CHAPTER Ⅱ ~芽生え~


「民間?」

 エルマのダイナーで昼食をとっていたルースは聞き返した。

「そう。要するに、連合とか国家の所属じゃなくて、自分たちで運営してるレスキュー部隊なんだって」

「レスキューねえ…」

 確かに、噴火の鎮圧や火砕流の阻止といった行動は救助活動と言える。

 もっとも、空飛ぶ戦車という奇怪な乗り物で訪れた彼女らは、一般的に抱くレスキュー部隊の姿とはどうも結びつかない。

「どっちかっつうと軍かなんかのエージェントみたいだったけどな… むぐむぐ」

「食べながら喋らないの」


 あれから数日が過ぎた。

 結論としては、モンターニアの噴火は鎮圧。

 あの戦車が放ったミサイルはやはり噴火を鎮めるための物で、あれ以降噴火の気配はない。せいぜい軽い余震があるくらいだ。地震で被害は受けたものの死者はゼロ、軽傷が数人といった結果に終わった。星全体規模の滅亡危機だったとは思えないほどだ。

 エルマのダイナーも今日から営業を再開している。

 晴れてルースもこうして昼食をとれるようになったわけだが、やはり話題の中心はあの戦車で現れた者達だった。

 あの後、戦車は着陸し、ルースが顔を合わせた女性はシトレーの代表者との話し合いを希望した。

 ルースは街を仕切っているわけでもないので、市長に取り次いだ後はその場を去った。話し合いは自分の仕事の領域ではない。

 シトレーの市長は温厚実直を絵に描いたような男性なので、対談はスムーズに進んだらしいが、詳しいことは未だ公開されていない。イエルバの住民も、突然の地震の被害を修復する作業に忙しく、深く追求しようとはしていない。

 もっとも、好奇心の強い者もいるにはいる。例えば、ちょうど食事を終えたピンク頭の少年とか…

「んぐんぐ…ふー。ごちそうさん。でもさあー…」

 もちろん噴火せずに済んだことは喜ばしいが、ルースは引っ掛かっていることがいくつかある。

「連合でもないなら、なんでイエルバが噴火するってわかったんだろ? あのタイミングで来たってことは事前にわかってたってことだよな?」

 連合の主な仕事は星の保護や治安維持である。今回の様に星全体規模で危機的な状況にならないよう、定期的に訪れては調査していく。地殻に異常が検知されれば、噴火を防ぐために何らかの措置を取る、などといったように。

 しかし、彼らは連合とは無関係だという。

「詳しくはわからないけど、誰かに依頼されてここに来たらしいわよ」

 皿を洗いながらエルマが言う。ちなみに今は昼時なので、ルース以外にも客は数人いてそこそこ賑わっている。

「イエルバが危ないってことを連絡してくれて、それで駆け付けたとかどーとか叔父さんが言ってたわ」

「そっか」

 …あれだけの危機の後なのに、ハタから見れば随分とのんびりした会話である。

 シトレーの市長はエルマの叔父だった。何から何まで聞き出せるというわけではないにしても、大まかな話は自然と耳に入る。

 それにしても、仮にも為政者の血縁者なのに、このような小さなダイナーで働いているといった部分も、この星の特徴だった。コネや権力といったものを利用しようという考え自体が少ないのだ。

 さておき―

「でもそんな親切に連絡してくれる団体あるのか? つーか、だったら真っ先に連合に依頼すると思うけど…」

「確かにね」

「しかもチキュウとかいう星から来たとか言ってたけど、聞いたことないし… あー、気になる~」

 と、このように挙げていくとキリがない。

 エルマはエルマで、普段は陽気なルースが妙に真面目に考え込んでいる様子が、どこかおかしかった。

 本人は気づいていないようだが、あれ以来ルースはあの戦車に乗った者達の話ばかりしているのだ。

 

 そんな昼下がりに―


 カラン カラン


 店の入店ベルが鳴り響き、ルースがそちらを振り向くと―

「!」

 意外な人物が入店してきたことに驚きを隠せず、目を丸くする。

「…って、あら? ちょうど噂の人が来たわね」

 遅れてエルマも反応する。

「お邪魔します、イエルバの皆さん」

 ファッションモデルのように優雅な足取りで現れたのは、今まさに話題に上がっていた女性― サラ・ローレンスだった。

 だが、今日は彼女一人ではない。続いてもう一人が入店してくる。

「失礼します」

 やや低めの落ち着いた声で律儀に告げながら入ってきたのは、長身の男性だった。手には大きな銀色の金属製トランクケースを握っている。見たところ旅行用というよりも、ビジネスに用いられるタイプのトランクだった。

 自然と店内の注目が二人に集まる。店の入り口に立ったサラは気にした様子もなく、店内に視線を走らせている。何かを探しているようで、全体を一通り見渡すと、カウンターで話をしていたエルマとルースの所に歩いて行く。

「こんにちは。またお会いしましたね」

 エルマとルースに挨拶する。やはり綺麗に澄んだ声だ。

「ども。えーと、確か…」

 先日、対面した自分を覚えていてくれたらしい。そのことがなんだか嬉しかった。

「…サラ・オレンスさんだっけ?」

「ローレンスです」

「あ、ごめん。聴きなれない名前だから、つい…」

「いえいえ。確か、この星には名字がないんでしたね」

「ああ、うん。そういうのがあるってのは知ってるんだけど…」

 そうなのだ。イエルバの住人には姓名がない。

 存在自体は知っているので、サラの名を聞いても驚きはしないが、名字を持とうとする者はまずいない。人口が少ないこともあり、わざわざ呼びにくくする長い名前を付ける必要性がなかったためである。

 なので、地球の様な異星の文化であるローレンスといった名は自然と発音もしにくく、こういった間違いが生じる。

 ちなみに、地球でもミャンマーなど一部の国では姓がない。

「いらっしゃい。珍しいお客さんね」

「突然すみません。ああ、こちらは私の友人で、部隊の仲間です」

「初めまして」

 全体的にどこか変わった雰囲気の男だった。恐らくサラとは人種が違うのだろう。

「サイラス・ルプスと申します」

 銀色の髪は短く利発そうに切りそろえられているが、後ろ髪だけは長く、三つ編みにして束ねられている。まるで動物の尻尾のようだった。

 顔つきはルースやサラと比べても彫が深く、鼻も高い。

 ルースより頭一つ分高身長ながら眼は小さく、危険性は感じられない。柔らかで温和な顔つきで、どこか大型の草食動物のような雰囲気である。

「はじめまして… 変わった服っすね」

 ルースは思わずつぶやく。

 その男性の個性を更に際立たせているのが、彼の服装だった。少なくともルースは今まで見たことがない。というより、見かけるはずがなかった。なんというか…まるで執事のような外観だ。

 丈の長い黒のスーツに、同じく黒のベスト、立て衿の白シャツ、タイトに包まれた首元にはアスコット・タイを巻いている。白い手袋と、胸にはポケットチーフまで装備…

 地球で言うところのタキシードの一種だった。イエルバのような辺境には全く馴染んでいない。

 そのせいか、腰に下げられた長い物体が奇妙に思えた。


(…なんだ、あの変な棒?)

