最終章 終焉
窓から差し込む夕焼けが、部屋を茜色に染める。
ここにいるのは、由美を除いた『虹』と独立兵の俺だけ。
『虹』も4人になってしまった。そして、作戦が失敗すれば、『虹』は由美だけになる。
「じゃあ・・・隆史。行ってくるよ」
正樹が、眼鏡ケースを机の上に置いて、隆史の部屋を後にした。机の上には、隆史が消えたときの服が置かれている。
「隆史、私も行ってくるから」
紗希も、正樹に続いた。
「俺も行ってくる」
悠治から貰ったナイフを、眼鏡ケースの横へと置いて、部屋を後にした。
『死ぬなよ。生きて、またここで必ず』
ドアが閉まる寸前、そう聞こえた気がした。
時間がきた。
集合場所となっている港湾は、すでに数多くの兵で溢れていた。ここにいない奴らは、ヘリや戦車の搬入作業に当たっている。
目の前には、橙色に染め上げられた大海原が広がっている。魚を釣り上げるためと、憩いの場として使われていた場所。
これを生きて見れるのも最後かもしれない。
海を見渡せる基地の港内には、戦いに行く前の独特の引き締まった雰囲気が流れている。
集まった兵の数は、161人。
結局、49人の人間が、ここに残ることになった。基地の防衛と、管理のためだ。状況によっては、基地を放棄して逃げることも指示されていた。そして、その中には、由美と6人の中学生も含まれている。
俺達がいる場所から、かなり先の港には、大きな戦艦がある。
それに、全てが積み込まれる。
遠くからヘリの音が聞こえてきて、戦艦へと着艦した。あれで何機目だろうか?もう数える気にもならない。
しばらくすると、やかましい音が、港に響き渡り始めた。戦車だ。ぞくぞくと戦艦へと乗り込んでいく。15機はあったろうか?
ヘリも戦車も、ありったけを積み込むことになっている。
最初で最後の総力戦だ。
「お~んお~ん!」
「由美?」
ここにいないはずの声に振り返ると、基地から、6人の中学生と由美が歩いていた。その後ろには、1人の男が歩いている。前線指揮を取っていた高橋だ。
「私も行くからぁ!」
「なに!?」
俺の驚きが届いたらしく、高橋が手を振ってきた。
「本当っす!由美さんの代わりに、自分が基地とこの子達を護ります!」
紗希も驚いているらしく、由美に歩み寄る。
「それでいいの?」
距離が縮まると、紗希が問いかけた。
「うん。高橋っちに任せとけば、安心だから。私も『虹』なんだから、行かないと!」
「大丈夫っす!由美ファンクラブの会長として頑張ります。それに、ここに残った奴らも、由美さんのために、彼らを護る覚悟がありますから!」
・・・高橋が会長だったのか。
そして、基地に残っている50人近くの奴らは、ファンクラブの構成員ということだ。
だが、覚悟があっても実力が伴っているとは限らない。
「しかし、50人足らずで、しかも『虹』がいなくて、基地まで護り抜けるのか?」
「問題無しっすよ! まず、この6人には、シェルターに隠れていてもらいます。それに、このシェルターに、基地内に残っていた武器を全て積み込みました。これで、敵に奪われる心配はありません。そして、基地周辺には、地雷をありったけ仕掛けておきました。1つが爆発しても誘爆しないようにセットしたんで、突破には時間がかかります。 あとは、対人センサーです。これを遮った者は、セットされた銃で蜂の巣ですよ。それと、弾切れを考えて、5人一組でセンサー近くに配置させます。次は・・・」
「いや、もういい。なかなかいい防衛作戦だと思う。さすが、前線指揮者。この短時間でよく準備できたな」
佐々木隊長から指示されたとはいえ、これだけの準備をするとは大したものだ。言われたことを、適確にやり遂げるのは難しい。
「どうもです」
高橋は、照れように頭を掻いた。
『全員、集合!』
戦艦のほうから、拡声器からの佐々木隊長の声が届くと、騒いでいた連中も、気持ちを切り替えるように静かになった。
「園寺、由美、紗希。行こう」
信哉が歩き出す。
続こうとした俺の服の袖が引っ張られた。
「おんおんさん!」
いつの間にか、あの6人が近くまでやってきていた。その中の女の子が頭を下げてきた。
「由美お姉ちゃんを護ってください。お願いします。皆さんも死なないでください」
下から見上げてくる視線には、不安の色が読み取れた。
「ああ。任せろ。必ず、皆生きて帰ってくるさ。だから、安心して隠れてな。高橋。後は、任せたからな」
「はいっす!任せてください。由美さんのためにも、護りきってみせます」
「ああ。じゃあな」
そして、幻想的に輝く海を睨みつける。
その先にある全ての元凶。
そこに何があるのか分からない。
だが、勝たなくてはならない。
俺達は、あの島へ行く。
彼方に浮かぶ、赤い霧の島へ。
『お前のところは、161人か』
「仕方あるまい。基地の防衛にも、人員を割く必要があるからな」
『生きて帰ってこられるか分からんのに、防衛なんて必要なかろうに』
「・・・・・・」
『まぁいい。とりあえず、これで、俺の103人、柿崎の118人、お前の161人。 総戦力が382人か。 指揮は、お前の部下がとれ。数が一番多いからな。主戦力なのは間違いない。 しかし、2度目の赤い霧が悔やまれるな。あれさえなければ、ここまで減らなかった』
「今更、それを言っても仕方ないだろう。 それより、いつ伝えればいい?お前と柿崎の部隊のことを」
『出港してからだな。海の上なら、混乱しても逃げようがない。それに、我々が同志だと知れば混乱も落ち着くだろう』
「分かった」
『・・・これで、全てが終わればな』
「ああ。これからの世界のためにもな」
出港してから、初めての夜を迎えようとしていた。
戦艦内にある広間に、多くの兵は集まっているが、150人以上の人間が乗っても、広すぎる戦艦だった。しかも、ほぼ自動操縦で、多くの兵が暇を持て余していた。
俺達は、指揮所で何の変化も起こさないレーダーを見ながら、暇つぶしをしている。
「おんおんさぁ。暇だねぇ・・・」
由美が、さっきから同じことばかり口にしている。
少し前までは、戦艦内を探検していたのだが、それも終わってしまった。
「そうだな。暇すぎる」
本当に暇だった。
カタパルトに出ようにも、風が強すぎてまともに立っていられない。
しかし、何人かは暇つぶしだと言って、外に出ている。勇気があるのか馬鹿なのか。どちらにしても、俺は、自ら進んで疲れようとは思わない。
戦車も見飽きてしまった。
初めこそ面白かったが、どれもこれも、鉄の固まりにしか見えなくなってしまった。
だから、本当に限りなく暇なのだ。
あまりに穏やかに流れる時間に、戦場に向かっているとは思えない。
「紗希ぃ・・・暇じゃないの?」
ぐったりとしている由美が、隣に腰掛けている紗希へと視線を移す。
「うん?私?暇よ。暇すぎて寝そうよ」
確かに、その目は、睡魔と闘っているように揺らいでいる。
それっきり、誰も喋らなくなってしまった。
正樹に至っては、体力温存が大事さ、と宣言して、既に寝てしまっている。
『ぴこ~ん』
いきなり響き渡った音に、誰もが立ち上がった。正樹に至っては、跳ね起きた。
レーダーに反応?
