第2話  始まり

「敵は『夕暮れ』という北の集団だ」

 佐々木隊長は、俺達一人ひとりに資料を手渡しながら説明を始めた。

「どこにでもある数だけ多い集団だが、この3週間で、その力が驚異的なまでに増大している。 原因は、つい最近『夕暮れ』にやってきた奴が指導しているため、とのことだ。そして、潰した集団の生き残りを吸収しながら、こちらに向かう作戦を開始しようとしているらしい。 我々は、その力が脅威になる前に潰しておかなければならない。よって、奇襲を行い、『夕暮れ』を潰す。君らに従う兵の数と構成は資料の通りだ。各自、よく見ておいてくれ。出立は、本日の日没。以上だが、何か質問はあるか?」

 俺の意識は、手元にある資料に釘付けになっていて、隊長の話は耳に聞き流すだけになっていた。

 ・・・まさか、また北に戻ることになるとはな。しかも、『夕暮れ』が相手とは、笑ってしまいそうになるほどの偶然だ。

 隊長も『虹』も、俺が『夕暮れ』に所属していたことを知らない。今までも、そして、これからも言わないほういいだろう。それに、言いたくない。

 言ってしまえば、『夕暮れ』について隅々まで聞かれるはずだ。そうなると、美希や悠治のことまで、話さなくてはならなくなるかもしれない。

 視界の隅で、誰かの手が上がる。

 資料をめくっていた正樹だ。

「軍化している・・・つまり、隊長以外にも、指揮できるだけの力、もしくは、軍の知識を持ったような大人が、存在しているということですか?」

「それについては全く分からん。密偵からの話では、『夕暮れ』の上層部しか、その正体を知らないだろう、とのことだ。探らせることもできるが、逆に捕まってしまい、俺達の情報が流れてしまう可能性があるから、無理はさせられん。スパイと言っても、所詮はどこにでもいるような子供。情報を護るより、命が大事で、全てを喋ってしまうに違いない」

 佐々木隊長の声色には、馬鹿にしたような響きが込められていた。

「ただ確かなのは、そいつの指揮によって、『夕暮れ』が我々の脅威となりつつあるということだ」

「しかし、今回はかなり北ですね。燃料を考えると、戦車とヘリによる支援は無理ですよね。ということは、手榴弾と迫撃砲がメインですか?」

 ・・・戦車まであるのか。この世界では、強すぎる戦力だ。だいだいの集団は、警官やどっかの事務所から盗んだ拳銃がメイン武器なのに。だから、武器庫が襲撃されるわけか。

「そういうことになるが、迫撃砲があれば充分だ。使うときは敵からの攻撃に注意するようにな。手元で爆発なんざ洒落にならん。物陰に隠れている敵には火炎びんも使え。火と煙でかなりの効果がある。ただし、風向きに注意しろ。万が一、敵に迫撃砲が奪われた場合は、それで攻撃される前に、他の迫撃砲で、確実に敵ごと粉砕しろ。1つたりとも、敵に渡してはならん」

「分かりました。連れて行く皆にはそう伝えておきます」

 そういえば、さっきから正樹と隊長しか喋っていない。隣に座っている隆史に小声で理由を聞いてみることにした。

(なぁ。さっきから正樹しか質問してないけど、何か理由あるのか?)

 隆史はいつもどおりの難しい顔で、視線を俺に向けた。

(正樹は『七色の虹』の隊長だからな。もともと信哉が隊長だったんだが、行方不明が判明して、副隊長だった正樹がすぐに戦場における隊長になったんだ。そして、佐々木隊長が戦場にいない場合は正樹が指揮をとる。だから、よほどのことがない限り、正樹以外は質問しないんだ)

 ってことは、今回の奇襲に、佐々木隊長は行かないんだな。

 と、佐々木隊長と視線が交わる。

「ところで、西園寺。君は北から来たんだったな。『夕暮れ』について何か知らないか?」

 やはり聞かれるか。疑いが及ばない程度で話さなければならないだろう。

「そっか。園寺は北から来たんだっけ。何か知っているなら教えてほしいな。仲間が無駄に死なないですむじゃんか」

 俺は、どこまで話すべきなのか・・・

「俺がいた集団でも、『夕暮れ』という名を知っていた程度です。 ただ、戦う部隊とそいつらが奪ってきた食料を貰っている貴族のような階級に分かれている、と噂程度で聞いたことがあります」

