縋れば、背く 3

 そこの正式名称は安賀多探偵仲介事務所という。

 筑紫の住む日向製作所とは違って、主要駅から徒歩十分程度のビル三階と好立地である。

 ビルの面する往来は比較的賑やかな方だ。近くに大学や専門学校があるため若者が多く、彼らをターゲットに見込んだ各種店舗が軒を連ねている。

 その活気づいた街道を、三人は連れだって歩いていた。

 真ん中を筑紫、左右にナギとカン君という並びだ。


「そーいえばナギ、大学生なんだよね?」


 筑紫が見上げながら聞く。

 突然の問いかけに虚を突かれたナギだったが、すぐに理解して微笑んだ。


「そうだけど、この辺の大学じゃないわ。駅の反対側にあるの」

「ふーん。行かなくていいの?」

「もう春休みだからね」


 二人の会話を聞きながら、カン君は駅の反対側にある大学の思い浮かべる。記憶が確かならば、旧帝大――学力の高い大学の校舎が数校あったはずだ。いま歩いている近辺の学校など天地の差と言ってもいい。


「……意外だ」


 ひとちるカン君だった。

 しかし考えてみればナギが正体を失うのは筑紫に対してのみであり、線の細い服装や利発そうに笑う表情などを見れば説得力のあることのように思えた。


「カン君、どーしたの?」

「いえ……ちょっと失礼な評価をしていたもので」


 後でナギに謝っておかなければならないと考えて、そういえばナギとの会話は筑紫を仲介する以外に試していないのだと気付く。

 これまで霊能者以外と話す機会のなかった彼は、以前から考えていた手法でナギと会話してみるのもいいかもしれないと頷いた。幸いなことに安賀多の事務所はもう見えている。彼に頼めばお安い御用だろう。


   ◆


「やぁいらっしゃい……と、ナギ君も一緒かい?」

「ちょっとお手伝いできないかって、私から頼んだんですよ」

「そうかそうか! 何かと面倒な業界だが、筑紫ちゃんがいいって言うんなら僕も歓迎するよ」


 安賀多の事務所は立派なものだった。

 所長である安賀多の椅子は不必要なくらいに高級感のある革張りのもので、机も筑紫のものより一回りも二回りも大きい。室内には観葉植物が飾られているし、壁面に大きなテレビまで埋め込まれている。そんな部屋の中心で客を迎え入れる安賀多は、もはや仲介業の所長というより大企業の社長と呼んだ方が適切に思えるほどだった。

 これにはナギも驚いたようで、へーとかほーという感嘆の声をひっきりなしに上げていた。

 筑紫とカン君は何度か来たことがあるので平気……というわけではなく、こちらも部屋を見回している。

 そんな筑紫とカン君を見て、安賀多は頬に皺を走らせてニヤリとする。


「ふふ、実はね。つい先日にリフォームしたんだ」

「そうだったんですか。言ってくれればお祝いに伺いましたのに」

「ちょっとしたお茶目だよ。君たちを驚かせたかったのさ」

「それなら安賀多、大成功だよ!」

「はっはっは、奮発した甲斐があった!」


 嬉しそうに笑う安賀多だった。こうして自慢をしていても嫌味を感じさせないのは、彼の人柄によるものだろう。

 さぁ、と安賀多が椅子を示す。

 しかし椅子が二つしかない事に気付いて、安賀多はしまったと呟いた。


「すまないね、ナギ君。ちょっと待っていてくれ……おうい!」


 安賀多が奥の扉へ声を掛けると、すぐに中から女性が出てきた。

 きっちりとスーツを着こなした知的な風貌だった。落ち着いた自己主張の少ない眼鏡の奥には静かな瞳があり、艶のある髪は染められた絹のように細く長い。

 背筋をしゃんと伸ばして安賀多を直視する様は、いかにも秘書といったところだ。


「安賀多さん、この方は……?」

「リフォームついでに秘書を雇ったんだ。受付とかはないんで、奥の部屋にいてもらってるけどね」


 紹介された女性はきっちり三十度の角度で礼をした。


「初めまして。秘書の清家せいけ結子ゆいこと申します」

 いかにも生真面目きまじめぜんとした挨拶で、カン君はちょっと苦手な部類だと認識した。あまりに固すぎるのではこちらも恐縮してしまう、安賀多くらいのフランクさが丁度いいのだが。

 とはいえ、こちらも礼は返さなければならない。


「せーけって変わった名前……じゃなかった。えーと、筑紫、です」


 ぺこりと取って付けたようなお辞儀をする筑紫だった。後で礼儀作法について教えなくては。

 次にナギが、こちらもまたおどおどとした自己紹介をする。


「え、えーと……ナギ、です。筑紫ちゃんのお手伝、じゃなくてアシスタント……してます?」


 そうして、ぺこり。

 大学生とはいえ慣れていないものなのかと訝しんだカン君だったが、なるほど考えてみれば霊能関係での自己紹介というものが初めてなのだから仕方ないだろう。しかも業界では本名はあまり教えないと筑紫から聞いたものだから、自らを何と名乗ればいいのかすら分からないのだ。


 ――筑紫さまのマナー講座のとき、一緒に考えよう。


 年下の幽霊に教わるなどナギは受け入れてくれるだろうか。そんなことを思いながらも背筋を伸ばして清家へと目線を向けた。

 敬語キャラの幽霊として三年を過ごした自分である、ここは手本を見せなければとカン君は意気込んだ。


「初めまして、カン君と呼ばれる者です。愛称での名乗り、誠に恐縮……」

「お二人とも、よろしく。それで所長、用件はなんでしょう?」


 ズッコケのカン君だった。

 清家の冷たい目はカン君を完全に無視している。というよりも、本当に気付いていないような素振りだった。

 まさか、と安賀多へ顔を向けると、彼の苦笑がカン君の推測を肯定していた。


「清家君、お茶もう一つ頼むよ」

「……後からもうお一人、お見えになるのですか? でしたら、お茶は別々でお出ししますが……」


 きょとんとする清家だ、ふざけている様子は一切ない。


「すまないね、カン君。清家君は『視え』ないクチなんだ」


 安賀多の説明を聞いた清家は、安賀多の台詞を小さく反芻した後に勢いよく頭を下げた。


「し、失礼いたしました!」


 踵を帰して奥の部屋へ戻っていった。それはマナーとしてどうなんだとカン君は内心で指摘するも、こんな状況であるのなら仕方なかろうと思い直す。


「どうして、『視え』ない方を?」

「『視る』のは僕の仕事だから大丈夫かと思ったんだが……カン君のことは考えてなかったなぁ……」

「まぁ、僕みたいなのは特殊ですからね……」


 自分で言っていて悲しくなるカン君だった。


「まぁ細かいことだ、気にしないで……ささ、座りなさい」


 誰からのフォローもないのが、また悲しい。恨めしやの目で筑紫を見ると、彼女は高級ソファでぼよんぼよんと跳ねていた。ナギは――彼女もまた視えない側である。カン君のいるであろう辺りへ同情の視線を投げているのだったが、そこには誰もいないのだ。あと数人分ほど隣である。

 哀れカン君、大人しくソファへ腰掛けるしかなかった。

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