聞いたら、来る 7
夜の帳が落ち、ビル群の窓から光が落ちている。
月の光も星の光も見えない、人工の星だった。
星の輝く夜は寒い。
その理に漏れず、今宵もまた冷気が二人を包んでいた。
「うー……」
ぶるぶると震えているのは筑紫だ。
セーターの上に外出用のポンチョを着込んでいる姿はもこもことしていて、さながら照る照る坊主だな、とカン君は思う。
こちらは普段通りの格好――せいぜいが秋服というところの薄着だ。
「カン君はいいよねぇ、寒くないんでしょ?」
「……筑紫さま、それはデリカシーに欠ける発言かと」
好きで死んだわけではない――とは言い切れないものの、自殺には違いなかった過去がある。
とはいえ、やり残したことなんて思い出せないほど今の生活が好きなのだから、どうでもいいことなのだが。
これでも生きているのだ、生者と同じだと自分に何度言い聞かせたことか。
気心の知れた相手であっても、カン君はこの手の話題には怒りを覚える性格だ。
筑紫を除いて。
彼女にだけは、何を言われても気にならなかった。むしろ遠慮のない物言いにこそ心地よさを覚えるほどだ。
だから、彼女を守るためなら何でもするし、脅かすものは排除する。
「……筑紫さま、あそこですね?」
筑紫の霊視が指した場所は、被害者たちが通勤していた会社のすぐ隣だった。
数日前に張り込みに使った喫茶店は、もう客もまばらだ、暇そうにしている店員の姿が外から見えた。
その正面に浮遊霊と会話した会社があり、そこから視線を右に移す。
「……うちと似てるビルだね」
いわゆる雑居ビルである。
雑貨、整体、企画など、様々なテナントが各階に入っているようだった。
どこにでもありそうな、それでいて詳しくは分からない――筑紫の住む「日向製作所」が入るビルと同じようなものだ。
「どの階に、遺体はありそうですか?」
「うーん、筑紫が視たときは、低い場所だったよ」
「低い、というと……一階の?」
「そうなんだけどね、もっと奥で、真っ暗なの」
となると、従業員用の物置などだろうか。
一階には雑貨店が入っているようで、個人営業なのだろうか、もうシャッターは降りていた。その奥に商品を仕舞っておく部屋があるというのは十分に考えられることだ。
「僕の出番、ということでしょうか」
中に入るには、当然解錠しなければならない。しかも正面には警備会社のステッカーも貼ってある。生身の人間が侵入するのは難しいだろう。騒ぎが大きくなってしまえば、筑紫は日向の庇護を受けているとはいえ経歴を叩けば不審な情報が幾らでも出てくる。
一般人には見ることすら出来ず物質をすり抜けられるカン君ならば、容易い。
「ひとまずの目的は、一階の探索ですね。そこで悪霊の遺体を発見できれば、かなり進展です」
「でも、気を付けてね? 遺体を持ち帰ったってことは、そこがミツコさんの巣かもしれないんだから」
もちろんです、とは頷きつつも、そうはならないだろうという推測もある。
ここまで接近しているのだから、強大な霊が潜んでいればカン君でも気付ける。彼よりも霊的な力を持つ筑紫ですら何も感じていないのだから、ここで鉢合わせになるという可能性は無いに等しかった。
そのことを筑紫に伝えると、彼女は少し難しい顔をした。
「それはそうなんだけど……なんか、あるんだよね」
「直感ということでしょうか」
「それもあるんだけど……やなやつの……残り香、というか……」
歯切れが悪いながらも、高感度の知覚力が黄色に点滅しているようだった。
ならば、用心に越したことはないだろう。カン君は考えを改める。
「筑紫さまは遠くにいてください。僕も、危なくなればすぐ逃げますから」
今のままミツコさんと対面するのは不味い。
まず間違いなく勝ち目などないし、二手に分かれているのなら尚更だ。
「分かった」
筑紫の首肯を確認して、カン君は歩き出す。
シャッターの正面に立って、精神を集中させた。
霊体とて、生前の感覚に引きずられる。ここから先は進めない、そういう巨大な先入観が横たわっていた。
だから、思いこむ。
自分は通れる、壁なんてない。
形を持たない霊体の力を最大限に発揮するため、そういう認識を作らなくてはならない。
だんだんとカン君の体が、薄くなっていく感覚がある。
そのまま、背中から風に吹かれるようなイメージをした。
ふわり。
目を開けば、光の閉ざされた店内に入っていた。
――まだ九割くらいはいける、か。
カン君が霊体の特殊な力を使うのに必要なのは自分の霊体である。
生前の常識を一時的に打ち消すことで、その間は完全な死者となる。そうなれば集合霊の宿命として、その霊体はバラバラに拡散されてしまうのだった。しかし、だからこそ、死者としての力を行使できる。先のすり抜けによって手放された霊体は一割未満、まだまだ余裕はありそうだ。
――だが、無駄遣いはできない。
霊体を五割も削ってしまえば集合霊としての輪郭を形成しづらくなり、動きが鈍る。三割も切れば新たな霊体を補給しないと満足な活動は行えない。
店内を見渡す。
非常灯の明かりで薄ぼんやりとしか視認できないが、大小のショーケースが幾つも並んでいるようだった。
筑紫の話では、もっと奥。
レジの向こうを見れば、従業員用の扉があった。
躊躇うことなくすり抜ける。残り八割。
中にはロッカーがずらりと並べられている。
どこかから低い連続音が聞こえる。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………
なにかの機械が稼働しているようだった。
その音が、ロッカールームを徘徊している何者かの唸り声のようで、カン君は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
――気のせいだ。
生前の感覚に引っ張られている。冷や汗なんて流れていない。
しかし、そう思ってしまうほど、不気味な闇だった。
早く目的のものを見つけ出そうと切り替える。
ロッカー、ロッカー、ロッカー……と、その奥に扉を見つけた。
いかにも厳重そうな鍵がかかっている。おそらく責任者しか入れないような部屋なのだろう。
歩き出す。
すると。
腐った水の臭いがした。
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