第4話  再来

 くそっ!なんて速い動きだ!

 こんな奴を、今まで相手にしたことはない。

 ドロップ、スマッシュ・・・どっちに落としてくる・・・前か!

 絶妙にネット際へとシャトルが落とされた。

「イェ~イ!私の勝ちぃ!」

 予想外。由美が、ここまで巧いとは・・・

「おんおんさん、弱い~!」

 新しい6人の存在が、コート外から叫んでいる。『夕暮れ』で助けた奴らだ。

 俺と由美で監視するという条件で、佐々木隊長を説得して、なんとか話をつけた。

「くっ!まだ第一セットだ!」

 コートチェンジのため、ネットをくぐる。

「園寺~!どうしたぁ~!?」

 正樹の声が、訓練場に響き渡る。その横には、仏頂面の隆史がいる。

「まだウォーミングアップだ。俺は、体力温存型なんでな。今からだ」

 そんな嘘をついたが、実際問題として由美は半端なく強い。

 スマッシュは決して強くないのだが、体力を奪うように前後左右に移動させてくる攻撃が、かなり巧い。しかも、フェイントに至っては、とても中学生レベルとは思えない。

 対して、俺はスマッシュで一気に勝負を決めるタイプだ。

 技の長期戦型と力の短期決戦型。

 由美の鍛えられた動体視力は、俺のスマッシュをことごとくとってしまう。

 こうなると、長期戦型のほうが有利だ。

 それに、鍛えられた戦士としての体。

 なんというか、もはやバドミントンの域を超えている気がする。

 ぴっ!と審判の紗希が、笛を吹いた。

「第二セット始めるわ。サーブは由美ね」

 驚いたことに、紗希は一度でバドミントンのルールを覚えてしまった。

 さすが『虹』と言ったところだろう。

「うん!いっくよ~!」

 由美が、ラケットを構えて、ロングサーブを放ってきた。頭上を越えたシャトルを打ち返すために、後ろへとステップを踏む。

 由美の利き手は右だから、打ち返しにくい左側後方へと弧を描くように打ち返す。

「ふふん。甘いよ~!」

「ちっ!」

 小さい身体の割に、細かいステップを駆使して、素早く移動してくる。

 シャトルの下に潜り込んだ由美は、ラケットを小刻みに動かしながら、落ちてくるシャトルとのタイミングを計っている。

 いらつく動作だ。どこに打ってくるかを考えていると、どうしても次の行動に迷いが混じり、遅れが生じてしまう。

 由美がジャンプした。

 スマッシュだ。身長がネットと同じくらいだから、飛ばないとシャトルに角度がつけられない。スマッシュに備えて、コートの後ろ側へと後退する。

 由美の頭上に、シャトルが落ちてくる。

 来る!・・・っ?

 だが、頭上のラケットを、シャトルを横払いするように構え直した。

 その顔が、微かに笑っている。

 ・・・しまった!

 ネットへと走りよるが、もう遅い。

 着地寸前に横から払われたシャトルは、右前のネット手前へと鋭く突き刺さった。

「はいっ!私の先制!」

 なんてしなやかな動きをするんだ・・・

「くっそぉ・・・」

 負けだ。どう考えても由美の方が強い。

 第1セットも、5ポイントしか取れなかった。しかも、由美の攻撃的な攻めのミスで。俺の実力じゃない。

「負けだ!負け!俺の負け!」

 コートへと寝転ぶ。対照的に、由美は飛び上がりながら喜んでいる。

「えっへん!全国大会個人の部で準優勝した私に勝てるはずがないのだ!」

「・・・マジかよ」

 どうりで強いわけだ。高校市大会優勝レベルでは勝てるわけがない。

 地区、市、県、そして全国大会。

 高校と中学の違いがあっても、全国レベルは半端ない。次元が違う。あの夜に由美が見せた自信には、確かな裏づけがあったんだ。

「次は私が由美とやるわ」

 紗希が上着を脱ぎ、長い髪を後ろで結った。

「・・・紗希さん?」「紗希?」

 俺と由美が同時に呟いた。

「西園寺君、ウォーミングアップを手伝ってくれるかしら?」

「あ、ああ。別に構わないが・・・でも、紗希さん、バドの経験は?」

 素人が由美に勝てるわけがない。試合にすらならないだろう。

「いいから手伝って。その間に由美は、体力回復のために休んでいてくれるかしら」

 由美が、コートから出ていく。

「分かったよん。でも、素人だからって容赦はしないからね」

 由美と入れ替わりで、紗希がコートに入ってきた。

「ほら。早く立って」

「・・・了解」

 疲れた身体に鞭打って立ち上がると、隆史がシャトルを投げてよこした。それを、空中でキャッチする。

「じゃあ、いくよ」

 打ちやすいように紗希の頭上へとシャトルを打ち上げる。

「おっ?」

 無意識に声が出た。紗希のラケットの構えが、熟練者のように綺麗だったからだ。

 由美の構えを見て真似たんだろうが、かなりのものだ。それに、左手を空中へと突き出して、シャトルとの距離を測っている。

 さすが『虹』だ。なにをやっても呑み込みが早い。

 なかなかきつい打ち返しをしてくるかもしれない。なんとなく期待が湧いてきた。

 と、紗希がジャンプした。

 どうやらジャンプスマッシュまで真似るつもりらしい。

 意気込みは賞賛ものだが、素人がそれを真似できるほど、バドの世界は甘くない。

 がたんっと椅子が倒れる音。

「おんおん!集中!」

 由美が立ち上がっていた。しかも、顔は一切笑っておらず、真面目そのものだ。

 視線を紗希に戻すと、まさにラケットを振り下ろす場面だった。

 そして、ラケットを振り下ろした。

 乾いた音をたてたシャトルが・・・

「えっ?」

 ・・・消えた?

 ぱしんっ!

 音がした左後方へと視線を送ると、シャトルが転がっていた。

 ・・・見えなかったのか?

「おんおんさん、弱い~!」

 高校で拾った6人組に、また笑われた。

「西園寺君・・・やる気ある?」

「・・・あるさ」

 やっと気づけた。紗希もバド経験者だ。しかも、あの速さ。全国レベルに違いない。

「あ~!思い出した!」

 由美が、思いっきり大声をあげて、紗希を指さしている。

「お蝶婦人!」

「はっ?」

 なんだ?それは?某有名漫画にそんなのがいたような気はするが・・・

「おんおん、知らない? 大学の代表選手まで倒しちゃうような、ってか、実際に倒しちゃう高校生がいたの! 年齢なんて関係なく、誰にでも勝っちゃうような人が!テレビでも特集されたりしたんだよ。未来のエース!って。 素早い動きと華麗なテクニック・・・ お蝶婦人・・・それが紗希だったんだね」

「そう言えば・・・」

 高校のバド部女子部員が、そんなことを話していた・・・それが紗希なのか?