 トランクと反対側の左腰に差された、腰から膝ぐらいまであるそれは、おそらくは棒か杖か何かなのだろう。だが全体的に妙に禍々しい形状をしているのだ。曲線や尖った部分が多く、攻撃的な印象が強い。

 どことなく、爬虫類を思わせるようなゴツゴツとした材質である。


「部隊の副官を務めております。どうぞ、よろしく」

 そう言うと、サイラスと名乗った男は腰を折って上半身を前に傾けた。

 が―

「あのー… 何やってんの? 頭なんか下げて…」

 イエルバでは見ることのない仕草に、横で見ていたルースは困惑する。

「ああ、すみません」

 苦笑して姿勢を直立に戻すサイラス。

「これは地球の挨拶なの。〝お辞儀〟と言います」

 横に立つサラが説明する。

「オジギ…? へえ…変わった挨拶だな」

「はい。正確には地球の〝ニッポン〟という国の習慣です。挨拶だけでなく、敬意や感謝、親睦を表す動作でして、古くは…」

「サイラス、その辺にしておきなさい。今は仕事中」

 熱心に語り始めていたところをサラに制止される。

「…失礼しました」

 今度はサラに向けて、〝お辞儀〟をする。確かにその様子からは相手への深い敬意が感じられた。


 ルースとしても異星の習慣は興味深かった。だが、もう一つルースの眼を引くものがその男にはあった。


(あのマーク…確かあの戦車の…)


 彼が羽織っている丈の長い黒のスーツ ―正確にはフロックコートという― の左胸に白いロゴが刺繍されている。あの巨大な空飛ぶ戦車の正面に描かれたウルフ―狼らしきマークだった。ただし戦車のものとは白黒が反転している。


 それはそれとして―

「あの、ところで… 仕事がどうとか言ってましたけど、この店に何か?」

 カウンター越しに話を聞いていたエルマが尋ねる。確かに、単に食事に来たような雰囲気ではない。この店に何か所用で訪れたのだろうか。

「いえ、このお店でなく…あなたがここにいると聞いて来たんです」

 そう言いながらサラが目線を向ける相手は、エルマではなくルースだった。

「オレに?」

 サラは頷いて続ける。

「実は、あなたに仕事の協力をお願いしたくて来たの」

「……え?」

 あまりに意外な申し出だったので、つい聞き返してしまった。

「協力? オレに?」

「ええ。あなたに。この街で唯一の、鉱物専門のトレジャーハンターと聞いて来たんだけど?」

「…まあ、そうかな」

 シトレーで行われる取引は多々ある。だが、鉱物を専門として山岳地帯で収集している者はルース以外に聞いた記憶がない。

「…あれ? でもなんでオレがトレジャーハンターだってわかったの?」

 今は昼時で、ルース以外にも客はいる。確かに人探しもしやすいので、この店に来るまではわかるが、彼らは真っ直ぐルースとエルマに近寄ってきた。

 当然だが、『トレジャーハンターでーす』という看板を掲げているわけでもない。

「推測したんですよ。そうでしょう?」

「ええ、そんなところ」

 何故か誇らしげに問うサイラスに、サラが答える。

「推測って…」

「別にそんな難しいことじゃないわ」

 そう言うと、彼女の話すピッチが少し上がった。

「あの険しい山で仕事するなら体力は必須― なら年齢的には若いでしょ。岩山を歩く―なら、登山用の深い靴を履いているはず。野外の仕事だから― 服装は動きやすいラフなスタイルだし、屋内の仕事ならわざわざバッグを持ってお店には来ないでしょう。鉱石を扱うなら軍手やグローブはあった方がいいし、手を見れば力仕事なのは見当つく。それに、採掘するなら器具が必要― その銀色の板は形状が変わるタイプのものでしょ。それもかなりの強度がありそうだし、角が少しすり減ってることから、恐らく大きな刃物の類」

「………」

 呆然。

「これだけわかれば絞り込むのは難しくないわ」

「………わお」

「憶測で色々言っちゃったわね。ごめんなさい。何か間違っていたかしら?」

「…いや、全部正解」

 水が板を流れるようにスラスラと説明したが、その推測は全て的を射ていた。服装や年齢はともかく、〈アージェント〉はパッと見ではただの銀の板にしか見えない。確かに構造上、普通とは異なる部分もあるが、微々たる差だ。可変式であることまで見抜かれるとは考えもしなかった。

 本人は簡単に言っているが、店に入ってからのわずかな時間でここまで見抜くのは驚異的過ぎる洞察力だ。

「あと、髪がピンク色だしね」

「なるほど…って、それは関係なくね?」

「冗談よ。それで、ここからが本題なんだけど…」


 彼女の話はこうだった。

 今回、突然噴火したモンターニア山の調査をする必要がある。そのため、山に慣れている者に案内を頼みたいという。

「でも… 山には獣とかも出るよ?」

「ええ、だからお願いしたいの」

「我々もこういう仕事ですから、自衛手段は持っています」

 と言いながら、サイラスは腰の長い物体に手を添える。一体何なのかわからないが、武器かなにからしい。

 この長身の男にはそれを扱える技量もあるのだろう。よく見れば、細身だが引き締まった体をしている。

 そうなれば、ルースはただ案内するだけでいい。今日は特別な仕事の予定もないので、特に不都合はない。

「んー………」

 だがそれ以上に、ルースとしては彼女らに興味があった。

「わかった。協力するよ」

「ありがとう」

 その瞬間― それまで淡々としていたサラは、初めて笑みを浮かべた。

 ほんの少し眼を細め、薄く微笑むといった程度だったが、とても自然な笑顔だった。

「………」

 ルースは眼を瞬かせる。微笑んだのは一瞬だったが、その光景が強く残った。

「では―」

 しかし次の瞬間に、彼女の雰囲気がまた変化した。単なる頼みごとに来た来訪者から、仕事として対応する者へと切り替わったらしい。明確に自分をコントロールしていなければできることではない。

「レスキュー部隊〈リヴァティーンズ・ウルフ〉から、正式に協力を依頼します。改めまして、隊長キャプテンのローレンスです」

 サラは右手を差し出す。

「えっと…?」

「地球の習慣で、互いの手を握る友好の証です。〝アクシュ〟と言います」

 困惑していたルースにサイラスが説明する。ためらいがちに手を伸ばし、サラの右手をそっと握る。

 …両手で包み込むように。

「………」

 慣れないやり取りにどうも緊張するルース。馴染みのない習慣というのもあるが、女性の手を握ること自体ほとんど記憶にない。そのため、『これでいいのだろうか?』という考えが頭をめぐり、必要以上にしっかり握ってしまう。

