俺は英雄なんかじゃない

すばる

第1話  邂逅

「いつもよりひどいな」

 無意識に声に出てしまうほど、ひどかった。

 今まで見てきた中でもトップクラス。ここを襲った奴らは、通常よりも豊富な武器を持っている。軍施設から奪った武器に違いない。

 この場所は、繁華街だったのだろう。

 大きなビル。派手な看板。広い道路。数多くある車。転がるバイクに自転車。

 それらが、昔を物語っている。

 だが、それが全部、廃墟になってから、まだ1時間ほどしか経っていないはずだ。

 崩壊したビルから燻ぶる炎と煙、陥没した道路、燃え上がる車にバイク。

 もちろん、死体も転がっている。

 俺の目当ては、その死体の所持品。

 生きるためだ。奪える物は、何でも奪う。

 もっとも、既に回収されてしまっていて、何も手に入らない場合が多い。

 ただ、この繁華街の様子から判断する限り、今回は手に入るものは多いはずだ。

 襲ったのは、おそらく『草原の狼』という、南方に来てから、よく聞くようになった集団だろう。数多くある南方の集団でも、生きるために物品を奪いとることが目的ではなく、ただ人を殺すことが目的の狂っている集団だと聞いた。

 だから、足元に転がる死体の下には、奪われなかった名も知らぬ銃が落ちている。分かるのは、連射式の銃だということだけ。

 だが、それだけ分かれば生きていける。

 今の世界で重要ことは、3つ。

 誰よりも早く引き金を引ける度胸。敵に確実に当てる腕の高さ。武器のグレード。

 俺は1年前まで、『夕暮れ』という集団に属していて、2番隊の隊長だった。もっとも、部下はたったの10人で、その誰もがいい腕とは言えなかった。

 それでも、『夕暮れ』は、北方面では敵なし、と言っていいほど強かった。やはり、数の差は単純に強い。

 だが、戦った者とそうでない者の分け前が同じなのが気に入らなかった。

 俺達は命を賭けて、食料や武器を手に入れているために死んでいく仲間がいるのに、ホームで楽しく笑いながら過ごしている特権階級の奴らに、食料を渡したくなかった。

 それでも、渡すしかなかった。

 20回戦ったら、人質を解放する。

 指導者達の言葉を信じて、皆は戦い、その多くは20回になる前に死んでいった。

 そのやり口に反乱を起こした仲間もいたが、失敗に終わった。

 その見せしめとして、反乱を起こした者たちの人質が殺されるという悲惨な結果となり、それ以来、反乱は起きなくなった。

 そして、俺は17回目の戦闘で、失った。

 俺を強くしてくれた親友を、幼なじみでもあり彼女でもあった女性を、同時に失った。

 俺の場合は反乱ではなく、2人が弱かったからでもない。むしろ、2人とも隊長格を任されるほどの腕前だった。

 原因は、味方のドジのため。

 俺達より弱い集団と戦っていたのに、名も知らない他部隊の兵士が、敵に引き金を引くのを躊躇っているのが目に入った。躊躇ったのは、その敵が、この世界では貴重になったミサイルを担いでいたからか、それとも女だったからか。

 だが、そんなのは関係ない。

 とにかく先に撃たなければ、こっちが死ぬ。

 俺は、その馬鹿より早く女に銃弾を撃ちこんだが、ミサイルが発射された後だった。

 2人がミサイルの接近に気づいたときには、炸裂半径から逃げ出すことは出来なかった。

 2人は、苦しみながら死んだ。

 俺に最後の言葉を残して。

 馬鹿が発射直後に逃げていて、無傷だったのが許せなかった。俺は、そしつを散々苦しめてから殺して、『夕暮れ』から逃亡した。

 味方殺しは罪だ。それに、2人が死んだ以上、俺が『夕暮れ』にいる意味はない。

 ただ、心残りが一つだけある。

『夕暮れ』で出会った右頬に大きな切り傷を持つ友。

 何も伝えずに逃亡してしまった。

 彼が今どこでどうしているのか気にならないと言えば嘘になる。ただ、彼の無事を祈ることだけは忘れていない。

 そして、逃亡して以来、一人で行動しているが、何の問題もない。

 自惚れでも何でもなく、俺は強い。

 2日前も、10人くらいの名も忘れた集団と殺りあった。そいつらは馬鹿みたいに、武器を捨てろ!などと言ってきた。

 この世界で大切なのはなんだ?

 誰よりも早く引き金を引ける度胸。腕の高さ。武器のグレードだ。

 ほぼ一瞬で奴らは壊滅。

 おかげで、数多くの武器と食料が手に入り、1ヶ月は餓えに苦しまなくてすむ。ただ唯一の不満が、全ての缶詰が賞味期限切れだったことだが。まぁ、食えないことはない。もはや、賞味期限が切れていない缶詰なんてないだろう。生きていくためには、贅沢なんて言っていられない。

 そして、この廃墟と化した繁華街でも、かなりの物品が手に入るだろう。

 そうすれば、穏健派の集団となら、食料と交換でグレードの高い武器が手に入る。

 どこにも属さない一人きりの俺になら、武器を与えても怖くはない。それよりも食料が欲しい。

 どこの集団もそう考えているらしく、嬉しがって交換してくれる。

 俺としては、生き延びていけるだけの食料、敵を殺し、自分の身を護る武器があればいい。余ったものは交換でくれてやる。

 さっそく、近くにある死体を漁る。

 まだ少し暖かい気がするが、無視する。気になどしていられない。

 生きるためだ。

 それからも、しばらく漁り続けた。

 そして、繁華街の死体達は、かなりの量の武器と食料を所持していた。予想より、質のいい資源から、こいつらがそれなりの規模の集団だったことが知れる。今まで見てきた中でもトップクラスだ。

 しかし、これだけの量、ここまで来たバイクでは無理か・・・

 動く車を手に入れないと、全ての物を運べない。しかし、この町の車は壊れて・・・

 突然、背中に刺さるような殺気。

 がらっ、と元デパートの一階部分の瓦礫が崩れた。反射的に銃を向けて撃つ。

 武器は何十発出るか分からないが、とにかく連射できるオート式で、今持っている中で一番強い銃だ。

 相手はどうせ一人だろう。なら、普通の拳銃で十分だ。

 それが命取りになる。

 そう行動して死んでいった『夕暮れ』の愚か者を、何人も見てきた。

 敵がなんであるか判断できないからには、余裕を見せずに全力で一気に制圧しなければならない。相手から反撃を受けないように、粉砕する必要がある。

 弾丸を撃ち尽くしてから、携帯品を奪うために瓦礫へと近づく。

 そのとき、さらに瓦礫が崩れた。たった今、撃たれて死んだ死体の下から、服もぼろぼろの女が、血まみれになりながらも瓦礫から這い出ようとしている。その血は、今殺した男のもので、女自身は無傷だ。

 無傷ということは戦闘能力がある、ということだ。女だろうと容赦しない。

 立ち上がろうとしている女に銃を向ける。

 肩まで伸びた艶のある黒髪。今にも折れそうな二の腕。透き通るような白い肌。そして、吸い込まれそうな黒い瞳。

「なっ・・・美希!?」

 新しく銃弾を装填した銃の引き金を引こうとした指を、何とか抑えた。

 ・・・ありえない。

 1年前に死んだはずの彼女がそこにいる。

 美希と悠治が死んでから、今の世界で生き抜くために、俺が決めた重要なことが揺らぐ。

 相手より早く引き金を引け。

 そう心に決めてから、初めてそれが出来ないでいる。

 死んだ人間は、絶対に生き返らない。

 目の前にいる女が美希に似ているだけなのは分かっている。でも、引き金を引けない。

 ・・・俺も、所詮はどこにでもいる元高校1年生。冷徹な人間にはなれないのか。

 銃を持つ手が、かたかたと震えてしまい、狙いが定まらない。

 それでも、引き金を引かなければならない。

 相手より先に撃たないと、俺がやられる。

 女が首を傾げて、その瞳を大きく見開いた。

「信哉・・・なの?」

 目の前の女は、それで意識を失って地面に崩れるが、今度は、さらなる驚きで引き金を引けなくなった。

 西園寺信哉。

 それが俺の名だから。

 この女は俺を信哉だと知っている。でも、その声は美希じゃない。限りなく似ているが、美希より少し低かった。

 ただの偶然。他人。こいつは美希じゃない。俺の名を知っていたのだって、何かの偶然。

 ・・・それでも、俺はこいつを撃てない。

 どうするべきだ?・・・考えろ。考えないと生き残れない。

 ・・・撃てないのならば、最善の策は、こいつをこのまま放置して、集められるだけの物を集めて、この繁華街から一刻も早く退避することだろう。

 そろそろ、どこかの集団がここに来る可能性がある。あまりにも、でかい集団だと戦うどころか逃げることも不可能になってしまう。

 デパートから飛び出す。

 が、すぐに、こんな世界になってから、久しく聞いていなかった音が空に響く。

 ヘリコプター。

 それが近づいてきている。

 しかも、音から判断して、2機か3機。それも、かなり低空を飛んでいる。警戒しているのだろう。

 かなりやばい状況・・・いや、最悪だ。

 ヘリを所持している集団は限られてくる。

『七色の虹』『偉大の大地』『蒼天の空』

 その存在は集団というより、人員や武器所持を考えると、もはや軍に近く、正規軍がなくなったこの世界では、最強の存在と言っても過言ではない。この3強の傘下に入って、おこぼれを頂戴している集団は数多い。

