実はその方、スタジオに来ていらっしゃるんです!

※暴力的な描写をやや含みます。


 宙を漂っていた欠片達が一斉に集まってきて、俺を取り囲んで回転を始めた。

「いいや。お前が思うっていうのは変だな。お前は何も思えないんだから。お前が何かを思っているように俺が思うと、お前がそう思うんだ。そうなんだ。俺は自分で思っていたよりもお前のことを好きだったみたいだな」

「好きな相手にすることじゃないだろ! サイコパスか、この野郎!」

「お前は俺にとってのライナスの毛布だ。もう捨てなくちゃ。お前を掴んでいるせいで、俺はずっとお前がいる世界に捕らえられてる。実在しないなんて信じたくなかった。そうやって俺は本当のことから目を逸らしてたんだ。お前は俺が作り出した都合のいい作り物だ。お前をきちんと、順序正しく消さないと。電化製品はスイッチを落としてからコンセントを抜かないといけない。まずは俺自身が『こんな目にあっちゃったらもう存在なんてしたくないだろうなぁ』って納得出来るやり方で、お前を扱わないといけないんだ。スイッチを落とす。コンセントを抜く。その要領で。お前は消えたくなる、と、思うような目にこれからあい、俺はお前が消えたがっているんだと心から納得し、お前は消える」

 銀色の欠片達の向こう側にいる林田の姿が徐々に見えなくなる。

「林田! おい! これもお前がやってるのか!」

「俺はちゃんと、お前をそういう風に扱う。妄想を殺す。現実を見るんだ」

「林田!」

「ここは実在と非実在の狭間だ。本当の世界がやってくるのを待つための場所だ。今、お前の周りを回っているのは、いわば世界を構成するレゴブロックだ。偽物の世界の偽物の風景も今は混ざっているけど、お前が消えて、俺が本当の世界で生きたいと願えば、偽物は消えて、今度こそ本当の現実が組み上がるはず」

「それだって全部後付けで出来た真実なんだろうよ! お前の望み通りにな!」

 林田は答えない。

「俺はお前の思い通りの俺になんか、なってやんねぇ!」

 踏み出そうとした足は、一気にスピードを増した欠片達に阻まれる。クソッ。

「何が、最初からここには何もないだ! あったよ! あったんだよ! お前がそんな風に思ったから! 願ったから! そういうことになっちゃったんだろ! 元に戻せよ! お前のスーパーパワー的なアレで、天地創造的なソレをしろよ! 今すぐに!」

 鼻先を銀が掠めた。ピリッとした痛みに顔をしかめ、一歩後退する。

 鼻を抑えると掌から肘まで一直線に血の筋が走った。クソッ。

「大概にしろ! なんなんだ、お前は! 猿の化け物だって殴りかかってきたかと思えば、今度はお前の世界に受け入れて、そうかと思えば受け入れたことを忘れて、忘れた挙句に猫を大きくしちゃって、今度は彼女にしちゃって、俺を呼び戻したかと思えばいきなり死んで、生き返らせてやったら今度は世界は偽物だって言い出して! 俺まで偽者だって言い出して! あれじゃねぇ、これじゃねぇって! どうすりゃ満足なんだよ! どうなりゃいいんだよ!」

 林田は答えない。

「答えられねぇのか! 自分のことだろ! はっはーん! わかったぞ! さてはお前は何にも考えてねぇんだろ! あれも嫌だこれも嫌だって駄々っ子してるだけじゃねぇか!」

