林田なう

※動物に人間の食べ物を与える描写があります。真似なさいませんよう。


 解決してなかった。


 林田からの「俺は正気を失っている可能性がある」という電話に呼び出された俺は、林田のマンションの林田の部屋の林田のリビングで林田のソファーに林田と並んで座っている。猫もどきと共に。

 真正面から見たら、右から俺、林田、もどき。

 俺は猫もどきと林田とを横目で見ながら、とりあえずのビールを飲んでいる。

「なう」

 猫もどきが鳴く。猫もどきは両足を椅子から床に垂らし、背中を伸ばして背もたれに預けるという、実に猫らしからぬ座り方をしていた。猫じゃないんだから驚かないぞ。絶対だ。

 俺は2缶めのとりあえずのビールに手をかける。

 ウォッカを買ってくるべきだった。アルコールの力を借りて楽になりたい。

「はいはい。開けてあげるからね」林田はソフトクリームを覆う蓋を外し――。

「なう、なう」

「ほーら。お食べ」

 ソフトクリームを猫らしきものの口元に持っていく。猫らしきものはもう待ちきれないという勢いでソフトクリームを舐め始める。

 ひと舐めしては舌を8の字に動かして――。

「なうなう」

 またひと舐めしては――。

「なうなう」

 旨し、旨しと唸るように――。

「林田、なうなう」

 俺はサラミを口に放り込みながら言う。

「とうとう喋り出したか」

 とうとう喋り出したのだ。


 「よし、俺は正気だ!」

 林田はソフトクリームを握ったまま叫ぶ。

「薄々わかってたんだ! 喋ってるんじゃないかなって!」

 猫もどきは前足で林田の腕をキュッと掴み、ソフトクリームを舐め続けている。

「なうー、なうー」

 ウッチャンのコントの『ミモー、マモー』を思い出させる音程だ。

 こいつの声は硬質で抑揚や音程が人間とはかけ離れていた。一番近いのはヨウムだろう。それかへったくそなボーカロイド。

 変な喋り方だが発音は聞き間違えようがない程はっきりしていた。

 思いっきり『は』『や』『し』『だ』って言ってる。

 そうか。現実か。これ。

「薄々で済ますのやめろよ……もっと慌てろ。機動隊かマタギを呼べ」

 東京にマタギがいるかどうかしらんけど。

「……だって俺にだけ見えてる幻って可能性もあるじゃん。嫌だもん。また『ここには大きな猫なんていませんよ。それはあなたの心が見せた幻なのです』とか言われんの」

「あれは2次性徴期でホルモンがどうとここうとかのアレだろ。お前、今、幾つよ?」

「29」

「2次性徴って歳じゃねーだろ。安心しろ、お前の目の前にいるそれは現実だ。ハイパーリアリズム的な何かだ」

「俺が正気なのは超嬉しいけど、これが現実なのはちょっとアレだな。困っちゃったなーう?」

「なーう」

 林田は空いている手で猫らしきものの耳の下をくすぐる。何が困っちゃったなーうだバカ野郎。

 状況が状況なのに、相手が相手なのでどうも呑気に見える。俺もシリアスになりきれない。ほのぼのしてしまう。

「なうーなうー」

 猫らしきものが目を細める。デカさはともかく可愛いことには可愛い。

「……本当に懐っこい猫がデカいだけだな。なんなの」

「林田ーなーう」

「はーい」林田は猫もどきにせがまれるがまま喉の下をくすぐるように撫でる。

「はーい、じゃねぇよ。お前、こんなにはっきり喋ってんのによくもまぁ、薄々で済ませてたな」

「だからさー。前も言ったじゃん」林田は駄々っ子の声を出す。

「一緒にいるとわかんないんだって。モーフィングっていうの? ほら、ちょっとずつ映像が変わる間違い探しって難しいじゃん。それにさ、YouTubeとかにいっぱいあるじゃん。おっさんみたいな声で喋る猫動画とか。会話してるように見える野良猫動画とか。だからそういうアレの一種かなー? って」