 本当かと思い見つめた紗希は、少しだけ顔を赤くしていた。

「そのお蝶婦人って呼び方は嫌なのよ。なんか古いじゃない」

 どうやらお蝶婦人は、紗希で間違ないらしい。由美が俺のコートへと入ってくる。

「へっへ~。だったら、相手にとって不足無し!おんおん!早くそこから退いて!」

「・・・了解」

 コートの外へ出て、隆史の横にある椅子に腰掛ける。

「これは、すごいことになりそうだな」

 隆史がコートに目を向けたままで、話しかけてきた。

「だな。2人ともすごい実力だ。これも、さすが『虹』ってところか」

 全国大会の決勝以上の戦いが繰り広げられる。コートの熱気が、それを物語っていた。


「ぶぅ~・・・」

 空は抜けるような青で、まだ続く午後を描いている。その下で冷たい風に当たりながら、身体の火照りを覚ましているところだ。

「ぶぅ~・・・」

 試合をしていたのは、紗希と由美だったが、それを見ていた俺や正樹や隆史も、体が熱くなっていた。

「ぶぅ~・・・」

 それほど想像を絶する試合だった。これから先、あれほどのものを見れることはない。

「ぶぅ~・・・」

 しかし、由美の機嫌が直らない。いつまでも不機嫌でいられるのは、なんとなく困る。

「由美。負けたのは仕方ないだろう。紗希さんのほうが、経歴も長いし、年齢を考えれば身体能力も上なんだからな。そう考えれば、お前はよく頑張ったよ」

「でもぉ・・・」

「よく頑張った」

 由美が納得できないのも無理はない。

 紗希が手を抜いていたからだ。

 俺からでも、それが分かった。なのに、俺より実力があって、勘の鋭い由美が気づかないわけがない。負けたことよりも、手抜きされたことが気に入らないんだろう。

「半年ぐらいね」

 紗希が口を開いた。由美ほど汗かいてない。このことが紗希の実力の高さを示している。

「中学生レベルで、その実力はすごいわ。だから、由美も半年ぐらい練習すれば、私みたいになれるわよ」

「・・・うん!ありがとっ!」

 てへへっと無邪気な笑顔を浮かべた。やっと機嫌が直ったらしい。

「さてっと!由美の機嫌も直ったことだし。全員、俺に注目!」

 正樹が両手を大きく振る。全員の目が自分に集中したことを確認すると、うんうんと頷いた。

 ・・・ん?どうしたんだ?

 隆史の様子がおかしい。いつも無表情の隆史が、もじもじしながら落ち着きない視線で正樹を見ている。

 その視線に気づいた正樹が、隆史に笑いかけてから俺達へと視線を戻した。

「皆さん!今日は、なんと隆史が20歳になった誕生日なんです!」

「えっ!?そうなの!?」

 由美が、元から大きな目を、さらに大きく見開いた。

「ま、正樹。別にそんなこと言わなくてもいいだろうに・・・」

 隆史が、おろおろしている。

「これは、パーティーを開くしかないわ」

 紗希が楽しげに宣言した。

「私も賛成!やろうやろう!」

「俺も賛成だ。やるしかないだろう」

 こんな世界だ。楽しいことなんて滅多にない。やれることは、やるに限る。

 ・・・前の俺なら、こんなことやる気すら起きなかっただろうな。

 俺は、弱くなったんだろうか?

『夕暮れ』と戦って以来、心のどこかが変わりつつある。優しい考えというか、甘い判断を下すようになっているような気がする。

 そんな考えも、信哉が3回手を叩く音で掻き消された。

「よしっ!じゃあ、準備だね!」

「ま、待て!正樹!」

 思わず身が漏れる。大きな身体が、慌てて追いかける様は面白くてならなかった。


「さすがに苺は無理ね」

 紗希が残念そうに呟くと、反応したように由美が机に突っ伏した。

「駄目だぁ・・・やっぱりケーキもどきが限界だよ・・・」

『虹』の権限で、調理室の一角を借りて、ケーキを作っているところなのだが・・・

 材料が圧倒的に少ない。

 賞味期限切れの材料が多すぎる。だが、そこは目を瞑った。きっと腹は壊さない。大丈夫。隆史だから大丈夫。

 それでも、ケーキもどきが限界だった。

 だが、祝う気持ちこそが大切だ。そう思う。

 俺は、きちんと心から祝える。人を祝うなんて2年ぶりだ。そう考えると、なぜか胸に込み上げるものを感じる。

「正樹の手伝いに行ってくる」

 ここは、女の子だけで充分だ。こういう作業に男の手は必要ないだろう。

「あ、うん。いってらっしゃい」

 突っ伏した由美が振ってきた手に送られながら部屋を出た。

「園寺~。その端を、入り口のでっぱりに巻きつけてくれ」

「了解・・・よし。これでいいか?」

「うん。上出来だよ」

 飾り付けをしているこの部屋は『夕暮れ』の作戦会議をした場所だ。一般兵に何の影響も与えずに楽しめる場所はここしかない。

「しかし、よくこんな物があったな」

 俺が手にしているのは、どれもこれもパーティーグッズ。どう考えても、基地には不必要な物でしかない。

「近くのデパートにいっぱいあったから、ちょっとね。こんな風に、使うこともあるだろうと思ってさ。持ってきておいたんだ」

 正樹が心の底から楽しげに微笑む。

 その笑顔に悠治が重なった。

「・・・大切なんだな。隆史のこと」

 俺の何気ない言葉に、正樹が飾り付けしている手を止めた。

「・・・あいつは、いつでも俺を助けてくれるから」

「えっ?」

 どちらかというと、正樹が隆史を助けているように見えたんだが・・・

 どうやら事情が少し違うらしい。

「・・・俺さ、いじめられっ子だったんだ。あの時は、女みたいに華奢な体だったし、気も弱かったから。

 でも、中学で隆史に助けてもらって。

 それからさ。強くなろうと思ったのはね。

 だから、俺がこうやって生きていられるのは、隆史のおかげなんだ」

「・・・そうだったのか」

 ・・・正樹は俺と同じだ。

 俺と悠治。

 正樹と隆史。

 違うのは、助けてくれた存在がまだ生きているということ。

 俺と美希。

 村上信哉と紗希。

 でも、村上に銃を向けた時のような感情は湧いてこなかった。正樹たちの関係を素直に羨ましいと思えるし、素晴らしいものだと思える。

 ・・・やはり、俺は弱くなりつつあるんだろうか?

