覗けば、いる 5
結局のところ、カン君が気絶させてしまった女性が目を覚ますまで林道に留まることになった。
寒い寒いと騒いでいた筑紫にとては過酷な仕打ちだったといえよう、カン君へ向けられる目には怒りが籠もっている。
対するカン君は何度も謝ったし土下座も行ったわけだが、それでも自責の念にぐるぐると苛まされている。
「……寒い」
「……すみませんでした」
不満そうな筑紫だ。薄暗い林道でじっとしているだけなのだから、至極もっともな怒りだった。
そうして計二十八回の「寒い」と「すみませんでした」が乾いた空気に染み込んでいった頃、ようやく女性が目を覚ました。
「うー、ん……?」
痛むのだろうか、頭を抑えている。可哀想なことに、高かったであろうコートは土埃に汚れてしまっている。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「えーと、うん。大丈夫、なのかな……?」
眠たそうな目で周囲を見渡し、自分を心配そうに見つめる筑紫を認識する。
「あなたは……えーと……」
まだ記憶の混濁が残っているようだった。女性は頭を軽く振って記憶の整理を試みる。
「お姉ちゃんが倒れていたから筑紫が助けてあげたんだよー」
「……あぁ、そうだったっけ」
にやり。
筑紫のいやらしい笑みは女性からの死角で作られていた。
「筑紫さま、なんてあくどいことを!」
「カン君、これは不幸な事故だったんだよ」
「……カン君? それって誰のこと……あー!」
女性は立ち上がり、筑紫を指して叫ぶ。
「思い出した! なにしれっと騙そうとしてんのよ!」
「ばれたかー」
筑紫は一切悪びれることなく、可愛らしく舌を出して誤魔化した。てへぺろである。
「……くっ、可愛い顔して誤魔化そうったって……!」
「やった、筑紫のこと可愛いって!」
「その無邪気な顔、全身で感情を表すあどけなさ……騙されないんだから!」
「筑紫、難しい言葉わかんなーい」
「ぐぬぬぬぬ……落ち着け私、これは策略よ……!」
筑紫と女性のやり取りを眺めつつ、カン君は思う。
――この人、何というか、危ない。
初見での印象は大人の女性だったが、こうして筑紫に翻弄されている姿を見ていると彼女の知的な雰囲気は吹き飛ばされてしまう。
残っているのは「なんかやばい」という警戒心を与えるに十分な醜態だった。
――さて。
カン君は思う。
もしかしたらこの二人はいい友人関係を築けるかもしれないが、今は依頼が先決だ。どうにかしてこの女性と別れて、廃墟の調査を始めなければならない。もう時間も経ってしまい、薄暗かった林道は夕焼けの光で紅くなりつつある。あと少しもすれば闇が落ちてしまい、霊の活動が活発になるだろう。
それでも依頼内容からすれば簡単な仕事ではあったが、早く帰らないと筑紫が風邪をひいてしまうかもしれない。カン君が心配なのはそこだった。
かといって、自分が声をかけたのではまた筑紫が不用意に返事をしてしまい、女性に訝しがられてしまうだろう。
だからカン君は、無言で廃墟の方向を指差した。
女性とじゃれあっていた筑紫はそれに気付き、ようやく本来の目的を思い出す。
「あ、そうだった。あのね、お姉ちゃん、筑紫は用事があるんだ」
「なに、どうしたの? お姉ちゃんの家はちょっと遠いけど大丈夫よ?」
――こいつ、交番ではなく自宅が目的だったか!
迂闊に目を離せない。警戒を強めるカン君。
「お姉ちゃんとこじゃなくて、あっち」
小さな指で指された方向は、暗い林の奥である。
「え、あっちって……」
女性は数秒の沈黙を挟んで、女性は固い目付きで筑紫に言う。
「もしかして、廃墟の噂を聞いてきたの?」
うん、と頷く筑紫の肩へと女性は手を置いた。
「ダメよ。あそこは本物だから」
彼女は、しっかりと言い聞かせるように、強く伝えた。
カン君は察する。
――この女性、何か知っている。
これまで単なる通りすがりかと思っていたが、もしかしたら廃墟に用事があって来たのかもしれない。
例えば失踪者の親族や友人、あるいは廃屋の持ち主かその知り合い。
それとなく目配せをすると、筑紫は小さく頷いてくれた。
「お姉ちゃん、なにか知ってるの?」
「知り合いがいなくなっちゃったの、あそこに行った人がね」
「……悲しい?」
「うーん。まあ、ちょっとだけ。そこまで仲良かったわけじゃないし。でもね、あなたが消えちゃったら悲しい。私が止められなかったからって分かるから」
「そっか。それなら大丈夫だよ」
筑紫は女性を見上げ、自信満々に胸を叩いてみせた。
「筑紫とカン君が、悪いお化けを助けてあげるんだから」
「またカン君って……いえ、それより『助ける』って? 悪いお化けを?」
筑紫の台詞に複数個の疑問を抱いた彼女は、何から聞けばいいのか決めあぐねているようだった。
カン君というのは想像上のお友達か、悪いお化けなど存在するのか、するならばそれを助けるとは、どれを取っても一般人には理解できない事柄だっただろう。それを同時に喋られたのだから、女性の困惑は当然だった。
「そういうわけだから、筑紫は行くね」
「あ、ちょっと待ってよ! 怖くないの? もうパパやママに会えなくなるかもしれないんだよ?」
小さな子ども相手に語るのなら、違和感のない文句ではあっただろう。
ただ、その言葉は筑紫にとって、意味を成さないものだった。
「筑紫が怖いのは、お母さんに会うことだけだから」
およそ彼女の事情を知らぬ者からしてみれば、常識離れした返答だ。
そして、カン君もまた、筑紫の事情を知らぬ者の一人であるのだと、そう再認識させられてしまう言葉だった。
女性が止めるのを聞かずに歩き出す。
筑紫は、暗闇の奥へ。
カン君は戸惑った。
自分も行く。当然だ。
だが、筑紫のことを何も知らない自分が、隣に立っていいのだろうか? 迷惑ではないだろうか?