「大丈夫・・・あれは仲間だから」

 いつの間にか美希もどきが意識を取り戻して、俺の背中まで近づいてきていた。

 気配を感じさせなかったことに驚きながらも、反射的に回転しながら前に飛びつつ、美希もどきに銃を構える。また手が震える。

 撃てそうにもない。

 ・・・つまり、俺は負けたんだ。

 2人を亡くして以来の初めての敗北。

 武器も持たずに俺に勝った美希もどきが、力なく微笑んできた。

「もう死んだかと思ってた。でも、ここにいるってことは、目的が終わって、帰ってきたんだね?」

 その笑顔は美希そのものだった。胸の鼓動が高まるのを抑えられない。

 でも、その内容がおかしい。

「俺が死んだ、だと? 死んだのは俺じゃない。君じゃないか。1年前の奪い合いで吹き飛ばされたはずだ」

 銃はおろさない。たとえ撃てなくても、警戒だけは絶対に解けない。

 目の前の女は首を傾げた。

「私が死んだ?信哉こそ何を言ってるの? 信哉は1ヶ月前、『草原の狼』との奪い合いで行方不明になるふりをして、私の願いを果たすために逃亡してくれたんじゃない。でも、こうして帰ってきてくれた。無事でいてくれた。だから、一緒に『七色の虹』に帰ろう」

 抱きついてきた彼女は、そのまま今度こそ意識を失った。

 そして、今にも折れそうな細い二の腕に七色のペイントが施されているのに気づいた。

『七色の虹』の所属だ。

 近くの死体の腕を確認する。その全てに七色のペイント。何人かはペイントが無かったが、ここを襲った奴らの死体だろう。

 つまり、この繁華街の集団は『七色の虹』の構成員ということになる。だから、食料も武器も豊富だったのか。

 そして、近づいてくるヘリは、こいつの言うとおり、この街への救助隊か援護隊に違いない。こうなってしまった状況下で、俺が出来ることは1つ。

 今は『七色の虹』に帰属するしかない。

 逃げても、繁華街を襲った集団の一人だと思われて、ヘリに追われて撃たれる。

 いや、その前に、もし地上から進撃してきている奴らがいたら、敵として問答無用で撃たれるだろう。数と武器のグレードの差は大きい。先に撃ったからといって、勝てるわけがない。無謀すぎる。

 気絶した美希もどきを背負い、その細い二の腕をヘリに見えるようにして、なるべく広い場所へ向かう。

 1機のヘリが近づいてきて、十字路の広い道路だった場所へと着陸した。他の2機は、頭上を越して、さらに街中まで進んでいく。

 近くに着陸したヘリからは、俺と同い年くらいの男女が総数8人降りてきて、同じ武器を構え、素早く一列に整列した。

 最後に、帽子を被った隊長らしき男が降りてきて、彼らに何か叫んでいる。が、風の影響もあって、まったく内容が聞こえない。

 その少年少女達だって、俺が見えているはずなのに、何の反応も行動も起こさない。

 徹底された教育。もはや軍隊だ。ただの集団じゃない。やがて、その少年少女が一斉に敬礼をして、繁華街に散っていく。

 そして、帽子の人が俺のほうを見て、近くいにいた少年に指示を出した。

 その帽子の顔を見て、この美希もどきから受けたのと同じぐらいの衝撃を受けた。

 大人!?

 大人がまだこの世界に存在していたなんて。ありえない・・・大人を最後に見たのは、こんな世界になる直前だ。大人は、一人残らず全て消えたものかと思っていたのに・・・

 そんな俺の驚きは、警戒に変わった。

 2人の少年と1人の少女が駆け寄ってきたからだ。だが、3人とも笑っていて、その中の少女は近づきながら手を振っている。

「・・・信哉!無事だったんだ。それに紗希も!私達がもっと早く来ていれば、多くの仲間を助けられたのに。ごめんね!」

 2つほど情報が得られた。あの少女も俺が信哉だと知っている。そして、美希もどきは紗希という名らしい。

 笑顔の少女は、俺の前で立ち止まると同時に空いている手を取ってきて、ぶんぶんと上下に勢いよく振ってきた。たぶん、握手なんだろうが、これほど激しい握手は初めてだ。こんなに、全身が揺れる握手は。

 揺れる視界で、2人の男へと目を向ける。

 様子から判断する限り、追いついてきた少年2人も嬉しそうだ。

 美希もどき、いや、紗希も、この3人も俺が信哉であることを知っている。

 けど、間違いなく勘違い。

 きっと、『七色の虹』に俺そっくりで名も同じ少年がいるのだろう。目の前で嬉しがる少女の握手を半ば強制的に終わらせ、美希もどきを預けてから、少年2人に向き直る。

 ここで、俺自身のことを話しておかないと、あとあと命に関わる。スパイ容疑なんて洒落にならない。拷問なんて御免だ。

 この3人に今までの経緯を話した。

 もちろん、『夕暮れ』や美希の名は出さず、北からやってきた、とだけ伝えた。

 さすがに、驚いていたが、二の腕にペイントがないことを見せると、納得してくれた。

 すぐに、ヘリに乗せられた。


 そして、今、あの大人の前にいる。

『七色の虹』本部はどこかの施設だった。今、俺がいる場所は、その中にある部屋。

 ヘリに乗った後、目隠しされ、あの3人に囲まれるように移動してきた。そして、目隠しを解かれると、あの帽子の人の前にいた。

 この大人は、俺の話を聞き終えると、組んでいた腕をといて髭を撫で始めた。

「なるほど。君は、その名も無き集団から逃げて、一人で生きてきたわけか」

 佐々木隊長と呼ばれている大人は、40歳前後。四角くごつい顔にひげを生やしていて、隊長というより艦長に近いものを感じる。

「ええ。一時的な感情とはいえ、仲間を殺したのですから、もういられないでしょう」

『夕暮れ』に所属していたことは隠しておかなければならない。仮に、『七色の虹』に『夕暮れ』のスパイが潜り込んでいて、それがばれたら、俺にまで疑いが及ぶことになるかもしれないからだ。

 俺はここまで答えておいて、質問する側にまわることにした。

 何故、大人が生きているのか知りたいから。

「ところで、佐々木隊長は、なぜ生きているんですか?この国の大人は、いや、世界中の大人は全て消え去ったはずです。 なのに、あなたはこのとおり生きていて、『七色の虹』の者たちも、あなたを指導者として、当たり前のように受け入れています。その理由を教えて頂けませんか?」

 佐々木隊長は、机の上で手を組み、ふむ、と唸った。

「理由を教えるとなると、軍事機密であるあの島のことにも触れなければならないのだがな・・・まぁ、その軍ももうない。いいだろう。私の知っている全てを話そう。君も知っているように、全ては2年前の夏に始まった。太平洋上に、いきなり浮上したあの小さな島は突然、その牙を世界に向けた。最初の犠牲者はその島を調査していた、各国のエキスパートで構成された980名の調査員達だ。その異変はいきなりやってきた。通常通信終了後から、次の通信ができなくなってしまった。そして、次の犠牲者が、各国で編成された救助隊だ。これで、一気に犠牲者が増えることになる。救助本部に随時入っていた通信も突然不通になった。その次からだ。島が赤い霧で覆われ始め、その全貌が見えなくなったのは。2度目の救出隊には、どの国もその持てる力の中枢を投入してきた。これが間違いだった。赤い霧で覆われた島に入った瞬間に、彼らとは通信不能になってしまい、そして、もう2度と彼らが戻ってくることはなかった。その中には俺の仲間も数多くいたよ。俺は、その当時、運悪く右足を骨折してしまっていてな。連れていってもらえなかった。そして、数多くの犠牲者を出してしまった各国は、会議の結果、あの島は監視するに留める、と決定した。 だが・・・それで悲劇が終わったわけじゃなかった。2年前の夏に、あの島を中心として噴き出したと思われる赤い霧は、大人の存在を文字通り消した。君だって、その目で見たはずだ」