 こんなに優しい考えかたをするなんて、もう出来ないと思っていた。

 それに、今の世界で生きていくために重要と決めたことの1つが、明確に揺らいでいる。

 誰よりも早く引き金を引け。

 村上信哉の死を見て以来、それが出来る自信が無くなってしまった。人が死ぬのを、最初から最後まで余すことなく見たのは、あれが初めてで・・・

 正直、怖かった。

 自分がしてきたことを、嫌というほど刻み込まれたから。

「ごめん」

 正樹が謝ってきた。

「・・・なぜ謝る?」

 自分の考えに耽っていたため、反応が遅れてしまった。

「お前と悠治って奴のこと・・・お前の気持ちも考えずに・・・だから、ごめん」

「そういうことか。気にするな」

 あれは『夕暮れ』を潰して、基地に帰ってきた夜のこと。正樹を含めた『虹』には、由美との約束どおり、俺の過去を全て話した。

 美希、悠治、『夕暮れ』・・・

 全てを話し終えても、『虹』の俺に対する態度は変わらなかった。いつものように話して、いつものように飯を食って・・・

 過去を知った上で、俺を認めてくれた。

 それが本当に嬉しくて、思わず泣きそうになってしまった。

 昔の俺に戻りつつある。

『夕暮れ』を潰して以来そんな感じがする。

 何が、きっかけになったかは、はっきりしない。村上信哉との出会いかもしれない。

 だが、弱くなった気がする一方で、強くなった心はそのままに、笑って過ごしていた俺が帰ってきている気がするのも確かだ。

 今、俺は自分が掴めない。

 その思いから頭を離したくて、梯子に跨っている正樹を見上げる。

「正樹にとっても隆史にとっても、楽しい誕生日になるといいな」

 正樹は、梯子を降りてきて別の飾り付けを手に取りながら、俺に目を向けた。

「そうだね。園寺にとってもね。お前も楽しんでほしいよ。俺達『虹』にとって、大切な仲間だし、なにより・・・」

 そして、にこっと微笑んでくる。

「友達じゃんか」

 友達。

 そんな当たり前の言葉、忘れていた。この2年間、忘れていた。覚えていたのは、敵か味方か、食えるか食えないかだけ。

 友達。

 もう失いたくない。もう二度と・・・

「・・・早く仕上げよう。時間がない」

 やっぱり涙腺がおかしい。泣きそうになるのを堪えて、飾り付けを再開した。

 綺麗に飾り付けられた部屋に、『虹』は集まった。基地内でも飾り付ければ、それなりの雰囲気は出るものらしい。

 この状況は、どう見たってパーティーだ。

「誕生日おめでとう!隆史!」

 由美が、少ない時間で作った紙の冠を、達也の頭に載せた。

「ありゃりゃ。ちょっと小さかったね」

 隆史の頭にある冠は半分も入っておらず、正樹が腹を抑えて笑いを堪えている。

「こいつの頭が大きいだけだって」

「むぅ・・・」

 普段から口数が少ないのに、今の隆史は顔を真っ赤にしながら、唸るだけの機械みたいになってしまっている。

「私からは、これね」

 紗希が、テーブルの下から、ケーキもどきを取り出した。

「材料がなくて、これが限界だったわ。味もたいしたことないけど」

「むぅ・・・」

 隆史が、全力で首を横に振る。

「いや。素直に嬉しい」

 流れ的に俺の順番だ。

「俺からは、これだ」

 少し大振りなナイフを隆史に手渡す。

「・・・これは?」

 隆史の不思議そうな呟き。それはそうだろう。誕生日に渡すような物ではない。

 けど、隆史に渡したかった。

「親友だった奴の形見さ。俺をここまで強くしてくれた御守りなんだ」

「そんな大切な物、貰えない」

「いや、受けとって欲しい。俺のためにも。誕生日プレゼントって感じじゃないけどな」

 俺が、新しい世界で生きていくこと。

『夕暮れ』から『七色の虹』にたどり着いた今・・・自分の気持ちにも、整理をつけないといけない。悠治を捨てるわけじゃない。

『お前は生きろ』

 悠治の死ぬ間際の言葉。葛城の願い。

 そのためにも、前に進まなくてはならない。

「・・・分かった。有難く貰っておこう。大切にするからな」

 隆史は、俺の思いをきちんと受け取ってくれた。

「俺からは、これだよ」

 正樹は、何故か泣きそうな顔をしている。そして、手の中には何かのケースがあった。

「正樹・・・これは・・・」

 隆史の目が、大きく見開かれた。

「やっと、これをお前に渡せる」

 隆史の震える手がケースを掴む。

「・・・ありがとう。すまない」

 隆史のお礼と謝罪。なにか二人だけの大切な物らしい。

 そして、正樹の顔に笑顔が戻る。

「さぁ!ケーキにロウソクだね!」

 紗希が、ケーキにロウソクを立てると、その後を追うように、由美が火をつけていく。

「・・・よいしょっと!これで最後だよ。準備完了!いつでもいいよ!」

 由美の言葉を受けた正樹が頷いた。

「じゃあ、隆史からの20歳になった感想の言葉を!」

 隆史は、俺達一人一人を見回してから、大きく息を吸った。

「まず、このような場を作ってくれたことに感謝したい。ありがとう。それで、20歳になったわけだが・・・俺は、この世界で生きていく限り、このままで過ごしていきたいと思っている。誰かを殺して、誰かから何かを奪って。

