覗けば、いる 3

 ドアの前まで来ると、中から話し声が聞こえてきた。

 磨りガラスで中は見えないが、どちらも聞き覚えのある声だったので中の風景は想像できる。


「筑紫さま、戻りました」

「おっかえりー!」


 愛するスマートフォンの帰宅を心待ちにしていた筑紫が、目を弓なりにしてドアを開ける。

 そしてカン君が手ぶらでいるのを見て、数秒静止し、眉をハの字にして問う。


「……どうして?」


 悲愴感たっぷりだった。愛する者との再会が打ち破られたのだ、さもありなん。カン君も釣られて悲しい気分になってしまう。


「もう数日待ってほしい、とのことです」

「そんな、もう一秒だって待てないのに!」

「筑紫さま、お気を確かに……!」


 よよと泣き崩れる筑紫の肩を支えてやる(そういう姿勢をする)カン君、無念で唇をきつく結ぶのであった。

 そこへ、先程まで筑紫の相手をしていた男が割り込んでくる。


「いやはや、仲良きことはよいことだ!」


 年は三十後半といったところだろう、若さを思わせる力強さと豊富な経験を感じさせる逞しさを兼ね揃えたスーツ姿の男だ。

 彼は人慣れした笑顔を浮かべながら、カン君へと会釈した。


「安賀多さん、お久しぶりです」


 カン君は寸劇を中断し、安賀多へと礼を返す。

 いまだ泣き崩れている筑紫を脇に、珍しい来客へと尋ねた。


「ここまで顔を出すのは珍しいですね?」

「それがね、筑紫ちゃんに電話したら繋がらなくってね」

「あぁ、そういうことでしたか」


 筑紫のスマートフォンはお釈迦である。残骸を探して部屋を見ると、綺麗に片付けられていた。筑紫が掃除するはずもないので安賀多だろう。


「わざわざ掃除してもらって、どうもすみません」

「なぁに、これくらい! いつもお世話になってるんだから」


 遂に筑紫が床でジタバタし始めていたのが目に入ったが、カン君は心を鬼にして放置することにした。スマホ中毒への荒療治である。


「それで、安賀多さん。今日はどのような?」

「そうそう忘れてた! 筑紫ちゃんと話してると時間を忘れちゃうね」


 安賀多は手をポンと叩いてから、来客用テーブルに置いてあった鞄を取る。

 中から取り出されたのは数枚の紙だった。


「依頼があったんだよ。本当はアヤメ君にでも仲介しようと思ったんだけど……」

「もう帰ってくると聞きましたが……」

「面倒に巻き込まれたからチャチャッと片してくる、だってさ。で、こっちも急ぎだから君たちに回そうと思ってね」


 安賀多が自然に紙束を渡してくるも、カン君はちょっと困った顔をした。


「すみません、無駄に霊体を削りたくないので……」


 受け取るのにも一苦労なので、筑紫を呼ぶ。


「いつまで駄々をこねてらっしゃいますか」

「うぅ……スマホ……ほしい……」


 怨霊のような声を上げ、すんすんと鼻を鳴らす。

 カン君は保護欲ゲージが振り切れそうになるのを必死の思いで(霊体を削って)抑え込み、一歩後ろへと下がる。

 あくまで自分は従であり、主は筑紫だ。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている手を差し出し、安賀多がさりげなくハンカチで拭って、カン君は嫉妬を全力で抑え込み(霊体残量八割)、ようやく受け渡しが完了される。


「はい、カン君」


 筑紫が紙束を、カン君にも見やすいように広げた。それを隣からカン君が覗き見るという形だ。

 書かれていたのは依頼人の顔写真、名前、そして依頼内容である。


「たぶん単なる亡霊退治なんだよね、今回のは。君たちみたいな根治型じゃなくても可能なんだけど」


 内容は、確かに単純だった。

 最近心霊スポットとして有名な廃屋で行方不明者が出ているから、原因を割り出して除去すること。

 現実的な事件としては、大事おおごとではある。しかし、この界隈に依頼が来ているということは既に警察も八方塞がりで解決に消極的なのだろう。そうでなければ安賀多の――心霊専門探偵社などと怪しい場所に依頼が来るはずがない。

 そして、こういった依頼は筑紫たちの元には仲介されてこないのが普通だ。

 安賀多の仕事は、自分の元に来た依頼を「視て」精査し、解決に適した人材を紹介することである。


 全国に広がる安賀多のネットワークには、様々な霊能者がいる。

 例えばメディアに取り上げられるような著名な霊能者――霊能力の真偽は問わない――もいれば、悪魔払いの聖職者に調伏の修験者、地方に根を張る拝み屋稼業やアヤメのような荒事専門など様々だ。筑紫とカン君のようなイレギュラー、問答無用で還したり死者への聞き込み調査で解決するような手合いが必要となる依頼など、そうそうない。


「廃屋の調査なんて、どうせタチの悪い集合霊の仕業だろうと思うんだけどね。ボクが視た感じもそうだったし」

「でも、人手が足りない……ですか?」

「そういうこと。君が筑紫ちゃんを働かせたくないってのは分かっているんだけど……」


 申し訳なさそうに頭を掻く安賀多だった。


「……むう」


 唸るカン君。あまり乗り気ではない。


「確認したいのですが……依頼主に厭なモノは視えましたか?」


 そんなことはないよ、と安賀多は軽い調子で言った。


「そこら辺に浮いてるような霊の残滓しか視えなかったから。たまたま場に集まっちゃったんじゃないかな」


 再び唸るカン君。

 筑紫の出る幕などないような案件とは思える。

 自然発生的な集合霊の仕業であるのなら、確かに簡単だ。

 カン君のような例外を除いて、集合霊とは特に目的を持たない。ただ小さいものが大きいものに吸い込まれているだけだ。その霊的な場に当てられて精神を壊してしまった者が彷徨って行方不明となる事例は多い。

 だからカン君にとっては取るに足らない相手――美味しい動力源とも言える。

 継ぎ接ぎの霊体相手ならば憑依は簡単だし、巨大な無念怨念に逆に取り込まれてしまう危険性もないのだ。


 ――しかし。


 紙束を捲っている筑紫を見る。

 万が一にも彼女が力を使ってしまうような状況は避けたい。

 同時に、筑紫の意向は最大限尊重したい。


「……筑紫さま、いかがですか?」


 要するに、彼女に従うまでだった。

 水を向けられた筑紫は指を止めて、何でもない風に軽く言う。


「受けちゃおうよ? どうせ暇だし」

「分かりました、仰るままに」


 筑紫が頷けばカン君も頷く。こうして意志決定がなされたのだった。


「いやぁ助かるよ! それじゃ、早速だけど取りかかってもらえるかな? いつも通り、経費と報酬は後で出すからね」

「はいよー」


 こうして次の事件が始まる。

 廃屋に棲まう霊を排除せよ、という簡単なもの――に、なるはずだったのだが、背後に潜む因縁までは、まだ二人には視えていなかった。

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