 そうだ。確かに、俺は見た。今でも、その全てを覚えている。

 あれは夕飯を食べている最中。

 席に着いた俺は、母と父と学校の事を話しながら、楽しく夕飯を食べていた。

 そんな時だ。

 目の前が、真っ赤に染まったのは。

 赤が晴れると、親の存在が消えていた。

 残ったのは、夕飯、両親の衣服、座っていた椅子のぬくもりだけ。偶然に見ていた衛星放送の外国人も、画面が真っ赤になった直後、服だけを残し、その存在が消えていた。

「後は君が生きてきた世界さ。そして私は、なぜか生き残れた大人ってことになる」

「・・・今の話から察するに、あなたは軍人ですか?」

「そういうことだ。だから、『七色の虹』には、これだけの武装があるのさ」

「しかし、軍人でも、少年少女をどうやって集めたんですか?これだけの規模です。かなり酷いこともしたんじゃないんですか?」

 佐々木隊長は苦笑しながら首を振る。

「酷いことなんかしてないさ。軍の武器施設を襲いに来た奴らに、ちょっと痛い思いをしてもらっただけだ。そしたら、自分達を強くしてください、と頼みこまれてな。断る理由もない。俺が教えられる全てのことを教えたよ。そして、その最初の7人が、私を頂点として勝手に組織を結成した。『七色の虹』と名づけてな。 後は、同じようにして武器を奪いにきた奴らを、仲間に引き入れただけのことだ」

 佐々木隊長が俺の前まで歩いてくる。

「ところで・・・君は、あの繁華街で会った3人を覚えているかな? 彼らが『七色の虹』の生き残りだ。 あそこにいなかった4人のうち、2人は早くに死んでしまったのだが・・・ 残りの1人は行方不明。そして、もう1人は、繁華街の部隊を指揮していた者だ。 そして、死んだと思っていた後者、つまり紗希は、君と一緒に帰ってきた」

 隊長が頭上から俺を見下ろす。その目には明らかに疑いの色が浮かんでいる。

「そして、前者は2ヶ月前の『草原の狼』との抗争で行方不明になった、村上信哉だ。 だが、信哉もこうして帰ってきた。これで、『七色の虹』は5人、生きていることになる・・・はずだった」

 喋り終えると同時に、俺の額に冷たい感触が押し付けられた。

 数瞬して、それが銃口だと気づく。

 速い。抜くのが見えなかった。俺が瞬きした瞬間に抜いたのだろう。

 佐々木隊長の腕がこれだけの高さなら、この人に教えを受けた『七色の虹』の力量がどれほどのものか想像がつかない。

 銃口を押し付けられているのに、心は興奮していた。『七色の虹』は強い奴らがいる場所。ここにいれば、俺は自分の力がどれほどのものか知ることができる。

「俺はともかく、あの3人が本物の信哉と間違うほど君はよく似ている。名も信哉だ。ただの偶然の一致だろうか?こればかりは誰にも判断できない。真実は君しか・・・いや、誰も知らないのかしれんな。だから、私から提案したい。『七色の虹』として、ここで生きていくか。それとも、今までどおり一人で生きていくか。好きなほうを選びたまえ。ただ、後者を選ぶならば、私は君をどこぞの集団のスパイと判断する。そして、軍を預かるものとして、ここで君を殺すしかない」

 かちっと撃鉄が起こされる音。

 殺されることは怖くなかった。

 今まで、数多くの命乞いをする敵を殺してきた。なのに今更、死に恐怖するのは卑怯だ。

 でも、俺は、ここで自分の強さを知りたい。

 それに、紗希が気になる。あれだけ似ているのだから、美希のことを何か知っているかもしれない。名も似ている。確認したい。

 なにより、スパイでもないのに疑われて死ぬのは嫌だ。なら、戦って死にたい。自分の力がどこまで通じるか知りたい。

 それだけじゃない。俺には裏切れない想いがある。死んだ悠治との約束を違えるわけにはいかない。

「分かりました。自分も『七色の虹』として戦います」

 隊長は銃を腰に戻した。

「賢明な判断だ。君は、本物の信哉のように賢いようだな・・・紗希!由美!入れ!」

 扉が開いて、紗希と、小柄な人影が入ってきた。

 由美という少女は、あの繁華街で俺に駆け寄ってきた少女のようだ。

 2人は真剣な顔をしており、肩にかけている銃も、体の一部のように存在している。

 それが醸し出す雰囲気は、俺が出会ってきた敵の中でも、トップクラス。

 一言で表現すれば、戦士。

 何度も戦い、勝ち、その度に生き残る術を得て、そして強くなった。

 この雰囲気こそが、敵を殺して、ここまで生き残ってきた『七色の虹』に備わったものなんだろう。強い奴らだ。1対1の状況でも戦いたくない部類に入る人間だ。

「西園寺信哉の能力の算定に入る。すぐにとりかかってくれ」

「分かりました」

 2人が敬礼をして、部屋から出て行く。

 俺も後に続こうと歩き出す。そこに、佐々木隊長の、待て、という声が背中に響いた。

「その2人には逆らわないほうがいい。生き残った『虹』は強い。逃亡なんて考えずに、ここで我々に手を貸したまえ」

 ・・・俺も信じられてないな。逃亡なんかしないのに。

 隊長へと体を向けなおす。

「そんな気はありませんよ。この2人は半端なく強い。そのぐらい分かりますから」

 部屋を出てドアを閉める。

 途端に、前を歩く2人からオーラが消えた。戦士の雰囲気は完全に消えて、代わりに昔ならどこにでもいた高校生のような雰囲気が出てきた。

 振り返ってきた小柄な少女は、目を輝かしていて、そこから俺に対する好奇心が読み取れる。

「私と会うのは、2回目だね。由美って呼んでくれると気が楽でいいな。それはそうと、すっごい信哉に似てるね。君を呼ぶとき、なんて呼べばいい?」

 子供のような目の輝きは、俺より年下に間違いなく、身長もそんなに高くない。少し日焼けした肌が健康的で、短く手入れされた髪がどことなく少年を感じさせるが、胸のわずかな膨らみが女であることを証明している。それに、顔立ちもかなり整っていて、数年すれば綺麗な子になるだろう。

「なんでもいい。もともといた信哉と区別できないなら、西園寺でいい。西園寺信哉。これが俺の名だ。適当に呼んでくれ」

 由美は、俺を見たまま後ろ向きでスキップしながら歩くという器用な真似をこなしながら、口を尖らせて考えている。

 と、閃いた!と言わんばかりに、顔が笑みで満たされた。

「じゃあ、おんおん!西園寺だから、おんおん!」

「・・・好きにしろ」

 適当に呼んでくれ。そうは言ったが、この呼ばれ方はきつい。だが、自分の言葉には責任を持たなくてはならない。

「紗希は、おんおんをなんて呼ぶ?」

 由美の問いかけに、前を歩いていた紗希は、返事することもなく、ただ歩いている。

「・・・西園寺君」

 俺を見ることもせず、簡潔だった。けど、そうやって前を歩く姿は美希そのものだ。

 それが美希ではないと分かっていても、胸の高まりを抑えることが出来ない。

 それでも、聞きたかったことを聞くことにした。

 紗希は、美希を知っているかもしれない。

 それが僅かな希望であっても、美希を知る人間と話をしたい。美希を語りたい。この2年間、そんな存在は誰もいなかったから。

「紗希さん。姉か妹はいるのだろうか?」

「・・・・・・」

 紗希は、ずっと無言のまま。それでも、辛抱強く返答を待っていると、横を歩く由美に袖を引っ張られた。

「紗希、記憶が欠けているんだ。覚えてるのは、『七色の虹』と村上信哉だけ。それ以外は何も覚えてないらしくて。消えた親のこととか、ここまで来たことも」

 記憶喪失か。実際、そうなってしまった人間と会うのは初めてだが・・・

 なら、由美に答えてもらおう。

「由美さんは、紗希さんのことを何も知らないのだろうか?」

 由美は首を横に振った。

「由美でいいよ。さんって呼ばれると、背中に震えが走るんだ。私は、さん付けで呼ばれるような偉い人間じゃないし」

 最後の言葉で、由美の表情が曇った。笑顔が消えて、その大きな瞳に寂しげな表情が浮かぶ。だが、それも一瞬のことで、すぐに元気な笑顔に戻る。

「私も、他の2人の『虹』も、紗希の過去は知らないんだ。紗希と信哉に出会ったのは、私達5人がこの施設を襲う直前なの。紗希と信哉が、ここを襲うつもりなのを聞いてね。一緒に行動するようになったのはそれからだよ。

 そして、紗希は、訓練中の事故で頭を打ったらしくて、多くの記憶を失ったの。だから、紗希の過去について、何か知っているとしたら、彼氏の信哉だけなんだろうけど・・・行方不明だしね」

