13:始まりの時
家の前のやや広いところで車は半回転して停車した。発進するときの向きを変える時間を短縮するために、麗香がその腕を発揮したのだ。すぐにドアが開いて、金井が飛び出し、家の中に駆け込んだ。
土足のまま上がり、左側の部屋に駆け込む。
部屋の真ん中にテーブルがあり、傍らには行李が置いてあった。テーブルの上にはノートパソコン、周辺機器が並べてあり、行李の中には古文書が入れてある。
ノートパソコンは一日以上ほったらかしにされてスリープモードになっていた。
彼はノートパソコンをシャットダウンし、その処理の間、部屋の隅に置いてあったパソコンケースを広げると、行李から古文書の束をつかんで放り込む。少々乱暴に扱っても仕方ない。そして電源の落ちたノートパソコンにつながってるケーブルを抜いて、電源アダプターと一緒にパソコン本体をケースに入れた。すばやくベルトで固定する。
彼はテーブルの上に広げてあるその他の機器類を見た。きちんとケースに入れるには時間がなかった。機器はあとで調達すればいい。
考える暇もなく、彼はパソコンと古文書を、ケース内のカバーで包み、完全に閉じた。こうすれば衝撃と防水は何とかなる。
パソコンケースを持ち、部屋を出るとき、彼は再度テーブルの上に置きっぱなしの機器類を見た。それなりにお金をかけたそれらの機械を見て、心の中で「ごめん」とつぶやいた。機械とは言え、置いていくのは忍びなかった。洋服の入ったリュックもそのままにした。携帯は行方不明のままだ。財布だけ持ち、部屋を出ると、廊下を走り、玄関を飛び出る。
「はやくはやく」
と留美が後部席のドアを開けて言った。
彼女も、子供なりに生き延びる決意をしたのだろう。
後部席に飛び乗ると、ドアも閉め切らないうちに麗香は車をスタートさせた。坂を下りるとき、前方のノラーンのいる屋敷が見えた。
麗香は、ここに来てからずっと感じていた視線を感じなくなっていることに気付いた。ノラーンの生命は終わったのだ。
坂を下りるとハンドルを切った。タイヤが音を立てる。道を右の方へ、トンネルの方へ向かってスピードを上げた。
麗香はハンドルを操作しながら、片手で携帯を掴むと、緊急のボタンを押した。五月機関本部にヘルプの通信を送るためだ。
城跡の丘の下をまわり、前方にトンネルの見える直線に入る。
その時、宇宙船の動力炉は限界を超えた。
炉を覆っていた殻は白熱化し、次いで宇宙船が、動かなくなったノラーンの身体が、閃光に包まれた。封じ込められていた巨大なエネルギーは歯止めを失った。
白い光の固まりは、一瞬にして、代々村の代表者を出し続けたお屋敷を包み、一気に拡大した。
トンネルまであと少しと言うところで、車の外の景色が白く変化した。
「あっ」
麗香は思わず目をつむり、ハンドルを切ってしまった。
四輪駆動車は、道を飛び出し、スピードが出たままの勢いで川そばの空き地に入り込んだ。激しく揺れて後部座席に座っていた金井と留美が悲鳴を上げる。
車はそのまま川の護岸の方へと直進し、光で目のくらんだ麗香が感覚でとっさにハンドルを切ってブレーキを踏まなかったら、そのまま護岸を飛び出して、二m程下の川に落ちるところだった。
車は向きを変え、護岸ギリギリの所で停車した。
白光は薄れていきオレンジ色の火球が出現した。
とてつもない轟音が谷間に響きわたり、車が激しく振動した。
視界は元に戻ってきたが、麗香はまだ目がちかちかしていた。しかし、ほとんど考えることもなく反射的に彼女は叫んでいた。
「川に飛び込んで!」
その言葉を聞くまでもなく、金井と留美が同時に左右のドアを開けた。金井はパソコンと古文書の入ったケースをつかみ、車の外に飛び出した。車の後ろを回って川に向かう。留美はドアのすぐ外がもう護岸だった。