 前半が嘘で、後半が本当のことだ。仲間が無駄に死なないですむと言われたら、さすがに嘘はつけない。だから、『夕暮れ』に所属していたことは言わないで、ある程度の内部事情だけは本当のことを伝えた。

 すると、正樹が、う~ん、と唸った。

「じゃあ、園寺の情報が真実なら、その貴族階級は『夕暮れ』の直接的な戦力にはなってないはず。ということは、資料より戦える数が少ない、って可能性が高いな。それに、貴族側が兵士の恋人や身内を人質にして、無理やり戦わせているのかもしれない。でないと、黙って食料を渡すわけがないからね。だとしたら、人質を解放してやれば、無駄な戦いを避けられるかも」

 感心してしまった。あれだけで、ここまで推測できるとは思ってもいなかった。正樹が隊長になってるのは、実力の高さだけでなく、その推理力の高さも要因だろう。格闘だけじゃなく、頭の回転も速いようだ。

「隊長。園寺の情報が真実なら、夜に少数で攻め入って、人質を解放するのが最善だと思うのですが」

「確かにな。だが、それはできない。今から、密偵に人質の場所を探らせても、奇襲までには間に合わない。それに、こっちは腕がたつとはいえ、圧倒的に数が少ないからには、銃を向けてきた敵は殺すしかない」

 2人の会話に、言うべきだ、と思った。

『夕暮れ』で隊長だった俺は、人質の場所を知っている。隊長格には、緊急事態に備えて、その場所が教えられるからだ。

 真実を伝えるべきだろう。そうすれば、仲間が無駄に死ななくてすむ。

 だが、できない。それを言うことで、いらぬ疑いをかけられることになってしまう。

 それでなくても、ここに連れてこられたとき、信哉に似ているからスパイ、と疑われて殺されかけた。それに、人質の居場所が変えられていて、情報が嘘になってしまったら、味方に危機を及ぼしたとして、間違いなくスパイとして殺される。

 なにより、俺は悠治と約束した。

 何があっても生き残れ、と。

 それに、真実を伝えてしまえば、作戦成功の確実性を考え、人質解放作戦は、この5人でやることになるはずだ。俺は死にたくないし、『虹』の4人も死なせたくない。

 もう仲間を失いたくはない。

 だから、真実は伝えない。

「園寺、どう思う?」

「・・・正樹の人質論はありえるかもしれない。だが、初めの作戦でやったほうがいい。 下手に人質を探すと味方に必要のない被害が出るからな」

「だろうね。じゃあ、当初の作戦でやろう。 隊長はどう考えられますか?」

「西園寺の言うように、初めの作戦通り、正面から戦え。いつも通りにやったほうが、皆も戦いやすいだろう」

「では、奇襲の第一波時に、圧倒的な火力による攻撃で、敵を粉砕します。 そして、可能ならば『夕暮れ』の指導者を連れ帰る、不可能ならば『夕暮れ』を指導者ごと壊滅させればいいですね?」

「そうだ。各自、最善を尽くすように。以上で、会議を終了する」

 その合図に、全員がほぼ同時に立ち上がる。

 と、隊長に、待て、と呼び止められた。

「裏切り者が出たら、容赦なく殺せ。 『蠍』の悲劇は、もう繰り返したくない」


 会議が終わり、信哉の一般兵に対する説明も終わって、俺達5人は休憩室で休んでいる。

 そして、隆史が、かなりの時間をかけて、5人分のコーヒーを淹れている。

 インスタントなんだから、味なんて変わらないだろう?そんな俺の言葉に、隆史は、いいから黙って座っていろ、と言って、お湯を沸かし始めた。正樹も、まぁ座ってようよ、と俺の肩に手をおいた。

 そんな時間をかけたインスタントコーヒーが、やっと持ってこられた。前に置かれたコーヒーは、思っていたよりいい香りがした。

「飲んでみな」

 自信満々にコーヒーを勧めてきたから、勧められるままに口にする。

「うまいだろう?」

 隆史の笑うことの少ない口元が、少し緩んでいる。

「・・・うまい。これは、本当にインスタントなのか?」

 インスタントでは出せないような深い味があった。驚く俺を見て、正樹が微笑えむ。

「こいつの実家は、個人経営のコーヒーショップだったんだよ。 地元でも、違いを知っている店って、けっこう人気があったんだ。で、隆史がその3代目なのさ。だから、インスタントでもコーヒーには人一倍うるさいんだよ」