「けど、由美はその信哉とも、一緒にいたんだろう? 少しでも、何か聞かなかったのか?」

 それでも、俺は食い下がらなかった。その言葉に、由美は少しだけ微笑んだ。

「そんな余裕はなかったなぁ。この7人が出会ってすぐの襲撃が失敗したあと、佐々木隊長に兵士としての訓練を受けさせてもらったから。 私達は、これからの世界を生き抜いていくだけの力を磨くので、精一杯だった。やっと、『七色の虹』が安定してきて、落ち着いてこれたのも、つい最近。それで、周りに気を配れるようになって、気づいたら、一緒に襲撃した2人の仲間と、紗希がここに来る前の記憶を失っていたの」

「そうか・・・」

 由美の言葉は、痛いほど実感できた。

『夕焼け』に所属する前の俺と由美と悠治が、同じような感じだった。

 美希と悠治とともに行動する中で、自分たちがどう行動して、どうやって生きていくかを考えるだけで精一杯だった。自分ら3人以外のことには気を使う余裕なんて無く、人道的に許されないほどの酷いことをして、ここまで強くなれた。

 その時のことは思い出したくもないが、今でも浅い眠りの中で夢に見ることがある。

「すまない。紗希さん。嫌な事を聞いてしまった。許してくれ」

 紗希はこの施設で出会って、初めてまともに俺を見据えてから、首を横に振った。

「気にしないで。私もあなたを信哉だと勘違いしちゃったから。ただ、由美が言ったように、訓練中の事故で記憶を失っているらしくて、思い出したくても思い出せないの。質問に答えられなくて、ごめんね」

 そこで一端言葉をきると、俺に近づいてきて顔を覗き込んできた。

「でも、西園寺君は、本当に信哉によく似ているわ。彼は、村上信哉って名前なんだけど、西園寺君に村上っていとこか血縁のある人って、いないかしら?」

 紗希は、俺の答えに期待しているんだろうが、それには応じられない。

 どこかで生きているであろう俺より1歳年下のいとこは、俺に似ても似つかないし、名も西園寺や村上とは違う。

「残念だが、俺のいとこは、俺とは顔が全然似ていない。それに名も違う。岡崎だ。その岡崎のいとこも村上ではなかった。岡崎のいとこのいとこまでは知らないが、さすがに村上はありえないだろう」

「そう・・・ありがとう」

 そして、また無言で前を見据えて歩きだす。

 この会話で分かったことがある。

 紗希は、美希と似てはいても、性格が大分違うらしい、ということだ。美希は、こんな機械のような喋り方はしなかった。

 それでも、俺は紗希を美希に重ねてしまっている。

 全てを失った世界で、そこでさらに失ってしまった美希の存在を、紗希でごまかそうとしてるのかもしれない。

 と、由美にぐいっと後ろに引っ張られた。

 顔を向けると、紗希が通り過ぎた部屋に入っていくのが見えた。

「おんおん!どこに行くの!ここだよ!試験場に着いたよ。最初の試験は、距離を変えての射撃だよ。さあ、がんがん始めよう!」

 中を覗き込む。射撃場らしいが・・・なんかゲーセンみたいだな。

「さぁさぁ!早く!」

 小柄な由美が、背中を勢いよく、どんっと押してきた。

 鍛えられているからか、かなり痛かった。


 太陽が沈みかかった頃。

 全ての試験を終えて、佐々木隊長の部屋にやってきた。

 目の前で、結果を手にした由美と佐々木隊長が話している。が、紗希は部屋のドアの横で立っているだけで一言も話さない。

 隊長は、渡された結果を手にして、ひげを撫でながら感心している。

「射撃S、格闘A、回避A、状況判断SS、援護C。総合A・・・なかなかだな。援護が低いのは一匹狼だったから、仕方ないか。ところで、行方不明の信哉が、最後に測定した能力はどのくらいだ?覚えているか?」

「それなら私が」

 紗希がいきなり喋りだした。

「射撃S、格闘A、回避A、状況判断SS、援護S。総合Sであります」

 思わず目をやった紗希は、顔色一つ表情一つ変えずに、それ以降喋る気配がなかった。

「ふむ。なるほど・・・ 私としては行方不明の信哉の代わりに西園寺を『虹』に組み込みたいんだが・・・ ただ、信哉と比べると援護能力が低すぎるな。君達はどう思う?」

「信哉の代わりを西園寺君で埋めるのには反対です」

「私は、隊長の指示に従います」

 2人の返答を聞いた隊長は、少し考えた後で俺に向き直った。

「西園寺は、独立兵、という立場で扱うこととする。それだけの力を、ただの兵士として扱うのは勿体ないからな。だから、状況に応じて、自分の判断で動いてくれ。 西園寺、これでいいだろうか?」

 ・・・いいもなにも俺に『七色の虹』のことは分からない。指示に従うしかない。

「はい。では、自分は独立兵ですね」

 隊長は、俺の言葉に頷くことで答えた。

「これから、西園寺に『七色の虹』の詳細を教えてやってくれ。それと、これ以降、君達『虹』の4人と行動をともにさせる。正樹と隆史を呼んで、戦場における連携のためにも親睦を深めておくように。以上だ」


 淡く光るモニターの前に座る人影。

『どうかね?そちらの調子は?』

「普段どおりだが、一つ朗報があるぞ。 壊された街で拾った奴なんだが、こいつがなかなか優秀でな。こいつなら1ヶ月前の戦闘で行方不明になった奴の代わりが務まるかもしれん。最終的な作戦には、腕のたつ奴は一人でも多く欲しいからな」

『俺のところも順調に腕の高い奴が育ちつつある。柿崎の奴も大分集めているようだ』

「この調子なら、計画実行は当初より早いかもしれんな。では、また後日、連絡する」

 モニターの光が消えた。


『七色の虹』は想像より遥かに組織化されていた。

 全部隊の構成人数は300人ほど。これでも、この一年で100人は戦死したという。

 佐々木隊長を護る親衛隊。

 常に最前線で敵を迎え撃つ部隊。

 後ろから援護を行う砲撃部隊。

 繁華街にいた紗希が指揮していた『七色の虹』みたいに街を統括する占領部隊。

 一定化の状況下における夜戦専門や格闘専門の部隊。

 そして、『虹』と隊長しかその存在を知らず、隊長だけの指示を受ける密偵部隊。

 その構成人数も様々で、一番多いのが最前線の部隊だ。

 最前線で生き残りつつ、隊長格に才能を見出された者は、他の隊へと配属されていく。

 ただし、『七色』の生き残りと密偵部隊は別格で、佐々木隊長直々に支配されている。独立兵という地位を与えられた俺も同様だ。

 そう教えてくれたのは椅子に座っている正樹という青年。

『虹』の生き残りの一人。俺より1歳年上の19歳。立った身長は俺と同じぐらいだから、175cmといったところだ。さらさらと流れるような髪と顎が細く引き締まったその顔は、お世辞でなくとも美少年に入るものだ。その微笑みは、世界が世界ならTVにも出ていただろう。本人に聞いてみると、そういう話もあったよ、と言った。

 その横に座っている大きな男は隆史。

 同じく『虹』の生き残りで、正樹と同じ19歳。線の細い正樹とは対照的で、刈り込まれた髪と難しい顔つきをしており、むき出しの腕は筋骨隆々で、かなりの力があることが知れる。だが、馬鹿かもしれない。1m90cmはあるであろう身長のため、この部屋に入るとき、入り口に勢いよく頭をぶつけてしまい、うめき声を上げて、その場にうずくまった。その様子を見ていた仲間は、笑いもせず、怒ることもなく、「またかよ」「またなの」「やれやれだよ~」とだけ言った。それから判断するに、何度も同じことを繰り返しているんだろう。

 そんな美少年や筋肉も、由美の話では、やはりというべきか、かなりの腕前らしい。

 繁華街を護っていた『七色の虹』部隊の救援が遅れたのは、進軍中に『草原の狼』に襲われたからだと聞かされた。

 33対約100。

『虹』ほどに組織化されていないとはいえ、地方最大級である『草原の狼』の数は比べ物にならないほど多く、地の利も『狼』にある。

 それでも3倍の数に苦戦しながらも『虹』が死者を出さずに勝てたのは、正樹と隆史のおかげだ。

 2人は、廃墟からの発砲音で『狼』が少人数編成で、立て籠もっていることに気づいた。

 そして、背後に回り込み、順々に彼らを殺した。『狼』が仲間に襲撃を伝えられないほど、静かに、素早く、適確に殺した。

 この2人は格闘SSで、近距離戦のエキスパートなのよ。『七色の虹』で近距離の戦いにおいて、彼らに勝てる者はいないわ。もし、勝てる奴がいるとしたら、それは彼ら自身でしょうね。