 それでも、正樹がいて、紗希がいて、由美がいて、西園寺がいて・・・そうやって共に過ごす時間が本当に楽しい。だから、これからもよろしく頼む」

 頭を下げた拍子に冠が床に落ちた。

 むぅっと唸って、拾い上げた冠を頭に載せた。何気ないことなのに本当に微笑ましい。

「じゃあ、隆史!ロウソクを吹き消してくれ。一気にね」

「むぅ・・・」

 赤い顔をした隆史がケーキの前まで進み出てきて、大きく息を吸い込む。

 皆がその様子を見守り、拍手の準備をする。


 その瞬間。


 目の前が。


 真っ赤になった。


 赤以外、何もない。何も見えない。何も聞こえない。

 この赤は・・・あの赤。

 俺の親を、世界中の大人を消し去った赤。

 ・・・吐き気がする。

 いきなり赤が晴れて、視界が戻った。

 消えたものは・・・

 隆史。

 残ったものは・・・

 隆史以外の全て。

 そして、俺の目に映ったのは・・・

 立ち尽くす正樹。泣いている由美。顔を震える手で覆い隠している紗希。

 そして・・・

 テーブルの上には、火のついたロウソクが刺さったケーキと紙の冠が・・・

 床には、俺のナイフと正樹のケース、そして隆史の服が、ただただ残っていた。


『なんてことだ。かなり悲惨だ。こっちは少なくとも98人が消えた。柿崎のところも、103人らしい。お前はどうだ?』

「今から調査するが、基地内の悲鳴と、お前らの人数から判断するに、おそらく100人前後だろう」

『・・・そうだろうな。もはや迷っている場合じゃない。残っている戦力でやるぞ。お前の部隊にも詳細を伝えて、数を確保しろ』


 日が傾き始めた。

 もうすぐ夕闇が訪れる。

 2年ぶりの赤い霧発生から、1時間が経とうとしていた。

 時間が経つにつれて、基地内は混沌を具現化したような状況になってしまっている。

 俺達は、その沈静化を任された。

 佐々木隊長からの放送で部屋に呼び出された『虹』と各部隊の隊長格は、基地内の混乱を収めるようにとの命令を受けた。

 しかし、3人の隊長格が姿を現さなかった。

 たぶん、もうこの世にいない。

 そんな中、今回の霧でも、佐々木隊長は消えなかった。大人なのに消えなかった。何か免疫みたいなのがあるのかもしれない。

 そんな考えを巡らしていると、廊下の突き当りから虚ろに歩く男が現れた。見た目は俺と同い年ぐらいだ。 その肩を強く掴んで、正気を取り戻させようとする。

「しっかりしろ!現実を受け入れろ!」

 力任せに身体を揺さぶらしても、何の反応も示さない。その目は俺を見ていない。

 駄目だ。俺の呼びかけなんて届いてない。

 手を離して基地内を駆け回る。

 廊下、中庭、通路・・・様々な場所に、数こそ少ないが主を失った服が転がっている。

 そして、その近くには、必ずと言っていいほど奇怪な行動をしている誰かがいる。

 狂ったように泣き叫ぶ者。なぜか、殴り合っている者。笑いながら走り回っている者。

 ・・・2年前。あの時と同じ光景が繰り返されている。

「西園寺さん!」

 一人の小柄な男が駆け寄ってくる。『夕暮れ』との戦いで、前線指揮を取った高橋だ。

 高橋とは、さっきの集合で初めて顔を合わした。一房だけ後ろ髪を伸ばしているのが特徴的で、2年前の赤い霧発生時から、一度も切っていないらしい。

 実際、2年前から、体や服に特徴を出す傾向が出てきて、高橋のような者の数は多い。

 それは、この世界で生きていく覚悟の表れなんだろう。俺が、悠治から託され、隆史に託したナイフのように。

「そっちは、どんな感じだ?」

 高橋は、荒い息を整えている。

「やばいっす。自分が確認したB地区だけでも、10人が消えてます。2年前と同じように、服だけ残して消えてますよ」

「・・・そうか」

 この基地はA~Jの10地区に分かれている。ということは、少なくとも100人前後は消えていることになるはず・・・

『七色の虹』はどうなるのだろうか?

「西園寺さん・・・」

 不安げな視線で俺を覗き込んでくる。

 いくら有能とはいえ、普通の世界なら、まだ中学生だ。不安になるのも仕方ない。

「高橋も大変だろうが頑張ってくれ。混乱を早く沈めるんだ」

「・・・分かりました!」

 快活な返答とともに決意を新たにしたように勢いよく走り出した。

 それを見送ってから、俺自身も走り出す。基地を沈静化させなければならない。

 だが、俺は、基地の沈静化よりも、ある人のことを考えていた。

 正樹だ。

 隆史が消えたあの瞬間。一番取り乱したのは正樹じゃなく、由美だった。

 正樹は、それを宥める役目。優しく冷静に、ただただ静かに由美を慰めていた。

 それが逆に怖い。

 親友の死を当たり前のように受け入れ、今も『虹』として、基地の沈静化を積極的に指揮している。

 その姿が怖いくらい任務に忠実で、なんだか正樹を直視できない。

 正樹は、もう壊れているんじゃないか?

 そう感じてしまう。親友の死が、正樹の心を壊してしまった。今は基地の沈静化という目的があるから、目を逸らしていられる。

 だが、これが終わった時は、嫌でも現実を見つめなくてはならない。

 美希と悠治を失った気持ちと同じようなものが、正樹に襲いかかる。友が消えた時と親が消えた時の衝撃は、種類が違いすぎる。

 親が消えてからの心のより所。

 それが、突然に消えた。2年前のように。

 ・・・正樹は、耐えられるんだろうか?

「おんお~ん!」

 背後から呼び止められる。

 由美だ。小柄な身体の後ろには、10人ほどの男がいた。

 ・・・なんだ?後ろの連中は?

「どんな状況!?」

「どう見ても悲惨だろうが!」

 まだ距離があるため、お互い怒鳴り声になってしまう。

 由美は、後ろにいる男達に顔を向け、左右を指さした。途端に、二手に別れた男たちが基地内に散っていった。

 それを見届けると、俺に向かって駆け寄ってきた。飛びつかれる寸前で避ける。

「あっ!なんで避けるの!?」

 やはり抱きつくつもりだったか。状況を考えれば、そんなことしてる場合じゃない。

「あの後ろの連中は、なんなんだ?」

 問いただす由美を無視する。

 いちいち相手をしていたら、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。

「あの人達は、ファンクラブの人達だよ。隊長格だけじゃ人手不足だからね。協力してもらってるんだ」

 ・・・由美人気、恐るべしか。

「由美が調べた地区はどうだった?」

「私が調べたF地区は、少なくとも8人が消えていたよ。おんおんは?」

「10人だ」

 やはり、100人は消えていると判断して間違いない。つまり、『七色の虹』の3分の1が消えてしまったことになる。

 ・・・村上信哉から伝えられた真実が、実行されるかもしれない。

 実行には、兵の数が必要だ。

 既に100人が消えてしまったからには、今すぐにでも実行されておかしくない。

 これ以上、損失が増えないという保障はどこにもないからだ。

『ぴんぽんぱんぽ~ん』

 普段から場違いな基地内放送音が、この異常な状況下で、さらに場違いに響き渡った。

『皆、落ち着いてよく聞け』

 佐々木隊長だった。

『諸君らに朗報がある。いいか。よく聞け。 消えた人間の仇が討てる機会がある。今すぐ、一人残らずC地区にある食堂へ集まれ。正気を失った奴らも引っ張ってこい。以上だ』

 途端に、重苦しかった基地内が生き生きとした雰囲気に包まれたような気がした。

 俺と紗希にだけは、理解できた。

 村上信哉の遺言。

 実行のときが訪れた。

 もう・・・

 戻ることはできない。


 夜の闇が基地を包んでいる。

 だが、今日ばかりは基地内の照明が消されることはない。

 佐々木隊長からの提案。

 これが基地内の雰囲気を変えた。

「おんおん、いる?」

 部屋の外から、由美の声が聞こえてきた。

「開いてるから、入っていいぞ」

「・・・うん」

 部屋に入ってきたが、声にも見た目にも、いつものような元気がない。

 原因は明らかだ。

 佐々木隊長からの提案。

 返事は、明日の夕暮れまで。

 今、基地内は大いに揺らいでいる。

 どれだけの隊員が、佐々木隊長についていくだろうか?

