サッター・ヤシュリナーダ・ラボリラボリ
中、高、大、会社とあだ名が『俺物語』。
俺の妹は、つまりはそういう感じだ。強い。
林田の部屋に段ボール1箱分持ち込んだ3Lサイズの妹のお古は、どれも猫もどきにぴったりだった。この場合、『
猫もどきはIKEAで売ってるカーテンみたいな柄の黄色いワンピースを着て、全身鏡の前で右を向いたり、左を向いたりしている。2本足で立っているが、もうそこに驚くのはやめた。
床には俺たちが2人がかりで猫もどきに着せてきた服が散らかっている。いずれも猫もどきのお気に召さなかった物たちだ。奴なりにこだわりがあるらしい。
俺にはどれも「服」にしか見えないのだが、これらには見る人が見ればわかる違いがあるようだ。
妹は段ボールに服を詰めながら『このチュニック、好きだったな』とか『この歳でワンショルダーはない』とか『サブリナパンツかぁ。夏向けだねー』とか色々言っていた。
ぽろっと『全部ただの服じゃん』とこぼしたせいで、俺はミッキーマウスがモノクロ時代の短編アニメで見せた例の最高に底意地の悪い『ハハッ!』風の笑顔を向けられる羽目になったのだ。ああいうのほんっとに傷つくからやめて欲しい。まだストレートにバーカって言われた方がマシだ。
俺はこみ上げてきた悲しみと苛立ちをイカフライと一緒に噛み砕く。
「……お」
んま。
「ねーねー、林田。このイカフライめっちゃうまいよ。ちょっと食べてみ」
林田は「今忙しい。後で」と答える。ふーん。まぁ、いいけど。別に。
俺はもう1つイカフライを食べる。うん。やっぱりうまい。ダイソーやるじゃん。
うまい。妹に対する苛立ちが消えてゆく。すごいな、イカフライ。
今日は最高の1日だ。イカフライ万歳。イカフライ万歳。イカフライばん――。
いや、万歳じゃねぇよ。ダメだろ。おい。
俺は急に冷静になった。自分を見失っていたのを取り戻したとも言える。
何やってんだ、俺。なんだこの生活。
いい歳してダチの家に入り浸って、酒飲んでおつまみ食べて、ただただ時間を潰している。なんだこれ。
まるで玉葱頭と陽気な相棒が主役のあの手の映画じゃないか。精神的に子供のままの中年2人がだらだらして、ゾンビか宇宙人か異星人か連続殺人鬼に襲われたりして、その戦いの中で子供から大人へと成長していくっていう例のやつ。
今の俺の生活は、ゾンビも宇宙人も異星人も連続殺人鬼も登場しない玉葱頭と陽気な相棒の映画そのものだ。つまりだらだらしてる奴が、ただだらだらしてるだけ。それはそれでそういう映画としては面白いのかもしんないけど、でもダメじゃん。そういう生活はダメじゃん。
今日は3月の晴れた日曜日だ。窓の外には青空と海が広がり、多分どっかで小鳥が囀って、栗鼠とかが小道を走ってるし、恋とか冒険とかそういうのも始まってるはずだ。
それなのに、俺の喜びのハイライトは『イカフライがおいしかった』だ! しょうもないにも程がある!
俺にはもっと何かしらの、俺自身すら気がついていない別の人生の可能性があるはずだ! このままでいいわけがない! こんな、イカフライ食べて幸せを噛みしめるような、そんなクソつまらない日常が、俺の日常のわけがない!
振り返って考えてみると、俺は今まで周囲に流されるがままに生きてきてしまった気がする。はいはいと周りの意見に流されて、気がつけばミノムシみたいに本当に価値があるのかどうかすらわからないお仕着せの価値観で身を固め、保身で手一杯になっている。
俺は今、自分に問う。こんな生き方でいいのか? 俺という人間とは一体なんだ? 失っているんじゃないのか、人間としてのこう、なんか、キラキラしたそういう、素敵なアレを!