 紗希からはそう聞かされた。

 俺が得意とする射撃はSだった。射撃と格闘では根本的に性質が違うが、俺は銃にサイレンサーがついていても、他の敵が気づくことなく素早く殺すことはできない。

 おそらく『七色の虹』は、それぞれが何かのエキスパートに育てられたんだろう。

 そんな格闘スペシャリストの正樹が、俺の顔を舐めるように見ている。

「しかし、見れば見るほど信哉だね。でも、いとこでもないって言うし」

 隆史は、俺を一瞥しただけで、その視線を逸らす。

「こいつが誰であろうと、別にどうでもいいことだ。こいつは信哉じゃないが強い。それだけ分かれば十分だ」

「まあね。隆史の言うとおり、強い奴が仲間に入ってくれるのは助かるよ。これからは一緒に行動するわけだけど、よろしく」

 差し出された正樹の右手に握手する。

「俺もだ。よろしく頼む」

 隆史は笑うことなく手を差し出してきたが、それにも握手する。隆史は、俺が嫌いだから笑わないとかじゃなくて、ただこういう奴なんだろうと思った。声にも刺刺しい感じはなく、礼儀正しいものを感じる。

「お~んおん!私もよろしく!」

 由美は手を差し出すことはせず、無理やり俺の手を取って、勢いよくぶんぶん振った。

 そして、最後に・・・

「私もよろしく」

 紗希は、ろくに俺の顔も見ずに軽く手を握っただけですぐに離した。

 やっぱ嫌われてるか。紗希にとって、俺が信哉に似ていることは、かなり腹がたつことなんだろう。

 だが、それは俺も同じことだ。

 紗希が美希に似ているのは、初めこそ嬉しかったが、今では腹が立っている。

 紗希を美希に見ることで、美希との戻らない日々を思い出してしまうから。

 紗希が悪いんじゃないのは、よく理解しているつもりだ。

 それでも、だ。

 お前がいなければ、思い出さなかったのに。

 自分勝手すぎる考えだと理解していても、その気持ちが抑えられないほど強くて、どうしても腹が立ってしまう。

 だからこそ、紗希も同じ気持ちで、目も合わさずに握手も短かった。

 ぐぅ~・・・

 いきなり、そんな音が響いた。

 ・・・腹か?

 隆史が、立ち上がる。

「そろそろ夕飯の時間だ」

 つられるように正樹も立ち上がる。

「そうだね。じゃあ行こう」

 がつんっ!

 音の方に目を向けると、ドアの前で隆史がうずくまっていた。

 またぶつかったらしい。やれやれな奴だ。

 俺は隆史が立ち上がるのを待って、4人に話しかける。

「ちょっと、いいか? 西園寺。もしくは由美が呼ぶように、おんおん。俺のことはそう呼んでくれ。そうしないと君達の信哉と区別できない」

 廊下を歩いたまま、正樹が微かに笑う。

「おんおんかぁ・・・俺は、別の呼び方のするよ。本人だって、恥ずかしいだろ?」

「えっ?おんおん、そう呼ばれるの恥ずかしい?」

 立ち止まった由美が悲しげに振り向く。

 ・・・そんな顔するなって。俺がいけないことやっているみたいだ。

「・・・別に。恥ずかしくないぞ」

 ぱっと由美の表情が輝く。

「だよね!そうだよね!おんおん、恥ずかしくないよね!てへへっ・・・なんか嬉しいな」

 そう言われると、おんおんと呼ばれる俺まで嬉しくなってしまう。

 と、苦笑している自分に気づいた。

 それに驚く。

 この2年間、笑うことなんてなかった。感情が揺らぐことは無かった。

 ・・・俺は笑っているのか?

 自分自身に驚きながら、前を歩く4人を追いかけた。


『資料は見たか?』

「これがどうした?この『夕焼け』という組織は、どこにでもあるただの集団に過ぎない。人数がそこそこ多いだけだ」

『確かにお前の言うとおりだがな・・・この3週間の動きを見てくれ』

「・・・ほう。5つの集団を撃破。6人の戦死者に対して、100人余りを殺しているのか。なかなか素晴らしい戦果だな。『夕焼け』がいる地方は、もうこの集団が実質的に最強じゃないのか?」

『そのとおりだ。そして、『夕焼け』に潜り込ませている密偵がもたらした情報なのだが、撃破した集団の生き残りを吸収しつつ、そっちに向かう作戦を考えているらしい』

「だが、これだけの規模なら人数が増えても我々の敵ではない。やはり、人数が増えても、ただの集団に過ぎん」

『いや、すぐに潰すんだ。その密偵から『夕焼け』が軍化され始めているとの情報も入っている。このまま放っておいて、強くなって牙をむかれる前に潰すんだ。腕のたつ奴らを失わないためにも、出来るだけ早く潰せ。計画のためにも、その数を減らすな』

「・・・分かった。すぐに対応する」


 この世界になってからの飯はどこも同じだ。

 そう思っていたのだが、俺の目の前には、色とりどりの料理が並んでいる。

「おんおん?どうしたの?」

「この・・・料理は?」

 何とかそれだけを口にできた。

「ん?ああ。そっか。おんおんには、説明しとかないと。学校の給食と同じだよ。一つずつ取ってね。量を誤魔化しちゃ駄目だよ。資源はそんなに豊富じゃないんだから。他人より多く食べたらペナルティー。明日の晩飯は抜き! それと、お肉はなし。やっぱこんな世界じゃ、飼育なんてできないから、もうお肉は食べられないよ。 こんなもんかな。何か質問ある?」

 違う。聞きたいのはそんなことじゃない。

「飯は・・・缶詰じゃないのか?」

「へっ?缶詰・・・? 確かにそういう時期もあったけど、去年からは、ここで野菜を自家栽培だよ。それに海には、魚が余るほど泳いでるから、釣り放題、食べ放題状態なの。おかげで、今は少ない量だけど、赤い霧前の世界っぽいご飯を食べれるようになったよ。でも、こんなに種類が選べるのは夕ご飯だけだけど。ご飯が缶詰なのは、作戦で遠出するときぐらいだよ」

