第3話  揺らぎ

 満月。空に満月が輝いていた日。

 大きな基地。一人の少年と一人の少女。

『明日・・・行くよ。彼女を見つけたら、お前が来るのを待ってる。大丈夫。俺は死なない。また会えるさ。だから、花火が3回打ちあがったら、そこの屋上に来て。俺はそこにいるから』

 少年は、旅立ち前に、少女に告げた。

『・・・うん。気をつけてね』

 少女は、なんとか笑顔で見送れた。


 吹いてくる風の心地良さと昼下がりの太陽の暖かさは、こんな世界になっても全然変わらない。

 いや、空気を汚す要素がなくなっただけ、この世界のほうが、良い風と太陽があるのかもしれない。

 一際高いビルの屋上から『夕暮れ』を監視しながら、そう思った。

 3日の日数、2回の襲撃を退け、潜伏することに成功したこの町。

 ここには、俺達が隠れているビル以外に、高層建築物がなく、かなり遠くながらも『夕暮れ』本拠地の全貌を見ることが出来た。

 屋上にいるのは、俺と正樹と隆史だ。

 紗希と由美は、100人の援護指揮をする高橋との最終会議の準備のために、ビル内に残っている。

 正樹が、風になびく髪を抑えながら、匍匐前進で屋上の隅までやってくる。

「あそこが『夕暮れ』のアジトか。 資料より手強いかもな。高校をまるごと使うとは、『夕暮れ』の首脳陣もなかなか頭いいんじゃないかな?」

 そう適確な判断を下した。

 だからこそ、この方面では『夕暮れ』は強い。数多くの人間を管理しながら生活していくには、それなりの基盤が必要となる。そのためには、学校みたいな建造物が、かなり役に立つ。区切られた教室は、部隊別にできるし、監視にも適しているからだ。

 と、舌打ち。ライフルに装備されたスコープを覗き込んでいた隆史のものだった。

「これは資料に無かったぞ。巡回だ。5人体制で一定間隔をおいて巡回している」

 俺もスコープを覗く。その先には、5人が警戒しながら歩いている。

 ・・・これが表す事実。

『夕暮れ』は、もう以前の『夕暮れ』ではない、ということ。

 あの頃は、どいつもこいつも身勝手で、持ち場の監視もせずに、賭けカードをしていた。それが出来ていたのは、北方面では敵なし、という強さからの自惚れであった。

 だが、今は巡回みたいに、それなりのことをこなしている。

 あの頃の『夕暮れ』に対する甘い判断を捨てなければならない。

 正樹が、来た時と同じ匍匐前進のままで階下への扉に向かう。俺と隆史も続く。

「巡回は、敵の早期発見には有効だよ。でも、それはそこらの集団が相手での話。俺らみたいに少数での隠密行動が得意な人間には意味がないよ。むしろ逆に嬉しい状況さ。こっちから手を下すことなく、戦力を分散してくれているようなものだからね。その分散した敵を背中から殺せばいい。次の巡回も、それを見つける前に殺す。それだけで、だいぶ数を減らせる」

「そうだな。それこそ俺達の得意分野だ」

 その2人の会話に、いつ頃襲撃するかが分かった。各個撃破をするなら・・・

「襲撃は深夜だな?」

 巡回している敵を殺すなら、暗闇に紛れるのは常識だろう。それに今はまだ昼だ。敵に見つからないでの隠密行動は不可能に近い。

 それに、深夜から明け方にかけて、人の体は深い休息に入っているため、急な動きはしづらいという。

「うん。園寺の言うとおりだよ。闇に紛れて挟み撃ちにしつつ、巡回を殺す。俺達への援護開始は、部隊と別れてから30分後。状況によっては、それより早く開始だね。高橋にはそれで指示しておくよ」

 静かに夜の帳を待つことになりそうだ。


『これで、お前指揮下の実力が分かるということだな』

「ああ。北方面最強となった『夕暮れ』を相手にして、どれだけの作戦時間で、どれだけの味方を死なせないで、帰ってくるか次第だな。そっちはどんな状況だ?」

『俺は『嵐の救済者』を潰した後、201人で決定した。柿崎の部隊も『紅蓮』を潰して、221人で決定した。 ただ、作戦内容に反抗した奴らが、部隊から逃げ出そうとしたから殺した。逃げることは許されんからな。柿崎の部隊でも同じことが発生したから、お前も気をつけろ。 あとは、お前の部隊がどれだけの実力があるのかを判断して、その数次第で、作戦の実行時期を決める。 『夕暮れ』を潰したら、すぐに連絡をするように。以上だ』


 夜の闇が訪れた。

 大人がいなくなり、発電所が管理されていないためか、街灯は1つもついていない。

 100人の兵は、3~4人単位で広範囲に分散。暗闇に紛れながら民家の二階から二階へと侵入を繰り返して、高校に近づいている。

 そして、そのまま高校正面を捉えられる民家に、迫撃砲と小銃を所持して隠れる手筈になっている。

 作戦開始は深夜2時。

 高橋という前線指揮者からの援護支援は、その30分後。俺達の使命は、それまでに1人でも多くの敵を殺すこと。

 まだ車中にいる俺達は、隆史の手によって持ってきた武器を分配されている。

 渡された3つの銃は、どれも今まで見たことないものだ。そのうち1つは、ずしっと肩にくる重さがあり、こんな箱型の弾倉がくっついている銃は手に入れたことがない。

 武器オタクなんだよ、こいつは。と、正樹に言われた隆史は説明し始めた。

「こいつがAK47。貫通力の高いライフルだ。サイレンサーをつけてあるから、一人ずつ素早く確実に仕留めろ。こっちのは9ミリ機関銃。重さも3kg以下で扱いやすい。敵に発見されたら、まずはこいつで応戦しろ。それと、銃身に箱型弾倉がくっついているやつは、M249だ。連射性能に優れていて、1分間で750発と1000発が、このつまみで選べる。7kgの重さと命中精度を考え、可能な限り2脚を使って接地して使え。弾倉は3つ持たせる。敵の数が、かなり多いときに使うんだ。ただし、この3種類の銃は軍にしか配備されてない。だから、絶対に奪われるな。万が一、奪われたときのために、これを渡しておく」

 なるほどな。軍にしか配備されてないから、今まで見たことないわけだ。ということは、『七色の虹』と同じ規模だと予測されている『偉大の大地』と『蒼天の空』も、同じような武器を所持しているに違いない。これだけの武器を持っての衝突・・・

 まさに戦争だ。

 隆史が小さなパイナップルを手渡してくる。

「手榴弾だ。こいつでまとめて吹き飛ばせ。各自3つずつ。無駄遣いはするな。 それとカールグスタフ。簡単にいえば、ロケットだ。無反動だから使いやすい。ただ、こいつは16kgと重いから持っていけるのは1つだけ。使うときは肩に乗せるよりも2脚を使え。最後の手段だ」

 カールグスタフは、太い竹みたいな筒状の武器だった。持ってみると、確かに重い。確実に当てるには、言われたように地面につけたほうが良さそうだ。 がちゃがちゃという音に、武器から視線を上げると、隆史が全ての武器を身につけているところだった。

「全てで40kgぐらいだが、こんな感じでなんとかなる。正樹。あとは任せた」

 神妙な面持ちで正樹が頷いた。

「予定通り二手に別れる。紗希は、途中まで由美と園寺と一緒に行動してくれ。ある程度の敵を片付けたら、速やかに裏門に回って、敵の足止めを頼む。じゃあ、皆の腕時計を合わせるよ。高橋と時間を合わせた俺の時計が基準で、あと一分で作戦開始5分前だ」

 正樹のカウントダウンで時計を合わせた。

 その瞬間、正樹も、あの由美でさえ、雰囲気が変わった。

 近づく者を斬ってしまいそうな鋭さ。その顔つきも戦士と言って何ら差し支えない。

 正樹が音もなく車から降りる。

「行くぞ。4分後には、挟み撃ちできる状況まで持ち込むんだ。援護開始の2時30分までに、敵を見つけ次第、殺しまくれ」

 正樹の言葉に、隆史が車から降りて高校へ向けて走り出し、それに正樹が続く。

 由美も、それを追うように走り出す。

「私達も行こう。おんおん、紗希」

 由美は、40kgの重さをものともせず走り出した。自分と同じぐらいの重量を身につけているにも関わらず、音を立てない走りは猫みたいに俊敏で、その小さな体がかなり鍛えられてることが知れる。紗希も同じような走り方だ。

 すでに、正樹と隆史の姿はない。左に曲がって、高校側面に向かったんだろう。

 あと、3分で俺達も右側面まで行かなければならない。静かな住宅街を走る。

 そして、右に曲がってから少し走ると、民家の窓から顔を出している兵がいた。

「由美さん!頑張ってください!自分も頑張りますから!」

 走ったままで、ありがとう!と、笑顔とともに小声で応じ、すぐに前を見据え、戦士の顔に戻る。

「知り合いか?」

「私のファンクラブの人だよ」

 同じく小声で端的に答えてきた。そのまま、先の兵が潜伏している家を左に曲がる。

 つい最近、気づいたんだが、由美はけっこうもてる。基地内で男に話しかけられるのをよく目にする。

 顔立ちが可愛いのは初めて会ったときから分かっていたが、まだ子供の部類に入るものだから、ファンクラブまであるとは想像もできなかった。ただ、その子供のような顔と人懐っこさが、保護欲をかきたてるのかもしれない。

 男も戦いだけではやっていけないんだろう。

 赤い霧前の世界での、勉強だけでは息が詰まる、というのと同じだ。

 由美が、ざっと音を立て、さらに左に曲がる角の前で、いきなり止まる。

 あまりにいきなりだったため、対応が遅れて、その角から突き出てしまいそうになる。

 普段なら止まれても、こんな重武装では、それも難しかった。

 と、ぐいっと、後ろに右手を引っ張られて、なんとか踏みとどまれた。

「すまん。助かった」

「これからは気をつけて」

 紗希は、掴んだ手を離した。

 平静を装ったが、その筋力の凄さに驚かされていた。40kgの武器を持ちながら走っていた俺がどのくらいの総重量になるのかは分からないが、それを片手で当たり前のように止めてしまった。止めるのに、コツがあったのかもしれないが、それでも『虹』のさらなる実力の高さを思い知らされた。