指揮所に緊張が走る。
「佐々木隊長!レーダーが!」
レーダーに一番近くにいる俺が、後ろの艦長席に座っている隊長に報告する。
敵かもしれない。いや、敵しかいない。
艦を持つだけの敵。そんなの2つだけだ。
『偉大の大地』と『蒼天の空』
どっちだ?『七色の虹』に匹敵する戦力を有する集団は、これぐらいしかいない。
しかし、こんな時に現れなくても・・・!
『ぴこ~ん』
レーダー上に、もう一つの点が現れた。
挟み撃ち!?左右をとられた。
ばぁんと、勢いよく扉が開く。
「隊長!海に戦艦が!挟まれています!」
見たことない奴だ。強い風の中、カタパルトで暇を持て余していた奴らの一人だろう。
だが、戦艦に関する情報はもたらされた。
つまり、目視できるだけの巨大戦艦だということだ。この艦と同系かもしれない。
「隊長。どうしますか?」
眠りから覚めた正樹が、隊長の隣まで歩み寄っていく。
「隊長?」
そして、不思議そうに再度呼びかけた。
・・・笑っている?
そうとしか思えないように、佐々木隊長の口は吊りあがっていた。
隊長が、手元にあったスイッチを押す。
「全員、今すぐ広間に集合しろ。カタパルトにいる奴らも呼び戻すんだ」
そして、足早に管制室を去っていく。
「隊長。戦艦は・・・」
正樹からの問いかけに、佐々木隊長が立ち止まって、振り返ってきた。
やはり、その口元は笑っている。
「あれは味方だ」
「共同戦線、か・・・」
佐々木隊長から、戦艦について説明を受けて、また管制室へと戻ってきた。
正樹だけは、佐々木隊長とともに、ヘリで『偉大の大地』へと向かっている。指揮官クラスの顔合わせらしい。
「でも、信じていいのかな?」
由美は、不信感を隠すことなく口にした。
「だって、あいつらだって、『七色の虹』と同じような戦力を持ってるじゃん。 やっぱ、もともとは敵だと思うし。 そりゃあ、今まで戦ったことはないけどさ、いつ背中から撃たれるか分からないよ。佐々木隊長の言ってることだって、信じきっていいのかな?」
戦艦に乗っている集団。
やはりと言うべきか、あの2つだった。
『偉大の大地』と『蒼天の空』
そして、伝えられた真実。
『七色の虹』『偉大の大地』『蒼天の空』は、赤い霧の島を殲滅するために創られたということ。
佐々木隊長のほかにも、青山と柿崎という大人が生きていて、『大地』を青山、『空』を柿崎が、指揮しているということ。
そして、今日のために、創られ育て上げられてきたということ。
全ては、赤い霧の殲滅のために。
「でも、戦力なのは間違いないわ。 私だけで戦うつもりだったから、単純計算で3倍よ。それに、裏切らないと思う。目的は、赤い霧への復讐と殲滅。その点で、気持ちが通じ合っているんだから、背中から撃たれる心配はないわ」
「でもさ・・・」
紗希の言葉を聞いても、まだ納得できない様子だ。
「由美。とりあえず、共に戦うのには間違いないんだ。信じよう」
紗希の言葉通り、恨みや復讐は、同じ気持ちを持つ者を、強固な信頼で結んでくれる。
それに、味方が増えれば、『七色の虹』が死ぬ確率はかなり低くなる。俺にとって、他の集団が、どうなろうと知ったことじゃないが、『七色の虹』だけは死なせたくない。
失った世界で、また手に入れることができた安住の地だから。
「・・・うん!おんおんがそう言うなら信じるよ」
今度こそ、無邪気に笑った。
『おんおん・・・もし、もしだよ』
・・・今は、それを考える時じゃない。その思いを振り払うように頭を振る。
と、紗希が大きな溜息をついた。
「なんか、私じゃ信じられないみたいな言い方ね・・・」
「ち、違うよ、紗希!紗希が言ってることも正しいよ!でも、なんていうか・・・」
紗希が少し微笑んだ。
「分かってるわ。由美は西園寺君が好きなんだものね」
「ちょっ!さ、紗希!」
途端に、由美の顔が赤くなっていく。
「紗希さん。それは・・・」
これから、戦うというのに、迷わなくていいことで迷うような考え事はしたくない。
『あっ!写った!ここにいるの!?』
スピーカーから、女性のものと思われる明るい声が漏れた。
・・・どことなく由美の声と似ているな。
管制室のスクリーンに、俺や紗希と同い年くらいの人間が、男女7人映しだされた。
その中には、正樹もいた。その顔が嬉しそうに綻んでいる。
『由美!由美!大ニュース!』
「えっ?私に?なに?」
由美は、首を傾げながら、スクリーン前まで近づいていった。
『この人!この人だよ!』
一人の女性がスクリーン前まで出てきた。
綺麗な人だ。なんか髪を長くした由美みたいな顔立ちをしている。
「・・・お姉ちゃん?」
なに?今、由美はなんて言った?
「郁美お姉ちゃんなの?」
『由美・・・由美なのね!?』
死んだと聞かされていた由美の姉と妹。その姉が生きていたのか?