いつの間にか、俺は俺という人間を説明するのに職業で答えてる。
会社員。営業部。係長。
それが俺なのか? いいや! 俺じゃない! 本当の俺は名刺に書けない価値があるんだ!
本当の俺を今一度輝かせるため、この退屈で平凡な日常から飛び出して、体に、魂に、へばりついてしまったイカフライ的なものの匂いを洗い流さないといけないんだ! そうだ! そうなんだ! この俗世の価値観から自由にならなくては!
グローバリズム! 物質主義! 資本主義的唯物論! ――どれも具体的にどういうことかはわかんないけど、こういう、なんかふわっとした悪そうな感じのあれに俺は毒されて、自分の形を見失ってしまっているのだ! おのれ、グローバリズム! 許さんぞぅ! 悪魔の、悪い、こう、何かめ! 世界を牛耳る1%! 悪い組織め!
俺はイカフライを睨みつける。もはや貴様は俺の救い手ではない。俺を日常に縛り付ける悪魔の、なんか、悪い、悪魔のなんかだ! おのれ、悪い何かめ! 絶対に許さんぞぅ!
しかし、イカフライ的なものを食べ続けてきた俺の細胞はイカフライ的なもので構成されており、もはや俺の主成分はイカフライ的なものと化してしまっていると言っても過言ではないのだろう。
俺はイカフライだ。消費のために企画され、開発され、大量生産され、そして計画の通り消費されてゆく存在。
俺は、俺こそが……イカフライなんだ!
浄化が必要だ。体だけではなく、心からも魂からも、イカフライ的なものを洗い流して人間に戻るんだ。太古の人間の姿に。まだ太陽と月が同じように空に登っていたあの頃の人間に! ヒューマンズリボーン!
しかし、しかし、どうすればいい。一体どうすれば、俺はイカフライ的なものから、その概念から解放されるのだ? 救いは! 救済はどこにあるのだっ!? 神はどこにいる!? この地球で、神聖なものは、汚れなき聖域はどこに残っているというのだ!?
パンク寸前の脳に突然の閃きが訪れた。
スペルはどうでもいい。重要なことではない。
とにかく、ガンジス。ガンジスだ。ガンジスのことだ。川の方のガンジス。川じゃない方のガンジスがあるのかないのかは知らん。
ガンジス。インド。象の顔の神。
インドだ。インドに行けば全てが解決する。
ガンジス。インド。エアブラシで描かれた腕と頭の予備がいっぱいあるサイケな神。
あの街も人も川もチョコレート色したダンシングマハラジャワンダーランドが、俺を呼んでいる! そうだ! あれぞ聖域! 本当の自分が見つけられる場所! 退屈でちっぽけなこの国の、退屈でちっぽけな俺の日常を、ガンジズ、インド、素手で食うカレーが変えてくれるはずだ!
そうだ! 今日から俺の魂の名はサッター・ヤシュリナーダ・ラボリラボリにしよう! それっぽい。すっごいそれっぽいぞ! 名前からコリアンダーが匂いたつようじゃぁないか! インドに行けば全てが解決する! 全てがだ! インドに行けば人間として成長し、人生が豊かになり、癌が治って、オーラが七色に輝き、魂が蘇る! インドー! インドー! 地上に残された最後の楽園! 現存する最後の非日常の聖域! 本当はドラゴンとかまだ住んでる! 国が隠してる!
