縋れば、背く 8
冷たい風と暖かな日差しが同居する丘だった。
小高いそこから見下ろせば
その空気と比べると、平屋の主である日向は世捨て人の様相だ。
いつもと同じ、ぼろぼろの不審者ルックで筑紫たちを出迎えた。
今日は人が多いので、倉庫ではなく平屋に通されている。
囲炉裏のある大きな和室に座布団が五枚、円形に並べられた上に各々が座っている。
呪いの人形について伝えようとしたところ、日向の平坦な声が続きを遮った。
「――知っている」
「……ええ、と。それは、どこまでですか?」
出鼻を挫かれたカン君は、戸惑いながら聞いた。
日向であればこちらが持つ情報以上のものを平気で開陳してくれそうだ、という期待も込められている。
一同が興味津々で続きを待つ。
無表情の男はぼうっと天井を見つめたまま、雨垂れのように言葉を紡いでいった。
「――人の形を模すものは、疑似餌か憧憬か、あるいは利便性か……いずれかを持つ。それら怪異と呼ばれる彼らは、しかし今回は関係ない。単に大量生産された形代が、血を受けただけのこと……この日向
さりげなく日向のフルネームが挟まれていたため、カン君は度肝を抜かれる思いを抱いた。なんて大仰な名前なんだろうという驚愕と、業界に流れる暗黙の了解を容易く破られた驚愕が同時に頭を殴ったのだった。
さりげなく周囲を盗み見ると、他に目を丸くしていたのはナギだけで、筑紫は供された煎餅をバリバリと囓っていたし、アヤメはいかにも苛立ってますという風に胡座を指で叩いていた。
付き合いの長い二人は知っていた、ということだろう。カン君はまたしても自分が歴の浅い若造なのだと知らされた。
「――問題は、如何に根絶するかだ。一が全である彼らの大元は……すでに亡き後では難しいだろう。ならば……」
ぶつぶつと要領を得ない言葉を並べ立てられる。
ナギが必死に理解しようと静聴していたが、額には汗が浮かんでいた。知恵熱か。
そしてとうとう、アヤメの堪忍袋が破裂したのだった。
湯飲みを叩くように置く。
「だー、ぜんぜん分からん! 日向よ、アンタいっつもそんなんで何言ってんのかチンカンプンプンだぜ!?」
チンカンプンプンとは何だろう、とカン君。指摘すれば矛先が自分に向くであろうことは分かっていたので黙っていた。
「――物事は多面だと教えたはずだ、アヤメ」
「んなこたー分かってんだ! それを一言ズバッとまとめられねえのかって話だよ!」
「否、だ。斯様に絡み合い、そして離れた事象を括るなど……それは我々の領分ではない」
「つまり無理ってことか!? だったらせめてもうちょい順序とかよ!?」
「それも、また否。安易な時系列に頼れば、表層をなぞるだけの浅い筋書きとなるだろう」
「じゃあせめて分かりやすい言葉を使いやがれってんだよ! 日向はいっつもいっつもそうやってうだうだうだうだ……!」
早口で聞き取れない責め立てとと共に、日向の肩を掴んでグイグイと左右させる。さながらモノクロームだな、とカン君は見当違いな感想を抱いた。
すると筑紫が「チク、タク、チク、タク」と呟きだしたので、あながち見当違いでもなかったかもしれない。
「ええと、ごめんなさい。日向さん、私たちはどうすれば?」
おずおずといった様子で、ナギが聞いた。
日向メトロノームが停止する。
「おお、それだよそれ! ナギ
笑顔のまま、首を傾げるナギ。
「……ナギ助?」
「おうよ、ナギ助だ」
平然と返すアヤメだった。
「だってなぁ、アレだろ? 本名じゃねぇってのは分かるが、ナギっていうと『炎の魔女』だろ?」
