覗けば、いる 7

 集合霊を取り込み終えたカン君が最初に抱いたのは、怒りだった。


 ――話が違う!


 安賀多の人のいい笑顔が、今となってはヘラヘラとしたそれにしか思えなかった。とはいえ安賀多も「視る」ことに関しては第一級で、だからこそ依頼の仲介人として信頼していたのだったが、やはり人は間違いを起こすものなのだろう、今回の件では完全に彼への信頼が仇となってしまっていた。


「筑紫さま、逃げましょう!」


 和室の様子を廊下から眺めていた筑紫へと叫ぶ。

 対する筑紫は、何が何だか分かっていないようだった。小首を傾げて助手を見つめる表情には「なんでそんなに焦ってるの?」という疑問が浮かんでいる。

 カン君の得た「記憶」はカン君しか知り得ていない。それを共有するには「腐水/ミツコさん」のときにやったように、カン君の霊体中に漂う該当霊魂を共有して「視る」必要がある。かといってその方法は互いに力を消費する必要があったし、時間もかかる。

 だから今は、口頭で伝えるしかなかった。

 真っ先に伝えるべきことは、何だ。

 失踪の原因は霊障ではなかったことか。

 集合霊は現世に残された残留思念だったことか。

 被害者たちは既にこの世から消失していることか。

 いいや、違う。重要なのは。


「この依頼、怪異が関わっています!」


   ◆


 怪異とは、あくまで便宜上の呼び名に過ぎない。実際に彼らがそう名乗っているわけでもないし、権威ある団体が名付けたわけでもない。

 ただ、彼らと関わる必要のある霊能者たちの中で自然発生した呼び名である。


 なんだかよく分からないもの。


 縁起も不明、動機も不明、生態も不明。

 そもそも生死も不明。

 死者であれば、理解は難しくても共感することは出来るだろう。幽霊――悪霊や亡霊、低級霊や生霊、地縛霊や動物霊などなど――といったものなら、その共感の一歩で無念を晴らしてやることも出来る。

 だが、人の理論から隔絶された何某かを相手にすれば、人に何が出来るのだろう。

 排除しようにも弱点が分からない、対話しようにも目的が分からない、共存しようにも意志が分からない。

 そういう、隔離するしかない怪物。

 有史より存在し続ける理解不能の化け物。

 それが、怪異というものだ。


   ◆


 カン君の警句を受けた筑紫だったが、それでも驚いただけだったのはさすがというべきか。


「えー! 安賀多の霊視、外れてるじゃん!」

「まったくです、簡単な依頼だなんて散々言っておきながら……ではなく!」


 危機感というものがまったくなかった。

 筑紫は確かに、その気になればどんな相手であっても「切り札」を使えば問題ないのだろう。その余裕が彼女の呑気さに直結しているのかどうかはともかくとして、とにかく今は対策を講じなければならない。

 カン君にとっては間違いなく、この依頼は手に余る仕事だった。


「ともかく怪異です、まずいんですよ!」


 朽ちた壁をバンと叩く仕草をする。焦った結果としてこのような行動を取ってしまったが、霊体であるところのカン君がそのようなことをしても、壁をすり抜けてしまうだけの間抜けなポーズを晒すだけだった。


「それで、どんなのが視えたの?」


 あろうことか筑紫は和室への一歩を踏み出しながら問いかけてきた。

 ミシリミシリと鳴る畳の声が、事態を悪化させんとする魔の囁きに聞こえる。


「どんなのがって……それはいいんです! まずは安賀多さんに報告して、それから対策を練りましょう! アヤメさんの到着を待ってもいいですし……」

「違うんだって、カン君」


 涼しげな顔のまま、筑紫は一言々々を言い聞かせるような静けさで喋った。


「このまま逃げてもね、あの子たちは追ってくるよ?」

「し、しかし! この廃墟から出られないかもしれませんし……」

「怪異に常識は通用しないって分かってるでしょ? それに、たぶんもう筑紫のことにも気付いてると思うし」

「……筑紫さまの血を、狙うと?」

「そうそう。それまでの間に通りすがりの人を襲ったりしたら大変だよ?」

「かといって、今やりあっても勝ち目はありませんし、筑紫さまの力を使うなんて以ての外!」


 言い合いをしている内に、二人は対面する距離にまで近付いていた。

 この流れはダメだ、とカン君は既視感を抑え込もうとする。

 だが、筑紫は、やはり右手を差し出すのだった。


「だから、一緒に考えようよ?」


 歯がみする。

 以前も、こうして記憶を共有し、筑紫を深入りさせてしまった。その結果として筑紫は切り札を用いてしまい、その反動で彼女は三日も眠り続けたではないか。次は何日眠り続けるか分からないというのに。

 今回もまた、そうなってしまうのか?

 カン君は何度も自問自答を繰り返した後に、筑紫の前で膝を突いた。


「……切り札は、なしですよ」

「じゃあ、カン君が頑張るって約束してくれたらね」

「……善処、いえ。約束します。この事件は、僕が解決すると」


 重たい約束だった。それでも構わない。

 カン君は、目の前の少女へと右手を差し出す。

 記憶の共有。

 集合霊の右手に集められた霊魂と、少女の右手が重なり合う。

 闇夜の廃屋で、二人の手を中心に淡い発光が広がっていった。

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