 隆史は、コーヒーを皆に渡し終えると、席に着いた。

「たとえ、インスタントであっても、少し多く時間をかけ、少し多く工夫をすれば、ここまで旨くなる。ただ、悲しいことに、この基地にあるインスタントも残り少ない。この頃は、近くのデパートの在庫も無くなってしまい、敵から奪えるインスタントも少なくなってきた。それに、こんなところではコーヒー豆の栽培なんて出来ない。だから、コーヒーが飲めなくなるのも、そう遠くはないかもしれない」

「え~っ!?そんなの嫌だよ!隆史が煎れてくれるコーヒー好きなのにぃ!」

 由美の甲高い声が、部屋に響く。

 が、由美がそれを言うか?という視線が、全員から注がれている。

 やけに白くて、やけにどろどろとしたコーヒーを飲んでいるからだ。

 隆史が、頭を振りながら、溜息をついた。

「由美。いつも言っているが、そんなに砂糖とミルクをいれるな。それは、もはやコーヒーじゃない」

 そして、紗希を顎で示す。

「少しは紗希を見習え。あの飲み方が正しいんだ」

 紗希は、由美とは対照的に、砂糖もミルクも入れずにブラックで飲んでいる。

「苦さとコクがたまらないわ。由美にも一刻も早く、この味を知ってほしいものね」

 その言葉に、隆史が満足そうに頷いた。

「分かるか?紗希の飲み方こそが基本であり、究極なのだ。

 あれでなくては、豆本来の味が分からん。砂糖もミルクも、お子様専用に過ぎんのだ」

「ぶぅ~・・・でも、やっぱ苦すぎるよ」

 そうやって膨れる姿はどう見てもお子様だ。

 俺は、そんな由美を、あまり話す機会がない隆史と話すためのネタにすることにした。

「隆史。由美には無理だ。お子様には、こんな美味いコーヒーはまだ飲めないさ」

「うなっ!?おんおんのくせにぃ~・・・紗希!ちょっと飲まして!」

 ひったくるようにして、紗希からコーヒーを受け取る。

 が、コーヒーを見たまま動かない。その黒さに飲むか飲まないか迷っているようだ。

「いずれ、私みたいに飲めるようになるから。今は、ね」

「由美。無理するなって。今はいいよ」

「無理を言ってすまなかった。まだ砂糖とミルクで、どろどろでいい。やめておけ」

 由美は、そんな慰めの言葉を受けて、飲むのを止めようと、テーブルにカップを置く。

「お子様には、やっぱり無理か」

「・・・ぶぅ~!」

 俺が引き金をひいた。

 由美は置いたカップを持ちあげて、一気に飲み干し・・・

 てない。そのまま固まる。

「・・・苦っ。やっぱ、無理」

 そのまま紗希へと手渡し、テーブルの上で凹んでしまう。

 正樹が、そんな凹んだ頭を、ぽんぽんと優しく叩きながら慰めている。

「まぁ時間が解決してくれるさ。俺が由美の年でも、ブラックは飲めなかったからね」

 正樹が慰めている横で、紗希がコーヒーを飲み終えた。

 その瞬間、紗希を取り巻く雰囲気が変わる。

 まるで休憩は終わりと言わんばかりに、表情に、真剣な色が混ざっていた。

「そろそろ始めない?」

 口調も真剣味を帯びていて、それに反応するように、隆史が資料を手に取る。

「そうだな。正樹、そろそろ」

「うん。じゃあ、作戦会議を始めようか」

 ・・・始める?作戦会議を始める?

「ちょっと待ってくれ。作戦会議って、隊長とさっきやったじゃないか」

 ばしんっ!

 頭を資料で叩かれた。視線を向けると、由美が凹みから回復していた。

「あれは、敵に勝つための会議。私達がやるのは、味方をどうやって1人でも多く生き残らすかってことを考える会議」

 ・・・なぜ、俺は叩かれた?

「・・・そうなのか。だが、ここに着たばかりの俺が知らなくても仕方ないだろう」

 だが、俺の言葉に答える者はいなかった。誰一人として、喋ろうとはしない。

 4人は、無表情と言えるほどの顔つきで、資料に目を通している。

 やがて、隆史が、うむっと唸った。

「これだけの人数で戦うのは『蠍』以来になるな。ただ、佐々木隊長の言葉のとおり、あの時の失態は繰り返したくない。だが、今回は俺達の力だけでどうにか出来るはずだ。紗希はどう考える?」

「そうね・・・あの時は信哉がいても、半数を戦死させてしまったわね。だから、今回はどうにかして、その数を減らしたいわ。そして、それを実現させる鍵は私達の動きにかかってくると思う。由美は?」