由美は、固まったまま動かない。
視線をスクリーンに戻すと、由美のお姉さんだと言われた人が泣いていた。
『・・・ごめんなさい。はぐれちゃって。護れなくて。今まで、ごめんなさい・・・ 食料を探しに行ったあの日。 襲われそうになった私を、偶然近くを移動中だった『偉大の大地』の隠密メンバーが助けてくれた。そして、由美と奈津美の特徴と隠れ場所を告げ、助けてほしいと頼んで、私は気を失ったの。でも、意識が戻ったとき、目の前にいたのは、知らない2人の女の子だった。この2人は、由美と奈津美の特徴と同じ部分が多かったから、探しに行ってくれた人が慣れない土地だったし間違えたんでしょうね。 その後、私自身が、由美と奈津美を探しに行ったんだけど、もうどこにもいなかった』
スクリーンの向こうで、左端にいる2人の女の子が、軽く頭を下げる。 たぶん、この2人が、由美と妹に間違えられて、助けられたんだろう。
『でも、正樹さんから『虹』のことを聞いて、まさかとは思ったけど・・・ 生きてたのね。ありがとう。生きててくれて。本当に・・・良かった・・・』
由美も泣いていた。俺と紗希の目を気にすることなく泣いていた。
「お姉ちゃん・・・私、私ね、奈津美を護れなかった。はぐれちゃった。死んじゃってるかも・・・だから、ごめんなさい・・・」
由美のお姉さんは、首を横に振った。
『大丈夫。奈津美も生きているわ。きっと。だから、この戦いが終わったら、一緒に探しに行きましょう。由美だって、私だって、こうやって生きてたんだから、奈津美も生きてるわよ。 忘れたの?負けん気としぶとさにかけては天下一品じゃない、私たち姉妹は。だから、奈津美も絶対に生きているわ』
「・・・うん!」
『じゃあ、またね。由美』
それを最後にスクリーンは切れた。
正樹が隊長とともに向かった戦艦は、確か『偉大の大地』だ。そこに、由美のお姉さんはいた。生きていたんだ。
「良かったな。由美」
肩を震わしながら泣いている小さな頭を、優しく撫でてやると、静かに抱きついてきた。
今だけは、心の底から慰めたかった。
今回ばかりは、こうやって抱きつかれても、引き離すようなことはしない。
好きとか嫌いとか、そんなの関係なく、大切な人が生きていたことを祝ってやりたい。
由美は、俺みたいにならなくてすんだから。
大切な人を、全て失わないですんだから。
本当に良かったと思う。
全てを失った世界。
そこで、また何かを失うなんて、もう無くていい。
基地を発ってから、3日目の朝。
運命のときはやってきた。
頬を撫でる風が、突き刺すように痛い。
まるで、帰れ、と囁いているかのように。
「・・・とうとう来たわね」
紗希の緊張が、強い風に乗って届いてきた。
「ああ。そうだな」
カタパルトからでも、目視できるまでに大きくなった島は、別に赤い霧に覆われていなかった。佐々木隊長の話では、2年前は赤い霧に覆われていたらしい。
普通の島だ。
島のほとんどが森となっていて、中の様子を伺うことは出来ないが、直径は10kmほど。1日あれば、調べつくせる。
だが、2年前までは地図に存在していなかった島だ。なにがあるのか全く分からない。
横一列に並んだ戦艦は、ゆっくりと島へと近づいていく。中央にいるのが『虹』で、右が『大地』で、左が『空』の陣形。
それに、拡声器を使えば、声が届くほどの距離まで近づいている。
実際、一部の兵が拡声器を通じて、お互いに激励や興奮を伝え合っている。
それを聞いていると心強い。同じ目的のために集まったんだと、再認識できる。
カタパルトに待機していたヘリのプロペラが回転し始めた。それを操縦しているのは、『七色の虹』だけじゃない。
『大地』や『空』の兵も乗っている。
さっき知ったことだが、他の2隊は『七色の虹』ほど、ヘリや戦車を持っていないらしい。だから、ヘリでこの戦艦にやってきては、『虹』所有のヘリや戦車に搭乗している。
そして、このヘリの操縦士たちと一緒に、由美のお姉さんもやってきた。
由美に付き添って、お姉さんと会ったとき、由美の本当の笑顔を見る機会に恵まれた。
人って、ああいう笑い方ができたんだ。
お姉さんと話す由美の笑顔は、そういうことを思い出させてくれた。
少しだけ話をしたお姉さんは、郁美という名で、由美よりも大人っぽかった。由美が子供っぽいだけかもしれないが、驚いたことに郁美さんの年は俺と同じだった。
一人っ子である俺と違って、2人の妹がいたから、いや、妹がいるから、自然と落ち着いた雰囲気が身についたんだろう。とてもじゃないが同い年とは考えられない。
郁美さんは、『偉大の大地』の隊長クラスだった。由美が『虹』であるように、血は争えないってことだ。
そして、由美は、基本は『大地』としてお姉さんと行動を共にすることになった。2年ぶりの再会とはいえ、姉妹であることもあり、連携はとりやすいからだ。
自然と、俺と正樹と紗希が、行動をともにすることになる。
隊長格は、全体の様子を判断して、行動するために、徒歩での進軍となっている。
がくんっ、と戦艦の速度がさらに落ちたとき、佐々木隊長がカタパルトに現れた。
全員の視線が集まると改めて背筋を伸ばす。
「諸君。ここまで来てくれたことを感謝する。ありがとう。 そして、この作戦を黙っていたことを許して欲しい。 精鋭部隊を創りだす必要があったのだ。 先に作戦を知られていては、それを創りだすことはできん。命を賭けて戦った者だけが、真の力を身につけることができるからだ。 全ては、あの島を潰すために。だから、黙っていた。諸君らが、真に戦う力を身につけるために」
佐々木隊長が、ゆっくりと俺達を見回す。
「この戦いが終わったら、『七色の虹』は解散する。『偉大の大地』も『蒼天の空』も同様だ。そして、再建するんだ。鍛えられた力を駆使して、諸君らが、この国を再建させてくれ。 私の出る幕は、これが最後だ。殺しあうのも、これで終わりだ。 だから、生きて帰ってこい! これ以上、誰も死ぬな!いいな!!」
誰もが、佐々木隊長を見つめていた。表情の変化がないはずの顔に、変化があるから。
佐々木隊長が・・・泣いている。
「もちろんです!必ず生きて!」
どこからともなく、声があがった。それをきっかけにして、同意の声が上がる。
「お前ら・・・」
その時、笑った。
佐々木隊長が笑った。
出会ってから初めて笑った。
胸に込み上げるものを感じる。
生きて帰ってこよう。誰も死なせずに。もう、誰も死なせずに。
だから・・・
美希。悠治。隆史。俺達を見ていてくれ。
戦艦が軽く揺れて、ほぼ同時に3つの戦艦が浜辺に乗り上げた。
管制室に残っているのは、4人。由美を除いた『虹』と佐々木隊長だけ。
由美は『大地』にいる。ここにいない兵は、戦車に乗っていたり、歩兵としてそれに付き従う者らだ。
機械の作動音が響く。
戦艦前面を開いて、戦車を出すために。
作戦が開始された。
この後、すぐに、ヘリによる空から森への一斉掃射がある。
正樹が立ち上がった。
「では、隊長。行ってきます」
「・・・ああ。死ぬんじゃないぞ。
お前らは、これからの世界を担う重要な存在だ。生きて帰って来い」
「はい。もちろんです」
頭を下げた正樹に倣って、俺と紗希も頭を下げて、管制室を後にした。