ちょっと躊躇したあと、留美は地面を蹴って、川に飛び込んだ。すぐに金井もケースを抱えて川に飛び込む。
最後に車外へ出たのは、目のくらんでいた麗香だった。手にノラーンの卵の入ったデイパックを抱える。停車してから十秒もあったろうか。
彼女が護岸に立ち、飛び込むその直前、村の方から猛烈なオレンジ色の炎の固まりが家や木々を呑み込みながら近づいてくるのが見えた。
麗香は護岸を蹴り、頭から川に飛び込んだ。胴体に続き、足が水の中に入ったとき、水面の上をオレンジ色の光が彩った。
今し方まで乗っていた四輪駆動車は爆風に吹き飛ばされ、原っぱの草は一瞬にして燃え上がった。
巨大なエネルギーの固まりは、小さな盆地の仮屋川集落を呑み込み、周辺の山肌を焼き払った。
仮屋川隧道のトンネルには、高圧高熱の炎が高速で走り、六百mを一気に通り抜けると、反対側の出口から爆発的な勢いで吹き出た。
高熱は上昇気流を生み、爆心付近の気圧は下がり、いったん外側へ向かった炎は今度は中心部へと引き戻され、なぎ倒された家や木々は反対側へと引き戻され、燃えながら上昇気流に乗って巻き上げられた。
仮屋川から下流に六km行った室木の集落で、突如地面がびりびりと振動したのはその時だった。
テーブルの上の湯呑みがカタカタと揺れ、窓がダダダと振動する。大きな音が山中をコダマするように響いて、人々は驚き、手を止めた。振動は徐々に収まり、人々が様子を窺い、すこし落ち着いて外に出ると、誰かが気付いた。
「おい、あれを見ろや」
そう言って指さす方向を人々は見て、驚愕した。
上流の方の山並みの向こう側の空がオレンジ色に輝き、巨大なキノコ雲がわき上がっていくのが見えたのである。
「な、なんじゃあれは」
人々は呆然となった。
「仮屋川の辺りじゃないか?」
「すごい爆発じゃぞ」
「火山でも噴火したんじゃろか」
「あんな所に火山なんてあったか?」
最近も火山が突然爆発したことがある。火山列島の日本ではいつどこで噴火が始まるかなんてわからない。
だが、そう言うのとは違うようにも思えた。
「まさか、原爆じゃなかろうな」
「原爆? そんな、まさか……」
「そうじゃ、大体なんであんな所に……」
「米軍の爆撃機でも落ちたんじゃないか?」
などと集落の人々はその方向を見ながらつぶやき合った。
「とりあえず消防と警察に電話じゃ」
一人が我に返り、家の中に駆け込んだ。別の一人が携帯電話を掴む。
人々と一緒に空を見上げていた老婆は、数日前にお弁当を作ってあげた青年のことを思いだした。あの青年は仮屋川へ行ったのだ。
「……」
老婆は不安そうに黒く変色していく巨大なキノコ雲を見つめた。
護岸のそばの川の中は深かった。
麗香は薄暗い水の中を底まで沈んでいき、大きな石や腐った丸太の沈んでいる川底に足が着いた。
子供の頃から非常な訓練を積み重ねてきた彼女にとって、泳ぐことはなんでもないことだった。沈んでもあわてず、自然に任せてそのままゆっくりと上昇し始めた。
川面のオレンジ色の光は弱まり青色へと変化していく。すこし離れたところを、影のように金井と留美がゆらゆらと上がっていくのが見えた。二人とも泳ぎは出来るようで、慌てて溺れるような様子はなかった。
ゆっくりと上昇していき、水面に出ると、熱気が顔に当たった。おもわず手で顔をかばうが、熱気はすぐに感じなくなった。
しかし空気が暖かくなっているのは明らかだった。と同時に冷たい風が川面を走っているのがわかる。多くの空気が失われたため、谷間沿いに空気が流れ込んでいるのだ。
彼女は手足を動かしてバランスを保ちながら、岸の方を見た。
辺り一面、茶色い煙が渦を巻き、そこに上から炎が降ってくる。
彼女は顔を上に向けて、空を見上げた。
その光景におもわず息を呑んだ。
