Act.0005:なにか裏がありそうだな……

 この道を歩いていると、たくさんある小石……というか割れた石畳の破片をよく蹴ってしまう。

 片手に持ったランタンの炎と、弓張り月の弱い光。

 それを頼りに下を見れば、この辺りはまだまだ【四阿の月食】の傷跡が残っていることがわかる。

 この夜道を通い始めて、何日ぐらい経つだろうか。

 肩にひょうたんを引っかけた和真は、そんなことを考えながら街はずれを歩く。

 毎日ではないにしろ、かなり足しげく通っている、この道。

 思えば、通うきっかけは相談事だったが、今では飯と酒を楽しみながらの情報交換が主体となっていた。


(双葉がいなくなってからの方が、通うようになるなんてな……)


 街の片隅、他の建物と少し離れた場所に、立派な一軒家が見えた。

 それは幼馴染みの双葉という女の子のいた家。

 彼は家に立つと、ひょうたんを持っていた手で木製のドアをノックする。

 虫の鳴き声だけが響いていた闇に、ノック音が異様に響いた。

 しばらくして、のぞき窓が瞬間だけ開くと、すぐにドアのロックが外される音がする。


「こんばんは、和真君」


 開いた扉の向こうで、いつも通りの明るい笑顔が、丸く柔らかな輪郭を飾る。

 双葉も猫のようなイメージがあったが、それは彼女の母親である【神守 桜】からの遺伝だろうと和真は思っていた。

 本当によく似ている。


「こんばんは、桜おばさん。神守大隊長はいらっしゃいますか?」


 和真の質問に、エプロン姿の桜はなぜか苦笑した。

 すると、奥から大隊長直々の声が響いてくる。


「おお! 和真! はいってこーい!」


 その張りあげられた声に、桜が「もうできあがっちゃってるの」とつけ加える。

 なるほどと察した和真は、「おじゃまします」と言いながら、いつもの通りに奥のダイニングに向かった。


「こんばんは、大介さん」


 ダイニングテーブル正面のいつもの席に、顔を赤くした大介が座っていた。

 左手に木製の何かの酒が入ったジョッキ、右手には箸が握られており、正面にはいくつかのつまみの皿が並んでいる。

 確かに、もうかなり酒がすすんでいる様子であった。

 和真が知る限り、珍しいことだ。


「……あのこと・・・・ですか?」


「いろいろとだ……。まあ、座れ」


 酔っているとは言え、泥酔とまではいかないようだ。

 いや。酔えない事でもあったのかもしれない、やはり何か問題があったのだろうと、和真は察する。


「今日は、ちょっと珍しい酒を持ってきましたよ。実は先日、武者修行の力士と相撲をとったら、記念にもらったんで」


 もしかしたら、これで少しは機嫌が良くなるかも知れない。

 そう思いながら、和真はひょうたんを大介の前に置く。


「相撲って……。おまえ、本当にいろいろな格闘技の勉強してるんだな。もう俺が素手どころか、剣を持っていても勝てないぐらい強くなっ――うおっ!?」


 そう言いながら、ひょうたんを手に取った大介が、言葉を呑みこんで代わりに奇妙な声をあげる。

 彼は、ひょうたんの表面に掘られた文字で目を丸くし、前歯を覗かせながら顎髭を撫でる。


「おいおいおい! 酒造【酒乱軒しゅらんけん】の名酒【宿儺雷電すくならいでん】じゃないか! 滅多に手に入らん名酒だぞ!」


「らしいですね。せっかくだから、大介さんと一緒に呑もうかと」


「こりゃあ、嬉しいな! ママ、お猪口ちょこだしてくれ! あとつまみ追加な! 和真にジャンジャンふるまってくれ!」


 よほど嬉しかったのか、大介の顔から不機嫌さが吹き飛んだ。

 桜が用意してくれた大介の猪口へ、和真はひょうたんから酒を注ぐ。

 少し黄色を含みながらも、透きとおったきれいな色が揺れ踊りながら猪口をすぐに満たす。

 黒塗りのなかに揺らぐ酒は、暗闇の池に黄色い月が溶けてしまったかのようだ。


「いただきます……」


 香りを楽しんだ後、大介がそれを口にした。

 とたん、両目を閉じると顔を上向き加減にし、無言で左右にゆっくりとふる。

 それは言葉にならない至福を表していた。

 続いて、和真も口にする。

 ふわっと広がる華やかな香りと、相反する痺れるような刺激が舌の上で乱舞する。

 さらにツルツルとした喉ごしながら、ガツンとくるアルコールのずっしりとした感触。

 これは確かに美味いと、和真も口元がほころぶ。