「私も紗希と同じような考えかな。勝つことよりも、私達が中心で戦って、味方を死なせない作戦をとりたい。だから、作戦は一つしかないんじゃないかな。正樹はどう思ってる?」

「俺も味方は死なせたくない。だから、皆が考えてる作戦でいこうと思う。100人は援護射撃で、場を動かずにいてもらう。その指揮は高橋で大丈夫だ。そして、その援護射撃の対応に乱れた敵の隙をついて潜り込み、二手に分かれて、挟み撃ちにして片っ端から殺していけばいい」

 ここで気づけた事実。

 会議においてけぼり。それに、『蠍』だ。佐々木隊長に、去り際に言われた言葉。因縁があるのかもしれない。

「すまないが『蠍』とは?」

「あっ。そうか。園寺は北だもんね。『蠍』ってのは、つい最近まで『狼』と同じくらいの規模で存在していた集団さ。どっかの高校の生徒だけで構成されていた集団で、数も多くて、結束も硬い集団だったよ。それに、『狼』よりはまともだった。生きるために他の集団を襲ってたんだから。ところが、『七色の虹』から『蠍』に武装した13人の逃亡者が出ちゃってね。 しばらくしてから分かったことだけど、こいつらは『蠍』のスパイだったんだ。 で、スパイごと『蠍』を潰したんだけど、こっちも56人もの仲間がやられちゃってさ。 その56人の多くがスパイと同じ部隊に所属していた奴らだった。 たとえスパイでも、共に過ごした奴らにとっては仲間だったんだろうね。 敵より早く引き金を引けなかったんだ。いくら『七色の虹』が強くても、先に撃たれちゃ勝てないからね。 それ以来、『七色の虹』はスパイに敏感で、なかなか総数が増えない。だから、もう味方は死なせたくないんだ」

「・・・そんなことがあったのか」

 こうやって、別に作戦会議をしてる理由が分かった。

『虹』は、その作戦内容が自分達を危険にさらすようなものであっても、味方のために実行するに違いない。

 それは、『虹』としての誇りであり、義務なんだろう。

 上に立つものは下を護らなければならない。だからこそ、普段は特権を許されている。

 こんなのは『夕暮れ』ではありえなかったことだ。貴族階級は、偉そうにしているだけで、何もしなかった。

 やはり、俺は、『虹』が好きだ。

「俺も作戦に参加させてくれ。決して足手まといにはならない」

 信哉が大きく頷いてくれた。

「そうしてくれると助かるよ。 園寺の能力的は、援護以外は信哉と同じらしいね。なら、戦力になるのは間違いない。じゃあ、由美と紗希と組んでくれ。俺は隆史と組むから。それで、左右から挟み込む。いいかな?」

 紗希が手をあげた。

「私には、単独行動を許してくれる?」

 ・・・やれやれ。誰にも気づかれない程度で、溜息をついた。

 俺と組む、と言われた途端に、単独行動を許してほしいか。よほど嫌われてるらしい。

「なぜだ?紗希。作戦に不満か?」

 正樹の声色が咎めるようなものに変わったが、紗希は顔色一つ変えない。

「全方位からの攻撃のほうがいいんじゃないかしら?挟み撃ちにされて中央に集められた敵の逃げ場は、前方の集中砲火を避けて、背後しかない。だから、私が敵の背後に回りこんで、1人たりとも逃がさない」

 正樹と紗希の話の合間を縫って、隆史が静かに手を上げた。

「だが、それだと、紗希にかなりの危険が及ぶぞ。死に物狂いで逃げようとする敵は、想像以上の実力を発揮するものだ」

 隆史の言葉に、紗希は首を横に振る。

「大丈夫よ。この5人で射撃能力が一番高いのは誰かしら? SSなのは私だけよね。西園寺君と由美はS、正樹と隆史はA。遠くから一番確実に素早く敵を殺せるのは、私よ。それに、由美のほうが私より援護能力が高いから、西園寺君と組むのは、由美がいいわ」

 紗希の主張を黙って聞いていた正樹が、胸の前で腕を組んだ。

「紗希の提案は分かったが、敵を逃がさないようにする以外に、全方向にするメリットはあるのか?」

「もちろんあるわ。正面の100人砲撃、左右の迎撃、背後の1人。逃げ場を失った敵は、どこに逃げるかしらね?間違いなく私の方よ。これなら、私達が目的としている味方の死者を減らすためには、かなり有効な手段だと思うんだけど。どうかしら?」