「林田ー、林ー田ーなーうなーう」

「あぁ。ごめんごめん。ほーれ。ほーれ。気持ちいいか。ほーれ」

 林田は猫の耳をくすぐる。猫は満足しているらしい。尻尾が機嫌良さげに垂直立ちしてる。

「意思疎通完璧か」

「声のイントネーションでわかるようになってきた」

 何だ、その自慢げな顔は。何を誇ってんだ。

「大体お前だってさ、俺の猫写メツイート見ても何にも言わなかったじゃんよ」

 林田は開いている手で器用に新しいスーパードライを開ける。

「人ん家のペットの写真なんて真面目に見てねぇよ」

「え、でもいつも『いいね』押してくれてたじゃん!」

 林田は『愛してるって言ってくれたじゃない!』みたいな口調で言う。彼女か。

「だって誰も『いいね』押してないのも可哀想かなぁって」

「え、え。じゃぁ、何。お前、『いいね』って思ってないのに『いいね』押すの? 何それ! 超不誠実! そういうことされるとお前のこと信じられなくなっちゃうじゃん! これからお前が何か言っても、俺は常に『いや。こいつは『いいね』って思ってないのに『いいね』を押す奴だ。本当のことを言ってないんじゃないか』とだな、そういう目でお前を見ちゃうだろ! 友情の崩壊だ! とんでもないことをしてくれたな! 命の恩人であるこの俺に! 小学校からの親友であるこの俺に!」

 林田は何かと言うと俺が小学校側の沼で溺れた時の話を持ち出す。恩着せがましい。別にお前に助けられなくても自力でなんとかなってたからな!

「うるせぇなぁ。俺が何にどんな理由で『いいね』しようがお前に関係ないだろ。大体な、アラサー男の猫写真に何でそこまで真面目に向き合わなきゃいけないんだよ。お前の猫写真アップばっかりだからスケールわかんねぇよ。抱っこしてる写真とかツイートすればよかったんだ。こう、ほら、マグロ抱える感じで」俺はマグロを抱き抱えるジェスチャーをしながら「マグロ! ご期待ください!」と言ってみた。多分、若い子には全然通じないやつ。「こんな感じでな。そしたら俺だって気がついたよ!」

「前に俺と猫が一緒に寝転がってる写真ツイートした時、ニッコリマークの絵文字だけで軽く流したじゃん! なんだよ、あの投げやりなニッコリマーク! 俺、あの時、お前が『猫デカッ!』ってリプくれたら『そっかー、やっぱデカいんだ』って気付けたと思うよ? あの時、内心ちょっとデカいなって疑ってたんだからなっ!」

 あぁ。あれかぁ。

「遠近法とか、目の錯覚を駆使してるのかなって思ってたんだよ」

 つーか、リツイート数稼ぎの小賢しい狙った写真に見えたから、ぶっちゃけ『見え見え過ぎて引くわー。意地でもリツイートしねーから。ほらよ、絵文字でも喰らいな』って思ってた。『そこまでしてフォロワー増やしたいとかマジで引くわ』とも思ってた。

「ほーら。お前だって気がついてないじゃん。俺のこと言えないね。同類だ、同類」

 林田はフンッと鼻を鳴らした。何を勝ち誇るのか、お前は。

「そんで、『林田』と『なう』以外には何か喋るの?」

 話題を変えられたのが嫌だったのかわからんが、さも不服そうに林田は答える。

「『なう』は『ニャー』の変形だから言葉に入らないと思う。俺の考えだけどな」

「じゃぁ、『林田』以外は?」

「今のところはないなぁ」

 猫もどきはコーンを残してソフトクリームを食べ終えてしまった。

「林田ーなーう」

「ダメダメ。ソフトクリームは1日1本」

「なーう」

 猫もどきはソファーから立ち上がると、2本足で歩いてテレビの前に行き、うつ伏せに寝転がった。前足を顔の下で組んでいる。

「歩いた」

 歩きおった。

「トイレのドアを開けるのに立ち上がることはあったんだけど、徐々に距離が伸びていって、最終的にこうなった。でも、喋るのに比べたら全然許容範囲内だと俺は思うんだよ」

「許容するな。なんだあの共産国の軍事パレードみたいな歩き方は。それに、あれだ。あの寝方。あれは完全に日曜日のお父さんだ。小さい子供に腰を揉んで欲しがる感じの、疲れてる時のお父さんだ」

「親父あんま家にいなかったからわかんないよ。とにかくだ、YouTubeではベビーカーを押して歩く猫の動画が人気だろ? 歩き方についてはたまたまなんじゃないかな! 俺、そう思うよ!」

「デカい猫はいるだろうよ。トイレで用を足す猫もいるだろうし、喋ってるみたいに鳴く猫も、2本足で歩く猫も、寝方がおかしい猫もいるだろう。でも全部盛り盛りでっていうのはおかしいだろ! 例えばな、地震と雷と火事と親父はそれぞれ独立した現象としてみればありふれてるけど」

「親父と言う独立した現象って何? 具体的に言って」

 飼い猫デカくなっても大して深刻になんねぇくせに、そういうとこは食いつくのな!