 決定権は個人に委ねられた。

 基地にいる全ての人間が迷っている。そして、それは『虹』とて例外ではない。

 紗希は、もうすでに実行を決めている。

 俺と紗希だけは、村上信哉から佐々木隊長の提案を既に教えられていたし、紗希の決意は『夕暮れ』と戦った帰り道で聞いていた。

 そして、正樹。

 正樹に至っては、痛々しいほど肯定的な意見だった。俺は、何が何でも行くよ。笑顔でそう宣言した。

 だが、由美との話が終わったら、正樹の部屋まで行かなければならない。正樹の本心が知りたいから。隆史の名を一度も口にしていない姿は、間違いなく無理している。

 最後に、由美。

 由美だけは否定的なのが肌で感じられた。

 いつもなら笑顔で返答する子が、笑うことなく曖昧な返事を残して、足早にその場を去っていった。その様子から、勝手だが由美は行かないと判断した。だから、由美がそう決めているなら、それでいいと思っていた。

 そんなとき、こうやって俺の部屋までやってきた。

 由美はベッドに腰かけるが、部屋に入ってから、一度も俺と目を合わせていない。

「由美?」

 呼びかけても、俯いた顔を上げようとはしない。だが、何か言いたいことがあって、ここに来たんだろう。

 だから、話し出すのを待つことにした。

「私は・・・」

 そうやって話し出したのは、ここに来てから10分経ったときだった。

「どうしたらいいのかな?」

「由美は、行かないんだろう?」

 期限は明日の夕刻。時間はあまりない。

 回りくどく聞いても意味がない。核心をつくことで、由美の本心を知りたい。

「おんおんのくせに、よく分かったね」

 俯いたままで微かに笑ったようだ。

 だが、かなり弱弱しい。全力で微笑んだ感じだった。これだけ憔悴してしまうほどの理由があるはずだ。それを聞かなければ、どうにも答えることは出来ない。

「それだけ迷う理由はなんだ?」

 ここで、やっと顔を上げたが、微かに笑う顔は、なんとなく痩せていた。

「・・・お姉ちゃんと妹の仇を取れるんだから、私だって行きたいよ。でも・・・」

 そのまま黙ってしまう。時おり溜息。由美がこれだけ迷う理由。あれしかない。

「あの女の子達か?」

 高校で拾った『夕暮れ』の子供。由美が、自分達姉妹に似ていると言った3人の女の子。

「・・・うん。佐々木隊長の計画に参加して、もし私が死んじゃったら、誰があの子達を護るの?それに、足手まといでしかないあの子達は連れて行けない。けど、連れて行けないとなると、監視役の私かおんおんが、ここに残らないといけなくなっちゃうよね。だって、残らないと、あの子達を連れて行かなければならない。でも、そうなったら、まともに銃も使えないあの子達じゃ、なんかの脅威があったら、すぐに死んじゃうよ。でも、『虹』の私かおんおんが、今回の作戦に行けなくなっちゃったら、多くの『七色の虹』が死んでしまうかもしれない。敵討ちと多くの仲間、それか3人の子供。どっちを選ぶべきかは分かっているよ。でも、どうしても選べないの・・・」

 そうして、また俯いてしまった。

 由美の迷いを聞いても、どう答えていいか分からない。

 由美は、『虹』として『七色の虹』も、3人も助けようとしている。だが、現実問題として、それが不可能なのをよく理解しているからこそ、苦しんでいるんだ。

 片方しか選べない歯痒さ。痩せてみえるまで悩んでいる苦しさ。

 そんな由美のために、俺が出来ること。

「・・・由美。お前は行かなくていい」

「えっ?」

「俺が行く。だから、お前は、ここに残って3人を護るんだ」

「でも・・・いいの?今度は、なにがあるのか分からないのに・・・もしかしたら、死んじゃうよ」

「いいんだ。残ってくれ」

 それに、由美がここに来て話してくれたことで決心がついた。

 俺か由美。

 3人のために、どっちかが残らなければならないなら、由美が残るべきだ。3人を命がけでも護りたいのは、俺じゃない。由美だ。

『夕暮れ』で見せた由美の表情を思い出せば、同じような存在を放っておけるわけがないことがよく分かる。

 それと同じように、俺には、村上信哉から託された譲れない願いがある。

 美希の妹である紗希の彼氏からの願い。

 俺は、紗希を護らなければならない。

 紗希が行くなら、俺も行くべきなんだ。

「・・・紗希なの?」

 由美が腰掛けるベッドのスプリングが、座り直した動きに合わせて、音を出した。

「紗希がどうした?」

 いきなりの話題転換に、内心驚きながらも表面上は冷静を装うことが出来た。

「おんおんは、紗希のために行くの?」

「何を言ってるんだ?」

 嫌な予感がする。由美は、勘が鋭い。その事実が今更ながらに思い出された。

「紗希に『夕暮れ』で何があったの?」

「質問の意味が理解できない」

「そう・・・じゃあ、単刀直入に聞くね」

 由美の表情が厳しいものになって、下から睨まれるように見つめられた。

「信哉に会ったんだね?」

「会ってない」

 こう聞かれることは、ある程度予測できたから、今度も動揺することなく対応できた。

「それ、嘘だよ」

 由美は、微笑んだ。

「紗希の目。赤かったじゃん」

「前も言ったが、スモーク・・・」

 ふふっと、由美の声が漏れた。

「それも嘘。あれは、泣きはらした目だよ。私だって紗希と同じ女の子なんだから。あの目を見れば、何があったかぐらいは分かるもん」

 てへへっと小さく笑った。

「信哉・・・『夕暮れ』で死んだんだね」

「・・・・・・」

 見事なまでに事実を見抜いてきた。それに、妙な説得力がある。そのせいか、何も言い返せなくなってしまった。

 何か言わなければ、肯定していることになってしまう。なのに、なにも言い返せない。

「おんおん、死ぬ間際の信哉に何か頼まれんでしょ?紗希について、さ」

 答えるわけにはいかない。

 答えてしまえば、由美は何が何でも俺の代わりに、佐々木隊長についていくに違いない。

 俺も、どちらかと言えば、鋭い人間だと言われてきた。

 だから、村上信哉の遺言を伝えることが、俺と由美の関係に、どんな結果をもたらすかは予想できる。

 由美を好きか?