戦艦の外に出ると、浜辺に戦車が横一列に並んでいた。全部で50機はありそうだ。
ばばばばばっ!と、何機ものヘリが頭上を飛び越え、島の奥へと飛んでいった。他の戦艦からも飛んでいき、空に黒い染みを描く。
そのまま、森の上まで飛んでいき、台座に取り付けられた銃を森に向けて乱射している。
懸念している不測の事態は、まだ起きない。
赤い霧の発生だとか、何者かによるミサイル攻撃などはない。
突然出現した島だ。何が起きてもおかしくない。警戒は怠れない。
数十機のヘリは、ゆっくりと旋回しながら、森の隅々まで、丁寧に掃射している。
やがて、一機のヘリから数個の筒が落とされた。それを合図に、次々と落とされていく。すぐに、森が煙で満たされた。
それでも、何も起きない。
煙が晴れると、ヘリが戦艦に戻ってきて、次々に着艦していく。やがて、ヘリに乗っていた兵が前線に合流した。
次は戦車だ。
波の音だけが響く海岸で、中央の戦車が、動き出す。少し間をおいて、両隣の戦車も動き出す。その隣、その隣と次々に動きだす。
扇のような陣形を形成しながら、森へと進んでいく。
俺達が指揮する歩兵部隊も、後に続く。
森に入り、木々に太陽の光が遮られた。
入り込んだ光の少ない森は、どこにでもありそうな普通の森だった。
だが、どこか変な印象を受ける。
「怖いし、不気味だな」
正樹が、正直な感想を漏らした。
「ああ。俺も同感だ」
なんとなく、森全体に監視されているような感じがするのだ。
木一本一本が、俺達を見つめている。そんな気がしてならない。
前を行く戦車は、同じ速度で進んでいく。
周囲は、踏み潰される倒木の音やキャタピラの音で満たされている。それ以外には、何もない。近づいてくる人影や異常音もない。
順調すぎるほど順調に、島の中心へと向かっている。
この島は全長約10km。ということは、中心まで5km前後。
昼前後には、着いてしまう。
島の中心には、調査施設が建てられているはずだと、佐々木隊長は言っていた。
それの内部まで調べるのが、今回の最大の目的となっている。赤い霧について、なにか分かるかもしれないからだ。
唐突に真ん中の戦車が止まる。
波紋のように、それが両翼に広がっていき、徐々に静寂が戻ってくる。
「おいっ!これを見ろ!」
静寂が完全に戻ってきたとき、遠くのほうで、誰かが叫んだ。
『蒼天の空』の方だ。
そこで、何かを見つけたらしい。スコープを取り出して、声のしたあたりを覗き込む。
そこには蔦に絡まれた戦車の残骸があった。
「なんで戦車が?」
同じようにスコープを覗き込んでいた正樹が、疑問を口にした。
「救出部隊」
答えたのは、紗希だった。
「2年前の赤い霧発生時に、世界各国から送り込まれ部隊の物じゃないかしら。これだけ蔦に絡まれているんですもの。そう考えるのが妥当よ」
スコープの先で、勇気ある一人の兵が、戦車の中を覗き込んでいた。
が、すぐに戦車の横まで滑るように移動して、胃の中のものを吐き出した。
中は見ないほうが良さそうだ。
既に2年経っている。腐っているどころか、もう骨になっているはず。
腐りかけも想像できないほど気持ち悪いだろうが、完全な白骨もそうとう応えるものがあるに違いない。
しかし、分かったことがある。
赤い霧は、死んだ大人を消さないということだ。戦車に乗っているということは、軍人。つまり、大人。死因は分からないが、死んだ者は消さないらしい。
正樹が、スコープをしまう。
「うん。紗希の言うとおり、救出部隊のものだろうね。 それに、これから先、ああいうのが多くなるはずだ。いちいち構っていられない。無視して、中心まで進軍しよう」
そして、後ろに控えていた2人に指示を出した。それを受けた2人が両翼に散っていく。各隊長に指示を伝えるためだ。
『虹』は正樹、『大地』は佐伯、『空』は武藤、という隊員がそれぞれ指揮を取っている。
2人が戻ってきて、残りの隊長も同じ考えです、と言っていた。
正樹が手を上げると、止まっていた戦車が再度動き出した。
そして、しばらくすると、正樹の予想通り戦車の残骸が現れ始めた。
しかし、それからは何の変化もなく、進軍は続き、昼がやってきた。
だが、島の中心へは辿り着かない。
おかしい。
誰もが気づき始めた。
道を間違えたのかもしれない。
正樹は、そう判断して、戦車を止めて、警戒しながらの休憩を指示した。
再度、後ろに控える2人に指示をだす。
すぐに、両翼から、見知らぬ誰かが、見知らぬ数人を伴って戻ってきた。
たぶん、隊長とそれに準ずる者たちだ。
中心で指揮を取っているのは『七色の虹』だから、左右を固める隊長が、ここに来るのは自然な流れだ。
「なぁ・・・おかしくないか?」
そう切り出したのは、『大地』の指揮をとる佐伯という男だった。
「私もそう思うわ。なんで、まだ島の中心に着かないの?」
驚いたことに、『空』を指揮している武藤は女だった。
「道を間違えたかな?」
正樹の言葉に、2人は首を横に振った。
「それはありえないわ。この森に入るとき、正確に中心までの最短距離を測って、ここまで来たじゃない」
「それに、これだけ横に広がって進んでいるんだ。 道がずれていたとしても、どこかで中心にある調査施設を見つけられるはずだろ?」
武藤の言葉に同意するように、佐伯が意見を出した。
「じゃあ、なん・・・今度はなんだ?」
話し合いは、ざわつきで遮られた。
どうやら騒ぎ始めたのは、右側を固めている『空』だ。さっき古びた戦車を見つけたのも『空』に属する隊員だ。
また、何か見つけたのかもしれない。
「私の部隊ね。なにかあったのかしら?」
武藤が足早に去っていく。
正樹と佐伯は、それからも話い合いを続けていたが、それもすぐに中止となった。
戻ってきた武藤の顔が、これ以上ないほどに真っ青だったからだ。
「すぐに来て」
異常事態の発生を、この場にいる隊長格は瞬時に理解した。
「坂本と駿は、俺と一緒に来てくれ。あとは持ち場に戻るんだ」
佐伯が『空』へと歩き出す。その後ろには、2人の男が従う。
「園寺、一緒に来てくれ。紗希は残って、俺がいない間の万が一の指揮を頼む」
正樹の後を追って向かった『空』は、明らかに浮き足立っていた。指揮系統がめちゃくちゃというより、もう混乱の境地にあった。何を言われても受けつけない。そんな状態だ。
その間をすり抜けるように辿り着いた先には・・・
戦車があった。
だが、この戦車は・・・
「馬鹿な・・・こいつは」
佐伯の搾り出すような声が届く。
「そういうことかよ・・・!」
正樹が戦車を殴りつけた。
「私たちは・・・」
武藤が、小さな声で喋りだした。
その視線の先には、地面にぶちまけられた黄色っぽい液体がある。
・・・そう。戦車内を覗き込んだが吐き出した胃の内容物。
ようするに俺達は・・・
「この森に捕まったのね」
武藤の声が嫌に遠く冷たく聞こえた。
誰もが憔悴しきっていた。
歩けども歩けども、どこにも辿り着けない。
それどころか、太陽さえ沈まない。空は、ずっと明るいままだ。
だが、時間はきちんと流れているように、歩く音だけが森に響いている。
うるさかったキャタピラ音ももうない。
どれぐらい前だろうか?
