純白に贖罪を宿す者

しえず

純白に贖罪を宿す者

 遠く聞こえてきた声に

 驚いて

 夢の中さえも




[chapter:純白に贖罪を宿す者]



 今日で一週間が過ぎた。連日響くこの音に、街の連中は嫌な顔しかしない。当然だろうな。なんといっても、皆が起きる前に響きだすのだから。かく言う僕も、それで起こされ続ける一人だ。でも、感じるのは、連中と同じではない。


「なあ、何作ってんの」


 後ろから声をかけられ、集中していた僕は驚いて指先を切ってしまった。かすった程度だったけど、地味に痛い。後ろにいた友人は、じんわりと滲む赤に慌てて傷薬を取り出そうとする。僕は、舐めれば大丈夫と落ち着かせて、熱を持ったそこを口に含んだ。じくじくした痛みが、抱え込むそれを作るよう促すようだった。


「あの声にさ」

「うん」


 友人は、小さく頷く。僕は滅多に話さないし、彼曰く変わった話し方らしい。だから、彼はこういった言葉を聞き洩らさないようにしなければならない。


「応えるモノを作ろうと思って」

「は?」


 案の定、彼は間抜けな顔と声を披露してくれた。一つの言葉で、他人に伝わるわけじゃないことぐらいは知っている。僕は、ある程度血が止まった指が触れないように抱えていたものをそばに置いて、彼に向き直る。


「あれ、なんだと思う?」


 僕が指していたのは、まだ響く音。正午まで長く甲高く響いていく、一定のリズムとメロディがあるそれ。


「竜の雌を呼ぶ声じゃないのか」


 そう、あれは竜の声。朝から昼までここら一帯に響き渡る全ての王者のものだ。


「近いけど、違うよ」

「え、でも皆そう言ってるよ」

「でも、違う」


 だって、メロディも音も違うじゃないか。そう続けた僕に、絶対音感だもんなと妙に感心した彼。それは違うと思うけどな。僕は、竜の研究者である伯父がいる。よく伯父について竜の声を聞かせてもらったからだ。『恋の呼び笛』という雌を呼ぶ声は、もう少し甲高いし元気だ。

 だけど、これはなんというか……もっと大切なものを失くしたかのような自身の体半分が獲られたかのような哀切に満ちていた。


「そうなんだ……じゃあ奥さん呼んでるのかな」


 彼は、あっさり僕の言葉に賛成した。彼は、僕の独特らしい感性に共感と理解を示してくれる唯一といってもいい存在だった。少しじんわりとした気持ちになったが、それは彼に見せないでおく。彼は、調子に乗りやすい性格でもあるからだ。


「そうだと思う。実際はわからないけど」


 そして、僕は彼が見守る中、作業を再開した。





オロロロォォ―――ン





 甲高い声は今日も響く。いい加減疲れやしないだろうか。竜の体力なんてものを心配しながら、僕は最後の仕上げをしていた。歪な形をしたそれは、枝と皮と木の実と土と…周りにある、ありふれたもので構成されている。竜のどんな声がどんな意味を持っているかなんて分からない。だから、これが出す音がどんな意味を持つのかは知らない。だけど、彼の声に応えなければいけない。そんな気がしたんだ。

 何度も試して、あの声と同じ調子で少しだけ高い音を出す。彼がいるらしい森の中で行うつもりだ。なぜなら、これは彼ほど大きく響かせることができない。届いてせいぜい隣家までだ。


「無茶だよ! やめるべきだって」


 それを言ったのは、物好きな友人だった。僕は、この計画を彼にだけ話した。理解してくれなかったけれど。でも、その言葉は僕を心配してくれているものだったから、少し嬉しかった。


「大丈夫。ベゼル避けならあるし」

「ベゼルだけじゃないだろ」

「アルフェスの葉もある」

「それが好物なモンスターだっているかも」


 情けない顔をして言う彼。幼いころにモンスターに襲われた経験があるせいか、彼は外に出るのをすごく嫌がる。そして、僕にも外は危険だと説く。だが、彼の心配は、もっともだ。僕は、旅に慣れた行商人でも戦うために在る戦士でもない。ただの民間人で、ひ弱な子供だ。しかも、僕はあまり運動が出来る方ではない。それに、外は好きじゃない。だけど、竜の声に興味を持つだけの無駄な知識をもってしまった。


「……そこまで言うなら仕方ない。諦めるよ」


 ここは、引き下がろう。できれば避けたかったけれど夜中に再出発だ。





 意外と近くで響いた音に、僕は驚いた。そして、落ちた。ぼふっと柔らかい音がして、僕の体は予想以上に軽いショックしか覚えなかった。目を開ければ、ふわふわとした白い何か。ぴょこんと突き出た青いグラデーションがかかった角に、軽い既視感。その感触を思い出す前に、ぼふっと下から出てきたそれと目があう。お腹に顔を埋めてまったり落ち着いていただろう彼の冷たい視線。


「うっわああああぁぁあぁっ!!!」


 ベゼルの唸り声を背に走り出す。僕は、ありったけの力を振り絞って怒り狂った角持ちの狼から逃げ切った。そして、荷物もなく迷子だと気づく。鬱蒼と茂った枝葉と、ちくちくと刺してくる鋭い単葉類の葉。このままでは、他のモンスターに食われてしまう。それだけは避けたい。肌身離さず付けていた『声』を手に、僕は帰り道が分からないまま竜の元へ急ぐことにした。