 由美が、腕時計に目を落としている。

「この曲がり角の向こうに、高校の塀があるよ。あと1分で作戦開始だから、塀を登って侵入しよう」

 ここに来るまで、『夕暮れ』の巡回はなかった。全て、高校内に限られているのだろう。

 俺としては、外側にも巡回がいて、それを殺すことで数を減らしておきたかった。

「時間。行こう」

 由美の合図に一斉に塀まで走り寄る。

 内側に木が生い茂る塀に手をかけた瞬間、向こう側で足音が響き始めた。

 さっそく敵だ。殺すべき存在。

 隆史が潜んでいたビルで発見した巡回の奴らだろう。由美も紗希も、手をかけたままの姿勢で固まる。

 が、2人とも、すぐに塀にかけた手をおろして、中の様子に神経を集中させる。

 ・・・近づいてくる足音は3人分だな。5人体制の巡回じゃない。標的は3人だ。

 紗希が、AK47ライフル以外の武器を、音を立てないように静かに地面に下ろす。

「相手は3人ね。叫ばれないように、頭を一発で終わらせて。私が左、由美が真ん中、西園寺君が右の奴を。襲撃を知らされないために頭を確実にね」

 紗希は、射撃がSSだから外す心配はいらない。もっとも、俺と由美だって、スコープがついているライフルを使い、しかも、この距離なら外すことはない。

 ざっざっざっと近づいてくる足音とともに、笑いまじりの声も聞こえてくる。

 全く警戒していない。

 こんな巡回ならやらないほうがいい。犠牲を無駄に増やすだけだ。つまり、『夕暮れ』は『夕暮れ』でしかないということだ。ビルの屋上での俺の思いは、どうやら見込み違いだったらしい。

 そいつらの声もはっきりと聞こえるようになった。そして、塀の向こうを通って、徐々に遠ざかっていく。

 紗希が塀の上に腕をかけて、上半身を支えながら、スコープを覗き込む。

 俺と由美はそれに従う。射撃に関しては紗希の判断の方が確実だ。

 塀の内側に植えられた木の葉が邪魔をする。

 だが、狙えないほどではない。右端の頭をスコープに収める。由美と紗希とほぼ同時に撃つ。発射音は小さい。むしろ、頭を破裂させた3人が倒れる音のほうが大きかった。

 やばい。他の巡回に聞こえたかもしれない。高校内に入って、あの死体を茂みに隠さなければならない。飛び散ったものは、夜の闇が隠してくれるのを期待するしかないだろう。

 俺一人だけが先に侵入して、付近に巡回がいないか確認する。

「付近に敵なし。先に武器を中へ」

 その合図で、2人が3人分の武器を塀の上に並べる。それを音が立たないように、慎重に地面に下ろす。

 同時に、木と木の間から校舎を確認した。二年前の記憶通りなら、ここの校舎側面に窓ガラスはない。あるのはコンクリートの壁だ。

 そして、記憶通り、窓ガラスはなかった。壁しかなく、誰かに見られてはいない。

 さらに、侵入した場所は物置小屋みたいなのが、所狭しとごちゃごちゃあって、かなりの曲がり角が造られている場所だ。

 隠れながら行動するには丁度いい。

 最後に大砲が塀の上に置かれると、由美と紗希が入ってきた。まるで飛んできたかのように静かな着地。

 塀の上の大砲を地面に置き、もう一度周囲を見回す。狙撃される危険がないことが分かると、死体へと駆け寄り、すぐさま茂みへ引きずり込む。

 そのままの勢いで、投げ込んだ武器を次々に肩へとかけていく。

 ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!

 と、乾いた音とともに、頭上が様々な色に彩られる。

 見上げた空には、光る残滓が、いくつか落ちてきていて、それもすぐに消えた。場所的に考えれば、屋上から打ち上げられたものだ。

 いきなりの状況変化に、3人とも手を休めてしまった。

「・・・ここに?」

 紗希の戸惑っているような声。

 気づかれないように視線だけを向けると、空を見つめて、なぜか唇を噛み締めていた。

 だが、今の状況下で、その理由を追及している場合じゃない。

 ・・・・今のは照明弾?

 だが、照らし出された時間が短すぎる。それに、あの乾いた音と様々な色は・・・花火か?

 どちらにしても、俺達が所持していない物の音。つまり、敵側の物。

 由美が、服の袖を引っ張ってきた。

「今、光った空の方向って・・・信哉と隆史だよね?もう失敗したの?」

 どうやら、由美は、今の光りを照明弾だと思っているようだ。

 だが、照明弾にしては、音が変だ。それに、3回も音は鳴らない。どちらかというと市販の打ち上げ花火の音だ。

 つまり、花火を照明弾代わりに使ったと考えるのが妥当だろう。これからも、散発的に打ち上げられるに違いない。

 と、紗希が、休めていた手を動かして、武器を素早く身につけているのに気づいた。

「紗希さん。まだ状態がはっきりしないんだ。だから、そんなに・・・」

 だだだだだだだだだだっ!

 銃音。それも連射式。

 今度は、敵が所持していないはずのもの。

「おんおん!正樹と隆史が!」

 由美の言葉どおり、この音は正樹たちの銃だ。どうやら敵に発見されたらしい。

「由美。西園寺君。今すぐ裏門に行くから。2人とも側面を頼んだわ」

 そして、上体を低くしながら走り出す。

「えっ?紗希!もう行くの!?」

「待つんだ!紗希さん!まだ、敵の数が多すぎる。危険だ!」

 だが、俺と由美の制止も聞かず、裏門へ走っていく。

 追いかけるわけにはいかない。俺と由美には、右側面からの挟み撃ちの使命がある。

「くそっ・・・急ぐぞ!まずは、背中の安全を確保するために巡回を皆殺しだ」

 武器を9mm機関銃へ持ち替える。

 侵入がばれた状態では、ライフルより9mmのほうが一度に多く殺せるだけ有利だ。だからこそ、正樹たちも使用している。

 ここで待ち伏せをして、ライフルで暗殺する手段もあるが、それでは発見された正樹たちへ敵が集中してしまう。そんな呑気な手段はとれない。俺達が積極的に前へ出ることで、敵の戦力を分散させることができ、正樹たちの危険も減らせられる。

 すぐに高校正面から轟音。

 校舎の空が赤い光りで彩られる。

 前線指揮の高橋だ。俺達が所持していない武器の音を聞いて異変発生と判断して、援護部隊による砲撃を始めたんだろう。なかなか優秀な指揮官のようだ。

 9mmを構え、茂みから飛び出す。それに由美が続く。

 すぐに次の巡回が、物置き小屋の影から姿を現した。数は5人。俺達の姿を確認した途端に、5人が全身を強張らせた。

 直後、全員が大きく息を吸い込むのが分かった。後から続いている巡回へ襲撃を伝えるためか、それとも俺達への警告のためか。

 なんであろうと馬鹿な奴らだ。この世界で重要なことを、なに1つ分かっていない。

「て・・・」

 そいつらは、最後まで叫べなかった。

 9mmが体に喰い込んで、まるで踊るように、その場に崩れ落ちた。すぐに、息のある奴に止めを刺すため、さらに引き金を引く。

 ・・・実力でも武器のグレードでも劣るお前らは、俺達より早く引き金を引かなければ、絶対に勝てない。

 顔も知らないかつての仲間に、心の中でそう呟き、銃弾を撃ち込む。服に飛び散ってきた血は無視した。後で、服を替えないと。

 それが終わると、次の巡回の足音が微かに耳に届いた。

「おんおん!木の上に!」

 死体がある道を中心に、すぐに塀側の木に登る。由美は校舎側の木に登った。

 小さな挟み撃ちの横領だ。俺達がいた場所に向かって、巡回が雄叫びをあげながら突っ込んでくるのが、木の隙間から確認できた。

 今度の奴らは、少し頭がいいようだ。

 ごちゃごちゃとした物置小屋の角で立ち止まって、手だけを出し銃を撃って、敵がいないことを確認してから突進してくる。

 が、まるでなってない。

 そんな腰つきと撃ち方では、いつまでたっても駄目なままだ。

 そして、お前らは駄目なままで死ぬ。

 その5人は、あと少しで俺達の足元、というとこまで来ていた。すぐに、最後の物置小屋を曲がって、5人が姿を現す。

 だが、仲間の死体を見つけると、俺達を探すことも忘れ、呆然としている。

 この瞬間だ。

 初めて死体を見た人間の多くは、放心状態になるものだ。頭が真っ白になって動くこともできない。

 引き金を引く。

 動かない的に、弾を当てるなんてことは、もう嫌になるほどやってきた。

 ほぼ同時に行われた挟まれた掃射で、死体の上に死体が重なる。

 これで、13人。

 付近に巡回の気配はない。この付近には、もう敵はいないようだ。

 遠くからは、9mmの音が絶え間なく聞こえてくる。多くの敵は、先に発見された正樹たちのほうへ向かっている。

 あの2人だって『虹』だ。そんな簡単にくたばりはしないが、それでも、まだまだ2人への援護が足りない。

 木の上から降りて、周囲を警戒する。由美は、まだ木の上で遠くを見回している。

 その時、死体のはずの人間が動いた。

 反射的に銃を向ける。

 そいつは両腕から出血していた。右足からも血が流れていて、もう戦闘能力は皆無だが、油断は出来ない。自爆されることもありうる。

 だが、動いたそいつの顔を見た瞬間、撃つのを躊躇ってしまった。

 ・・・なんで、こんな場所で・・・

「・・・由美!俺は、こいつらの所持品を確認するから、周囲の警戒を頼む!」

 木の上から、由美が降りてくる。

「えっ?そんなの必要ないよ。今すぐ移動しようよ」

「・・・頼む。少しだけ待ってくれ」

 それは命令ではなく、懇願だった。少しだけでも、過去に立ち向かう時間が欲しい。

「・・・分かった。でも、少しだけだよ」

 何かを感じ取ってくれたのだろう。追求してくることなく、校舎の角に移動してくれた。

 足元に視線を下ろす。

 そいつは、痛みに顔をしかめがらも、俺を見上げている。それは、射ぬかれそうな視線で、息が詰まりそうになる。

 まさか、こいつから、こんな目で見られることになるとは・・・

 苦笑しながら、銃口を向けたままで撃てないでいた。

 それは再会できた懐かしさからか。それとも、今まで生きていたことに対する嬉しさからか。もしくは、殺さなければならないという悲しみからか・・・

 右頬の大きな切り傷。

 それは、今でも覚えている。忘れるはずがない。

 気づいたら話しかけていた。

「・・・久しぶりだな。葛城。こいつらは、お前の部隊だったのか・・・」

「なっ・・・その声・・・し、信哉?」

 この顔は忘れもしない。こいつは、二番隊の副隊長。2年前まで俺の部下だった。

「・・・元気だったか?」

 俺からの問いに、葛城の表情が驚愕から憤怒に変わる。

「・・・なぜ『夕暮れ』から逃亡した? お前が、あの馬鹿な男を殺したからって、俺達が責めるはずがないだろ!? 2番隊の連中は、誰もが知っていた! 悠治と美希ちゃんが、6番隊の奴が撃つのを躊躇っているから、死んだということを! だから、お前が、そいつを殺したからって、俺達は誰にも言うつもりはなかった。 そうだろ?『夕暮れ』に銃も撃てないような臆病者は必要ないからな・・・ だが、お前は逃亡した!どうして!? 約束しただろ!一緒に皆を護るって!」