「ニュアンスでなんとなく汲み取れよ。わかんだろ。とにかくな、それぞれ別個のアレだけど、地震と雷と火事の中に親父が現れたとしたら、その親父がただの親父ではない可能性の方が高いだろ。ほら、宇宙人とかさ。異次元からきた魔王とかかも」

 林田はゴキブリを噛んだような顔で俺を見る。

「ごめん、ふざけてるなら帰ってくれる?」

 俺はふざけてねぇよ。お前を取り巻く状況がふざけてんだよ。

「な、な、な、な、な」

 突然、猫もどきが『踊る! さんま御殿』を観ながら妙な声で鳴いた。

 俺達は猫もどきの背中と、テレビの中の今田耕司を注意深く眺める。

『それからの2時間は地獄でしたわ』

 今田耕司の面白発言にさんまさんが引き笑いをしつつ、司会者テーブルをバンバン叩く。今週の踊るヒット賞は今のかもしれない。

「な、な、な、な、な、な、な」

 猫もどきも床を前足で叩きながら鳴く。これはなんだ。爆笑......してるのか?

「なー、なー」どことなく明石家さんまの引き笑いっぽい鳴き声だ。

「......これ、絶対に猫じゃねぇよ、林田」

 林田は両手を首の後ろで組むと、両足の間に頭を挟むように背中を丸めた。

「前はこれは猫だって結論に達したじゃんよー」

「状況は刻一刻と変化するんだよ。猫じゃないもんは猫じゃないんだ」

「どうしよう」林田は眉毛を八の字に下げる。

「な、な、な、な、な、な、な」猫らしきものはまだ笑っている。

 待て。

 『さんま御殿』が理解出来るのなら、俺達の会話だって丸聞こえなんじゃ?

「......本人に聞いてみればいいんじゃねぇの?」

 聞かれているのではないかと思うと自然と声が小さくなる。

「なんて?」

 俺と同じ可能性に思い至ったのか、林田の声も小さい。俺達は肩をくっつけあい、お互いの耳に息を吹き込むようにして会話を続ける。

「.....どこから来たんですか? とか。何が目的なんですか? とか。人類の敵ですか? とか」

「え、なんで自分の猫に敬語で喋んなきゃいけないの」

 林田は眉間にV型の皺を寄せる。そこに引っかかるのかよ。

「ちょっと聞いてみろよ」

「え。嫌だよ。絶対嫌だ」

「なんで?」

 V型の皺がWになる。怒っている時のディカプリオの皺。

「普通に返事したら滅茶苦茶怖いだろ?」

「デレデレしながらソフトクリームあげてただろ! なんで今、怖がるんだ!」

「ボディランゲージならともかく、言葉で疎通できちゃったら引き返せないじゃん! 一線超えちゃうじゃん!」

 俺はCMが始まってから笑い声をあげなくなり、ゆっくりと尻尾を左右に揺らしている猫もどきを見つめる。

「……もう超えてる。ぶっちぎりだよ。腹を括って真実を明らかにした方がいい。ほら、案外なんてことないことかもしれないしさ」

 拾った猫が巨大化し、2足歩行し、カタコトの言葉を喋り、床に寝転がりながら『さんま御殿』をみて笑っている状況を「なーんだ。そういうことだったのかぁ。納得納得!」と思える真実など全く想像出来なかったが、言うだけタダだし。

