縋れば、背く 9

 安賀多からあった連絡によると、事件のあった場所は郊外のアンティークショップとのことだった。

 日向の家から東へと進んだ、海岸沿いにある店だという。


「僕が取り込んだ記憶とは違う場所のようですね」


 再び後部座席へと腰掛けたカン君だ。

 もう日も暮れだした中、夕焼けの紅が車内を照らしている。

 平屋から出発した一行は、再びアヤメの運転する自動車で移動していた。今度は助手席に日向が――アヤメとのドタバタを終えたナギが、嫌がらせか粋な計らいか、彼を助手席に押し込んだのだ――、そして後部座席にはナギと筑紫にカン君という並びで座っている。

 筑紫が安賀多から聞いた情報を、たどたどしく並べはじめた。


「えーと、そのお店はショウルーム? とかもやっていて、おっきな倉庫みたいなんだって」

「あぁ……そういうお店、私見たことある。あそこは街の方だったけど」

「たぶんナギが見たのとおんなじ感じなのかな? そのお店にはたくさんの古い家具が並べてあって、ふだんは博物館みたいなんだけど気に入ったら買ってもいいよって場所みたい」

「ふむふむ。それで筑紫ちゃん、事件ってことは、呪いの人形が置いてあったの?」


 二人の会話を聞いていると、ナギは霊障に対して無闇に怯えるような素振りな消えているのだと気付く。その上で適度に相づちを打って、話を進めようとしているようだった。

 慣れてきたのだな、とカン君は思う。筑紫の手伝いを願い出る彼女にとっていい兆候なので、このまま静観していようと決めた。

 ナギの正確な合いの手を受けて、筑紫は「そうそう」と続けた。


「安賀多と清家が、あの人形について調べてたんだって。そしたらそのアンティークショップが置いてるって分かったから、危ないよって伝えようとしたの。でもちょっと遅かったみたい」

「……被害者が、出ていたのね」

「……たぶん。お店のオーナーさんが連絡取れなくて、安賀多が行ったらお化けの気配がするって。だから急いで連絡してきたみたいだよ」


 それが先程の電話だというなら、こうして車で向かっている間に人形は姿を消してしまうかもしれない。だからこうしてアヤメが車を暴走させて現場へ急行しているのだが、間に合うだろうか。

 高級車でありながらも、車内はガタゴトと揺れる。それだけ激しい運転をしているということだった。


「……アヤメさん、そろそろ車通りが多くなりますから」

「わぁーってらぁ! この辺はアタシの庭みたいなもんよ」


 ぶっちぎりの速度超過だ、警察のお世話になっては後々面倒になる。アヤメはだんだんとスピードを落とし、さもさも優良運転手であるかのごとく安全運転へと切り替えた。

 本当ならばすぐにでも飛んでいきたい。自分の霊体浮遊だけならば、直線距離を進めるので車より先に到着できるだろう。しかしそれでは何が起こるか分からない。所詮は霊魂の塊にすぎないカン君では、単なる悪霊相手ですら一苦労だ。