 葛城の周囲が赤く染まっていく。俺が殺さなくても、出血多量で死ぬのは時間の問題だ。この世界に病院など存在しない。葛城を助けることは出来ない。

「・・・すまない。裏切ってしまって。だが、俺は、許せないんだ。『夕暮れ』そのものが許せない。死ぬゆく者の屍の上で、笑っている奴らがいる集団なんて・・・」

 葛城は、悠治と美希を知っている。そして、葛城だけじゃない。10人しかいなかった2番隊の全員が2人を知っている。

 一緒に誕生日を祝ったこと。一緒にクレー射撃を真似た大会で楽しんだこと。一緒にスポーツ大会を開いたこと・・・

 2番隊の連中は気のいい奴らばかりだった。こんな世界でも自分の置かれた境遇を楽しみ、相手を思いやることを忘れていなかった。

 そして、俺にとっての葛城は、悠治と美希以外で、初めての・・・

 友達だった。

 だから、死にゆく友に想いを伝える。俺が殺してしまったという謝罪とともに・・・

「俺は、『夕暮れ』を潰す。こんな上下関係がある馬鹿げた集団、跡形もなく潰してやる。悠治と美希の仇をとる。 そして・・・お前の死んだ彼女も、これで少しは救われるだろう。あの時のこと・・・許してくれ」

 全身全霊で頭を下げる。

 葛城の彼女は、笑顔が輝く可愛い子だった。美希ともすぐに打ち解け、俺や悠治とも、よく話してくれた。

 だが、12回目の戦いで・・・

 味方の裏切りで死んだ。

『夕暮れ』に潜んでいたスパイの銃弾から、俺と葛城をかばって死んだ。

 そして、スパイを拘束して、葛城は言った。

『信哉だけのせいじゃないさ。俺達全員が、こいつをスパイだと気づけなかったんだから。でも、こいつだけは、俺が殺す。皆は手を出さないでくれ。頼む・・・』

 情け容赦ない拷問だった。生き地獄を具現化したような酷さで、いたぶり続けた。

 最後に、スパイの姿を見た時、そいつは壊れていた。ずっと、馬鹿みたいに笑っていた。

 そして、彼女を失ってからも、葛城は2番隊副隊長でいてくれた。

『もう、誰も失いたくないから、ここに残って戦う。一緒に頑張ろうぜ』・・・と。

 笑顔で、そう言ってくれた。

 だから、俺も告げた。

『ああ。一緒に護ろう』・・・と。

 でも、俺は逃げた。

 悠治と美希が死んでしまった日。

 葛城との約束を破って、逃亡した。護ると約束した友である葛城を裏切って・・・

「信哉。顔を上げてくれ」

 優しげな声に、ゆっくりと顔を上げる。

「謝るなよ・・・もう、俺は、幸恵のことで悩んだりしてないから」

「葛城・・・お前と、こんな場所で再会したくなかった」

 葛城は、苦しそうにしながらも微笑む。

「ああ・・・俺もだ。でも、これで、やっと楽になれる。苦しいだけの生活も終わりだ・・・ お前に殺されて、俺は幸運だよな。顔も知らない奴に殺されるぐらいなら、友達のお前がいいや。ありがとう」

 礼を言われるとは、想像してなかった。殺されたのだから、恨みでも言われるのを覚悟していたのに。

「・・・礼なんか言うな。俺は、知らないとは言え、お前を撃った。友を撃った。なのに・・・」

「いいって。気にするなよ。今のお前にとって、『夕暮れ』に属する者は敵だろ? 俺だって、同じさ。 今のお前が属している集団の奴らは、俺にとって敵だ。敵なら殺す。味方なら助ける。 これは、お前の口癖だったな。俺もそう思っているよ。でも、俺は、もうすぐ死ぬ。だから、頼む。俺のために、幸恵のために、死んだ2番隊の奴らのためにも・・・こんな馬鹿げた『夕暮れ』は潰してくれ」

 葛城は、近くに転がっている仲間に目を向けて、大きく息を吐いた。

 葛城と同じように目を向けた瞬間、背筋に寒いものが走る。

 ・・・撃ってしまったのは、葛城だけじゃないのかもしれない。こいつらの顔はよく見えなかったが、もし、そうなら・・・

 目を背けるわけにはいかない。確かめなければ・・・

「・・・まさか、こいつら、俺と一緒にいた2番隊の奴らだったのか・・・?」

 葛城は、ゆっくりと首を横に振る。

「この2年間で、皆・・・死んだよ。俺と最後まで一緒だったのは、雄一だった。3週間前に死んだけどな・・・」

「・・・そうか」

 そして、俺の知っている2番隊は、もう誰もいない。何故か、安堵からの溜息が出た。

「だから、信哉は、遠慮することなく『夕暮れ』を壊してくれよ。先に逝った2番隊の連中も、それを望んでいるはずだからさ」

「ああ・・・」

 2番隊がいないことに安堵した理由は、葛城の言うとおりだろう。これで、心置きなく『夕暮れ』を潰せる。

「なぁ、葛城。俺は・・・」

 だだだだだだだだ!

 2人して、銃撃音の方に顔を向ける。

「おんおん!来たよ!」

 由美が、壁に背を預けながら、銃だけを突き出して断続的に撃ち返している。

 それを見た葛城の顔から表情が消える。だが、それは俺も同様に違いない。

 別れの瞬間。

 今生の別れ。二度と会うことはない。

「信哉。行け。行くんだ。俺のことは、もう気にしなくていい・・・」

 反論を許さない厳しい口調だった。

「・・・すまない。葛城」

「もう行けって。あの子を護ってやれよ。天国・・・いや、地獄にいる2番隊の連中には伝えとくよ。隊長の信哉は、元気だったことを。逃亡したのを許してほしいって言ってたことを」

「・・・馬鹿。お前らは天国に行けるよ」

 葛城に背を向ける。

 これ以上、ここにいたら泣いてしまう。葛城の優しさに甘えてしまう。

 でも、別れは、ちゃんと言おう。背を向けたままでも伝えよう。

 友達だから。大切な存在だから。

「ありがとう。短い間ではあったが、優秀な副隊長でいてくれたことを感謝する。『夕暮れ』唯一の友、葛城真治」

 走り出す直前、待ってくれ、と呼び止められる。息も絶え絶えだ。たとえ、背を向けたままでも聞き遂げなければ・・・

「ありがとな。短い間だったけど、優秀な隊長でいてくれたことを感謝している。一緒に過ごせた日々・・・楽しかった。俺が、生きていることを実感できた。だから、これからも生きてくれ。俺達、2番隊の分まで・・・西園寺・・・信・・・」

 最後まで言葉が紡がれることはなかった。

「お疲れ・・・ゆっくり休んでくれ」

 こんなことしか言えない自分に腹が立つ。

 だから、言葉では伝えきれない想いを『夕暮れ』を潰すことで伝えてみせる。

 一直線に走り出す。

 もう迷わない。もう振り返らない。

 由美の隣に滑り込む。

「すまない。遅くなった」

 と、由美の目が大きく開かれる。

「・・・おんおん、どうしたの?」

 一応、自分の身体を確認してみる。多少の血は付着しているが自分の血ではない。だから無傷だ。心配されるようなことはない。

「なにがだ?別になんともないが」

「だって・・・泣いてるよ」

「えっ?」

 触れた自分の頬。確かに濡れていた。

 ・・・馬鹿な。

 もう枯れたと思っていた。悠治と美希が死んだ日に・・・

 なのに、涙が流れている。

「もしかして、あの中に知り合いでもいたの?おんおんが、北にいた頃の・・・」

 由美は鋭い子だ。

 それを少しずつではあるが、事あるごとに気がついていた。

 そして、今ほど、それを思い知らされたことはなかった。

「・・・ああ。友達だ」

 隠すことは出来なかった。

 葛城は、俺を友だと言ってくれた。その気持ちを踏みにじるわけにはいかない。絶対に。

「だったら、我慢しないで泣いていいよ。その人を、天国に送ってあげないと。おんおんの涙で送ってあげないと・・・たった一人で、逝かせちゃ可哀想だよ・・・だから、泣いていいんだよ?」

「・・・由美」

 由美は、お姉さんと妹を失っている。その最後を知ることもなく・・・

 だから、泣くことさえ出来なかったのかもしれない。自分の涙で見送ることすら・・・

「私がここを片付けるから、その人の傍にいてあげて。少しでも長く・・・」

「・・・ありがとな。由美 。でも、俺も、そいつも大丈夫だ。ちゃんと別れを告げてきた。それに、あいつには、天国で待っている仲間もいる。だから、心配はいらない」

「でも・・・」

「それより、正樹達を援護しないと。俺のせいで時間を食ってしまった。急がないと手遅れになってしまうかもしれない」

 前を向こう。未来に目を向けよう。

 今、護るべき者達のために。

「おんおん・・・うん!了解! じゃあ、こいつらを片付けよう!ここは私に任せて!おんおんは後ろに下がってて!」

 言われるままに後ろに下がる。

 由美は、目を閉じて、敵の足音だけに神経を集中させている。

 数瞬して、腰から手榴弾を取り出し、ピンを抜き、少しだけ待って、思いきり投げた。

 そして・・・

「どっかぁ~ん!」

 言葉通り、爆発。

 音と煙が晴れる頃には敵は呻き声すら上げることなく、地面に転がっていた。

「よし!じゃあ、次行ってみよう!」

 にこにこしている。憑き物が落ちたように。

 ・・・由美と喧嘩しないほうがいいな。

 そう思った。鍛えられた実力の高さ故、うっかり殺されてしまいそうだ。

「おんおん、どうしようか?」

 周囲を警戒しながら近づいてくる。

「・・・やはり、正樹達の援護だな」

 最初の銃声は、正樹達だ。だから、敵もあっちに多く集まっている。

 紗希は心配ない。いつでも逃げられるだけの余裕がある。

「だよね。でも、ここから、正樹達のいる場所は遠いよね・・・」

 由美の言うことはもっともだ。だが、援護の手段がないわけじゃない。

「そこで、一つ提案があるのだが・・・」

 由美が、待った!という風に、俺の顔の前に手を突き出してきた。

「この場所からでも可能な援護でしょ? あっちは敵が多すぎるから、こっちに引きつけないとね。作戦だって、おんおんと同じ短時間でできる過激なやつを考えたよ。だから、ここは安心して私に任せて!」

 おんおんと同じ過激なやつ・・・?俺が考えてるのは、短時間であるにしても、過激ではないんだがな・・・

 自称『過激な作戦』を実行する由美は、女性にしては薄い胸を自信満々に反らし、近くにあった一番高い木に登った。

 だが、その行動はおかしい。俺の作戦では不要だ。何をやってるんだ・・・?