巨大な赤黒い煙の柱が、目の前の城跡の丘の向こう側から立ち上っているのだ。上の方で煙は縦に回転しながら拡がっていて、みるみる空を覆っていく。その中心部に赤や黄色の光が見える。上からいろんなものが燃えながら落ちてくるのが見えた。
「キノコ雲だ……」
その声に振り向くと、すこし離れたところに留美がいて必死に泳いでおり、そのすぐそばで金井が空を見上げていた。
麗香はすこし泳いで、留美のそばまで行くと、少女の体を抱き留めた。金井が、麗香の方を見て、二人の目があったとき、
「しまった」
と金井がつぶやき、水中に潜った。
麗香が「どうしたの」と声をかけようとしたとき、ガシャンと大きな音が岸の方からした。振り向くと、白い軽トラックが、護岸の上でひしゃげて燃えていた。巻き上げられたあと落ちてきたらしい。
驚いて麗香と留美が再度空を見上げると、まだまだいろんなものが降ってくるのが見えた。
危険はないか注意していると、金井が水面から顔を出し、ふーっと息を吐く。
「どうしたの?」
「パソコンと古文書を入れたケースを手放したんだ」
「見つかったの?」
金井はうなずき、すこしだけ左手を水面から出した。手にパソコンケースの取っ手が握られている。
「危うく流されるところだった。幸い水も入ってないみたいだ。古文書は水に弱いから」
とホッとしたようにつぶやいたので、麗香はすこしおかしくなった。こんな危機的な状況で、古文書の心配をしているのである。さすが学者さんね、と麗香は内心思った。
と、彼女は、自分の四輪駆動車がどうなったか思い出して、岸の方を見回した。
壊れた家や、車、立木などが燃えているのが見えるが、川面からは四輪駆動車の姿はどこにも見えなかった。吹き飛ばされたらしい。
「あーあ。あれは自前だったのに……経費で車代出してくれるかな」
そう小さくつぶやいて、それから自分も金井の古文書と同じように、こんな状況で余計な心配をしていることに気付いた。
彼女は顔をしかめて苦笑した。金井のことを笑えないじゃない。
それから表情を引き締めると、二人の方を見た。
「大変なことになっちゃったけど、他の人にはノラーンのことは秘密よ。いいわね」
金井と留美は真剣な顔でうなずいた。そのあと金井は口を開いた。
「でも、この事態をどう説明するんです。村はめちゃくちゃだし。いくら山奥の集落の出来事と言っても、この爆発じゃすぐに大騒ぎになりますよ」
そう言いつつ辺りを見回す。留美も不安そうに辺りを見回した。もっとも彼女は、ノラーンの意識が消えてしまったことを悲しんでいるようでもあった。
「それはまあ、五月機関の方で何とかするでしょう」
「そんな簡単にいきますか……?」
「いい、金井くん。私達は何も理解していないの。何が起こったかも判らないの。偶然何かに巻き込まれ、そして運良く助かったの。そう言う立場にするの」
川の中程で大きな音がした。振り向くと、大きな水柱が上がっている。何か落ちたらしい。
「実際、何も知らないで現場に居合わせれば、何が起こったかは判らないわ」
麗香は上に注意しながら言った。
「それはそうだけど……」
金井がそれでも不安そうにしていると、麗香は変化に気付いた。川面を見渡す。
「岸に上がりましょう」
「え?」
「川の水が逆流している……」
金井と留美も水面を見た。確かに上流へ向けて水が流れている。三人は顔を上げ、同時に丘に遮られた爆心地の方向を見た。燃えている丘の向こうから白煙が猛烈に上がっているのが見えた。
「たぶん、爆心点にクレーターが出来て、水が流れ込み始めたんじゃないかしら。水蒸気が上がってるわ」
流れが速くなってきた。
麗香はデイパックを背負い直すと、護岸の下まで泳いだ。上がりやすそうな場所を探し、留美を押し上げる。金井もパソコンケースを上に放り投げた。がちゃんと大きな音がして、金井は眉をしかめた。勢いよすぎたか。
麗香と金井は護岸をよじ登った。