「………」

「……あれ? なんか間違ってる?」

「……いいえ。でも、そんなに真剣に握らなくていいから」

 苦笑気味にサラが言う。

「そうなんだ… あっ」

 ふいに、あることに気づいて声を上げる。

「そう言えば、まだ言ってなかったっけ。オレはルース。よろしく、ローレンスさん!」


* * *


 シトレーを始めとしたイエルバの民の中には、モンターニア山を〝聖地〟と呼ぶ者もいる。

 イエルバには別段強い宗教組織はないので、これは誰かが定めたというわけではない。軽々しく足を踏み入れないという意味で、敬意とユーモアを込めた通称だ。

 実際、ルースのように鉱物採集などの理由がなければ、わざわざ訪れる者はいない。

 傾斜はかなり急なので、気を抜けば大ケガする恐れもある。また、標高も高いため空気が薄く、慣れない者が登ると体調を崩すこともある。

 はずなのだが…

「綺麗な山ね。登山なんて久しぶり」

「ずいぶん高いですね。素晴らしい景色です」

 数日前にこの星に来たばかりの二人は話しながら足を進めていた。

「……あのー、ピクニックじゃないんすけど」

 先導して先を歩くルースはやや戸惑いがちに語る。

 同時にルースは二人の様子に驚きを感じていた。レスキュー部隊だというのなら、それなりに体力はあるとは思っていたが、登山を始めて約一時間― 疲れも見せずに険しい山を軽々と歩いている。しかも長身の男― サイラスの方は相変わらず大きなトランクケースを持ったままである。

 もっとも、白のロングコートと黒のタキシードの二人が山道を歩く様子はかなり違和感があるが。

「そうね。ルースさん、あと歩いてどのくらい?」

「ルースでいいよ。そうだな、このペースならあと3時間もあればかなり登れるっしょ。まあ、頂上付近になるとガスが出てて登れないから、そこまでになるけど」

「そう、よかった。ルースは頼もしいガイドさんね」

「…そう?」

 ガイドの仕事など全く経験ないのだが、こう言われて悪い気はしない。

 サラの方は薄い板状の物体を手に周囲を調査していた。時折電子音が鳴るが、機械類にしてはかなり小さく、手のひらほどのサイズだった。

「でも、本当にいいところだと思うわ。活火山でこれだけ自然があるなんて珍しいしね」

「そうなの?」

 確かに、モンターニアには岩山や崖も多いが、半分は緑に覆われていて、水も湧く。そのため、この辺りに生息する動物も多いのだ。危険もあるが、見ている限りでは美しい場所と言える。

 しかし、ルースはここ以外の山を見たことがなかった。

「ええ、普通はもっと殺伐としていますよ」

「そっか… チキュウって星には山多いの?」

「どうかな。多いか少ないかはわからないけど、色々な場所があるわね。例えば地球で一番高い山は、物凄く厳しい場所なの」

「と言うと?」

「そうね…山頂付近は空気がほとんどないから酸欠になるし、凄く寒いの。普通の人だと、登るのはまず無理。ふもとには住んでる人もいるけどね」

「そんな厳しい所に住む人もいるんだ? スッゲー…」

「それは私も同感。常に雪が積もってるほど寒い所なのに、凄いと思うわ」

「んー………ん?」

 サラの解説を聞いていたルースだったが、途中から眼を見開き、キョトンとしている。

「…どうかしたのかしら?」

「あの…ユキって何?」

「………」

「………」

 ルースの問いに、沈黙が走り、サラとサイラスは顔を合わせる。

 もちろん、ルースは真面目に質問している。イエルバは温暖かつ乾燥しているので、雨は降っても雪は降らないのだ。

「簡単に言いますと…空から降る、氷の粒のようなものですね」

「…マジで? 氷が? 雨みたいに降るの?」

「ええ。雨粒ぐらいの白い氷が空から降って、それが積もるの。氷だから普通はすぐに溶けるけど、とても綺麗よ」

「はー… 見てみたいな。ここじゃ雨も滅多に降らないけど、チキュウではそんな凄いことが起こるのか。きっと神秘の星なんだな」

 まるで六歳の子供のようなノリで大げさに興味を示す様子に、二人は苦笑を浮かべる。地球ではありふれた自然現象が、天変地異か何かのように思っているようだ。

「そんなに気になる?」

「そりゃもう」

「気持ちはわかりますけどね。私もそうでしたし」

「そうね」

「ん? どゆこと?」

 サイラスの言葉に違和感を感じて質問をする。『私もそうだった』と言っていたが。

「ああ、私は正確には地球人ではないんですよ」

「え、そうなの?」

「はい。私はナタルという星の生まれなんです。今は地球で暮らしていますが、人種的には隊長キャプテンとは全く違います」

「そうなんだ… 驚いたなー…」

 つまり、知らず知らずの内に異星人二人と出会っていたというわけだ。

 確かに、サラと顔つきなどがかなり違っていたので、別人種か何かなのかとは思っていたが、別の星の人間だとは予想外だった。

「まさか一度に二つの星の人間と知り合えるなんてなー… 出会いってのは不思議だね」

「地球ではこういうのを未知との遭遇って言うのよ」

「へー……… …ん?」

 先導していたルースの足がふいに止まる。


「…ちょっとストップ」

 片腕を広げ、サラとサイラスを制する。

「何かしら?」

 立ち止まって周囲を見回すが、見たところ何もない。十メートルほど先に曲がり角が見えるだけだ。

「嫌な予感がする…」

 ルースは背中から〈アージェント〉を掴むと、盾の形状で前に構える。

「…待ってて」

 二人にそう告げると、ルースはゆっくりと先に進んだ。

 曲がり角から顔を出して先を伺うが、そこにはやはり何も見えない。

 ルースの言う嫌な予感とは、例の噴火を察知したときのものと同様の感覚だった。なので、また噴火や地震が起こるのかと一瞬危惧したが、振動は全く感じられない。

 となると、他に考えられる危険性は―

「…あそこか?」

 三人が歩いていたのは、山頂に繋がる道だ。角を曲がった道ももちろんその延長だが、その道の数メートル先に横穴があった。中は洞穴になっているらしい。ルースの注意が引かれたのはそこだった。

 慎重に穴の入り口に近づき中を覗く。奥行きは結構深いらしく、中は暗く見通しは悪い。

「予感がハズレてればいいんだけど…」

 つぶやくルースの小声に反応するかのように、暗闇の奥で何かが動く。同時に―

 

 ―グルオオオォオォオオォオオ……

 

 まるで、深い深い谷の底から響いているような、低い鳴き声を上げる。

「ありゃ… 的中しちまったか」

 洞窟内から、高さ三メートルはある巨大な獣が姿を現した。


 待たせていた二人の所にそっと戻ると、ルースは現在の状況を説明した。

「エイルセス… 地球で言うところの、ヘラジカに似てるわね」

「へらじか?」

 洞窟内にいたのは、モンターニアで最も恵まれた体躯と角を持つ四足歩行の獣だった。

 イエルバではエイルセスと呼ばれ、確かに地球で言うところのシカに似ている。だが、エイルセスの足にはナイフほどの長さの爪が四本生えており、角は樹木のように枝分かれしているが、どれも直線であり、先端はかなり尖っているのだ。