 納得できないでいると、由美は太い幹の上に立ち上がり、周囲を見回し始めた。そして、満足気に頷くと、腰にぶら下がった手榴弾から1つを持ち出し、そのピンを抜いた。

 視線は、物置小屋が密集している箇所に向けられている。

 ・・・まさか!

「待て!由・・・」

「でぇい!」

 遅かった。どちらにしても、ピンを抜いたら、待てもくそもないが。

 高校正面側に向かって投げられた手榴弾は、木片を巻き込みながら炎を吹き上げた。50mぐらい先の物置小屋だろうか。

 手榴弾の爆音が収まると、銃の散発音が耳に届く。おそらく、いきなりの攻撃に錯乱した敵が撃ちまくっているんだろう。

 由美は、その状況に笑顔になって、木から降りてきた。

「大成功だよ!見事に敵の会議室みたいなの吹き飛ばしちゃった! まだ、あそこの物置小屋には、けっこう人数いる気がしたんだよね。こう・・・殺気みたいなのが感じられたからさ。とにかく一気に数も減らせて、正樹たちが相手にしている敵も、間違いなく私達の存在に気づいたね!これこそ一石二鳥!」

「・・・ああ。そうだな」

 手段はどうであれ、結果は俺が求めるものと同じものとなった。

 俺も、まだ敵が多く潜んでいる小屋があるとは考えていたが、どこかは一つ一つ襲撃しながら探し出すつもりだった。そして、そこの敵をわざと1人だけ逃して、俺達の存在を広めてもらうつもりだった。だが、由美の見事なカンで、時間が一気に短縮した。

 いずれ、ここにも多くの敵が押し寄せるが、まったく問題ない。

 朽ち始めた木で構成された物置小屋は俺達の味方だ。なぜなら、М249小銃があるから。これなら、9mmより遠くの距離からでも木で造られた物置小屋ごと、敵を貫ける。

 だが、俺の頭には別の作戦が浮かんでいた。

 校舎内に侵入する方が、敵の裏をかけるのではないか?

 少し考えた末に結論が出た。

「今すぐ校舎内に潜入して、敵を殺したほうが効果的だ。ライフル中心で静かにな」

「えっ?なんで?作戦は挟み撃ちじゃん」

 由美は、首を傾げた。意味が分からないということだろう。

「いいか?ここから、俺達が姿を消したら、敵はどう思う? 間違いなく、逃げた、と思うはずだ。敵の占領下にある校舎内に侵入した、などとは考えない。 俺達が逃げたと考えれば、正樹達の方から来た奴らは爆破された小屋の生き残りと一緒に校舎を突っ切って、再度、正樹たちのほうへ行くだろう。正面には行かない。行く意味がない。圧倒的な火力で、俺達がすでに制圧しているから。裏門の紗希さんなら心配いらない。状況によっては逃げるように、あらかじめ作戦で決めたからな。それに、敵が裏門から逃げるなら、それが一番いい。味方を死なせないですむ。でも、まだ敵は弱っていない。だから、数が2人だけの正樹たちの元へ戻る。反撃の突破口は、そこしかないからな。俺達が校舎内に入ることで、正樹たちの危険が増大することになるが、それは一時的なものに過ぎない。 校舎の2階階段にでも身を潜めていて、敵が1階を通り過ぎたことを確認して、すぐに後を追いかければ、挟み撃ちに持ち込める。たとえ、二階にいることがばれても、問題はない。その時点で敵の戦力分散には成功したことになる。 どちらの場合も、あらかじめ準備しておいたМ249を使えば、瞬殺だ」

 俺の説明に、由美は、おおっ!と驚きの声をあげた。

「さすが、状況判断SSだね」

「こっちに非常口がある。鍵が壊れているはずだから二階に入れるぞ」

 こっち側の校舎には、二階から校庭へと避難するための非常口への階段がある。2年前の時点で鍵は壊れていたから、今でも何の問題無しに侵入できるはず。修理されていたとしても壊せばいい。それに、ドアはガラス張りだ。中の様子を確認してから侵入できる。

「こっち・・・って?おんおん、なんで知ってるの?」

 その言葉に、思わず足が止まる。

 ・・・しまった。俺が『夕暮れ』にいたことを『七色の虹』は知らない。

 だが、今は説明している場合じゃない。

「・・・資料に書いてあったぞ。読まなかったのか?」

 嘘をついた。ここまでは書いてない。

「・・・そうなんだ。私、よく読まなかったからな。じゃあ、そこから行こう!」

 由美も嘘をついた。ここまで来た車の中で、真剣な顔で資料を何回も読み直していたのを知っている。それでも、俺の嘘に気づいたのに、何も言わず敵からの襲撃を警戒しつつ、後ろからついてきてくれている。

 非常口へと向かう階段にさしかかり、正面からの爆音も少し小さくなった。

 そこで俺は由美に謝った。

「すなまい・・・だが、今は信じてくれ。この戦いが終わった後、必ず全て話すから」

「うん。後で必ず話してね」

 心の中で、由美に感謝する。

 由美だって、いつも能天気に笑っている馬鹿じゃない。笑顔に隠されているが賢い子だ。

 さっきの会話から、俺が『夕暮れ』に所属していた、もしくはまだ所属している、ぐらいのことまでは判断できているはずだ。

『夕暮れ』を殺したのだって、手に入れた『七色の虹』の情報は、仲間を殺してでも持ち帰れと命令されてるなんて、なんか可哀想だな、ぐらいまでは想像してるかもしれない。

 それに、さっきの葛城の件もある。

 けど、それでも俺を信じてくれている。

「ありがとう。後で、絶対話すから」

 今は感謝しかできない。

「お礼なんかいいよ。私は、いつでも、おんおんを信じてるもん」

 にこっと屈託の無い微笑を向けてくる。

 その笑顔に、少しだけ、ほんの少しだけ、1歳年下の女の子に惹かれている自分がいた

 そして、美希への罪悪感が生まれた。

 ・・・俺は、死んだ人間まで裏切るのか?

 その気持ちを振り払うように、非常口へと神経を集める。踊り場のある階段だから、まだ非常口は見えない。

 この2年の歳月が鍛えてくれた神経は、扉の外側に敵はいない、と教えてくれている。

 だが、万全を期すために、ポケットから鏡を取り出し、手に持って、ドアを反射するように踊り場から突き出す。

 外側に敵はいない。内側にも敵の姿はなく、侵入可能だ。由美には、頷くことで安全を伝え、非常口のノブへと手をかける。

「おんおん。待って!」

 由美が、俺の手を止めた。

「市販のセンサーみたいなのがついてるかもしれない。自販機についてるような、動かすと大きい音が鳴るやつ。『蠍』を潰したとき、仲間がセンサーに引っかかっちゃったから、注意しないと。同じようなのが、ここにもあるかもしれないよ」

 由美の忠告を受け、非常口内側を確認する。

 ライトで確認した天井は異常なし。ドアの横側も・・・異常なし。床は・・・あった。

 床に置いてあるそれは、単3電池2本を並べたような大きさだった。そこから、線が延びていて、ドアに挟まれている。

 おそらく、少しでも衝撃を与えたら、切れるような仕組みになっているんだろう。ガムテープみたいなのを持ってこなかったのが悔やまれた。

 仕方なく、可能な限り静かにガラスを割った。その範囲を徐々に広くしていき、ライフルが入る大きさにして、撃つ。AK47は一発でセンサーを粉々にした。

 だが、不安は残る。

 二重トラップの可能性だ。センサーはダミーでコードは別のどこかに繋がっていることが考えられる。

 だが、ここで躊躇している間に、正樹と隆史、そして、裏門の紗希に危険が及ぶ。

 覚悟を決め、ドアを開けて、二階への侵入を開始した。

 音は鳴らなかった。とりあえず安心か。

 侵入した非常口は、確か女子トイレの横にある。そこからは普通の高校の風景が広がっているはず。

 気配がないから廊下に敵はいない。

 そう判断して、覗き込んだ様子は2年前と変わっていなかった。同時に、敵がいないことが確認できた。長い廊下に、6つの教室が並んでいて、その扉が全て開いている。

 ・・・扉が開いている教室、か。

「由美。教室に敵がいると思うか?」

 顔を近づけ、可能な限り小声で聞く。

「・・・ドアの開け方が乱雑だよね。ってことは、慌てて正樹達の方に向かった可能性が高いかな。だから、誰もいないと思う。でも、逆に、この静けさが教室に潜んでるとも思わせるよ」

 由美の気持ちはよく理解できる。この静けさは、何か潜んでいるための静けさとも考えられなくもない。

 実際、なんとなく人の気配が感じられる。

 ただ、今は時間が惜しい。端の教室から、危険を確認している暇はない。

 だから、まとめて確認するため『夕暮れ』の非常事態コードを発令することにした。

「ライフルを隠してくれ。俺が今から、暗号で教室に潜んでいる奴らをおびき出す。 もし、出てくる奴らがいたら、そいつらは俺達のことを味方と勘違いするはずだ。だから、安心しきったところを片っ端から仕留める。多すぎて対応できないなら裏門から逃がすしかない」

 これで、由美は俺が『夕暮れ』所属、もしくは所属していた、と断定したはずだ。

 それでも、信じると言ってくれた通り、俺が外した全ての武器とライフルを一緒に女子トイレの中に隠してくれた。

 爆音の中でも、よく聞こえるように大きく、息を吸い込む。

「3匹の狐が逃げ出したぞ!追え!3匹の狐が逃げ出したぞ!追え!」

 3匹の狐は、『夕暮れ』を支配している3人の少年を示している。逃げだしたは、文字通り逃げたか、殺されたかを示す。追えは、あらかじめ決められた場所へ逃げろを示す。さらに、繰り返された回数で、何人の指導者が死んだかが分かる仕組みだ。