「林田、なう」
猫もどきの声が耳に入った瞬間、俺の中で燃え上がったインドへの憧れの炎はガスコンロのスイッチを切るように消えた。はい。インドタイム終了です。
林田の部屋の非日常感ときたら、インドどころじゃないのだった。
うっかりうっかり。
俺はもう1枚イカフライを手にすると、ガンジスへの憧れやサッター・ヤシュリナーダ・ラボリラボリというイカしたインドネームへの思いと共に噛み砕いた。
さようなら、一度も行ったことがないインド。多分一生行かない。憧れが壊れちゃうから。インドでマクドナルドとかを目にしたら、きっと心が壊れちゃうから。
「すっごい可愛い。何着ても似合うよ。ぴったりだよ」
林田は薄ピンク色のドレスを持ち、猫もどきに向けてヒラヒラさせている。平和主義の牛をなんとか戦わせようと布を揺らす闘牛士みたいだ。
「ほら、これはまだ着てないだろ? 着てみようよ。ね? 絶対似合うからさ」
猫もどきが人語わかる前提で話しかけてる異常さをあいつ、わかってんのかな。
あの環境適応能力の高さはなんなの。持って生まれた才能なの。どういうバイタリティなの。前は『返事されたら怖い』とか言ってたくせに。
猫もどきは林田とドレスに視線を向けはしたものの、鏡に視線を戻してしまう。
また右を向き、左を向き、くるっと回って、反対方向にくるっと回って、猫もどきは林田を見て大きく口を開けた。欠伸の途中で停止ボタンを押したみたいな顔だ。ギザギザの歯の奥に喉チンコが見える。
「何、その顔」
「こいつなりの笑顔」
そうか。笑顔か。服が気に入ったんだな。
林田は未練がましく「絶対にこれの方が似合うし、可愛いのに」とドレスを振る。
「着たいものを着せてやれよ。お前が着せたいものじゃなくてさ」
林田は「でもこっちは背中にリボンがついてるし」と言いながら歩いてきて、俺の隣に勢いよく座る。ソファーが波打った。
「ピンクなんだぜ?」
まるで『この車はV8エンジンなんだぜ?』と言うような口調。
「女の子はみんな好きだろ。ピンク」
「全員が全員ピンクが好きじゃねぇし、大体アレは雌であって女の子じゃない」
「なに、その露骨な猫差別。お前だって元は猿のくせに」
「人類は元はみんな猿だろ。だが猫は人類にあらず。女の子には永遠にならないの」
林田はイカフライを齧りながら例のギャロ顔で俺を見る。なにその目。俺、変なこと言ってねぇじゃん。
「なう」
猫もどきはテレビの前に立ち、喉チンコと尖った歯と歯茎と舌とを見せながら、見えないフラフープを操るように腰を回した。膝丈のワンピースのスカートが揺れる。
「うん。似合う。世界一可愛い」
林田が拍手する。どうやら自慢のボディランゲージだったようだ。わかんねぇ。
「お前はどんどんあの変なのとコミュニケーションが出来るようになっていくなぁ」
「うちの子、自分のこと猫だと思ってないからねー」
自分を人だと思ってるからー、というニュアンスが滲み出ているが、そもそもあれは猫じゃない。一体いつまで往生際悪く猫だと言い張るつもりなんだ。
「なうー、なうー、林田、なうー」
猫もどきはリビングから出て行った。
トイレに行くんだろう。スカートを汚さなきゃいいけど。
「残りも貰っていいかな? 今は着なくても後で着たくなるかもしれないし」
快諾すると林田は「妹ちゃんにセンキューって言っといてね。つか、みない間に随分デカくなったんだね。お陰で都合よく服が貰えたからいいんだけど……」と言いながら、オールフリーを開ける。最近飲みすぎだからアルコールは控えているんだそうだ。
