第48話
銀の翼が雲を切り裂き滑空する。
首根っこを掴まれたフィルは、風の魔法で自分を守り風圧に耐えた。
目指す先は、岩山の頂。雲がかかり全体像が見えない尖端だ。
レヴォネは上機嫌で空を飛ぶ。空を飛ぶことは彼女の最大の楽しみだ。
煩わしいことはなにもなく、ただ思うがままに駆け抜ける。空の支配者足る竜として生まれ落ち、もっとも嬉しいことが飛ぶことだった。
機嫌のよさを現すように、無駄に体を回してみる。
その度に掴んでいるフィルがビクリと体を震わせることが、レヴォネにはとても面白かった。
急上昇、急下降、急旋回。踊るように彼女が空を飛んでいると、手の先の反応が鈍くなる。
もう慣れてしまったのかと、反応がないことを残念に思う。しかし、目を向けて見て違うことが分かった。
青い顔をしたフィルは気を失う一歩手前で、白い顔をしている。指一本動かさず、じっとしていた。
軟弱者がと思う気持ち。少しやりすぎたかもしれないと思う気持ち。
二つの気持ちを感じつつ、ほんの少しだけ反省したレヴォネは、なるべく揺らさぬようにしながら、目的地へと急いだ。
尖端部分、岩をそのまま抉り作った城。それが竜の居城だ。
飛ぶ速度を落とし、ふわりと一つの窓へと入り込む。赤いカーテン、天蓋のついたベッド。小さな机にソファ。
人が生活して居るようにも見える部屋の主は、ソファへとフィルを放り投げた。
声も上げず、ぐったりとフィルはそのまま横へなる。レヴォネは空を初めて飛んだ影響だと思っていたが、実際は先の戦闘のダメージが深く残っていたからだ。
体はギシギシと鈍い音を立て、動けばズキズキと全身が痛む。今フィルにできることは、黙って回復に努めることだった。
気付かぬレヴォネは、フィルは気絶しているのだろうと思う。これから王に謁見させるのにも時間は遅く、仕方なく部屋を出た。
レヴォネが向かったのは浴場。体についた汗と血の匂いを、洗い流すためだ。
肩のケープを外し、黒のロングドレスを脱ぐ。近くの石で出来た桶に湯を汲み、体へとかける。思わず彼女の口から、小さく吐息が零れ出た。
体を一通り流した後、広い浴室へと足先を入れる。少し熱めではあるが、湯に体を沈めていくほどに熱が浸透していく。ゆっくりと入った後、足を伸ばす。体から力が抜けていった。
レヴォネはぼんやりと天井を眺めていたが、小さな水音を立て、顔を湯につける。顔を上げ大きく息を吸うと、今日一日のことが思い出された。
妙な気持ちを持たせた人間、自分の力を感じる人間、弱いくせに守った人間。頭に浮かぶのは、フィルのことばかりだ。
ランディルに襲われたことも問題ではあったが、些細なことだとレヴォネは思っている。
竜が竜と戦う。そんなことは日常的に行われていることであり、竜が急激に増えない理由でもある。
彼らは圧倒的な力を駆使し、より高みを目指す。強い気性もあり、殺し合うことなどは大した問題ではなかった。
「……父はどのような反応をするだろうか」
一番の気がかりは、そこにあった。
王は人と協力はしないと決めている。しかし、なぜか人間と会うことを決めてもいた。
会うことで面目を躍如し、しっかりと拒絶の意思を示す。そうとも考えたが、レヴォネは少し違うと思っていた。
竜が人に協力する理由も、会う理由もない。なのに会おうと思ったのはなぜか? レヴォネが思うに、王は悩んでいるのではないかと思う。
人を救いたいとは思えないだろうが、見捨てることもできないのだ。
竜王は弱き竜を守るために立ち上がった竜。元竜王の傍若無人な行いを許せなかった竜。
つまり、弱き人が滅びるのを見捨てられないのではないだろうか? レヴォネはそのように考えていた。
しかし、彼女自身の考えは違う。
人と魔族が争うのは竜には関係のないこと。どちらかが滅びようと、両方が滅びようと構わない。
……だが、なぜか今は迷いが生じている。彼女は脇に置いてあった真紅の槍を手に取り、優しく撫でた。
竜族に伝わりし神器、竜にしか扱えぬ槍。いつからあるのか、誰が作ったのかも分からない。ただこの槍は多大な魔力を秘める竜の心臓の色を彷彿させるため、『ドラゴンハート』と呼ばれていた。
この槍を彼女が持っているのは、槍に選ばれたからである。強い力を持っている槍は、意思を持ち担い手を選ぶ。彼女は拒絶されることなく選ばれた。
しかし、彼女は一つ周囲に隠していることがあった。
レヴォネは選ばれたはずなのに、槍の力を引き出せないのだ。どんな手を使おうとも反応すらせず、拒絶もしない。
だから自分は選ばれたといっても候補者でしかなく、まだ真の使い手ではないのだと思っていた。
いつかこの槍を屈服させ、自分が真の主となる。その時を想像し、レヴォネは笑った。
適当に食料、主に肉を手にレヴォネは部屋へと戻る。しかし、フィルは先程と同じ体勢で身動き一つとっていなかった。
やはり人間は軟弱だ。やれやれと思いつつ、レヴォネは皿を机の上へと置いた。
「起きろ、食事だ」
「……はい」
じっと目を瞑っていたフィルは、のそりと起き上がる。僅かばかりの睡眠は力を取り戻すのと同時に、全身の痛みも強く思い出させていた。
指一本動かすだけで痛む体。フィルはゆっくりと息を吐き、痛みを押さえ込んだ。
注がれた水を飲み、出された食事を少しだけ口へ入れ、柔らかくなるまで噛む。原型が無くなるまで噛んだ後、ゆっくりと飲み込んだ。
一口食べるだけで重労働。しかし、フィルは体力を戻すために可能な限り食した。
食事をとり体が重く感じたフィルは、ソファに体を預けた。
目を瞑り考えることは仲間のこと。襲って来た竜は倒した。時間はかかるかもしれないが、彼らもここに辿り着く。
合流し、竜の王へと頼まなければならない。世界を救うために、協力をしてほしいと。
しかし、それは竜にメリットのあることだろうか? 彼らに協力してもらうため、自分たちはどうすればいい?
