縋れば、背く 2

 依頼のないときは野良幽霊で腹を膨らましながら事件を探している、ちょうどいま被害者を取り込んだ。

 そういう説明をナギにした後に、一行は近くの喫茶店で腰を落ち着けた。

 個人経営の小さな店は西欧をイメージした調度で統一され、暖色の光が空気感に一層の落ち着きを与えている。

 平日の午後ということもあって、客は筑紫たちだけだ。

 さながら姉妹、ナギと筑紫の組み合わせはそう見えるだろう。

 このとき初めてカン君はナギの同行に感謝した。


 ――ナギさんがいれば、筑紫さまが変人に見られることもない。


 筑紫はところ構わずカン君に話しかける。すなわち虚空と談笑する電波少女である。古くより仲の良いアヤメは不在だし、そもそも彼女は人前に出ることを嫌う傾向にある。こういうとき、ナギのような一般人がいてくれて助かったと再度頷くカン君だった。


「さー筑紫ちゃん何でも頼んでね、お姉ちゃん奮発しちゃうからね」

「わーい、ありがとうお姉ちゃん!」

「お姉ちゃん……えへへ……」


 ――やはり人選ミスかもしれない。


 このままナギを調子に乗らせてしまえば彼女の財布が危ない。カン君は早々に話を切り出すことにした。


「筑紫さま、例の人形ですが……」

「もー、カン君はせっかちさんだ」

「そうよカン君、まずは注文しないと」

「……はい」


 器用に文脈を読み取ったナギに軽い尊敬を抱きつつ、言われる通りに女子二人のオーダーを待った。

 そうして飲み物が届き――カン君とナギは珈琲、筑紫はココアである――、話は本題へと移る。


「ねぇカン君、あの住職さんの話ってしたっけ」


 人形の供養を請け負っていた老人のことだろうと察しはついたが、面識はないので素直に否と答える。


「筑紫も何回か会っただけなんだけど、すっごい強い人だったんだよね……」


 知人の死など、この稼業では儘あることではある。

 だからといって慣れてしまうような精神は、誰も持ち合わせていなかった。


「……もしかして、知り合いの人が亡くなったの?」

「うん。悪いお化けにやられちゃったみたい……」


 そっか、と呟いたナギは微かに俯いた。


「そうだよね、そういう業界なんだもんね」

「……だから僕は反対したんですよ、ナギさん」


 声は届かないにしても、言っておく必要があった。

 ナギはテーブルの影で両手を強く握りしめているようだった。それが悲しみよりも恐怖によるものだと容易に想像できる。

 霊能者は茨の道を歩くのだ。


「ナギはお留守番でもいいんだよ?」

「……ううん。私のせいで筑紫ちゃんが危険な目にあったし、それに……」


 言いかけたナギだったが、続きは胸にしまい込まれたようだった。


「……何でもない。続き、聞かせて?」


 彼女がどんな言葉を飲み込んだのか、カン君は疑問を抱く。

 彼女が正義感の強い女性であっても、容易に命を落としかねない仕事に関わるほどの熱意を持つだろうか。

 推測が働く。

 黒目がちの大きな目は、その奥に決意を秘めているようにも見える。

 例えばそれは、筑紫の信頼を得るためには危険も厭わないような、利己的な目的を密かに持っているような――。

 いや、とカン君は邪推を振り払う。

 ナギは少なくとも善人である。

 何らかの秘密を抱えていても、告げるべきときが来れば告げるはずだ。


「筑紫さま、続けましょう」


 言われて筑紫は頷く。

 湯気の立つココアを含み、一拍の沈黙が場を切り替える。


「悪さしたお人形さんがいて、その子はきっと三人も殺してる」

「それで、他に手掛かりはないの?」


 うーん、と唸る筑紫だ。

 まだ次の被害者が出るとは限らない。放置されたという無念を晴らした人形は、目的を果たしたまま消滅しているかもしれないのだった。

 野良幽霊から偶然得た悪霊の情報から始める調査は、得てして情報不足に陥りやすい。今回も、それだった。

 だがカン君は、先程の話から打開の糸口を見つけた。


