第49話

 ルアダたちは高い崖を視界に収め、呆然としていた。

 これから高い崖を登らねばならない。道らしき場所もあるが、垂直に屹立する壁は遠目にも見てとれた。

 二日、もしくは三日。休息できる場所を探しつつ、慎重に、速く登る。

 困難な行動を予測し、その日は早めの休みを取ることとした。


 夜、焚火の明かりだけを頼りとする闇に包まれた世界。

 誰一人口を開くことはなく、ただ明日からの過酷な行動を想像し体を休ませていた。


 リナは焚火を眺める。

 ルアダは動かず目を瞑る。

 ベイは武器や防具を手入れする。

 フーリムは睨むように崖を見る。


 沈黙の中、最初に口を開いたのは、予想外なことにルアダだった。

 何も話さない。その状況への危惧。今後の事を考えれば、仲間の気を少しでも軽くす必要を感じていた。


「ここはとても静かですね」

「あ、うん、そうだね。鎧の音を鳴らして歩く警備も、遠くから大きな音も、悲痛な声も聞こえない。まるで別世界にいるみたい……」


 反応したリナは率直な感想を返す。気付けば戦乱の時代を生きていた彼女たちにとって、綺麗な静寂というものは、とても尊い物に感じられた。

 流れる風、木々のざわめき、焚火の燃える音。小さい音たちは、ピリピリと張り詰めていた一同の心を僅かばかりでも休ませてくれていた。


「……明日、あそこを登るんだろ」


 ベイの言葉に、全員が目を向ける。彼らしくない、若干重い声色だった。

 その言葉は明確に発してこそいないが、登れるのか、大丈夫なのか。暗い気持ちのまま、まるで問うているようにも聞こえた。

 また犠牲が出るかもしれない。脳裏に残るフィルの落下した姿が、一同の背中に嫌な悪寒を走らせた。

 だが、ずっと崖を見ていたフーリムが振り向き笑顔を見せる。彼女は手に持つ槍の先をトンッと地面へ当て、告げた。


「お兄ちゃんが待っているから」


 確信は無い。普通に考えれば、フィルが生きていたとしても自分たちが先に到着する。しかしそれでも、フーリムは笑顔を振りまき伝えた。

 生きていてほしい、生きていてくれる。ここまでそう信じて来たのだから、進もう。きっと無事だから。


 少女の願いは、他の三人にも正しく伝わった。

 厳しい現実の中を生きてきた三人は、無事かもしれないと自分たちへ嘘をつき、進むことを選んだ。

 希望を持つこと。それこそが人の原動力となることを知っていたからだった。


 だが、今は違う。

 弱さを隠し微笑む少女を見て、自分たちも心の底から信じなければならないと思わされた。

 道中、渋い顔を見せていたベイが立ち上がる。そして拳で手の平を叩いた。パシンッと弾けるような音が、静寂の中に響く。


「待たせてるってのは性に合わないな。だから、先に到着してフィルを待っていてやろうぜ!」


 一同のムードメーカーである男、ベイはにやりと笑う。犠牲に慣れているにも関わらず、もっとも犠牲を悲しむ性格。

 悩み苦しんでいたベイは、気合を入れた後、横になった。心が決まったのだから、後は眠るだけ。悩む時間も長かったが、切り替えの早さも随一だった。


「やれやれ……ベイの魔法で道を切り開くことも多いでしょうから、頼みますよ?」


 ルアダの言葉に、なぜか返事がない。不思議に思い覗き込むと、ベイはすでに眠りについていた。

 ……あまり眠れていなかったのだろう。長い付き合いからすぐに気付いたルアダは、顔を綻ばせた。

 他の面々も静かで、周囲を見回す。すると、他二人もいつの間にか横になっていた。

 体よく火の番と見張りを任されている。気付いたルアダは、苦笑いを浮かべた。



 明日、崖の前へと辿り着き見上げる。雲で先が隠れており、見ているだけで緊張感に包まれた。


「おっし! 俺が最初に登るか!」

「いやいや、ベイくんは後だよ? まずは私かルアくんが登るから、後からついて来て。後、フーリムのことはお願いね?」

「任せておけ!」


 昨日とは打って変わり元気な様子のベイ。他の三人も力を取り戻し、崖を登るため気合を入れた。

 しかし、突風が巻き起こる。羽ばたく大きな音の中、思わず四人は顔を手で覆い隠す。

 少し遅れ、重い着地する音。四人も気付いており、すでに臨戦態勢を整えていた。


 緑色の鱗に包まれた、腕と翼が一体となっている竜。ワイバーンが彼らの前へ再び現れた。


 リナは着地の隙を逃さず飛び掛かろうとしたのだが、ピタリと止まる。

 ワイバーンは自分たちを見ながら頭を垂れ、地面へと伏していた。

 戦おうという素振りではない。だが服従というわけではなく、目には強い光が見えた。


