覗けば、いる 8

 霊魂の光が収まり、元の暗い廃屋へと戻る。

 湿った冷気と淀んだ気配に取り囲まれた和室で、二人は記憶の共有を終えた。


「……鏡の世界、なんてないよね?」

「はい。間違いなく」


 確認の声は筑紫だった。

 少女は振り仰ぐ。それは天井の染みを数えているようで、カン君は不思議と焦りが静まっていくのを感じていた。

 自分が解決すると約束したことで覚悟が決まったのかもしれない。

 なぜ今回の事件が怪異絡みなのか、筑紫と確認を取る。


「鏡は単に光を反射するだけです。向こう側なんて、ありはしない」

「カン君は試したことある?」

「はい。何をしても、すり抜けるだけでした」


 彼が筑紫の助手となって間もない頃である。依頼のない暇な時間に「霊は何が出来るか」を試行錯誤し、最終的に憑依による霊体の主導権強奪を覚えたのだったが、その過程で霊体、幽霊全般のことは学習済だ。


「鏡に霊が映るのは、鏡台に憑いた霊なら可能でしょう。でも、鏡の中から腕が伸びてくる……ましてや向こう側へ取り込まれるなんて、ありえません」

「でも、現にそれが起こってるんだもんね……」


 二人の視線は、自然とそれに向けられた。

 鏡台。

 闇が支配するこの廃屋で、白い掛け布は異様な存在感を持っていた。

 鏡は古来より異界の入口として恐れられていた。平時からその入口を開け放しているとこの世ならざるモノを招いてしまうと考えられ、鏡面には蓋が備え付けられていたり、三面鏡のように入口を入口で閉じることによって異界を円環としていたりなど、古い鏡台には対策の名残がある。

 いま二人の前に鎮座する鏡台――人を惑わして取り込むこれにも、白布という対策がなされていた。

 筑紫が、一歩横へと動く。鏡面を真正面に捉えていた地点から、避けるように。

 カン君もまた、それに倣った。いまだ正体の視えぬ怪異であれど、鏡の中に巣くう以上は対峙して「映る」のは悪手。そういう認識が共通してあった。


「鏡の世界なんてない、のに、ある」

「だから怪異なんです、こいつは」


 しかも。


「本体は、どこにいるのか分かりません。鏡台を破壊してよいものか……」


 仮に鏡台を破壊したとしても、鏡の破片が畳に散らばり、その一つ一つから生者の似姿が出てくるかもしれない。畳から何本も伸びてくる腕は、想像するだに恐ろしいものだった。


「んー……ぐるぐる巻きにして封じちゃうってのは?」

「近付く必要があります……得策とは言い難いですね」

「ダメかー。……コレ、なんなんだろう? 鏡、映る、光……」

「見当も付きませんね……」


 じりじりと、鏡台を中心に円を描く。

 今は鏡面が露出していないためか怪異は現れていない。だが、カン君の取り込んだ記憶ではヤツは腕を伸ばして被害者を引きずり込んでいた。いつでも腕を使って掛け布を取り払うことが出来るのかも知れない。何があっても可笑しくはないのだ。

 いま、この瞬間。

 既に怪異が行動を起こしていても不思議ではない。

 例えば、そう。

 二人の意識外にいた女性を、おびき寄せていたとしても。

 不思議ではない。


「ねぇ、その鏡さ……」


 背後からの音に、カン君と筑紫は振り返る。

 それがナギの声だと認識したのは、ふらふらと歩く彼女を見てからだった。


「なんか変なんじゃない……?」


 何故ここへ、と咎めようとして、すぐにカン君は理由を悟った。


 ――正気、じゃない!?


 たった一時間程度の交流とはいえ、ナギという女性の性格はおおよそ把握できている。明るく、裏表のない、ハキハキと物を喋る性格だ。

 茫洋とした目付きで彷徨ったり、舌っ足らずに喋ったりなどしない。

 この瞬間のナギは、明らかに違っていた。


「だって、消えたアイツがさ、映ってるのよ……それって、変よね……?」


 ――何を、馬鹿な。


 冷や汗が背筋をなぞる。筑紫を見やれば、彼女もまた事態の異常さに唇を噛んでいた。

 ナギは、廃屋の外で待っていた。よしんば様子を見に和室まで来ていたとしても、鏡台には掛け布がされている。

 見えるはずがない。

 だからこそ、言葉は真実なのだろう。

 きっと鏡面には、ナギの知人だったという失踪者が映っている。

 両目を瞑った姿で。

 

「ナギさん、気を確かに……いや、ダメか!」


 カン君はナギへ叫ぶも、自分の声が一部の霊能者にしか届かないことを思い出した。これまで無能力者と過ごすなど滅多になかったのだから忘れていた。

 いま彼の声が届く人物は、一人である。


「……筑紫さま、彼女を連れて遠くへ!」

「がってん!」


 一般人の巻き添えが出そうとなれば、さすがの筑紫も行動せざるを得ない。

 彼女は小さな体躯を精一杯に走らせて、自分より二回りも大きいであろうナギへ突進を試みる。

 だが、遅かった。

 筑紫とナギが衝突しようという直前、ナギが、到来を告げた。


「ほら、やっぱり……いる」


 ごぽり、と鏡台が鳴った。

 それを背後に聞いたカン君は、その動きを目で追うことしかできなかった。

 掛け布が膨れあがり、細長い何かが勢いよく伸びる。

 腕のようだった。

 ただ、あまりに長かったため、人の腕ではない。

 それが伸びていく先には、正体をなくしたナギと。

 ちょうど彼女を突き飛ばさんとする筑紫だった。

 腕は、伸びるのをやめ、筑紫の首を掴む。

 くぐもった悲鳴が小さく鳴ったのを、カン君は他人事のように見ている。

 筑紫の口が、言葉の形を紡いだ。


 ――だいじょーぶ。


 そして、刹那のことだ。

 少女は、鏡の向こう側へ。

 ごぽりという音が再び聞こえてきた。

 倒れているナギと、残された自分。

 物言わぬ鏡台。

 カン君は、暗闇の中でようやく事態を把握して。


「――あああああぁぁぁぁぁ!」


 誰にも届かぬ絶叫を上げた。

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