「・・・そうか」

 どうやら『七色の虹』は、外の世界と事情が違うらしい。俺は奪った缶詰ばかり食っていた。しかも、賞味期限切れ。

「由美!園寺!何してんのさ!?適当に選んで早くこっち来いよ!」

 そのでら。こう呼ぶのは正樹だ。西園寺の園寺を読み直して、そのでら。

 隆史は、そのまま西園寺と呼ぶ。

 まぁ、2人の呼び方は、由美の呼び方よりはましだと思っている。

 由美に続いて席に着く。

「正樹達は、いつもこんな飯を食っているのか?俺なんか、いつも缶詰だった。中には賞味限切れのものもある」

 正面にいる正樹が、動かしていた手を休め、驚いたように目を見開く。

「去年までは俺達もそんなだったかな。でも、それ以降はこんな感じさ。じゃあ、野菜を食うの久しぶり?」

「ほぼ2年ぶりに、こんなカラフルな飯を食べることになる」

「ふ~ん。厳しい生活送ってきたんだ。でも、ここにいれば、これからはそこそこいい飯食えるじゃん」

 確かに。やはり、おいしい物が食べれるのは、肉体的にも精神的にもかなり嬉しい。

「俺は缶詰が好きだ」

 隆史だ。正樹の横で、もくもくと飯を食っていたのに、いきなり会話に入ってきた。

 と、正樹が、うんざりしたように溜息をついた。

「そんな物好きはお前だけだろ? 俺はやっぱ嫌だよ。缶詰って寂しいじゃんか。なんてゆーか、これだけ?みたいな。 紗希はもちろん自然食派だよね?」

 俺の2席左、由美の隣に座っている紗希は、茶碗を置いて、首を横に振る。

「缶詰」

「えっ!?紗希、それ、ほんと!?私は、間違いなく正樹派だね」

 隣の席から、驚きの声が上がった。

「だよね!由美が正しい!紗希は缶詰のどこがいいのさ?」

「味が濃いところよ」

 静かに、だが、しっかりと宣言すると、隆史が大きく頷いた。

「俺も紗希に同意だ。何より、缶詰はかっこいいだろう。あの光り具合、あのフォルム。最高ではないか。なぜ、2人にはそれが理解できない?」

 正樹と由美が同時に頭を抱えた。由美に至っては、うがぁ・・・などと意味不明な呻きを漏らしている。

「缶詰って非常食じゃんか。こういうちゃんとしたご飯があるのに、缶詰を好き好んで食べまくっちゃいけないと思うんだ。

 こんな世界だ。いざというときに困るぞ」

「困るときは困ればいい」

「なら、俺の分の缶詰やらないからな」

「むっ・・・それは困る。すまなかった。だが、脅されても缶詰派は譲れん」

 会話を聞いていて、苦笑が漏れてしまった。

 人間はすごいと思う。

『夕暮れ』にいたころもそうだったが、平和な世界から、殺しあうまでの奪い合いの世界になっても、会話は何も変わらない。

 たとえ、1時間前まで殺し合いをして、血のついた缶詰を手に入れたとしても、それを食いながら、崩壊前の世界の話やどうでもいいことで、笑えることが出来る。

 人を殺しても、平気な心。

 時代がそれを求めていて、それに見合うだけの人間が生き残れるのかもしれない。

 だからこそ、俺は生き残ってこれた。

 それに美希と悠治との食事は、正樹たちのものと同じようなものだった。

 でも、俺は美希と悠治を失ってから、こんな楽しい食事は忘れてしまっていた。

 食うことは生きるための手段。

 2人を失って以来、それだけで充分だった。

 正樹が、俺の皿をフォークで叩く。

「園寺はどっちだ!?」

 4人の視線が集まってくる。

 正樹。隆史。由美。そして、紗希まで。

 俺を見つめ、答えを待っている。

 自然食派か、缶詰派か。

 そんなどうでもいい話に、凍りついた心が解けていくような気がした。

「・・・両方だな」

「おんお~ん!両方は駄目~。今の状況は、私と正樹、紗希と隆史の2対2なんだよ。おんおんがはっきりしてくれないと決着がつかないんだよ~」

「ごめんごめん」

 久々に、心の底から笑った。美希と悠治を失ってから、初めて心の底から笑った。

 人と話すことがこんなに楽しいなんて忘れていた。

 あの日から、人間は殺すだけの存在だったのに・・・

 その認識が変わりつつある。

「そうだな。俺は・・・」


 夕飯後、『七色の虹』での初陣に出た。

『草原の狼』が、武器庫を襲撃に来たらしい。それを、監視の兵士と、施設案内で偶然その近くにいた俺と正樹が撃退しただけだ。

 だが、そのおかげで『七色の虹』の実力も把握できた。

 強い。間違いなく強い。

 武器の性能もあるだろうが、ここの兵士は『夕暮れ』の連中よりも、遥かに腕がたつ。何よりも度胸がすごい。敵からの発砲音があっても、構わず移動していた。

 襲ってきた敵の数は少なくとも52人。

 これは死体の数だから、逃げた奴も含めると襲ったのは100人ぐらいだろうか?

 それを、俺と正樹と一般兵15人ほどで対応した。

 結果は、短時間で完勝。

『七色の虹』は、死傷者1人も出さず、敵の死体から、お粗末な武器と賞味期限切れの缶詰を奪えた。

 それの整理が落ち着くと、そのまま俺用の部屋まで案内された。

 この部屋は早くに死んだ『虹』の2人が使っていたらしく、狭い一人暮らしのアパート程度の大きさがある。

 一人で使うには、充分すぎる広さだ。

 その部屋でくつろいでいると、とんとんっ、とドアがノックされた。

 正樹だろう。言い忘れたことがあるのかもしれない。

「正樹か?」

「ううん。由美だよ~」

 能天気な声が廊下に響いている。しかも、誰かに聞いてほしいと言わんばかりの大声で。

「開いてるから、勝手に入れ」

「うん!失礼しま~す」

 由美は入ってくるなり、ベッドに飛び込んで、毛布を頭から被った。

 そして、そのまま出てこない・・・まだ出てこない。

「・・・何の真似だ?」

 俺の方が痺れをきらしてしまい、問いかけると、ベッドの中から盛大な溜息が響いた

「何よ~・・・その素っ気ないリアクションはぁ。こんなに可愛い子が、男の部屋に押しかけてきたのにさ~」

「可愛い?どこの誰が?」

「おんおんのベッドにいる私しかいないじゃない。わたしよ。わ・た・し」

 ベッドから出てくると、両腕で胸を寄せる真似をしてきた。が、そのポーズには女としての魅力より、本人の言うような少女としての可愛らしさのほうが勝っていた。

「由美は何歳だ?」

「ん?16歳だよ。もう少しで17歳」

 ってことは1歳年下か。

「お子さまに興味はない」

「ぶ~っ。じゃあ、おんおんは何歳?」

「18歳になった」

「じゃあ、私と1歳しか違わないじゃん」

 頬を膨らます仕草を見ていると、なぜか笑みが漏れてしまう。やっぱり子供だ。

「話を戻すけど、由美は何しに来たの?」

「ん?用がないと来ちゃ駄目なの? おんおんのことが知りたくて、遠路はるばるここまで来たのに」

「遠路はるばるって・・・せいぜい100mぐらいだろ?」

 この建物はそんなに広くないから、端から端まで行くのに、1分もかからない。

「も~。そうやって揚げ足とらないでよ。 ただ、ほんとに、おんおんのことが知りたくて来たの。これから、一緒に戦っていく仲間じゃん。だから、出来るだけ知りたいなぁって」

 てへへっと笑った。邪気のない笑顔を見ていると追い出すのも面倒になってしまう。それに、こうやって話すのも悪い気がしない。

「好きにしろ」

「ほんと!?やった~!好きにする~! じゃあ、第1問。おんおんの出身は?」

「ここからかなり北だ。もう戻ることもないだろうな」

「そっか。一人旅って言ってたもんね。じゃあ、第2問。どんな高校にいたの?」

「どこにでもある普通の公立高校さ。高1までは普通に部活やって、勉強もしてたんだがな・・・高2は、こんな世界だ。経験できなかった。 俺達を含めた世界中の少年少女は、2年前が、最終学年だな」

「だね。私も中3で終わったもん。それで、部活は何やってたの?」

「バドミントン」

 いきなり身を乗り出してきた。反射的に、近づかれた分だけの距離をとってしまう。

「あ~っ!私と同じだ。一緒にやろう!明日にでも!」

「・・・はっ?ここで出来るのか?」

「ふっふ~ん。それが出来るんだよ~」

「そうなのか。だが、俺は強いぞ」

 市大会個人の部で優勝。その実力を舐めてもらっては困る。

「ふふん。私も強いよ。中学生レベルだから弱いと思っていると、痛い目見るよ~」

「まぁ楽しみにしとくよ」

 そして、乗り出していた体を元に戻した。

「おんおん、兄弟は?」

「いない。俺は一人っ子だから。由美はどうなんだ?」

「お姉ちゃんと妹の3人姉妹」

「じゃあ、その2人もここにいるのか?」

 由美が顔を伏せた。ただ、伏せる直前に、笑顔が消えたのは気のせいではない。

 そこで、思い出した。

 あの時の表情と同じだ。私は偉い人間じゃない、と言った時と同じだ。

 由美は、まだ喋らない。

「・・・由美?」

「・・・ううん。もう、いないよ。お姉ちゃんは赤い霧の一ヶ月後に食べ物探しに行って、誰かに殺されちゃったみたい。次の日の朝まで、帰ってこなかったから。妹もここに来る前にはぐれちゃった。たぶん、どっかの集団に殺されちゃったんじゃないかな。だから、私は一人きりなの」

