CHAPTER Ⅰ 〜出逢い〜

CHAPTER I


 星空を見上げた時、人は何を思うのか―


 このような類の問いかけには、明確な答えはもちろん存在しない。

 安らぎ、不安、恐怖、寂しさ、興奮― あるいは何も感じないこともあるだろう。

 幾億の星が瞬く星空は一種の混沌であるのだから、それ自体に意味などあるはずもない。にもかかわらず、人は空を見上げる。まるで、混沌であるがゆえに、この無数の星々の中で、自分自身の意味を見出そうとするかのように。

 だが、いくら見上げたとしても、人間のような小さな―本当に小さな存在には、大きすぎる問いかけだった。

 何故なら―


「遠いなァ…」

 誰に向かって言うわけでもなくその少年― ルースはつぶやいた。

 その少年の特徴を一言で表すなら、「自由闊達」が恐らく一番適しているだろう。

 野外で足を組んで仰向けに寝そべりながら星を見上げる彼には、弱弱しさや繊細さは見受けられない。体つきは筋肉隆々とまではいかないが、充分に引き締まり、見るからに健康体だ。鮮やかなショッキング・ピンク色の髪は整髪されず伸び放題で、後ろ髪は紐で結んでいる。規律や周囲の目に縛られているような様子は全くない。

 周囲には人も建物も草木も動物もない中で独りきりだった。

 しかし、そんな彼の眼だけは遠くを― 遥か遠くを物憂げに見つめていた。

「宇宙、か…。こんなに広くて、山ほど星があるのに、なんでオレはずっとここにいるんだろうな。もう十五年も…」

 自嘲気味につぶやく。

 そう。

 宇宙は限りなく広いが、そこにたどり着くには遠すぎるのだ。技術が進んだ現在、人間は宇宙に行く術を身に着け始めた。だが、実際にそこに行ける人間はごくわずかだ。

 それは自然なことかもしれない。

 宇宙空間では人間は生きられない。まるで、立ち入ることなど許されない場所であると主張するかのように。そんな場所に、一個人が簡単に行けるわけがない。大半は、彼のように空を見上げるだけで終わってしまうだろう。

「オレには遠すぎるってことなんだろうなー……。だけど、いつか―」

 ルースは星空に向かって手を伸ばす。届くはずも、掴めるはずもない空に向かって。やがてウトウトし始めた彼は眠りに落ちていく。


 夜が明ける。から、が差し込み、その光でルースは眼を覚ます。

「んーっ… 朝か…」

 彼にとってはいつもの日常― いつも通りの朝が来ただけのこと。

 大きく伸びをしながら上半身を起こすと、傍らに置かれた荷物の中から、手のひらほどの大きさの機械を取り出す。慣れた手つきでスイッチを押すと、軽快なリズムの音楽が流れ始めた。

 キャッチーなメロディに合わせて体を揺らしながら、ルースは立ち上がり、手に持った機械― CDプレーヤーを後ろのポケットに入れる。

「~♪」

 曲のビートが徐々に激しくなるにつれ、上機嫌に踊りだし、後ろ髪が尻尾のように揺れる。

「さて。今日も始めますかね」

 デシェルト系第四惑星・イエルバ― 銀河の外れに位置する小さな発展途上惑星。

 この辺境の星で、未知の世界を夢見る少年は、自分の未来をまだ知る由もなかった。


* * *


 RRR… RRR……


 文明化した社会であれば、誰もが耳にするであろう音が部屋に鳴り響く。

 その場所は、まるで〝秩序〟で構成されているかのように整然とした部屋だった。パーティーなどに使うことはまずないだろう。〝オフィス〟と呼ぶのが最もふさわしい部屋だ。

 ふいに、電話のコール音が途切れる。

「――はい」

 凛とした女性の声が部屋に響く。まるで一切の感情を封印したかのようなトーンで淡々と電話の相手の話に相槌を打つ。

「イエルバ星? そうですか、あの星が…。では、急を要するということで、我々に依頼を?」 

 念入りに相手の要件の確認を取った後、しばし沈黙が走る。

「…わかりました。この依頼、我々が引き受けます」

 淡々としながらも、強い意志が込められた返事の後、電話を置く。

「イエルバ星…」

 口元に手を当てながらつぶやき、しばし考え込むと、その女性はしっかりとした足取りで革靴の音をコツコツと響かせながら歩き始めた。

 

* * *

 

 イエルバ星を一言で言えば、寂れた砂漠と山から成る星である。

 住民のほぼ全員が裕福とは言い難い生活を送っている。作物はそれなりに獲れるので食べるのに困ることは少ない。だが工業や物資に恵まれたわけではないのだから、当然と言えば当然だ。

 もともとは自然が豊かな星でそれなりに栄えていたらしいが、遠い昔の話だ。当時のことを知っている者はほぼ他界している。イエルバの今を生きる者達は、彼らなりに工夫をしながら日々を過ごしている。

 誰もが避けては通れない―〝仕事〟という工夫を手段としながら。

 そしてショッキング・ピンクの髪の少年 ルースもまたその〝仕事〟に取り組む一人だった。

「ふんふーん♪」

 ヘッドホンで音楽を聴きながら、山道を歩いている。周囲には岩ばかりの殺風景な場所だが、彼は気にした様子もない。

「オー、イェ~♪ やっぱ仕事は楽しんでやらなきゃね」

 ルースにとって仕事は生きるための術ではあったが、同時に楽しむための手段の一つでもある。やるからには結果を出そうとするが、過程にそれほどこだわりはないのだ。

 実際、彼の外見からしても厳しく自分を律しているようには到底見えない。

 フード付きパーカーにブルージーンズといったラフな服装、荷物は左肩に掛けたワンショルダーバッグとCDプレイヤーの他には…背中に担いだ妙に大きな金属の板ぐらいしかない。

 その板は銀色の長方形で、縦の長さがルースの肩から膝辺りまであり、背中のほとんどを覆っている。厚さは大したことないが、その不釣り合いな大きさの割にルースは重さを感じさせない足取りである。まるで体の一部であるかのように、彼の行動を制限する様子がない。

 相変わらず音楽に夢中で、軽快にステップを踏みながら歩いて行く。

 ―そんなルースの背後には彼の踊る影の他に、別の影がひっそりと動いていた。


 山岳地帯に生息する肉食獣・ベスティーガ… 某惑星ではジャッカルと呼ばれる獣に近い種である。細身な四足歩行の姿はジャッカルとよく似ているが、上顎からは二十センチはある鋭い牙が左右二本ずつ生えている。死体を漁ることも多い獣だが、人間を襲うことも珍しくない。

 現に今、背後からルースを狙って忍び寄っている。知能の高い部類の獣でもあるので、足取りは慎重だ。しかし、飛びかかるのに適した距離まで忍び寄れば違う。


 グルアアアッ!


