父と、彼女と、時々自分

 父の視線は、いつだって彼女を向いていた。

 眩しいものを見るように、いつだってまっすぐに。



【父と、彼女と、時々自分】



 容姿を理由に実親に捨てられ、養父に拾われて八年。

 最初はグレたりもしたが、今ではこの父に出会えたことを心から感謝している。

 ヒトの枠をはみ出した容姿の俺を見ても、「綺麗だな」なんて笑える父が嬉しくも誇らしい。


 国の武力の要として騎士団隊長を務める父は、未だに独り身である。

 給料そこそこ、情に篤い父は、身内ひいきを差っ引いてもかなり優良物件だと思うのだが、何故買い手がつかないのだろう。

 訝しんでいると、最近結婚した騎士団の副隊長が教えてくれた。

 曰く、父は実らぬ恋を忘れられないのだと。


 何しろ自分の母になるかもしれない人物のことである。

 興味を持って調べてみると、その人の名前は案外簡単に見つかった。

 現魔王の姉君、リーファ。

 以前はこの国に遊学していて、今でも外交のために年に数度はこの国に訪れている。


 さすがに驚いた。魔王とヒトの間に不可侵条約が結ばれて十年。未だに人々の意識の中から魔族への嫌悪や差別は残っている。

 父ならむしろ相手は選べる立場だと思うのに、わざわざ種族の壁へぶつかりにいくなんて。


 さては相当な美人かと顔を見に行き、拍子抜けした。

 近づきがたいということもなく、普通に綺麗な人だった。

 ただその鮮やかな瞳だけが、予想外だった。

 紫色の瞳。混じりものの証。魔族とヒトとの間を生きるもの。


 なんというか、すごく納得した。

 たぶん、父は、彼女の儚げでどこか凛としたところに惹かれたのだろう。瞳の色など気にも止めずに。


 彼女が外交のためにこの国を訪れてから、父の様子がおかしくなった。

 いつも定時で仕事を終えて帰宅し走り込み、休みの日はひたすら剣の稽古という枯れた生活を送っていたはずなのに、まず帰宅時間が遅くなった。

 休みの日はいそいそと外出着に着替えて出掛けていく。


 余りに不審なので後を尾行してみると、例の彼女の所へ日参しているようだった。

 途中、花屋に寄って花束を購入することも忘れない。

 遠くから様子を窺う俺に気づいた様子はなく、彼女と公園の東屋で歓談している。


 見ていた俺は思わず頭を抱えた。

 話しているのは父ばかりではないか。

 花束に対するお礼の言葉すら彼女が口にした様子はない。なんという一人相撲。

 もう十年もこんな調子だというのだから、笑えない。


 このままではあと十年たっても関係が変わりそうにない。

 俺は独自に彼女について調査することにした。


 現魔王の寵姫にして肉親。

 出自、年齢は不明。

 魔族と人間間の外交問題に積極的に取り組み、活動している。

 声なしの姫と呼ばれることもある。

 父が彼女に求愛しているのは有名な話らしく、町の人々には生ぬるく応援されている。


 ……聞いた話だけではよく分からないので、本人に直接突撃することにした。

 仕事以外の彼女は、屋外にいることが多い。

 父が仕事の時を狙って会いに行く。

 花壇の前に座り込み、ぼんやりと花を眺める彼女の膝の上にスケッチブック。絵を描くのだろうか。

 不意に彼女が顔を上げた。俺の気配に気がついたらしく、まっすぐに俺を見る。

 どきりとした。


 紫の瞳が俺の姿を捉え、不思議そうに瞬く。

 これは誰だという沈黙に耐えきれず「こんにちは」と挨拶してみる。

 すると彼女は無言でスケッチブックを開いた。真っ白な紙面にペンを滑らせる。

 思わず凝視してしまったが、彼女は構わずにスケッチブックをこちらに向けた。そこに書かれていたのは、


『こんにちは』


 何の変鉄もない挨拶の言葉だった。

 怪訝に思ったのが顔に出たのだろう。彼女はまたさらさらと何事かを書き込んだ。


『わたしには声がないので』


 その意味をすぐには理解できなかった。

 声がない?