 林田は小さく首を傾げる。あいつの目は相変わらずスズランめいていて、俺の言葉が全部弾かれていた。クソッ。

「お前は何をしても、どこにいても、全部不満なんだ! 気に入らなけりゃ、壊して、これは本物じゃない! 偽物だって、全部偽物にしちまうんだよ!」

 欠片達の回転する速度が増し、飛んできた小さな欠片がまた俺の鼻先をかすめた。俺は慌てて欠片達から距離をとる。

「このバカ野郎! 聞こえてんだろ! 今すぐ止めろ!」

 返事はなかったが銀流は勢いを増し、強風と轟音で俺を襲い始めた。

「なんだよ! クソッ!」

 強風はシャツを帆のように膨らませ、俺を引き倒そうとしてくる。

 中腰になって両足に力を入れ、少しでも強風から逃れようと渦の中心に向けて後退した。

 知らず知らずのうちにT.Mレボリューションのアレみたいなポーズになっているのに気がついて、間抜けな気持ちになった瞬間。左足の裏に何か尖ったものが突き刺さった。

 何かを踏んづけたようだ。痛い。

 痛いが世界が粉々に砕けた挙句、銀色の竜巻となって俺の周りを回っている状況で、足の裏に気を払えないから一旦ほっとく。放置! 後回し!

 止まる気配すらみせない轟音は鼓膜を破ろうとしてくる。アフリカ奥地に生息してる凶暴な蟻の群れが、休むことなく顎を動かして鼓膜を食い破っている――そんなイメージが頭から離れない。このままだとグロい感じで耳血がでる。間違いない。もしかしたら目血もでるかもしれない。それも多分間違いない。

 俺は奥歯を強く噛みながら目線を銀流に向ける。

「林田ー! どこにいるー!」

 届くわけないとわかっていたけど、声を振り絞って林田を呼ぶ。

 何千か何万か何億か、想像も出来ない程の量の世界の欠片は、ぶつかり、砕け、擦れる度に電車が急停止したような音を立てる。ただでさえ大きなその音が幾重にも重なって高密度の音の布になり、俺に覆いかぶさってくる。音が重たい。これ以上はとても立っていられない。耳も痛い。俺は両耳を抑えて膝をつき、悲鳴をあげる。

 体を動かしたからだろう。左足の裏の痛みが轟音を忘れるほどに強くなった。

 呻きながらもあぐらをかいて足の裏に目をやり、もう一度悲鳴をあげる。

 想像していたよりも沢山の銀色の欠片がみっしりぎっしりと肉に突き刺さっていた。小さい欠片はギターのピックサイズ。大きい欠片は三角定規サイズ。

 見た瞬間に痛みが余計に強くなった。痛みのあまり意識が遠くなるけど、痛みのあまり遠のいた意識が帰ってくる。

 落ち着け。落ち着け。冷静になるんだ。とりあえずこれを取らないと。

 俺は親指の付け根の側に刺さっている欠片を指でつまみ、息を止めて一気に引っ張った。ピリッという痛みとともに欠片が肉から取れる。

 抜き取った欠片は俺の指から滑り逃げて、銀流に加わった。欠片という栓を失った傷口から血が流れ始め、痛みが増す。

 心の中に残っていたありったけのアニマル浜口が「気合いだっ! 気合いだっ! 気合いだっ!」と拳を突き上げて俺を応援する。「きょーこー!」もとい、京子を応援する。

 俺は息を止め、残りの欠片達を次々と引き抜いてゆく。

「ぐぅっ!」

 痛い。とにかく痛い。痛いったらない。

 痛みを陽気な曲に乗せれば少しは気や痛みが紛れるんじゃないかと、チョコボに乗った時に流れる音楽のリズムで痛みを歌にしてみた。

 イッタタ、イタ、イタ、イッタッター。

 イータッタタタッタッター。

 イータッタタタッタッター。

 リズムにあわせて欠片を抜いては捨て、抜いては捨てを繰り返す。

 一番深く刺さっている欠片以外を取り除き終えた時には、痛みとチョコボの曲が俺の頭の中で坊主と袈裟みたいに強く結びついてしまって、チョコボ自体が若干嫌いになっていた。神羅カンパニーもセフィロスも放り出してチョコボレースばっかりやっていた俺だというのに。この俺だというのにっ!