考えても分からず、本にも書いていなかったこと。どうやって英雄は、彼らの協力を取り付けたのだろうか。
フィルが悩んでいる姿を、レヴォネは眺めていた。
表情が劇的に変わるわけではないが、悩むと少し眉根に皺が寄る。考えているときは、下唇を少し噛む。
興味深げにレヴォネは、飽きを感じずに見続ける。すると、フィルが目を開きレヴォネを見た。
「竜の王は、人と協力してくださるでしょうか?」
「無理だな」
「……竜が欲する物を用意したり、認められることができれば」
「不可能だ」
二の句を告げぬ言い方に、フィルは頭を抱える。何も良い案は思いつかず、頭が熱を持っていくだけだった。
別の話をし、気持ちを入れ替えよう。決めたフィルは、自分へ声もかけずにいるレヴォネへと問いかけることにした。
「レヴォネさん、その槍はなんですか?」
「ん? これは竜族の至宝だ。竜以外は扱えぬ、神器とも言える武器だな」
「へぇ……触ってみてもいいですか?」
「構わぬぞ」
槍は持ち主以外を拒絶する。死ぬほどの痛みではないが、それなりの衝撃がある。
彼女は驚く様を見てみようと、意地の悪い笑みを浮かべながら、槍をフィルへと渡した。
槍を大切な物を預かるように受け取るフィル。彼はまじまじと、不思議そうに槍を色々な角度から見ていた。
だが、本当に驚いていたのはレヴォネのほうである。受け取ることすらできぬと思っていたのに、彼は普通に槍を手にしていた。
「そんなわけが……」
「うーん、あの時みたいには……え?」
どうしてこの槍が時を越えさせたのだろう? そう不思議に思っていたとき、槍が僅かに鳴動し、フィルが椅子ごと後ろへと吹き飛んだ。槍がフィルを拒絶したのだ。
殴られたかのように飛んだフィルは、ぶつけた頭を擦りながら起き上がる。恥ずかしいところを見せたので笑われているかと思ったが、レヴォネは真剣な表情で槍を手に取っていた。
「レヴォネさん?」
「拒絶しなかった? いや、拒絶はした。ならばなぜすぐではなかった? 調べていた? なにを? 認められなかった? なにが? どうして人間を……?」
レヴォネは呟きながら考える。その姿を、フィルは不思議そうに見ていた。
少し経った後、レヴォネは気付いたように目を見開きフィルを見る。自分の考えが信じられず、近づき彼の胸へと手を当てた。
「あ、あの……」
「黙っていろ」
髪がかかるほどに近い距離。ドギマギとしているフィルとは違い、レヴォネは目を瞑り彼の体の中を探っていた。
……自分と同じ力。だが、何かが違う。今の自分よりも洗練されており、未熟さが少なく感じる。
今の自分が未熟だとは思ったことがない。なのに、遥か高みにいるような自分の力を感じた。
ゆっくりと離れたレヴォネは一つの結論を出す。しかし、どうしても信じられない。そんな馬鹿な話があるかと、苦笑いが浮かび上がった。
だが、心の中に確信もある。まだ信じられない気持ちを持ちながら、レヴォネは聞いた。
「まさか……未来から、来たのか?」
「え? なぜそれを」
しまったと思い、フィルは慌てて口を押さえる。だがレヴォネは、自分の考えが正しかったことを理解し、槍を強く握った。
……しばしの静寂の後、レヴォネは窓を開く。そして指を輪っかのようにして咥え、口笛を吹いた。
音に反応し、ワイバーンが一体来る。鼻先を撫でてやった後、指示を飛ばした。
「山にいる三人の人間と、一人の魔族を連れて来い。明日中にだ」
「グルル……」
唸り声で返事をし、ワイバーンはすぐに飛び立つ。フィルはただ呆然とその光景を眺めていた。
振り返ったレヴォネは、ソファへと腰かける。そして顎でフィルにも座るように示す。
慌てて椅子を直し、フィルも彼女の対面へと座った。
レヴォネは真剣な表情で、真っ直ぐにフィルの目を見る。フィルも逸らしてはいけないと感じ、その目を受け止めた。
深く頷いたレヴォネは、ゆっくりと口を開いた。
「教えてくれ、今までのことを。隠さず頼む」
「……分かりました」
少し悩んだが、フィルは全てを話すことにする。
それはこの世界に来て、初めて全てを打ち明けるときだった。
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