 一応草食だが、人畜無害とは程遠い、危険な雰囲気がただよう獣である。天敵はほぼなく、モンターニアの生態系の頂点に位置している。

「この状況ではすんなり通してくれそうにないですね」

「そうなんだよ。アイツら草食だから普段は大人しいんだけど、今はスゲー気が立ってるみたいでさ…。ちょっとでも縄張りに入ると襲ってくるかも」

 山頂に向かう道の途中の横穴から出てきたエイルセスは、三人の前に立ちふさがっている状態だった。先に進むにはこの巨獣を何とかしなければならない。刺激しないよう静かに通り抜ければ何とかなるかもしれないが、道幅は意外と狭く、避けて通るのは難しそうだった。

「ああやってうなってるときは近づかないのが普通なんだよな… かなり遠回りになるけど、一旦戻って別のルートで行くしかないかな…」

「うーん… 隊長キャプテン、どうしましょうか?」

「………」

「ローレンスさん?」

「………」

 サラはルースを振り向かず、こちらを睨みつけているエイルセスを見つめていた。

「どしたの?」

「あ、待ってください」

 反応がないサラに近づこうとするルースを、今度はサイラスが制止する。

隊長キャプテンがああやって黙っているときは、何かを考えているときなんです。そっとしておいてあげてください」

「はあ…」

 サラはコートのポケットに両手を入れたまま直立し、沈黙していた。エイルセスのような巨獣に出くわせば警戒や緊張の色を見せるのが普通だが、今の彼女はごく自然体だった。

 やがて、沈黙が解かれる。

「…サイラス」

「はい、隊長キャプテン

 背を向けたままのサラの声に即答する。

 極めて短い言葉しか発していないが、サイラスは聞き返すこともなく対応した。必要最低限の言葉だけで心情を察したらしい。今まで何度も繰り返されてきたやり取りであることが見ていてわかった。

 サイラスが背後まで来ると、サラは白いロングコートを脱ぎ始めた。

「お願い」

「了解しました」

 脱いだコートをサイラスに渡し、黒のパンツスーツの姿になった。

「………?」

 しかし、何故急に上着を脱ぎ始めたのか? 今さら暑くなったというわけでもあるまい。ルースは訝しげに傍観するしかなかった。

 考えてみれば、ルースはこの女性がコートを羽織ってないときを見たことがない。

 それほど長身というわけではないことぐらいはわかっていたが、現在の彼女は先ほどまでとはやや印象が異なる。先ほどまでは大人びた女性といった雰囲気だったが、今は一回り小さくなり、どちらかというと若い少女のように思える。

 初めて体のラインも確認できたが、改めて見てみると… 引き締まってはいるが、かなりスレンダーだ。

 …胸元もあまり膨らんでいないせいもあるが。

「ちょっと待っててくれる?」

 サラは首だけをわずかに動かし、ルースにそう伝える。

「…? 待つって……え!?」

 ルースが聞き返す前に、サラは歩き始めていた。

 ―未だにうなり声を上げるエイルセスに向かって。

「ちょっ…ええっ!? 近づいたらあぶないって…」

 サラを止めようとするルースを、サイラスが手で制止する。

 サイラスは何も言わず、ただルースに視線を送った。ただただ静かで、何か強い意志に満ちた目からは『手を出すな』という声が聞こえてきそうだった。

 さも当然のようにコートを持ち、サラの行動を眺めているその様子は、ますます執事じみている。

「いや、でも…」

 一体何をしようというのか?

 皆目検討がつかなかった。


 サラはゆっくりと、しかし迷いなくエイルセスに歩み寄っていく。いつ襲ってくるか分からない獣を前に、警戒の色が全く見えない。イエルバの住人が見れば自殺行為にしか思えないだろう。

 やがて、エイルセスとの距離は一メートルほどまで近づいたところで立ち止まった。

 うなり声がより大きくなり、鼻息も荒くなる。正面を睨み、その様子は肉食獣にも劣らない威嚇だった。それでもサラは視線をそらすことなく、ジッと見つめ返す。


 グルウウウウウウッツ!!


 両者の沈黙がしばし続いたが、やがてエイルセスがしびれを切らしたように、頭を振り、鋭い角を揺らし始め、サラに突進する。角で突かれれば、あんな細い体など簡単に貫き、即死だ。ルースはその最悪の展開が頭に浮かび、ビクッと身をすくめる。

「あぶな―」

 ほとんど無意識に声が出ると同時に、サラに駆け寄ろうとするが―


 ―次の瞬間に眼に映ったのは、全く想像と異なる光景だった。

「…え?」

 駆け寄ろうとした体勢のまま、ルースは凍った。

 サラは、エイルセスの頭を抑え、突進を止めているのだ。

「………」

 ルースは声を失っていた。

 何が起こったのか全く分からなかった。一瞬前まで、確かにサラは直立していただけだった。だが、動いたことにルースは気づかなかった。

 別に大きな動作をしたわけではない。ただ右腕を前に伸ばし、突き出す― それだけのこと。ただし、その場から一歩も動いていない。それどころか、腕以外は微動だにしていなかった。

 あまりに速く、かつ自然な動きだったため気がつかなかったのだ。

 だが…なぜあの細身で、十倍近くある巨体の突進を止められるのか?

「…大丈夫」

 凛とした声が響いた。サラがようやく口を開いたのだ。しかし、その言葉はルースやサイラスに向けたものではないらしい。

「大丈夫だから、そんなに怯えないで。あなたを傷つけたりしないわ」

 そう言いながら、エイルセスの鼻先を優しく撫でる。すると、先ほどまでのうなり声が徐々におさまり、鼻息も緩やかになる。同時にギラついていた目つきも、まるで別の生き物ように柔らかい眼差しに変わっていった。