 自分でもはっきりとは分からない。嫌いじゃないのは間違いない。でも、恋人レベルまで好きかと考えると難しくなってしまう。

 正直、美希への想いのほうが、まだ強い。

 だが、由美から好きだと言われたら、美希への想いがどうなるか分からない。

 目の前に自分を好きでいてくれる存在がいるということは、もう存在しない者よりも、いろんな意味で強い気がする。

 だから、紗希を護るため、とは言えない。1%でも、好きだと言われる可能性があるのならば排除しなければならない。

 2度と美希を裏切るわけにはいかない。せめて、死んだ後は約束を護ってやりたい。

『信哉。今まで護ってくれてありがとう』

 だから、今までだけじゃなく、これからも美希の思い出だけは護ってみせる。

 これ以上、俺も他人も苦しませたくない。

「すまない。何も答えられない」

「・・・そっか」

 由美の口元に、寂しげな笑みが浮かんだ。

「おんおん。相談のってくれて、ありがとね。助かったよ」

 ベッドから立ち上がって、ドアまで少し早足で歩いていく。由美が立ち去ることに安堵を感じたのは、これが初めてだ。そう思うと、少し罪悪感が芽生えた。

 しかし、由美は、ノブに手をかけたままで、固まったように動かない。

「どうした?」

 辛うじて見えるきつく結ばれた口が、ゆっくり開かれた。

「ねえ、おんおん・・・もし、もしだよ?もし、私が、おんおんのこと・・・」

 心臓が跳ね上がった。

 ・・・やめろ。それ以上は何も言うな。それから先は聞きたくない。聞くわけにはいかない。

 がちゃっと、ドアが開く。

「やっぱなんでもない。おやすみ」

 外からの照明で照らされた笑顔は、ほんのりと赤かった。

 ・・・助かった。

 心の底から、そう感じる。戦場で死にかけた時より、その思いは強い。

 ドアが閉まると同時に疲れが襲ってきたが、正樹の部屋まで行かなくてはならない。

 だが、気が重い。

 そして、由美と話したことで、一つだけ分かったことがある。

 由美が俺を好きだということ。

 迷いを断ち切るためにも、きちんと答えを出さなくてはならない。

 だが、今回ばかりは、そんな簡単に答えは出そうもなかった。


「正樹?いるか?」

 ドアの外側から何度か声をかけるが、何の反応もない。

 もう寝たのかもしれない。だが、寝ていたとしても、起きてもらう必要がある。隆史の死を受け入れてるか判断しなければならない。

 大切なことから目を背けていると、重要な場面で決定的な遅れをとってしまう。

 最悪、死に繋がる。

 いくら正樹が『虹』として強くても、迷いは人を弱くする。致命的な隙をつくる。

「正樹、開けるからな」

 正樹は部屋の鍵を閉めることはない。

 だから、ドアは開いたが部屋の中は真っ暗だった。廊下から差し込む照明が、部屋の中を照らすが、正樹の姿は確認できない。

 部屋に入ると、ベッドが膨らんでいるのが目に入った。それが上下する度に、規則正しい呼吸音が聞こえる。

 どうやら、本当に寝てしまったようだ。

 その枕元には、隆史に渡したケースが置いてあり、蓋が開いていた。

 中には、眼鏡。

 ただ、右のレンズがひび割れている。左のほうもレンズこそ無事だが、耳にかける部分が壊れてしまっている。とてもじゃないが、眼鏡としての機能を果たしていない。

『ありがとう。すまん』

 これを受け取った隆史の言葉。

 このひび割れた眼鏡が、正樹と隆史を繋ぐ大切な物なのには違いない。

 正樹が、もぞもぞと寝返りをうつ。

 熟睡しているところ悪いが、今すぐに起きてもらわなくてはならない。正樹の肩を揺すると、ゆっくりと目を開けた。

「えっ?隆史?」

「違う。俺だ」

 寝言だったのか、それともまだ隆史の死を受け入れてないのか。どちらにしても、正樹の精神状態が不安定なのは、間違いない。

 すぐに勢いよく起き上がってきた。

「園寺!?な、何の用?」

 正樹に断りをいれてから、椅子をベッド横まで持ってきて、それに腰掛けた。

「明日のことでな。正樹が、佐々木隊長と一緒に行くのか聞きに来たんだ」

 正樹が大きく息を吐いた。

「なんだ・・・そんなことか。俺だって『七色の虹』の一員だからね。それに、ここまで生きてこれたのも、佐々木隊長が鍛えてくれたからだし。だから、俺は行く。たとえ1人でもね」

 正樹は、断言するように言い放った。

 だが、俺には、正樹自身にも言い聞かせているように感じられた。

 それに、隆史の名は出てこなかった。意識して現実から目を背けている。

 隆史について話さないということは、忘れようとしているのかもしれない。

 だが、それじゃ駄目だ。

 大切な人の死は、忘れようとしても忘れられるものじゃない。

 こればかりは時間が解決してくれるなんてことはない。俺は、それをよく知っている。

「その眼鏡は?」

 ケースを指さすと、正樹の顔色が変わった。

「・・・中学の時から使っているんだ」

「でも使えないな。なんで壊れた?」

 正樹が、強い視線で睨んできた。

「・・・園寺。いくらお前でも、そこまで聞く権利はない」

 突き刺すような冷たい声だった。普段の正樹からは想像もできない。

 それでも、怯むわけにはいかなかった。

 きちんと隆史の死を受け入れさせなければ、正樹は死んでしまうかもしれないから。

「隆史と関係あるのか?」

 その瞬間、正樹の手が俺の服の首元へと伸びてきて、強く締めてきた。

「お前に何が分かる・・・!」

「何が分かるって?何も分からないから、こうやって聞いているんだ」

 さらに、きつく締められる感触。

「なら知らなくていい!黙ってろよ!」

 ・・・この野郎。無性に腹が立ってきた。

 正樹は、誰にもその思いを誰にも話すことなく、1人で苦しんで自分だけで解決しようとしている。それだけじゃない。目を背けて、悲しんでいるようにも感じる。その姿が悲劇の英雄を演じているように思えてならない。

「隆史の死から目を逸らすな!隆史が死んだのは、現実なんだ!受け入れろ!」

「・・・っ!」

 正樹は声になってない叫びをあげ、俺の首元から手を離した。

「俺だって・・・俺だって、そんなのよく分かっているさ。でも、正樹の死を受け入れるということは、隆史に何も恩返しが出来なかった自分がここにいる、ということを認めさせられることになる・・・俺は、そんな自分が許せない!」

 正樹は枕元の眼鏡を手に取り、どこか遠い目をしながら、力なく微笑んだ。

「この眼鏡は、俺がいじめられていたときにかけていたものなんだ。これが、原因でいじめられてるのかなぁ? 何度そう考えたか覚えてないくらいに考えたよ。それに、たぶん、これが原因だったのは間違いないんだ。でも、これがあったから、隆史に助けられて出会えたんだ。もし、この眼鏡が無かったら、隆史とは出会えてなかったはず。だから、これが、俺と隆史を結ぶ唯一の証なんだ」

 そう言って、眼鏡をケースの中へと戻す。

「弱さを克服しよう。強くなろう。そして、いつか自分に満足したときには、この眼鏡を、隆史に渡そう。俺が強くなった証として。助けてくれたお礼として。もう心配しないでいいから。俺は強くなったから。そんな気持ちと一緒に渡すつもりだった」

「・・・それが、今日だったのか」

「うん。隆史の誕生日だったからね。隆史が、20歳という大人になる日。いい区切りだと思った。それに、隆史を、いつまでも俺のことで悩ませたくないから。だから、今日渡そうと思った。渡せる・・・はずだった」