「……えっと」


 身構えたまま、リナは後ろにいる三人へ目を向ける。しかし良く分からないのは同じで、三人も困った顔を見せた。

 その中で、ワイバーンが鼻先で自分の背を示す。乗れと言っているような行動に、四人は首を傾げた。


 敵対する素振りを見せないワイバーン。

 戸惑いが隠せない中、最初に近づいたのはベイだった。


「ベイ! 迂闊に近づいては……」

「おーしおしおし、乗せてくれんのか? 連れて来るよう頼まれたのか?」

「グルル」


 焦りルアダは止めようとしたが、言って聞くような男ではない。ベイは平然と近づき、ワイバーンの鼻先を撫で始めていた。

 ベイへ返事をするように、ワイバーンが短く呻く。触れられても暴れることはなく、静かに伏せたままだった。

 ルアダはまだ警戒をしていたが、ベイは平然と背に乗る。それに続くよう、女性二人もワイバーンの背へと乗ろうとしていた。

 こうなっては仕方なく、ルアダも小さくため息を吐いた後、ワイバーンへと乗り込んだ。



 四人がワイバーンの背にしがみ付き、空を飛ぶという体験をしている頃。

 竜の城では、フィルとレヴォネが話を終えていた。

 話、眠り、また話す。尽きぬ話が終わったのは、昼過ぎのことだった。


 レヴォネは悩んでいる節もなく、むしろ納得したという顔をする。しかし、腑に落ちない点があった。


「……フィルの時代には、竜がいなかったのだな?」

「はい、自分が知る限りでは、ですけどね。知らなかったとはいえ、会ったことがある竜はレヴォネさんだけです」

「分からぬ。なぜ我以外が……?」


 竜が人に協力し、魔族を撃退した。それはまだいい。だが、なぜその後に竜は姿を消したのか?

 人と共存する道をとったのならば、そうなることはおかしい。ただ助けただけ? もしくは、竜が……。

 もしそうならば、魔族を軽視していたのではないか? レヴォネは考えたくない未来を考え、ギリッと強く歯を合わせた。

 その時、竜の嘶きが響く。気付いたレヴォネは、窓へ目を向けた後に立ち上がった。


「くそっ、考えも纏まっていないが、時間切れか。後は王と話しながら考えるしかないな」

「時間切れ、ですか?」

「行くぞ、ついて来い」


 立ち上がったレヴォネは、振り向きもせず歩き始める。有無を言わさぬその様相に、フィルは慌てて後を追った。


 二人が向かったのは、広く開けた空の見えている場所。レヴォネが軽く手を上げると、旋回していた小さな黒い影が向かって来た。


「ワイバーン? あれは……」


 背から叫び声を響かせながら、ワイバーンが翼をはためかせ着陸する。無理矢理乗っているという感じの四人を目に入れ、フィルは走り出した。


 フィルの存在に気付かず、ふらふらとワイバーンの背から降りる四人。特にリナはひどく、そのまま地面へと尻もちをついた。


「うぷっ……もう……」


 乗らない。そう言いたいのだが、別の物が吐き出されそうでリナは口を押さえる。ベイは珍しいリナの様子に、楽し気に笑いながら背中を撫でた。

 撫でられて楽になる気持ちと、本当に何かが出てしまいそうな境。地しか見ることができなくなっているリナに、聞きたかった声が届いた。


「みんな! 無事だったんですね!」

「……おぉ、フィルじゃねぇか! ほらな! 俺の言った通りだろ?」

「一番青い顔をしていたベイに言われるのは、僕も釈然としないのですが……」


 フィルは四人の前へ辿り着き、止まる。安心した顔を見せてくれるベイとルアダ。

 迷惑をかけてしまった、無事で良かった。色々な言葉浮かぶフィルが口を開くより先に、少女が胸元へと飛び込んだ。

 強い勢いで飛び込まれ、フィルの体が後ろへとよろける。しかし、フーリムは強く顔を埋めた。


「っとと……フーリム、心配をかけてごめんね」


 無言でフーリムは顔を横へ振る。服が温かい物で濡れていき、フィルは優しく彼女の背へ触れた。

 誰よりも信じている存在が、この世界から消えてしまったかもしれない。他の三人よりも強い恐怖の中、フーリムは必死に耐えていた。

 今、それが間違いでなかったと分かる。とても嬉しいのに、目からは止めどなく思いが流れ出た。


 短い呻き声。気付いた一同が目を向ける。

 真っ青な顔をしたリナはにっこりと笑い、親指を立てた後、そのまま横に倒れた。


 五人が騒がしくなる中、レヴォネは小さく息を吐く。

 どうやら王への謁見には、もう少し時間を置いた方が良さそうだと。

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