「……炎の魔女?」
今度は逆方向に首を傾げる。
ナギの疑問に気付かずに、アヤメはしたり顔で頷いた。
「いいや、分かってるんだ。憧れるよな。アタシも好きだぜ。だがなぁ、アンタが名乗るにゃおこがましい。だからアンタはナギ助ってわけよ」
「……ごめん、何の話をしてるの?」
「あ? ……もしかして、知らねぇのか!? ブギーポップシリーズ読んでねぇのか!?」
仰け反って一言。
「信じらんねぇ!」
大袈裟な反応に、ナギの笑顔は次第に引きつってゆく。
「ええと、アヤメさん? アニメとか好きなんですね。意外ですよ、そのナリで」
「……あぁ? アニメじゃねぇラノベだ、そんでアタシの格好がどうしたって?」
「いえいえ何でもないですよ。ちょっと驚いただけ。オタクだったなんて」
ここに演出を加えるなら、バチバチと鳴る火花だろう。
「……だいたいね、あなた筑紫ちゃんの何なの? 先にツバつけといたからって有利だと思わない方がいいわよ?」
「あの子はいい子だ、カン坊にゃ任せらんねぇ……て、なんで筑紫んぼが出てくんだよ?」
「そうね。でも、こんなオタクっぽい人に守られるんじゃあ筑紫ちゃんも可哀想だなぁってねぇ?」
――泥沼だ。
なにか恐ろしい事態が巻き起こっている。
というかさりげなく自分がけなされた気がする。
触らぬ神に祟りなし。
カン君はさりげなく日向と筑紫の方へ近寄って、嵐を気にしないようにした。
「日向さん、さっきのナギさんの話ですけど……」
「そーそーそれ。筑紫たちはどうしたらいいかな?」
「てめぇ新入りの癖に生意気だぞ!」
「筑紫ちゃんのお姉ちゃんは私なの!」
取っ組み合いの喧嘩が始まったが触れれば巻き込まれる。
あちらはあちらでよろしくやるだろう、喧嘩の後に芽生える友情を期待した。
「日向さんは僕たちよりも情報を持っているようです。教えていただけると助かるのですが……」
かすかな期待を込めて頼んだが、答えはまたしても否だった。
「――君が解決するのなら、
「……その通りです。しかし、今はあまりに情報が少ない」
「だいたい何だテメェは、いかにも頭いいです美人ですって格好しやがって!」
「頭いいし美人なのよ、悪い!?」
無視を決め込まねば。
今度は筑紫からだ。覗き込むようにして日向へ聞く。
「ねー日向。じゃあさ、お手伝いだけしてくれない?」
「――断る。人形が関わるからこそ、人形師が関わってはいけない」
「頭よくて美人なだけじゃ筑紫は守れねぇだろうがよ!」
「だって可愛いじゃない! あーもう筑紫ちゃん可愛いなぁ!」
「しょ、正気じゃねぇなテメェ!?」
聞こえていない、聞こえていない。
筑紫と日向に意識を戻す。
「もー、日向のガンコちゃん!」
「――これもまた一つの試練。分かるはずだ、筑紫よ」
「好きなんだから好きって言うの! 照れ隠しでケンカしちゃう人には分からないでしょうけど!」
「――んなっ!? バッ、ちが、バッカこの……バーカ!」
「図星じゃないのよバーカ! バカって言った方がバーカバーカ!」
少し外野がうるさいが、カン君は気にせず考える。
日向の論理は分からないが、今回の事件に関わるのは避けたいようだった。
呪いの人形が絡むから、人形師は身を引く。どういうことだろうか。
いいや、それを考えても仕方ない。いま必要なのは、彼を協力する気にさせることだ。このままでは情報が少なすぎる、筑紫の危険を減らせるならば、猫の手でも借りたいのだ。
――少し強引だけど、やってみるか?