「何言ってんだよ。ガキの頃からデカいじゃん」
「……俺、そもそも会ったことあったっけ?」
「何言ってんだ。酔っ払うならせめて飲んでからにしろ。ほら、うぇいーっす」
スーパードライとオールフリーをぶつけ合う。
「なんか思ったより早めに済んじゃったな。まだ2時じゃん」
林田はテレビ画面に表示されている時計を見て言う。
「5時くらいまではいくと思ってたんだけど」
巨大な猫に服を着せた経験なんてないから時間が読めなかった。
「飯どっか行く? チンロン?」
マンションから歩いて3分の台湾料理屋を提案してみる。
俺と一緒ならこいつも外に出られる。幾ら不自由がないとはいえ、ずっと部屋にいるのは良くない気がする。時々こうして外に連れ出さないと。
「うーん……でも混んでるんじゃないの?」
「もうピークは過ぎてるよ。行くだけ行こうぜ。混んでたら成り行きで別のとこでもいいし。そのままららぽ行っちゃうとか。映画観てもいいしさ。俺と一緒なら平気だろ? 上映中はみんなスクリーンしか観てないから、視線も気にしないでいいし」
林田はうーんと腕を組んで悩んでから「あんまり離れたりしないでね」と言って出かけるのを了承した。
俺は立ち上がり、コート掛けから自分のジャケットを手に取った。
ジャケットに腕を通そうと体を捻った時、猫もどきが廊下の先にいるのが目に入る。
奴は俺に背中を向けて、玄関扉の前に立っていた。なだらかな両肩が上下する。
カチャ……カチャ……カチャチャチャ……。
奴の体の向こう側から響く金属の擦れる音を聞き、俺は叫んだ。
「チェーン外そうとしてる!」
林田が俺を押しのけて玄関に向かって走る。猫もどきは俺と林田の叫び声に飛び上がり、玄関前で悪戯を咎められた普通の猫みたいに体を丸く縮ませた。
「お出かけしちゃダメって言ったでしょ! 何でわかんないの、この子は、もー!」
オカン度高めの口調でオカン度高めのことを怒鳴り、林田は硬直している猫もどきの首根っこを両手で掴む。
「なーう。なーう」
猫もどきは耳がなくなって見えるくらいに倒し、抗議の声を上げる。
「いけません!」
林田はここを動くまいとフローリングの廊下に腹ばいになった猫もどきを引っ張り始める。砂がいっぱい入ったゴミ袋を引きずる感じだ。男1人で動かせるんだから見た目ほどには重たくないのかもしれない。毛が膨らんで大きく見えてるだけかも。濡れた猫って異常に小さく見えるし。
「なーう。林田ー。林田ー。林ー田ー。なうなうなう」
「ダメったらダメ!」
林田は抵抗する猫もどきを引きずってリビングまで戻ってきた。
「ドア閉めて、ドア!」
俺がドアを閉めたのを確認すると、林田は猫もどきから手を離した。
猫もどきは床に這いつくばったまま俺と林田を見上げる。
「林田。林田。なう」
「ダメ! お留守番してなさい!」
猫らしきものは俺に顔を向け、か細い声を出した。
「なーう」
わぁ。これは同情を誘うわぁ。
「お客さんを味方につけようとするんじゃありません! ダメったらダメです!」
小さい頃にお母さんにこうやって叱られたから、誰かを叱る時に林田は自然とオカン口調になるんだろう。こいつの中にこいつの母親がいる。それが少し羨ましい。俺はそういう機会は十分にはなかったから。
猫もどきは俺と林田に交互に「なーう」と悲しげに訴えたが、やがてどうやっても外に出してはもらえないと悟ったらしく、シャッ! と短く吐き捨ててからテレビの前に寝転がった。ワンピースから伸びた尻尾が蛇みたいに床を擦る。