 正樹の苦しみが、何より悔しさが、言葉の端々から伝わってくる。

 そんな正樹に、俺の言葉が届くだろうか。

 だが、どうしようもないくらい正樹に伝えたい思いが溢れてきている。

 なぜなら・・・

「なぁ、正樹。聞いてくれ」

 俺と正樹は似ているから。

「正樹の思いは伝わったと思う」

 いじめられっ子だった時代があった。

「えっ?俺の思い・・・が?」

 誰かに助けてもらったこと。

「伝わっているさ。ケースを渡そうとしたとき、隆史なんて言った?」

 そして、大切な存在のために、弱さを克服して強くなろうとした覚悟。

「確か、隆史が言ったのは・・・ありがとう、すまん。だったね」

 俺と同じ存在を、正樹を、放っておけない。

「そうだ。そして、隆史の手が震えていたことに気づいていたか?」

「そうなのか?全然気づかなかったよ」

 俺が、悠治の死を受け入れて忘れないでいるように・・・

「あの時の隆史、嬉しかったんだと思う。正樹が強くなろうとしていたことを純粋に嬉しがっていたんだ。そして、そのことに今まで気づけなかった自分がいたことに、腹が立ったんだ。 だからこその感謝と謝罪の言葉だったのではないのか? だから、正樹の思いは伝わっているさ」

 正樹にも、隆史の死を受け入れた上で、忘れないでいてほしい。

「・・・そうかな。でも、言葉にしないで伝わるなんてさ、そんなのありえないよ」

「隆史と何年間一緒にいたんだ?そんなに薄っぺらい関係だったのか? 俺にも、悠治がいた。 あいつの考えていること、思っていること。そういうことは手に取るように分かったよ。正樹には、隆史が考えていることを、言葉にしてもらわなければ、まったく分からなかったのか?」

「いや・・・まったく分からなかったわけじゃないさ。戦場で一緒に戦っていると、あいつの動きを身体で感じることのほうが、自然な気がするときがあるから。次は右に動くから、俺は左を警戒しつつ、援護しないと・・・とか、いちいち口に出さなくても、そういう動きはできたから」

 正樹と隆史は、俺と悠治の関係と、よく似ている。

 言葉がなくても、思いが通じ合うこと。

 普通に考えれば、すごいことに属するもののはずだ。だが、正樹にとっては、息をすることと同じように当たり前のことになっていたから、今まで気づけなかったんだろう。

「それと同じことだ。日常でも、正樹と隆史は、言葉以上のもので繋がっていたのさ。ただ、正樹にとって、それが当たり前になっていたから、気づけなかったんだ。それに、大切なことこそが、言葉にしなくても、伝わるものさ。正樹もさっき言っていただろう。この眼鏡は、俺と隆史を結ぶ唯一の証なんだ、と。それは、隆史にとっても同じことだったんだ。だから、正樹の思いは伝わっているさ」

 俺の言葉を聞き遂げると、しらばくしてから大きな溜息をつき、天井を見上げた。

「・・・でも、さ。園寺の言うとおりだとしても、俺は言葉にして伝えたかったな。弱かった自分へのけじめとしてね」

 両手に力が入るのが見えた。

「なのに・・・!なんで、また赤い霧が出てきたんだよ!?2年前のあの日・・・母さんと父さん、それに兄さんまで奪っといて・・・隆史まで奪いやがって!まだ足りないとでも言うのかよ!?ふざけやがって! だから、俺はやってやるさ!」

 正樹が吐いた恨み。言葉の端端に、力強い響きが込められていた。

 これが、本音に違いない。

 やっはり、嘘だった。

『七色の虹』として。佐々木隊長への恩返しとして。

 そんな理由は、隆史の死から目を逸らすための理由に違いない。

 やっと本音が聞けた。

 だから、落ち着いたころを見計らって、もう一度だけ、同じ問いかけをすることにした。

「正樹。もう一度だけ聞く。明日、佐々木隊長と行くのは、なんのためなんだ?」

 お互い黙ったまま、しばらく時が流れた。

 正樹がベッドから起き上がって、窓へと歩いていった。

 俺は、椅子から動かずに、その背中を目で追う。正樹の顔が、空を眺めるように、少しだけ上に傾いた。

「・・・今日は、満月だな」

 正樹の表情は見えなかったが、声には、月の光のように優しい響きがあった。

「俺は行く。隆史のために。強くなった俺を、天国にいるあいつに見せてやりたい。一人でも戦えるってことを見せてやりたい。それが、今の俺にできることだと思う。あいつが死んだことを認めて、あいつから強くしてもらった力を使いこなしてみせる」

 これで、正樹は大丈夫だ。

 昔を振り返ることはあっても、迷うことはもうない。戦場で遅れをとることはない。

「おやすみ。正樹」

 椅子を元あった場所に戻して、自分の部屋へと戻るため、ドアへと向かう。

「あっ!園寺!」

「なんだ?」

 呼び止められた声に振り返ると、いつもどおりに微笑んでいる正樹がいた。

「あのさ・・・俺がいじめられっ子だったってこと、誰にも言わないでくれ。 隊長格の『虹』が、いじめられていたなんて知られたら、皆に余計な心配とか混乱を招いちゃいそうだから」

 そう言うと、戦闘時並みの速さで、ベッドに潜り込んでしまった。

 俺は、ベッド横まで戻って、正樹の様子を伺った。まだ寝ていないのは、呼吸音から明らかだ。むしろ、起きているのは好都合だ。

 正樹に言いたいことがあったから。

「・・・俺もいじめられっ子だった。中学の時に、悠治に助けてもらったんだ。そして、強くなろうと思った。なんか、正樹が考えてたことと同じことを考えてたんだ。だから、正樹に隆史の死をきちんと受け入れて欲しかった」

