エピローグ

 俺たち三人は、幻の湖の畔に立っていた。幻を司るものの血を引くものにとっては、帰路もやはり、湖畔が一番安定しているらしい。

 紫雲と氷輪は、名前で呼んでくださいねと笑った。

「今までずっとそうやって呼び合っていたのよ。だから貴方のお祖母さんも、ゆかりって呼んでたの。」

 この壮大なジェネレーション・ギャップに慣れるのは、当分先のことだろう。

 ああ、話が途切れた。彼女らは、俺を後継者として認め、正式にペンダントを渡してくれた。そのとたんペンダントがまばゆく光り輝き、やがてゆっくりとその光が俺の胸に吸い込まれていった。これによって、血脈に隠された魔力の、封印は解かれ、俺は晴れて「幻を司る者」となったのである。

 二人は湖まで俺を見送りにきてくれた。紫雲は満面に笑みを浮かべ、湖を指さして促す。湖面に、扉を開く予定になっているのだ。

「さあ、さっき教えたように『回廊』……こちらとあちらを結ぶ道に接触してみて。きちんと扉を開いて回廊に乗れれば、目的地に行くことが出来るし、もう桜と仲良くせずに済むわ」

「大きなお世話です」

 「女神」である時と「女の子」である時の差は相当なものである。後者の方が口調も態度も柔らかいが、少し性格の地がでている様な気がする。

 まあご先祖とはいえ美人と出会えたということで、よしとしよう。

「幻の扱い方も、きちんと練習しておいてね。」

 と、これは氷輪。不安を隠さないのが少々腹立たしいが、無理もない。たった一日の講義だけで幻を使うことには、弟子の俺も不安を抱いている。

「はいはい」

 もしかしたら、小姑が二人ということだろうか。あまり考えたくない。

 レクチャーに従って、回廊への扉を開く呪文を唱えた。場の空気が明らかに変化し始める。

 ここに来る前は、予想だにしなかった変化が今、現実に俺の内外に起こっている。これからは、学ばねばならないことだらけだ。

 人情の機微も、魔法の実践も、小姑の扱い方も、少しずつ着実に身に付けていこう。

 扉が開いた。巻き起こる風に、最初に飛び込んだ例の瞬間を思い出して、少し嫌な気分がしたが、もう大丈夫のはずだ。

 振り返り、もう一度礼をいう。

「それじゃ、また来月。今度までに、少しは幻を使えるようにしてきますから」

「楽しみにしていますわ」

「気を付けて」

 二人の笑顔と声を背に、俺は穴の中に、今度は足から飛び込んだ。



 ……俺は、変身願望を持った覚えはない。

 「何処か遠くへ行きたい」と願う奴よりは、その場所で、とことん生き抜こうとする奴に共感する。

 もう一つの「世界」を持ってしまった俺には、判る。

 どこへ行っても、決して「自分」であることには変わりない。運命だから、と早々と決めつけて諦める奴程「他人」にではなく、情けないことだが、「自分」に縛りつけられているということも。

 だから俺は、自分で感じたまま、自分の意思で、この道を選択した。そうできる自分ほど、幸せな人間はなかなかいない。と、思える。

 夢を持たないことは、かなり損だ。あれほどまでに、ひとりひとりの夢を慈しみ、応援してくれるひとたちがいるというのに。

 決して、人間は一人なんかではないが、永遠に一人きりの世界の住人でもある。しかし、夢がある限り、人は決して真の孤独を味わうことがない筈だ。

 あの朔月の宴に出会えた俺には、そう思える。

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朔月の宴 koto @ktosawa

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