 ルースの背後目がけて跳躍し、一気に距離を詰める。長く鋭い牙と強靭な前足による鋭い爪が襲い掛かる。

 ベスティーガにとっては最も単純かつ確実な狩りの方法だった。

 この岩場では群れで襲うよりも奇襲の方が効果的だ。また、背後から真っ直ぐ突進するよりも、身軽な肉食獣特有の跳躍力を活かした、斜め上方向からの迫る方が、対象にとって死角となりやすく、回避が困難になる。襲撃に気づくには振り向くだけでなく、上方向を見上げるという動作が必要になるからだ。

 何より相手は全く警戒心を発していなかった。ベスティーガに音楽などわかるはずないが、耳をヘッドホンで塞いで鼻歌交じりに歩く者を脅威とは感じなかった。

 牙と爪が彼に届く―


「あらよっと」


 ―ことはなかった。ベスティーガの口にはルースの肉ではなく、金属の板が入った状態になっている。

 ルースは確かに音楽に夢中だった。常に周囲を警戒していたわけではない。しかし、背後からの襲撃をなんなく防いでいた― 振り向くこともなく。

 彼は音を聞いたわけでも、獣の姿が視界に入ったわけでもない。ただ感じたのだ…自身に降りかかる危険を。

 ベスティーガの口に挟まり、攻撃を防いでいるのはルースが背中に背負っていた長い金属板だった。だが、形状が変化している。

 縦の長さはルースの身長ほどまで長くなり、横の長さは先ほどの半分ほど短い。ルースの右手は、真ん中の部分にあるグリップらしきものを握っていた。

 別に複雑な変形をしたわけではない。『U』の形状だったのが『一一』になっただけだ。

 しかし、その金属板の雰囲気は変化している。『U』のときは、どちらかといえば『盾』だったが、現在の形状は、一つのグリップの両端に刃が備わった武器― 『ダブル・ブレイド』である。

 防御用の形状から、攻撃用の形状に変わったのだ。

 ベスティーガの顎は強力だが、ダブル・ブレイドを噛み砕くことは不可能である。刃から牙を離し、ルースから距離を取る。

 ルースは軽快にターンし、ようやくベスティーガと向き合い、ニヤリと口元を歪ませる。

それは親愛や好意を表現するというよりも、まるで好戦的な肉食獣のような笑みだった。

 こんな状況でも彼には焦りや緊張感は全くない。未だにプレーヤーの再生も止めず、ヘッドホンも外してないのだから。

「シャル・ウィ・ダンス?」

 あろうことか、獣をダンスに誘うような素振りまで見せている。

 そんなルースの様子に獣の方も戸惑っている…のかどうかは不明だが、すぐには襲ってこない。仕切り直して再襲撃の機会をうかがっている。低くうなり声を上げながら前足で地面を掻く。

 うなり声が大きくなると、ルースは手のひらを獣に向かって突き出して制止した。

「おおーっと、待て待て待て… 今、曲が盛り上がってるとこだから」

 自分で誘っておきながら緊張感なく言うと、少年は得意気に、自分の身長ほどもあるブレイドを軽々と振りまわす― まるで、剣舞のように。右手・左手で持ち替え、左右で交互に回転させる。

 尋常ではない速さで刃を振るたびに風切音が響き、砂埃が舞う。

 これはルース流の威嚇だった。

 獣がうなり声を上げるのと同様、自分の技を相手に見せることでプレッシャーを与える。…しかし、音楽に合わせて舞っているのだから、普通の人間から見たら踊っているようにしか見えない。

 ひとしきり披露すると身構える。ブレイドを握った右手を後ろに引き、左手を前に突き出すという構えだ。オーソドックスだが、効率的で隙の少ないスタイルである。口元にまるで肉食獣のような笑みを浮かべ、ルースは言う。

「来るかい? ベスティーガくん」

 一連の様子を見ていた獣は悟った。この男は獲物とするには高くつく、と。一見ふざけた様子で隙だらけだが、この男には眼に見える以上の〝何か〟がある― 動物の本能でそれを察知した。

 ベスティーガは賢い。利に合わない争いはしない。足早に背を向け去って行く。

「いい子だ」

 ルースも同様に、無益な殺生は好まない。

 今度は比較的好意的に微笑んで獣を見送ると、ルースはブレイドを再び『盾』の形状に変化させ、背中に背負う。これまで何百回と繰り返してきたのであろう、慣れた手つきだった。

「さて、ベスティーガが近くにいるっつーことは、アタリも近いかな? ハイホー!」

 何事もなかったかのように山道の探索を再開する。彼にとって―いや、この星の住人にとって珍しいことではない。獣に出くわすこと、その危険から身を守る術… いずれも生きるために必要なことだ。

 ルースにとってはそれ以上の意味はなかった。


* * *


 宇宙では音はしない。

 音とは振動である。空気や水などの伝達する物質がなければ音は伝わらないのだ。誰の耳にもそれが伝わることはない。

 例え、どれだけ巨大な物体が飛行していたとしても……


* * *


「はいはーい、毎度どーもでございまーっす。トレジャーハンター、ルースさんのご帰還でございますよっと」

 人ごみの喧騒の中でルースのあっけらかんとした声が響く。

 イエルバにも『街』と言える場所は存在する。辺境惑星でも、ビジネスを行う場は固まっていた方がいい。シトレーと呼ばれるこの街はイエルバで最も充実した場所だ。食料、衣服、機材… この星の大抵の物資はここで流通している。ルースが主に取引しているのは、鉱石だった。今日の収穫を馴染みの店の商人に鑑定を依頼する。

「おお、ルース。お疲れさん、どれどれ?」

 モノクルを掛けた馴染みの商人の青年― シアンテは慣れた手つきで鑑定を始める。

「今日は結構いい石が取れたぜ。ベスティーガの相手をした甲斐があったってモンだ」

 上機嫌に報告するルース。ベスティーガは岩場に生息するが、動物である以上は水を必要とする。縄張り意識が強いので、水場からあまり離れない。水辺の近辺には純度の高い鉱石が多いのだ。

「おお、おっかねえ。俺ァ、あんな物騒なケダモノとやり合うのはゴメンだね」

「スリルがあった方が面白いだろ?」

「スリルねえ…」

 シアンテはルースよりも一回り年上だが、互いに遠慮はない。この街では年齢差など大した問題ではないのだ。

「まあ、確かにこんな街じゃ、スリルでもなきゃやってらんねーわな」

 シアンテが自嘲気味に言う。

「………」

 反応に困った様子で肩をすくめるルース。

 もっともな意見だった。このシトレーでも『大都会』とは到底呼べない。イエルバ星の全人口は一万人もいないのだ。そんな場所では、日々の生活だけでもやっとというのが現状だ。