 正樹は考えているのか、しばらく黙っている。が、やがて答えを出したように、コーヒーを飲み干した。

「分かった。紗希の提案を受け入れよう。ただし、危険を感じたら、俺達か由美と園寺に合流するか、前線と合流してくれ。いいか?決して無理はするなよ」

「ええ。無理はしないわ。私も死にたくないから」

 それで作戦会議は終わった。

 紗希はさっさと会議室から出て行き、正樹と隆史はコーヒーの片づけがあるから、とそのまま会議室に残った。

 流れ的に由美と部屋まで帰ることになる。

 が、部屋までの廊下で、由美は腕組みをしながら、う~んう~んと唸っている。

「ねぇ、おんおん。さっきの紗希、なんか変だったよね?」

「どこがだ?別に普通だったぞ」

 いつもの無愛想な紗希だった。口調もいつもどおりだった気がする。

「そうだけど、あそこまで頑固に主張したの見たことないの。いつもの紗希なら、あんな提案しないよ。作戦に黙って従うのに。だから、初めてじゃないかな?正樹の作戦に口出ししたの」

 ははっ。紗希が、作戦に反対したのは、初めて・・・か。俺の予想も案外当たるな。

「やっぱ、俺が嫌いなんだろう。だから、一人で戦いたかったんだ。それに、紗希の作戦は、味方の死者を減らすにはやっぱり効果的だと思う。だから、あそこまで主張したんだ」

「違うよ。そうじゃない。紗希は、人の好き嫌いとかで、仲間の命がかかった作戦を変えたりしないよ。なんてゆーか・・・う~ん・・・」

 首を傾げたまま、喋らなくなってしまった。

「どうした?」

「とにかく1人になりたい」

「なら、俺は先に部屋に戻る」

 慌てた様子で、俺の前に回りこんできた。

「違う違う!私じゃなくて、紗希だよ! あの時の紗希からはそんな感じがしたの。とにかく1人で作戦をやりたいって。そんな思いが伝わってきたの」

「ふ~ん・・・一人で、か。 でも、紗希にだって、そんな気になるときもあるだろう。あんまり気にするな」

 1人で戦ってきた俺には、紗希の気持ちがなんとなく理解できた。

 ずっと戦っていれば、自分の力を試してみたい時だってある。紗希も同じだろう。

「・・・そうだね。私の考えすぎかも」

 それ以降は、喋ることもなく、由美の部屋の前に着いた。

「とりあえず、今すぐ寝とくんだ。 夜には『夕暮れ』に向かうんだから、休めるだけ休んどいて、疲れを回復させておけ。 俺もすぐに寝るからな。朝みたいな真似はするなよ。たんこぶは、もう嫌だろう」

 由美が驚いた表情をしてきた。

「えっ!?バドミントンやんないの!?昨日の夜、約束したじゃん!」

 ・・・あれ、マジだったのか。まぁ俺もやりたいが・・・

「わざわざ疲れることをするな。 バドは『夕暮れ』を潰して、帰ってきてからやればいいだろう?」

「・・・分かったよ。おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 由美と別れて部屋に入り、目覚ましをセットする。

『夕暮れ』への出立は、日没。

 今からだと、4時間は寝られる。それだけあれば充分な睡眠がとれるだろう。

 ベッドに入ると、すぐに体が重くなった。


「信哉。人を殺す覚悟・・・あるか?」

「えっ?殺す・・・って?」

 悠ちゃんは、包丁を床に置くと、台所の流し台の下から、ビンを探し出して、その中に油を入れ始めた。

「言葉通りの意味だ。殺せるか?」

「・・・分からないよ」

 一体どういうことだろう?殺すって?ドラマとかで見たことあるけど、実感は湧かない。

「分からないじゃ困る。殺すんだ。迷うな。迷ったら、お前が死ぬ。 きっと、誰かが助けてくれるから、死なないですむだろう。まさか、誰かに殺されるなんてないだろう。そんな甘い考えは今すぐ捨てろ。今さら、こういうことは言いたくないが、お前からは、いじめてくださいってオーラが嫌というほど出ている。こんな世界でも、いや、こんな世界だからこそ、間違いなく真っ先に狙われるタイプだ。そんなお前を、いつまでも俺が護っていられない。この世界は、もう弱肉強食の動物世界と何も変わらない。その世界に順応するんだ。お前自身が強くならないと、これから生き残れないんだ。だから、迷うなよ。殺しても、それを法で裁く奴なんかもう存在しないんだ。美希もいいな?これは、お前にも言ってるんだぞ」

