縋れば、背く 11
ふと気が付くと、一階が賑やかだった。
周囲は変わらず暗闇なれど、他人の声が聞こえてくるというだけで明るくなったかのようだ。
カン君は眠りから覚めたときのように、大きな伸びをする。
なにか夢でも見ていたかのような気分だった。
――なにをしていたんだっけ。
うまく考えが纏まらない。
状況を確認しようと見回して、段ボールの森に倒れる人形が目に入る。
この人形はなんだ、もう除霊されたのかと疑問が巡ってから、頭を殴られたかの如き衝撃を受けた。
「……ぼ、僕が……僕は!?」
それまでの光景が脳裏を巡る。
憑依して体の主導権を奪うには、恐怖を克服する必要がある。もともと取り憑くという行為は魂の綻びに付け入る技だ、相手の魂が強固なままでは弾かれてしまうだろうし、無理に潜り込めばむしろ自分が取り込まれてしまう。ましてや霊体という物質的な縛りを持たない相手へ憑依すれば、互いの霊体が混ざり合ってしまうのが普通だ。だから、相手の無念を理解し共感して、恐怖を我が物とする必要がある。そうすれば相手と自分の境界を失ってしまうこともなく、受け入れることができる。
だというのに、先程の自分はどうだ。
人形に宿った悪霊が、どんな縁起からきてどんな無念を持っているのか、何も知らないままに――圧倒的な暴力で征するように、取り込んでしまった。
――なんてことを!
そんなことが可能だったのか、という驚きももちろんある。しかしそれよりもカン君を苛むのは、問答無用で悪霊を取り込んでしまったという良心の呵責だ。
主人である筑紫は、生者も死者も、怪異も分け隔てなく生命を与えて「助け」ようとしている。意図的にそう表現しているのではなく、彼女は実際にそう思っているのだ。だから自分もそれに倣い、死者の無念を聞き入れて、共感する。それが小さな慰めでしかないとしても、無念を抱えて苦しみ続けるよりはいいはずだと信じている。
これでは生者に害なす悪霊と変わらない。霊にとっての悪霊だ。
矜持を、自ら毀損してしまったのだった。
――自ら?
いいや、違う。
切り替わってゆく数多の記憶、その中に日向の姿がある。
彼が、何かをした。それから恐怖が薄れ、浅はかな全能感に包まれたのではなかったか。
「――日向さん!」
叫ぶ。しかし反応する者はいない。
このフロアにはいない、となれば下だろうか。
先程から話し声がしている。
そういえば、とカン君は突入前のやり取りを思い出した。
――十分経ったら入ってこい、と言っていた。
下にいるのは筑紫やアヤメといった面々だろう。彼女たちが二階まで上がってこないということは、まだ時間はあまり経っていないはず。
おそらく日向も下にいるはずだと決め込んで、カン君は開きっぱなしになっていた扉を潜った。
◆
「あ、カン君おつかれさま!」
骨董品が所狭しと展示されている一階で、最初にこちらに気付いたのは筑紫だった。
その後ろに長身のアヤメがいて、ここには二人だけのようだった。
日向はすでに外なのだろうか。
怒りと混乱でぐちゃぐちゃのカン君だったが、まずはこの場の仲間に聞くのが早いだろうと話を振った。
「筑紫さま、日向さんを見ませんでしたか?」
「日向? ついさっき、外にいったよ? カン君が疲れてるから筑紫たちが迎えにいけって言ってね」
「……ったく、アイツときたらピッタリ十分で出てきたもんでビビったぜ」
アヤメの補足で、思っていたより時間は経過していないのだと知る。
「それで、けったいな人形野郎はどうなったんだ?」
「えぇ、それなんですが……」
悪霊は自分が取り込んだ――はずなのだが、どうにも違うようだったのだ。
それも日向に聞きたいところだったのだが本人がないことには難しい。
「僕の中に、悪霊の記憶がないんです」
「……え? どういうこと?」
最もカン君と長い筑紫ですら、初めて聞くような現象だった。
「それが、僕にも……それで日向さんと話がしたいんですが……」
「あー……もしかしてだけど、日向がお化け持ってったのかもだね」
筑紫には思い当たることがあったらしく、うんうんと独り合点しているようだった。
「ほら、あのアタッシュケース持ってたから」
「なんだよ、アレってそういう便利グッズだったのか? 悪霊を閉じこめる的な……」
アヤメの想像しているものではなかったはずだ、先程に見た中身はデッサン人形と工具類だけだったはず。
「とりあえず、外でようよ? ここ狭くて危ないし」
そう筑紫が提案するのと同時に、遠く入口の方から光で照らされた。
真っ白で機械的な輝きは、スマートフォンに内蔵されているフラッシュライトだ。
「おーい、筑紫ちゃん! カン君見つけた? 日向さんが呼んでるよー」
声の主はナギだった。端末のライトが左右に動く。近場を照らして筑紫たちを見つけようとしているようだ。
「はーい! いま行くから待っててー!」
◆
合流したナギに連れられた場所は、アンティークショップから少し離れた場所だった。
駐車場とは反対側へ数分ほど歩いた距離にある海岸だ。
とはいえ今はまだ冬で、冷たい海風が吹き付ける寂しい場所である。夏場のような活気はなく、波音は人を遠ざける警告音のようだった。
ヒールのナギが慎重に歩くのを先頭に、筑紫とアヤメとがついて行く。
「ほら、あそこ」
日向の背中と、安賀多の深刻そうな表情が見える。
先に口を開いたのは安賀多からだった。
「お疲れ様、カン君。日向さんから聞いたよ、活躍したそうじゃないか」
そんなつもりは毛頭ない。
それどころか、何もできなかった自分に何をさせたのか問い詰めようと思っていたところなのだ。
「皮肉を言っているのなら、取り消していただきたいのですが」
