第6話

 そんなわけで十二月三十日。

「おはいよ……」

「おはいよってなに?」

 寝不足の青が手を上げると、藤原はいつもと全く変わらない調子でからからと笑った。朝っぱらからこんなにもテンションが変わらないのはある種才能と言ってもいい、と青は藤原を見ながらそんな風に思う。

 かくいう青は昔から低血圧で、高校の頃もよくクラスメイトから顔面蒼白を指摘されていた。冬の日ともなればその白さは漂白剤にかけた衣類さながらで、いつ貧血で倒れても誰も見向きもしないほどだ――と、もちろん決して存在感がないからではない。絶対そう。

「とりあえず中に入ってコーヒーを飲もう。奢ってくれ」

「ナチュラルに要求したね今」

 まぁでも百円だしいいかと独り言を漏らしながら、藤原が先陣を切ってハンバーガー屋の中に入る。青も続いて中に入ると、

「いらっしゃいませーっ!」

 朝っぱらにも関わらず、ハンバーガー屋女性店員の快活な声が、青の濁りすぎて澱み腐りかけた脳みそを一瞬で浄化させた。見るとまだ青よりもずっと若そうな女の子がこちらを見てにこにこ笑っている。すごい。まさしく接客業のために生まれてきたような女の子である。

 スマイル0円だなんて、この子の笑顔はそんな安いものでいいんでしょうか神様。

「コーヒーください。二つ」

「はぁい。ありがとうございまーす。ホットコーヒー、ツープリーズ」

 ツープリーズだなんてシャレオツなものだと思いながら、青は藤原の脇腹をつついた。

「なんかあれだな。朝っぱらからこのようにボリュームでかい声で接客されても、カワイ子ちゃんなら全然許せるもんだな。見てみろ。とろけそうな笑顔してる。あの子じゃなく俺が」

「現金なもんだよね、男なんてのはさ」

 そうして二人でコーヒーを手渡されて、適当に空いている席に座り込んだ。

「さてと藤原。我々はあのような天使に倣って、今日のおせち販売というメインクエストを無事完遂させなければならないのだが」

「あの子みたいに出来ないでしょう、青は」

「ちょっと待て。なんだその言い方。まるで『青には出来ないけど、僕には出来るもんねふふん。貧乏ニート乙』という貴様の心の声がめちゃはっきりと聞こえたんだが」

「そこまでひどいことは思ってないけど」

 苦笑いでそう告げる藤原は、ともあれこちらの言葉を全く否定したわけではなかった。

「でも青はなんというか、ちょっぴり内弁慶なところがあるからね。僕やお姉さん達に対してはそのようにベラベラと喋るけれど、実際のお客さん相手にそこまで身をさらけ出すような自虐めいた喋りは出来ないでしょう?」

「む」

 熱いコーヒーをすすってから、青はそのカップを静かに置いて藤原に口を尖らせる。

「バカをいうな。営業トークなんて、所詮思ってもみないことをぺらっぺらな言葉に変換して、三歳児が母親にモノをねだるが如く声を張り上げていれば良いのだ。要するに、余裕」

「全然要しきれていないけど、まぁ青が自信あるっていうならそれ以上言うことはないかな」

「まぁ見てろ。一定以上の売り上げを捌ききれば、後はすべてこちらの手柄だ。ちょろいもんさ仕事なんてな」

 そう言って不敵に笑うと、青は再びコーヒーをずずっと音を立てながら飲み直した。

「ちなみにお姉さん達はどうなの?」

「どうなのとはどうなのだ?」

「バレなかったの? アルバイト」

「いいや。もちろん思いっきりバレたよ」

 青がそう言うと、藤原は可笑しそうに目を細めてこちらを見つめた。

「大丈夫なの?」

「大丈夫なわけないだろ。難易度B級くらいから一気にS級へと跳ね上がったわい」

「まぁでも、なんだかんだいってあの二人は青よりも社交性は高いから、まず間違ってもスーパーに迷惑をかけるような行為はしないと思うけどね」

 それは大いに誤解しているぞ、と青は藤原の言葉を聞きながら心の中で思った。

 確かに社交性はあるだろうし、直接スーパー自体には迷惑はかけないかもしれない。だがこと自分に対しての悪ふざけが過ぎるきらいがあるあのバカたれ長女は、こちらにちょっかいを出すことで結果的にスーパー全体の反乱分子に相違ない存在と成り果てるのだ。