「えーっとだな… 二五五ダラーってとこだな」

 鑑定額を告げられたルースは困惑の表情を浮かべる。

「…もうちょっと何とかならないか? 結構レアな石だったろ?」

「ごめんな、これが限界だよ。連合の税金がまた値上がりしたのは知ってるだろ?」

「…だよなあ」

 ルースの目標額の半分程度しか稼げていない。しかし、相手の境遇も似たようなものであることも理解している。

「…りょーかい、それでいいよ」

 彼を困らせるのは本意ではない。自分をやや強引に納得させ、快く鑑定額を受け取る。

「悪いな」

「気にすんな。にしても、連合に払わなきゃいけないってのはシャクだね」

「まあなー… 三か月に一回しかこの星に来ない連中だしな」


 銀河平和維持連合・ユニヴェルシオ― 彼らが『連合』と呼ぶ組織の正式名称である。

 簡単に言えば、軍と警察を合わせたようなものだ。

 デシェルト系だけでなくあらゆる銀河を統治する巨大組織で、主な役割は惑星間の違法行為の取り締まりと惑星の保護― だが、それ以外は何もしない組織でもある。

 例えば、星の住人の貧困、疫病、内戦…などには一切関与しない。惑星間における侵略、略奪、殺戮といった行為、あるいは星の崩壊危機などの特別な事態のみを防ぐことを目的としている。そういった事態が起きない限り手を貸すことは禁じられている。

 つまりは中立の組織なのだ。誰の味方でも敵でもない。

「まあ、連中としては『保護してやってんだから、金払え』ってことなんだろ」

 と、シアンテ。

 この男もそういう意味では中立な人間だ。一方的な見方はしない。

「保護ね… オレには監視されてるように思えるな」


 * * *


 シトレーの店で干し肉と水、豆の缶詰を買うと、街から少し離れた場所にポツンと立つ自宅に戻った。星が明るい夜は外で寝ることが多いが、今日は風が強く雲も多かったので家で寝ることにした。もともと一人暮らしで家族はいないので、どちらでも大差はなかった。

 簡単に夕食を済ませると、銀の金属板の手入れを始める。研磨剤の粉を振って、布で磨いていく。

 可変万能刃トランスフォーマティヴ・ユニヴァーサル・ブレード 〈アージェント〉

 形状が変化する巨大な刃で、ルースの相棒だ。

 大きさの割に重量は軽い。

 素材となっているサーガジウムはこの星特有の金属で、鉄の半分ほどの重さなのだ。形状によっては盾にも剣にもなり、投擲にも扱える。獣から身を守るための他に、狩りや収穫にも用いる。

 強度はかなり高いので鉱石の採掘に使うこともあり、何かと便利な道具だ。

 なので、ルースも手入れは欠かさない。

 そして、愛着を持っているという意味では、イエルバ星についても言えることだった。

「ここもいい星だと思うけどな…」

 手入れをしながらつぶやく。生まれ育った場所ということを差し引いても、ルースはこの星が嫌いではなかった。

 住人は穏やかだし、気候は温暖で安定しているし、夜は星がかなり明るい。やや気温が高く雨が少ないため、砂漠と荒野が多いが、今まで戦争と呼べる争いは起きたことがないし、警察の様な治安維持組織はごく小規模で充分だった。堅苦しい習慣はないので、それぞれが好きなように暮らせる。

 要するに平和な田舎なのだ。

「でも、ただ生きるってだけじゃやっぱり物足りないよなあ、〈アージェント〉?」

 愛用武器に語りかけるルース。

 ただ生き延びるだけでいいと考えている人間ばかりではない。それ以上の〝何か〟を求める者もいる。

 人は長年生活していると、『ここでいい』と自分の中で決めてしまう。一度住み着いた場所から簡単には離れられない。それ故にルースは一種の焦りを感じている。『一生同じ場所で毎日同じようなことをしながら生きていくのではないか?』と考えてしまう。

「よーしっ、ピカピカ!」

 〈アージェント〉の手入れを終えると立ち上がり軽く素振りをする。自分の焦りや不安を振り切るかのように―。

 不満や焦燥、決して楽ではない生活… いいことばかりではないが、それ以上に抑えられない衝動がルースの中にはあった。〝若さ〟という衝動が―。

 星を見上げたときルースが思うことはいつも同じだった。

 『あの星の向こうへ行きたい』 ―憧れと夢。

 

 ゴン


「あっ」

 …間の抜けた音と声が響くと同時に、ルースの動きは止まった。

 部屋の隅に置いていた豆の缶詰に、振り回していた〈アージェント〉が当たったのだ。命中した缶はタイミングよく開いていた窓から外に飛び出し、無駄に美しい放物線を描きながら飛んでいってしまった。

ホームランだ。

「あーっ! オレの缶詰ーっ!」

 窓から外を覗くが、既にどこに行ったか分からないほど遠くに行ってしまった。見つけるのは困難だろう。

「やっちまった… あんなに飛んじまうなんて、自分の才能が憎い…」

 先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、へなへなと座り込んでしまうルース。

「ちくしょー… 負けねえぞ、オレは」

 いかに大志を抱いていても、未だ十五歳の若い少年― おバカな失敗もするし、情緒不安定なのもまた然り。

 さてさて、少年の未来やいかに?


 * * *


 シトレーの朝は穏やかだ。

 一日の中で最も空気が澄んでいるし、気温は涼しく、人も動物も動き始める。

 ルースはこの時間帯が好きだった。

 この時間の空気を胸一杯に吸い込むことで、肺が洗われるような気がする。朝は風も吹かないので、砂や埃もほとんど舞っていない。

 青い朝陽を浴びて体が覚醒していくのを感じるのもとても心地いい。

 とまぁ、そういうわけで、ルースの朝は早かった。

「オハヨウゴザイマス、シトレーの諸君」

 音楽を聴きながら上機嫌で道行く人々に挨拶をしていく。朝の散歩は日課なので、街の住人にとっては慣れた光景だった。特に気にした様子もなく挨拶を返す。

 やがて一軒の古びた建物に到着した。建物には入口らしき大きな場所があったが、シャッターが下りている。ルースは気にせず入口の前に立つと、ヘッドホンを外した。

 ちょうどそのタイミングに店のシャッターが中から開く。

「よっす、エルマ」

 開いた店の向こうにルースより一回り年上の女性が立っていた。

「おはよう。今日も朝一番ね」

 やや呆れ顔でエルマと呼ばれた女性が言う。

 黒い髪をポニーテールにして、エプロンをかけている。派手さや高級感は全く見られないが、清潔感を心掛けた生真面目な装いだった。

「やっぱりここで朝メシ食べないと、調子出なくてね」

「何言ってんの、毎日そんなデッカい板背負っておいて。充分元気じゃない」

「否定はしないけど、ソレはソレ。コイツはオレの相棒なの。つーかハラ減ったよ、お姉さん」

「はいはい、うちのダイナーを毎度ご利用ありがとうございます」

 エルマが中からドアを開き、ルースを店内に入れる。〈アージェント〉を傍らに置き、カウンター席に座ると、ルースは両腕を頭上に高く上げ、ぐいっと伸びをする。見るからにくつろいでいる様子だった。