 竜の元へ行くのは簡単だ。彼は、午前中ずっと啼いている。竜は涙を流すことはないらしい。ということは、この前から響いているのは、きっと彼の涙だ。


「見つかるといいな」


 轟音ほどにまでなった朝の目覚まし代わりの彼の声に、進むべき方角を見失いながら僕は、知らずのうちに呟いていた。早く見つけたい。



 耳栓をしていても脳髄を震撼させるような轟音。だけど、僕は気づいていた。それが最初ほどの勢いを持たず、だんだんと弱弱しくなっていることに。僕自身が、彼に近づいて行っているから、なかなか気付けなかったけど。

 目の前の枝を払う。荷物を失くしてから一日が過ぎた。食糧は木の実を、水は川から頂いた。いつも粗暴な姉は、いつか役に立つからと言って、僕に木の実集めや川の水汲み、薬草採りを手伝わせた。外に興味がなかった僕は、これが役に立つ日は絶対に来ないと確信していたのに。今では、街からこれだけ離れたところに立っている。不思議なものだ。彼の声を聞いただけなのに。嫌いだった怖かった外に興味をもつなんて。


「わあ…っ」


 目の前には、草原が広がっていた。遠くに濃い緑が見えて、ようやく草原ではなく、なぜかぽっかりと空いた森の中の広場なのだと気づく。だけど、それ以上に僕の目を引くものがあった。

 ごつごつとした岩のような肌。それでも、それ自体はまるで宝石のように深い赤色を宿して光を反射する。引き締まった肉体は、街の門を軽々と破壊できるだろう力を感じさせた。茶色く濁った色の角が鋭く天を突きさし、蝙蝠のような翼が身体の動きに合わせて上下する。太陽に向かって啼く、竜の姿だった。

 長く尾を引くそれは、夢の中にまで現れた『声』とそっくりで。ああ、彼なんだと感じた。





 オロロロォォ――ン





 僕は、『声』に息を吐きいれた。何度も何度も、彼の声に掻き消されても彼に寄り添えるように。轟音がぴたりと止んだ。彼が、僕の『声』に耳を澄ませている。この『声』は、一体どういう意味なんだろう。僕は、竜の研究者じゃない。だから分からない。これを聞いて彼がどうするかも。僕がどうなるかも。

 ただ、悲しくて哀しくてどうしようもなくて。応えれば、この声は止むだろうか。そう考えたのが『声』の始まりだった。

 地面が揺れる。僕の周りが一気に暗くなった。やっぱりというか、彼がすぐそばに来ていた。見上げた彼の表情はよく分からなかったけれど、彼の黄色い猫のような目は、僕をじっと見つめていた。そこに光る雫はなかった。だというのに、彼の眼は濡れているようだった。


 ルルルル ルルル


 問いかけるような音。彼のもうひとつの声らしい。だけど、残念ながら僕が考えたあれは、『声』以外出すことが出来ない。


「君は独りなの?」


 目を見て、ぽろり零れた言葉。結局、僕は自分の言葉を使った。だけど、彼は理解しているようにあの音を出した。彼の視線が落とされ、辿った僕が見たのは、誰かの頭蓋骨。壊された人間の残り物。それが、彼の太い爪と爪の間にある柔らかい掌に置かれていた。爪には、赤黒い何かがこびりついて恐ろしいもののように見える。直感的に、あれはあの頭蓋骨の持ち主の血だと分かった。


「友達だったの?」


 今度は応えなかった。ただ、僕の上から大口を開けて首が降ってきた。彼の機嫌を損ねただろうか。爪に付着していたあれよりも濃い色をした、生きていることを感じさせる毒々しい色を見ながら、僕はそれでも冷静だった。目も閉じなかった。だから、僕は自分が置かれた状況をしっかり把握できる。




 僕は、後ろ襟を掴まれ高く高く放り投げられた。視界が一転二転して、青と赤と緑と黄がくるくると回る。ぽすん。間抜けな音とともに、僕は彼の背中に跨っていた。手元には、元は白かっただろう煤茶けた毛布。おそらく、彼の友達が彼に乗るときに使っていた鞍に似たものだろう。

 そこまで考えて、僕は慌てることになった。ぐんと僕の体が傾いだからだ。慌てて毛足の長い毛布に埋もれていた手綱らしきものに手を伸ばす。古びていたが、どうやら元々丈夫なものだったらしい。僕が落とされることはなかった。彼の身体にぴったりとくっついて、風の抵抗をできるだけ少なくする。

 彼は、僕の下にある筋肉を動かして、飛んでいた。身体の数倍にも膨れ上がった翼は、風をしっかりと捉えてぐんぐんスピードを上げていく。


 僕は、そこで世界を見た。





 彼は、優しく降ろしてくれた。着いたのは、一番近くの街。つまり、僕の街だ。茫然としていると、促すように彼が僕の目を見た。美しい光彩に包まれた金色の瞳。濡れたようだったあのときとは違って、太陽のように見えた。


「ありがとう」


 僕は、なぜか目頭が熱くなって震える声で彼に言った。上空の冷気にさらされていた頬に熱くて冷たい雫が零れて、溢れて、止まらない。遠くから、姉さんや友人や街の人たちの声が聞こえる。僕は、彼に手を伸ばし、ごつごつとした鼻面を一回だけ撫でた。優しく細められた目に、零れていた涙がさらに視界を奪った。

 彼が去った後に残されたのは、陥没した個所がある頭蓋骨。羽ばたく前に渡されたそれは、おそらく彼の決心が表れているだろう。彼の友達がどこの部族の人だったか、知らないけれど、僕は僕なりのやり方で埋葬しようと思った。








 ――――数日後。

 長を殺し逃亡している竜を捜している部族がいるらしいという噂が街中に溢れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

純白に贖罪を宿す者 しえず @lunasya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