 てへへっ、と舌を出して小さく笑った。その健気さに胸が締め付けられる。

 私は偉くない。

 出会った頃にそう言っていたのは、姉とはぐれ、妹を護れなかった思いからの言葉だったのだろう。

 笑顔が輝いている子だから、そんな思いを持っているなんて想像も出来なかった。

「・・・すまない」

 俺の謝罪に、にこっと微笑む。

「なんで、おんおんが謝るのさぁ?ここに来てからは、紗希や正樹や隆史がいるから平気だよ。それに、これからはおんおんもいてくれるでしょ?」

「ああ。俺もいる」

 大切な人を失う悲しみは、充分すぎるほど分かっているつもりだ。

 赤い霧で親を失った悲しみは一度そこで終わったが、由美みたいにさらに血の繋がった兄弟や姉妹を失った者もいる。

 二重に血の繋がった家族を失った苦しみ。

 そんな苦しさを、美希や悠治を失った俺の悲しみと比べるつもりはない。

 悲しみは人それぞれで、それに重いも軽いもないと思っているから。

「じゃあ、次ね!第・・・何問目?」

「・・・まだ、あるのか?」

「あるよ~。もっと、おんおんのこと知りたいもん!」

 ・・・長い戦いになりそうだな。

 それから、いろいろ聞かれた。好きな食べ物。好きなタイプ、好きな音楽・・・

 それが終わって、由貴を廊下まで送ると、窓から空を眺めている人影があった。

 紗希だ。

 外からの光に照らし出される姿は、今にも溶けて消えてしまいそうで、その姿を、自分でもどうしようもなく美希に重ねてしまった。

 由美が、ぱたぱたと紗希に駆け寄っていく。

「紗希~。何を見てるの?」

「月。今日は満月」

 由美は、紗希の隣に並ぶと、窓から空を眺め始めた。俺も、2人が眺めているのと同じ窓から、同じように月を眺める。

 久しぶりに見た月は、やっぱり綺麗だった。

 美希も月が好きだった。

『月は好き。特に満月がね。淡く光る儚さが好きなの。なんか優しい感じがするよね』

 戦場で一緒に見上げた夜空を見て、彼女は笑った。

 美希が好きなら、俺も好きになろう。

 最後になった彼女の笑顔を見ながら、そう思ったのは、『夕暮れ』で過ごした最後の夜のことだった。

「あっ。紗希の言うとおり満月だね。でも、戦闘時だと隠れながらの行動が難しくなっちゃうから、明るい夜は嫌だなぁ」

「それでも、私はたまらなく好きよ。信哉も、月が好きだから」

 紗希は、少しだけ微笑んで俺を見てきた。

 その微笑みが、思い返していた記憶の美希と重なってしまって、何か言うべきなのか判断が出来ない。

「でも、紗希っていつも部屋で音楽を聞いたりしてるのに、こんな時間に部屋から出てるなんて珍しいね」

 そんな俺の代わりに、由美が話を変えてくれた。

「・・・そうかしら?」

 答えるまで、少し間があった。

「うん。1ヶ月ぐらい前から、私の部屋にも遊びに来なくなったじゃん。やっぱり心配だったし」

 1ヶ月前。

 ここにいた村上信哉が行方不明になったのと同じ頃。

 でも、それに関して、俺はよそ者だ。由美も、1ヶ月前と言っただけで、村上信哉には触れていない。余計な口は挟まないでおこう。

「ちょっとした気分転換よ」

「そうなんだ。なら、心配ないね。じゃあ、私は寝るよ。夜更かしは美容の敵だかんね・・・それと、おんおん! いくら、私が可愛いからって、寝込みを襲うような真似したら、撃ち殺すからね!」

 顔は笑っていたが、冗談のようで冗談ではないような、やけにリアル感が漂う注意の仕方だ。こんな世界だ。本当に殺されかねない。

「誰が可愛くて、俺が誰を襲うんだ? それにもう夜中の一時だ。お子さまが起きているには、もう限界だろう。我慢しないでさっさと寝ろ」

 由美は、頬を膨らましながら自分の部屋まで走っていく。そして、もう寝ているであろう正樹と隆史が起きてしまいそうな大声で、おやすみ!と叫んで、ドアを閉めた。

 賑やかな存在が去ったことで、廊下には沈黙だけが残った。この仲の悪い2人だけでは、静けさが訪れるのは無理の無いことだろう。

 なんとなく気まずい雰囲気に、部屋に戻ることにする。紗希には、部屋に入る寸前に、おやすみ、とでも言えばいい。

「西園寺君は、月が好きなの?」

 部屋に向かって歩き出そうと背中を向けた瞬間、冷たい声が響いた。

「・・・別に」

 好き、とは言えなかった。

 紗希は美希じゃない。なのに、好き、と言うのは、こいつを美希として見ている俺がいることを、自分に言っているような気がする。

 嫌い、とも言えなかった。

 美希を裏切ってしまう。月を好きになるって決めたから。死んでからも彼女を苦しませたくない。

「・・・そう。ありがとう。ただ、西園寺君の月を見ていた表情が、信哉そっくりだったから。この人も月が好きなのかなって思って、聞いてみただけよ。おやすみなさい。また明日ね」

 紗希は、部屋に戻っていった。

 なんとなく、美希との記憶に入り込まれた気がして、無性に腹がたった。

 こういうときは、さっさと寝るに限る。

 どうせ明日もどっかの集団を潰して、武器や食料を奪うんだろうから。

 だが、今日は悪夢を見なくてすみそうだ。

 いつもよりは安心して眠れる状況に、猛烈な眠気を自覚した。


 全てが、真っ赤になった。

「・・・母さん?・・・父さん!?」

 残った服と椅子には、まだ母さんの暖かさが残っている。

 台所を覗くけど、換気扇が回っているだけで、母さんも父さんもいない。

 他の場所を探すけど、どこにもいない。

 赤い・・・赤い何かが・・・

 ついさっきまで、ここにいたのは間違いないのに。一体なにが・・・

 こういうときはテレビだ。

 チャンネルを回していると、衛生放送が真っ赤になった画面に出くわした。

 長さは、そんなに長くなく、普通の画面に戻ったときには、ニュースキャスターが椅子に服を残して消えていた。

 なに・・・これ!?

 震え始めた手でチャンネルを回して、他の番組を確認してみても、消えた人の服や靴が残っているだけだった。

 残っている人もいたけど、パニックになって、叫んでいたり、泣いていたりしてるだけ。

 しかも、僕と同じ年ぐらいの人ばかりだ。

「信哉!いるか!?信哉!!」

 玄関から力強い声が響く。

 親友の悠ちゃん。その声に、少しだけ落ち着きを取り戻せた。 

 悠ちゃんは、いつも僕を助けてくれる。

 中学でいじめられっ子だった僕を、3年の時に助けてくれた。それ以来の友達。

 そして、同じ高校に入って、高1の今年は同じクラスにもなれた。

 そして、今もこうして、ここに来てくれた。

「悠ちゃん!リビングだよ!」

 悠ちゃんは、息を荒くしながらも、リビングの様子を見回す。5階にあるここまで、階段で走ってきたんだろう。

 見回していた視線が、椅子で止まった。

「・・・やっぱり信哉の親も消えたのか」

 信哉の親、も?じゃあ・・・

「悠ちゃんの親も?」

 悠ちゃんは、ゆっくりと頷いた。

「一瞬だけ目の前が真っ赤になったと思ったら、消えちまった。それに、ここにくるまでの町も、大人がいなかった。服だけ道に残ってたり、事故った車やバイクが燃えてたり。けっこう悲惨だぞ」

 悠ちゃんは、ベランダへ出て、僕を手招きしている。

「俺がここに来るより酷くなってきてる。ちょっと聞いてみな」

 部屋からでも、耳を澄まさないで怒号や泣き声が届いてくる。ベランダに出れば、その内容もはっきりするだろう。

「お母さん、どこ!?」「ママ!ママ!」「母さん?どこ行っちゃったの!?」「悪い冗談はやめて!早く出てきてよ!」

 至る所から、悲痛な声が聞こえる。

「悠ちゃん、これって・・・」

「ここら辺だけじゃなくて、全国・・・いや、世界規模なのかもな」

 ・・・もう、大人はいないってこと?

「信哉!いるっ!?」

 リビングに駆け込んでくるスカート。隣に住む幼馴染の美希だ。

 その華奢な全身がものすごい勢いで震えている。それに顔が真っ青だ。

「部活が終わって、道歩いてたら、いきなり一瞬だけ目の前が真っ赤になって・・・家に帰ったら、台所に鍋かけっぱなしで、床に母さんの服とエプロンが・・・とにかく、わけわかんないよ!」

 混乱している。まずは落ち着かせないと。

 リビングへ戻り、コップに水を入れ、それを手渡す。

「僕の親も消えたんだ。悠ちゃんの親も。だから、美希の親だけじゃない。とりあえず落ち着いてくれ」

「・・・うん」

 普段の美希は、僕に命令する立場にある。

 そんな僕に命令されたからか、なんとか落ち着きを取り戻してくれた。

 ベランダから、町の混乱が伝わってくる中、悠ちゃんがベランダから戻ってくる。

「2人とも、これから、俺の言うことを落ち着いて聞いてくれ」

 そして、コップの水を一気に飲むと、僕と美希の前に座った。

「今は、この状況を受け入れるしかない。そして、これからの世界は、生存競争になる、と俺は思う。動物の世界だ。そして、これからの世界で生き抜くために差をつけるには、混乱している奴が多い今がチャンスなんだ。だから、食料と薬と武器を奪いにデパートへ行く。準備してくれ」

「悠ちゃん、生存って・・・」

「そうよ。悠治、どうしたの?生存競争なんて、なんかおかしいわ」 

 そんな言葉など聞く耳持たないと言わんばかりに、ゆっくりと立ちあがった。

「2人とも、よく考えてくれ。俺達の親は死んだ。ただ消えたんじゃんじゃない。存在が消えた。間違いなく死んだ。他の頼るべき大人も、もういないだろう。こうなった以上、俺達は自分達の力で生き抜いていかなければならない。 そして、法も秩序もない新しい世界が訪れるつつある。漫画でもフィクションでもなく、現実に。 その訪れに気づいてから行動しては遅いんだ。俺達は野垂れ死にか、誰かに殺される。 だから、力を手に入れなければならない。 現実感がないかもしれないけど、今はそれでもいい。それでも俺の言うことを聞いてほしい。信哉と美希を死なせたくないんだ」