 例えばアヤメのような存在ならば、怪異でも出てこない限りは簡単だろう。

 ふと、彼女の言葉が思い起こされる。


 ――カン坊にゃ任せらんねぇ、か。


 その通りかもしれない。

 守っている気でいるのは自分だけ、これまでは所詮運が良かっただけ。

 アヤメであれば、自分とは比較にならないほどの安全を筑紫に提供できるだろう。


 ――いや、もう決めたはずだ。


 何度も思い悩み、何度も誤魔化してきた問題だ。

 あの日、三年前の出会いのとき。そのときから、ずっと。

 非力な自分でも、できることがあるはずだと言い聞かせてきた。

 今回のような、アヤメに日向までいる事件であっても同じ。現に日向を挑発してまで引きずり出してきたのは自分の手柄だろう。

 事件解決に乗り出すことのないはずだった日向を見る。

 彼は助手席から、ただ前方をじっと凝視していた――いや、きっと視てはいないのだろう。ただそういう姿勢で固まっているだけなのだ。

 時折車の揺れで体が上下しても、ただぼさぼさの髪が風を含むだけ。体は一寸も動かない。

 ただ、むっつりと口をに曲げている、かもしれなかった。

 その変化が本当にあるのか気のせいなのかは分からないが、カン君を苛むのに違いはない。


 ――今は、謝れない。


 事件が解決するまで、演技を続けなければならない。きっと無関係なのだろう男へと、疑っているなど言ってしまったのだから。

 こちらの視線が鬱陶しかったのか、日向がかすかに俯いた。

 またヘマをしたかと焦るカン君だったが、彼の平坦な声は運転席の彼女へと向けられたものだった。


「――アヤメ」

「お、おう!? どうしたよ日向、ビビるじゃねぇか!」


 運転中のアヤメは、大袈裟なくらいに体を震わした。


「――結果的には、我々は舞台を回すだけだろう」


 曖昧な言い回しに、アヤメは訝しげな調子で返事した。


「……なんだぁ? つまりアレか、引き立て役ってことか?」

「然り、だ。更に言うならば――故に、身の丈を超えてはならない」


 するとアヤメはギリリと歯が鳴らし、何かを噛み殺しているようだった。

 ルームミラーに映る彼女の顔は真っ赤だった。怒っているのだろう。


「てめ、気持ち悪ぃこといいやがって……!」


 日向の言葉は、カン君には掴めない。

 しかしアヤメは正確に理解しているようで、会話が成立しているのだった。

 いったい何が気持ち悪いのかと考えるも、やはり分からない。

 ただ表現に毒のある言葉だとは掴めたので、アヤメの日向嫌いは筋金入りなのだと納得した。

 それよりも、である。

 そろそろ目的の場所は近いはずだった。

 隣に座る筑紫は――こくりこくりと船を漕いでいた。


「なんて緊張感のない……」


 呆れたような安心したような心持ちで、カン君は頬を緩ませる。ナギとの会話が途絶えたのには、そういう理由があったのか。

 風邪をひかなければいいが、と思えば、ナギがコートを筑紫へと掛けてやるのだった。

 主人への労りに、カン君は替わって礼を言いたかった。

 しかしこれから悪霊との戦いが控えている以上、霊体の無駄遣いはできない。

 ただ静かに彼女を見つめるだけだ。


   ◆


 現場に着いて早々に、安賀多がこちらへ手を振ってきた。

 背後には二階建ての建物がある。一階は硝子張りになっていたが、夕日も落ちた宵の中、照明も落ちていたので中の様子は不明だった。

 ただ、建物の四方に微かな灯りがある。地面で何かが燃えているようで、それが唯一の光源だった。


「よかった、間に合ったよ」


 安賀多の安堵した声に、寝ぼけ眼の筑紫が問うた。


「……なにが?」

「いやね、僕が『視た』ところ人形はまだ建物内にいたようだったんだ。だから応急処置として結界札を撒いておいたんだが……そろそろ燃え尽きてしまいそうでね」


 なるほど、四方の灯りはそれだったか。カン君は少し意外に思う。


「安賀多さんが張ったんですか?」


 彼は『視る』ことに特化しただけの、いわば目を持つだけの者だ。除霊は基本的なことすらできないはず。

 そういう言外を汲み取って、安賀多は苦笑する。


「知り合いの神主さんに融通してもらったんだ。高かったよ、あの札」

「なるほど、ご助力感謝します」


 これで人形に取り憑いた悪霊に逃げられるようなことは無くなった。


「ということは……人払いもしてあります?」


 ここでいう人払いとは、当然そのままの意味ではない。

 それは安賀多も承知済のようで、彼は腕を組んで頷いた。