あたりはまだくすぶっていて、ちらちらと炎も見えた。地面が熱い。
三人は、護岸の上に座り込んだ。すこし経つと上から落ちてくる物もなくなり、その代わり灰が降ってきた。
「放射性物質は含まれてないわよねえ」
麗香は降ってくる灰を見ながら眉をひそめ、濡れたハンカチで口を塞ぎながらつぶやいた。
金井はパソコンケースを抱え、川を見下ろす。川の水は渦巻き、上流へと流れていく。勢いがどんどん速くなっている。
突然、音がして、金井は顔を上げた。
「あ……」
川面すれすれを、谷間の下流側からヘリコプターが出現したのだ。
ローターが風を切る音ととエンジンの金属音が聞こえる。
機体に地元新聞社の名前が書いてある。なぜこんなに早く新聞社のヘリが来るのだ? まるでこうなることがわかっていたかのようだ。
「……」
金井は立ち上がった。これまでの事態が事態だけに不安がよぎる。ヘリが川の中央を近づいてくる。麗香はすこし笑みを浮かべた。
「来たわね……。思ったより早いじゃない」
「じゃあ、このヘリは……」
麗香は笑みを浮かべたまま何も言わなかった。
ヘリは横滑りしながら、護岸の彼らのそばに接近してきた。風で辺りの物が舞い上がる。立ちこめている薄い煙が渦を巻いた。
機体が大きくなり、コックピットの中で、ヘルメットと黒いアイグラスを付けたパイロットがこっちを見ていた。
飾り気のない室内は、満席だった。
ふたつの入り口。ブラインドの降りた窓。
東京新宿区内のとあるビルの中にある貸し会議室だ。
横に長いデスクと折りたたみの椅子が並び、ほぼすべての席に人が座っている。若い人から中年、初老にいたる男女。
彼らは手元に配られた書類を見たり、部屋の前方で立ってしゃべっている若い男の方を見ていた。
その若い男、金井広実は、その多くの出席者の目線を受けてしゃべりながら、内心、苦笑を禁じ得ないでいた。
彼らのどれだけが、自分のこの学術発表に興味を持ってここに来たのだろうか。いや、もっと正確に言えば、自分の研究内容に興味を持って来たのだろうか。
発表には興味があるだろう。
しかし、研究内容に興味があって、ここに来たわけではあるまい。
今日の発表は、仮屋川文書に関することだ。
もちろん、新発見の古文書だから歴史学においてその貴重さは言うまでもない。とはいえ、地方の小領主の史料だ。戦国時代の領国支配制度の新発見があるわけでもないし、織豊政権下の制度的不明瞭な部分が明らかになるわけでもない。内容にしても、ひどく地域的で、地方の史料としてはしばしば見られるものだ。
それらのことを期待してここに聞きに来た学者など数えるほどもないだろう。顔見知りの二、三人の学者くらいだ。
来席者のほとんどは、それが、「隕石の落下で消滅した」仮屋川集落の古文書だったからである。それも、災害から「偶然にも」助かった学者が、「所有者から借りていて」持っていたが故に助かった古文書だというわけだ。金井は自分のものではないそれを大学に預けることにしていた。所有者が「死亡した」と思われるためだ。そして、その前に古文書の内容と研究結果を発表をしているのだ。
金井はマスコミでも紹介された。前代未聞の天変地異に巻き込まれるという貴重な経験をした生存者なのだから、無理もない話だ。それが学界の間でも噂になった。大学でも結構な注目を浴びた。
学者の多くは、研究対象に関して言えば、科学者らしく客観性を重んじ、実証主義的だが、一方で噂だのゴシップだのには弱い。一般人よりもそう言うネタに乗せられやすい傾向にある。
目の前にいる人々の多くは、そう言う風に乗せられてきた人だ。普段この学会に来ない人の方が多いのはそのためなのである。
金井が発表を聞く人のために用意した発表内容を記したレジュメには、発見古文書のコピーが載せられている。この学会は、通常二十人ほどが参加するが、レジュメは、ちょっと余裕を持たせて四十部刷ってきた。