 数瞬の後、それが話すことができないという意味だと気がつく。

 それと同時に、彼女の首元にうっすら残る傷痕を見つけた。


「ここで、何をしているんですか?」

『花を見ていたの。この花の種が欲しいなぁと』


 彼女の頭の中は、思った以上にほのぼのしていた。

 魔王の肉親ということが、にわかに疑わしくなる。


「貴女は、リーファ様ですね」

『様は要らないよ。わたしは偉くないもの』


 慎重に呼ぶと、割と気軽に呼び捨てを勧められる。

 いいのかこれで、魔王の姉。

 俺がぐるぐると考えていると、彼女が立ち上がった。


『わたしもう行くね』

「あっ」


 あっさり彼女が立ち去ろうとしたので、思わず引き留める。


「あの、また会えませんか」


 我ながら、なんて陳腐な台詞を。

 別に自分が求愛したいわけでもないのに。

 彼女は少し考えるように首を傾げた。


『大体いつもこの辺りにいると思う』


 そう書いて見せると、彼女は歩き去る。

 これが彼女との初接触であった。


 しばらく様子を見ることにした。

 彼女は大体いつも花や景色を眺めていた。

 人が多い場所が得意ではないのだという。


 何回か会ううちにぽつりぽつりと、話をするようになった。

 彼女は俺が騎士隊長の息子とは知らないので、父についても突っ込んで話を聞いてみた。


 結婚する気はないのかと問うと、彼女は曖昧に微笑む。


『わたしは結婚に向かないよ』


 彼女がどんな思いでその言葉を告げたのか、分からない。

 それでも彼女の痛みを堪えるような微笑みだけが、妙に目に焼き付いた。

 父には悪いが、これは余りに分が悪い。

 彼女は誰かの手を取る気などないと分かってしまった。

 それでも何とかならないだろうかと思うのは身勝手だろうか。


 がっくりと肩を落として帰宅すると、父が夕飯の支度をしていた。


「俺がやるのに」

「たまにはいいだろ。座ってろ」


 食卓の上に並ぶのは俺の好物ばかりだ。

 ……父は隠し事ができないタイプである。これはきっと、気を使われているのだろう。


 空腹を満たし終わった頃、父は難しい顔で腕組みした。


「ノエル。最近何かあったのか」

「父さんの結婚事情が気になってるんだけど」


 直球には直球で返す。父が勢いよく噴き出した。

 げほごほと咳き込んでいる父に俺は水を差し出した。

 受け取って一息に飲み干した父が、じろりとこちらを睨んだ。


「……で? 誰に聞いた?」

「色んな人に。もう十年になるって」


 がしがしと頭を掻いた父が椅子に座り直した。


「……まあ、あれだ。気にするな」

「気にするよ。家族でしょ」


 父が面映ゆい顔をする。

 逸らさずにじっと見返すと、決まり悪げに眉を寄せた。


「勝算はないの?」

「……十回はふられたからな」


 なんと、一年に一度は玉砕している計算である。

 父が不憫になった。


「他の人と結婚しようとは思わないの?」

「ないな。彼女が他人と結婚しない限り」

「……」


 諦めの悪い父である。こう言う父が折れることなどないだろうと経験で分かった。難儀なものである。


「大体、父さんは捻りがなさすぎる。十年も同じことをやっててどうするのさ」

「……誰に聞いた」

「だから、色んな人に」

「……あいつら、後でシメる」

「副隊長たちだけじゃないよ」


 一応補足しておく。情報源はバレバレのようだったが。


「ノエル。心配は有り難いけどな、自分のことは何とかするから大丈夫だ」

「十年も進展がないのに?」

「うぐっ」


 口では言いたい放題だが、本当は、勝算はなくもないのだろうと思っている。

 きっと彼女は、父のことが嫌いではない。それ以上に思うことがあるだけで。

 それを突破できるかどうかは父次第だが、彼女には悪いと思いつつ俺は父を応援している。



 今日も彼女に会いに行く。

 彼女は仕事が長引いたらしく、いつもより遅い時間に姿を現した。

 彼女は俺の姿をみて首をかしげた。


『待ってたの?』

「暇だったから」


 まあそんなのは口実なわけで、俺は今日も父のために情報収集に励む。


『私、来週には帰国するから』

「また来るでしょ?」

『仕事だしね。また来るよ』


 なんと、思ったより残された時間がないらしい。

 特にこの国に未練がありそうな様子ではない。

 十年経っても何も変えられない父を、不憫に思った。


 今日の彼女は、首から下げたロケットの中身を見せてくれた。

 中には親子の肖像画が入っていた。

 少し不機嫌そうな青年と、幸せそうに笑う女性と、その腕に抱かれた男の子。


『わたしの家族。今のわたしはもう十分幸せかな』


 だから結婚はしない。

 その無言の主張に少し冷や汗をかく。押しすぎたかもしれない。


 それでも、俺は。父と彼女が結ばれればいいと、そう思うのだ。


 白瞳に赤瞳のオッドアイ、銀髪の異形と呼ばれた俺を受け入れてくれた父を、彼女にも受け入れて欲しいと。

 喩え身勝手な望みだと言われようと、父と同じように俺を見ても顔色1つ変えなかった彼女が、家族になれたらいいと、願う。


「……家族が増えるということは、幸せが増えることだと思う」


 彼女が僅かに目を見開いた。まじまじと俺を見る。

 あまり見ないで欲しい。これでも結構恥ずかしいことを言った自覚はある。


「一緒にご飯を食べて、時間を重ねることができるのは。そういう人が増えるのは、幸せだよ」


 少しでも伝わればいい。いつか、一緒に食卓を囲める日が来るように。

 彼女は少しの間沈黙して、スケッチブックに文字を刻んだ。


『覚えておく』


 今は、これでも。いつか、彼女を母と呼べる日が来るだろうか。

 父だけでは頼りないから、次に彼女が来る日まで作戦を練ろうと思う。

 二人で溝が埋まらないなら、間に立って橋渡しをしよう。

 そんな日々を思い浮かべて俺は笑う。

 釣られたように彼女も笑った。


 父と、彼女と時々自分。そんな毎日がやって来るように、俺はささやかながら誓うのだった。

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魔王の姉君 芍薬 @1992

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