「拗ねたってダメだからね!」
拗ねてんだ。あれ。
「悪ぃ。チンロンなしで。なんかの出前にしよう」
林田は猫らしきものの背中に向けて「見張ってないと出ようとする子がいるからねー!」と嫌味を言った。猫らしきものはこちらを見ようともしないままシャーッと唸る。喧嘩するレベルまで馴染んでいる。
「……お前、完全にあれと普通の日常送ってっけど、この状況自体が異常だってことは忘れてないよな?」
俺もうっかり飲み込まれそうにはなったけどさ。
「わかってるよ! わかった上で俺は現実を受け止めようとしているんじゃないか! 人の気も知らないで!」林田は金切り声を上げる。
「おいおい。何も俺にまで怒鳴んなくったっていいだろ。落ち着けよ」
「怒鳴ってないし、落ち着いてる!」
自分の声を聞いて自分が怒鳴ってるし、落ち着いてないのを自覚したらしく、林田は下唇を強く噛みながら唸る。唸りながらソファーの周りをうろうろ、うろうろ。
「林」
「話しかけるなっ! 今、大事なことを考えてるんだからっ! こういうの、前にもあったかもしれないんだ!」
前にも逃げようとしたことがあるのか。……だったらもうちょっと中から開けにくいチェーンにしとけよ。
俺は着かけていたジャケットをまた壁にかけ、ソファーに座る。
こういう時は林田が落ち着くまで放っておいた方がいい。こいつすぐキーッ! ってなるから。
俺はスマホを操作し、出前してくれる店を探し始める。
ソファーの周りをうろうろする林田と、時折シャーッと声を出す猫もどきのいる部屋で居心地の悪さが増してゆく。客が来てる時に喧嘩とか本当やめろよ。それは家主側の最低限のマナーなんじゃねぇかと俺は思うよ。
ピザだよな。こういう時は。カロリーを摂取すれば心が穏やかになるはずだ。
「もしかしたら偶然ではないのかも……でもあれは妄想だったはずだ……間違いない……俺の記憶違いだって結論だったじゃないか……あんなこと起きるわけない……それで納得しただろ? 今回のことはなんなんだ? どうして俺の周りでだけこんなことが? いや、そんなわけない。俺が間違ってたんだ」
林田はぶつぶつと何か独り言を言いながら歩いていたが、その内うろつくのを辞めて俺の向かい側に腰を下ろした。まだぶつぶつ言ってる。片方の手で口元を覆い、例のディカプリオ皺を眉間に浮かべている。考え事タイムはまだまだ続きそうだ。放置だな。放置。
俺はドミノピザのサイトに飛んだ。
ちゃちゃっと注文出来ると思っていたけど、何気に面倒臭い。
会員登録していますか? してなくても注文できますが、今登録するとお得なクーポンが使えます。ピザの種類はプレミアム? バリュープラスレンジ? バリューレンジ? サイズはM? L? XL? チーズンロールクワトロ・デライトはいかがですか? カマンベールミルフィーユ・パンチェッタ&オリーブはいかがですか? ブルックリン・パンチェッタ&ズッキーニはいかがですか? クワトロミートマックスはいかがですか? ソースはどうされますか? ボロネーゼソースはお入れしますか? お入れしませんか? ホワイトソースはお入れしますか? お入れしませんか? トッピングはどうされますか? 以下トッピングを削除あるいは追加する場合はこちらへどうぞ。生地はどうなさいますか? ハンドクラフト? パンピザ? ウルトラクリスピークラフト? チーズンロール? ミルフィーユ? トリプルミルフィーユ? 追加サイドメニューはいかがですか? ソフトドリンクはいかがですか? デザートはいかがですか?