 自分というこの夢溢れる超逸材の仕事を邪魔するということは巡り巡ってそうなる。本当に一体どうしてこうなったんだが。

「ともあれ時刻はちょうど午前七時。八時半集合だからあまり互いにのんびりもしていられんだろう。コーヒーをもう一杯ほどおかわりしたら出て行くことにしよう」

「しっかりとおかわりはするんだね」

「当然だろ。お前がおかわりに行くときには、ちゃんとカワイ子ちゃんの名前も聞いておけよ。どこの高校かもしっかりとな」

「さすが内弁慶」

 それでも藤原は青の注文通り、しっかりとその子の名前と高校を聞いてくれたのであった。さすが藤原。コミュ力すごい。

 彼女の名は道明寺真伊子。高校三年。来年春に卒業予定の有名な女子高の子であった。

 どこぞの団子のような名前だなと青は思いながら、なんとなく覚えやすいその子の名前を記憶に留めて、青は藤原と共に店を飛び出していった。


 ***

 

 そうして辿り着いたスーパー、「いちげんおことわり屋」の搬入口には、主婦っぽい方々が、数名ほどぞろぞろと生気のない顔を見せながら歩いていた。青もその中に混じって共に搬入口の片隅にある従業員入り口の中に入り込むと、

「IDカードを提示してください」

 いきなり入り口横の窓口に座っている警備員にそう告げられ、青は挙動不審気味に戸惑ってしまう。

 ちょっと待て。IDだなんてこちらにゃ一言も聞かされてないぞ。

「IDはどうしたんですか?」

 プレッシャーを与えるように再度告げる警備員。その見つめる瞳が如実にこちらを不審がっている。なんだこれなんだこれ。もしかして働く前からジエンドのパターンかこれ。

「その子、もしかして“タンキ”の子じゃない?」

 その時すっと後ろからやってきたおばちゃんが、青を指さしながらそう口を開いた。タンキって、そりゃ自己評価でも自分は温厚な方じゃないが、いくらなんでもこのおばちゃん、初対面でそれを見抜いてくるとは。エスパーかコイツ。

「ああ。“短期アルバイト”の方ですか」

 そう警備員は納得したように頷いて、奥の方へ引っ込んでいく。なんだと思うと同時に、何をくだらないことを妄想していたのだろうと、青は顔を真っ赤にしながら俯いた。

「そんじゃ短期の方はここに名前書いておいて」

 警備員は奥から戻ってくると、ボードに留めた紙切れを指さして青に鉛筆を差し出した。青はおばちゃんに感謝の意を告げようと振り返ったが、既におばちゃんはIDカードを機械に通して先へ行ってしまったらしく、その場には青しか残っていなかった。

 渡されるままに鉛筆を手にして紙に名前を書く。どうでもいいけれどこの鉛筆、芯の部分が全然出ていない。ちゃんと削っておけよと思いながらも名前を書き上げた紙を警備員に渡すと、

「それじゃ奥に進んで。突き当たりに短期の子の専用更衣室があるから、そこでしばらく待っててもらえばすぐに社員の方が来ると思うから。案内板が立てられてるからすぐわかると思うけど、間違っても女子更衣室には行かないでね」

 何を当たり前のことを、と思っていると、何が可笑しいのか警備員は自分で言ったことにくすくすと笑って突き当たりを指さしてみせた。その相手の様子に、青は不機嫌になりながらもそれを表情に出すことなくそのままその場を離れて突き当たりまで向かって歩いていく。

 廊下の途中でようやく自分が変態扱いされていたことに気付いて舌打ちをし、帰ったらネットでわら人形の作り方をググろうと思ったところで、案内板に辿り着いた。

 示されている通りに男子更衣室の中に入ると、どうやら青以外の人間はまだ誰も来ていないようだった。と、思いきやよく見ると半開きになったロッカーには誰かのものらしい荷物が押し込まれているのがわかる。

「これ、適当に使って良いのかね……?」

 そうぽつりと口にしてみても、まともに働いたことのない青は、どうしていいかもわからずに結局その場でずっと立ち尽くしてしまった。勝手に使って怒られてもなんだし、使ったところで着替えも渡されていないし、そもそもこれから何をしていいかもわからない。

