縋れば、背く 1
「……憑依、完了」
真昼の輝きが、消えた。
コンクリート塀に挟まれた、人の波から外れた裏路地。
地元住民しか使わないような私道にいたのは二人と一体。
筑紫とナギ、それにカン君である。
今日は真冬の寒さも一時的に鳴りを潜めた快晴だ。
大きめのフードが付いた水色のダウンジャケットは筑紫のためにナギが用意したお下がりで、筑紫は気に入っているのかチェック柄のスカートをふわりと靡かせながら振り向いた。
「どう、ナギ?」
そのコーディネートを見繕ったナギは、可愛らしさを押し出す筑紫の服装とは対照的に細い黒のパンツに桃色のシャツ、カーキ色のロングコートと全体的にシャープな大人びたものだ。
とはいっても、だらしなく緩んだ表情を除けばだったが。
「やっぱり似合うよ筑紫ちゃん、うへへ……」
爽やかで凛々しいはずのナギは筑紫愛で表情を歪ませていた。
両手をわきわきとさせる姿は、カン君に危機感を抱かせるに十分なもの。
「……筑紫さま、お逃げを。ここは僕が」
「カン君、ナギをいじめちゃダメだよ!?」
「あ、なに。カン君いたの?」
「ええ、視えないでしょうがね」
正気を取り戻したナギに冷や水をかけられ、カン君も言葉を返す。
とはいっても彼の姿や声は霊能力を持たないナギには認識できないものだ。
「どうっていうのは、そうじゃなくて……あーもー! 仲良くしようよ!」
二人の顔を交互にみやる筑紫である。この場では彼女が二人の通訳として機能するし、事実その役目を自ら志願してもいた。
「ですが筑紫さま、そもそも僕はナギさんを認めてはいません」
「だって筑紫ちゃん、視えないカン君相手ってのは難しいのよ」
カン君とナギの言い分が同時に発せられ、筑紫はどちらに返せばよいのか悩みだす。
指を右往左往させて、その照準をまずはナギに当てた。
「先に言ってたでしょ、ナギには難しいことだよって!」
「ま、まぁ……それはそうなんだけど」
それを言われては狼狽えることしかできないナギだった。
◆
経緯はこうだ。
前回の鏡台事件から一週間後、ナギは再び日向製作所に顔を出していた。
再び事件かと事情を聞いてみると、彼女は首を振った。
「ここで働かせてもらえないかなって思ってね」
いわく、給金は出なくてもいい、雑用だけでも構わないとのことだ。
これに猛反対したのがカン君だ。
「なりません。並の霊能力者でも危険だというのに!」
ナギの正義感は前回で知ったつもりのカン君なれど、まさかここにまで付いてくるとは。
主である筑紫ほどではないにせよ、ナギは自由奔放の気も持つ女性らしかった。
「さぁ筑紫さま、しっかり断ってください。彼女の身を案ずれば当然の……」
「よし、採用!」
「さっすが筑紫ちゃん、話が分かる!」
「筑紫さまぁ!」
◆
ということがあって、さらに数日。
コンクリート塀の裏路地に至る。
「これからは友達なんだから、カン君とも仲良くしないとだよ?」
ぷりぷりと怒る筑紫。
「ここに来るとき言ったよね? 退屈でもガマンしてねって」
「うう……そうなんだけど、だって本当に退屈で……」
「だからってカン君にあたっちゃだめ!」
しょげるナギ、反論はそれ以上出てこなかった。
満足した筑紫が次に責めたのはカン君だ。
くるりと華麗なターンを決めて、指先を向ける。
「カン君もカン君だよ! どうして視えないやり方しかできないの!?」
「そんなご無体な!?」
「……? ムエタイとか変なことで誤魔化さないの。これを見せなきゃいけないからナギを連れてきたんだよ?」
カン君は「ムエタイ」にツッコミを入れたい気持ちを堪える。それよりもツッコミを入れなければならないことがあるからだ。
彼の憑依、すなわち霊体の主導権を得る技は、霊が霊に取り憑くことの応用である。霊能力のない者からすれば何も視えない。
筑紫の指摘でどうにかなるものではなかった。
とはいえ、それを知らぬ筑紫ではない。
無茶を振ってくるのはいつものこと、これもやむなしと溜息を吐くカン君だった。
さて、ナギをここに連れだったそもそもが、筑紫やカン君の日常について知ってもらうという名目だった。
すなわち「事件のないときは街をうろついて霊を取り込む」「気になる事象があれば調査をする」という、カン君の霊体維持と事件探索である。
多くは単なる亡霊――霊障を振りまく危険のない霊ばかりなのだが、時たま人知れず悪さをする霊やその被害者を取り込むこともある。
もしそういう霊体を捕まえたなら、次の被害者が出てしまう前に捜査へと乗り出す。
例えば今回のような、人形に纏わる話などだ。
あーカン君ムエタイするんだーと妙な納得をしたナギは気にせず、カン君は咳払いを一つ。
「ナギさんへの説明は、筑紫さまからお願いします……まずは、これを」
片膝を立てて、筑紫を微かに見上げる姿勢へ。
いましがた取り込んだ霊魂を右手へと纏め、彼女へと差し出した。
「お、カン君お手柄だったの?」
会話の楽しさで本来の目的を忘れていた筑紫だったが、カン君の挙動で思い出したようだった。彼の差し出した右手へと、筑紫の小さな掌が重なる。
霊魂の持つ死と無念の記憶を共有する作業だ。
さながら姫に傅く騎士のようで、正直カン君は恥ずかしい。頬に血が巡っているような感覚でいっぱいいっぱいだ。
かといってカン君は困ったことに背が高く、直立で手を差し伸べるのも不躾に思えてしまうという事情があって、彼はこのような姿勢を取るのだった。
早く終わってくれないかと焦れるカン君だったが、対する筑紫の方はこれがお気に入りのようなのだった。
「えへへ……ひんやりー……」
「……寒いのに、ですか?」
「カン君の手は特別なんだもんねー」
「も、もう終わってますよね? 戻しますよ?」
実際に触れ合っているわけでもなかったが、気恥ずかしさには変わらない。
そそくさと右手を戻し、立ち上がるカン君だった。
「ちぇー」
地面の小石を蹴って残念がる筑紫だった。
ころころと転がる小石が、ナギのファーの付いたヒールにぶつかる。
「……え? 今の、なに?」
取り残されたナギは、筑紫の言動で二人が何をしていたのか想像するしかなかった。
これも説明しなければならないのかと気付くカン君。
しかし先手を取ったのは、八重歯を見せて笑う筑紫だった。
「んー……ムエタイ?」
正に、変な言葉で誤魔化したのだった。
ナギに説明をためらうようなことだというのは、どうやらカン君と同じ心持ちだったらしい。
「さーさー、事件だよ!」
大袈裟な身振りで場の空気を切り替える筑紫だった。
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