニスは席を立つ。夜の時間をどう過ごそうかと考えながら欠伸をした瞬間、不意に配達人の声が人混みを縫って耳朶を打った。

「アイロウ――コルト――レドニス――」

 今まさに食堂を出て行こうとしていたレドニスは、奇妙な顔をして立ち止まった。踵を返し、苦労しながら黒山の人集りを掻き分けて配達人の元へ向かう。

「レドニスさんかい? 手紙が届いてるよ」

「私に?」

「ほら、そう書いてある。他にレドニスって人がいるってんなら別だけど」

 早く受け取れとばかりに押し付けられた手紙を、しげしげと眺めた。封蝋もなく、ただ質のよくない羊皮紙の切れ端を折り畳んだだけのようなその手紙には、確かにレドニスの名が記されている。配達人を見れば、もう名前を読み上げる作業に戻っていたので、レドニスは首を傾げながら羊皮紙を広げた。文字の上にするりと視線を滑らせ、終わりの署名が目に入った瞬間、レドニスは自らの鼓動が速くなるのを感じた。

 イーリア、とそう書いてあった。

 レドニスは手紙を懐に押し込むと、食堂を出て足早に廻廊を抜け、人気のない西塔の裏へと向かった。辺りは既に黄昏に満ちていたが、部屋に戻るのさえもどかしかった。レドニスは手持ちの携帯蝋燭に小さな魔法の炎を灯し、手元を照らすと、震えそうな手で羊皮紙を広げた。

文面は、今日まで手紙を送ることができなかったことへの謝罪から始まっていた。この手紙はメイズをたまたま訪れた旅人に預け、配達経路に入っているカダイラの町まで届けてもらったのだという。ちゃんとレドのところまで届いたかしら、と手紙の中のイーリアが不安げに語りかける。レドニスはこみ上げる懐かしさと、胸を焦がす慕情に思わず蹲りそうになった。ああ、とレドニスは思った。イーリアは覚えている。俺のことを、今でも覚えてくれている。手紙の続きには、何の変哲もない村での日常の様子が綴られていた。隣の家のソーニャに子供が出来たこと。その子がとても愛らしいのだということ。乱暴者のスロウグが酷い風邪を拗らせたときに治してやって、とても感謝されたということ。生活はとても上手く行っているとイーリアは書いていた。全てレドニスのお蔭だとも。

「違う」

とレドニスは呟いた。

「上手く行ったのは、ただきみが素晴らしい人間だからだ。俺は、関係ない」

 ぽつりと続いた言葉は遠く離れたメイズにいるイーリアには届きようもなかったが、それでもレドニスはそう言わずにはいられなかった。そして、続きを読んだ。自分のことは何も心配いらない、とイーリアは言う。立派な魔術師になって、村に帰ってきてくれるのを待っている、と。レドニスはそこまで読み終えると、もう一度それを頭から読み直した。それから長い間、灯した炎が蝋を溶かし、やがて小さくなって消えてしまうまで、何度も、何度も読み返していた。



 頭上に設けられた小さな窓の外には、既に夜の帳が下りきっている。ここのところ陽が落ちるのも早くなったものだ、とレドニスは足を止めないまま考えた。長衣を引っ掛けないように留意しながら上り終えた西塔の階段には、まだ晩夏の気配がわだかまっていた。この階の廊下の一番奥に、レドニスの部屋はあった。神殿の魔術師は、一人前になると個室を与えられる。レドニスも長らくライネルと相部屋だったのだが、心臓石の授与を以ってめでたく二人はそれぞれの部屋を手に入れることになったのだった。とはいえ、隣同士の部屋なので生活自体はあまり変わった気がしない。

 自室の扉を開けると、ひらりと何かが落ちた。隙間から留め金に引っ掛けるようにして差し込まれていたらしいそれは、一通の手紙のようだった。質のよい羊皮紙を三つに折り畳んだもので、ご丁寧にもわざわざ真紅の蝋で封じられている。今日はよく手紙を目にする日だ。イーリアからの手紙もそうだったが、これにも全く心当たりがなく、レドニスは首を捻った。

「どうした?」

 扉を開け放したまま突っ立っていたレドニスの背後から、ライネルが現れた。葡萄酒の壺を片腕に抱えている。食堂から持ち出して、レドニスとでも一杯やろうと丁度訪ねてきたところらしい。レドニスは肩を竦め、ひらひらと手紙を振ってみせた。

「これ、心当たりはあるか?」

「なんだそれ」

「俺の部屋の扉に挟まっていたんだ」

 ライネルは断りもなくレドニスの部屋にずかずかと踏み入ると、壺を机に置き、右手を出した。レドニスは扉を閉め、ライネルに手紙を渡した。ふうん、と呟く。

「封蝋にどことなく見覚えがあるような気がするが。思い出せないな。お前は?」

「分かったらお前に聞くか」

「そりゃあそうだな。まさか恋文じゃあないだろうな」

 折り畳まれたそれをひっくり返したり振ったりしてから、ライネルは笑いながら手紙を返して寄越す。受け取りながら、レドニスは寝台に腰掛けた。

「女の魔術師は神殿にはいないし、巫女は西塔には入れないだろうが」

「巫女とは限らんぞ?」

「ぞっとすることを言うなよ」

 レドニスは顔を顰め、蝋と紙との隙間に爪を入れた。ぱり、と乾いた音を立てて封蝋が剥がれた瞬間、レドニスは悪態と共にそれを放り出さなくてはならなくなった。ぱっと眩い炎が上がり、床に舞い落ちた羊皮紙が端から丸まりながら燃えはじめる。