 俺は最後に残った欠片に目を向ける。

 外からみるとアジフライの尻尾程度の欠片が足の裏に刺さっているように見えるが、実際この欠片がかなりでかい。感覚と痛みでわかる。

 軽く指で触れる。焼けた火箸を突き刺されたことはないが、きっとこの痛みよりはマシなはずだ。

 俺は意を決して肉から突き出した部分をつまむ。血でぬるついて指が滑り、その振動が肉に伝わってまた新しい痛みが生まれる。指をジーンズでぬぐい、もう一度、今度は滑らないように慎重につまむ。今度は大丈夫。

「んーっ!」

 引っ張ると肉の中でずずっと音がした。目の奥で白い光が点滅し、気が遠くなる。これは一気にやらないとだめだ。ゆっくり引っ張ると痛みが増す。大丈夫だ。この程度の痛み。

 ほら。邪王炎殺黒龍波の反動で片腕が焦げた飛影の痛みに比べたら。こんなの全然余裕だって。痛みがなんだよ。死んでないんだからなんとかなるって。『ジュラシックパーク』の格好いい人はティラノザウルスに吹っ飛ばされててもトランシーバーで格好良く指示出ししてたじゃん。いけるって。俺、全然いけるって。心に飛影を! 心に飛影を!

 俺は何度か大きく深呼吸してから硬く目を閉じ――ひ! え! い! ひ! え! い! ――そして破片を一気に引っ張ったたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたあたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたったーっ! たーっ! たーっ! たーっ! たたたたったたーっ! たたたったたー! たっ! たっ! たっ! らーっ! ふぉーっ! ふぉーっ! ふぉーっ! ひえーい! ふぉふぉーっ! ふぉーっ! ひえーい! ふぉっふぉぅ! ふぉぅーいっ! たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたとったどー!

 抜き取った破片は――とったどー! ――ちょっといびつな幅広の三角形で――ひえーいー! ――その姿は半ば予想していた通り――とったどー! ひえーいー! うぉぉー! 雪菜のおにいちゃーん! ――アジフライの本体部分に似ていた。痛みはまたしてもアジフライと結びつき、俺は元々そんなに好きじゃなかったアジフライが大嫌いになった。

 俺は全ての欠片が抜き取られた後の足の裏に目を向け、「嘘だろ」と呻いた。声は轟音にかき消されて耳には届かなかったけど。

 悲惨としか言いようがない。さっきまでは破片を抜き取るのに必死で足がどんな状態か意識していなかったけど、もう、なんか、酷い。

 あれだ。お洒落なケーキ屋のお洒落なマンゴーケーキに乗ってるお洒落なマンゴーだ。こう、スライスしたマンゴーの果肉をうまいこと巻いてだな、バラの花みたいにするやつ。完全にあれ。スライスされてるのは俺の足の肉で、バラの花みたいになってるのも俺の足の肉で、とろっとかけられてるのがシロップじゃなくて血っていう違いはあるけど、構造は完全にあれ。俺の足の裏、今、あの状態。お洒落マンゴー。血が流れ出るたびに花びら化した肉が、ゆっくり呼吸するようにパクパクと動いてる。

 意識が遠のいたが、今気絶したら気絶している間に風に引っ張られて銀流に巻き込まれ、足の裏だけではなく全身がお洒落なマンゴーにされてしまうのではないかという恐怖によって、なんとか踏みとどまる。

 意識が遠のいていた時に指の力が緩み、アジフライ型の欠片も他の欠片同様に風にむしり取られそうになった。俺は慌ててそれをしっかりと掴み、血をシャツの端で拭った。

 俺の周りを回転し続けている他の欠片と同じように、この欠片も今はもうない世界にあった何かを映していた。銀色の小さな取っ手がついた黒い板だ。見覚えがある。どこかの棚か、扉の取っ手だ。まぁ、どこのだろうとどうでもいい。

 俺は欠片を両手で挟み、掌をこすり合わせるようにして撫でる。うまくいけ。

「これがハンカチだったらいいのに」

 砂が崩れるような感触が皮膚に伝わった時、心底ほっとした。アジフライ型の欠片は大きめのハンカチに変わっている。猫が着ていたワンピースと同じ柄の黄色いハンカチだ。

 新しい過去もできあがる。このハンカチは最初から俺のシャツのポケットに入っていたもので、俺はそれを取り出したばかり。足の裏には傷が沢山あるが、一番大きかった傷は欠片がハンカチになったことで最初からなかったことになっていた。