 彼は週に五回はこのダイナーで朝食をとっていた。早起きなので、開店前に到着してしまう。別に特別な名店というわけではなく、ごくありふれたダイナーである。特徴と言えば、良心的な価格で、気兼ねない雰囲気といったぐらいだ。わざわざ早朝から並ぶような物好きは普通いない。

 エルマが慣れた手つきでカウンター越しに水を出しながら聞く。

「ご注文は?」

「いつもの」

 ルースが短く答えると、エルマは背を向けて調理に取り掛かる。


 コトン


 十秒後、ルースの前に注文品が置かれた。(ご安心を。十分後の間違いではない)

「早いな、おい」

「あんたの行動パターンなんかお見通し」

「…ま、いいや。いただきまっす」

 苦笑しながら食べ始める。

 パンに肉と野菜を挟んだけの質素な料理だった。しかも、安い穀物で作られたパンと、香辛料をまぶして乾燥させた肉― いわゆるジャーキーを使っている。イエルバは食品保存技術が未発達なため、肉や魚はこういった形のことが多い。付け合せは芋を茹でてマッシュしたものと、苺のような木の実が二個添えられている。

「もぐもぐ… 作り置きじゃないな、コレ」

 肉のサンドを頬張りながらルースは言う。

 使用されているパンは本来ならかなりパサついて固いはずなのだが、一旦水を振りかけてから紙などで包んで蒸し焼きにすることで、いくらかふっくらした出来になるのだ。内側にはちゃんとマーガリンが塗られている。ジャーキーも火を通したばかりらしく、ジューシーだった。

 何時間も前に作ったものならこうはならない。

「言ったでしょ。あんたが来る時間を見計らって作っておいたの」

「ん~… 最高!」

 ルースがこの店を気に入っている理由の一つだった。

 使っている材料や設備はとても充実しているとは言えない。だが、エルマはこういった工夫をしてくれる。限られた条件でも、作り立てを出すことなどによって質を上げているのだ。街の住人のこういったやり方がルースは気に入っていた。


 やがて、ルースが半分ほど食べた頃、店内の隅に置かれた機械から音が流れ始めた。

「おっ?」

 食べる手を止め、機械の方に眼を向ける。雑音が混じり、あまりいい音質ではないが、何とか曲としての形をとりメロディーが流れる。

 もう一つの理由― この店には数少ないラジオが置かれていた。

 ラジオと言っても、錆びついた中古品で、状態によって拾える周波数も限られている。しかし、稀に『連合』のネットワークを経由して他の星の音楽や情報が聴けることもあったので、ルースにとって何よりも心惹かれるものだった。今日は音楽を拾えたらしい。

「おーっ… これは聴いたことないな」

「そうね、どこの曲かしら」

 エルマも仕事の手を止め、耳を傾ける。彼女はそれほど関心があってラジオを店に置いていたわけではないが、確かに何か惹かれるものを感じる曲だった。

 曲のイメージを一言で言えば、『凛とした曲』だった。歌はないインストだったが、澄んだ透明な音が連ねられ、旋律へと変わっていく。全体的に高音であり、音質が悪くとも店内に涼やかな雰囲気が流れる。

 しばしの間、二人は無言で聞き入っていた。

 やがて曲が終わり、ラジオからは何も聞こえなくなった。

「うーん… 今日はいいもん聴けたな」

 上機嫌に再びサンドイッチを頬張る。

 そんな彼の様子を見て微笑むエルマは、食後のホットティーを淹れてくれる。某惑星で言うところの紅茶に近いもので、やはり安い茶葉を使った三級品である。

「朝のホットティーは格別にかぐわしい」

 もっとも、当の本人は気にした様子もない。


 * * *


「じゃあ、また」

 夕刻のシトレーで、馴染みの商人と取引を終える。

「毎度どーも。気をつけろよ」

 シアンテが手を振って見送る。

 今日の収入も大したことはない額だったが、いつものことだ。この星の鉱石では仕方ない。希少金属を入手したとしても、それを扱える技術も乏しいので、需要がないのだ。必然と価値も下がっていく。

 もっとも、今日は作業を切り上げるのも早かったので、収穫も少ない。山岳地帯は天気が変わりやすいこともあるが、今日は雲行きが怪しかったので、早々に街に戻ったのだ。

「さて、どーすっかな…」

 このまま家に戻っても手持ち無沙汰だった。街をぶらつきながらどうするかを考えていると、ある店が目に入った。この街で生活していれば少なからず利用する店で、食料品以外は大抵の物がそろった場所だった。

「…まあ、いいか」

 深くは考えず、雑貨店に入るルース。

 家具、工具、文房具、小物、装飾品…様々なものが揃っている。ざっと店内を見回すが、ルースの眼をひくものはあまりない。どれも一通り所有しているし、買い替えるつもりもない。CDもあったが、すべて聞いたことのあるディスクだった。

「特にないかな… ん?」

 ふと、店内を歩き回っていたルースの足が止まる。視界の端に映ったあるものに顔を向け、近寄って手に取る。

 それは、情報を記録・分析・整理し、学習や説明や時には娯楽としても利用する、主に文字で構成された道具で、図示されることもあるもの― 本だった。

 手に取ったまま神妙な顔でその本を見つめるルース。イエルバでは本が取引されることは少なく、見たことのない本の場合は外の星から伝わったものということもあり得た。雑貨屋でも見かけることは珍しいので、どこかから新しく流れて来たのだろう。