 やがて、サラの顔に鼻先をすり寄せてくる。

「いい子ね」

 顔を撫でながら微笑む。

「流石です」

 誇らしげなサイラスの横で、ルースは呆気にとられていた。

「マジで…?」

 眼球が飛び出さんばかりに眼を丸くしている。

 サラは後方で待機していた二人にアイコンタクトを送る。サイラスは頷くとコートとトランクを抱えて歩き出す。

「行きましょう」

「あー…うん。…ねえ。今のどうやったの? エイルセスをあそこまで落ち着かせるなんて、聞いたことないぞ?」

「ちゃんと説明はしますよ。その前に彼の治療をしましょう」

「治療…? あっ」

 そのときルースは初めて気が付いた。エイルセスの後ろ脚から血が滲んでいることに。


「つまり、怪我してたってのはわかってたってこと?」

 地面に寝かせたエイルセスの後ろ左脚を押さえながらルースが質問する。

 脚は骨折していた。間近で見るとかなり痛々しい。なので、なるべく刺激しないように丁寧に添え木を当て、包帯を巻いていく。その作業を行いながら、サラは問いに答える。

「ええ。あなたの話から察するに、普段は大人しいんでしょ? それなのに見るからに気が立ってたってことは、何かあるって考えたの」

「まあ、確かに…」

「それに呼吸が浅くて速かったし、苦しそうだった。体力も随分弱ってたみたいね。となると、病気か怪我のどちらかって考えるのが自然でしょ」

「いや、そうかもだけど… 普通そんな冷静に分析したりしないと思うんだけど」

「そうかしら?」

「そうだよ」

隊長キャプテンの観察力は凄いんですよ。いつも的確で速いんです」

 さして誇る様子でもないサラに対して、何故かサイラスはドヤ顔だった。

「確かに凄いなぁ…。そういえば、なんでわざわざコート脱いでったの?」

「あれは警戒を解くためよ。敵意がないことを伝えるため」

「ああ、なるほど。そりゃ敵だったら眼の前で武器とか鎧を捨てるわけないもんな」

「そういうこと。飲み込みが早いわね。ああ、サイラス。もう包帯は十分だから、抗生物質を取ってくれる?」

「わかりました」

 サイラスは答えながらトランクの中から薬を取り出す。

 彼が持っていたトランクの中には様々なものが入っていた。ルースには何なのかわからない物ばかりだったが、そのうちのいくつかは医療器具だということは理解できた。

 それにしても、これだけの量が詰まっていたのなら、かなり重いはずなのだが…。

「では薬も打ちましたし、立たせましょう」

「お願いね」

「せーのっ…」

 エイルセスの体重は成獣ならば一トン以上ある。この個体は比較的若いが、それでも人間とは比較にならない重量だ。

 だがサイラスは苦も無く起き上がらせた。

「わお…」

 見た目はかなり細身なのに、巨獣をあっさりと立たせている。

「よし。ルースさん、これで大丈夫ですよね?」

「ああ、うん。これならしばらくすりゃ元気になるよ。もともとタフな奴だから」

「よかったわ」

 そう言いながらサラは立ったエイルセスの首元を撫でる。獣は心地よさそうに喉を鳴らしている。ここまで人になれるのも珍しい。

「元気でね、イエルバのヘラジカさん」

 サラがそう言って撫でていた手を離すと、エイルセスは横穴の中に戻っていった。

「さて… 先に進みましょうか。隊長キャプテン、コートを」

「ありがとう」

 サラは受け取ったコートを羽織り、サイラスはトランクを閉じて持ち上げる。

「改めて思うけど、あんたらホントに何者?」

「ただのレスキュー部隊よ」

「いやいや、普通あんなデカい奴の突進を片手で止めたりしないっしょ… って、そうだ! それが聞きたかったんだ!」

 思い出したルースはサラに駆け寄った。

「ねえねえ、さっきの一体どうやったの!?」

「はいはい、落ち着いて。あれはただのテクニックよ」

「テクニック?」

「まず、足に怪我していれば突進しにくいことはわかるわよね?」

「そりゃまあ…」

 だが、それだけであの巨体を止められるものだろうか?

「私には力はないから、タイミングと精度と速さで止めたの」

「えーと…?」

「つまりね。至近距離で壁にぶつかるのと、助走をつけてぶつかるのとじゃ違うでしょ?だから、相手が動く直前に押さえて止めたの。タイミングを見計らって、スピードが乗って勢いが着く前に相手の重心を狙って正確に制止すれば止められるってわけ― こんな風にね」

「え?」

 そこで初めて気が付いた。サラが自分の胸を指で押さえていることに。

「………」

 試しに前に進んでみようとしたが、動かない。指一本でだ。

「こういうことよ。わかった?」

 サラは平然と言っているが、逆に言えば力をほとんど使わずに相手を制止しているのだ。相手が力を出すよりも速く、制止できる重点的なポイントを押さえる― それは針の穴の様に小さな位置を一ミリもずらさずに穿つ恐るべき精度だ。

「ああ、わかった… やっぱり普通じゃねー…」

「そう。さて、そろそろ行きましょうか。ガイドさんを押さえてちゃ進まないしね」

 そう言いながら指を離すと、白いコートをひるがえして背を向け歩き始めた。

 ルースはまたも呆然としていた。まるで―

「宇宙人でも見たかのような顔ですね」

「ああ…って実際その通りじゃん!」

 

* * *


「これで調査は完了ね。色々とありがとう」

「とても助かりました、ルースさん」

「いやいや、こっちこそ。すげーのたくさん見せてもらって楽しかったよ」

 モンターニア山の調査は順調に進み、暗くなりかけたところで三人は撤収し、シトレーの街に戻ってきた。

「ってゆーか、むしろ邪魔じゃなかったかな?なんか質問ばっかりしちゃって」

「そんなことないわよ。的を得たいい質問ばかりだったし、積極的に学ぼうとするのは才能だと思うわ」

「…そっかな? そんなこと初めて言われたかも…」

 と、ルースの顔がにやける。

 実際このように褒められたことは初めてだったのだ。学校のような教育機関に通ったことがないため、こういった質問をすること自体がまずない。

 同時に、サラのような美人の女性から褒められるということもほとんどなかったこともあって、余計に嬉しかった。同時になんだか気恥ずかしい。

「面白い人ね」

「そうですね」

「さて、と。これからどうする?」

「今日はもう船に戻るわ。調査したデータを整理したり、上に報告もしなきゃいけないしね」

「上… そう言えばあんたたち、連合の人間じゃないんだよね?」

 普通イエルバに訪れる異星の人間と言えば、連合― ユニヴェルシオの関係者がほとんどだ。上…つまり上司や上層部と聞けばまずは連合を思い浮かべる。

「ええ、そうですよ。私達は民間ですから」

「だよね。でも、今回の噴火でなんで連合は来てくれなかったのかなって気になってたんだけど― しかも実際に助けてくれたのは民間だったなんてさ」

「それは―」 一瞬サラの言葉が詰まった。「―今回はあまりに急な噴火だったから、連合も把握しきれてなかったのよ。噴火が起きたとき、この星から発せられたSOS信号を私達がキャッチしたの。偶然この星の近くにいたから」

「ああ、なるほど。そりゃイエルバにもSOS発信機はあるか」

 確かにイエルバに限らず、ほとんどの星には緊急用の信号を発する装置が備え付けられている。例えば、異星の星に侵略行為を受けたとか言った場合に、助けを求めるためのものだ。シトレーで言えば市長邸にあるのだろう。

 普通は連合が信号を受信して救助に訪れるのだが、今回はサラ達の方が早かったということらしい。

「今までろくに使われたことなかったからなぁ… なんせ平和な星だし」

 そう言うルースの声はやや自嘲気味だ。

 平和だったが故に不測の事態に対処しきれなかったことを。今回にしてもサラ達が来てくれなければどれだけの被害があったことか。

「市長さんからもそういった話があったわ。でも今回のことがきっかけで対策も取られるみたい。シェルターぐらいは作られると思うわ」

「そっか」

「…平和なことに気づくのは難しいのよ。でも、だからこそ大切にしなきゃいけないと私は思う」

 そう言いながら、サラは空を見上げる。先ほどまでと異なり、どこか遠くを見ているような表情だった。

 初めて見る表情だった。出会ってから常に落ち着き払っていたが、今は少し雰囲気が違う。

(この人もこんな顔するんだ…)