 まだ始まってもいないのに帰りたい気分になってきた、そんな時、

「――おうおう、待たせたね。ゴメンゴメン」

 と、四十代半ばくらいのオッサンがエプロン姿で更衣室の中に入ってきた。しかし中々にでっぷりとした肉付きの方だ、と青は心の中で少しだけ控えめにそうディスってみる。

 オッサンは手に持っているエプロンとYシャツをこちらに寄こしながら、なんだか焦っているように早口で話し始めた。

「とりあえず今日の流れなんだけど、この後キミはこれに着替えたら早速売り場の方へ行って、長期のパートさんと合流してもらいます。キミを教える担当さん――斉藤さんっていう、眼鏡をかけたオバサンなんだけど、その彼女の指示に従って販売の声がけ、おせちの在庫の運搬、あとは雑用みたいなことをしてもらいます。ここまでは大丈夫かな?」

「はぁ」

 気のない返事で青がそう返すと、オッサンは眉間をしかめてこちらを見た。

「大丈夫かい? なんかすっごい覇気がないけど」

「すみません。若干低血圧なもので」

「かァァっっ!」

「ひぃっ!」

 急にバカみたいな声の張り上げ方をしたオッサンに、思わず青は目玉をひん剥いてその場を飛び退いた。

「おせち販売は声がけが重要。若いんだからこれくらい声出るでしょ、もっと元気に!」

 若いから元気だなんてどんなアクロバット理論だよと思いながらも、青はこくこくと何度も首を傾けて頷いてみせた。まだ心臓がばくばくしている。ちくしょう。

「それとお客様には絶対に敬語で頼むよ。たとえ知人の方がやってきても、仕事をしているってことを忘れずに! 去年キミと同じくらいの年齢の子を雇ったら、まともに『ですます』が言えないどころか、お客様相手に『その栗きんとんマズそじゃね?』とか言い出して大クレームになった。はっきりいって、そんなのウチでは論外だから」

 どこで義務教育を受ければそんなモンスターが育つのかと思いながらも、青はオッサンの言葉に黙って頷いてみせる。大体そんなモンスター、ここじゃなくたって論外だろうに。

「それじゃ、そこに書いてある五箇条読んで」

「五箇条?」

 青はオッサンが指した方向に顔をやると、ちょうど更衣室の入り口の上に額縁で掲げられた接客五箇条なる文言があった。

「えっと……その一、『お客様は神様で――」

「『お客様は“かいさま”です』っっっっ!!」

 またしてもバカデカい声で、しかも青が全てを言い切る前にオッサンが復唱した。どうでもいいけど「かいさま」って、重要なところで噛むな。笑ってしまうだろうに。

「その二、『お客様の笑顔が私たちの喜びで――」

「『お客様の笑顔が私たちの喜びです』っっっっ!! 一色君、もっと声を張って!」

 うるせぇ……。

 苛立ちをどうにか押さえながらも、青は出来る限りの声で叫ぶように三つ目を言った。

「その三、『安心、安全、安楽なサービスを提供します』っっ! って、ちょっと。安楽!?」

「『安心、安全、安楽なサービスを提供します』っっっっ!! 安楽っていうのは楽々と品物が買えるようにってことらしい。うちの社長の決めたことだけどボクもどうかと思うよこれは」

 まさかのオッサンの本音まで聞けたところで、四つ目。

「その四、『清潔な売り場に冷血な徹底を』っっっ!」

「『清潔な売り場に冷血な徹底を』っっ!」

「どういう意味ですかこれ」

「いいから次」

「……はい」

 青は納得のいかぬまま最後の文言を叫んだ。

「その五、『情熱を持った仕事で、社会に貢献します』っっ!」

「『情熱を持った仕事で社会に貢献します』……と。それじゃ、時間になったら売り場に出てきてね。今日は頑張ろう!」

 ぐっと握り拳を見せて、オッサンが出て行く。その姿が見えなくなったところで、青はへたるようにその場にしゃがみ込んだ。

「…………帰りてぇ……」

 ほとんど無意識に出た言葉である。

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カラフル 黒井日花 @derringer38

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