「……しかし、ついこの前までガキだった和真と、こんな美味い酒を飲むようになるとはなぁ」


 大介が、どこか焦点のあわない目で和真を見つめた。

 彼の焦点はたぶん、過去。

 思わず和真も、子供の頃の自分を思いだす。

 警務隊に憧れていた和真にとって、大介は憧れの人だったのだ。

 その憧れの人と、テーブルを囲んで酒を飲んでいるのは確かに感慨深いことだった。


「その上、和真に助けられるようになるとはな……そりゃあ、年もとるわけだ」


 少しだけ肩を落とした大介を見て、和真は言っている意味を理解する。


「今日の情報は、役に立ったということですか?」


「ああ。ありがとな。……まあ、結局、間にあわなかったが……」


 和真と同じような大きいなり・・を前屈みにし、大介が溜まりきったため息を最後にともなわせる。

 やはり不機嫌の一端はそこかと、和真は納得する。


「情報、もっと早くわかれば良かったんですが……」


「いやいや。教えてくれるだけ助かったさ。和真からの情報がなかったら、今ごろはなにも知らないまま、裏で笑われていただろうよ。……しかし、本当にずいぶんと、いい情報屋をつかまえたな。今まで突っこんで聞いたことはなかったが、どうやって見つけたんだ?」


 和真は酒を少し口にしてから一拍おく。

 すべてを知っている大介に話すこと自体に抵抗はないが、言いにくい理由はある。


「向こうから、俺に接触してきたんですよ。獅子王の活動をする前に」


「……情報を買いませんかってか? なんだ、売り出し中の新人情報屋だったのか?」


 半笑いしながら、大介は嬉しそうにまた酒を口に運ぼうとする。


「いえ。それが違うんです。【混沌の遠吠え】って知っていますか?」


 しかし、和真の告白にその手を思わず止めてしまう。

 まるで唐突に素面になったように、眼光の鋭い真顔に変わる。


「……ちょ、ちょっと待て。【混沌の遠吠え】だと?」


「やはり、ご存じでしたか」


「当たり前だ。この街どころか、この周辺エリアでも最も巨大な情報屋兼裏家業斡旋組織だろうが。そんなところが、おまえに情報を売りに来たのか?」


 和真は静かにうなずいた。


「ええ。しかも、この街のトップが直接」


「トップ直々……だと? なら、一流の客としか取引しないと言われているSクラスのエージェントじゃないか。なっ、なんでそんな奴が、まだ獅子王として売り出してもいないおまえのところに?」


「理由は俺もわかりません。だいたい、俺は最近になって、相手がそんな大物だと知ったんです。最初は、『鼻の利く奴』程度にしか見てませんでした」


「なにか裏がありそうだな……」


「……なんとなく、黒幕の予想はついているんですけどね。いや、いろいろといっぱいいっぱいで、最初に気がつかなかった俺がバカだったんですが……」


 少し投げやり気味の和真に、大介が目線で尋ねてくる。

 そう。大元の予想はついている。

 だが、認めたくない。

 結局、あいつ・・・の世話になっているかのようで……。

 和真は酒を継ぎ足すと、今度は一気にあおった。


「俺は最初、単独で適当に変装して、街の中で揉め事を見つけては首を突っこんでいた。情報屋は、その動きを知っていた。そして、俺が街を守るために情報を欲していることも、正体がばれたくない理由・・・・・・・・も知っていた。まだ、俺が一度も、あの魔生機甲レムロイドを使っていなかったというのに」


「……ふむ。情報屋に、お前の活動目的と魔生機甲レムロイドのことを話した……いや、仕事のために説明した奴がいると?」


 さすが話が早いと、和真は深くうなずく。


「でしょうね。わさわざ情報屋は、そんな俺のために見てもいないはずの魔生機甲レムロイドと同じ獅子の仮面、それに稀少で高額な性転換術のスーツを用意してくれていた」


「なるほどな。俺にもわかったよ。つまり――」


 大介も、酒を一気にあおった。

 そして、ため息のように深い息を吐く。

 まるですべてを見通すような大介の鋭い明眸が、和真を貫いた。


「――その情報屋が、お前を女装癖に目覚めさせたということか!」


「――目覚めてねー!! あんた、酔ってるだろう!!」


 どうやら、大介は少し酔っているようだった。

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