しかし二十部以上足りなかった。部屋の後ろの方では、テーブルのないところにまで椅子を置いて聞いている人がいる。レジュメの足りなかった人は、二人で一緒に見ている人もいた。
あの仮屋川文書のコピー画像が載っている、ということで、このレジュメは貴重なものになるだろう。一部ずつ通し番号でも付けておけば、余計に価値が上がったかもしれない。本来の歴史的価値とは違う意味での「歴史的」価値だ。
古文書を一つ一つ紹介しながら、金井は自分の研究内容に対する皮肉な感想を持っていた。
ふと、室内を見回して、最後方に座っている手持ち無沙汰な様子の女性と目があった。
彼女は目が合うと、にっと笑い、小さく手を振ったので、金井は思わず苦笑してしまった。
村文麗香は、学術発表を聞きに来たのではなく、様子を見に来たのだ。たぶん、例のことで話があるのだろう。
発表は進み、古文書の解説も一通り終わり、金井はこれまでの研究成果とあわせていくつかの結論を言って、発表を終えた。
「以上です。ご質問がありますでしょうか」
人々の多くは拍子抜けしたかも知れない。内容はともかく、今回の大惨事に巻きこまれた感想の一つも言うだろうと思っていたからだ。だが、それは研究とは無関係の話であり、学会の場で言うことではない。
それに……、
と金井は微妙な思いにとらわれる。
それに真実は……。
室内が少しざわめき、やはり同じような感想を抱いているだろう、同じ分野の研究者が、手を挙げた。兼ねて顔見知りの准教授だ。
彼は座ったまま、古文書のいくつかの「読み」すなわち解釈について指摘し、さらに研究に関する内容について質問した。金井がそれに答えると、別の研究者からも質問が上がった。やはり近いところを研究している学者で、今の質疑応答についての自説を述べた。それに金井が応じて、「御指摘の点をさらに研究してみます」と述べると、その学者は少し満足したように座った。
あとは、質問はなかった。ほんとは感想を聞きたいと思っているのだろうが、それは学問とは関係ない。さすがに出席者も学者だからそこまで図々しくは聞けないのだ。
それに大半の出席者にとっては、今の質疑応答の内容もよくわかってないだろう。学者というのは自分の研究以外の分野には余り興味を持たないものだ。特に文系の世界では。
今日の学会は金井が最後の発表者だったので(もちろん意図しての順番だが)、「ではこれで終わります」という金井の挨拶に拍手が起こり(これはいつものことだ)、金井が壇上の席を離れて、元いた自分の席に戻ると、学会の委員が定例会の終了を宣言し、レジュメのコピーについて説明し、それから二次会について説明した。二次会は必ずある。親睦を深めると称してお酒を飲みに行くのだ。歴史学者の楽しみなど、研究以外ではそんなものしかない。
人々がしゃべりながら立ち上がり、部屋を出て行く。顔見知りの学者の何人かが金井のそばにやってきて、声をかけてきた。
「大変だったねえ」
と言うのが共通の開口一番であった。
彼の発表のあとに質問をした知り合いの准教授が肩をたたいた。
「えらい人気だな。果たして研究内容に興味を持っているのがどれだけいることやら」
彼は苦笑しつつ、そう小声でささやいた。金井が「まったくです」と小さくつぶやくと、准教授は背筋を伸ばしてうなずきながら笑い、肩をすくめて、
「どうする、二次会来るんだろう? みんなおまえの話を聞きたがってるぞ」
「いや、それが……。人が待ってるもので」
とちょっと麗香の方を見た。彼女はまだ席に座ってこっちを見ている。金井が見ると、また手を挙げてちょっと振った。
まだ三十代の准教授も彼女を見て、
「なるほど」
と言った。勘違いしたのは言うまでもない。
