縋れば、背く 10

 深い闇と静寂が、アンティークショップには立ちこめていた。

 広く見渡せる店内は昼間であれば開放感があったのだろうことが想像できるが、光のない今では荒涼とした雰囲気が漂うばかりだ。

 陳列、というよりも雑多に展示されている品々は、映画に出てきそうな高級感のあるチェアやテーブル、ティーポットとカップといったものから、壁には掛け時計が何台も飾ってある。これだけ見れば十九世紀の英国に旅しているような気分になれるのだろうが、硝子張りの巨大な倉庫に並べられているだけでは現代と近代の齟齬が不気味に映えるだけである。

 あまりに物品が多すぎて、順路は人が一人通れる程度の狭さだった。


 日向が先に歩き、カン君が追う。

 自分は肉体的な視力に頼らないので暗く狭い場所も苦ではない。しかし日向は――という心配は無用だった。彼はゆっくりとした足取りでありながら正確な位置取りをしていて、舗装された道を歩くのと同じ速度で先へと進んでいる。

 一体どうなっているんだ、という疑問は今更だろう。日向のアトリエは常に暗く、むしろこの程度の明度こそ彼の生活空間だということは容易に想像できた。


 ――それに、どうせ電気は通っていないはず。


 侵入するとき、日向は躊躇いなく入口の硝子戸をアタッシュケースで破壊した。肝を冷やしたものだったが、防犯設備が反応する気配はなかった。それが安賀多の手配によるものか呪いの人形が引き起こした霊障の一つかは分からなかったが、ともあれ電気は通っていない。

 だから、この問いは違う意味を持つものだ。


「日向さん、なにか『視え』ますか?」


 悪霊の気配はあるか、と。

 日向は立ち止まり、遠くを指差した。


「――上だ。この階にはいない」


 様々な調度に阻まれて確認しづらかったが、どうやら階段らしきものがあるようだった。簡素な鉄板で作られたそれは、おそらく従業員用なのだろう。

 再び日向は歩き出す。大きなアタッシュケースを持っているというのに、骨董品には一切ぶつかっていないのが不思議だった。


 そして目的の階段に着く。

 三段目に「関係者以外立入禁止」という立て看板があり、最上段には「STAFFROOM」というプレートが貼られた扉があるだけだった。この広い倉庫の二階全てということは、展示していない商品の保管も兼ねているのだろう。

 のぼってゆけば硬質な金属音が鳴り、静寂の店内を静かに震わせた。


「そういえば、日向さん……この部屋、鍵は……」


 ふとした疑問だったが重大でもある。カン君ならば透過することもできるが、日向はそうもいかないはずだ。

 すると彼はアタッシュケースを雑に置いた。

 蓋を開けば、のっぺりとしたデッサン人形が数体と、何に使うのか分からない工具らしきものが並べられていた。その内の細長い錐とピアノ線、そして針金を取り出す。


「――待っていろ」


 そして日向は鍵穴を見つめる。数秒そうした後、錐を差し込んだ。


 ――ピッキングだ。


 ぼさぼさ髪でよれよれの服を着た不審者然の男が非合法の解錠を試みている。

 事態が事態だというのに、カン君は笑ってしまいそうになった。

 しかしそれも一瞬だった。カチリと鍵が開いたのである。


「……お上手なんですね」


 ものの数秒だった。現代の鍵は相当な防犯対策をしているはずである。こうも簡単に開いては防犯企業も報われない。


「――最初に『視て』しまえば、どうとでもなる」


 得心するカン君だった。鍵穴を見つめていたのには理由があったのだ。

 日向は立ち上がり、扉を開ける。

 二階は硝子張りの一階と違って数枚の窓があるだけだった。それぞれにカーテンが引かれているため、光は一切無いといっても過言ではない。

 目を凝らせば、梱包された骨董品だろうか、大小様々な段ボールが積まれていて、暗闇の中へ更に影を作っていた。その奥にはもう一枚の壁があり、一階の面積から考えると奥にまだ空間があるようだった。


「……事務室でしょうか」


 安賀多の話では、オーナーに電話が通じなかったから現場へきたとのことだった。その口ぶりからすれば、おそらく壁の奥に固定電話があるのだろう。そこに連絡の取れなくなったオーナーがいるはずだ。