「………」

 本のタイトルを凝視した後、ページを開いて中を見る。パラパラとめくって内容を眼で追っていくが、ルースの表情は曇っていく。

「はぁ…」

 深くため息をつき、本を閉じる。

「欲しいけど、無理だな… 全然読めねえや」

 元の場所に戻しながらつぶやく。

 ルースは普通に喋っているが、読み書きができなかった。

 理由は単純― まともな教育を受けていないからだ。母親は自分を産んですぐに他界し、父親に至ってはどこの誰なのかも知らない。身寄りもなかったため、孤児同然だ。

 街の住人はそんな自分を育ててくれたが、仕事をして生活費を稼ぐ方が優先されていた身なので、そんな余裕はなかったのだ。

 別にルースに限った話ではない。イエルバの住民の識字率は五割を下回っている。教育機関はほとんどない。

 しかし、ルースにとってはこの事実は深刻だった。


 人類が生み出した中で最も偉大な発明は何か。

 答えは千差万別だ。だが、その中の一つは、恐らく『文字』だろう。

 情報伝達手段は数多く存在する。その中でこれほど客観的で万能性が高く、多くの者とコミュニケーションが可能な媒体はそうそうない。

 そして、その文字という情報が積み重なり、一つの集合体として完成したものが…本だ。

 つまり、本とは情報の宝庫だ。


 おっと、話を戻そう。

 ルースとしても、字が読めれば、未知の情報や知識を多く得られる可能性がある。できることなら手に入るだけの本が欲しかった。だが、現実の自分はタイトルすら読めないのだ。購入したところでどうしようもない。

 店から出て、曇った空を見上げる。夕刻でまだ明るいが、徐々に暗くなり始めるだろう。

(オレはまだ全然足りないってことか…)

 雲の向こうは見えなかった。彼が目指す場所もまた見えないほど遠かった。

「…でも、まだオレはやれるよな」

 自分に言い聞かせる。限界は誰にでも存在する。だが、今はまだあがいていたかった。

 生きていれば、きっと何かが変わると信じて―


「よしっ、帰るかな」


 歩き出したその瞬間― それは突然訪れた。


 ゾク…


「うッ!?」

 突如、全身に悪寒が走る。まるで、背後から脊髄にナイフを突き刺されたような、強烈な感覚だった。実際に体から血は流れていないことは理解していても、そう感じるほどだった。

 ルースは勘が鋭い。

 トレジャーハンターは危険な目に合うこともあるので、自然と危機察知能力は磨かれる。しかし彼には経験で培ったものとは別の能力があった― それが生まれつきそなわった特殊な才能だという自覚は本人にはないが。

 それは一種の予知能力だった。何時間も先の未来を予測するのではなく、自身に起こる危険をほんの一瞬前にだけ察知できるのだ。あまりに短く一秒前よりも短い時もあるので、ルースは単に『自分は勘が鋭い』としか思っていない。

 イエルバ人だからというわけではない。これは彼だけに備わった能力だ。

 そんな彼の勘が告げていた― 何かが起きると。


 ゴゴゴゴゴゴ……


「うおっ!?」

 揺れている。

 地面、建物、人… あらゆるものが激しく揺れている。あまりの唐突な光景の変化に自分がおかしくなって揺れているのかとルースは錯覚したが、違う。

 揺れているのは大地― この街全体が揺れているのだ。

 窓ガラスにヒビが入り、辺りからは悲鳴が聞こえる。街の人々は混乱し、逃げ惑う。

 ルースは混乱を抑え、自分を制御しようとした。ほんの数秒の時間差だったが、事前に察知したお陰でなんとか理性を保てている。

(落ち着け…!ただ揺れてるだけだろ)

 状況の把握を開始する。揺れが激しく、このままでは立っていられない。

「うおりゃ!」

 とっさに背中から〈アージェント〉を抜き、ダブル・ブレイドの形状に変え、先端を地面に突き刺し、支えにして姿勢を保とうとする。

(これでさっきよりはマシだ。まずは地に足を着けろ…!)

 〈アージェント〉を握ったことで、落ち着きが戻ってきた。常に所持してきた道具を使うという日常的動作を淡々と行うこと― いわゆるルーティーンワークにより平常心を保つ。やがて姿勢が安定してきた。

「よしっ!」

 地面から〈アージェント〉を抜くと周囲を確認し始めた。まだ揺れは続いている。

 落ち着きが戻るにつれ、『なぜ唐突にここまで大きな地震が?』という疑問が浮かんだ。

 イエルバでも地震は起こるが、せいぜいが年に一回という極めて低い頻度で、それも小刻みに震えるといった程度だ。ここまで激しく揺れたという事例は聞いたことがない。

 だが、次の瞬間にはその疑問はルースの頭から消えていた― というより、それどころではなくなった。

 瞬時に左方向に横跳びをすると、一瞬前にルースがいた場所に、雑貨屋の看板が落下してきた。危険を察知し、一時的に思考がストップし、考えるよりも先に体が動いたのだ。危うく看板の下敷きになるところだった。

「あっぶな… でも流石にやばいな、コレは…」

 しかし、一度の危機を回避しただけでは意味がない。揺れはおさまる気配がなく、被害が広がっていく。ガラスや置物や屋根の一部が次々と落ちてくる。

(…考えるのは後だ。集中しろ!)

 ルースは思考をストップさせ、ただ集中した。無意識に『何も考えるな』と自らに暗示し、呼吸やまばたきを最低限に抑え、この危機を乗り切ることにのみ意識を向けた。

 その結果、彼が負傷することはなかった。〈アージェント〉を華麗に振り、落下物を次々と撥ね返す。揺れでバランスが崩れれば軽やかにステップを踏み、立て直す。簡単に防げない大きな物体が迫ったときは、体をターンさせ、紙一重で回避する― まるで、踊っているかのような動きだった。

 本人は無自覚だが。


 しばらくすると、揺れが徐々におさまり、ルースも慣れてきた。

 〈アージェント〉を再度地面に突き立て、杖代わりにすると、息を吐いた。

「はぁっ、はぁっ… 一体なんなんだ、この揺れ?」

 ようやく先ほどの疑問の考察を再開する。

 少なくともルースにはこの揺れの理由に思い当たることはなかった。知る限り、この星は平和そのものだったし、前兆らしきものも全くなかったのだ。

 だが、わからなくとも無理はない。

 その星の住人といっても、所詮は人間だ。惑星規模で起こる事象の原因など普通はわかるはずがない。ましてや学者でもなんでもない、ただの若者には手におえる話ではない。


 だが、今回は普通ではなかった。


 ルースの背後から轟音が響いた。

 聞いた覚えのない、奇妙な音だった。何かが燃えたような、爆発したような…

「なんだよ…これ…」

 振り向いた先にあったものを見て、ルースは眼を疑った。

「ウソ… だろ… 夢でも見てんのか?」

 今まで何度も目にし、何度も足を運び、あらゆる時間を過ごしてきた場所― モンターニア山がそこにはあった。この星で最も高い標高を誇り、麓には動物が住み、鉱物も採掘できる場所だ。

 今まで登山して遭難した者はほとんどいない。雪崩や土砂崩れが起きたこともないその山に、イエルバの住人はどこか神々しさすら感じていた。いつ如何なる時も変わることなく民を見守るかのように堂々とそびえたつ存在― それがモンターニアだった。