「ま、今日来ているのは、大して研究の役にたつ連中ではないし、二次会に行ってもしょうがないしな」
それからまた顔を近づけ、
「あれだけの大惨事に巻きこまれて、せっかく生き残ったんだもんな。彼女とゆっくりしたいのはよくわかるよ」
「いや、そういうことでは……」
「照れるな照れるな。いいよ。俺があの連中を引きつけておいてやるから、おまえ、彼女と裏の階段から抜けて、地下鉄の方へ行け」
地下鉄の駅は二次会の場所とは逆方向である。
「すみません」
金井が小さく言うと、准教授はにやっと笑い、
「恩に着ろよ。ああ、ホテルに行くならこの近くはやめとけよ」
「ちょっ、なに言ってんですか!」
准教授は笑って、
「じゃ、彼女によろしくな」
そう言ってその場を離れた。部屋の入り口をでて、なにやら大声で出席者に声をかける。二次会に引っ張っていこうとしているのだ。
部屋からみんな出て行くと、金井は荷物をパソコンケースにしまいながら麗香の方を見てうなずいた。
麗香が近づいてきた。
「わざわざごめん」
「いいのよ。発表聞かせてもらったけど、……うーん、内容は良くわかんなかったわ」
金井は肩をすくめ、
「でしょうね。学者以外にはさっぱりだろうし」
「でも格好良かったわよ。スーツも決まってる」
「そ、そおかな」
金井は照れてしまった。准教授のホテル云々、の言葉が蘇り、ちょっと慌てる。
「これから二次会でみんな僕の話を聞きたいようだけど、行く気無いから、裏から抜け出しましょう」
「いいの?」
「いいんですよ。どうせ研究には役に立たない話ばかりだろうし。それにあまりしゃべるわけにも行かないでしょう。例のことは」
「そうね。でも抜け出せるの?」
「知り合いの准教授がみんなを引きつけてくれるそうです」
「そう? ま、私は二次会くらい付き合ってもいいけど。学者さんたちとの飲み会もおもしろそうだし」
そう言ってから、
「でもあなたにしたい話もいくつかあるから、その方が助かるわね」
金井と麗香は部屋を出ると、廊下の方の様子を窺って、そっと裏の非常階段から出て行った。
地下鉄の駅がある通り沿いに出ると、金井は歩調を落とした。
「結局、隕石の落下ってことになっちゃいましたね」
麗香はうなずいた。
「ほかに説明のしようもないしね。異星人の宇宙船が爆発しましたなんて誰も信じないし、今は明かすわけにもいかないから。……幸いと言ってはなんだけど、あれくらいの破壊力なら、隕石だとしてもそんなに大きくないから。なら途中落ちてくるところは気付かなかったってことにも出来るわけ。まあ、いざとなれば、天文台とか自衛隊のデータをいくつか創作して、出しても良かったんだけどね」
「自衛隊って、レーダーですか? 何かしら映ってたんでしょう?」
「そのデータは、ちょっとまずいのよね。だから、こっちでいかにも隕石っぽいデータにしておこうって話。自衛隊関係には強いコネがあるから大丈夫だと思う」
「なるほど……」
五月機関が自衛隊にも浸透しているというのは、将来の侵略を考えれば当然だが、いささか気味が悪い。
「住民が死亡した理由をエイリアンに殺されたって訳にもいかないし」
「気の毒ではありますけど……、まあ、仕方ないですね」
「そういうこと。ああ、それでね、検査の結果はオールグリーンよ。健康には何も問題ないって」
「よかった」
金井はほっとした。放射能にでも汚染されてたらシャレにならない。麗香は金井に結果表を渡した。金井はそれに目を落としながら、
「ところで、留美ちゃんはどうするんです」
「彼女は機関の方で預かることになったわ。ただ、偶然生き延びた村人と言うことで世間にばれちゃっているので、機関の方で遠い親戚を用意して、表向きは、宮崎の郊外に住まわせることにしたわ。宮崎なら組織の双神山基地にも近いし」
