エピローグ 旅立った少女
春の太陽が心地良い日差しを届けてくれる。
いい天気だ。これなら、よく育つ。庭に植えられた家庭菜園は、順調に育っている。これなら、この地域で本格的な農耕が可能になるのも、そう遠くはない。
ちりんちりん!と鈴の音。
「郵便で~す!」
「ごくろうさん」
配達員は自転車で去っていった。
この世界にも皆の努力が実って、ある程度の安全も確保された。配達員が辿る道には、一定間隔で護衛の人間が配備されている。その道はピースロードと呼ばれ、様々な物が行き来している。
一週間に一度やってくる手紙の名宛人を確認しながら、玄関まで戻る。
そして、思わず苦笑してしまった。
それは、今週もあった。可愛らしいペンギンのシールで封がされている手紙。
あいつは、また恥ずかしがることだろう。
「佐伯!武藤から手紙だぞ!」
「なんだと!?な、中は読むなよ!」
佐伯は、ものすごい勢いで家から飛び出てきて、同じ勢いで手紙を引っ手繰った。
「おあついねぇ・・・」
俺の冷やかしに、佐伯はトマトのように真っ赤になる。
『空』の指導者だった武藤。『大地』の指揮者だった佐伯。いつ仲良くなったんだか。
「そ、そんなことはどうでもいい!お、お前こそ、由美からの手紙はまだ無いのか!?」
「・・・ああ。まだ、みたいだな」
手紙の中に、由美の名は無い。
どれもこれも、再建の定期連絡ばかりだ。
今日も連絡はない。
手元にあるように、正樹の手紙は定期的にやってくるのだが、由美からは1通も来ない。
「・・・すまん。嫌な思いをさせたか?」
「いや。気にするな。まぁ悪いと思うんなら、野菜の水遣り。頼むな」
「うげっ!」
佐伯の嫌そうな声を背に受けながら、自分の部屋へと戻り、正樹からの手紙を読むことにした。
階段へと足をかける。
俺と同じように、由美も、この階段を使っていたらしい。その名残が手摺に何枚か残っている。
気づいたら、それを指でなぞっていた。可愛らしい熊が中央で笑っている星型のシール。
『・・・ねぇ。紗希。お星様って願いを叶えてくれるよね?だから、ここに貼るんだ。階段を昇る度に、この星を見上げて祈るの。そうすれば、きっと祈りは届くはずだもん』
紗希が、そう由美の言葉を教えてくれた。
でも、今、祈っている由美はここにいない。
由美が、郁美さんと一緒に、奈津美という妹を探しに旅立ってから、1年が経とうとしている。
『おんおんをよろしくね』
そう言い残して、この家から旅立った。2人を見送ったのは、紗希と正樹と佐伯。
俺は、その場にいなかった。
いや、正確にはいたが、旅立ちを認識できなかった。
俺は、半年の間、死んだようにずっと目覚めなかった。原因は、まったく不明。ただ、息はしていたらしい。
そして、この家で目覚めたのが半年前。由美が旅立って6ヶ月後だった。
その時に、赤い霧に入り込んで以降の記憶が、全然残っていないことに気づいた。
ただ、悠治と美希に会ったのは、しっかりと覚えている。その後で起きたことは、懐かしい場所で何かがあった、ぐらいでしか覚えていない。
でも、満足感がある。だから、きっと自分なりに最高のことが出来たんだと思う。
そして、俺が目覚めたとき、この家にいたのは2人。紗希と『偉大の大地』の指揮者だった佐伯。
正樹も、由美を見送ってすぐに旅立った。
解散した『虹』『空』『大地』の有志隊員を引き連れて、北の再建へ向かった。
そう紗希から聞かされた。
その紗希も、4ヶ月前にこの家から出た。
高橋と一緒に、あの6人を護りながら、南を再建する為だ。
椅子に腰掛けて、正樹からの手紙を開く。
『久しぶりだね。調子はどう? お前が目覚めたという手紙を、佐伯が送ってくれたとき、本当に嬉しかったよ。 だって、このまま起きないんじゃないか?って思うほど、安らかな眠りだったから。ところで・・・こっちは、なかなか順調だよ。ついこの前、米が出来たんだ。これで、また一歩再建に近づけた!って、どいつもこいつも大騒ぎさ。いずれ、そっちにも米を届けるから、楽しみに待ってて。あっ!そうそう。また、生きてる大人を見つけたよ。しかも、外科医なんだ!『明鏡』ってとこの指導者なんだけど、事態の解決を話したら、協力してくれるって。 今、崩壊前の世界で大学の医学部で基礎を学んでいた奴らを中心に、いろいろ教えてもらってるんだ。そしたら、皆、生き生きし始めてさ。なんか、崩壊前の世界が戻ってきたみたいで・・・やっぱ、誰だって、殺しあうとか奪い合うとか、そういうの嫌なんだよな。 そんな楽しそうな姿を見ていると、俺も、やってやろう!って思うんだ。これも、お前がマザーに勝ったおかげって、あの島に行った奴らは感謝してるよ。英雄になってるぞ、お前。じゃあ、また手紙書くから。 追伸。由美はこっちにはいないみたいだ。 あれだけ目立つ2人なのに・・・一体、どこで妹を探しているんだろうな』
正樹からの手紙を丁寧にたたんでから封筒にしまい、他の定期連絡も確認するが、由美に関する情報はなかった。缶詰工場が復興できそうだとか、携帯での通話を復興させられるとか、そういうものだった。
溜息ととともに何気なく見やった庭では、佐伯が菜園に水を遣っていた。
雑に遣っていたら、怒鳴ろうと思ったが、丁寧すぎるほど丁寧にやってくれている。
野菜の心配はいらないようだ。
けど、それでも溜息が出た。
・・・俺のおかげ。英雄、か。
本当に、そうなんだろうか?