 つまり、俺が叫んだ内容はこうなる。

『夕暮れ』は1人の指導者を残して壊滅した。人質とともに、別の場所で再建するから、そこまで逃げ落ちろ。という合図だ。

 耳を澄まして、異変がないか確認する。

 と、物音。

 ・・・やはり、まだ隠れていたか。

 一番遠い、正樹たち寄りの教室から飛び出てくる姿があった。

 1、2・・・3・・・4、5、6・・・

 6人。これなら、反撃されずに殺せるな。

「こっちだ!非常口まで来い!まとめて逃げるぞ!」

 駆け寄ってきた6人は、中学生ぐらいの年で全員が震えていた。どうやら、戦うことができず、ただ単に隠れていたようだ。

 3人の女の子は、お互いをしっかり抱き合いながら声を殺して泣いている。残りの3人の男の中で、まだしっかりしている背の小さい男が震えながらも前に進んできた。

「ご、ごめんなさい!怖くて・・・人を殺すなんてできなくて・・・でも僕達、死にたくなくて・・・だから逃げようと・・・」

 そう言って、全身をさらに震わせ、顔を伏せた。

 それを見て、頭に血がのぼった。今すぐに、撃ち殺したい衝動に駆られる。

 その姿に過去の自分が重なったから。

 ここで殺そう、と由美に振り返るが、そんな指示は伝えられなかった。

 初めて見る由美の表情。

 懐かしむような、それでいて、もう戻らないなにかを重ねているような・・・

 そのまま泣いている女の子たちに近づき、しゃがんで頭を撫でる。3人は突然の優しさに驚いたように由美を見つめた。

「怖かったね。でも、もう大丈夫。お姉ちゃんが必ず助けてあげる。でも、まだ敵がいるの。だから、静かにして教室に隠れてるんだよ。全部、終わったら絶対に迎えに来るから。分かったね?」

 その言葉に3人は泣き止み、男の子に手を引っ張られて、近くの教室に入っていった。

 それを見送ったあと、由美が言い表せない表情のままで頭を下げてきた。

「おんおん。ごめんね、勝手なことして。でも、あの子達を殺したくなくて。どうしても助けたくて・・・ 前に、話したよね? 私には、お姉ちゃんと妹がいたって。あの3人を見て、胸が苦しくなったの。私達に似てるんだよ。3人で抱き合って、お互いを確認し合ってる姿が。 でも、私はお姉ちゃんも妹も失ちゃった。 だから、せめて、あの3人には生きていてほしいな、って思った。私みたいな気持ちを味わってほしくないって」

 そこまで言って顔を上げてきた。そして、無理やり微笑もうとしている。

「でも、やっぱり敵なんだよね。おんおんが殺すって言うなら、私は止めない。でも、絶対に6人同時に殺してあげて。失う悲しみを与えないために。お願い、だから・・・」

 小さな体が全身に力を込めて泣くのを堪えている姿は、我慢ならなかった。

 ・・・殺せない。

 殺せないと思ったのは、紗希以来だ。

 今まで、数え切れないほどの人間を殺してきたのに、この6人だけ殺さないのは、不公平なのかもしれない。だが、由美は、敵を助けようとしている。俺は、一度も敵を助けようなんて考えたことはないのに。

 敵か、味方か。敵なら殺す。味方なら助ける。それだけの認識で充分だった。

 生き抜くためなら、それだけで充分なのだ。

 ・・・けど、俺は、紗希を殺せなかった。

 敵なのに。美希に似ているというだけで、殺せなかった。身勝手な考えだろう。人の生き死にを、感情で決めているのだから。

 ・・・だが、それがなんだというのだ?

 自分の感情に正直になるのは悪いことなのか?思いに従うのは悪いことなのか?

 もう世界は変わった。

 赤い霧前のような平和な世界は、ここにはもう存在しない。

 ここにあるのは、自分の力で、思いで、生きていくしかない世界。ならば、それらが強い者が、世界の決定権を握っている。

 生き抜くというのは、優しいことではない。

『この世界は、弱肉強食だ』

 赤い霧直後の悠治の言葉。

 今なら、その意味が痛いほど理解できる。

 由美が、あの子達を助けたいというのなら、助けるべきだ。

 この世界は、強い者が弱い者に対する決定権を持つのだから。

 悔しければ強くなればいい。それだけのこと。それだけが真実だ。

 だから、俺は強くなろうと思った。弱い自分が悔しくて嫌だったから。

「由美。行こう」

 由美が中学生にやったのと同じように、その小さな頭を撫でる。

「あの子達を助けるんだろう?なら、一刻も早く、敵を殺して壊滅させるんだ」

 その言葉に、由美の顔が明るく輝く。

「ありがとう!おんお~ん!だから、おんおんって大好きだよ!」

 抱きついてきた由美を放す。

「さっさと武器を身につけるんだ!今ので時間をロスしたんだからな!急ぐぞ!」

 由美が、武器を身につけ終わるのを確認して、2階から正樹たちのほうへと接近する。

 廊下を走っている途中で、紗希がいる裏門を見渡せる場所に来た。

 紗希と別れてから、裏門からの銃声は一発も聞こえてこない。まだ敵を足止めしているのだろうか?紗希を探して、視線を下ろした裏門に異変が発生しているのに気づいた。

 門が開いていること自体は問題ない。そこから、敵が逃げていくのは想定済みだ。

 ただ、死体が1つもなく、血痕もない。門前が綺麗なままで残っている。

 誰も裏門を通らなかったなんてありえない。

 今だって、少数ではあるが、なんの障害も無く、逃げていく敵がいる。

 つまり、紗希が、目の前の敵を見過ごしているということになる。それとも、誰かが死体を運んだのだろうか?なら、血痕がないのは何故だ?やはり、紗希が、敵を1人も殺してないってことか?既に前線へと逃げたか、正樹達の援護か・・・

 いや・・・初めから、紗希は裏門にいなかったのかもしれない。

 5人でコーヒーを飲みながらの作戦会議終了後の由美の言葉が思い出される。

『あの時の紗希からはそんな感じがしたの。とにかく一人で作戦をやりたいって。そんな思いが伝わってきたの』『初めてじゃないかな?正樹の作戦に口出ししたの。今日の紗希、変だったな』

 由美は会議終了後に、紗希の様子を、そう語った。

 裏門に何の変化も無いこととなんか関係あるんだろうか?

 だが、今は、正樹たちとの挟み撃ちが、最優先事項だ。詳しく調べている暇はない。

 紗希は、既に退却したに違いない。今頃は、正面の援護部隊と合流しているんだろう。心配はいらない。

 そう自分に言い聞かせて、作戦に集中することにした。

 今は、急がなくては。

 援護部隊からの砲撃音が少なくなってきている。弾切れにしては早すぎる。おそらく、正門側の校舎が崩壊寸前なのか、すでに大部分の敵を殺したんだろう。

 どちらにしても、正樹たちが戦っている敵を殺せば、この戦いにも決着がつく。

 2階から1階へと降りる廊下突き当たりにある正樹側の階段に到着した。

 この壁の向こう側で戦闘が行われている。

「由美。1階の廊下に、足音が通り過ぎたら、踊り場の窓から撃ちまくるぞ」

「うん。じゃあ、あいつらの動きを監視してくるね」

 足音もたてずに踊り場まで降りていった。

 ここまで来ると9mmの銃撃音に混じって、敵の怒鳴り声も聞こえてくる。廊下の突き当たりにある窓から、正樹達の様子を伺う。

 ほとんどの敵がすでに倒れて動かない状態だ。動ける敵は数えるほどしかおらず、木に隠れながら散発的に応戦している。

 1人の敵が発砲のために顔を出した瞬間、運悪く9mmに撃ちぬかれて、倒れこむ。盛大な血しぶき。痙攣。すぐに止まる。

 別の一人が腹を撃たれて倒れる。なんとか生きているそいつは、震える手で上着から写真を取り出し、それを眺めている。やがて、腕から力が抜け、そのまま動かなくなった。

 その様子から、正樹たちがかなり優勢なことが分かる。

 だが、そうなるのも当たり前だ。

 敵は、国内犯罪に使われることの多い22口径と警察が所持している38口径の拳銃が主力だ。軍以外の施設からは、これぐらいしか手に入れることができない。あとは、国内テログループが造りだしたライフルの模倣品を持ってるか持ってないかぐらいだ。

 対して、『虹』は鍛えられた実力の高さに加え、武器が比べものにならないほどに優れている。いくら敵の数が多いとはいえ、挟み撃ちや不意打ちでもしない限り、その差を埋められるものではない。

 階段の踊り場から1階の様子を監視していた由美が2階に戻ってきた。

「来たよ。かなりの数が近づいてきてる」

 2人して9mmを構え、踊り場まで降りて、身を潜める。

 判別できないほどの数の足音が、耳に届いてくる。すぐに、そいつらが外に出るための扉を開ける音が聞こえ、外からの銃撃音がより一層大きくなる。そして、足音も消え、扉が閉まり、外からの音も小さくなった。

 2階に向かってくる敵は1人もいなかった。

 俺達がいることなんて、全く考えていないようだ。真っ直ぐに、正樹たちのもとへと向かっていった。

 構えていた9mmを床に置き、M249を肩から下ろして、2脚をつける。

 これなら腕で持って撃つこともできるし、安定した状態でも撃つこともできる。

 先に2脚をつけ終えた由美が、銃のつまみを1000発モードに設定した。それを見て、750発モードに設定して、さらに由美より少し後にトリガーを引くことにした。

 2人とも同じ設定で、同時に攻撃を開始すると、弾切れがほぼ同時に訪れることになる。その弾倉を交換する隙をつかれて、階下から敵に攻め込まれないようにするための措置だ。