 悠ちゃんの言葉は、どうも実感が湧かない。

 いじめられっ子なのは、自分でも分かっている。でも、だからって死ぬことはない。

 いじめられていても、それが原因で自殺とかがあるだけだ。

 僕が、いじめで死ぬことはない。そこまで弱くないと思っている。

 悠ちゃんの言葉に、考えを巡らしていると、美希も台所へ入っていく。

「自分の身は自分で護れってことね」

 同じようにビンに油を入れ始めた美希を見て、悠ちゃんが満足そうに頷いた。

「そうだ。理解が早いな。男だろうが女だろうが、強くならないと生き残れない。 信哉。ハンカチとライターをありったけ準備してくれ。それとビンを入れるための大きな鞄を2つ」

「う、うん。分かった」

 2人の行動が理解できないまま、寝室に行き、タンスからハンカチとそれっぽいものをあるだけ掴み取る。次に、灰皿の横に置いてあるライターを全部ポケットに入れる。最後に、自分の部屋から鞄を持ってきた。

「悠ちゃん、持ってきたよ」

 悠ちゃんは、手渡したハンカチをビンの口に詰めた。それに油が染み込むのを確認している。美希も同じことをしている。

 そして、全てのビンを鞄に入れた。

「よし。デパートへ行くぞ。外に出たら、油断するな。知り合いにあっても、心を許すな。 生き抜く覚悟を決めるんだ。迷うな。俺達以外は敵だ」

 玄関に向かう悠ちゃんの背中についていく。

「悠ちゃん、このビンって・・・?」

 と、美希に軽く頭を叩かれた。振り返って見た美希の顔は笑っていた。

「あんた、寝ぼけてるの?武器よ、武器。どっからどう見たって火炎瓶じゃない」

「・・・だよね」

 考えていた物と一致しても、現実感が湧いてこない。

 いや・・・本当は充分すぎるほど、理解している。ただ、心のどこかで、受け入れを拒否しているだけなんだろう。

 これを、人間相手に使うということを。

 ・・・もしかしたら、認めたくないだけなのかもしれない。

 これからの世界を。今までの世界を失ったことを。そして・・・

 人間を殺すかもしれないということを。

「信哉。早くしろ」

 右手に包丁を持った悠ちゃんに急かされて、急いで靴を履いた。

「この玄関より向こうは敵しかいない。背中にも注意しろ」

 開けられた扉の向こうからは、悲鳴、泣き声、怒声、ありとあらゆる声が溢れている。

「こんな叫びは無視しろ。他人は放っておくんだ。力がない奴は死ぬ。そうなりたくなかったら、今すぐに強くなれ。じゃあ、走って一気に行こう。時間との勝負だ。誰よりも多く武器を手に入れるぞ」

 走り出した悠ちゃんに、僕も美希も遅れずついていく。

 がしゃんっ!

 途中で、窓ガラスの割れるような音。

 すぐに甲高い悲鳴が狭い路地に響いて、それに思わず立ち止まってしまった。

 後ろから走ってきた美希が、僕の手を掴んで強引に走らす。

「私達には関係ないのよ!信哉は弱いんだから、自分のことだけ考えてればいいの!」

「・・・弱くなんかないよ!」

 弱い、と言われたことに腹が立ち、言い返してしまった。

「弱くない?いじめられっ子のくせに!」

「・・・・・・」

 言い返せない。事実すぎるほど事実だから。

 と、掴まれている手が一層強く掴まれた。

「・・・お願いだから、強くなって。私だって、怖いのに・・・頑張ってるんだから」

「美希?」

 美希にしては珍しく弱々しい態度に思わず見た顔は、真っ青になっていた。

 その顔に、心の底から、僕が強くならなくちゃ、と思った。

 強くなろうという覚悟だけは決めた。

 前を走っていた悠ちゃんが止まる。

 そこはデパートが面している道路への最後の曲がり角だった。

「先客がいるぞ。ただ、思ってたより、数は少ないけどな」

 追いついた僕と美希が見たデパートの駐車場は、まさに弱肉強食だった。

 奪う者、奪われる者、殴る者、殴られる者。

 その数は30人ぐらいだろうか。デパート内にはもっと多くの人がいるかもしれない。

 恐怖に自分が震えだすのを感じる。

 そんな僕の手が、ぎゅっと握られた。けど、その手も冷たく震えていた。

 そんな美希の震える手を握り返すことしか、今の僕には出来なかった。

「信哉。美希。行くぞ。まずは2階だ」

 道路を渡り、デパートの入り口へと走り出す。混乱している駐車場を駆け抜け、もうちょっとで中へ入れる、というときだった。

 茶髪にピアス、一目でヤンキーと分かる3人が道を塞いだ。

「高校生ですかぁ?こんな危ないとこに何しにきたのぉ?ここは、君らのような子供が来るとこじゃな~いの。 パパとママのところに帰りなさ~い・・・って、もういないんだったけ?」