 そして、今日も変わることなくそこにそびえ立っていると誰もが思っていた。ただ一つ違うことは、山の頂上から灰色の煙が噴き出していることだった。

「モンターニアが噴火…? ンなバカな…」

 ルース以外の住民もその異常事態に気づかないはずがない。山を見上げ信じられないといった表情を浮かべ呆然としている。

(どうする? どうすればいい? どこに逃げれば…)

 精一杯思案するが、答えは出なかった。

 やがて本格的な噴火が起これば、溶岩や火山灰が火砕流となって激しく押し寄せるだろう。その温度は一〇〇〇℃を超えるという。そんなものに巻き込まれれば人間など即死だ。

 そしてシトレーにそれを防ぐだけの防護壁やシェルターは存在しない。最も栄えてる街でさえ備わってないのだ。つまり、この星全体に被害が及ぶ。

 逃げ場はない― それが結論だった。

 ルース以外の住民もそれを察した。

 ルースは彼らを見回すが皆、少なからず差異はあれど、同じ表情だった。

 絶望だ。


(こんなとこで、終わりなのか? まだ何も成し遂げてないのに…)

 もっと広い世界を見てみたい。見たことのない新しい世界を。

 色々な音楽を聴きたい。出来れば楽器の演奏スキルを取得して、自分で音を奏でたい。

 字を勉強して、本を読んでみたい。

(やりたいことも行きたい場所も、山ほどあるのに…)

 〈アージェント〉を握る手に力がこもる。初めてこの武器を手にしたとき、ルースは初めて自分に自信が持てた。

「母さん…」

 このブレイドは、母が残してくれたものなのだ。

 病弱だった母は、自分が長く生きられないことを察していた。自分がいなくなった後に息子を守るために、このブレイドを製作し、この街に預けていたのだという。十二歳になったときに市長から譲り受け、そのことを初めて知った。

 自分が三歳になる前に他界した母のことはほとんど記憶にないが、それでも唯一 肉親が遺してくれたものだった。

 イエルバでもこれだけ大きな武器を背負った者は他にいないー 自分以外には。

 だから、身の丈ほどもある刃を振るうたびに、自分は特別だと思えた。この相棒があれば自分はどこまででも行ける、とすら信じることができた。本気でそう信じていたのだ。

それなのに―


 モンターニアの震動が激しさを増していく。

 このまま死を待つしかないのか…?

 そう思った瞬間だった―


 ゴォオオォオォオオォオオオン…


「? 何だ、この音…?」

 どこかから音が聞こえる。先ほどから続いている揺れの振動とも、火山の噴火音とも違う音だ。

 近くからではない。振動を間近に感じないという意味でも今までの音とは違う。

 だが、遠くからの割にはっきり耳に届く重低音だった。ベースやドラムのような打楽器の音に似ている。

 ルースは違和感に気づいた。さっきまでの地鳴りの音は、当たり前だが地面― つまり〝下〟から響いていたが、この音は違うのだ。

 ルースは〝上〟に広がる空を見上げた。モンターニア山頂よりもさらに上、ぶ厚い雲の向こうの更にその先から音が響いているのだ。

 何かが― 近づいてくる。


 雲の向こうから銀色の物体が現れた。

 その物体は巨大だった― この星で今まで生きてきて、見たことがないほどに。あまりに巨大すぎて、全体が見渡せない。

「な…な…なんだ、ありゃ?」

 空から現れたその物体は、すぐに移動し始めた。より正確に言えば飛んでいった。反動で風が吹き付けてくる。

 腕で顔を覆い、風から身を守りながらもルースはその物体を眼で追っていた。向かっていく先は、今まさに噴火しようとしているモンターニア山だった。

 謎の物体はどんどんルースのそばから離れていく。

 距離が離れたため、その物体の全体像を何とか視認できた。だが、それが何なのか、すぐに答えが出なかった。自分の記憶の中から最も近いものを探すが、即座には浮かばない。 

 やがて、ひとつの解答に辿りついた。

 かつて写真で見たことがある。詳しいことはわからなかったが、それが乗り物の一種であり、戦闘兵器であることはわかった。

 気づかなかったのは、本来なら空を飛ぶはずのないものだったからだ。

 大まかな形としては直方体で、下部にはキャタピラが備わった、要塞のような重量感と威圧感を持ったヴィークル―

「まさか… アレって… 戦車!?」

 そう。

 それは巨大な戦車だった。


 記憶が正しければ、戦車とは陸上を走行する兵器の一種だったはずだ。それに、乗員数はせいぜい四~五人ほどの大きさだった。だが、今 上空を飛んでいるそれは自分の記憶より遥かに大きい。百人乗っていても不思議じゃない。

 そしてあろうことか、そんな巨体が空を飛んでいるのだ。見た目だけでも相当な重量感があるにも関わらず。

 普通に考えれば、それは戦車の定義から逸脱していると言ってもおかしくない。だが、飛行するその物体の形状は確かに戦車なのだ。

 

 * * *


「砲、展開」

 凛とした女性の声が響く。

 決して大きな声ではなく、淡々と落ち着いたイントネーションである。しかし、それは妙に響く声だった。まるで耳元で囁かれたようにはっきりと聞こえる。

 戦車の形状が変化していく。

 巨体の上部後方の、機関部と思われる部分から円筒形の長大な筒が伸びていく。

 戦車ならば必ず備わっているもの― 主砲の砲身だった。

 その形状は俗に言う、ウエディングケーキを横向きにしたものに似ていた。つまり、円筒を階層的に積み上げたようなもので、砲身の先の方に行くほど細くなっている。と言っても、階層は三段ほどしかない。

 だが、その長さは尋常ではなかった。恐らくは弾が発射されるのであろう機関部―つまり砲身の付け根―は、戦車の後方に位置していた。普通の戦車の主砲機関部は前方、もしくは全長の中央に位置していることが多い。

 …まあ、飛んでいる時点で『普通の戦車』ではないが。

 そこから伸びた砲身は前方の最端を遥かに超えて伸びている。砲身の長さと戦車の全長がほとんど変わらないのだ。そのため、主砲の存在感が圧倒的で、こちらが本体なのではないかと錯覚しそうだった。

