ひとつ

 懐かしくもいとわしい拍子が、わっと響いてこだまする。花嫁装束に身を包んで瞠が籠もる駕籠かごの外を、領境りょうざかいの神域を目指して山間の村をゆく行列へ、子供たちがはしゃぎながら声を上げていた。

 参る、参る、御前が参る。幸菱映え、帯白く。花の顔、喉白く。花嫁御寮が坂井へ参る。

 囃子歌を耳にするたび、思いだすのは母の嫁入りだ。異形の瞠を産み生し、子が乳を離れてしばらくのうちに、弟当主の命で西領の領主へと嫁していった姫君。身内であるからこそ知りえる彼女の名を、よしという。

 みはれの頭をなでた手はやさしく、抱きしめるかいなはあたたかく。彼女の記憶はおぼろげではあるが、それでもしっかりとのこっている。しかしそんな彼女を、後姿すら垣間見ること叶わずに見送ってから、もう十年。便りを交わせすらもしなかった母の消息は、嫁いだ先で西領領主の子をひとり、ふたりと生なして以来臥せり続け、とうとう先の年明けに儚くなってしまったと人づてに聞いて、それでしまいだった。

 いざや姫君、通りゃんせ。ひじりの三宮、ふうほうりの三宮、いつたっとたっとや文字綴り、文字綴り。

 子供たちのあげる、囃子の声はとぎれない。それどころか、次第に畑仕事の合間に見物にきたらしい、大人たちの声も混ざってきた。

 みのりの季節である。残暑も越えて、清さやかさをはらむ風が巡る頃だ。しかし、瞠がそっと駕籠の内側から時折垣間見るに、山間の田畑に収穫を待つ黄金こがねの稲穂はさほど数えられず、豊穣の季ときというには、いささか寂しいものであった。

 仕方がない。そもそも、土地が悪いのだ。

 東領の大半は水田を作るにはいささか相性が悪い土壌であるため、民は毎年、領主の指揮でもって定められた一部の森ごと土を焼き、作物を育て、数年耕した後は休閑し土地を休ませる。つまりは焼畑の技法をもってして、この東領の民の多くは収穫を得ているのである。

 話に聞く、西領の平野の豊かな稔りの風景とはかけ離れた、この東領の秋を。東領領主の治める城下から駕籠に揺られてくるまでの間、道を進むごとに垣間見た。

 いくら伝来の技術の数々をもってして銭を稼ぎ、足りない穀物をあがなおうと、東領はけして豊かであるとは、言えない。商いにも限度があるし、なによりここ数年、収穫も芳しくない。

 なればこそ、瞠が境さかいの坂井さかいと呼ばわれる神域へ、母と同じ装い、同じ化粧、同じ道程を辿り、こうして嫁入りを模して参りゆく意味と理由は、確固たるものでなければならなかった。

 次第に囃子の声は遠ざかる。山深き道へと入ったのだろう、駕籠の乗り心地も悪くなった。

「姫君様、お加減が?」

「ああ……いや、少々疲れただけ。大丈夫です」

 人の気配が少なくなったこともあり、瞠は駕籠の内で詰めていた息を、かるく緩めると、途端、駕籠の外を徒歩で随行する侍女から声がかかった。こころもち声を高くして返せば、安堵したように、然様ですかと声がかえり、そして再び足音と衣擦れだけの存在に戻る。

 普段は瞠の従姉であり、東領領主のひとり娘である姫君に仕える彼女も、神域へ参る瞠へ期待する心、そして同時に瞠へのおそれは大きいのかもしれない。

 この地において、時に領主よりも尊ばれ、宮との号を戴く賢しき女人。その末席である、六宮の号を冠す領主の正室が、長年養い育てた、領主一族嫡流とされる獣返りの姫。それだけが瞠の来歴である。憶測の域を出ない数々の噂はつきまとえど、たとえば嫡流という以外の正確な出自であるとか、他にあかされていることはない。

 従者も人の子だ。必要以上の興味をおぼえるのも、無理のないこと。

 それにしても、居心地の悪いやりとりである。

 誰からも見られぬことに甘え、瞠は盛大に表情をしかめた。

 しかし、決意は固いのかと幾度も問うた養母の声も。成人もしていない身のあなたがゆくこともないと、気遣ってくる従姉の心配りも。東領領主の示す、あからさまな難色も振り払って。領を統べるといえども存分に豊かとは言い切れぬ実家に、慣習どおりに出させた行列である。文句ばかりは口には出せなかった。

 幸菱紋の着物に身を包み、頭には真白いきぬを被き、唇には紅をひき。そうして、長持ながもちいっぱいにおさめられた着物や調度、この地の姫君にとって、必ず携えるべき書と筆の数々。それらを揃えさせ、家臣に指揮を執らせて、こうして民にも嫁入りをつまびらかにし、行列をなしてまで境の坂井へ向かうのである。

 ならば瞠はなんとしても、領主嫡流の姫君として、領に豊穣をもたらす術すべを、東領の総意に従って、坂井で見出さねばならなかった。

「姫君様、ご到着」

 まだかまだかと待ちわびた声が響いたのは、それから半刻ほど時を経た頃だった。

 行列の歩みが止まるとともに、瞠は侍女のひとりの手を借りて、駕籠の内より出でる。端々まで丁寧に装いた、嫁ぎゆく姫君として、瞠はその場に身を現した。

 衣を被いているとはいえ、獣返りの瞠の見目は、やはり人々の目に異質に映るのだろう。今は頭を下げて控える、行列に付き従ってきた従者や侍女たちの注意が、全身に払われているのを感じる。侍女の手に重ねられた、己の指先だけ盗み見ても瞭然りょうぜんだ。他の者よりも白い肌は、薄い皮膚の下の血潮のあかが透けて見えるほど。身の丈も、数え十五という年頃にしては、痩せてまろさが足りぬとはいえども、いささか育ちすぎている。

 門前までゆっくりと歩を進めてその場に立ち止まると、付き従った家臣の筆頭である老爺が、神域の門前で声を張り上げた。

稔招みのりまねきの霊狐を戴き、東領領主が嫡流の姫君、御身の証をもってして、水守みもりなりたるとまかりこし申した。開門、開門!」

 慣例のとおりに、伝承のとおりに。古い礼とてつくさねばならぬ。

 東西からのびる坂の途切れ目たる境界線上に湧わく、三宮との号で呼ばれるきよき古井戸。そして時代を経るごとに少しずつその時々の様式にそって手が加えられているが、いつの時も変わらずに三宮の古井戸を守るように建つ、寝殿造りの屋敷。それらの背後にそびえまします、御神そのものとして、一宮の号を戴く御山。それが神域の全てであった。これより瞠が参るは、そうやすやすと人の子の参じてよい場所ではない。

 なにせ、御神の神体である御山一宮、神使である御使い二宮、神域の要かなめである古井戸三宮、これらをひとくくりに聖の三宮と呼びあらわして人々は祈りをささげるが、境の坂井の神域こそに聖の三宮はましますのだと、いにしえより伝え継がれてひさしいのだから。

 それゆえ、参ることを許される者も限られる。

 神域に参ずることを許されるのは、獣返りなる異形と、東西の領主の血筋の者。その他は都におわすというすめらぎの系譜にあらずとも、土地においては彩宮あやみやと呼ばれて、宮の称号を冠す女人……つまりは東西の領の境を越えて賢女と重んじられ、また祭祀される聖の三宮に対なすように祝の三宮と尊ばれる、三人の人間だけであった。

 瞠は神域に参る資格を、いうなれば人よりも多く持つ身であるからとして、此度の坂井入りを渋る領主に認めさせた。認められた婚姻を経ぬ不義の子とはいえ、東領嫡出の由姫の子。そして獣返りの異形であるからと。

「境の坂井へ仕え奉らんと、俗世を逃れ参り来た。どうぞ、お認めいただけますよう」

 瞠はことさらに堂々と、声高く、屋敷門の向こうへ告のりあげる。

 息を詰めて応いらえを待てば、やがてぎい、と木造の屋敷門のこすれる音がした。

 門の向こうで立ち並ぶは、ふたりの童。彼らは瞠よりも幾分か幼く、男女の違いもあるものの、その見目まこと似かよっていた。兄と妹、あるいは姉と弟であろうか。きりりと涼しげな顔立ちの少年と、やわい眼差しが優しげな少女が、古風な装いに艶のある黒髪を結って、開かれた屋敷門の内側よりこちらを見ていた。

 値踏みされているように感じて唇を引き結ぶと、少年の方がかるく、笑まった気が、した。

「ならば、お迎えいたしましょう」

 その一瞬の表情にそぐった声音で、短い言葉をはずませるとともに、そして彼は瞠をいざなうかのようにして、かるく門の奥を示す。

「姫君。境の坂井に在る御覚悟、まこと整いましたなら、どうぞこちらへいらせられませ」

 かたわらでは少女の方が、やわらかな声で静かに告げる。

 わずか安堵して吐息をつくと、それを見た家臣の老爺が「姫君様」と瞠を呼んだ。

「無事、境の坂井へ参じられること、お祝い申し上げます。井戸の聖き水、後々までも滾々と、絶えることのないよう、お祈りいたしまする」

「ええ。ありがとう――城下よりの随行、ご苦労でした」

 最後に姫君然として声をかけると、瞠は今度こそ、侍女の手から身を離して屋敷門をくぐる。

 どんなにうまくことが運んだとしても、こうして参じた以上はきっと、同じ姿では二度と出てくることは叶わぬ。それでもこの神域に入ることこそは、瞠にとっての自由への一歩だった。

 なにせ。今までのようにただ養母に守られて、成人として身を改めることすらままならず、ただ城の奥で生き繋ぐだけでは、屍でいることと同じだった。

 しかして、このような異形の身である。庇護者の手を振り払い、こどもの身分と装いを捨てて、城の表へと正真の姿のまま安易に身をあらわすなど。そんな行いを成せばただ、自ら骸に成るだけだ。そのようなこと、もはや瞠にとって、認められるものではないのである。

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