この家で目覚めて、紗希から聞いたあの島での戦いの結末はこうだ。
俺がマザーに促されるまま、あの赤い霧に入り込んだ後、残った正樹たちは、そこでそのまま待つことにしていた。
だが、すぐに異変が起きた。
一瞬、何も見えなくなるほどの白い光に部屋が満たされると、光が収まった扉の前に、俺が倒れていた。
しかし、扉が閉まってからの時間が・・・
5秒。
たったの5秒足らずだ。
それだけで俺が戻ってきた。
正樹が、マザーに話しかけても、何の反応も示さなかったから、皆が途方にくれていた。
そんなとき、白い部屋に、一つの出口が出現した。
それを警戒しながら辿っていくと・・・
海岸まで戻れた。
後は、基地まで戻り、佐々木隊長が宣言したように『七色の虹』は解散して、それぞれの道を歩み始めた、ということだ。
結局、赤い霧がどうなったのかは、誰も分からない。
当事者である俺ですら、分からない。
・・・たったの5秒で、俺は何をした?
覚えているのは、たった一つ。
悠治と美希とともに入り込んだ景色が懐かしい場所だった、ということだけ。
後は、何も。
そんな存在が、世界を救ったのだろうか?
この半年、由美の消息さえ掴めないのに。
由美・・・お前は、どこにいるんだ?
一週間後。
また手紙が来た。
相変わらず、武藤から佐伯への手紙は、欠かさずやってくる。
だが、由美からの手紙はない。
代わりに、紗希からの手紙が来ていた。
『こんにちは、西園寺君。 私は佐々木隊長指揮下のもと、まだ殺し合いを続けている集団を説得してるの。もう、私の出番はない。って、佐々木隊長は言ってるけど、いつまでも隊長だと思えるだけの指揮っぷりを発揮してるわ。やっぱり佐々木隊長は、いつまで経っても隊長なのよね。 その指揮下でやっと『草原の狼』を説得することが出来たの。大変だったけど彼らもやっぱり殺すのは嫌みたい。協力してくれる人が、かなり増えたわ。それに、あの6人も元気よ。 由美お姉ちゃんに会いたいとか、西園寺さんに会いたいって、言ってるの。だから、遊びに来てね。私たちは、『七色の虹』の基地にいるから。 こっちが本題で、今朝、気づいてんだけど、隆史のお墓に、花が供えてあったわ。まだ枯れてないから、そんなに日数は経ってないと思う。でも、誰も知らないって言うから、もしかしたら・・・って、思って。だから、一応伝えておくね。じゃあね』
手紙をたたんで、机の引き出しにしまう。
隆史の墓参り・・・
由美だ。
なぜか、そう確信した。
正樹は北で指導者的立場にいる。そう簡単に抜け出せるわけがない。紗希でもない。あの6人でも、高橋でもない。佐伯に至っては、隆史の存在すら知らない。
由美が隆史を尋ねたんだ。
俺も・・・行かないと!