一つの考えが浮かんだ。
うまくいけば一挙両得、失敗してもいまよりマシ。そんな選択肢だ。
何度か考えを反芻してから、カン君はそれを聞いてみることにした。
「日向さん、正直に言います……僕は、あなたを疑っている」
「――何故、と聞こう」
日向の眼差しが体を刺す。
いつも茫洋としている男からは考えられない、確かな意志を持った視線だった。
何を言い出すのかと不安そうにしている筑紫を視界の端に入れながら、カン君も負けじと向き合った。
「日向さん、前にスマホを取りにいったとき、用事があると言ってましたよね? 霊障に関わる話ならともかく、あなたが筑紫さまの生活に関わるお願いを断ったことはなかった……そして、あなたの用事が済んだ翌日に、最初の被害者が出ています」
つらつらと言葉を述べながら、自分の論が甘々だと自覚する。
繋がりは「人形」というだけで、日付などは偶然で片付けられる程度のものだ。そもそも最初の被害者など報告に挙がった範疇だけであって、日向の不審以前からも事件はあったのかもしれない。
何よりも、日向が悪人とは思えない。
筑紫の保護者として、血は繋がっていないにしてもよくしてくれている。カン君だって生活の場を与えてもらっているのだ。
――なんて無礼な演技をしているんだ。
自責の念が湧き上がってくる。それでも情報が手に入るなら――少しでも筑紫を危険から遠ざけられるのなら、この程度の痛みは無視できるのだった。
筑紫が何か言おうとしていた。そんなはずないよ、変なこと言っちゃダメだよ、そう窘めようとしているのだろう。
だから、カン君は一瞬だけ筑紫と目を合わせる。このアイコンタクトで伝わるかと不安だったが、少女のかすかな頷きが返ってきた。
「日向さん。あの四日間、何をしていたんですか?」
カン君の問いかけに、日向はむっつりと考え込んだ。
何事にも興味を示さないような男からこの反応を引き出せただけ、手応えありと見てよういだろう。
日向が俯くと、伸ばし放題の髪で表情が読めなくなる。ぶつぶつと何事かを呟いているのだけが判断できて、カン君は次第に焦りを抱く。いきすぎた質問だっただろうか、と後悔が膨らみ始めたところで、日向は面を上げた。
「――私を、あの男と並べられるとは不愉快だ。腕は確かなれど心が浅かった男などとは、な」
睨み付けられた。
それは生気の籠もった、確かな人間の顔だった。
「――手を貸そう。ただし、
「……ありがとう、ございます」
途中で息が詰まってしまった。
それ程までに日向の双眸は暗黒で、底知れなかったのだ。
思えば日向のことなど何も知らない。筑紫の保護者で、人形師で、感情が希薄――だと思っていた。希薄な感情など、誤解もいいところだ。これ程までに、射竦める力を持っている。
近くでギャーギャーと騒いでいるはずのアヤメとナギですら、ひどく遠いことに思えた。
本性を出した日向を前にすれば、現世のことなどすべて些事で、彼の内から染み出す異界の中に取り込まれてしまうような。
いいや、違う。
日向の向こうに座っていた筑紫が、不満そうに頬を膨らましていた。
礼を失したカン君に怒っているのだろう。それは容易に想像がつく。ただ、日向の異界にあって、普段通りの仕草を行えるというのは、それこそ異常ではないか。
肌にまとわりつく空気が、ふと消えた。
心付いてみれば、日向が立ち上がっていたのだった。ふらふらとした足取りは先程までの確かさを忘れさせるものだ。
「――そろそろ、来るはずだ」
誰に向けられたわけでもない声が、ふわりと宙に消えてゆく。
アヤメとナギの喧噪が、囲炉裏から来るじんわりとした暖気が、部屋を取り巻く木の香りが戻ってきた。
そして、電波も。
筑紫のスマートフォンが着信を知らせる。
陽気なメロディが鳴るそれをポケットから取り出し、通話を始めた。
筑紫の顔が驚きの色を得る。
「……大変、また事件だって!」
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