全ての戦車が、燃料切れで動かなくなってしまった。もう戦車は、使えない。捨てた戦車群と巡り合ったのも、もう6回を数える。
それに、蓄積する疲労と襲ってくる空腹感が、本来なら既に夜になっていることを教えくれている。
残酷なまでに、時間は流れている。
なのに、島の中心どころか、逆側へも辿り着けない。
「・・・休憩にしよう」
正樹にも覇気が失せていた。
「了解しました・・・『虹』からの命令!全員、その場で休憩!」
さっきまで指示を伝えに走っていた2人も、その場で叫ぶことで、役目を全うしていた。
もはや、誰もが、精神的にも肉低的にも限界が近づきつつある。
食料も尽きかけている。武器がいくらあろうとも、それでは腹は膨れない。
「正樹。報告に来たぞ」
佐伯が1人でやってきた。
「また消えた。今度は12人」
「・・・そんなにか」
正樹がうな垂れた。
森で迷っていることが判明してから、起こり続けている怪現象。
人間が消える。
気づいたら、誰かが消えているのだ。
まるで、神隠しのように。
赤い霧は一切発生していない。
なのに、いざ探すと消えているのだ。これだけの視線の中を掻い潜って、逃げ出す時間はないから、本当に消えていることになる。
どの部隊も目に見えて数が減っている。
『虹』や『大地』はまだ良いほうだ。
『空』に至っては、もはや崩壊寸前に追い込まれている。残りは半数もいない。
なぜ『空』ばかりが、消えてしまうのかは分からない。だが、確実に数が減っているのは『空』なのだ。
と、背後から足音。
「正樹隊長って、どなたですか?」
また知らない男が、『空』からやってきた。
「ああ。俺だよ」
その男は、喋るのも面倒臭そうに大きな溜息をついた。
「今度は8人消えました。その中には、武藤隊長の代理を務めていた者もいました」
また『空』で指導者が消えた。
最初の犠牲者の中に武藤はいた。
『空』に属する隊長格の1人が、武藤に指示を仰ごうとしたとき、彼女の姿が消えているのを発見した。
それが始まりだったのかもしれない。
それ以降、どんどん数が減っている。武藤が消えてから、『空』は混乱しっぱなしだ。
それでも、新しい指揮者が必要となる。
しかし、それがまた消えたらしい。だから、また3人目の新しい隊長がやってきた。
「そうか。報告ありがとう。それで、君の名前は?」
正樹の言葉に、その男は、力なく微笑んだ。
「どうせ、俺も消えるんです。教える必要ないですよ。では、失礼します・・・」
去っていく背中を咎める者は、誰一人としていなかった。
「これで報告が正確なら101人ね」
紗希は、まだ平然としていた。だが、疲労を顔に出すことはないが、身体から滲み出てくる疲労までは隠しきれていない。
正樹が頭を掻き毟る。
「なぜ消えるんだ・・・」
襲いくる指揮者としての重圧に必死で耐えている。
その時、由美と郁美さんがやってきて、正樹の前に屈みこんだ。
「今度は21人・・・もう『七色の虹』は54人が消えているわ」
「これで、消えたのは122人・・・か」
正樹が何かを決めたように、厳しい口調で呟いた。
「もし、俺が消えたら・・・ 園寺、紗希、由美。この順番で、『虹』を指揮してくれ。 それと佐伯。総指揮は任せるからな」
正樹が消える。
そんなことありえない。
だが、それが伝えられない。
誰もが平等に消えてしまう気がする。
「分かったよ。もし、お前が消えたら、俺が総指揮をとる。 ただ、俺が消えたら『虹』の誰かが総指揮を頼む。俺の部下の隊長クラスは、皆とっくに消えちまったからさ・・・」
佐伯が『大地』へと戻っていく。
正樹は佐伯を見送ると立ち上がった。
「じゃあ、行こう」
行く手には、森が待ち構えている。俺達の仲間を消す森が・・・
正樹が消えた。
ほんの一瞬だった。
本当に一瞬だったのだ。目を離したのは。
紗希と由美の姿を確認した一瞬だった。
油断した。俺の認識は甘かった。目を離すべきではなかった。もっと近くにいるべきだった。
「西園寺君。まだ、そこにいる?」
だからこそ、左手に強く握りしめたこの手だけは離すわけにいかない。
「いる。紗希さんもいるな?」
「うん」
由美も消えた。郁美さんも。
消えたのはいつだったろう?それすら、判断できない。
確かなのは、正樹より後だということ。気づいたら、無邪気な笑顔が消えていた。
最後に、なんて言っていた?
もう疲れたかも。おんおん平気なの?だったか。
さすがに泣いてしまった。
それで、やっと気づいた。この気持ちは、美希を失ったときと同じだということに。
俺が、由美をどう思っているのか、失ってから気づいた。
やはり、俺は馬鹿だ。
失ってからじゃないと、気づけない。
だから、俺に残されたのは、葛城に言われた生きてくれという願いと、村上信哉から託された願いだけ。
紗希だけは、絶対に護ってみせる。
俺のためにも。村上信哉のためにも。そして、美希のためにも。
美希を護れなかったのに、紗希まで護れないなんて、そんなことあってたまるか。
「もう、これだけになってしまったのね」
紗希がどうでもいいという感じで呟いた。
残ったのは、18人。
『虹』だとか『大地』だとか『空』だとか、そんなの関係なくなった。
森に入った時はあれだけの兵がいたのに、今は・・・たったこれだけ。
『大地』の佐伯も、さっき消えてしまった。
最後に、笑いながらなんて言った?
もう疲れた。すまんな。後は任せた。だったか?