 真ん中の奴の言葉に、ぎゃはははは、と残りの2人が笑う。その笑いが収まると、右の奴が美希に目を向けた。

「でも、そこの可愛い女の子だけは僕達と一緒に来てね」

 繋がれたままの手から、美希の体がびくっとして、さらに震えてるのが分かった。

 その繋がれている手を見つけた左端の茶髪が、いやらしい笑みを口元に浮かべた。

「おやぁ・・・?彼氏さんですか。でも、残念なことに、その子はたった今から俺らのものになるからねぇ」

 そして、腹を抱え、げらげらと笑う。

 ・・・糞どもが。

 心の中を、今まで体験したことのない凶暴な思いが駆け巡る。抑えられそうもない。勝てる勝てないは問題じゃない。こいつらだけは、ただじゃすませない・・・そうだ。今は、法で裁けない世界になった。だからこそ、こんな奴らを放ってはおけない。だから・・・

 殺してやる。

 そう思って、一歩踏み出す。

 その時だった。

 僕の頭上を越えて、2つの火が回転しながら飛んでいき、左右のヤンキーに小さな炎が弧を描きながら1つずつ近づいていく。

 茶髪達は笑っているため、それの接近に気づいていない。

 ばりんっ!

 という音の後で、笑い声が悲鳴に変わった。

「な、なんだ!?」

 被害を受けてない真ん中のヤンキーの声が聞こえる。

 震えている美希を抱きしめることで、燃え上がる惨劇を見せないようにする。

 次第に、肉の焼ける焦げ臭さが鼻をつき、吐き気がこみ上げてきた。

 悠ちゃんが、残った茶髪のほうへ駆けていくのが足音で分かる。その足音が消えると、悠ちゃんの舌打ちが聞こえた。

「うるせえよ。クズ野郎が。とにかくさっさと死ね」

 そして、微かなうめき声のあとで、悠ちゃんは、すぐに帰ってきた。

 その時には、悲鳴も止んでいて、顔を上げると、3人目の茶髪も崩れ落ちていた。

 悠ちゃんは、鞄を手に取る。

 その右手には、真っ赤に染まった包丁が握られている。

「信哉。もう一度だけ言う。ためらうな。生きること以外は考えるな。常識を捨てろ。規定概念にとらわれるな。それが出来ないなら、お前も美希も長くは生きられない。分かったな?」

 美希を立たせながら、なんとか頷く。

 覚悟を決めよう。自分のために。なによりも美希のために。

「よし。じゃあ、行こう」

 デパート内は、あまり人がいなかった。

 悠ちゃんも、それが意外だったらしく、予定を変えて、1階の食料から奪った。それから2階に上がり、日曜大工で使うような物を奪って、デパートを出た。

 その頃には、美希も落ち着きを取り戻していて、僕の手を借りなくても、歩けるようになっていた。

 駐車場の車で囲まれた人気のないスペースに腰を下ろす。

 悠ちゃんが、缶ジュースを投げてくる。

「とりあえず、信哉の家に帰ろう。それから、これからのことを考えよう。美希。もう大丈夫か?」

「・・・うん。なんとか落ち着いた。悠治のおかげだよ。助けてくれて、ありがとね」

「次は助けられないかもな。だから、今すぐにでも強くなれ」

 悠ちゃんが立ち上がり、美希も続く。僕は、その最後尾を歩くことにした。

 悠ちゃんと並んで歩くなんて出来そうもない。その背中はとても広く見えたから。

「・・・私を護ってよ。いつまでもそんな弱い信哉なんて・・・」

 そして、前を歩く美希の小さな呟きに、歩くスピードがさらに落ちてしまう。

 この距離が、悠ちゃんとの強さの距離なんだろう。なんかそんな感じがした。

 悠ちゃんは、僕のどのくらい前を歩いているのかな?その距離を測ろうと顔を上げたら、美希が立ち止まっていた。

 ・・・なにをやってるんだ?

 僕を待っている様子じゃない。体が左を向いていて、そのまま動かないから。

 それに、微かに震えているような・・・

 次の瞬間、車と車の間から、腹を抑えながら1人の男が出てきた。

 ・・・あいつ、さっきの茶髪!?