「聞いてみろって」俺は肘で林田を小突く。

「嫌だってば! 俺やんねーから。別に聞きたいなんて思ってねぇし!」

「バッカ。お前、そんなこと言ってどうすんだよ。ハッキリさせろって」

「曖昧なままにしておいた方が平和な場合もあるだろ! 例えば竹し」

「もういい、俺が聞く。おい、そこの! デカい生命体!」

「ふぁーっ!」

 林田が奇声をあげながら俺にしがみついてきた。うぉうっ。

「やめろっ! 返事したらどうするんだ! 何も知りたくない! これは猫なんだ! 猫だってことにしておけば全てが丸く収まるだろ! 猫だ! 猫! 猫!」

 林田が俺の口を塞ごうとしてくるので、俺は奴の両手首を掴んで抵抗した。

 林田はソファーに膝立ちになって全体重を俺にかけてくる。うまく踏ん張れず、俺はゆっくり押し倒されてゆく。

「往生際が悪いぞ、この野郎」

 俺は林田の手首を固く握りながら猫もどきに大声で叫んだ。

「お前、何者だ! 猫型宇宙人か? 猫風のロボットか? どこかの実験場から逃げ出してきたのか? 俺の言葉、わかってんだろ! 答えろ!」

「余計なことすんなって言ってんだろっ!」

 林田の頭突きが俺の顎に当たった。奥歯がぶつかり合い、耳がキーンとなる。

 痛ってぇ!

「テメェのために聞いてやってんだろ! このバカが!」

 俺は林田の手首を離し、ゆで卵みたいな顎を殴りつけた。

 俺達はもみ合いながらソファーから転げ落ち、テーブルとソファーの隙間に挟まる。今度は俺が上になった。俺はピスタチオの殻を掴めるだけ掴むと、林田の口に押し込み、奴の両手を俺の両膝で抑えた。ピスタチオを吐き出そうとするので、俺は両手で奴の口を塞ぐ。

 聞き分けのない林田はこうしてやる。豆でも食って黙ってろ。

「猫もどき! お前は一体何なんだ!」

 俺はテレビに向かって振り返りながら叫んだが、猫もどきの姿は消えていた。

「……いない」

 俺が手を離すと、林田は勢いよくピスタチオを吐き出した。中途半端に噛み砕かれた唾まみれの殻が飛んでくる。うひゃぁ。汚い。

 林田は俺を押し退けて立ち上がると「猫ー! 猫やーい!」と叫びながらテレビの裏やカーテンの裏を探し回り始めた。

「あのサイズだぞ。そんなとこに隠れられるわけないだろ」

「うるさい! お前のせいで逃げたんだぞ、このバカ! お前が脅かしたからだ! バカ! バーカ! 座ってないで捜せよ! この、バーカ! バカッ! バカッ!」

「お前が結論を先延ばしにするから聞いてやろうとしただけじゃねぇか! バカバカばっか言ってんじゃねぇ!」

 ……今のちょっとダジャレっぽくなった。

「今のはそういうアレで言ったんじゃねぇからな!」

 俺は服にへばりついた林田の唾液付きピスタチオの欠片を払い落としながら立ち上がる。

 ほんときったない。こういうのほんっとにダメ。他人の唾とか無理。鍋とかも無理。他人の食べかけとか食べられる奴の神経を疑う。法で禁じて欲しいし、重めに罰して欲しい。

「猫ー! 猫、猫、猫! 猫ちゃーん! 出ておいで!」

 俺は玄関に向かい、チェーンがちゃんと掛かっているのを確認する。

「おい! お前のせいでこんなことになったのに、ほったらかして帰る気かよ!」

「ちげーよ! 外に出ちゃったかもって思ったからチェーン見てたんだよ。チェーン!」

「え。チェーン無事?」

「無事、無事。家ん中のどっかにいるよ」

 林田はほっと息を吐いてから「猫ー猫どこだー」と叫び、寝室へと歩いてゆく。

 俺も林田の後を追いって寝室に入る。林田は四つん這いになり、ベッドの下を覗き込もうとしていた。

「お前、いい加減、なんか名前つけろよ」

「今、いい名前考えてるの」

「飼い始めた頃からずっと言ってんじゃん。お前の『今』はスパンが長すぎる。適当でいいだろ。ニャーコとか。ニャンちゃんとか」

「俺はゲームの主人公の名前を全部『ああああ』にしてたお前とは違うんだよ。名前は大事なんだぞ。名前がないものは存在しないのと同じなんだってスーパープレゼンテーションで言ってたし。俺が飼うからには呼びやすくて、覚えやすくて、個性があって、字面も綺麗な名前にしなきゃ。ありがちな名前は嫌だし、奇抜過ぎるのも嫌だし、難しいんだよ。時間はかかるもんなの!」

 何だその、これからパパになる人のお悩みみたいなのは。

「だからっていつまでも猫って呼ぶのは変だろ。もう猫じゃないんだから」

「タラバガニだってカニじゃないけどタラバガニって呼ぶじゃん」

「え、カニじゃないの?」

「ヤドカリ」

「嘘だろ! 俺、ヤドカリ食べてたの!?」

 かに道楽の野郎、絶対許さねぇ!