まぁ・・・どうでもいい。
今、総指揮をとっているのは俺だ。
だが、こんなの指揮するに入らない。
もう、ただの迷子だ。
そして、いずれ死ぬ。
ここに残った誰もが、それを覚悟し、命を諦めているのかもしれない。
だが、俺はまだ諦めたくはない。
「みきちゃん?・・・みきちゃん!?」
後ろから、誰かの叫び。また、一人消えたらしい。これで、残りは17人。
「隊長!また!」
すぐに、別の叫び。そうか、また消えたか。あと何人だ?16人?15人?14人?
・・・どうでもいい。もう、消えようがどうでもいい。
正樹も由美も消えてしまった。
俺が失いたくないと願った者は、紗希を残して、全て消えてしまった。
だから、俺は紗希を護る。
由美も正樹も消えた今、他の奴らが消えようがどうでもいい。俺に残されたのは左手に感じる暖かさだけだ。
「紗希さん。いるな?」
「うん。いる」
まだ、紗希がいる。それだけが心の支えだ。
「隊長!もう・・・!」
知らない誰かが叫ぶが、返事するのも面倒だ。自分らで、どうにかしてくれ。俺は紗希を護っているんだから。
それからも、ただただ歩き続ける。きっと、どこかに出口があるはずだ。
不意に、紗希が立ち止まった。
「もう・・・2人きりだね」
手を離せない以上、俺も立ち止まることになる。足音が無くなると、静寂に包まれた。俺達を包むのは風に揺れる葉の音のみ。
誰も、いない。
俺と紗希以外、誰も。
「誰も・・・いない」
400人近くいた戦力は、戦うことなしに、たった2人になってしまった。
この島に何があるのかも調べられず、ただ消えてしまった。
・・・俺達は、何しに来たんだろう?
「西園寺君。私、もう・・・」
なんか笑えてくる。こんな結末になるとは考えてもいなかった。赤い霧の化け物とでも戦うと覚悟していたのが、馬鹿らしい。
やれやれだ・・・な?
左手に冷たい風。
・・・えっ?
そこにあるはずの温もりはなかった。
「紗希さん・・・?」
恐る恐る振り返った背後に、紗希は・・・
いない。
・・・護れなかった。また・・・
護ることが出来なかった。
終わった。全て、終わった。
「どうして・・・こんなことに・・・」
『夕暮れ』を脱走してからも1人だった。
そして辿り着いた安らぎの地は、とても楽しかった。
由美、紗希、正樹、隆史・・・囲まれた生活が幸せだった。
でも、こうやって奪われた。
そして、最後に残ったのは、俺。
また、1人きり。
いつも一人きり。
なんか、もう・・・
疲れた。
途端に、意識が遠のく。
「・・・起きて!早く!」
頭に誰かの声が響く。
さらに、身体が揺さぶられるが、石になってしまったように動かない。目すら開かない。
ただ、周囲が騒がしいのだけは、よく分かる。しかも、人のざわめきだ。
「由美。まだ無理よ。西園寺さんは、最後にここに来たのよ。紗希さんだって、さっき起きたばっかだし。それに、皆だって、起きるまでには時間がかかったんだもん。
だから、もうちょっと待ちましょう」
「お姉ちゃん・・・うん。分かった」
由美・・・郁美さん?・・・紗希?じゃあ、正樹も生きているのか?・・・俺も生きているのか?
それを一刻も早く確認したい。
動かない身体に、力が入るか確認する。
手の指先が動いてくれた。かなり遠い場所で動いた気がしたけど、動いてくれた。
動く範囲を、徐々に広げていく。
やっと、目が開いた。
・・・人工物の中か?
周囲は、白すぎるほど白い。それに、あまりにも天井が高すぎて、光源が太陽の光なのか蛍光灯なのか、全然分からない。まるで、塔の中にいるみたいだ。
ただ、眩しすぎるほど明るいのは確かだ。
全力で、上半身を起こす。
「あっ!起きたぁ!」
駆け寄ってくる人影。
「お前!生きてたのか!?」
小柄な女性。由美だ。
「当たり前じゃん!それに、私だけじゃないよ!皆だよ、皆!」
よく見れば、数多くの人間がいて、それは3つの塊に分かれている。ざわめきも、そこから生まれている。
『虹』と『大地』と『空』・・・なのか?
どいつもこいつも、ぴんぴんしている。
・・・ここは、天国?地獄?
神隠しを経験したのだ。もはや、なんでもありな気がする。
「おんおん!あれ見て!あれ!」
状況が掴みきれていないところへ、明るい声が響く。
由美が示した先には、白い壁に貼り付けられたように、大きな扉があった。
「なんだ・・・このでかさは?」
半端ない。10階立てのビルはありそうな高さ。扉だと理解できたのは、両開きのための取っ手があったからだ。だが、取っ手の意味が理解できない。こんな扉を、開けられる人間なんて存在しない。
「大きいよねぇ。もしかして、巨人用の扉だったりして」
「・・・そうだな」
冗談なことを言うが、現実にありえそうな大きさだけに、同意するしかなかった。
だが、本当に何のための扉だろうか?
「園寺!無事だったんだな!」
扉の前に集まっている集団の中から、正樹と紗希がやってきた。
「見てのとおり無事だ。死んだかと思ったが・・・皆も生きているのか?」
「ああ。お前が、最後だったけど、皆生きて、ここにいる。けど、何だったんだろうな。あの神隠しみたいなのは」
「さぁな」
誰も死んでいない。なら、あの神隠しの意味は一体なんだったんだ?
「ところで、園寺。お前、意識が途切れる寸前、どんなこと考えてた?」
意識が途切れる寸前か・・・
「もう疲れた、だったな」
正樹の顔に、満足気な笑みが浮かんだ。
「やっぱりか。俺なりに、いろいろ考えてみたんだ。なぜ、どんどん消えていくのか? 初めは、体力不足の奴から消えていくんだと思っていた。でも、『空』の指揮者である武藤が、すぐに消えたことを考えると、そうじゃないんだ。答えは、疲れた、だ。これが、消える前兆。あのとき、誰もが疲れていた。どうでもいいほど疲れたとか、死んでもいい、と考えた奴から消えたんだ」
そういえば、由美と佐伯も、疲れた、と言っていた。
もう疲れたかも、おんおん平気なの?