 攻撃開始のために2階の窓へと戻る。

 1階を駆け抜けていった奴らは、9mmの弾幕をかいくぐれず、死んだ者も多い。

 だが、半数ぐらいだろうか。

 それぐらいは、最初からいた奴らに加わって、木の陰から正樹たちを攻撃している。

 転がっている死体の数は数える気にもならない。100人以上は確実だ。殺しておいてなんだが、悲惨としか言いようがない。

 窓の下に、近くの教室から机を持ってきて、銃の足場にした。それからM249を取ってきて窓を開け、近い敵から狙いを定める。

『夕暮れ』の終焉は近い。

 由美とともに、引き金を引いて、正樹たちと2階で挟み撃ちを開始する。

 背中を撃たれた敵が、悲鳴すらあげずに倒れる。どんどん倒れる。

 挟まれたことに気づいた『夕暮れ』は木の陰から逃げようとする。

 それが死を早めた。

 正樹達が、木の陰から飛び出す奴らを、適確に撃ち殺す。

 どんどん死体が増えていく。

 どう考えても『夕暮れ』に勝ち目はない。

 それなのに、生き残った奴らは木の陰から逃げずに応戦している。

 なぜ逃げないのか?答えは分かっている。このやり口は2年前と何も変わっていない。

 人質がいるからだ。

 逃亡が発覚すれば、兄弟や姉妹といった唯一の肉親、大切な恋人が、すぐに殺される。

 ここに残っている奴らは、2年前の反乱失敗での見せしめを、その目で見た者達だろう。

 裏門から逃げた奴らは、それを知らないか、人質より自分を選んだ人間だ。

 別にそいつらを責めようとは思わない。

 こんな世界では、何が正しくて、何が悪いかなんて、人それぞれが決めることだ。

 それでも、ここで戦っている奴らは、人間らしい人間だと、俺は思う。

 大切なものを護るために戦っているから。

 ここに残っている『夕暮れ』は、鍛えれば間違いなく優秀な戦士になる。

 想いは人を強くするから。

 俺は、それを知っている。

 でも、今は敵だ。

 素質があっても味方として出会えなかった。悲しいことだが仕方のないことだ。

 そんなことを考えていると、M249の弾倉が底をついた。すぐに取り替える。

 由美との掃射で、とりあえず立っている敵はいなくなった。標的を変更して、地上にある全ての死体に向かって撃つ。

 10体が、銃弾に反応した。死んだふりなど無意味だ。これで、地上に敵はいない。

 次は木の上。

 葉が生い茂る部分を集中的に狙う。横では由美が、死体に向かってさらに撃っている。

 端から端まで撃った木の上からは、結果として15人の敵が落ちてきた。

 そいつらも片っ端から殺していく。

 これで動く敵はいない。

 それでも敵が来ないかどうか、しばらく待った。それに、まだ生きている奴が死ぬのを待つための時間でもある。

 やがて、正樹たちが木の隙間から出てきて、手を振ってきたので、それに応じ、正樹たちへの元へと向かう。

 俺と由美が、一階に着くと、隆史が警戒していた銃を下ろす。

「終わったな。残っている敵は、援護部隊が校舎を隅々まで粉々すれば、問題ない」

 それを聞いた由美が慌てる。

「待って!校舎の中に助けたい子がいるの。その子達をつれてこないと!」

 正樹が、首を横に振る。

「それはできない。スパイで痛い目を味わうのは『蠍』のときだけで充分だ。もう仲間を不必要に失いたくない」

 正樹の正論に、由美が崩れそうになるのが分かった。

『私達に似てるんだ』

 あの子達を助けたときに言った由美の言葉と姿が脳裏を過ぎった。

 ・・・まったく。今回だけだからな。

「正樹。俺からも頼む。あの子達を助けてやってくれ。基地に帰ってからの責任は、俺と由美で持つ」

 そう言って頭を下げると、由美が驚いた顔で見つめてくる気配を感じた。

「・・・仕方ないな。園寺までそう言うなら助けていいよ。でも、佐々木隊長がどう判断するかは、2人の説得に任せるから」

 途端に由美の表情が明るくなる。

「ありがとう!私、つれてくるね!」

「待て。俺も行こう」

 1人で走り出した由美を隆史が追う。まだ敵がいるかもしれない。

 正樹とともに、周囲に敵がいないか確認しようと校舎に背中を向けた。

 だだだだだだだだっ!

 視線を逸らすのを待っていたように、背中に響く乾いた銃撃音。

 正樹と同時に別々の木の陰へ隠れる。

 これは連射式だ。こんな武器があるなら、壊滅前に使えばいいだろうに。

 だだだだだっ!だだだっ!

 だが、続けざまの銃撃は、俺達の近くに着弾しない。それに、音が室内での発砲音。どうやら、俺達を狙ってるわけではないらしい。

 だだだっ!

 音と同時に少しだけ顔を出して確認する。

 4階にある中央の部屋のガラスが破片となって輝きながら落ちていく。

 ・・・図書室!

 渡された資料には何の記載も書かれてなかった場所だった。それに、忌まわしい2年前の記憶を忘れようとしていたから、思い出せなかった。

 資料に記載がなかったのは、密偵の力不足でもなんでもない。どうしようもないことだ。

 なぜなら、あそこは『夕暮れ』の隊長格以外は近づくことすら許されないから。

 つまり、図書室は、3人の青年、それを護る親衛隊、そして人質が隠されている『夕暮れ』の中枢だ。

 思い出した今は一刻も早く、あそこを制圧する必要がある。図書室で銃声が起きたということは『夕暮れ』に、決定的な異変が起きたに違いない。

 でも、正樹を連れていくことはできない。

 あそこに残っている『夕暮れ』は、2番隊隊長だった俺を覚えているだろう。

 スパイ容疑をかけられてしまっては、『七色の虹』にいることは難しくなってしまう。

 それに、過去との決着のためにも、1人で行かなければならない。

 ここから図書室までの最短距離を思い出す。

「正樹!由美と隆史を連れて、先に戻ってくれ!」

「えっ?・・・あっ!おいっ!」

「頼んだぞ!」

 正樹の声を無視して、校舎の中へと走りこむ。2階へと上り、2階から3階、3階から4階へと一気に駆け上る。

 そうして辿り着いた4階は、砕けたガラス以外、静けさを取り戻していた。慎重な足取りで、可能な限り息も止めて、図書室へ近づくと、その扉が開いているのが分かった。

 もはや慣れてしまった血の匂いが鼻をつく。

 この距離で、血の匂いを感じられたからには、かなりの人間を殺したに違いない。

「・・・うして殺したの!?」

 いきなり廊下に響き渡った声に、近くの扉が開いている教室へと、警戒もせずに飛び込んでしまった。

 だが、運がいいことに飛び込んだ教室に敵はいなく、この教室で体勢を立て直すことにした。速くなった鼓動が落ち着かなければ、まともな判断はできない。

 落ち着き始めた頭で考える。

 廊下に響き渡った声は、女のものだった。

 図書室に入れるような女の隊長格が美希以外にいただろうか?この2年間で、美希以来の女隊長が生まれたのかもしれない。

 だが、あの叫びは、突然発生した事態に戸惑っているようだった。

 それに、聞き覚えがあるような気がする。

 状況を判断するためにも、もう少し様子を見なければならない。

 教室のドアに近づき、図書室の様子を伺う。

「・・・仕方なか・・・こいつらは俺を殺そうと・・・でも、さきの・・・」

 少し高めだが、男の声。それに、殺す、と、さきという単語。

 さき?・・・先?・・・紗希・・・?

 紗希!?・・・いや、まさか、な。そんなはずはない。今頃は前線に合流しているはず。

 だが・・・紗希が図書室にいるとしたら、なぜここにいる?

 図書室は『夕暮れ』の中枢。隊長格でもないのに、簡単に入れるわけがない。

 まして、紗希は『虹』だ。『七色の虹』結成前からのスパイだとでも・・・

「お姉ちゃんがここに!?」

 響き渡る声。本当に紗希によく似ている。

 まさか、本人か?それより・・・

 ・・・お姉ちゃん?

 俺の記憶に間違いがなければ、紗希に姉妹のことを聞いた時、記憶喪失だから覚えてない、と言っていたはずだ。

 ・・・記憶喪失は嘘か?

 だが、なんのためにそうする意味がある?

 それを確認するためと会話の詳しい内容を聞くために、足音と気配を消して廊下へ出る。

 明確になってきた男の声が届いてくる。

「・・・っとここで見つけた。でも、ここに来るまで、3つの集団を回ったよ。おかげで、行方不明期間が長すぎて、佐々木隊長は俺が死んだと思っているだろうね」

 行方不明。佐々木隊長・・・

 そうか。この男・・・じゃあ、この男が話している相手も・・・

「それで、美希お姉ちゃんは?」

 体が、雷にうたれたように動かなくなる。

 美希!?馬鹿な・・・なぜ、この瞬間に美希の名がでてくる・・・!?

「・・・1年前に死んだらしい。まず、間違いない情報だ。『夕暮れ』で初の女隊長だったから、美希さんを覚えている者も多かった。それに、お前の写真を見せた全員が、この人が美希だ、と言ったからな」

「お姉ちゃん・・・死んじゃったんだ」

 こんなに悲しげな声は初めて聞いた。何の抑揚もない。真っ白って感じだ。

「けど、美希さんには、2番隊隊長の彼氏がいたって話だよ。しかも、俺そっくりの奴が。ここに来た時、裏切り者!って叫ばれて、殺されかけたんだから。もう大変だったよ。でも、『夕暮れ』の奴らは弱すぎて、相手にならなかったよ。少し痛めつけたら、すぐに逃げ腰になるんだもん。まぁ、それはおいといて・・・その彼氏さんは、美希さんが死んだ戦いの最中で『夕暮れ』から姿を消したらしい。いきなり姿が見えなくなったし、死体が確認できなかったから、と2番隊の者が言っていたから、これも間違いないと思う。一応、彼氏の名前も聞いておいたけど、どうする?知りたい?」

「・・・教えて」

「彼の名は、西園寺信哉。 偶然だね。姉妹の彼氏が同じ名なんて」

 同じ名・・・やはり、村上信哉か!