次の瞬間には、部屋を飛び出していた。
半日で、懐かしい基地に辿り着いた。
「久しぶりね。西園寺君」
「あっ!西園寺さんだぁ!」
紗希と6人がやってきた。
紗希とは半年振りぐらいだが、残りの6人は違う。
1年ぶりに再会した中学生は、かなり成長していた。3人の男に関しては、もう俺と背丈も変わらない。
「久しぶりだな。中学生」
「もう、高校生ですよ。一応は」
話を聞くと、高校生用の教科書を探し出してきて、自分らで勉強しているらしい。
それを少しだけ手伝ってやることにした。
俺だって、高校1年終了時までの知識はある。しかも、成績は優秀だった。
そのせいか、久々にやった勉強は楽しく、目的を忘れかけるほどだった。
気づくと、外は夕方。
このままでは、本来の目的が果たせない。
「紗希さん、隆史の墓って?」
「ええ。こっちよ」
連れられるままに、海が見える高台までやってきた。
「ここよ。私は、先に戻っているから」
目の前には石が積み上げられている。
「ああ。しばらくしたら俺も戻るよ」
紗希が基地に戻ると、孤独感に襲われた。
なぜ、そう感じたんだろう?ここには、隆史がいるのに。
・・・答えは分かっている。
皆が、自分の道を進んでいるから。
由美は妹を捜す旅。
正樹は北の再建。
紗希は南の再建。
俺と隆史だけが残されている。
暮れ始めた空が、石で創られた小さな墓を照らし出している。
確かに花が供えられていた。
その横には、俺のナイフと正樹の眼鏡ケースが、雨に濡れないようにプラスッチク製のケースにいれられている。
「久しぶりだな。隆史」
もちろん、隆史の遺骨はない。
石の下の土には、誕生日会で使ったケーキのロウソク、由美が作った冠、最後に着ていた服が埋められている。
「俺のナイフ、大事にしてくれていたんだな。嬉しいよ」
手に取ったナイフを、隅々まで見つめる。
刃先を保護するケースが、少し錆びて赤くなっていた。
それが、確かな時間の流れを感じさせた。
「・・・あれっ?」
ケースに錆がある部分とない部分がある。
誰かが触らなければ、こんなことはありえない。紗希が触ったんだろうか?
ナイフをケースから引き抜くと、刃とケースの隙間から、細長い何かが落ちた。
「これは・・・?」
細長い紙。
こんなの入れた覚えがない。悠治から貰ったときも何も入っていなかった。
畳まれている紙を開いて、中に目を通す。
『おんおんへ』
由美からの手紙だった。
『これを見つけてくれるなんて、なんか運命を感じちゃうなぁ。やっぱ、私とおんおんは、赤い糸で結ばれてるんだね。っと、それはおいといて・・・これを、読んでるってことは、目が覚めたんだね。良かったぁ。だったら、元気かな? 私は、元気だよ。今、お姉ちゃんと一緒に、奈津美を探している最中なんだ。でも、奈津美は、南にはいないみたい。だから、これから、正樹が頑張っている北に行ってきます。本当は、こんなに近くまで来たんだから、おんおんの顔を見て行きたいけど・・・見ちゃったら、私、おんおんの傍を離れたくなくなっちゃうもん。今は奈津美を探したいから。だから、紗希にも会わないで、隆史のお墓参りをしていきます。 紗希に会ったら、おんおんに会いに行っちゃいそうだから。そのかわり、この手紙を残していきます。もし、おんおんが、この手紙を見つけてくれたなら・・・待ってほしいな。私の帰りを。絶対に帰ってくるから。おんおん、言ってくれたよね? 俺が帰ってくるのを待ってろ、って。私、待ったよ。おんおんが目覚めるのを、ずっと待ってた。ずっと。朝も夜も、おんおんの傍で。でも、奈津美も探したかった。だから、今は、おんおんの傍にいれません。ごめんね。自分勝手で。でも、それでも、私を待っていてほしいな。だから、待っていてくれるなら・・・ あの家で待っていて。私が旅立った、あの家で。帰ってくるから。おんおんがいる場所へ。私が帰る場所。それが、おんおんのいる場所だから。そして、帰ってきたら、あの時みたいに抱きしめてほしい・・・てへへっ。なんか恥ずかしいな。ごめんね、わがままで。 じゃあ、またね。必ず、帰ってくるから。 あ、そうだそうだ。大好きだよ。おんおんも、私を好きでいてくれると嬉しいです』
高台に冷たい風が吹き始めた。
それに乗って波の音が遠く近く届いてくる。
「・・・由美」
・・・どうして、俺はもっと早く目覚めなかった?
「由美ぃ・・・」
ずっと、俺が目覚めるのを待っていた。
「由美、由美・・・」
なのに、目覚めてからも、由美を苦しめているじゃないか・・・!
「由美・・・由美!」
俺は、大切な人を苦しませることしか出来ないのか!?何が・・・何が英雄だ!
「由美っ!!今すぐ、帰って来い!」
空へと張り上げた想いも、遠くから響く波の音に掻き消されてしまった。
更に半年の月日が流れた。
自分の部屋で、窓から吹き込んでくる心地いい風を受けなら、眠りかけていた。
こうやって、眠りかける寸前のむず痒い瞬間が堪らない。
・・・なんか、いいな。こういうの・・・
「「信哉ぁ!苺ゲットだぜ!これで、今日のケーキはOKだ!」
「うわっ!ほんと!大きい苺!信哉君!見て!見て!」
庭から馬鹿でかい叫び声が響く。
「・・・ったく!馬鹿どもが!」
楽しんでいた甘美な時間は、さらに甘美な2人によって、見事なまでにぶち壊された。
一人は佐伯。
そして、もう一人は・・・
「はい!食べさせてあげる!あ~ん!」
「や、やめろって。恥ずかしいだろ」
「いいじゃない。誰も見てないんだから」
武藤だ。
「俺が見てるんだがな・・・」
『蒼天の空』の指導者が、こんなに馬鹿だとは、思ってもいなかった。迷いこんだ森では、けっこう凛々しい指導者だと思っていたのに。
そう思っていた俺のほうが馬鹿みたいだ。
この馬鹿がやってきたのは、3ヶ月前。
いきなり、この家に転がり込んできた。
正樹とともに、北の再建をしているはずなのに・・・
正樹からの手紙にも、たった一言。
『武藤が行くから。よろしく!』
なにが、よろしく・・・だ。ったく。来た後に、よろしくじゃねーだろ!
「あっ!紗希さ~ん!」
またまた馬鹿でかい武藤の嬌声が響く。
窓から庭を見下ろすと、紗希と6人がいた。
驚いたことに、佐々木隊長までいる。基地には高橋が残って指揮しているんだろう。
と、髪の長い女の子が、窓から庭を見下ろしている俺に気づいた。
「あっ!西園寺さん!20歳、おめでとうございます!」
残りの5人も、手を振ってきたり、早々とクラッカーを鳴らした。
佐々木隊長も口元に笑みを浮かべて、俺を見上げている。
久しぶりに見た顔にある髭はさらに伸びている。このままじゃ、隊長から仙人になってしまいそうだ。
「西園寺!お前も20歳だな!!」
「ええ!そうですね!」
そう。今日は、俺の誕生日。
隆史が消えた20歳の誕生日。
でも、今は怖くない。
その根拠は、目覚める前に見ていたマザーの夢。
『貴方だけですよ。ここまで強い気持ちで、この世界で生きたいと願ったのは。こんな崩壊した世界を愛している人は。前の2人は違いました。こんな世界で生きたくない。そう願ったから、赤い霧をこの世界に解き放ったのです。でも、貴方は違う。ただ純粋に生きたいと願っている。だから、私はプログラムに従って、これを封印します。心の底からこの世界で生きたいと願う者が、私の前に現れたとき・・・私は自己崩壊するようにプログラムされました。だから、これで、もう・・・』
これが赤い霧に入ったときに、実際にあったことなのか?それとも夢なのか?
まったく分からない。
だが、確心した。
これから、赤い霧はもう発生しないだろうという事実を。
きっと、これからはきちんと死ぬまで生きていける。
愛する者の隣で生きていける。
・・・だから、早く帰ってこい。由美。
隆史の墓で手紙を読んでから、半年。
由美はまだ帰ってこない。
でも、俺は待ち続ける。
約束したから。
それが、由美のためにできることだから。
目覚めなかった俺を、待ち続けた由美のように・・・
今度は、俺が由美を待ち続ける。
俺はきっと、これからも大切な人を何らかの理由で苦しめることになる。俺が生きている限りは。それは避けられない。
だから、俺は逃げない。絶対に。生きて苦しんでやる。由美のために。今度は俺が苦しむ番だ。由美と同じ分だけ、大切な人を待つ苦しさを味わえば、由美は帰ってくる。きっと帰ってくる。
だから、何年の間だろうと、苦しさから逃げることなく立ち向かってやる。
部屋の扉が開くと、そこに、2つの人影が立っていた。
「西園寺君。おめでとう」
「うん。ありがとう」
紗希が優しく微笑んだ。
「生きろよ。西園寺」
「ええ。隊長も」
佐々木隊長が髭を揺らしながら微笑んだ。
20歳になった今日・・・
俺は、確かに生きている。
俺は英雄なんかじゃない すばる @subarist
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