双神山基地は鰐塚山中の大きな地下施設のことだが、一般には全く知られていない。五月機関の本部と天文台が置かれていた。
「そっか。良かった。あの子のことはちょっと気になっていたんですよ」
「でもまだ、ノラーンのことを引きずっているみたい。あの子はノラーンと心を通わせていたみたいだから……」
「そうですか……。そういえば、麗香さんは、ノラーンからなにか教えてもらったんでしょう。スールーでしたっけ、侵略者は」
ノラーンの指を経由して記憶を移植されたことだ。
「うん。記憶はまだ鮮明にあるのよ。脳に強制的に上書きされた感じ。でもデータ化して組織のサーバーに記録しておいたから、とりあえずは一安心。あとは専門家たちが分析するでしょう。一時は頭パンパンな感じだったけど、いまはだいぶ落ち着いてきたわ」
「大丈夫ですか……?」
「あれれ? もしかして心配してくれてる?」
「そ、そりゃあ……当然じゃないですか」
金井が少し怒った口調で言うと、麗香は案外嬉しそうに、ありがと、と言った。
「スールーもですが、ノラーンのことは、あまり判らないままに終わっちゃいましたね」
「そうね。彼女がどうして地球まで来たのか。その人生にどんなことがあったのか……。イメージは色々記憶させられたけど、彼女の人生そのものはよくわからないままね。でも、わかったこともあるわ。ノラーンから預かった卵だけど、あの外殻はサイボーグみたいに機械と生命体が一緒になったものなのよ」
「そうなんですか」
「だから、いま詳しく分析中。彼女のくれた記憶とともに、新しい技術が手に入りそうな感じ」
「中にいるノラーンの子供を殺しちゃダメですよ」
「わかってるわ、大丈夫よ」
「あと、留美ちゃんのことも頼みますよ」
「おっとお、金井君、親にでもなった気分?」そう言って麗香は笑い、「頼まれなくても組織がちゃんと面倒は見るわ。……でも、どっちみちあの子は組織に関わることになるわね。うちのことは秘密なわけだから、大きくなって組織と無関係の社会に出す、と言うわけにも行かないもの」
「そうか……。そうでしょうね。異星人の侵略に備える組織に関わったら、世間には出せないよなあ」
金井が空を見上げてしみじみとつぶやいた。仮屋川の事件のあと、事情が事情だけに金井もこっそり双神山基地に連れて行かれて、色々尋問されたが、そこで五月機関の活動の様子を目の当たりにした。そのことを思い出したのだろう。
麗香は苦笑した。腰に手を当て、
「金井君」
「はい」
金井は、麗香の方を見た。
「あなたもよ」
「は?」
「あなたも五月機関のことを知ってしまったんだから、仲間になってもらうわよ」
「ええっ?」
「ええっ、じゃないの。立場を言うなら、留美ちゃんと同じでしょ」
「いや、あの、黙っておくってだけじゃだめなんで……?」
「ダメに決まってるじゃない」
「で、でも僕は研究を続けたいんですけど」
「それくらいは出来るようにしてあげるわよ。それに大学院も卒業したら就職しなくちゃ行けないんでしょ。就職先、うちで世話してあげるから」
「ええー」
金井は顔をしかめてうなった。
「ヤな顔しない。どうせ就職難なんだから、ありがたいことでしょうが」
「それはまあ、そうですけど」
「今のところは民間組織だけど、これからは変わるわよ」
「いまのところは?」
「いずれ大きくなるのはわかってるでしょ」
「侵略、ですか……」
麗香はうなずいた。
「本当なんですかね、その侵略っていうの。未だに信じられないんですけど」
「んー、無理もないけど、いくつかの証拠はあるんだし、ノラーンのくれた情報もある。そもそも彼女の存在だって証拠と言えるんじゃない? 大体五月機関がどうして存在していると思う? 前にも言ったけど、昔から情報を得ていたからでしょう」
確かにその通りではある。単に宇宙人の存在に興味を持っただけのオカルト団体なら、これほど大がかりに隠匿する組織などは作っていないだろう。しかも政府や自衛隊、マスコミなどにも密かに浸透しているというならなおさらだ。
しかし、と金井はつぶやき、
「ただのしがない歴史研究者に、異星人の侵略に備える仕事なんて、無理だと思うんですけど……」
「仕事は色々あるわよ。デスクワークもあるし、情報管理とか、企画立案とか、やることは様々。なにもレーザー銃を持って戦え、と言ってるわけじゃないんだから」
「それはまあ、そうでしょうけど……。でも、そんな組織に属する事なんて、両親や教授にはなんと言えば」
「ちょっと、余計なことは言わないの。就職したことだけ言えばいいじゃない。就職先は一見普通の会社のように見せておくわよ。実際普通の企業もあるんだから。そもそもあなたの研究内容、それほど学界では重要じゃないんでしょう?」
「へーへー、よくおわかりなことで」
と金井は言い返した。
「それに、いざ侵略が始まったら、組織に関わってる方が色々と有利になるわよ。情報も得られるし、家族を避難させるのだって優先されるでしょう」
「避難か……」
その響きには奇妙なリアル感があった。たしかに、侵略が本当にあるのなら、その通りだろう。
「とにかく、関わってもらうからね」
「はあ……」
金井はため息をついた。もっとも、内心では、五月機関の関わってる「秘密裏の世界」にも興味がないわけじゃない。それを見透かしたように、
「納得してもらったところで、さっそく双神山に登録しに行くわよ。こないだは検査だけだったけど、今度はちゃんとしないとね。もともと今日来たのは、あなたを連れて行くためなんだから」
「え? いまから、宮崎へ行くんですか?」
「二次会さぼるんでしょ。だったら早いほうがいいじゃないの」
麗香はにやっと笑うと、金井の手をむんずとつかんだ。
麗香の手のぬくもりを感じて、金井は、ま、これはこれでいいかも、と思った。
漆黒の宇宙空間。
小型の惑星ほどもある天体が動いていた。
もし知的生命体が近くで見れば、それが人工天体だとわかるだろう。
中央の模様の入った球体と前後に突き出た円柱。その先にある傘のような構造物。
全長は三千Kmにも達する。
その内部は複雑で、様々な形状の生命体がうごめき、まるで生態系か都市のようだった。
その奥の一角、巨大な部屋に四肢のある生命がたちあがって目の前のスクリーンを見上げていた。体中に機械を取り付けられ、その機械によってある程度コントロールされているようだった。
奴隷種族である。
スクリーンには、一つの恒星系が映し出されていた。
そのうち恒星側から数えて三番目の青い星が拡大表示されると、その脇になにかしらの文字が現れた。
四肢を持つ生命はそれを見ると、かたわらの同族に何かを話しかけた。そして手元のパネルを操作し始めた。
それはその奴隷種族への命令だった。
命令は要約すれば以下のようなものだった。
【第十二母殻船軍所属第四〇七船操船統括部門へ指令】
同船は、座標指定第百十七星系の第三番惑星に向けて進路変更せよ。
本指令時間をもって、同惑星への攻略作戦を発動する。
同船は相転移機関を作動し、位相航法に入れ。
関係諸種族は攻略に備え戦時生産計画へ移行せよ。
攻略開始は、同星系に入り、第四惑星軌道到着時とする。
現時点より、共有時間六・三倍時、当該第三惑星軌道時間四・五公転時を予定。当該星系の惑星の位置関係に留意せよ。
具体的な指示項目は、補完機構内の所定の場所に格納してあるので、関係諸種族は必ず参照のこと。
命令違反は相応の処分を課す。
以上。
【第十二母殻船軍総司令部 及び 第四〇七船指導司令部】
渓谷の村で 青浦 英 @aoura
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