『草原の狼』との戦いで行方不明になった紗希の彼氏が、なんで中枢の図書室に・・・

『夕暮れ』を軍として組織化したのは、こいつか?そう考えるのが正しいだろう。

 村上信哉なら『虹』の一人として、佐々木隊長から軍人の知識をかなり教えこまれたはず。それを使えば、軍化も可能だ。

 つまり、村上信哉は『七色の虹』を裏切ったことになる。

 裏切り者は殺せ。

 佐々木隊長は、部屋を出て行こうとした俺たちに、そう命令した。

 紗希の彼氏を殺せるかは分からない。

 紗希に初めて出会ったときと同じように撃てないかもしれない。さっきの6人みたいに助けてしまうかもしれない。

 だが、村上信哉がやったことは、どんな理由があっても、間違いなく『七色の虹』に対する裏切り行為だ。紗希の彼氏であろうと、愛した人の妹の彼氏であったとしても・・・

 俺は、殺さなくてはならない。

 静かに図書室に入り込む。本来なら、外から問答無用で撃ちまくるのだが、今回は、紗希がいる可能性が高いため、それが出来ない。

 入った途端に、むせ返るような血の匂い。

 床に転がる人間。10人近く。その中に見覚えのある顔。3人の指導者と2人の隊長。

 事実上の『夕暮れ』壊滅。

 視線を図書室の奥に移すと、やはり、紗希がいた。ただ、後ろ姿だから、俺には気づいていない。

 村上信哉を探し、部屋を見回す。

 すぐに見つけられたが、紗希が間に立っているために、村上信哉を撃てない。

「紗希さん!そこをどくんだ!」

 紗希が振り返ってきた。

「西園寺君!?」

 村上信哉が、紗希越しに警戒することもなく、笑った顔を出してきた。

「・・・って、俺!?俺とそっくりじゃんか!名前だけじゃなくて、顔までこんなにも同じなんて・・・なんか気持ち悪いね」

「・・・同感だ。俺の顔で、そんなにニヤニヤするな」

 俺そっくりの笑顔に、村上信哉への苛立ちが募る。それを止めることが出来そうもない。

 お前が、そうやって笑えるのは、大切なものを失っていないからだ。

 決定的な違い。

 お前には、紗希がいる。

 俺には、美希がいない。

 だから、お前は笑えるんだ。失ってないから。だが、俺の前で、そんな風に笑うな。

 美希との失った日々を思い出すから。

 その笑顔は、あの頃の幸せ・・・美希と悠治がいた、あの頃の最高の笑顔。

 だから、笑うな。そんな風に笑うな。そんな顔で俺を見るな。俺の心をかき乱すな。

 ・・・お前を殺したくなるから。

 だから、そんな風に・・・

 熱い意識とは対照的に、戦士としての部分が、普段以上に冷静でいることが自覚できた。

 もう迷うことはない。

「紗希さん。そこを退くんだ。俺は、村上信哉を殺す」

 紗希が、大きく目を見開いた。

「なんで!?信哉は、味方・・・」

「紗希さんの彼氏であろうとも、裏切り者には違いない。佐々木隊長からの命令はなんだ?裏切り者は殺せ。紗希さんも聞いたはずだ。村上信哉は、『七色の虹』で得た知識を駆使して『夕暮れ』を軍化させた。そこにどんな理由があろうとも裏切り行為だ」

 紗希が、首を横に振って、拒絶の意思を伝えてくる。

「・・・それは違う!私の話を聞いて!」

「違わない!裏切りは裏切りだ!」

 紗希の体が狙撃コースに入らないように、横に移動して、9mmの照準を村上信哉へと合わせる。笑顔の村上は、怯むことなく一歩も避ける動作をとらない。

 紗希が、またもや俺と村上信哉の間に入ってきた。わざと舌打ちしながら銃を下ろす。

「退けと言ってい・・・」

「美希お姉ちゃんなの」

 紗希の言葉に、動けなくなってしまった。

『美希』

 そう聞くと、胸の高鳴りを、動揺を抑えることが出来ない。

「信哉は、私のお姉ちゃんを探してくれていたの。 戦闘中にわざと行方不明になることで、自由を得て、探してくれていた・・・私が記憶喪失っていうのも嘘。私が記憶を失えば、由美も正樹も隆史も、誰も信哉のことを気にしなくなって、隠し通せると思ったから」

 紗希の手段は正しいのだろう。スパイに敏感な『七色の虹』から、人探し程度の理由で、抜け出せるはずがない。だから、村上が行方不明という手段をとったのは理解できる。

 だが、行方不明と他集団への助力は別問題だ。逸脱した行為は、裏切り行為でしかない。

 隊長命令は絶対だ。

 でなければ、規律が保てない。

 けど、なにより・・・

 俺個人が、村上信哉を許したくなかった。

 俺と違って、何も失っていないこいつを生かしておきたくなかった。

 自分勝手なのはよく分かっている。

 それでも、俺の顔で、幸せな顔をするのだけは許せない。戻ってこない日々を思い出すのは、もう嫌だ。胸が苦しくなるだけだから。

「だが、村上信哉の行為は裏切りだ。いかなる理由があるとは言え、『夕暮れ』を軍化させようとして、『七色の虹』に攻め込もうと企てたのは、裏切りでしかない」

 紗希は、見ていて痛いほどに下唇を噛んでいて、握りしめた手も白くなるほどに力がこもっている。

「でも・・・それでも・・・西園寺君は、お姉ちゃんを護れなかったじゃない!お姉ちゃんを護れなかった人に、信哉を殺す権利なんかない!」

 紗希の激昂した声と、その言葉が胸に突き刺さり、何も考えられなくなって、体が浮いているような錯覚に捕らわれる。

 紗希が銃を取り出し、俺の胸に標準を合わせているが、避けるという動作さえとれない。

 胸の鼓動が嫌というほど聞こえてくる。

 マモレナカッタ。

 まもれなかった。

 護れなかった。

 護れ・・・なかった。

 再認識させられた事実。

 俺は・・・美希を護れなかった。

「それは違うよ。紗希」

 村上信哉の声に、意識が引き戻される。

「西園寺信哉は、美希さんを護れたよ」

「えっ?」

 紗希が、銃を下ろした。

「確かに、美希さんは死んでしまった。でも、美希さんと同じ時間を過ごした人は、こうやって生きている。 美希さんと一緒に、笑って、泣いて、怒って・・・誰よりも、美希さんに近い場所にいた西園寺信哉は生きている。紗希と幼い頃に生き別れてしまった美希さんがどんな人生を送ってきたのか? それを知っている人は、君の目の前にいる。美希さんとの思い出を護っている西園寺信哉がいる」

「・・・綺麗ごとだよ、そんなの。お姉ちゃんが死んじゃったのには変わりないよ。やっぱり、私は西園寺君を許せない」

「紗希。西園寺信哉がいなかったら、誰も美希さんを覚えている人はいないんだよ? だったら、逆に感謝しないといけない。美希さんが好きだった人を恨んじゃいけない。彼がいたことで、美希さんは幸せだったはずだよ。だから、感謝しないと。恨んだりしたら、天国の美希さんに怒られちゃうよ」

「でも、私は・・・」

 それっきり黙ってしまった。村上信哉は、何度も何度も紗希の頭を撫でている。

「西園寺信哉を許してやるんだ。これが、俺からの最後の願いだ」

 少し悲しげな表情をした村上が、紗希を抱きしめながら、俺に顔を向けた。

「西園寺信哉」

 俺の名を呼んだ村上の声には、表情と同じような悲しみが込められていた。

「・・・なんだ?」

「力試しだった」

「なに?」

「俺は、自分がどれだけの力を持っているか知りたかった。だから、美希さんを捜して辿り着いた『夕暮れ』に助力した。だって、そうだろ? 男なら誰にだってあるはずだ。自分の力を試したい。どこまで通じるか確かめたい。数ばかりが多くて、こんなにも弱い集団は初めて見た。俺の心に、いらつきと期待が生まれた。ただ数が多いだけの愚か者達。けど、こんなに弱い『夕暮れ』を強く出来るのは、俺しかいない。それを見届けたい。だから、『七色の虹』を裏切ることになっても、自分の力を確かめたかった。これも、男の性ってやつなのかな」

 村上信哉が大きく溜息をついた。

 その顔には、今までと違う種類の笑顔があった。なんというか・・・

 諦め、のような。

「でも、俺は佐々木隊長のようには出来なかった。結局、俺の知識も強さもここまでだってことだ。今日だって、実質、君ら5人に負けたようなものさ。だから・・・」

 村上信哉が、天井を仰いだ。

「紗希を頼む」

 話の流れが、全然つかめない。

「なに?どういう・・・」

 そこで気づけた。

 こいつ、まさか・・・

 村上が、紗希に小さく耳打ちして、抱きしめていた体を突き放すが、紗希は大きく目を見開いて、固まったように動かない。

 そして、村上信哉の手が、腰に伸びた。

 ・・・くそっ!やっぱりそうか!

「紗希さん!とめるんだ!」

 ぱんっ!と乾いた音。

 すぐに、どさっ、と倒れる音。

「信哉!?」

 村上信哉の腹部がどんどん赤くなっていく。

 ・・・間に合わなかった。

 村上信哉は死ぬ。

 病院も、医者もいなくなった世界の傷で、出血を伴うものは、どんなものでも死を意味している。

「信哉!」

 紗希が駆け寄ると、村上が震える手で銃口を向けた。紗希が立ち止まる。

「来るな。俺は、裏切り者だ。たとえ『七色の虹』に戻っても殺されるだけだ」

 村上が優しく微笑む。まるで、痛みなど感じていないように。見る者全てに、安らぎを与えるような微笑みを。

「だったら・・・俺は、ここで死ぬよ。1ヶ月ぶりに、紗希と再会できたこの場所で。最後に会えたこの場所で・・・これ以上、紗希と一緒にいたら、足掻いてでも生きていたくなるからさ」

 紗希は銃口を気にすることなく、村上信哉へと駆け寄って、その体を抱き起こした。

「なんでこんなことを・・・足掻いてでもいいから生きて欲しかったのに!」

「それは、出来ないよ・・・『夕暮れ』に助力した時点で、俺の運命は決まっていた。生か死か。それしかなくない。他の選択肢なんて無い。それに、俺は『七色の虹』以外では生きていけないと思う。あんな居心地のいい場所はないから。これからの厳しい環境に、いつか精神が駄目になって、油断したところを殺されるのがオチさ。それよりも、俺との逃亡生活に、紗希を巻き込みたくないんだ。俺の目の前で、紗希に死なれて欲しくないから。だから、お前は『七色の虹』に帰れ。これからも生きていくんだ」