もう疲れた。すまんな。後は任せた。
由美と佐伯は、口々にそう言っていた。
共通点は、疲れた、だ。
「正樹の考えは、正しいと思う。
由美も佐伯も、もう疲れたと言ってから消えた。俺も、同様だったからな」
「やっぱり。だけど、こんなことが分かっても、何の解決にもならないけどね」
正樹は周囲を見回して、溜息をついた。
「ここは、どこなんだろうな?」
どこまでも白い壁。あるのは、馬鹿でかい扉だけ。それ以外、出口すらない。
紗希が例の大扉に向き直る。
「あの扉が出口よね。どう考え・・・光っているの?」
ほぼ同時に、所々で騒がしくなってきて、扉を指さしながら叫びだす者もいる。
見つめた扉が・・・
輝きを増していく。
『皆さん・・・揃いましたね』
白い部屋に声が木霊した。
『私の声が届いていますか?』
なお、響いている声。
「落ち着け!落ち着くんだ!」
騒ぎ始めた連中の中から、佐伯の声だけが一際大きく響いている。
だが、それを遮るように銃声が響き渡った。
着弾先はあの大扉。
佐伯が隊長格に命じて『偉大の大地』内で銃を撃っている奴を取り押さえにかかっている。
正樹が『七色の虹』へと走っていく。
「皆!落ち着いて!静かにするんだ!」
俺と紗希も後に続く。
『七色の虹』にも、銃を撃っている者がいる。こいつらを黙らせなければ、落ち着くことなんてできない。
由美と郁美さんは、『大地』へと戻り、佐伯の手伝いを始めた。『空』も、武藤を中心に混乱を収めにかかっている。
それから、しばらくして、やっと落ち着きを取り戻した。
『皆さん。混乱しないで聞いてください』
声色は優しく、逆立った気を宥める効果があるようで、まだ微かにざわついていた奴らも静かになった。
耳が痛いほどの静寂が訪れた。
『静かになりましたね』
まるで、どこかから見ているかのように、俺達の状況を掴んでいる。
『私は、マザー。この島の機能を司っている人工知能です』
白い部屋にスピーカーの類などは見当たらない。至るところに声が反響しているために、音源も掴めない。
また、周囲が微かにざわつき始めた。
『静かにしてください』
怒ったような口調。まるで人間のようだ。
『あなた達が、ここに来た目的は、赤い霧ですね?』
静かになった途端に、問いかけてきた。
だが、誰も答えようとはしない。全員の視線が、総指揮の正樹へと集中している。
『赤い霧ですね?』
強い口調で重ねて聞いてきた。
「・・・そうだ。もう二度と、あの赤い霧が発生しないように、ここに来た」
正樹が強く宣言した。
『そうですか。ですが、貴方では赤い霧に関する権利はありません』
「どういうことだ?」
『貴方は人間が消える現象に誰よりも早く気づけました。ここにいる人間の中では、誰よりも賢いのかもしれません。ですが、貴方に権利はありません。権利があるのは・・・』
扉の中央から、レーザーのように白く輝く光が伸びてきて、俺の胸に照射される。
『貴方です。最後まで残った者よ』
「・・・俺が?」
俺の呟きに、全員の視線が、正樹から俺へと移るのを感じた。
『今まで、貴方のように選ばれた人間は2人いました。1人は、2年前の赤い霧を解き放った者。1人は、つい最近赤い霧を解き放った者。
そして、貴方は、3度目の赤い霧を解き放つか決める者』
衝撃的な事実を突きつけられた。赤い霧の発生が、自然現象ではないということ。
「・・・つまり、今までの赤い霧は、人の手によるものなのか?」
『そうです。私は、選ばれた者の意思に従って、あの扉を開くか開かないか決めるだけ。あの扉は霧を呼び出すためのものです』
心に、猛烈な怒りが湧き上がってきた。
「・・・ふざけるな!俺の両親!親友!好きな女性を奪ったのは、俺と同じ人間だと言うのか!?」
『そのとおりです』
それがどうした?と言わんばかりの口調。
「お前が、その扉を開くことで、どれだけ多くの人間が悲しむことになるのか、知らなかったのか!?」
『知るもなにも関係ありません。私は、選ばれた者の意思に従うだけ。それ以外を判断する能力はありません』
「・・・そうかよ」
怒りを通り越して、呆れてしまった。ここまで冷淡なのは、さすがコンピューターということだ。
「なんで、俺が選ばれし者なんだ?」
『貴方が、生きる、ということに一番執着していたからです。今までも、最後まで消えなかった者を選びました。それは、その者が、誰よりも生きることを諦めなかったことを表しているからです。その源はなんなのでしょうか? それを示してください。そうすれば、赤い霧をどうするかを決めることが出来ます』
ぎぎぃぃぃ・・・
静かにゆっくりと大扉が開いていき、中の様子が知れた。
その中には、赤いものが蠢きながら、時おり溢れ出しそうになったりしている。一刻も早くここから出たい、そんな動きだ。
『さあ、選ばれし者よ。この中でその思いを示すのです』
あの中に入れと・・・
「・・・分かった」
たった一人で扉へと歩いていくが、何故か心は落ち着いていた。
もしかしたら、死ぬかもしれないのに。
でも、世界を護れるなら、それもいいかもしれない。美希と悠治、隆史にも会える。
だから、世界のために死んでもいい。
・・・でも、由美、正樹、紗希。
俺は、やっぱり・・・
「園寺!」
「西園寺君!」
その呼びかけに心が決まった。
「心配いらないよ。2人とも。俺は『七色の虹』が好きだ。それに、こんなになった世界も。皆がいてくれるから。正樹、紗希、由美、『夕暮れ』で助けた6人・・・だから、俺は帰ってくる。再建するんだろう?この世界を。一緒に、再建しようぜ。俺達の手で!」
「・・・ああ!待ってるからな!」
「私も、待ってる!また、お姉ちゃんのこと、いっぱい話そうね!」
背を向けたままで、手を天に向け高々と突き上げた。絶対に、帰ってくる証として。
そして、扉へと歩き出す。
一歩一歩しっかりと。
『虹』だけじゃなく、『大地』や『空』からも、励ましの声が聞こえる。
「任せとけ!絶対に勝ってみせる!」
宣言した。心の底から。
俺は、やっぱ好きだ。
この世界に生きる全てが。
今まで、生きるために散々殺してきた。殺されそうになった。
それでも、好きだ。
自分勝手な想いなのは、分かっている。
だが、どんな世界でも、生きていたいと願う人間の本質は変わっていないと思う。
生きていたい。死にたくない。
だからこそ、俺達はここに来た。
ここに来た奴らは、復讐心とともに、誰もがそう思っている。
だから、これだけの活力があれば、崩壊前の世界を取り戻せる。
俺が、その最初の一歩。
赤い霧に勝つ。
このことが、これからの世界を切り開く。
そして、俺はその世界で・・・
俺は・・・生きていきたい!