 口には出さないが、ルースはそう思っていた。

「戦争が絶えない星だって少なくないんだから……本当に」

「そうですね…」

 サラの言葉にサイラスが同意する。この二人には何か思うところがあるのだろうか。

 恐らく、ルースには想像もつくはずもないものを見てきたのだろう。他の国どころか他の星から来た人間だ。理解できるはずもなかった。

 そのことが、ルースはどこか寂しく感じた。友好的に接してくれていたこの二人と自分の間に初めて壁を感じたのだ。


 だからかもしれない― もう少しこの二人のことを知りたいと思った。

「ねえ、お二人さん… 明日の予定とかは?」

「ん? 明日は予備日だから、特に決まってないけど?」

 そう答えるサラは凛とした雰囲気に戻っていた。

「なら、明日は街を案内するよ。もう一日ガイド役を延長させてくれない?」


 * * *


「―以上が、この星の噴火した山の報告になります」

 空飛ぶ戦車内の司令室に、サラの声が響く。

「ご苦労。その調査結果なら我々の推測はほぼ確定だろう」

 それに答えて男性の声が響く。まるでサラの声をそのまま低い男声に変換したかのような落ち着き払った声だ。感情といったものをまるで感じさせない。

「予定通り進めて構わない」

「了解しました」

「だが、それとは別に気になることがある― そうだろう?」

「……ッ」

 サラに表情に一瞬 緊張が走る。別に隠すつもりなどなかったが、こうもはっきりと言い当てられるとは。

「―はい。実は…」

 どのみち、〝彼〟に隠し事など通用しない。最初から確信を持って聞いているのだ。


「―なるほど。興味深いな、その少年」

「本人は自覚していないようですが、あれだけの距離から猛獣の危険性を察知するのは普通じゃありません」

「いや、そこじゃない」

「…え?」

「君はその少年に何かを感じたのだろう? 理屈ではなく」

「………」

 サラは沈黙で返す。

「彼とは明日も会うんだったな。そこで確かめればいい。隊長キャプテンサラ・ローレンスと副官サイラス・ルプスに明日は休暇を許可する」

「…わかりました」

 そこで両者の通信は終了した。


 * * *


 翌日―

「オハヨウゴザイマス!」

「おはよう。早いわね」

 シトレーの街の入り口で三人は顔を合わせていた。サラとサイラスは空飛ぶ戦車の中で寝泊まりしているので当然来るときは一緒なのだが―

「…いつから待ってたの?」

「ん? 一時間くらい前からかな」

 気にした様子もなく、むしろ嬉々として言うルース。まるで飼い主の散歩を待つ犬だった。

「この星の方々はいつもそんなに朝早いというわけでは…」

「…なさそうね」

 こっそりと話すサラとサイラス。

「さーて、行こっか。案内するって言っても、この街には娯楽的なものは少ないんだけどね」

「いえ、そんなことはないですよ。どんな仕事をしているのか興味があります」

 街中を歩く三人。

 シトレーの主なビジネスは、店舗経営と農業だ。食料品、衣服、雑貨、家具などを販売している店舗が多い。機械技術もあることはあるが、需要が少なく、鉱石はモンターニア山ぐらいでしか採れないので、規模は小さい。

 鉱石はむしろ板金などに使われる方が多かった。

「なんだか、鍛冶屋さんが多いみたいね」

 カーン、カーンと金属を打つ音が響いている店は多い。

「んー、この街では結構盛んだね。店の看板とか、立札とかを作ってることが多いかな。客が多いから、結構儲かるらしいよ」

「案外、職人さんが集まる街なのでしょうか?」

「んー、そうかも。オレのこれも、この街の鍛冶屋に打ってもらったモンだしね」

 背中に背負った〈アージェント〉を親指で差す。

「なるほど。見たところオーダーメイドね」

「そうだけど…なんでわかんの?」

「見ただけじゃ銀の板にしか見えないし、それだけ丁寧な造りは既製品じゃ無理でしょ」

「お見事」

 やはり鋭い。

 サラが言うように、イエルバには工場の様な大規模な施設は少なく、ほとんどが手作業で行われている。手間はかかるが、競争相手もいないので特に困ってはいないのだ。


「でも人の手で作るのは立派なことですよ。それにしても…」

 そして、これは辺境であるこの星独特だが、街の中あるいはすぐ隣に畑があり、作物を育てているのだ。普通に歩いてた三人の前に、突然広大な緑の葉野菜の畑が現れたように。

「驚きましたね。街の中に畑が点在しているなんて」

「そうなの?」

「普通は都会と農地は分けて区画されているものよ」

「へえー」

「それより…一つ聞いてもいいかしら」

 サラの視線の先にあるのは作物ではなく、それに撒かれている大量の水だった。

「前から気になってたんだけど、この星は水が豊富なの?」

「水?」

 そうなのだ。

 シトレーに限らずイエルバはパッと見では砂漠に見えるほどの乾燥地帯だ。普通だったら作物は育ちにくいと思われがちである。

「それは簡単だよ。イエルバは川とか湖は少ないけど、地下水がすげー豊富なんだ」

 そういうことだった。

 なので、地下から水を汲み出す技術は昔から重宝され、今ではどこにでもある。地表は乾燥しているが、乾燥地帯でも育つ作物は意外に多いのだ。

 例えば今 目の前に広がっている葉野菜は、地球で言うところのモロヘイヤに近いものである。

「…ちょっと聞くけど、水の値段って?」

「ね、値段? いやいや、水に金出すなんて聞いたことないよ。よっぽどじゃなきゃタダだよ」

「………」

「あっ、ローレンスさんも驚いたりするんだ?」

 ルースの回答にわずかに目を丸くしたサラに言う。

「それはそうでしょう。私も驚きましたし」

 サイラスも似たような表情をしている。

「ふふっ、ちょっと意外なとこ見れたな」

「なんで嬉しそうなのかしら?」

「いや、なんとなく。んじゃ、試しに飲んでみる?」

 そう言うと、ルースはカバンから紙コップを取り出すと、近くに立てられていた金属のパイプに近寄り、コックをひねった。地下から水を汲み出す装置である。見た目は水道に似ているが、仕組みはどちらかというと井戸に近いものだ。

「はい、どーぞ」

 差し出された水を受け取り、サラとサイラスはじっと見つめる。水は透明だが、よく見るとうっすらと青く見える。見た目はいいし、変な匂いもしないが…

「………」

 逡巡の後、口に含んでみると―

「…あ、美味しい」

「…ですね」

「でしょ? 昔から水は豊富だったから、すげーキレイに濾過されるようになってるんだよ」

 誇らしげに語るルース。他の星を知らないので比較などできようもないが、この水もこの星で気に入っていることの一つだった。

「ここまでいい水がたくさんあれば暮らしやすいですね」

「本当に美味しいわ。むしろ地球の水よりも微かに甘みがあって飲みやすいぐらい」

「そんなに?」

「ええ。でも、地球では一部の地域だけだけど、水の代わりにつゆ… つまりスープが出てくるのよ」

「マジでッ!?」

「冗談よ」

「あ……… あー、ビックリした」

「…全くの嘘じゃありませんけどね」

 とかなんとかやってたところに―

 

