第16話

 口の中に入り込んだ土を吐き出して、レドニスは地面に伏せったまま相手を睨みつけた。ろくに受け身も取れなかったので、至る所を擦りむいたらしい。じんじんと焼けるような痛みが伝わってくる。

「おい、まずいぞ。こいつ、おれたちを睨んでる。呪いを掛けられるぞ」

 にやついていた少年たちの一人が、恐ろしそうに腕を擦る素振りを見せた。それを見て、一番体が大きい少年が笑い声を上げる。

「こいつにそんな度胸があるか。やれるもんならやってみろよ」

 そう言うと、少年はしゃがみこんでレドニスの顔を覗き込んだ。

「なあ、お前の父さんと母さん、お前のこと生まれてすぐ捨てたんだろ? 当たり前だよな、その薄気味悪い青い目!」

「青い目は特別なものじゃない」

 レドニスは憎々しげに言い返した。

「お前が無知なだけだ。馬鹿がばれるぞ」

 せせら笑ってみせると、脇腹を手加減なしに蹴りつけられた。一瞬呼吸が出来なくなり、レドニスは身体を折り曲げた。

「調子に乗るなよ、レドニス。あのいかれたばあさんはお前のことを守ってなんてくれないんだからさ」

 そう言い捨てると、少年たちはレドニスを残して去っていった。彼らの姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなったころ、レドニスはゆっくりと身体を起こした。脇腹の痛みに呻き声を上げる。酷い痣になっているだろう。腕や膝に加え、顎も擦りむいていたらしく不快に痛む。傷はどこも泥に塗れていた。膿んだりしては厄介だ、早く帰って水で洗わなくては。井戸がここから近いから、そちらに直接向かった方が早いだろうか。

 レドニスに家族はいない。村の外れに住む、老いた女のまじない師に拾われ、今日まで育てられてきた。物心がつくころには既にそういった自分の立場を理解していたし、育て親であるまじない師が村でどのような扱いを受けているかも分かっていた。確かに、彼女は人との関わりを嫌い奇矯な振る舞いをしてみせることが多かったし、拾い子のレドニスにもさほど興味はないようだった。しかし、彼女のまじない師としての腕は確かであるとレドニスは思っている。現に、「いかれている」という評判をよそに彼女にまじないを請う者は今日まで絶えていないのだから。

 彼女はときどき気まぐれに、レドニスにまじないの知識を教えた。レドニスがじきに簡単な治癒のまじないや、病を遠ざけるまじないを習得すると、まじない師はこれ幸いとばかりに仕事の半分をレドニスに任せるようになった。村の大人たちはレドニスに対して不気味さ半分同情半分といった態度だったが、子どもたちの方はもっと露骨だった。あからさまにレドニスを避け、爪弾きにした。顔が腫れ上がるまで殴られることも珍しくないから、今日なんかは、ましな方だ。

「レド」

 立ち上がって膝の泥を払っていると、背後から怒ったような声が掛けられた。振り向くと、華奢な少女が桶を地面に置いて拳を握り締めていた。

「イーリアか」

 呟くと、イーリアは水がたっぷり入った桶をそのままにして、駆け寄ってきた。

「またキレンたちにやられたの?」

 レドニスが黙っていると、イーリアは顔を赤くして続けた。

「あいつら、暴力振るうしか脳がないくせに。酷い怪我だわ」

 イーリアは桶を此方まで運んできて、躊躇いなく袖を水に浸し、レドニスの顔の泥を拭い始めた。レドニスは慌てて彼女の腕を掴んだ。

「それ、お母さんに言いつけられた水だろ。汚れる」

「黙ってて」

 ぴしゃりとレドニスの言葉を封じると、無言で傷を清め続けた。頰の砂を払い、黒髪にこびり付いた泥の汚れも拭う。清潔だったイーリアの袖はどんどん汚れていった。きっと、帰ってから母親にうんと叱られるだろう。擦りむいた顎を強く擦られて文句を言おうかと思ったが、イーリアの顔はなんだか泣きそうに見えて、何も言えなかった。レドニスは困惑しながらぽつりと言った。

「きみはどうしておれに構うんだよ。きみの他は、みんなおれのことを嫌っているじゃないか。おれに近付くといい顔されないだろう? おれに喋りかけるなよ」

「嫌よ」

「そうやっておれに同情してみせて、優しい自分に酔ってるのか? そういうの、迷惑だ」

 それを聞いたイーリアは、口をきつく結んだ。顔を拭う手が止まる。レドニスは出来るだけ嫌味な感じに見えるように笑ってみせた。

「おれのこと、嫌いになったか?」

 イーリアはゆっくりとかぶりを振った。彼女の顔に怒りの色はなかった。澄んだ亜麻色の瞳には、子どもが持つには相応しくないほどの、深い慈しみがあった。レドニスは彼女の瞳から目が離せなくなった。

「あなたはあのおばあさんの代わりに、わたしのおかあさんの病を治してくれたんだもの。嫌いになるはずないわ」

 再び手を伸ばして、レドニスの頬のあたりに両手を添えるようにする。そうして、レドニスの目を真っ直ぐに覗き込んだイーリアが微笑んだ。

「それに、みんなは薄気味悪いなんて言うけれど、あなたの瞳はとっても綺麗よ。わたし、あなたの目が好き。見る角度によって色が変わるの。自分で気付いてた? 深い海の青、澄んだ泉の水色、枯草色」

 今度はレドニスが声を失う番だった。その後でイーリアはさっとレドニスから離れ、桶を持ち上げた。今度は少しはにかんだような笑顔をみせる。

「わたし、もう一度水を汲んでくる」

「イーリア」

 レドニスは思わず彼女を引き止めた。不思議そうに此方を見るイーリアに、レドニスは喉の奥に引っ込みそうになる言葉を無理矢理引っ張りだした。

「おれも手伝う」

 それを聞いたイーリアが、花が咲くように顔を輝かせた。レドニスはなんとなく直視出来ずに目を逸らし、口籠る。

「どうせ、傷、もう一度洗いに行くから」

「そうね」

 イーリアはもう一度楽しそうに笑った。

「ねえ、まじないを教えてくれない? 暇なときでいいから」

 レドニスは返事をしないまま、奪い取るように桶を掴んだ。僅かに触れたイーリアの指は、陽だまりのような温かさだけを伝えた。

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