 林田はベッドの下を覗きながら「いいから探すの手伝えよ!」と怒鳴った。

「案外、こういうのの中とかにいるんじゃねぇの? 開けていーい?」

 返事を待たず俺は銀色のノブを引いて、壁と一体になっているクローゼットを開けた。

 ヘッドライトサイズの金色の目が俺を見ていた。

 う。

 ぉー。

 めっちゃいる。

 いるんじゃねぇのとは言ったけど、本当にいた。

 やめろよもう、吃驚するじゃんもう。心臓にくるわ。

 『それなりに猫である。名前はまだない』的なそいつはコートとスーツの間に立っていた。俺を見ても黙っている。まるで『私はスーツです。洋服のです。だからここにいるのは当たり前なのです」と言っているかのような白々しい顔だ。

「林田、いたぞ」

「おぉ! なんだよ、そんなところにいたのかよ」

 もー、心配したんだからぁーとキョンキョン口調で言いながら林田がクローゼットの前にやってくる。神はもやしなヴンセント・ギャロの外見にかようフェミニンな魂を宿らせたもうた。

「ほーら。もう怖くないからなー。一緒に『さんま御殿』観ようなぁ」

 林田が猫もどきの喉を撫でると、猫もどきのはやっと服のふりごっこをやめて「林田、なう」と鳴いた。

 鳴いたでいいのか? 喋った? 鳴いた? 喋ったにしとくか……喋ってるしなぁ、実際。

 奴はクローゼットから出てくると、俺と林田を交互に見てもう一度『林田、なーう』と喋って、寝室から出て行った。『さんま御殿』の続きを観に戻ったんだろう。

「一時はどうなるかと思った」林田は腰に両手をあて、天井を見上げて笑う。

「スーツが毛だらけだぞ。どーすんのこれ」

「ガムテープかコロコロでなんとかする。無理そうならクリーニングに出すよ」

 林田は毛だらけになったスーツを取り、リビングに戻ってゆく。猫もどきとテレビを観ながら毛を取るつもりなんだろう。

 あれの正体がわかる前に林田の方があれとの生活に順応してしまいそうな気がする。

「あー! 『さんま御殿』終わっちゃってんじゃん!」

「林田ー!」

 林田と猫もどきの悲鳴がリビングから聞こえてきた。


 『さんま御殿』の後は特に面白い番組もやっていなかったので、Netflixで『デアデビル』マラソンを始めることにした。猫らしきものは海外ドラマが好きではないのか、それとも単に疲れていたのかどうかはわからないけど、5分と立たずに床に腹ばいになっていびきをかき始めた。失神したアケボノのポーズで。

 猫もどきが眠っている間に、林田はコロコロでスーツの毛を取りながら、俺は魚肉ソーセージをぱくつきながら、アレをどうするか再度話し合った。

 だがアレがなんだかわからない以上は、延々とああじゃねぇか、こうじゃねぇかと仮定の話をするしかないわけで、俺達はその内、議論に飽きてしまった。

 諸原因である猫もどきが呑気に寝ているのに、なんで俺達が頭を悩ませなきゃいけないのかと馬鹿らしくなったのだ。

「徐々に巨大化して、徐々に喋り始めたのなら、徐々に縮小して、徐々に無口になっていくんじゃないの? もうちょっと様子見てみたら?」という結論に達した俺達は、そのまま『ジェシカ・ジョーンズ』マラソンに突入したのだった。

 

 幸いにして、その後、林田から「気がついたら猫がシェイクスピアをそらんじるようになっていた」という連絡を受けることはなかった。

 不幸にして、その後、林田から「気がついたら猫が俺の服を着るようになっていた。俺は正気を失っている可能性がある」という連絡は受けた。


 これから妹のいらない服を持って林田ん家に行かねばならない。

 あれがお洒落に目覚めたのだ。

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