 正樹から返事はない。うまく伝わってくれるといいと願いながら、ドアへと向かう。

「・・・ありがとう」

 ベッドの中からの言葉が心底嬉しかった。

「正樹も、俺のことを誰にも言うなよ。いじめられっ子同士の約束だ」

 小さな笑いが聞こえたような気がした。

「ああ。約束だ」

 正樹の部屋を出て廊下から空を眺める。

 正樹は満月と言ったが、あの窓からは、月を見ることは出来ない。

 だが、見上げた空には満月があった。

 美希が好きだと言った満月。優しい光を注ぎ込んでくる月が、そこにあった。


「・・・今日は満月ね」

 廊下に、小川の流れのように涼しげな声が響いた。

 少し先の窓の傍に佇んでいるその姿を見た時、一瞬だけ美希と姿が重なった。

「・・・紗希さん」

「西園寺君は、まだ寝ないの?」

 月に視線を向けたままで聞かれる。

「ああ。由美と正樹が心配で話してきた」

 答えつつ紗希の隣まで歩き、同じように月を眺める。

「そう。明日どうするって?」

「由美は高校で拾った3人の女の子の為に残る。正樹は隆史の為に行くってさ」

「由美らしいし、正樹らしいわね」

「そうだな」

 それ以降、喋ることもなく、月を眺めるだけの沈黙が訪れたが、部屋には戻るつもりはなかった。

 なぜなら、初めて、この廊下で2人きりになった時のような息苦しさはなかったから。

 なにより、紗希の横顔には、何か言いたいことがあるように思えたからだ。

「信哉がね・・・言ったの」

 月を眺めたままで話し出した。

「俺のことは忘れていいから。信哉が、そう言ったの」

「村上信哉が、そんなことを?」

 予想外の言葉に、驚かされた。

「うん。銃で撃つ直前に、私に耳打ちしてきたの。俺のことは忘れろ、って」

 あの時だ。紗希が呆然として、村上信哉の自殺を止められなかったときの耳打ち。

 ・・・しかし、なんで忘れろなんて?それが、村上信哉の本心なのか。

「それを聞いて、どう思ったんだ?」

 俺も月を眺めたままで聞く。

「何も分からなくなっちゃったの。私のことを考えて、そう言ってくれたのかもしれないけど、なんでそう言ったのかは全然分からない」

「そうか・・・」

「信哉にとって、私はそんな存在だったのかな?あんなこと言われるなんて・・・私はそんな存在だったのかな?」

「違う。それは絶対に違う」

 気づいたら否定していた。

「どうしてそう思うの?」

「なんて言ったらいいか分からない。けど・・・自分が死ぬことで、紗希さんを苦しめたくなかったんだよ、きっと。苦しむくらいなら忘れて欲しい。そう考えていたんだと思う。紗希さんのことを好きだからこその言葉のはずだ」

 月から紗希に視線を移す。

 紗希はまだ月を眺めているが、その瞳は月の光を受けているのに、死んだ魚の目のようだった。

 答えが見つからず、闇の中で彷徨っている紗希が、俺の横にいる。

 もし、紗希が美希と同じなら・・・

 その心は壊れやすい。些細な言葉を、自分なりに消極的に解釈してしまう。

 美希は、自己否定が強かった。

 私なんかじゃ駄目だ。私なんかいないほうがいい。足手まといだ。私は弱い。

 この世界になってから、彼女がそんな風に考えていることを知った。

「信哉に忘れろって言われても、私は、信哉のことを忘れたくない。ずっと覚えていたい。もし、これから先、信哉以外の人を好きになったとしても、絶対に忘れたくない」

「なら、覚えていればいいじゃないか。迷うことなんかない」

「でも、俺のことを忘れろって、信哉の最後の願いでもあったんだよ。たとえ、それが、私のためを考えて言ってくれた言葉だとしても・・・ 好きな人が言った言葉だもん。私は、それに従わなきゃいけない気がするの。でも、どうしても忘れられない。忘れられないの・・・」

 紗希は、どうしようもないくらい村上信哉が好きだ。

 そして、それは村上信哉も同様だろう。

 いくら彼女の姉探しのためであっても、命を賭けてまで探しに行くだろうか?

 でも、村上信哉は、美希を探した。

 答えは簡単だ。

 それは、好きだから。どうしようもなく好きだから。壊れた世界で唯一残った愛すべき、護るべき存在。紗希のことが好きで好きで、彼女の笑顔が、嬉しがる姿が見たくて・・・

 ただ、それだけの理由だ。

 単純だが、それゆえに深い。

 もし、俺が、美希から紗希を探して欲しいと言われたら、間違いなく探しに行く。

 全てを失った世界で、好きな存在が笑えるためなら、命だって賭けられる。

「紗希さん。何があっても村上信哉を忘れちゃいけない。さっきも言ったけど、俺のことを忘れろってのは、紗希さんのことを考えての言葉だ。苦しまないように、悲しまないように。だが、紗希さんは忘れちゃっていいのか?命を賭けてまで、美希を探してくれた存在がいたことを。そんな大切な存在を忘れていいのか? 紗希さんの笑顔が見たくて、嬉しがる姿を見たくて。ただ、それだけの理由で、命を賭けてくれた人なのに」

「それは・・・私は絶対に忘れたくない」

「だったら、覚えているんだ。 村上信哉だって、本当は覚えていて欲しいに決まっている。 紗希さんのことが、どうしようもないくらい好きだから、忘れろなんて言ったんだよ。だから、忘れちゃいけない」

 ずっと月を見ていた紗希が、ここで俺に視線を変えた。

「ありがとう・・・そうだよね。忘れちゃいけないよね。覚えていていいんだよね」

 紗希の瞳が月の光を受けて輝いている。

「・・・ああ」

 そして、その笑顔が、これまで以上に美希に重なった。今、目の前にある笑顔は、心からの笑みに違いない。ここまで、美希に似た笑顔は初めてだ。

「西園寺君・・・明日行くの?」


 紗希の問いかけには、俺に対する配慮が込められていた。


「信哉の願いの為に、私と一緒に行くのなら・・・無理しなくていいからね」

「いや、俺も行く。もちろん、紗希さんを護るためでもあるけど、それ以上にやっぱ仇討ちなんだ。美希と悠治を失った最大の原因は、あの赤い霧だ。そして、隆史まで奪ったあれを、許すこことはできない。だから、俺も行く」

「西園寺君なら、そう言うと思った」

 紗希が、自分の部屋へと歩いていき、その途中で背を向けたままで立ち止まる。

「この前、お姉ちゃんとの思い出を話してくれて、ありがとう。お姉ちゃんも、西園寺君も好きで幸せだったに違いないよ」

 紗希に、美希と過ごした日々を全て話したのは『夕暮れ』を潰して帰ってきた夜のことだ。由美との約束どおり、俺と『夕暮れ』の関係を話したあと、紗希にだけ話した。

 その時からだろうか?

 紗希と自然と話せるようになったのは。

 初めの頃は、美希と重なることを恨んだりした。が、今では、重なることはあっても恨みとかの感情はない。

 逆に、美希という存在が、俺と紗希の距離を縮めてくれた。

 だから、紗希とは、美希の妹として、普通に接することが出来る。

「じゃあ、おやすみ。また明日の朝食で」

 ドアを開けると、部屋の中へと入っていく。

「ああ。おやすみ」

 ドアが閉まりきらないうちに挨拶を返した。

 がちゃんっという音と共に、廊下は静寂に包まれた。

 その中を自分の部屋へと向かいながら、視線を中庭へと移す。

 中庭からは、まだ騒いでいる連中の声が聞こえてくる。今日ばかりは、飲酒だろうが、喫煙だろうが、そんなことを止める者はいない。佐々木隊長でさえ、何の口も挟まない。

 最後になるかもしれないから。

 生きて騒げるのは、最後かもしれない。

 何の情報もない戦いは、『七色の虹』にとっても、未知のものだ。だから、皆が悔いを残さないように、この夜を楽しんでいる。

 部屋に入り、ベッドに倒れこむ。疲れが溜まっていたのか、睡魔はすぐに襲ってきた。

 ・・・明日か。


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