一歩一歩、ゆっくりと確実に歩いていく。
「おんおん!」
俺が、一番聞きたかった声。
一番見ておきたかった姿。
それが、目の前に滑り込んできた。少し息を切らしている。どうやら、全力で『偉大の大地』から走ってきたようだ。
「死なない・・・よね?」
泣きそうな顔で、そう聞いてきた。それを見て、思わず笑みがこぼれた。
「当たり前だろ?絶対・・・絶対に由美がいる場所に帰ってくる。だから・・・お前に待っていてほしい。俺の帰りを。待っていてくれるか?」
「それって・・・」
由美の顔が赤くなった。
「これ以上はまだ言わない。俺が帰ってきてから伝えたいからな。いいか?」
「・・・うん!」
頷きとともに抱きついてきたが、それを引き離すことなんて、もうしない。逆に、しっかりと抱きしめる。
「お、おんおん?」
いつもどおりに、引き離されると思ったんだろう。だからこその戸惑った可愛さ。
由美は俺から離れようとしばらく抵抗していたが、やがて小さな身体から強張りが消えて、背中に腕を回してきた。
こんなに小さい体でも、こんなに暖かい。
生きていたいと、主張しているように。
まだ由美を放さない。放したくない。
ここが、俺の帰ってくる場所。
それをしっかりと刻み付ける。
『選ばれし者よ。早く』
マザーが急かしてきた。
どうやら、400人の兵が、少しずつ扉に近づいているのが原因だろう。
俺、一人しか入らせない気だ。
・・・いいだろう。やってやるさ。
一際強く由美を抱きしめ、その体を放す。
「皆は待っていてくれ!これは、俺の役目だ!信じて待っていてくれ!」
由美の耳元まで顔を近づける。
「行ってくる」
「・・・うん。私、待ってるから」
頭を撫で、扉へと向かう。
赤く蠢いている扉の中へ入る。
視界が赤くなっただけで、身体が熱いとか、そういうのは無かった。
振り返ると、皆が手を振っていた。
笑顔、笑顔、笑顔・・・皆が、笑っていてくれている。湧き上がっている歓声は、わけの分からない木霊となって、届いてくる。
満たされる思い。
それって、こういう感じなんだろう。
扉が、音を立てて閉まり始める。
その瞬間、由美が駆け寄ってきた。
・・・馬鹿が!面倒なことを・・・!
そう思った矢先、郁美さんが、由美の肩をしっかりと止めて微笑んできた。俺も、微笑むことで、それに応じる。
まったく、ぎりぎりまで驚かしやがって。まぁ、そこも好きなんだがな。
『へぇ~。可愛い子じゃんか』
背中からの冷やかし。
だが、驚きはなかった。現れるような気がしていたから。
「・・・よう、悠治。久しぶりだな」
『いいのか?美希は』
右隣に、赤い姿の悠治が浮かび上がった。
「そんな意地悪なこと、言うなって」
『意地悪、ねぇ・・・美希、どう思う?』
俺の左に紗希によく似た赤い幻影が浮かび上がる。
『信哉ぁ・・・?こうやって久しぶりに会えたっていうのに・・・いきなり浮気宣言?私という者がありながらぁ・・・』
美希が、握り拳を見せてくる。
「怒らないでよ。美希。俺は、今でも、いつまでも、お前が好きだよ。本当に」
『・・・分かってるわよ。そんなこと』
「ごめんな。でも、俺は生きているんだ。身勝手だけど、誰かを好きになることだってある。 それが、あの子だったんだ。 由美といると、美希みたいに落ち着くんだ。楽しいんだ。だから、ごめん・・・」
美希が優しく微笑んだ。
『ああ~・・・敵わないなぁ。そんな顔されたら、何も言えなくなっちゃうじゃない。今の信哉の顔、私を見るときと同じなんだもん。でも、これで安心した。私も愛されてたってことが知れて。だから、本当に好きなんだね・・・だったら、大切にしなさいよ!』
心から笑ってくれていた。
「ありがとうな・・・あっ。美希さ、お姉さんがいるだろ?」
紗希のことを思い出して、それを尋ねた瞬間、美希の笑顔が沈んだものに変わった。
『・・・うん。いるよ。小さい頃に、生き別れた、紗希って妹が・・・ 今まで、言わなくてごめんね。信哉に、心配かけたくなかったんだ・・・って、なんで知っているの?』
「あそこ、見てみな」
閉まりつつある扉から一点を指さす。そこには、他の奴らから数歩前に進み出ている正樹と紗希がいる。
「ほら。あそこに、お前そっくりの人がいるだろ?黒髪の人」
小さな驚きの声とともに、美希の瞳に涙が浮かぶ。
『・・・紗希?』
「ああ。あの人の彼氏が『夕暮れ』まで、お前を探しに来たんだよ。その彼氏ってのが俺と同じ名前で、顔までそっくりでさ。でも、正直、驚いたよ。紗希って、お前そっくりなんだもんな」
『双子なんだから、似てて当たり前よ。でも、生きて・・・生きてたんだ・・・良かったぁ!信哉!絶対に帰るんだよ!紗希も護ってね!』
「ああ!任しとけ!」
迷うことなく、美希の目を見て宣言した。
それは、こうして美希に会えたから。どんな理由であれ、また美希に会えた。こうして話すことが叶った。笑顔を見ることが出来た。
だから、紗希も護ってみせる。
村上信哉と美希からの願いを心に刻みながら、これからの世界を生きていく。
それが、俺に出来ることだ。
『2人とも。名残惜しいが、そこまでだ』
悠治が俺と美希に頷いてきた。
『そろそろ始まるぞ』
鋭い眼差しで、背後を睨みつけている。
悠治と同じように睨んだ背後には、赤い霧の中に何かの景色が揺れている。
それが、だんだんと近づいてくる。まるで、閉まる扉と反応しあっているように。
『お前は、あそこで、自分の思った通りに動けばいい』
「あそこには何が?」
『それは言えないことになっている。俺達は、マザーに呼び出された幻影に過ぎない。全てはお前にかかっている』
「全てが俺に、か・・・」
悠治が、俺の前へと回ってきた。不敵な笑みを浮かべている。
『心配か?だが、お前は強くなった。だから、もう平気だ。『夕暮れ』で指揮していた2番隊の隊長でいるような器じゃない。お前は、自分の力を信じるんだ』
「ああ。ありがとな。それもこれも、お前のおかげさ」
もし、悠治がいなかったら、俺はここにいない。とっくの昔に死んでいた。
だから、あの景色の中で戦うようなことがあれば、その力を見せてやる。
正樹も、隆史に力を見せたいと、決戦前夜のあの日に言っていた。
正樹が叶わないことを実現できるかもしれない俺は、幸せに違いない。
美希も、俺の前に回りこんできた。
『大丈夫だよ!信哉は、この世界が好きなんでしょ? だったら、平気だよ!自分を信じて。私を信じて。悠治を信じて。皆を信じて。それさえあれば、赤い霧に勝てるから!』
「・・・ああ!」
景色が近づいてきた。もう目の前。
『行くぞ!二人とも!』
赤い光に飲み込まれる。
・・・そこは、懐かしい場所だった。
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