覗けば、いる 4
その廃屋は、電車で四十分ほど移動してから更に徒歩数十分という場所にあった。
筑紫とカン君の行動範囲にちょうど重なるか否かといった距離で、ここまでは筑紫の「電波少女」の噂は広がっていない。
安賀多からの仲介を受けた翌日、まだ日の高い正午過ぎである。
近隣では大きな自然公園が有名で、休日ともなれば子ども連れの家族が足を伸ばす、そんな場所だ。
大きな道路の脇にはぽつぽつと飲食店があり、後は駐車場やコンビニくらいしかない隙間だらけの風景だった。
その道路をわざわざ歩くような人は少なく、古くから住む老人や気まぐれを起こした者、そして事情を持った筑紫たちだけだ。
まだまだ冬の寒気は鳴りを潜めず、彼女は厚着なのにぷるぷると震えている。隣をゆくカン君は、やはり寒気など何のその。
「うううぅぅ……こんなところに人なんて住んでるの……?」
「だから、廃屋になったんでしょう」
「……な、なるほど! カン君頭いい!」
「何しろ多数の記憶をいただいてますから」
通行人がいなくてよかった、と思うカン君だった。こうして外で気ままに話せることなど、そうそうない。
都会の煩さもなく、実に上機嫌だった。
時折走る自動車の運転手が不思議そうな目で見てくるのは気のせいだ。そう言い聞かせる。
「寒い寒い……あとどれくらいで着きそう?」
「……僕は地図もスマホも持てないので分かりませんね」
「筑紫もスマホ持ってないって知ってるくせに……」
「これに懲りたら、次のスマホは大切にしてください」
「はーい……」
しぶしぶ了承する筑紫だった。ここ二日を厳しく接した成果だろう、カン君の身を切る想いが成就した瞬間だった。
さて、とカン君は出発前の記憶を思い起こす。
地図で念入りにチェックした経路によれば、今通り過ぎた飲食店から数分歩いて細道に入れば目的地はすぐだったはず。
他に分かれ道は無かったので、迷うことはない。
「あぁ、あそこです。そこを曲がればすぐ着きます」
「やった、休憩できる!」
「できません。廃屋ですから風を凌ぐ程度しか暖かくないですし、座れるような椅子もないでしょうし、そもそも仕事です」
「ぶー!」
不満の表現だろうか。
これも教育、無視することにする。
そうこうしている内に細道まで来た。
それまでは曲がりなりにも幹線道路の脇を歩いていたのが、突如として鬱蒼と茂る木々が口を開いている。
自然の天井が日光を遮っていて、昼でも薄暗い道が伸びていた。
――いかにも、だな。
夜になれば効果倍増、心霊スポットとして知られるのも理解できる。
それだけに、カン君は胸をなで下ろした。
闇には霊魂が集まりやすい。特に縁起を忘れ暗い念に囚われただけの霊は、こうした場所を好む傾向にあった。むしろ恐ろしいのは常識から外れた理外の者であり、そういう意味では「いかにも」なものは対処方法が幾らでも思い付くということの証左でもあった。
ここまでは、いい。いかにもな場所でいかにもな霊と立ち会う。そして取り憑き、霊魂の主導権を得る。
何てことのない依頼に思えた。
だから、油断が生まれていたといえば首肯するしかなかった。
「……誰!?」
聞き覚えのない女性の声が耳に届く。
「ぬおぉ!?」
珍妙な声が出たことを、誰が咎められるだろう。見られて困るものでもない……というか、視られているはずがない。そういう生活を長く続けてきていたものだから、カン君は自分が呼ばれたのかと思って心臓を飛び上がらせた。
「……あははははっ! カン君、ぬおぉだって!」
筑紫は既に来訪者に気付いていたようで、けらけらとお腹を抱えて笑っていた。
「……カン君? もう一人いるの?」
筑紫の反応に首を傾げたのは、誰何の主だった。
飾りっ気のない白のシャツに黒のズボン、ベージュのコートというすらりと伸びた直線的なイメージを与える女性だった。こちらを訝しむ顔は警戒できつく見えるものだったが、そのふっくらとしたえくぼの跡から普段は笑顔の絶えない明るい女性なのだと窺える。同年代より大人びた女子大生といった彼女は、薄暗い林の中から出てくるには場違いだった。
いかにも正義感が強そうで――たった一人で細道を歩く少女を見咎めても違和感はない。
それも、虚空に対して「カン君」などと語りかける筑紫相手ならば特に、だ。
「あなた、この辺の子?」
当然のことながら、カン君の姿は視えていないようだった。筑紫の方へのみ視線を投げかける。
自分の姿が視える者か――見知らぬ霊能者と鉢合わせれば除霊されるかもしれない――と危機感を抱いたカン君だったが、それが杞憂だと分かって額を拭うカン君だった。
しかし、一難去ってまた一難。
――まずい!
相手が一般人で、迷子のように見えなくもない筑紫を見咎めたとあれば――次に待っているのは通報からの身元保護という流れだった。
「筑紫さま、どうか一般人のふりを!」
「え、なぁにカン君?」
――だめだった!
カン君の危惧は大当たりだった。
近寄ってきた女性からすれば、少女に声を掛けたらあらぬ方向に返事をしているようにしか見えない。
女性を見やれば予想通り、迷子に対する興味から不審者へのそれへと一瞬で切り替えていた。
「……やるしかありませんか!」
心を決めたカン君は、実力行使に出ることにした。
精神を統一、集合霊の核たる自我を死人のそれと意識する。
余力は十分、どうせ後には簡単な除霊で霊体も補給できる。
「あれ、カン君……なにするの?」
「ねぇあなた、お名前は何て言うの? 怖くないから、お姉さんとちょっと一緒に……」
――交番か、そうはさせない!
彼女に罪はないが、筑紫が補導でもされれば経歴のボロを突かれて面倒なことになる。
イメージするのは霧、物体の常識を無いものと思いこむ。
目指すは女性の背後、一瞬で霊体を移動させて回り込んだ。
女性の後頭部――緩く茶色に染めた長髪を目前にする。
狙うはその奥、人体の弱点たる首だ。
「……失礼します」
肺を膨らませ、溜め込んだ呼気――霊気を、首へ。
――ふぅっ。
と、吹きかけた。
霊体を削って行われたそれは、すなわち感触を持つ。
要するに、不意打ちで首もとに息を吐いたのだった。
生者でさえ不快感でいっぱいの仕打ちである、今度は女性が飛び上がる番だった。
「ひやぁぁぁぁ!?」
元から意識が前方――筑紫の方へと向いていたところへの不意打ちだ、効果は絶大だった。
女性は何とも可愛らしい悲鳴を上げて、その勢いのまま見事にバランスを崩してしまい、両手で受け身を取る暇もなく倒れてしまった。
ごちん、と頭を打った音がする。
しまったと思っても遅い。
カン君の攻撃――幽霊らしく生者を驚かせて遁走させてやろうという目的は失敗に終わった。
女性は目を回して気絶、後の祭りである。
「か、カン君なにやってんの!?」
「……いや、これは不可抗力で」
「いきなり霊体使って何するかと思ったら、お姉さんにふーって!」
「驚かしてこの場を切り抜けようと……」
せめて意図だけは分かってもらいたい、しどろもどろのカン君だった。
そこへ追い打ちの筑紫である。
少女は小さな胸を膨らませて、精一杯に叫んだのであった。
「へんたいだー!」
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