一部始終を見ていた今のように、単なる傍観者に徹するべきなのだろうか。
脚にまとわりつく疑念がぽつぽつと浮かび上がってくる中、筑紫はこちらへと振り返る。
あの右手を振って、呼んでくれるのだった。
「ほらカン君。行こう?」
◆
というように格好良く別れておきながらも、結局女子大生風の彼女が同行することになってしまったのは、つまるところが押しの強さに負けてしまった二人の責任だった。
本来ならば危険な場所に一般人を巻き込んでしまわないよう注意するのは大前提なのだが、向こうから勝手に押し入るのを止められるだけの力は二人にはない。
その際に行われたやり取りは、以下のようなものである。
◆
「だって、警察も捜査を諦めたって場所なのよ?」
「知ってるもん。だから筑紫のとこに来たんだよ?」
「……なに、あなた探偵とか?」
「うーん、ちょっと違うけど……まぁ大体同じかなぁ?」
「霊障専門の探偵、とでも伝えましょう」
「さすがカン君! あのね、筑紫たちはお化け専門の探偵で……」
「また出たカン君! 誰なのそれ、怖いんだけど」
「カン君はね、お化けなんだよ」
「ひぃっ」
「筑紫さま、彼女が怯えていますから」
「うーんと……カン君は、悪いお化けじゃなくてね、筑紫を手伝ってくれてね」
「いやでもお化けなんでしょう? ていうかお化けって、その、本当にいるの?」
「いるよ。――今もお姉ちゃんの後ろに」
「ひぃぃ」
「筑紫さま、楽しんでませんか?」
「えへへ、まぁねー」
「また一人で笑ってるわ、この子……」
「だから、筑紫とカン君がいれば廃墟のお化けも簡単だよ」
「納得できないってば。こんな小さな女の子一人で……」
「カン君もいるんだって!」
「ひぃぃぃ……う、嘘でしょ? お化けなんて……」
「……よければ、何かしましょうか?」
「おっけー、じゃあカン君、あの小石を動かしてみて」
「え、ちょっと、なにを」
「騒霊の真似事など柄ではないのですが……はっ!」
「ひぃぃぃぃ!」
「けらけら」
「筑紫さま、けらけら笑っていないで説明を」
「お姉ちゃん、これで信じてくれた? まだだったら、他にも色々あるけど……」
「僕の霊体残量も考えていただければ助かります」
「いい、もう大丈夫!」
「よかったよかった。それじゃ、今度こそバイバイだね」
「……やっぱり、ダメよ。だって、あなた……」
「カン君」
「……はっ!」
「いやあぁぁぁぁぁ!」
「あはははは!」
「はー、はー……違うの、分かったのよ。そういうのが本当にいるってことは!」
「ありがたき幸せ」
「カン君に言ってないと思う」
「あなたがその、お化け専門の探偵だっていうのも信じる。……だからこそ、私が必要なんじゃないの? 少しは情報も持ってるし、関係者とも言えなくないしね」
「うーん、でも簡単そうだしなぁ」
「そんなこと言わないで! あのね、あなたのことが心配なの! 行かせちゃって何かあったら……」
「もう、心配しすぎだって」
「心配するわよ! あんな、小石一個を動かせるだけのパートナーだけじゃ危ないわ! この辺の木全部倒せるくらいじゃないと!」
「カン君」
「出来ません」
「……ほら、ほらぁ! 出来ないでしょ!?」
「……筑紫さま、この方は梃子でも動きそうにありませんが」
「うーん……まぁ、すぐ終わるだろうし、大丈夫かもね」
「え、なに? 連れてってくれるの? よっしゃあ!」
「……カン君、この人、ちょっと変かも」
「気付くのが遅かったようですね」
「ありがとう筑紫ちゃん! あ、筑紫ちゃんって呼んでいい? フルネームは?」
「……筑紫は筑紫だから、そう呼んでいいよ。カン君もカン君だし」
「……ふぅん? コードネームみたいなのね」
「そういう決まりなんだ」
「じゃあ、私は……ナギって呼んで? うん、それがいいわ。よろしくね、筑紫ちゃん」
◆
以上のようなやり取りがあり、ナギと名乗った彼女が同行することになった。
なお、道中でナギが披露した情報は噂程度のものが全てで、まるで役に立たなかったという。
さすがの筑紫も、それを面と向かって伝えるのは憚られたのか「ありがとうね、ナギ!」と屈託のない笑みをプレゼントした。
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