「おい、大丈夫か!」

「俺は平気だが」

 僅かに赤くなった人差し指を一瞥し、レドニスは唸った。

「床が平気じゃない」

 睨み付けた絨毯には、奇妙な形の大きな焼け焦げが出来ていた。くっきりと焼きつき、燻っているそれは文字のように見える。

『二時半 本殿奥』

 焦げ跡はそう読めた。

「嫌がらせか?」

「じゃあ逆に尋ねるが、相手を火傷させるような恋文を贈る人間がいると思うか?」

「随分と熱烈だな」

 軽口を叩きながらも、ライネルの表情は険しかった。未だ魔術の炎は縮こまった手紙の端を名残惜しげに舐めていたが、それ以上絨毯に燃え移ったり、焼け焦げを広げたりする様子はみられなかった。目的は果たしたということだろう。レドニスは炎ごと手紙を踏み付け、踵で躙った。燃えかすになった羊皮紙が、靴の下でぼろぼろと崩れる。炎に包まれる前に剥がれ落ちて、燃えずに転がっていた封蝋を、ライネルがふと拾いあげる。

「思い出したぞ、この馬の封蝋印。ずっと前に見たことがある。バルンの印だ」

「ということは――ハウロか。次はもう少し早く思い出してくれ、指を火傷しなくて済む。最近妙に大人しいとは思っていたが……しかし、果たし状とはまた古風な」

「この時間に、ここに来いということか? 一体どういうつもりなんだ」

「魔術を使わない限り、決闘は自由だからな。ハウロらしい、子供じみた真似をする。いくらなんでもこの時間は非常識と言わざるをえないが……明日に差し支えるな」

「おいおい、待て待て」

「なんだ」

 ライネルが信じられないという顔をした。

「お前、まさか行くつもりなのか」

「何か問題があるか?」

「お前、分かってるのか、魔術勝負じゃないんだぞ?」

「分かってるさ。あまり大声を出すなよ、うるさいな」

「お前、俺に力比べで勝ったことないだろ!」

「一回あるだろう! いや、そんなことはどうでもいい。いいか、これを無視したところでいいことは何一つないんだ。明日の朝になれば、ハウロの奴は俺が決闘を恐れて逃げたと吹聴して回るだろうよ」

「それがどうした。お前、言いたい奴には言わせておけっていうのが持論だろ」

「ライネルお前、実際のところ伝統的な決闘ってものをよく知らないんだな」

 レドニスは溜息を吐いた。

「決闘は喧嘩とは違う。決闘の申し入れを断るというのは、負けることよりも不名誉なことなんだよ。つまり、これは俺だけの問題じゃないんだ。俺の師匠であるサルバローザの名まで貶められることになるだろうな、とんでもない臆病者の弟子を持つ男として」

「どうしてだ? 規則があるんだから魔術は使えないだろう? それがどうして師匠の評価にかかわるんだ」

「これは心構えの話なんだ。一対一で相対する覚悟を示す儀礼的なものだよ。だから、勝ち負け自体はそれほど重要でない。魔術を使うわけでもないから、能力の優劣を競うものでもない」

「くだらないな」

 ライネルは吐き捨てた。

「魔術師は魔術が出来ればいい。見返したけりゃ腕を磨けばいいんだ。何が決闘だ、伝統だ」

「くだらない伝統ってものは他にも幾らだってあるだろう? まあ、向こうからすれば悪いことはないからな。俺が受ければ魔術では勝てない俺を堂々とぶん殴れるし、受けなければサルバローザと俺の顔に泥を塗ることができる。いい方法を思いついたというところだろう」

 レドニスはおもむろに跪いて絨毯の焼け焦げに手を乗せ、古いドルメア語を唱えながら拭き取るように撫ぜた。焦げ跡の文字は跡形もなく消え去った。手を払って立ち上がる。

「まあ、黙って殴られるつもりもない。決闘のルールは一対一だ、向こうも無傷じゃあ済まないだろう。此方としてもいい機会だとも言えるな」

「強がるなよ。俺もついていくからな」

「ついてきてどうするんだ」

「どうするって……手伝うんだよ」

「馬鹿を言うな。ライネル、お前は馬鹿だな。実に馬鹿だ。馬鹿、馬鹿」

「誰が馬鹿だ!」

「決闘に手を出す奴がいるか。もういいから、お前は帰って寝てくれ。これは俺の問題だよ」

「さっきは俺だけの問題じゃない、とか言ってただろ」

「じゃあそれは間違いだ。訂正する」

 レドニスは尚も言い募ろうとするライネルを無理矢理部屋の外に追い出した。葡萄酒の壺が置きっ放しであることに気付き、続けて扉の隙間から押し出し、ぴったりと閉める。扉の向こうでライネルが何か言っていたが、知らん振りを決め込み、レドニスは寝台にどさりと横たわった。一人になりたかった。懐に手を差し込み、壊れ物を扱うような手つきでそっと手紙を取り出す。レドニスの優れた頭脳はもうとっくにその全文を覚えてしまっていたが、目でイーリアの文字を追う度に、レドニスの心には新鮮な感情が沸き起こった。レドニスは今、久しく感じていなかった幸福感に包まれていた。イーリアは俺を待ってくれている! その喜びは、ハウロの寄越した決闘状への不愉快さを掻き消し、取るに足らないものにまで価値を押し下げていた。しかし、レドニスは目の前のことについて、もう少し警戒すべきだったのだ。あとになって、レドニスはこの夜のことを何度も悔やむことになる。

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