「ルース~、何してんの~?」

 小さな少女が声をかけてきた。

「おお、マナ… って、お前こそ何やってんの?」

「お姉ちゃんに頼まれておつかい~」

 そう答える少女は黒髪を二つに結んだ、どこかのほほんとした雰囲気の娘だった。ルースより五〇センチほど小さいが、自分の身長と同じくらいの大きさの袋を頭に乗せて運んでいる。

「そっちの人たちだれ~?」

 袋を頭に乗せたままサラとサイラスを見る。

「こないだの地震のとき助けに来てくれた人だよ。ほれ、ちゃんと挨拶しな。袋 持っててやるから」

 ちなみに、少女が担いでいた袋の中身は穀物の一種である。かなり軽く、これほどの体積でも子供で持ててしまう。

「こんにちはー、マナって言います。七歳です」

 袋をルースに預けると、少女は片手を挙げてそう名乗った。

「はい、こんにちは。可愛い子ね」

「こんにちは」

「頭さげたー、へんなのー」

「へ…変ですか?」

「こらこら、そういうこと言わない(オレも最初変だと思ったけど)」

「ごめんなさい~」

「はい、よくできました」

 どこか抜けたようだが、マナはとても素直な子だった。この街のほとんどの住人に知られ、可愛がられている。

「それにしても、こんな小さいときから働いているんですね」

「このあたりじゃ普通だよ。さて、エルマが待ってるだろうし、袋持ってかなきゃな」

「…ん? ということは、もしかしてこの子は…」

 ルースの口からこぼれたエルマという名からサラは察したらしい。相変わらず鋭い洞察力だ。

「あ、気付いた?この子、エルマの妹だよ。こないだのダイナーのお姉さん」

「なるほど。お姉様に頼まれたお仕事でしたか」

「時間的にも丁度いいし、あの店にももう一回行ってみたいわね。案内お願いできる?」

「もちろん」

「わー、ウチのお店来てくれるの? ありがとう~」


 * * *


 その後、マナはすっかりサラとサイラスになついていた。もともと人見知りしない娘だが、異星人でも気にした様子が全くない。ルースとしてはむしろ羨ましいぐらいだった。

「わー、たかーい」

「マナ、あんまりはしゃぐとあぶないわよ」

「ふふーん、今のわたし、お姉ちゃんより大きい~」

「ナマイキ言っちゃって… すみません、相手にしてもらっちゃって」

「いえいえ、お安いご用です」

 マナはサイラスの肩に乗って遊んでいた。

 ルースよりも長身なので、かなり高い位置から見下ろせることが嬉しくてしょうがないらしい。

「しっかし、ルプスさん本当に背高くていいなぁ…オレもデカくなりたい」

 そう言いながらサイラスを見上げる。

「これからきっと伸びますよ」

「ますよー」

「黙れ、マナ。お前が言うな」

「わたしもいつかお姉ちゃんみたいにかっこよくなるんだ~」

「ふん、言ってろ。オレはもっとかっこよくなるんだ」

 とかなんとかやってる傍らではサラとエルマがカウンターで向かい合って話していた。

「…七歳の子と張り合ってるし」

「仲が良いのね」

「まあね。いっつもあんな調子よ。きっと精神年齢は大して変わらないのね」

「む、聞きとがめたぞ エルマっ」

 矛先がエルマに変わったらしい。

「そう言えば、ルースはいくつなの?」

「ん、オレ? 十五だよ」

「お若いですね」

「サイラスと二歳しか変わらないじゃない」

「えぇっ!?」

 驚愕。

「ってことは…ルプスさん、十七歳!?」

「ええ、そうですけど」

 何を驚いているのかと言わんばかりの顔で答えるサイラスであった。どういう組織なのか知らないが、レスキュー部隊の副隊長を務めるからにはもっと上の年齢を想像する。


 * * *


 そんな様子で時は過ぎ、いつしか夜になっていた。

「久々にゆっくりできた気がするわ」

「ですね。充分に楽しめました」

「そりゃよかった」

 シトレーの入り口まで歩く三人。

 ふと、サラが空を見上げる。

「ここは星がよく見えるのね」

 ぽつりと呟くサラの眼はどこか儚げだ。星空を見上げているのはわかるが、ルースが見上げるときとは雰囲気も表情も違う。

「…うん」

 ルースもつられて顔を上げる。

 宇宙― 幾億の星が散らばる混沌。この女性にはどう映り、何を思うのだろうか。

「…ねえ、チキュウってどの星?」

「ここからじゃ見えませんよ。そのくらい遠くの星です」

 苦笑気味にサイラスが言う。

「見えたってこんなに沢山あってはどれかわかりません。星によって見え方は違いますから」

「そっか。そうだろうなァ…」

 そんな気の遠くなるほど遠い場所からこの二人は来たのだ。何度も何度も見上げてはその先に行くことを夢に見ていた少年がいた。

 だが、それはもはや夢ではなく現実の様に感じていた。

「…連合の役人以外でさ、他の星からイエルバに来た人に会ったのは、あんたたちが初めてだった」

「………」

「………」

 二人は無言で聴いている。

「あんなに沢山星があって、その一つ一つに色んな人達が住んでるんだよな。全部の星に行った人はいるのかな?」

「…いないでしょうね」

 そんな所業ができるとしたら、もはや神に等しい存在だ。別に正確な回答を期待した質問でもない。

「ずっと…ずっと思ってたんだ。いつか自分の宇宙船を持って、宇宙に行きたいって。もっと色んな世界を見てみたいって」

 ルースの言葉は遠い星から来た二人に向けたものであると同時に、自分自身に向けたものでもあった。それだけの重みがあることは、この場にいる誰もが理解していた。

「あなた、ご家族は?」

 ふいにサラが質問する。

「いないよ。母親はオレが三つくらいのときに亡くなって、父親はどこの誰なのかもわからない。まあ、この街のみんなはいい奴だから、家族と言えばそうなのかな。両親もいなくなったオレを育ててくれたし」