≪展開完了。ミサイル装填完了。鎮圧対象まで残り距離500メートル≫

 女性の声に反応してか、別の声が室内に響く。こちらの声は音量が大きいので、やはりよく聞こえる。だが先ほどの女性の声と異なり、わずかにノイズの様な電子音が含まれる。

 恐らくスピーカーから聞こえてきているのだろう。

「ファースト・エンジンをスローダウン。次に対象周囲のスキャンを」

 戦車のスピードが落ちて緩やかになり、揺れが小さくなる。

≪対象周囲スキャン完了。生命反応なし≫

「鎮圧対象の最終座標修正を」

≪修正完了。ロックオン≫

 凛とした女性の声と機械的な声がやり取りを行う。どちらも流れるような応答で、これまで何度もこなしてきたルーティーンであることがわかる。

 一連の流れ作業の後、女性の一呼吸を入れる音がする。

「……噴火鎮圧ミサイル… 発射フォックス・ツー

 砲身から爆音が轟いた。


 * * *


 その瞬間、大気が震えた。


「うおあっ!」

 響いた爆音に、思わず耳をふさぐルース。

 モンターニア山に向かって飛行していた戦車が発砲したのだ。発射されたミサイルは、飛行機雲のような煙の軌道を描きながら、山の火口に向かっていく。途中で軌道が旋回し、ちょうど火口に垂直に入って行った。


 IRホーミング・ミサイル。

 熱や赤外線などを感知して自分で追尾し軌道を修正するタイプのミサイルである。

 火口から入ったミサイルが入った一瞬の後に再び激しい揺れが起こる。

 火口からは白い煙が噴き出し始めた。同時に、燃えるたき火に水をかけたときのような音も聞こえる。普通、噴火する際の煙は黒いはずだった。

 今度の揺れはすぐに弱まった。徐々におさまり、わずか一分後にはほぼ完全に止まった。だが、その光景を見ていた者にとっては一分どころではないほど長く感じただろう。それほどに衝撃的だった。

 モンターニア山の火口からは、もう何も噴火していない。


 そして静寂が残った。


 シトレーの者達は呆然として山を、その隣を飛行する戦車を見上げていた。

「助かった…のか…?」

 街の住人の誰かがそう呟いた。

 つい先ほどまで星全体が滅亡危機という状況だったのに、突如謎の戦車が現れたと思えば、急に噴火が止まったのだ。信じ難い状況なのも無理はない。

 上空を舞う戦車は方向転換を始めていた。山に背を向け、シトレーの方に向かってくる。

 ルースは旋回する戦車から眼を離せずにいた。

「連合の船なのか…? にしては変だな」

 銀河平和維持連合・ユニヴェルシオは、もちろん宇宙船は何万隻と所有している。本来なら、こういった惑星規模の危機の場合に救助に訪れるのが連合の仕事のはずだった。

 だが、そんな話は聞いていない。

 連合は基本、役所の様な組織なので、事前に連絡することがほとんどだった。だが、あの船(というか戦車)は何の前触れもなく現れた。

 それだけでなく、今まで何度も定期訪問してきた連合の船とは全く形状が違うのだ。

「ん…? なんだ、アレ?」

 ふと、ルースは戦車の正面部分に何かが描かれていることに気が付いた。先ほどまで側面しか見えていなかったが、今初めて正面を確認できたのだ。

 そこに描かれていたのは何かのロゴだった。芸術的な絵画というよりは、より象徴的なシンボルといった方が近い。銀の機体の正面に黒一色で描かれているため、見方によってはただの模様に見えたかもしれない。

 何が描かれているのか気になり、凝視するルース。まるでロールシャッハテストのようなロゴだったが、次第に形が見えてきた。

 それは顔だった。少なくとも連合の所属を示すロゴではない。

 『何か』の顔を正面から描いたものという表現が一番近い。

 だが、人間の顔とは印象が異なる。口元は大きく、笑っているというより威嚇しているかのようだった。牙のようにとがったものも描かれている。眼つきも同様に鋭くつり上がっていて、攻撃的だった。

 最も特徴的なのは、頭の上に伸びた二つの突起― 耳だった。眼や口と同様にとがっていて、真上にピンと立っている。人間にそんなものあるわけがない― 特定のアクセサリでもつけない限りは。

 そして全体像として最も近いのは―

「……ウルフ?」

 それは某惑星で言うところ、狼のロゴだった。


 * * *

 

「鎮圧確認。着陸します」

 男性の声が室内に響く。先ほどのスピーカーからの声ではなく、肉声だった。やや低めで落ち着いているが、報告を告げる声からは実直さや生真面目さ、何より相手への深い敬意が感じられる。

「お疲れ様。この星の大気の確認をお願い」

「了解」

 凛とした女性の声に応答して男性が答える。

 大気― つまりイエルバ星の空気の成分を調べているのだろう。

 異なる星なら環境は大きく異なる。ある種族には不可欠でも、別の種族には猛毒となるガスで覆われた星だって珍しくはない。別の星に降り立つ前にはどうしても必要だが、この確認にはやや時間がかかる。


 * * *


「やっぱどう見ても連合じゃないな…」

 上空を舞う戦車を眺めながらつぶやくルース。

 その戦車は下降してくる。どうやら着陸するつもりらしいが、随分とゆっくりと降りてくる。あれだけの巨体で急降下すれば衝撃はかなりのものだろう。しばらく時間がかかりそうだ。

「!?」

 危険は去った― そのことに街の住人達は安堵し始めていたが、そんな中でルースは再び悪寒を感じた。

 再度モンターニア山を振り向くと、山肌から何かが流れてくる。ゆっくりとだが、確実に、シトレーの方向に向かって。

 火砕流。

 火山灰や軽石が高温の状態で流れくだる現象― 火山が噴火した際にはほぼ例外なく起こる。

 先ほどのミサイルで噴火は鎮圧されたが、最初の噴火でわずかな火砕流が流れ始めていたのだろう。本格的に噴火していれば、比べ物にならないほどの量で生じていたはずだが、それでもシトレーのような小さな街にとっては十分に大量殺戮が可能だ。

「みんな逃げろーッ! 火砕流が来る!」

 噴火と違って音が静かなので、街の住民は気づいていなかった。

 ルースの声に、住民は再び青ざめ、逃げ惑う。

 家に避難するもの、とにかく火砕流から離れようと反対方向に走り出す者… それらの者達に混ざってルースも走り出すが、火砕流は思ったよりも速かった。

 遠目に見ていたためゆっくりに見えていたが、近くなるにつれ速く感じる。

 このままでは間に合わない― ルースは察した。


 ウィイィイイイン…


 危機的状況が読めていないかのような、ゆったりとした機械音と共に、上空を飛んでいた戦車のゲートが開いた。ゲートには人影が立っている。

 全身を雪の様に真っ白なコートに包まれた人影だった。風でコートがマントのようになびいているため全体像ははっきりと確認できない。なぜか右手には一メートル以上もある長い筒を握っている。