 俺は傷を覆うようにハンカチを左足に力を込めて巻きつける。黄色い布地はすぐに赤黒く変色して、せっかくの北欧柄も見えなくなってしまう。

 俺はシャツを引っ張り、水浴びをしたみたいに汗まみれになった顔を拭う。体が冷えている。血を失ったからか、こんなに汗をかいた状態で強風を浴びているからか、その両方か。

 欠片達は時折急にスピードを落とすと、瞬きを誘うように小刻みに輝いては、それぞれにかつて存在した世界の一部分を映し出した。どこかの街の誰かの家や、見ず知らずの誰かや、なんだかよくわからない何かが――野菜の断面とか、錆びた鉄骨とか、あとは本当になんかよくわかんない何か――次々と映し出されてはまたスピードを上げる。

 何度かそれを繰り返すうちに、欠片が映し出す景色に見覚えのあるものが増えていった。

 俺の街の駅、俺の通っていた学校の部室、俺の同僚、俺の家の前に道路、俺の家......。

「ここは現実ではないから」

 轟音の中でも林田の声ははっきり聞こえた。欠片達はまたスピードを増す。

 俺は気がつく。これはシャッフルだ。銀流達はこうして混ざり合って、探しているんだ。

 俺に関係する世界の欠片を。

「俺はどんなことでも出来る」

 欠片達はスピードを落とす。小刻みに輝く。かつて存在していた世界の一部分が映し出される。俺の街の駅、俺の通っていた学校の部室、俺の同僚、俺の家の前に道路、俺の家。

 2つ、いびつな楕円形の欠片が俺を見下ろすような位置に流れてきて止まる。瞬きを誘うように輝く。そして映す――俺のお父さんと、俺の妹を。

 2人ともリビングにいる。お父さんはいつものように本を読んでいて、妹は忙しくスマホを操作していた。もうなくなった世界の、いつもの2人だ。

「......おい、何する気だ」

 林田は答えない。

「何する気だって聞いてんだ! 俺の家族に何かしてみろ! ただじゃおかねぇからな!」

「俺はなんだって出来るんだ」

「俺とお前の話だろ! 2人は関係ない! 何する気かしらねーが、とにかくやめろ!」

「大丈夫だよ。2人にはなにもしない。別に何かしてもいいんだけど、お前、この2人に何かしたら俺のこと絶対に許さないだろうし」

「当たり前だ!」

「そしたら、消えてくれなくなっちゃうだろう。それじゃぁ困るんだ。お前を怒らせたいんじゃないんだ。俺はお前にきちんと傷ついて欲しい」

 俺に関わりのある風景が一箇所に塊り、一斉に白く輝いた。眩しさに目がくらむ。

「もう存在したくないってくらい、傷ついて欲しい。だから」

 目を開ける。さっきまであった破片が全てくっついて、1枚の大きな破片になっている。大きめの全身鏡サイズ。ただ白いだけでその中には何もない。

 そのすぐ横に、林田が立っていた。あいつの手が破片の表面を撫でる。

「お前が恐れるものを、こちら側へ」

 破片が白く光る。光りが消えると、見覚えのある玄関がその破片の中にあった。

 濃紺色のドアの半分は曇りガラスになっていて、誰かが靴を履こうとしている影が見えた。

「嘘だ」

 自分でも気がつかないうちに俺は声に出していた。

「嘘だ、嘘だ! ありえない! だって、こんなの!」

「そう。嘘だ。ここもお前も現実じゃないんだから。だから、言ったろ? 現実じゃないのなら、なんだって連れてこれるんだ」

 玄関の向こうから声が聞こえてくる。

「ついでにアイス買ってきてあげるね」

 俺は呻く。

「やめてくれ」

 かつて俺が暮らしていた家の玄関が開く。

 財布を片手に、俺の死んだお母さんが出て来た。

 

 破片の中の世界から、こちら側へ。

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