「そう、ですか…」

「ここはいいところだと思うよ。のんびり暮らすのも悪くはないんだと思う。でも―」

 ずっと夜空を見上げていたルースが二人に向かい合う。

「それでも、さ… できればもっと色んなこと教えてほしいんだ。…オレ、字も読めないくらいバカだけどさ。やっぱりムリかな?」

「………」

「………」

 サラとサイラスは無言…だが、まっすぐにルースを見て話を聞いていた。

 彼が言いたいことはわかっている。数秒の逡巡の後、サラが答えた。

「残念だけど…私達は明日にはこの星を離れて、連合に詳しいことを報告することになるわ。噴火は一度は収まったけど、今後同じことが起きないようにするためにね」

「そっ、か… そうだよね」

 ルースの声のトーンが下がる。

 彼らも暗に示していた― 連れて行くことはできない、と。

 だが、確かにその通りだ。彼らはイエルバに遊びや観光などで来たのではない。仕事で来ているのだ。

 ましてやあれだけの大災害から救ってくれた恩人だ。無理を言って困らせたくはない。

「でも、オレは大丈夫だよ。チャンスを待つさ」


 * * *


 翌日、ルースとサイラスはあの巨大な戦車に前にいた。

「いやー、間近で見ると本当にデッカいなぁ」

「私もそう思います」

 近距離で見るとよりその迫力に圧倒される。

「大きくってよくわかんなーい」

 ルースの傍らで戦車を見上げていたマナが言う。戦車のまわりには他にも何人かシトレーの住民が集まっている。彼らがこの星を去ると聞いて、見送ろうと出てきた者達だ。

「確かによくわかんないよな…こんな重そうなのが一体どうやって飛ぶんだ?」

「それは企業秘密です」

 サイラスとそんな話をしていると、シトレー市長に挨拶を済ませたサラが戻ってきた。

「あら、あなたたち」

「ども。見送りに来ちゃいました」

「きちゃいましたー」

 サラが現れると他の住民も何人かが駆け寄り、礼を言ったりしている。

「わざわざありがとう。でも、すぐに出発しなきゃいけないから」

「うん、わかってる」

「では、私は発進準備をしておきますね」

「ええ、お願い」

 そう言うとサイラスは船の中に入って行った。

「レスキューのおねーさん、もう帰っちゃうのー?」

「ええ、お仕事があるから」

「また会えるー?」

 寂しそうな声で言う。

「んー…」

 サラは少し困ったような表情を浮かべた― また会えると言うだけなら簡単だ。だが、相手が子供とはいえ、適当なことを言いたくはないのだろう。

「そうね…」

 サラは腰をかがめて、マナと目線の高さを合わせる。昨日から思っていたことだが、随分と子供の扱いに慣れている気がする。

「マナ、これをあげる」

 ポケットから小さな銀色の円形の金属を取り出し、マナの手のひらにそっと置いた。ルースがマナの後ろから覗き込むと、コインほどの大きさだ。人間をかたどったらしき何かが彫られている。

 手のひらに乗せられたそれを見て、マナはきょとんとしている。

「これは地球のお守りよ。子供を守る聖ニコラオスのメダル。きっとあなたを守ってくれるから」

 聖ニコラオス― 地球のキリスト教に伝わる、守護聖人の一人だ。

 もちろんルースやマナにわかるはずもなかった。だが、サラの眼は真剣だった。子供にアメを与えて懐柔しようとしているわけではない。

 そして、マナの頭に手を乗せると―

「あなたを忘れないから」

 ―真っ直ぐに見据えて言った。ただ、それだけ。

 マナはメダルを両手でしっかりと握り、胸に抱く。サラの言おうとしたことは、よくわからない。だが、それはまだ幼く、言葉にする術を持たないだけだった。

「…ありがとー、おねーさん」

「ほら、マナ。もうお姉さん達 行かなきゃだから、な?」

 ルースに促されると、マナは他の住民達のもとへ戻っていった。

「オレからもありがとね」

「いえいえ。問題ないわ」

 かがんでいたのを戻しながら言う。

 特に誇るでもなく、自然体だった。もうすぐ去ろうという人に、ルースはさらに関心が深まってしまった。

「あのさ、ローレンスさん…」

 そう言えば、もう一つだけ聞いておきたいことがあったのだ。

「ん?」

「ちょっと変なこと聞くけどさ」

「何かしら?」

「モンターニアに行ったときさ… なんであのエイルセス、わざわざ助けようとしたの?」

 イエルバの住人だったらエイルセスと極力関わろうとはしない。ケガしていることに気づいたとしても、自分が傷つくことを恐れて放置するのがほとんどだろう。特に、イエルバのような都会よりも自然が多い土地では必要以上に干渉しないスタンスの方が多い。

「あんなあぶない動物に近づこうなんて、普通はしないよ。いくら強くってもさ」

「…自分が強いだなんて思ってはいないけど―」

 一瞬の逡巡の後、サラは言う。

「―そうね。もしかしたら、あの動物はこの前の噴火の地震で怪我したのかもしれないじゃない?」

「ああ、確かに」

「私達の鎮圧がもうちょっと早かったら被害はもっと少なかったかもしれないし。だから、あれはアフターケアよ」

「あふた…? よくわかんないけど、仕事の一環ってこと?」

「ええ。あくまでこれはビジネスだもの…慈善事業じゃないわ」

「うーん… そんなもんなのかな…?」

 どうも腑に落ちない様子のルースだった。サラの言うアフターケアや慈善という言葉もあまり聞いたことがなくピンとこない。

「それもあるけど、そうね… そんなに難しい理由じゃないわ」

「と言うと?」

 サラは自分の前髪を軽くすくい上げながら一呼吸入れると、言った。

「ただ、そうしたかったから…かな」

「………」

 意外な答えだった。

 だが、同時に違和感は感じられなかった。

「あまり私情で動くのは褒められたことじゃないけどね」

隊長キャプテン、船の準備が終わりました」

 奥からサイラスが戻ってきて、そう伝える。

「了解。それではイエルバの皆さん、お世話になりました。飛び立つときはあぶないから下がってくださいね」

「わかった」

「色々とありがとう、ルース」

 そう言いながら手を差し出すサラ。もちろんルースには何を意味するかはもうわかっている。

「また、会えたら嬉しいな… いつか、チキュウって星にも行ってみたい」

 そう言いながら手を握り返すルース。いつかのときよりも自然に握り返すことができた。

 ただし、相変わらず両手で握っている。

「ええ。さようなら」

 短くそれだけ言うと、颯爽と背を向け、白いコートをなびかせ、船に向かって歩いて行った― 迷いない足取りで。サイラスはルースにお辞儀をしてからそれに続く。


 戦車は機体の真下から圧を吹き出し、垂直に登って行った。まるで重さなど感じさせないような動きだった。しかも、何故か機体の真下にあった石や草なども一緒に浮かんでいる。

 十分な高さまで上昇すると背部のエンジンから煙を吐く。


 ヒュン


 轟音と共に一気に物凄いスピードで飛行していき、雲の向こうまで消えた。まるで本当にその場から消えたかのようだった。

「………」

 飛び立つ瞬間はあっけなかった。飛び去った後もルースは空を見上げていた。

(なんだろう、この感じ…?)

 ほんの数日だけだったが、あまりに強くルースの心に残っていた。ルースはサラの手を握った右手をじっと見つめる。


 * * *


 ―その頃、サラも同じようにルースの手を握った手を見つめていた。

 ただし、様子が異なる。神妙な表情で、何かを確かめるように閉じたり開いたりしている。

「半信半疑だったけど、二回目ともなると偶然とは思えないわね…」

隊長キャプテン、どうかしましたか?」

「いいえ、大丈夫… 今はね」

 サイラスにはそれだけ答え、心にしまう。

(彼が…〝星を駆ける者スターウォーカー〟 ……?)

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Seven Wolves :エピソードⅦ 新たなる出航 神無月 隼一郎 @CenturionFalcon

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