日常体質

新田未明

第1話

 緑陰を揺らす風がまだ少しひんやりとする初夏だった。ガラス張りの向こうには人気のないグラウンドが見える。ずれた時間に学食でぼんやりうどんをすすっていると、不意に前の席に座る人物があった。

「先輩、こんな時間にお昼ですか」

「うん。さっき学校に来たんだ」

午前の講義はうっかりと自主休講してしまった。

 それを察した彼女、小野さんは少し呆れたような顔をした。

 小野さんは同じサークルの後輩で、背の低い、控えめに言ってもかわいい女の子だ。くどくないかわいさとでも言えばいいのか、さらりとした愛想の良さがある。こんなかわいい子が地方の美術大学で日本画を専攻しているのだから世の中よくわからないものだ。そんなことを思いながらちらりと彼女を盗み見る。どうもそわそわとした小野さんは、咳払いをひとつすると自分で切り出した。

「それより先輩、あのですね、ちょっとお聞きしたいことがありまして」

「なに、そんなに改まって」

「先輩は山中先輩と仲が良いですよね?」

「まあそうだね」

「その、山中先輩って、お付き合いされている方はいらっしゃいますかね?」

「山中?」

僕は何気なく聞き返しつつも思考が変に加速するのを感じた。

 山中は専攻は異なるが僕と同じ三年生で、これもまた同じサークルの奴である。上背もあって体格も良く、無骨な印象を与える外見をしている。だが話すと言葉数こそ少ないが面白い奴で、サークルの中でも特に親しいのであった。

 そんな山中の恋人の有無を問う小野さんの質問はまるで、彼女が山中に気のあるような、そんなものに聞こえる。こんな小さくて可憐な女性にいつの間にかそっと思いを寄せられるなど、あの山男のような見た目の山中にそんな僥倖が訪れているのだろうか。僕は急に広がるどことない嫉妬と敗北感を噛み締めつつも、山中の人の良さを知っている身として正直に返答した。

「付き合っている人はいないはずだよ」

「本当ですか!」

ぱあっと笑顔を浮かべた小野さんは、次にはにっこりと微笑んだ。

「そうだとは思っていましたけどね」

「意外と失礼なことを言うな」

「そういう意味ではないです。山中先輩は素敵な男性です」

「そのー、山中のこと、好きなの?」

僕は近くに人がいないことを確認しつつ、小さい声で尋ねた。

「はい。だから、先輩に山中先輩のこと教えてもらいたいんです」

「それは食の好みだとか?」

「いえ、先輩から見た山中先輩の印象なんかを聞きたいです」

「僕から見た?そんなの聞かなくたって、サークルだとか飲み会だとかで十分あいつの人柄は知っているんじゃないのか?」

「私の視点というのは問題じゃありません。私が見たものというのは、その通りになってしまうので、自分にとってさえ参考にならないんです」

「なんだか急に難しいことを言うね。まあ、山中は僕の友人の中でも一、二を争う良い男だと思うよ。性根がね」

「性根の良さを争うというのも面白い表現ですが、やはりそうですか」

「人によってはあいつを見た目の印象で怖がるし、口数も多くないからなかなか理解されないけどね。制作への姿勢も真摯だし、真面目な奴だよ」

「うふふ」

僕の話に耳を傾けながら、小野さんは嬉しそうにする。

「まあ、その良さを小野さんがわかってくれているっていうのは、僕もなんだか嬉しいよ」

「私、顔のかっこいい人や話がうまい人より、ああいう心の通い方をする人に惹かれるんです」

「うーん、それは逆に、水野はダメって話でもある?」

「あはは。そうかもしれません」

水野は僕と山中とよくつるむ同学年の男である。水野の顔は整っていて、話もうまい。それでいて画力も高いのだから、天に二物も三物も与えられたような人間も居るのだ。

 小野さんはそんなわかりやすく良い男な水野より、どうやら山中が好みらしい。

「でも実は山中先輩、結構人気あるんですよ」

「そうなのか」

「はい。でも私、先輩に後押しもしてもらえたので、これから告白しようと思います」

そう言って僕をまっすぐ見つめる瞳は随分と透っていた。凛としていて美しい。

 これは今夜は山中を呼び出して事の顛末を肴に飲むべきかもしれない。

「頑張って。と言っても、僕は後押しってほどのことをしたのかな?」

「ええ、私にとっては。ありがとうございます」

小野さんはすっと立ち上がるとぺこりと一礼して、食堂を出て行った。

 僕はすっかりふやけたうどんのかき揚げの残りを飲み込むと、一息ついて、またぼんやりしてからお盆を持って席を立った。

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