 だが、日向は――つまらなさそうに、小さく溜息を吐いた。


「――違う、そこだ」


 どこだと思う暇もなく、カン君は視線に気付いた。

 ねっとりと絡まってくるような嫌悪感が、右頬を舐めるのだ。

 目だけ動かせば、段ボールの搭に座すそれがいる。

 知っている。記憶を持っている。


 ――泥で成形された淡桃色の肌、海色のつぶらな瞳、小さくて可愛らしい唇。

   青いレース調のドレスには、ワンポイントの赤いリボン。


 体は向こうを向いていたけれど。

 首が捻れて、こちらを見ていた。

 海色の瞳が闇夜の猫と同じく、獲物を求めて輝いている。

 獲物とは、と考えて、せり上がってくる恐怖がカン君を捕らえた。

 いけない、と言い聞かせる。

 弱気になっては駄目なのだ。

 自分は負けない、怖くなんてない。

 相手より自我を強く持たねばならない。

 だというのに、だというのに。

 人形は、首を固定したまま、体を半回転させて。

 向かい合った。

 あるいは人形が笑うなり泣くなりしてくれたならば、まだマシだっただろう。出来の悪いスプラッタ映画のようで、現実ではないと安心できるから。

 だが人形は、無表情のままだ。喜怒哀楽が無く、ただ向き合うだけ。


「――っ!」


 大きく呼吸する。むろん呼気を必要としない身なれど、そうでもしないと窒息してしまいそうだった。そういう感覚が――恐怖で逃げ出してしまいたいという恐れがあったのだ。


 ――どうする。


 人形は、悪霊が取り憑いているはずだ。その、いわば本体を相手にするにしても、何者なのかが分からない。

 キ、キィと人形が鳴く。

 首を傾げて、また傾げる。

 揺れている。

 なぜ揺れる。

 がむしゃらに突っ込んでみようか、と自暴自棄の発想すら首をもたげる。それほどまでに、この膠着状態が耐えられなかった。

 そこへ、意識の外から声が来た。


「――君は」


 日向だ。


「――君は、既に数度、理外に立ち会ったはずだ」


 どういうことだ。

 人形から外せない視線。

 声だけが届く。


「――言い換えよう。君は邪視の怪異と相対し、取り込まれることなく戻ってきた」


 怪異、という言葉でようやく理解する。

 筑紫を連れ去った『鏡の向こう側』、鏡台の魔だ。


「――理解の及ばぬ人外に打ち勝ったのならば、死者に劣る道理はないだろう」


 言葉の意味を反芻する。

 この一大事においてもなお伝えるべき言葉、それは。

 怪異という人外に勝てるなら、所詮は人の残滓である悪霊にも勝てる。


「――できるはずだ」


 そして日向は、いまだ人形から目を離せぬカン君の前へときた。

 膠着に遠慮無く紛れてきた彼は、カン君のこめかみへと指を伸ばしてくる。

 見えない何かを摘むような形のそれを、カチリと押し込んだ。


 ――なんだ?


 日向は何も持っていない。単なるジェスチャー、パントマイムだ。

 それでもカン君は、四肢にまで広がっていた恐怖の色が薄まってゆくのを感じた。


 ――これなら。


 理解も共感も同情も憐憫も、必要ない。

 そういう強気が湧き上がってくるのを、どこか他人事のように冷静な自分が観測している。

 もう一度、人形を見る。


 ――おもちゃ、だな。


 それくらいの所感しかなかった。

 内部に取り憑いている悪霊がどんな無念を持っていようが関係ない。

 自分は集合霊、数多の霊体を取り込んできた。片や相手はたかだか一体、負ける道理などないだろう。


 ――あぁ、いける。


 決め台詞で自分を鼓舞する必要もない。

 ピクニックにでも出かけるような軽やかな足取りで近付いていく。

 今更危機を察した人形がキィキィと立ち上がるが、もう遅い。

 右腕を振り上げて、蠅をはたくように下ろす。

 カン君の霊体が人形の霊体を掴み、握りつぶした。

 青白い魂の破片が宙を舞い、カン君の体へ吸い込まれてゆく。


 ――なんて簡単なんだ。


 それまでにない開放感には、背筋をなぞる快感があった。

 ガシャリと人形が落ちて、悪霊は祓われたのだった。

 そして、カン君の背後では。

 日向が一人、やはり無表情のまま立っていた。

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