第50話
僅かばかりの別れ。また出会えたことへの喜び。
……しかし、彼らに楽しんでいる時間はない。
レヴォネはリナの体調が戻るのを待った後、前へと一歩進み出た。
腕を組み周囲を見回すレヴォネ。一同を威圧する鋭い眼光に強大な魔力。フィル以外の四人は、圧倒されるがまま口の中の唾を飲み込んだ。
「そろそろ王の元へ行くぞ。準備はいいか?」
「じゅ、準備!? 髪もぼさぼさだけど、大丈夫?」
リナは慌てて自分の髪を手で梳き始める。フーリムも背を向け、そそくさと髪を整え始めた。
彼女たちの様子を見て、フィルはくすりと笑う。思い出しているのは寝癖に文句を言う幼馴染の姿だった。
遠い日のことで、戻ることがない未来。……もし戻れたとしても、前と同じようにはいかないだろう。
僅かばかりの郷愁の念がフィルの胸で疼いたが、仲間たちを見ているとすぐに消えた。
「では行くぞ。いいか、決して勝手な行動はとるな。許可なく話すことも禁じる」
「……もし守らなかったらどうなりますか?」
「ふっ」
緊張感をはらみながら告げたルアダの言葉に、レヴォネは憐れむような目を向けて笑う。
彼女は言葉にして答えなかったが、身を引き締めるのには十分。一行は浮わついた気持ちを捨て、自分たちの目的を深く思い出した。
――しかし、それでも足りなかったということを、彼らはこの後に身を持って知ることとなる。
広く長い廊下。人ではなく明らかに別の物を想定して作られた城は、巨人が住んで居ると言われても信じられるほどであった。
言葉も無く、ただ前を歩く銀髪の女性へと続く。だが一歩足を進めるごとに、五人の動きは重くなっていた。
この先にいる。言葉にせずとも、全員は本能でそれを感じ取っていた。
「ここだ」
レヴォネが足を止めたのは、城門よりも遥かに大きい扉。
扉の先からは、いくつもの魔力の奔流が流れ出していた。
合図をしたわけでもないのに、扉が重厚な音を立てて開き始める。五人を包む威圧感は、先程までとは比べ物にならないほど膨れ上がっていた。
喉元へ食いつこうとする圧迫感。猛獣の前へ裸で通されるような感覚。
普通ならば逃げ出したくなるほどであったが、使命感が全員の足を前へ進ませてくれた。
「ほう、来たか」
肘掛けに乗せていた腕を上げ、組んだ足の上へ両手を握り合わせて置く。――ただ、それだけのことだった。
目が動く、指が動く、身じろぎをする。そんな些細な動作の全てが、心臓を鷲掴みにした。
竜王リラーク。人知を超えた存在は、悠然と座していた。
まだ竜王の玉座までは遠く離れている。なのに、目の前にいるかのようにハッキリと姿が分かり、輝いているようにすら五人には見えていた。
一同は前に進もう、ここに佇んでいてもしょうがないと言い聞かせる。だが分かっているのに、体が動かない。
何も感じないかのように進むレヴォネに続こうとしているにも関わらず、体が言うことを利かないようだった。
全員の震えが止まらない中、普段と同じように微笑を浮かべながら歩き出したのはルアダだった。
いつもは鈍感にすら思えるベイでも体を震わせている。なぜルアダは動けるのだろうか。
一行が不思議に思いながら見てみると、すぐに理由は分かった。彼は拳を強く握り、必死に抗いながら進んでいる。
ルアダは動かない皆のほうを振り向き、一度頷く。その目が「行きましょう」と訴えていた。
膝を押さえつけ、腕を一度握る。大きく息を吸って吐き、震えたまま歩き始めた。
長く長く感じる道のりを歩き、竜王リラークの前へと辿り着く。震える膝へ触れながら、倒れないようにゆっくりと五人は片膝をついた。
「竜王様、突然窺ったことを」
「必要ない。書状を」
つまらぬ挨拶や世辞には興味がないとばかりに、リラークはルアダの言葉を遮る。彼が望んでいるのは用件だけのようだ。
言い返すべきこともなく、ルアダは胸元から書状を出し、両手で差し出す。レヴォネがそれを受け取り、リラークへと渡した。
書状の内容、それは見ずともリラークには想像がつくものだったのだろう。特に興味が無さそうに目を動かす。
(魔族を倒すため、竜も協力せよ。もしくは、竜を褒めたたえ力にならせよう。そんなところだろう)
しかし、リラークの目尻が少し動く。
書かれていたことは、人にはもう勝機がないということ。そして出来ることならば竜の助けを借りたいということ。だが、ここまでならばリラークも驚く事はない。
最後の文だけが、まるで想定になかったのだ。
『強き竜に人を助ける理由は無い。だが人が滅びた後、魔族は竜を狙うであろう。彼らは想定以上の力を持っており、竜であろうと油断はなさらぬよう。人と同じように、竜が滅びることだけは無きことを願う。そしてできることならば、逃げた民のことだけは無碍に扱わないで頂きたい』
助けを乞う、それと同時に助けはないと理解している。そしてあろうことか、竜の心配までしている内容。
自分を助けてくれとは言わず、滅びたとしても自分たちの責任。だが、逃げた者だけは匿ってほしい。
同じ王として、リラークは人間の王を侮っていたことを理解した。
竜は己の強さが絶対であり、助けを乞わない。
王はその命を優先し、他のことなど二の次である。
そう思っていたリラークに衝撃が走る。この書状はそうではなかった。
人はもう助からない、自分も助からない。だがせめて、逃げ延びた少数の者だけは……。
同じ立場になったとき、言えるだろうかとリラークは考える? 自分の無力を認め、僅かな民草への救いを願うことが。
――できるはずがない。考え方がまるで違う生物であり、竜は追い詰められたとしても最後まで戦うしかないからだ。
書状を折りたたみ、リラークは天を仰ぐ。
心が揺らいでいるように見えた。
そのままの体勢で、リラークは口を開く。
「人間よ、この王はどのような人物だ」
「……我らが王は高潔な人物にし、最後まで人を救うために抗う御方です」
純粋に、真っ直ぐな瞳でルアダは答える。最後まで抗うと思っている人物が、嘆願するような書状をどんな気持ちでしたためたのだろうか?
恐らく他の誰にも心中を吐露することはできず、同じ王であるリラークにだけ打ち明けたのだろうと気付いてしまう。
リラークには、それはとても尊いことであり、誇り高きことに思えた。
無言で立ち上がったリラークは、跪いている五人を見回す。弱く、肩を震わせているにも関わらず、五人には逃げ出そうという素振りがない。
だが後一押しが足りない。リラークはそれに気付いており、彼らの選択を問うために口を開いた。
「力無き者に興味は無い」
誰にでも分かる拒絶の言葉。しかし、それへただ頷くことが五人にはできない。
自分たちの両肩に乗っている物の重さから、逃げることだけはしたくなかったからだろう。五人は顔を上げ、リラークを見た。
圧し潰そうとする威圧感に耐え、目を逸らさず必死に見ている。リラークにはそう感じられた。
「竜王よ、自分たちは――」
「分かっている。このまま帰ることはできないと言うのだろう。だが、オレも力を貸すことはできない……分かるな?」
竜王の目が訴える。自分が先ほどなんと言ったのかをよく思い出せ、と。
――最初に気付いたのは、リナだった。
彼女は震える膝を拳で叩き、重い体を無理矢理立ち上がらせる。
そしてゆっくりと剣を握り――引き抜いた。
驚き、言葉を失っていた四人も気付く。他の方法はなく、やるしかないのだと各々が武器を握る。
それが間違っていないとばかりに、リラークはにやりと笑った。
「ヴォルノーサ、こいつらの相手をしろ」
「――軽く引き裂けるようなゴミの相手を自分が?」
重厚な銀色の鎧をつけた、茶色の髪の竜人が前へ進み出る。
名はヴォルノーサ。竜王リラークの息子にして、竜族の中でも五本の指に入る男である。
リラークが頷くと、ヴォルノーサの髪は燃えるように赤く光り出す。
彼の周囲に炎が舞い始め、火の粉が辺りに飛び散った。
熱気を振り払い、五人は立ち上がる。
目の前にいる人の姿をした竜、ヴォルノーサと戦うために。
五人が武器を構えたのを確認し、リラークは玉座へと背を預ける。そしてもう一度五人を見回した。
「炎竜ヴォルノーサ。オレの息子にして右腕といえる竜だ。人間よ、力を示せ」
パチリとリラークが指を鳴らす。
同時に、ヴォルノーサは組んでいた腕を解いた。
黄昏のドラグーン 黒井へいほ @heiho
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