「・・・なにそれ?そんなの信哉の身勝手だよ・・・おかしいよ」

 紗希の声が震え始めた。

 これからは二人の最後の会話。俺は、ここにいないほうがいい。2人にとって、大事な人を護れなかった俺は、いないほうがいい。

 廊下へと出るために、2人に背中を向ける。

「待つんだ。西園寺」

 村上信哉に呼び止められたが、立ち止まるだけで精一杯だ。振り返ることはできない。

 紗希の顔を見たくなかったから。怒っているであろう顔を見たくない。そこに美希の残像を重ねてしまいそうだから。

『どうして助けてくれなかったの?私を好きだったら、助けてくれるはずなのに・・・私は、あなたを許さない』

 紗希と美希に、責められるようで振り返れない。

「・・・すまん。村上。俺は行く」

 廊下へと歩を進める。

 村上信哉は、何か言おうとしているが、言葉になる前に声が消えてしまっている。

「西園寺君。お願い。聞いてあげて」

 覚悟していた罵倒や怒声はなかった。ただただ優しい声。

 紗希のことが、逆に心配になった。

 村上が死んだら、後を追って自殺するんじゃないか?そう思わせるだけの落ち着きと迫力が優しげな声に込められていた。

 紗希と目を合わせないようにして、振り返ると、村上信哉は上半身だけを起こして、苦しげな表情の中にも笑顔を浮かべていた。

「これから話すことは『七色の虹』全員の命に関わる重要なことだ。佐々木隊長から、これを伝えられているのは、『虹』の中でも俺だけおのはず・・・ごぼっ!」

 村上が咳き込むと夥しい量の血が吐き出された。見ているだけでも辛すぎる。

 葛城のように穏やかな死は、村上には訪れないようだ。人の死が、こんなに鮮明なものだとは想像もしていなかった。

「信哉!もういいよ!」

「・・・いいから紗希も聞くんだ。西園寺信哉。君が、この真実を聞いて、どう行動するかは、自由に決めてくれて構わない。けど、紗希だけは護ってくれ。頼む」

「・・・・・・」

 答えられない。

 俺は、紗希を護るべきなんだろうか?なにより護りきれるのだろうか?美希のように、また護れずに失ってしまうんじゃないか。

 村上が、俺から紗希へと視線を移した。

「紗希。西園寺を恨むな。美希さんが愛した人だ。分かったな?それと、正樹達に、元気で、と伝えてくれ。あいつら・・・まだ生きているだろう?」

「・・・うん」

 村上の顔から、微笑みも苦痛に歪んでいた表情も消えて、真剣な顔が現れた。

「なぜ『七色の虹』は軍化させられているのか?それは、ある目的のためだ。その目的とは・・・」


 夜明けが近い。

 長いようで短い殺し合いだった。

 窓から差し込む朝日が、少しずつ強くなっていく。

 その中で、1人の人間が息を引き取った。

「・・・さよならだね。信哉」

 明るくなりつつある朝日の中で、微笑んだまま死んだ。

 村上信哉が死んだ。

 紗希は、ただの物体となった村上信哉を床に横たわらせて、胸の上で手を組ませた。

「・・・戻ろう。西園寺君」

「ここに置いていっていいのか?」

 紗希は立ち上がって、小さく頷いた。

「由美にも、正樹にも、隆史にも・・・誰にも、信哉が裏切ったことを知られたくない。行方不明のままでいい・・・だから、西園寺君も皆には黙っていて」

「分かった」

 廊下へと出た紗希の背中を追う。その背中は、見た目には落ち着きを取り戻している。

 村上の話を聞き終わってから、紗希は声をあげて泣き続けた。そんな紗希の頭を撫で続けていた村上信哉。

『紗希を護ってくれ』

 それを眺めながら、村上の言葉を、どう解釈すればいいのか考えていた。

 どうすれば?どうやって?俺が紗希を好きになる?友達として?彼氏として?

 分からない。何も分からない。

 考えているうちに、村上信哉の手から力が抜けて、床についた。

 そして、夜明けとほぼ同時・・・

『今までありがとうな。紗希・・・』

 それが最後だった。人が息を引き取る瞬間は、想像していたよりも明確に感じられた。

「西園寺君」

「・・・なんだ?」

 階段で振り返ってきた紗希は、笑顔だった。

 ・・・紗希は、大丈夫なんだろうか?壊れてないか心配になってしまう。

「基地に帰ったら、美希お姉ちゃんとの思い出を聞かせて。いいかな?」

「もちろんだ。なんでも聞いてくれ」

 ささやかな償い。

 俺が出来ることなんて、それぐらいしかない。包み隠さず全て話そう。俺と美希の思い出を。楽しかったこと、辛かったこと・・・出会いから別れの瞬間まで。その全てを。

「ありがとう」

 まだ夜の残滓を宿した朝日に照らされている笑顔に、なぜか胸が締め付けられた。

「・・・すまない」

 考えるより先に口が動いていた。

 なせ謝ったのかは自分でも分からない。でも、謝ったのは間違えていないと思った。

「謝らないで。お姉ちゃんは、きっと幸せだったから。だから、西園寺君も自分を責めるのは、もう駄目だよ」

「・・・紗希さん」

 頭が混乱してしまい、何を言っていいのか全然分からない。

 何も言えないまま、校舎から裏門へ続く中庭に出る。

「あっ。そうだわ」

 中庭から裏門から外に出たときに、紗希が声をかけてきた。

「信哉から伝えられた佐々木隊長のやつなんだけど・・・皆に、伝えるべきかな?」

「そうだな・・・」

 村上信哉から伝えられた『七色の虹』が軍化されている理由。驚くべき内容だったが、理由としては納得のいくものだった。

 だが、その内容を伝えたらどうなる?

『虹』はともかく、一般兵は耐えられないに違いない。おそらく『虹』に残るのは、赤い霧に大切な人を奪われ、まだ恨みを持っている者だけになるだろう。

 ・・・しかし。

 そんな人間は、どのくらい残っている?

 今では、毎日を生きるだけで精一杯になっている状況だ。恨んでいるとか復讐だとか、そんなことを考えている余裕はない。

 それに、そういった感情は薄れていくことが多い。俺も、悠治と美希に関して、1年前と同じだけの想いがあるかと聞かれると、正直、疑問が残る。

「話さないほうがいいと思う。いずれ、佐々木隊長から言われるだろうから、それまで待ったほうがいい」

「そうだよね。私もそう思う。やっぱり黙ってたほうがいいよね」

 そして、何かを考え込むかのように視線を空に向けた。

 来たるべき日の事を考えているに違いない。

 空には、もう夜はあまり残っていいない。

「・・・実行が決まったら、行くのか?」

「ええ。信哉の仇を討てるんですもの。私は、一人でも行くわよ」

「・・・そうか」

 俺は・・・どうしたいんだろう?

 美希の、悠治の、両親の仇を討ちたいんだろうか?分からない。全然分からない。

『紗希を護ってくれ』

 村上信哉の遺言に従うなら、俺も紗希に従わなければならない。だが、あの言葉を聞いて以来、判断力が鈍っている気がする。

 揺らいでいる。

 波に翻弄されるように揺れている。

 何を考えても、冷静に、落ち着いて、判断することが出来ない。

 それでも考えを巡らしていると、民家の角から小柄な人影が現われた。

「あっ!紗希~!おんおん!」

 由美だ。馬鹿みたいに手を振っている。その姿は、まるで尻尾を振る犬そのものだ。そして、犬のように全力で駆け寄ってくる。

「2人とも心配したんだよ~!」

 駆け寄ってきた勢いそのままに、抱きついてきた。突然の行動に反応が出来ず、避けることが出来なかった。

 薄いながらも一応はある胸の膨らみに、鼓動が早くなってしまう。

「抱きつくな!暑苦しい!」

 全力で引き離そうとするが、そこはさすがに由美だ。こびりついたガムみたいに、なかなか離れない。う~んう~んと唸りながらも、引っ付いてくる。

 と、背中を冷たい風が吹きぬけた。夜風などではなく、冷蔵庫の冷気みたいな・・・

 俺はこれをよく知っている。

 戦場でよく感じるこれは・・・

 殺気!?

 顔だけで振り返ると、笑顔満開の紗希がいた。だが、オーラがやばい。笑顔の般若。作り物と実物では、あまりにも違いすぎる。

「そんなに抱きつかれて・・・羨ましいわね、西園寺君。でも、由美。そろそろ離れてくれるかしら?」

 紗希の声を聞いた由美が、抱きついたままで、俺の肩越しに紗希へと視線を移した。

「え~!?まだいいじゃん!・・・って、あれっ?紗希、目が赤いよ。どうしたの?」

 まずい。今まで気づかなかったが、よく見てみれば、確かに泣きはらした目をしている。

 村上信哉のことを話すことはできない。適当にごまかさないと。

「敵のスモーク弾だ。俺は平気だったが、紗希さんは直撃を受けてしまった。だから、目が赤いんだ。あまり気にするな」

 由美は、一瞬顔をしかめたが、

「・・・ふ~ん。そうなんだ」

 すぐに笑った。だが、由美のしかめっ面が気になった。勘のいい子だから、何か気づいたかもしれない。しかし、村上信哉までは考えていないだろう。そこまで辿りつかなければ、何を考えていようが問題ない。

「あっ。そうだ」

 由美が俺の耳元まで顔を近づけてきた。

「おんおんと『夕暮れ』の関係、教えてくれるんだよね?」

 ・・・忘れていた。村上信哉との出会いの印象が強すぎて、そんな約束忘れていた。

 だが、確かに約束した。

「・・・ああ。全部、話すよ」

「心配ないよ。大丈夫。私は、いつでもおんおんの味方だから」

 そう言って、耳に息を吹きかけてきた。

 全身に、こそばゆい痒みと痺れが・・・

「・・・だから、そういうことをするなと言っているんだ!」

 全力で体を引き離した。

「ぶぅ~・・・まぁいっか!帰ろうよ!」

 由美は、背を向けて走り出した。

 ・・・無邪気だな、本当に。信哉のことを言わなくて良かった。由美は感受性豊かだから、紗希ほどではないだろうが、それでも、かなり悲しむだろう。

 正直、由美が沈むのを見たくはない。

「ふ~ん。西園寺君って、モテるのね」

 紗希が立ちすくむ俺を追い抜いた。

 ・・・なんか怒っている?

「別に。そんなことないが」

「さぁ?どうだか・・・」

 紗希は、さらに歩速をあげた。

 ・・・やっぱり怒っている?

「2人とも早く~!」

 曲がり角から手を振る由美がいる。本当に犬だな。思わず笑みがこぼれた。

「行こう。紗希さん!」

 走り出した瞬間、背中に爆撃音が響いた。

 前線からの砲撃だ。校舎ごと吹き飛ばすことで、多数の死体を下敷きにするんだろう。

 その中には、『夕暮れ』の友、葛城もいる。

 そして、村上信哉もいる。

 立ち止まり、朝日と爆発による光に照らされた校舎を眺める。

 どうしようもなく想いが溢れてくる。

 一年の歳月を美希と悠治と共に過ごした場所。そして、2人が死んだ場所。村上信哉が死んだ場所。紗希が泣いた場所。嫌なこともあったが、それでも楽しかった場所。

 それが崩れていく。

 無くなってしまう。

 村上。俺は、紗希を・・・

「西園寺君。もう・・・行こうよ」

「・・・そうだな」

 走り出した小さな肩は震え、堪えきれない嗚咽が漏れていた。

 やがて、校舎が音を立てて崩れた。

 ・・・今日、俺と紗希の中で、確かに、大切な何かが終わった。

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