 そう言うと、答えを待っているように、僕と美希から目を離さない。

 ・・・悠ちゃんの言うように、もう世界は変わりつつあるのかもしれない。

 ベランダからの光景がそれを物語っている。

 助けを求める声は減る様子はなく、むしろ増える一方だ。それに、空を赤く染め上げるように火災も発生している。主を失った台所からの出火だろう。

 こんな非常事態に対応するはずの警察や消防車のサイレンが、全く聞こえない。

 たぶん、もう機能してない。

「分かったよ。悠ちゃんの言うように、デパートに行こう。それに、美希も一緒に行かないと。女の子が一人で行動するのは危険すぎる。 だから、美希も行こう。いいよね?」

「・・・うん」

 頷いた美希の後ろで、悠ちゃんが台所に入っていくのが見えた。

「悠ちゃん、どうしたの?」

 僕の問いかけには答えず、何かを探しているように忙しなく動いている。

 やがて、光る物を手に取った。

 それは・・・

 包丁だった。

「信哉。人を殺す覚悟・・・あるか?」

「・・・・・・っ!」

 まだ目が開かないほどの寝起きの中で背中にべったりと汗をかいてるのを感じた。

 寝る前に見ないですむだろうと思っていた夢を、結局見ることになってしまった。

 この夢を見るたびに凹んでしまう。

 弱かった頃の自分を思い出してしまうから。

 とりあえず、こういう時は起きるに限る。

 眠気に逆らって、なんとか目を開けると、覗き込んでいる能天気な笑顔が入ってきた。

「うわぁっ!」

 叫びながら反射的に起き上がってしまう。

 がつんっ!と頭と頭がぶつかる感触。

「っ!いって~・・・」

 あまりの痛みに意識が一気に覚醒した。

「いったぁ~・・・おんおん、頭堅いよ」

 おでこをおさえながら、床にへたり込んでいる小柄な人。

 由美だ。

 可愛いクマが描かれた黄色いパジャマが、さらに子供っぽさを強調している。

「まあな。昔から石頭で・・・ってそうじゃない!なんで、お前がここにいる!?」

「えっ?ドアが開いてたから、おんおんが起きてるものだと思って、部屋に入ったの。そしたら、まだ寝てるじゃん。けど、寝顔が可愛かったから、ずっと見てただけ。でも、いったぁ~・・・」

 ドアが開いていた?おかしい。確かに閉めたはず。久々に安心できる場所に来たから気が抜けてしまったのかもしれないが・・・二度と同じ失敗をしなければいい。

 死なないで生きている。それだけで充分だ。

「朝飯はまだか?」

「そろそろだよ。だから、おんおんを迎えにきたんだ。行こっ!」

 ベッドの上から腕を引っ張って、部屋を出ようとする。

「ちょっと待てって!」

 なんとか立ち上がる。引っ張られるまま、廊下に出ると、紗希が自分の部屋の前に立っていた。

「おはよう。西園寺君」

 挨拶をしてきた視線が、俺と由美の間の空間に注がれている。すぐに、俺の腕を掴んでいる由美の手に注がれていることに気づいた。

 なんとなく罪悪感を感じてしまい、由美を傷つけないように、可能な限り優しくその手を振りほどく。

 途端に、紗希の視線が興味を失ったように俺の腕から離れて、その足が食堂へと向かい始めた。紗希の行動は、表情がないだけに、いちいち怖い。まるで機械みたいだ。

「なぁ由美。一つ聞きたい」

 紗希に聞こえないように小声で聞く。そして、距離をとるために歩く速さを下げる。

「ん?なに?なんでも答えちゃうよ。スリーサイズ?」

 下げた視線の先で、意地悪げな笑顔が見上げている。

 俺をからかおうってか・・・甘いな。

「じゃあ、教えてくれ。スリーサイズ」

「ふぇっ!?」

 変な声をあげて、由美が真っ赤になった。

「じょ・・・冗談に決まってるじゃない!レディーにそういうの聞くの失礼だよ!」

 ・・・なら、言うなよ。まあ、今の由美は見ていて面白いが。

 焦って動きがおかしくなっている様子は、小動物そのものだ。見ていて微笑ましい。

「それはそうと聞きたいんだが。紗希さんって、いつもあんな感じなのか?機械じみてるっていうか、感情がないような感じを受けるんだが」

 俺の質問の間に、顔色が戻った由美が、今度は困ったような顔しながら、口に指をあてて考えている。

「・・・う~ん。信哉が行方不明なんだもん。今は仕方ないよ。それに、記憶を失う前の紗希は、笑ったりしてたよ。ただ、武器庫襲撃前の時だから、半日も喋らなかったけど。でも、なんで、そんなこと聞くの?」

 確かに。なんで、こんなことを聞こうと思ったんだ?全然分からない。

「・・・これから一緒に戦っていく仲間だからな。少しでもいいから知っておきたい。それに、なんか俺と話すとき、なんとなくぎこちない気がしてならない」

「ふ~ん・・・でも、それも仕方ないんじゃないかな。おんおんは、信哉にそっくりだから、紗希もどう接していいか分からないんだと思うよ。でも、こういうのは時間が解決してくれたり、ちょっとしたきっかけで仲良くなれたりするもんじゃない? だから気長にやっていこうよ」

「だな・・・あれっ?お前、おでこ」

 窓からの風で舞い上げられた前髪の下で、由美のおでこが少し膨らんでいた。

 さっき、ぶつかったときのやつだろうが、これだけ早く膨らんでいるってことは、かなり強烈にぶつかったらしい。

 俺の言葉に従って、おでこを調べていたが、すぐに顔をしかめた。

「あっちゃ~・・・たんこぶかぁ。どーりで痛いわけだよ」

「ちょっと見せてみろ」

 症状を調べるために顔を近づけた分だけ、なぜか、また顔を赤くして同じだけの距離を置いた。

「い、いいって!心配ないよ!」

「いいから黙って見せてみろ。痛みと腫れで、戦闘時の集中力と命中率が殺がれるのはまずい。命に関わることだぞ」

 腕を無理やり掴み、逃げられないようにした。その柔らかい感触に驚きながらも、艶やかな黒髪を上げて、おでこの具合を調べる。

「それほど酷くはならなそうだな。ただ、念のため冷やしておいたほうがいい。まだ、湿布とかは残っているだろう?」

 世界が崩壊してから、本当の意味で、全ての物が有限になってしまった。使い切ったら終了。以前のようには使えない。

「ま、まだ残ってるよ。ありがとう」

 なんとなく上擦った声でそう言うと、俯いたままで少し早足で歩き始めた。

『ぴ~んぽ~んぱ~んぽ~ん』

 場違いな放送音が、廊下に響き渡った。

 ・・・なんだ、このチャイム。ここは学校か?そうとしか考えられないぞ、この音は。

『連絡します。『虹』と、独立兵の西園寺信哉は、朝食後、佐々木隊長の部屋まで来るように。繰り返します。『虹』と・・・』

「朝からなんだ?」

 俺の呟きに、顔色も元に戻った由美が振り返ってきた。

「朝からってことは、たぶん、どっかの集団を潰しに行く作戦会議だよ。でも、私達『虹』の全員を呼ぶなんて、けっこう大きな戦いなのかも。皆で戦うのは『蠍』のとき以来だよ。 もしかしたら相手は『草原の狼』かな」

「・・・『草原の狼』か」

 紗希と出会った繁華街で、身勝手な楽しみのために、ただ殺された『七色の虹』の兵。

『狼』は、殺すことだけが目的の集団。

 集団について、特に何も感じないが、こいつらみたいなのは許せない。

 生きていくために相手を殺すんじゃなくて、楽しみのために殺す。そんなのは世界が崩壊したからって、いくらなんでもやりすぎだ。動物と同じ弱肉強食の世界でも、そこまではしない。動物だって必要以上に殺さない。『草原の狼』は、ただの殺戮集団だ。

「おんおん!なに難しい顔してるの?朝ご飯食べに行こう!正樹と隆史はいつも早起きだから、もう先に行って待ってるよ」

「・・・行くもなにも、由美はまだパジャマだろ。着替えなくていいのか?」

「あっ。そっか。じゃあ、ちょっと待ってて。着替えてくるから」

 そう言って部屋に入っていく。相変わらずの能天気な笑顔のままで。

 それを見て思った。

 正樹、隆史、紗希、由美・・・

 ここにいる。いてくれる。

 幼馴染でもあり恋人でもあった美希。弱かった俺を強くしてくれた親友の悠治。

 2人を失ったあの日から、初めて護るべき仲間が出来たのかもしれない。

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