「もちろん、しばらくは人目に付かない隠蔽効果もある……被害者には申し訳ないが、通報は待ってもらわないとね」


 阿漕な商売だ。人が死んでいるのに、警察機構への連絡を意図的に遅らせるなど。しかしそうしなければ「犯人」を捕まえられないのだから、やむなしの処置だった。

 とはいえこれで準備は万端、あとは祓うのみである。

 だがここで、後方からナギの「あっ」という声がした。


「それだと、カン君も入れないんじゃ……?」

「ええ、まぁ……」


 その通りだった。

 霊的な存在の通行を妨げる結界ならば、霊であるカン君もまた通ることができない。

 だから、結界の影響を受けないものだけで入るか、あるいは結界が燃え尽きるまでしばし待つかしなければならない。


「ナギくん鋭いね。ただ、正確には……」

「おう、そこまでだよ安賀ちゃん。ナギ助に余計なこと吹き込むんじゃねぇや」


 厳しく制したのはアヤメだった。

 眉が上がっていて、不機嫌なのが見て取れる。

 腰に回した手を上げて、アヤメは安賀多を指差した。


「マナー違反だぜ。アンタが最初に決めたんだろ?」

「……そうだったね。悪かったよ」


 安賀多は両手を上げて降参のポーズを取った。

 事情を知らぬナギだけが、意味を読み取ろうとして、そしてアヤメを凝視した。


「え、もしかしてアヤメって……?」

「うるせぇぞ、アタシは生きている」


 日向家での真剣味のない喧嘩とは違って、今度の表情には間違いなく殺気が込められていた。

 正面からの威嚇に、ナギは目を伏せた。


「……ごめん、軽はずみだったわ」

「分かりゃあいい」


 ぶっきらぼうに言いのける。それ以上は言葉が続かなかった。

 そこへ、アヤメの背後から日向がぬっと現れる。


「なんと、日向さん!? あなたがいらっしゃるとは、珍しいこともあったものですな」


 驚きに目を見張った安賀多だったが、すぐにいつもの貫禄ある笑顔で挨拶をした。

 だが日向は彼を見もしないで、筑紫の元まで歩いてゆく。


「――筑紫よ。ここは出なくていい。君の出番は、まだだ」

「ん? 日向が言うなら、そうするけど……」

「――私と、彼が行く」


 彼とは、とカン君が聞こうとした瞬間だった。

 日向がこちらへと向き直ったのだった。その目が、彼が誰かと示している。


「……分かりました」


 カン君は日向と向き合う。


「筑紫さまが、動かなくてよいならば」

「――そのために指名した」


 二人の間に不穏な気配が立ちこめてゆくのを感じる。

 日向が何を思っているのかは分からなかったが、彼を現場まで連れてきた切っ掛けは自分だ。受けて立つ必要がある。

 だが、それに不満を持ったのはアヤメだ。


「待て待て。一応アタシとも関係ある相手だぜ? なのに待ちぼうけかよ?」

「――アヤメ」

「あぁ?」


 日向は彼女をちらりと見て、向こうにある車のトランクを指した。


「あれを、こちらへ」


 自分の文句など歯牙にも掛けぬ指示にアヤメは舌打ちをしつつ、仕方なしにトランクを開ける。

 銀色の大きなアタッシュケースだった。彼女は持ち手を掴んで日向へとぶん投げる。

 眉一つ動かさないで受け取って、日向は硝子張りの建物へと歩み始める。


「――十分経ったら入ってこい」

「はいはい、わぁったよ」


 わしわしとニット帽を掻くアヤメと、


「いってらっしゃーい」


 ぶんぶんと手を振る筑紫だった。

 ナギと安賀多は事の推移を見守るだけで、日向の意図など分かりもしない。

 そしてそれは、カン君とて同じことだった。


 ――何を考えている?


 筑紫を置いてゆくのはいい、願ったり叶ったりだ。

 だがアヤメすら、というのは理解できない。彼女がいれば万事抜かりなく進むはずだろう。それだけの実力者だ。

 それが、なぜ自分だけなのか。


「日向さん、何か作戦が?」

「――付いてこい」


 ふらふらと左右に揺れる日向の背中が、黙っていろと告げている。

 そして、空いている方の腕を横に一振り、建物を囲っていた札の炎が同時に消えた。

 これで入れるだろう、ということなのだった。

 とはいえ、数十メートルはある距離から手も触れずに消火するなど人間業ではないし、そんな霊能力も聞いたことはない。

 ここにきて、カン君は再び疑問を抱く。


 ――日向さんは、本当に事件と無関係なのか?

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