 火砕流を確認すると、その白い人影は何の迷いもなく飛び降りた。まるで、空中を散歩でもするかのように、ごく自然に。

 上空の戦車は下降してきてはいたが、それでもまだかなりの高さだ。地上まで少なくとも百メートル― 人間が落ちて助かる高さではない。

 落下する白い人物は、その状況でも全く焦った様子もなく、右手に持った筒を肩に担ぎ、火砕流に向ける。空中で自由落下を続け、ほぼ垂直方向になった瞬間、筒の前と後ろ両方から煙が吹いた。


 無反動砲。

 某惑星で俗に言うところのバズーカの一種である。弾薬を射出した反動のガスを筒の後部から噴射する仕組みで、普通の弾薬ではなく炸裂弾― いわゆる爆弾を発射する兵器だ。

 拳銃や散弾銃などとは全く違うタイプで、射出する炸裂弾の種類により、威力は大きく異なる。

 空中で放たれた炸裂弾は直線の軌道を描き、山肌を流れる火砕流の先頭に命中した。

 再び爆発が起こり、煙が赤い炎を吹いて噴き上がる。


 空中で射出した白い人物はそのまま高速で落下していく。自由落下が続き、みるみる地面が近づいてくる。高速で地表に叩きつけられる直前だというのに、平然としていた。

 地表まで約五メートル―


 カチッ


 腰のあたりに備わった小さな機械を操作する。スイッチらしきものを押しただけだが、落下が急にゆるやかになった。真下から突然強風でも吹いたかのようだったが、もちろんそんなわけはなかった。

 十分に失速すると、そのまま地に足が着く― まるで、階段から降りてきたように静かな着地だった。

 着地すると同時に、無反動砲の爆発の煙が晴れる。

 火砕流の前には窪みと隆起ができていて、流れのほとんどをふせいでいた。ふせぎきれなかった火砕流は流れを変え、街から離れた荒野に向かっている。

 この様子なら、人的被害はないだろう。

「……凄え…」

 ルースは感嘆の声を上げる。

 あの状況で、空中から飛び降りながら狙いをつけ、火砕流の流れを止めると同時に流れを変えるように計算して撃ったのだ。

 ある意味で、突然の大噴火よりも突如現れた戦車と白い人物の方に驚いていたかもしれない。


 白い人物は火砕流が止まったことを確認すると、背を向けて街の方に振り返った。

 そのとき初めて気が付いた― その人物の顔に。

 その人物の顔は黒で覆われていた。恐らく金属製であろう機械に顔のほぼすべてが隠れている。

 形状としてはフルフェイスヘルメットに近い。普通なら目が備わっている場所ですら、外側からは見えないスモークガラスの様なもので隠れている。実際に誰かが見たら、これでどうやってものが見えているのか不思議に思うだろう。

 そのため、表情は何も確認できない。そんな人物が今まさに自分達の街へ向かって歩いてくる。

 街の住人は自然と、新たな危機感を抱いた。

 この人物は一体何者なのか?

 その疑問から、シトレーの者達は近づこうとしない。もちろん、その人物が噴火を鎮め、火砕流を防いだことは理解しているが、あまりに色々なことが一度に起こり戸惑いを隠せない。

 …一人を除いて。

 ルースは〈アージェント〉をダブル・ブレイドから盾の形状に戻して背負うと、白い人物に向かって歩き始めた。

 ただ一人近づいていく彼に、街の住人は奇異の視線を向けるが、気にしない。

 ルースにも警戒心がないわけではない。だがそれ以上に、未知の衝動を感じていた。

 それはまるで、生まれて初めて目にした動くものを、親と思い込んでしまうかのような強い衝動だった。

 やがて、ルースと白い人物の間の距離はわずかになり、互いに足を止める。

 

 互いの姿をただ眺める二人の間に沈黙が流れる。

 白の人物の姿をようやく詳細に確認できた。

 よく見ると全体的にはかなり細身だ。身長もルースとほとんど変わらない。屈強でもなく巨体でもない。右手に持った無反動砲の筒の方がよほど頑強な印象を受ける。

 白いのは外側に羽織ったロングコートのみである。もっとも膝のあたりまである長いコートなので、ほぼ全身を覆っているが、それ以外の部分は黒が目立つ服装だった。コートの下にはタイトな黒いスーツを着ている。

 ジャケットはボタンが一つしかなく、下にはワイシャツではなく白いカットソーを着ているらしいが、ラフな印象は見受けられない。スラックスは細長くシワがまったくない。全体的に黒と白で統一されているので、よりコントラストが強調されているように見える。

 そのせいか、首から胸元に提げられた金色の物体がやや異質なものに見えた。

 小さな細長い二つの金属片を、直角に交差したシンプルな形状だ。ペンダントのような装飾品らしいが、あまり派手さは見受けられない。

 ルースには見覚えのない形状だったので、それが何を意味するものなのか理解できなかった。

 そして、顔だが…マスクのせいでやはり表情は読み取れない。少なくとも敵意や害意は感じないが、友好的な態度とも言えない。ただ静かに直立し、こちらを見ているだけだ。

「…コー…ホー…」

 しかもマスクからはコーホー、コーホーと何やら呼吸音らしき音が響いているので、余計不気味に感じる。

「………」

 何かを言うべきなのだろうが、言葉が出ない。

 喋れば容易に聞こえる距離なのだが、そもそも言葉が通じるかどうかもわからないのだ。だが、このまま黙っているわけにもいかない。

「えーっと… その…」

 言葉を濁すルース。だが、まず言うべき言葉があるとしたら、一つしかない。

「…ありがとう」

 先ほどまでと違い、はっきりと言葉にした。

「街は… いや、イエルバは救われた。本当に…… ありがとう」

 何者であれ、命の恩人だ。感謝の言葉だけは伝えたかった。

 白の人物は無言のままルースを見つめていた。聞こえてはいるようだが、明確な反応は読み取れない。


 ピピーッ


 ふいに、白の人物から― 正確にはマスクから電子音が響いた。続けて、ノイズが含まれる機械的な声が響く。

≪大気成分確認完了。有毒物質検出されず無害な大気と認定。防護マスクの必要性なし≫

「…?」

 突然聞こえてきた声に困惑するルース。

 白の人物がマスクの側面にボタンらしき部分を操作すると、プシューと空気が抜ける音がした。どうやらこの妙に威圧的なマスクは、ただ単に防護目的だったらしい。大気が安全かどうかわからず検査が必要で、それがようやく今終わったのだろう。

 マスクをつかむと、髪をかき上げるように持ち上げて外す。

「ふぅ…」

 中から長いブラウンヘアーを揺らしながら、流れるような動作で姿を現したのは―


「初めまして、イエルバの方」


 ―まるで、いつも見上げていた夜空の星のように凛と澄んだ女性だった。


「私はローレンス― サラ・ローレンス。〝地球〟という星から来ました」

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