怒気を込めた物言いをすると、安賀多はちょっと驚いたように目を丸めた。鳩が豆鉄砲を喰らったかのような、人慣れした貫禄を持つ彼にしては珍しい表情だった。
安賀多は少しの間考えて、素直に謝る。
「事情は分からないが、気を悪くしたなら申し訳ない。日向さんからは『カン君が悪霊を無力化した』としか聞いていないんだ」
「あ、あぁ……そうでしたか。こちらこそ早とちりで……」
苛立ちが誤解を招いてしまっていたのだとようやく気付く。冷静さを取り戻さなければ、とカン君は決めた。
「構わないさ、そういうときも、またあるとも。ところでカン君、これからなのだが……」
再び眉間に皺を寄せた安賀多だった。
隣で背中を見せている日向を顎で指す。
「日向さんが何をしているかは聞いたかい?」
「……いいえ。恥ずかしながら、少し意識を失っていたもので」
「そうか。それなら丁度いい、みんなにも聞いてもらおうかな」
安賀多が手を鳴らし、筑紫やアヤメといった面々の注目を集める。さながら引率の教師といったところだった。
「どこから話したものかな……まず、日向さんのおかげで、人形に取り憑いた霊を捕獲することができた。さてナギくん、今回の事件で不可解な部分とは、いったい何だったのだろうか?」
あえて事情に疎いナギへと話を振った。それでも彼女は優秀な頭脳を回転させて、ぽつぽつと答え出す。
「ええと……同時発生的に、同じ型の人形に……その、悪霊が取り憑いたことですか?」
「そうだね。人形に霊が憑いてしまうことはよくあるけど、同時期に同じ型へというのは前例がない」
うんうんと頷きながら首肯する。
「それともう一つ、取り憑いた悪霊は何なのかだ」
「アヤメさんが倒したから間違いなく消滅したはずなのに、その後も同じ霊がいるってことですね?」
「そうそう、よく覚えているじゃないか。ナギくんもだんだん慣れてきたかな?」
「いえ、自分なんてまだまだですから」
にこやかに謙遜するナギだったが、カン君も安賀多と同意見だった。
思えば、あえてナギに話をふった安賀多は彼女の教育を狙っているのではないだろうか。
とはいえこれも邪推の一つ、今は悪霊の話だ。
「本来ならば調査が必要なんだけど、被害が出ている以上はゆっくりもしていられない。早くこの場を去って警察に通報しないといけないしね。というわけで今回は、日向さんの力を借りることにした」
当の本人は、相変わらずこちらに背を向けて何事かをしている。
安賀多が歩いていったので、カン君たちも付いていった。
そうして日向の前にきてみると、彼はデッサン人形を糸繰り人形の要領で操っていた。
十字を縦横に幾つも組み合わせた形の装置からは何十本もの赤い糸が伸びていて、それぞれがデッサン人形の頭や肩、各関節に刺された金具と結ばれている。
日向が持っている装置――糸操り人形の制御器を動かせば、デッサン人形は軽やかに足踏みを始めた。また違う風に動かせば、今度は両手を上げたり下げたりする。
「す、すごい」
思わず口が開いていた。
マリオネットとはもっとぎくしゃくとした不自然な動きしかできないものだと思っていた。しかし彼の動かすそれは緩急のついた挙動を滑らかに行っている。さすがは人形師ということなのだろう。
とはいえ、これが何なのか。
そう不思議に見ていると、デッサン人形の表面が微かに揺らめいていた。
まさか、と気付いたところで安賀多が頷いた。
「そう、この人形に悪霊を捕らえてあるんだ。……日向さん、お願いします」
あぁ、それで自分の中に霊体がいなかったのか、とようやく気が付くカン君だった。
安賀多の声を聞いたのか否か、日向はぼそぼそと囁きだした。
「――おまえは、どこからきた」
すると人形が――取り憑いている悪霊が、低く重い声を出した。
「いうものか」
すると日向が、つまらなそうな顔で制御器をくいっと動かす。デッサン人形は頭をガクリと捻られる。
「やめ こ ちがう いうものか こうば やめろ」
日向が指を動かすたびに、無理矢理質問に答えさせられているのだった。
「――制作者は、春日だな?」
「かす ちがう しらない かすが やめろ はなせ」
「――安心しろ。そこまでは知っている。なぜ、記憶を継承している?」
「なんのこと なかま やめ おなじむねん ちがう きょうだい」
「――なるほどな。もういい、あと一つだ……兄弟を全て呼べ」
「するものか ばかめ きさま でんくろうだな ひとのかたちを もてあそび が がが ぎ」
制御器を十指で複雑に動かすと、デッサン人形が奇妙なダンスを始める。天を仰ぎ、地をなぞり、四肢を絡ませながら――人間では不可能な動きだった。
日向が立ち上がる。制御器は元の場所のまま――中心を固定されたかのように、宙に浮いたまま滅茶苦茶に動いているのだった。
日向は歩き出す。ふらふらと、人形など最初からなかったかのように。
「――はじめるぞ。準備をしろ」
なにを、という問いの答えはすぐにきた。
「――各地に流通された人形を全て呼び出した……あとは任せる」
そして、日向はカン君の隣で、他の誰にも聞こえぬ声で呟いた。
「――あの力を、覚えているな?」
呪いの人形を一方的に祓った力だ。
「覚えています。……日向さん、僕は筑紫さまを見習って、どんな相手でも共感を……」
「――いずれ必要になる力だ、忘れるな。……強引だったことは謝ろう」
微かに――本当に小さく、日向が頭を下げた。
社会性など全て捨ててしまったかのような男が、謝罪した。
そのことが衝撃的すぎて、彼への怒りは萎れていってしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます