覗けば、いる 9
絶対に、筑紫に切り札を使わせない。
そんな想いを胸に助手をやってきたカン君だったが、それがいかに甘い認識だったのかを思い知らされてしまった。
――僕は馬鹿だ!
筑紫さまは最強、誰も勝てない。
そんな安っぽい思い込みを数々の事件で積み上げていって、愚かにも「切り札を使わせなければいい」という砂の楼閣を建造してしまった。
考えてみれば、当然だ。
筑紫は生者。
飛び抜けた武器を持っているだけで、生身の人間なのである。
不死身でもなければ人間離れした運動能力を持つわけでもない。
大食いで、スマホ中毒で、わがままで、でも優しくて、朗らかな少女。
カン君という集合霊が発生したときからずっとそうだったはずだ。
それを忘れてしまうなど。
――僕は、どうしようもない。
壁に拳を打ち付けようとするも、そうするに足りる肉体を持っていない。
この無様な霊体を見よ。
敬愛する少女一人も守れなければ、朽ちた土壁に悔恨の穴を開けることもできない。
何も出来ずに密度だけ濃い幽霊など、このまま消えてしまえばいい。
カン君の自暴自棄は制御もできずに膨れあがり、次第に意図せぬ霊障を巻き起こしてゆく。
和室の中にあった箪笥が、最初は微かに、そして次第に大きく揺れた。
それは遠くで起こった地震に似ていて、行使したカン君自身がそう勘違いしてしまうようなものだった。
初めは何の気にも留まらなかったそれだったが、次第にカン君は疑問を抱く。
――まだ、僕は力が使える?
筑紫が引きずり込まれた鏡台を見る。掛けてあった白布は取り払われ、現世と同じ闇の和室を映していた。
筑紫は、あの中にいる。
この身は筑紫によって創られたもの。彼女がいなくなってしまえば自然消滅するものかと信じていたが。
と、意識の埒外から呻き声が聞こえてきた。
「……う、ううん」
ナギだ。彼女は脚を交差させた状態で、上半身だけを起き上がらせていた。カン君が引き起こしたところの騒霊現象で目を覚ましたらしかった。
「なんか気絶してばっかりな気が……あれ?」
彼女は周囲を見渡す。常人にとっては一寸先すら闇であるこの室内だったが、空気が停滞していることからある仮説に辿りつく。
「……筑紫ちゃん、どこ?」
一度言葉にしてしまえば、理解は早まる。
この失踪者が多発する廃墟で、少女が消えた。何が起きたのかは明白だった。
「ていうか、なんで私ここに……まさか、私の、せい?」
整った顔がみるみる内に歪んでいく。
怒りの色が、彼女の溌剌な顔を染め上げていった。
「――ねぇ、ちょっと! いるんでしょう、どこよ!?」
ナギの怒声が和室を震わせた。
その豹変振りにカン君は驚いたが、すぐに怒りに同調する。
「どこって、筑紫さまは、もう……!」
だが、カン君は自分の見当違いに気付かされることとなる。
「――カン君、あなたのことよ!」
「……僕?」
「助手だか何だか知らないけどね、大事なご主人さまが消えちゃったんでしょう!? だったら何するべきか、分かってるんでしょうね!」
呆気にとられているカン君を放っておいて、届いているかも分からない声をナギは続けた。
「早く筑紫ちゃんを助けてあげて! それとも、もうあなたも消えちゃったのかしら? ……はっ、助手が聞いて呆れるわよ!」
「……何を」
何を、馬鹿なことを。
無意識で動かした箪笥を見る。あれだけ巨大なものを動かせるだけの力は残っている。筑紫との繋がりがなければできない芸当だ。
ならば、筑紫は生きている。
ならば。
「……僕は、ここに、いる! 筑紫さまを置いて消えるなど、ありえない!」
内に滾る霊力が蜷局を巻いている
心地よい熱だ、とカン君は不敵に口端を上げた。
怒りの熱、久しく覚えていなかった、生者の感情だ。
戦える。
その力を、再び箪笥へと向ける。
歯を食いしばり、念じる。
箪笥は易々と砕け、破片の一本が宙を舞った。
尖った破片を操り、ナギの目の前に突き刺した。
そのままガリガリと動かせば、畳に記す即席のメモとなる。
削られた文字の形は。
――だいじょーぶ。
筑紫は、そう言った。
何が大丈夫だったのか。決まっている。
筑紫は、だいじょーぶ。
なぜならば。
「――僕が解決すると、約束したから!」
箪笥を破壊してやった程度では収まらない力の奔流。
鏡に引きずられた者たちの残滓が、これまで背負い続けてきた魂たちが、この身を象る全ての要素が荒れ狂っている。
この霊魂、誰にぶつけてやろう。
決まっている。
鏡台。
そこに棲まう人攫いの怪異へ。
◆
暗い部屋だった。
蝋燭の踊るのみが光源で、それを反射する数々の玉がある。
人形の瞳だ。
照らされた人形たちは、世界各国のものが揃っていた。
多種多様の人形たちが見つめる先は、部屋の中央である。
古めかしい木製のテーブルに肘を預け、チェアに座っている男。
日向だった。
「――時期尚早、ではあるが」
主を見つめる人形たちに問いかけるように。
「――早期の自覚が必要なのも、また事実」
置かれたチェス盤の向こう、いずれ来る相手に語るように。
「理外の者と対面した君が、果たして死んだままでいられるか」
格上の怪異を相手取ってしまった、格下の彼を励ますように。
「――次善を採って頂きへの門を閉ざさぬように、決死で足掻くといい」
◆
だいじょーぶ。
畳に無理矢理書かれた文字を見て、ナギの怒りは急速に萎れていった。
「……汚い字」
筑紫という愛くるしい少女がしきりに呼んでいた「カン君」という名前。霊能力など持ち合わせていない一般人であるところのナギからしてみれば、彼がどんな人物なのかなど一切分かっていない。むしろ当初は現実に存在する幽霊として恐怖すら抱いていたほどだった。
そんな恐ろしい幽霊が付いていながら、この失態はなんだ。そういう怒りを、カン君にぶつけたのだ。
その返答が、これである。
困難に立ち向かうヒーローとしては、せいぜいが及第点といったところだろう。
姿も視えない、字は汚い、言葉も幼い。
「……はは、案外可愛い子なのかもね」
視認できずとも、認識はできる。
きっといま、あの鏡台の正面にはカン君が屹立している。
少女を助けるために。
元はといえば、自分が不用意に近付いたせいで引き起こされた事態だ。
責任は、自分にある。
謝らなければならない。
――ちゃんと、二人に。
きっと帰ってくる筑紫と、そこにいるカン君に。
だから、今はこうとしか言えない。
「――頑張れ、カン君!」
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