縋れば、背く 7

 安賀多の好意で自動車が貸し出され、一行はアヤメの運転で日向の家へと向かっていた。

 初めはビル街が流れていく風景だったのが、次第に小規模な街へとなっていき、今は田んぼや橋と少数の民家である。

 助手席の筑紫がそれを眺めてはしゃいでいて、調子に乗ったアヤメが速度を上げていく。


「ひゃー! 安賀ちゃんの車、加速がダンチだぜ!」

「アヤメ、もっと速くー!」


 はしゃぐ前方二人とは裏腹に、後部座席の二人は静かなものである。

 中央の肘掛けにはメモ紙が置かれており、カン君の文字が何行も書かれていた。その下には皺の寄った紙が何枚か敷かれており、二人の筆談がすでに何往復と続けられていたのを表していた。

 今は、アヤメについての質問にカン君が答えているところである。


「さっきのアヤメさんの、その……武勇伝? あれって本当なの?」


 言葉に詰まったのは、言い方が嫌らしいのではないかという遠慮だろう。しかしアヤメのそれ――仕事帰りに人形の悪霊を成敗した話――は武勇伝としか言い様がなかったし、カン君も最初に彼女の除霊を見たときは同じような感想を抱いたものだった。神妙な面持ちで同意の頷きをする。

 ペンへと念を飛ばして、こう書いた。


『たぶん まじです』


 そうとしか言えない。何しろアヤメの仕事は同業の中でも類を見ない白兵戦特化、元から異様な業界でも特に異質な手法なのだった。

 一般的な感性から言えば、こういうことになる。


『あのひとは ヒーローみたいなものです』

「……ヒーロー?」


 思わず聞き返してしまうナギだった。目を大きくして、運転席の後頭部を見る。暴走運転に精を出すアヤメは、ニット帽からボサボサの髪が流れ出ていて外見には無頓着なようであって、かっぴろげた目とニヤつく口元は悪役のそれにしか見えない。


「ええと、どういう人……ていうのは、私が聞かないとダメよね」

『ですね』

「ですよねー」


 カン君の筆記に意を決したナギ、頬をパチンと打ってからアヤメへと声をかけた。


「あの、アヤメさん?」

「あぁ?」


 返事が不良のものでナギは萎縮する。

 彼女へ向けられた目付きも大層ガラの悪いもので、年中喧嘩を売って回る喧嘩商売を思わせた。なんと商魂たくましい。


「じゃなくてアヤメさん、前見てくださいよ!」

「カン坊のツッコミも懐かしく感じるねぇ」


 もはやアヤメは、片手をハンドル上部に置くだけで、半身を後部へと向けていた。


「わーい、よそ見運転ならぬ後ろ見運転だー」

「筑紫ちゃんはもっと危機感持とう!?」

「大丈夫だって、伊達で掃除屋やってんじゃねぇ、前なんて見なくてもな……」


 歩道を老人が歩いていた。


「前、前ー!」

「おぉーっとぉ!?」


 悲痛なナギの叫びでようやくアヤメは前方を確認、ハンドルを的確に回して老人から距離を取った。

 横向きのGがかかり、一同は揃って体を傾ける羽目と相成った。悲惨なのはナギである。彼女は咄嗟の反応が遅れて窓に頭をぶつけてしまったのだった。

 頭を押さえて唸るナギ。目に涙を溜めて呟いた。


「絶対ヒーローじゃないでしょ……」

『どんまいです』


 散らばってしまった紙にカン君は慰めの言葉を書いた。

 するとナギは、カン君のいる方向を横目で見ながら、小さく呟くのだった。


「はぁ……ヒーローはカン君でしょうってのに……」


 突如として自分の名が挙げられて、虚を突かれたカン君だった。

 ついつい聞き返してしまいそうになり、口をパクパクさせてから、ようやくペンを念で掴む。かといって何を書けばいいのか最適な文章が思いうかばずに、ようやく彼はひどく単調な文字を記すのだった。


『なんで』


 これでは冷たい印象を与えてしまうか、と思い直して末尾に『?』を付け足す。

 そうしてできた『なんで?』に対して、ナギはにんまりとした顔をした。


「だってねぇ。ほら、前の事件のときにさ……」

「……あ」


 間抜けな声が出てしまった。

 思い出す。『鏡の向こう側』事件のとき、攫われた筑紫を助けようとしたカン君へナギが叱咤激励を送り、受け取ったカン君はわざわざ箪笥を破壊して、破片でナギへと返礼したのだ。『だいじょーぶ』と。

 ぼぅっと火を噴くカン君の頬。

 猛然と念を込め、殴り書きで言い訳を記す。


『あれはモチベーションをたかめるというか じょれいのためにしなくちゃいけないことというか ともかくたかぶるんですよ それでせいこうりつがあがりますから そのながれでついついかっこいいことやってしまうのはしょくぎょうびょうというか』


 ここで紙が切れる。

 新たな白紙を被せ、再びペンを動かした。


『いいですか ぼくはあいてよりつよいってきもちがないとじょれいできないんです ほかのかたはちがいますがね そういうわけでぼくだってたいへんなんですよ でもぼくってよわいですからそうやってごまかしながらじゃないとせいこうしなくて』


 ここまで書いたところでペンが意図せず落ちる。

 騒霊現象の起こしすぎによる霊体不足、生者で言うところの「ペンを持つ手が疲れた」状態だった。


 ――まだ伝えたりないというのに!