次から次へと選択肢が現れる。
倒しても、倒しても現れるドラクエの敵みたいだ。ちょっと進んだところに宝箱があるのに、1歩進むごとにメタルライダーが出てくる感じ。うざい。
俺は普通のピザが食べたいだけなんだ。サラミとチーズとトマトのあれだ。タートルズが投げてくる、あのなんの面白みもないピザでいいんだ。
どれもこれも同じじゃん。トッピングの分量変えたり種類変えたりしただけで、全然違う名前がつく。全部同じなのに。
妹の服もそうだ。全部同じ。ちょっとずつ形が違うだけ。でも違う名前がついて、今までにない新作扱い。
今までにあるよ。今までにあるやつと今までにあるやつをくっつけて、別の名前にしてんだ。ピザも服もイルカとクジラだって。全部そうじゃん。新しいものなんてやり尽くして、出尽くして。あとはただ、もうあるものをバラして組立ててんだ。
「物凄く変なことが、物凄く普通に起きちゃったら」
林田が口を開いた。ディカプリオ皺は残っているけど、声は落ち着いている。
「それが例えどんなにおかしなことでも、受け止めるしかないんだよな。どんなに『こんなこと起きるわけがない』って叫んだって、起きちゃったらどうしょうもないんだ。『あれは記憶違いなんだ』、そうやって受け入れるしかないんだ。さもなきゃ、現実に噛みちぎられるはめになるんだ。『お前はおかしい』って。そうだろ?」
林田は肺に残っている空気全てを吐き出すように呼吸した。
「俺は正気だ。現実を飲み込んでいかなくちゃ。みんなそうしてるんだから」
俺は立ち上がり、林田の隣に座って軽く背中を叩く。
「なんかよくわからんが、大丈夫じゃないなぁ、林田。どうした?」
「普通、『大丈夫か』って聞くんじゃねぇの?」
「大丈夫か? って聞いたらどうせ大丈夫だっていうだろ。大丈夫じゃねぇのに。お前、昔からそういとこあんだろ。自分で自分の限界わかってねぇとこあるじゃん。できもしないこと、できるっていいがちだろ」
林田は肩を竦める。ディカプリオ皺は消えていたが、疲労感は消えてない。
「お前さ、何もこの世界の神様じゃないんだから、世の中の色んな妙な出来事を全部受け入れたりしなくていいんだぞ」何様のつもりだ、林田のくせに。
林田は長い長い溜息を吐きながら、背もたれに体を預け、横目で俺を睨む。
ディカプリオ皺復活のきざし。
「今、何様のつもりだって思っただろ」
おっ。
「お前は顔にすぐに出るんだ」
「あー。そーですか。まぁ、それはそれとして、話し戻すけどさ。やっぱり無理なんだよ。あんなの飼うの。今からでも遅くないから警察なりグリンピースなりを呼んで、プロに保護なり飼育なりしてもらおう。もしかしたら上野動物園の新たなアイドルになるかもしれないし、あるいは野生に返されるかも」
「……嫌だもん。飼うもん」
「いい大人が『もん』とか語尾につけんな」
「檻の中に入れられて一生そこから出られないなんて可哀想だろ! そういう気持ち、お前ならわかると思ってたけどな! 動物園なんかテレビも置いてないし、『さんま御殿』もNetflixも見られないんだ! 床暖房もないし、Wi-Fiもないだろ!? そんなところに大事な猫を預けられるか!」
「そんなこと言ったって、お前だってこいつをここから出せないじゃないか。一生この部屋の中でゴロゴロしながらドラマ見て暮らすなんてストレス溜まるだろ」
「俺だって、外に遊びに行かせてやりたいなぁとは思ってるよ!」
林田が上半身を捻って後ろを向いたので、俺もそれに倣う。
猫らしきものはまだ尻尾を揺らして、テレビを観ていた。なんとなく元気がない。俺たちの会話、筒抜けかもしれないけど、今更しょうがない。あいつももうあんなに大きいんだ。聞いておくべきだろう。うん。
「退屈してるなーっていうのはわかってんだよ。最近、よく窓の外を見てるし」
「窓の側に立ってるって。大丈夫かよ。外から見られたりしないのか?」
「うち、13階だよ? それに窓側には海しかないから平気だって」
林田は憐れみ深い顔をする。