 反射的に美希の元へ駆け寄る。前を歩く悠ちゃんは、事態に気づいてない。

「悠ちゃん!美希が!」

 僕の声に悠ちゃんは振り返り、火炎瓶を取り出したけど、すぐにしまった。

 そして、僕と同じように走り出す。

 火炎瓶は、距離が離れているから、美希に当たってしまうかもしれない。だから使わなかったんだろう。

 それでも、走れば間に合うはずだ。

 美希は震えながらも後ずさっているから、男との距離は変わらない。僕や悠ちゃんが辿りつくまでに、由美が傷つくことはない。

 が、そんな認識は甘かった。美希が、後ろ向きで歩いていたからか転んでしまった。

 やばいっ!このままじゃ・・・

 足の速さと距離を考えると、悠ちゃんが解決してくれるのは期待できない。

 僕のほうが、早くたどり着く。

 僕が殺すしかない。

 ・・・僕に刺せるのか?まだ、覚悟が出来ていないのが本音だ。

 けど、そんな迷いは、男の苦痛に歪んだ笑みと左手に持っているもので、吹き飛んだ。

 ・・・そんなことさせるか!

 美希と男の距離は5メートルあるかないか。

 もう少しで死ぬ。美希が死ぬ。

 でも、僕の距離も同じくらいまで近づいていた。無傷な分だけ茶髪より早く辿り着ける。

 右手に持った包丁を、逆手に持ち替える。

「さっさと死ねよ!くそがぁぁぁぁぁ!」

 叫ぶと同時に歓喜のような感情が湧き出てきて、意識が飲み込まれた。何でもやれるような高揚感に、体中が燃えるように熱くなる。

 そして、迷うことなく思い切りの一撃を、男の背中に突き立てる。

「ふざけんなよ!このっ・・・!くそが!てめぇなんか・・・とにかく死ね!」

 ざくざくっと心地いい音が、身体に染みて気持ちいい。

 くそったれくそったれくそったれくそったれくそったれくそったれくそったれくそったれくそったれくそったれ・・・

 この快感に、ずっと身を沈めていたい。ああ。なんて優越感だ・・・

 意識が赤い視界に染まり、何も考えられなくなった。

「・・しん・・んや・・・信哉!」

 意識が鮮明になったのは、悠ちゃんが肩を揺すってくれたからだった。

「あっ・・・悠ちゃん・・・美希は!?」

「大丈夫。平気だ。お前が助けたんだ」

 悠ちゃんが指さした先には、震えながらも俺を見て微笑んでいる美希がいた。

「美希・・・よかった」

 護れた。美希を護れた。

 美希に近づこうと立ち上がると、頬から、ぴちゃぴちゃっと音をたて、何かが垂れた。

 それを追って下ろした視線の先には、僕を包み込むようなかたちで赤い池があった。

 な・・・なんだよ・・・これ?

 全身を見回すと、服も手も真っ赤だった。

 触れた自分の顔や髪にも赤いものがこびりついている。震えている手で触れた池の赤いものは、粘り気を帯びていた。

 その感触に後ずさった脚にぶつかるものがあった。刺された跡だらけのそれを見た瞬間、吐き気を我慢することが出来なかった。

 吐けるだけ吐くと、やっと理解できた。

 ・・・そっか。

 僕は人を殺したんだ。


 じりりりりり・・・!

 窓から見える空は、夕暮れ。

 ・・・もう時間か。上半身だけを起き上がらせると、少し眩暈がした。

「・・・くそったれ」

 よりによって、夢の続きを見ることになるとは思わなかった。

 夢と同じ吐き気に襲われるが我慢する。

 吐くな。今の俺は、弱くない。いまさら、人を殺した夢ぐらいで吐けるか。

 ・・・そうだろ?今まで、どれだけの人間を殺した?俺は、もう何人殺した?

 殺すなんて、呼吸をするのと同じじゃないか。世界が変わっただけで、受験生が勉強するのと同じことだろう。だから、俺は正しいことをやっている。間違ってなんかいない。

 気分を変えるために顔を洗う。

 鏡に映った顔つきは、あの頃とは違う。間違いなく違う、はずだ。

 絶対にそうでなければならない。

 強くならなければ、美希と悠治に顔向けができない。俺は強くなければならない。

 それが、あの2人のために出来る精一杯の恩返し。生きている俺が出来ること。

 ・・・見ていてくれ。美希。悠治。

 俺は、もっと強くなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る