「そうだ……筑紫さまは、ご住職と顔見知りだと仰いましたが、それは何処で?」

「えっと、安賀多からの紹介で……そっか」

「もしかしたら、その繋がりで安賀多さんの元に何か情報が入っているかもしれません」


 そうと決まれば話は早い。

 カン君が目配せをし、筑紫はポケットからスマートフォンを取り出した。

 もちろん相手は安賀多である。

 筑紫の手つきは手慣れたもので、すぐに耳元へと端末を当てる。

 登録されている安賀多の番号は彼個人のものなので、来客中でもない限りすぐ繋がるだろう。それに、仮に来客中であっても、筑紫からの電話というものは珍しい。

 はたしてカン君の予想通り、安賀多との通話が始まったようだった。

 カップに口を付けてじっとしているナギと同じように、カン君もまた経過を見守る。


「それでね、そう。えーっと、人形のお化けが……」


 本題に入ったようだ。

 筑紫は電話相手に身振り手振りを交えながら、共有した記憶を説明する。

 呪いの人形。

 ありふれた怪談のようだが、もちろんありふれるだけの理由がある。

 人形は死者の形代に丁度良い。

 浮遊しているだけの霊が吸い寄せられることもあるし、害意の発散を目論む悪霊が道具として入り込むこともある。

 カン君もまた霊として修行中だったときに、市販のものへ取り憑いたことがあった。

 霊体と人形ではサイズが違いすぎるのではと不安だったが、何度か繰り返す内にさほど難しくないことに気付いた。しかし、慣れていくことが怠惰の萌芽――自転車や自動車での移動を繰り返すと数十分の徒歩移動が億劫になってしまうかのような、漠然とした危機感があったのでやめた。

 また、筑紫が人形への憑依を嫌っていたこともある。

 いわく、カン君はそのままがいい、と。

 その理由は問うても黙されたままだったが、記憶の中の筑紫はいつになく険しい表情をしていた。だからカン君は、それ以上の人形への憑依は行わなかったのだった。


 ――人形、か。


 その言葉が、また別の記憶を想起させる。

 人形師、日向。何も読み取れない無表情の男。

 思えば彼こそ、今回の適任なのではないだろうか。

 いつもアトリエに引きこもって人形製作をしている男だ、彼以上の専門家はいないだろう。安賀多との情報交換が終わったら、日向の元へ寄るのもいいかもしれない。

 そういえば、とカン君は思い出す。

 日向のアトリエ――丘の上の平屋の奥、年季の入った倉庫。

 以前に筑紫のスマートフォン関連で寄ったときに、日向は珍しく手一杯だったようだ。結局『鏡の向こう側』事件が終わった後も、彼が何をしていたのかは分からないままだった。深入りは禁忌とされている個人領域だったが、筑紫の書類上の保護者ともなれば興味は自然と湧いてくる。


 ――まさかな。


 呪いの人形。

 そして人形師。

 接点は人形という言葉だけで、あまりに馬鹿げた発想だと自嘲した。

 目の前に置かれた珈琲を見ればすっかり冷めてしまったようで、長い間を思索に耽っていたのだと気付く。

 話はどうなったのだろうと筑紫を見れば、ちょうど彼女も通話を終えたところだったようで、スマートフォンをポケットへとしまっていた。


「えーっとね、気になるからウチに来いだって!」


 それまで通話を聞いていたナギが、最後の一口を飲み終える。


「私場所知らないんだけど、ここから近いの?」

「うん、そんなに時間かからないよ」


 再び、そうと決まれば、である。

 筑紫とカン君は立ち上がる。筑紫は財布を取り出しながら歩きだした。

 驚いたのはナギだ。

 誰も口を付けていない珈琲――カン君のもの――と筑紫の背中を交互に指差す。


「あれ、え? これは?」

「ナギが全部飲んでいいよ。筑紫、お腹いっぱいだし」

「私もなんだけど!?」


 構わず歩を進める筑紫に諦めが付いたのか、ええいとナギは珈琲を一気に飲み干した。

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