「……可哀想だけど外には出せない。動物園でもここでも閉じ込められるなら、こっちの方がいいじゃん。ここには床暖房とNetflixとAmazonプライムとHuluが見られる大型テレビがあるしさ。あいつが望むならDlifeとスターチャンネルに加入しても構わない。それに動物園じゃなくて何かの実験施設に送られちゃう可能性もあるだろ。解剖されたり、無理やり繁殖させられそうになったり、医者に囲まれて『異常だ、こいつはおかしい』って脳をいじられるかもしれないじゃないか。変な薬を飲ませて、洗脳されたりするかも。そんなの……可哀想じゃないか」
「想像がグロい」
「医者はそういうことをするよ。それが正しいと思ってるから」
妙に確信に満ちた口調で林田は言った。
「野生に返してやるっていうのもいいかもしれないけど、こいつが野生の生き物かどうかでいうと全然野生じゃないじゃないか。都会育ちだぞ。野山でなんか暮らせない。きっと寒さに震えて、お腹空かせて倒れちゃうよ」
「……俺、青葉台から里見に越したけど適応したじゃん」
「俺の生まれ育った町を野山扱いすんのやめろ、失礼だろ。駅だってあるのに。あと俺が真面目に話してるのに茶化すのやめろよ!」
睨まれた。……実際、野山じゃん……あまりにも野山だったから結局進学のタイミングで俺んちはまた都内に引っ越したわけだし、お前だって大体おんなじタイミングで上京したんじゃん。
「万が一野山での暮らしに適応できたとしても、いつか人に見つかって、最悪の場合狙撃されるだろ? 散々『驚かないで』って忠告したのに、お前、暴れまわったじゃん」
「あー。まー。そうな」
林田に『俺は正気を失ったかもしれない。猫がどうかしてるくらいデカい気がするんだ。ちょっと見にきてくれ。万が一本当に猫がデカかったとしても、あんまり驚かないでな。約束な』とここに呼び出された日。
猫らしきものが林田の寝室からぬるっと顔を出した瞬間、俺は悲鳴をあげ、林田の『驚かないでって言ったじゃん!』って叫びをガン無視して、手近にあるもの全てを投げつけた。足元を掃除していた最新のルンバを掴み上げ、キャプテン・アメリカ風にぶん投げたりもした。手近にものがなくなったらキッチンにダッシュして、ミキサー、トースター、フライパン、鍋、食器各種、投げられる物を全部投げた。
それらは1つも命中せず、壁や床に叩きつけられ、割れるものは全部割れて、割れないものは全部使い物にならなくなった。
まさかその中にノリタケの皿があると思わなかった。おかげで給料日前にかなりの額を弁償する羽目になった。ノリタケは目につかないとこにしまっといてほしい。
結局。俺が完全に落ち着くまでに1時間はかかったし、寝室に逃げ込んでた猫らしきものがまたリビングにやってきて、ソファーでグースカ寝息立てるまでにまた1時間くらいかかったし、その寝姿を見ながら『度を越している』って言えるようになるまで、やっぱり1時間くらいかかった。
そういうのを込みで考えると、猫らしきものが外を歩いていたら、マタギが集合してしまう可能性はかなり高い。林田の親父さんこと
「なんとかしてやりたいけど無理だろうからさ。……せめて俺はあいつに何不自由のない軟禁生活を提供したいっ! 可愛いピンクの服を着させてやりたいんだ!」
諦めてねぇんだ。ピンクの服着せるの。
猫もどきがのそのそと立ち上がる。
「林田、なーう」
「わかってくれて嬉しいよ」
わかってくれたんだ。林田すげぇな。わかってくれたとわかる林田すげぇな。
猫もどきはソファーまで来ると、俺とは反対側の林田の隣に座り、頭を林田の膝に乗せた。あらやだ可愛い。
林田は猫もどきの耳の後ろを擽るように撫でる。猫もどきは幸せそうだが、自分が悲しんでいると林田が悲しむから、幸せな振りをしているように見えなくもない。
大変遺憾かつ、大変意外なことに。俺は猫もどきが可哀想になってきてしまった。
もしも俺が林田か猫もどきの立場だとしたら、この瞬間にきっと俺を強く強く抱きしめて、神様、神様、スーパーゴッドと崇め奉ったに違いないと思う。
俺って、超グレイト。解決策思いついた。
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