第二章

覗けば、いる 1

 今日も今日とて閑古鳥。

 都市部の外れ、古い雑居ビルのある一角。

 表向きは「日向製作所」との看板を掲げてはいるけれど、その実態が不明であれば尋ねる人など皆無に等しい。

 そういう都市部の空白に、筑紫は住んでいる。


「ねーカン君」


 スマートフォンを両手で持って、彼女は同居する彼を呼んだ。

 場所は定位置、少女には不釣り合いな大きな事務机と椅子だった。

 多忙なときも暇なときも、筑紫はこの場所に陣取っている。

 その対面、来客用の椅子にはむっつりとした顔で青年が座っていた。

 名前を呼ばれたカン君である。


「ねーねー」


 動く気配のないカン君に、筑紫は再び呼びかけた。

 とはいっても筑紫の意識はスマートフォンに向いたままで、画面内では中世騎士風のキャラクターたちが戦いを繰り広げている。

 タッチ、画面内での会話が進む。敵の親玉との最終決戦だ。

 なお、現実での会話に変化はない。

 スマートフォンに夢中な筑紫と、腕組みをしたカン君がいるだけである。


「ねーねーねー!」


 強めで、三回。

 それでも筑紫の視線は手元に落ちたままだったし、カン君もまた意図的に聞こえないふりをしていた。

 さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、筑紫は端末をぶん投げた。


「どーして無視するのー!?」


 哀れスマートフォン、カン君をすり抜け椅子に直撃である。


「あぁぁ筑紫のスマホがぁぁぁぁ!」

「……筑紫さま、乱暴はやめてください」

「カン君が無視するからだよ!」

「あぁ、また修理に出さなければなりませんね……日向さんも可哀想に」

「そうだね、いじわるカン君のせいで壊れちゃったもんね」

 

 その壊れちゃったスマートフォンはというと、液晶画面に罅が入っていた。

 起動はしているようなので、癇癪の犠牲にしては小事で済んだといえるだろう。

 無茶苦茶な……と呟きながら、カン君はようやく立ち上がって筑紫を見た。


「さて、筑紫さま……ゲームばかりやってはいけないと何度も伝えたはずですが」

「なによぅ……今日はそんなにやってないでしょ?」

「僕の記憶では午前十時から遊んでいたようですが」


 ちなみに現在は午後の三時半、昼食抜きでぶっ続けだ。

 この日向製作所は西側に窓を持つ。殺人的な西日が部屋を照らしていた。


「あ、そろそろ六時間になるのかぁ」

「のんびりと言わないでください!」

「うひー眩しい。日光が筑紫の目を刺すよー」


 スマートフォンを自ら破壊したので、手持ちぶさたの筑紫である。

 ようやく椅子から離れ、背後のカーテンを引いた。


「よくもまぁ、今まで座りっぱなしでいられましたね」

「さすがに疲れちゃった! それでカン君、なんか飲み物ほしいなーなんて……」


 なんとも切り替えの早いことだ、とカン君は頭に手を当て溜息一つ。

 こうして事件の依頼が何もない以上、あとの時間をどう過ごそうと自由ではある。

 今まで強く言えなかったのも、それが原因だ。


 ――だからといって、毎日ゲームでは。


 筑紫はその特殊な生い立ちから、教育機関に通った期間は短いのだと聞く。

 もちろん日常生活をしてゆく上ではそれでも構わないのだが、いずれ彼女が苦労してしまうであろうとカン君は考えているのだった。

 ゲームよりもお勉強、お年頃の少女には厳しい指針かもしれない。

 しかし大事なことだ。

 カン君は腰で手を組んで、諭すように告げる。


「筑紫さま、この社会では勉強が大事です。このままでは将来、立派なお嫁さんには……」

「うわ、カン君がめんどくさい大人みたいなこと言ってる」

「失礼な。……しかし、筑紫さまのためなら教育ママにもなりましょう」

「教育……ママ……?」


 子どもに厳しい教育を施す母のイメージ。

 もっともカン君には生前の記憶など露ほどにしか残っていなかったから、今の台詞は「そういう母親が言いそうだ」という程度のものである。

 ともあれ、勉強をさせないといけない。

 古いものではあるが、教科書や参考書は筑紫の自室で埃を被っていたはずだ。

 幸いにしてカン君には今まで取り込んできた霊たちの知識がある。家庭教師の真似事くらいなら可能だった。


「さぁ、それでは早速……」


 自室でお勉強を――と言いかけたところで、思わず口を噤んでしまう。

 筑紫は物思うように、小さく俯いていた。

 その表情に暗い影が落ちていたのは、カーテンを閉めたからではないだろう。


「……筑紫さま?」


 何か粗相を、と考えて、すぐに思い当たった。

 日向に聞いたことがある。

 筑紫に母親の話題は禁忌である、と。

 理由は聞かせてもらえなかったが、何度も言いつけられたものだった。

 しまった、と不注意を嘆く。

 意図しないまでも、教育ママという単語を使ってしまった。


「……すみません、筑紫さま」


 誠心誠意、頭を下げるカン君。

 白い床を見つめて数秒、カン君は筑紫の動く気配で目を上げる。

 筑紫は、天井を見上げて言った。


「ううん、大丈夫だよ。ただ……お母さんは今ごろなにしてるのかなって」


 カン君はその遠い目に胸が締め付けられるような思いに駆られる。

 だが、筑紫の言葉を反芻して、はたと気付いた。


 ――亡くなったわけでは、ない?


 意外だった。

 日向から聞いていた話から、おそらく大好きだった母親を亡くしたのだろうと勝手に思っていた。

 しかし、先の言いぶりからは存命なのだということが伝わってくる。

 では、なんだろう? 家出、勘当――と言葉が浮かんでくる。


 ――いや、これはルール違反だ。


 大袈裟に頭を振る。

 この業界には、特異な経歴を持つものが多い。ある者は命を賭けた修行で同期を亡くしたり、両親が怪しげな霊能者に全財産を奪われたり、時には想像もつかない理外の過去を持つ者もいるのだという。

 だから、霊能者たちは過去を探り合わない。

 筑紫やカン君、日向といった面々が姓名を明かさないのも、暗黙の了解に従った結果だった。

 その距離感を、壊してはならない。

 カン君は己の不明を恥じ、再び頭を下げるのだった。


「ほらカン君、頭上げてよ」


 今にも土下座をしてしまいそうなカン君に対し、筑紫が声をかける。

 先程までの重い空気を打ち消す、いつも通りの明るい声色だった。


「筑紫は気にしてないから……」

「いえ、これは僕の失敗ですから」

「そんなことないよ」

「そんなことあるのです」

「……じゃあ、筑紫のお願い聞いてくれる?」


 何なりと、とカン君は顔を上げる。

 目の前にあったのは、悪戯っぽい笑顔の筑紫だった。


「日向から新しいスマホもらってきて。今すぐ、ね?」

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