 しかし限られた力を使いすぎれば集合霊としての形を維持できなくなる。やむなく陳情を諦めるカン君だった。

 さて長文を見せつけられたナギはというと、彼の情熱が伝わったようで神妙な面持ちをしているのだった。

 うんうんと頷いて、寂しげな笑顔を浮かべて一言。


「だいじょーぶ……ぷくくっ」

「いっそ殺してくださいよ!」

「お、なんだぁ? アタシが一思いにやってやろうかぁ?」


 運転席のアヤメが楽しそうに喉を鳴らす。

 カン君は恐怖した、この人はやりかねないと。

 同じ感想を抱いた筑紫がポカポカとアヤメを殴りながら「うぎゃーやめてよー!」と喚いていた。

 それを軽くいなしながら、アヤメは後部座席をチラリと確認する。

 溜息を吐き、今度は真面目な声色で聞いた。


「ていうか、アタシがやる前からだいぶ弱ってるみてーだけどよ?」

「あれ、ほんとだ」


 視える二人が指摘したことで、視えぬナギも事態を把握する。


「え、なに、もしかして書くのって大変なの?」

「そりゃあ力使ってるワケだからな。アタシらは休めば回復するが、カン坊はそうはいかねぇ。霊はほっときゃ消える、現世に干渉しすぎても消える……強ぇ無念がありゃあ長持ちするが、カン坊のはちと特殊だからなぁ」

「カン君、お疲れモード?」

「日向さんの家までは保ちますよ」


 日向の家――倉庫を改造したアトリエまでいけば問題ない。かの場所はどういうわけか、輪郭の保てぬ低級霊や消滅を待つのみの浮遊霊が集まる特性を持っているのだ。

 ただ、疲れていることは事実なので念動筆記は中止せざるを得ないだろう。

 ひとまず喋ることに徹しよう。背もたれに倒れ込むカン君だった。


「え、カン君大丈夫なの?」


 困惑したのはナギだ。

 おろおろとカン君のいる空間と筑紫を見比べていた。


「ちょっと疲れちゃったってさ」


 筑紫の軽い言い草から、深刻な状況ではないのだと把握したナギだった。

 とはいえ全てを理解したわけではない。筑紫の背もたれを掴んで前のめりになる。


「じゃ、じゃあさ……もうカン君とはお喋りできないの?」

「違う違う、日向のとこ行けば治るよ」

「そうなの……よかったぁ……」


 ナギはようやく安堵したようで、こちらも背もたれへと体を投げ出した。

 ぼふんと音がして埃が舞う。

 宙を漂う光の粒子が流れていった。何となくそれを見送っていると、ナギが声をかけてくる。


「ねぇカン君、また筆談……は、余裕あるときでいいや」


 くるりとこちらを向いて、ナギは掌を合わせた。


「無理させちゃってごめんね」


 ぺこりと謝るナギ。

 彼女を見て、カン君はふと気付いた。


 ――筆談で、ずいぶん距離が縮まったな。


 嫌味を投げ合っていた関係だったのが、筆とはいえ会話をするとこうも変わるものか。

 そう考えて、自分の憑依除霊を思い出す。

 相手を理解してやることが、恐怖を無くす。

 筑紫を介した会話ではカン君の実態など掴めなかっただろう。それが壁となっていたのだ。筆談というコミュニケーションで取り壊されれば、あとは意外と気の合う相手かもしれなかった。

 そしてこの気付きは、どうやら正解だったらしい。

 ナギは謝罪のポーズを終えてから、ニッと嬉しそうな顔をする。

 そして左手を口元に当て、いわゆるひそひそ話の格好で――運転席と助手席の二人に聞こえないように囁いた。


「また話そうね……かわいいヒーローさん」


 そうしてウインクをして、ナギはアヤメへと問う。


「アヤメさん、あとどれくらいですか?」

「あー、数分てとこだな。ていうかアレだ、アンタだれだ?」

「いまさら!?」


 ナギとアヤメは会話の切っ掛けを掴んだらしい。

 こちらはひとまず安心で、問題はカン君にこそあった。


 ――ナギさん、美人なんだな。


 僕こそ「いまさら」じゃないか、と自嘲した。もう知人、友人と呼んでいい程度の距離感を獲得した相手なのだから。

 胸に手を当てる。当然触れられないし、胸の鼓動も聞こえない。

 カン君にはその感覚が、友人へのものか異性へのそれか分からなかった。

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