聞いたら、来る 6

 それからの調査は、あまり芳しくないものだった。

 悪霊や浮遊霊を取り殺したと思われるミツコさんに関する情報が集まらない。

 知り合いの霊能者や民俗学者にそれらしき話を知らないかと問うても返ってくる答えは「知らない」のみで、怪談の大学生が見たという身津沼なる場所もまたどこにあるのか、そもそも本当に存在するのかが分からないままだった。

 時間は刻一刻と迫ってきている。


「僕たちが怪談を読んでから、もう四日目ですね」


 カン君と筑紫は連れだって歩いている。

 会社員の悪霊を憑依除霊した交番近く、長閑のどかな住宅街だ。

 日が落ち始め、筑紫の足取りはどこか頼りない。疲労に足を引きずられているのだった。この日の調査を始めてからかなりの時間が経っていることが如実に見て取れた。


「まだ二週間には早いけど、急いだ方がいいみたい」

「焦らせないでください、筑紫さま」


 しかし、事実だとも思う。

 このまま何の手掛かりもなくミツコさんと遭遇してしまえば、カン君程度の力ではどうすることもできないだろう。

 事前に情報を集め、弱点を知って対処を練り、相手への恐怖を無くす。

 恐怖が残っているようでは、カン君の特技である「憑依」は成功しない。相手を説得して取り込むのなら話は別だが、以前のような例は特別だ。


 恐怖とは、未知への畏れだ。

 畏れていてはいけない。

 憑依は、相手より「強い」魂でなければならなのだから。

 カン君の力が通用しないとなると、後は筑紫に頼るしかない。


 ――それだけは、避けなければ。


 筑紫を守る。

 筑紫に力を使わせない。

 そのために、今は情報だ。

 カン君の力のみで事を終えられるように。


「筑紫さま、少々お待ちを……」


 カン君が取り込んだ霊たちの記憶は、かなり限定されたものだ。

 全てを細部まで記憶できる人間などいないし、特に霊体ともなれば生前の無念に強く関わることしか残っていない。だから曖昧な印象としてしか彼らの記憶を呼び起こすことはできない。

 それを踏まえてカン君は、おおよその当たりを付ける。


「怪談を聞いてから約一週間、といったところで異変に気付き始めるようです」


 ミツコさんに殺された霊の魂をたぐりよせ、その記憶を掬い取る。

 これまでに取り込んだ他の記憶もまた同時に浮かんでくるため、詳細まで思い出そうとすると判別に時間がかかる。

 乱雑で巨大なアルバムを読むような感覚だった。

 それぞれの頁が違う者、違う時期のものとなっている。

 その中から目的の頁を見つけ、読み込む。そんな作業だ。

 カン君は歩みをとめ、眉間に皺を寄せながら思い出す。


「気配が近くなって数日、腐った水の臭いと共にソレが現れます」


 それから、どうなる。記憶を手繰る。


「最初の人の場合は、数回遭遇しています。途中で僕たちの同業に連絡を取ったからか、若い彼の場合よりも長く生きられたようですね」


 浮遊霊として会社を眺めていた新人の彼には、誰にも相談した形跡がなかった。

 恐怖や弱気といった感情は、魂に隙を生み出す。

 それも重なって、会社員の場合よりも数日早く失踪したのだろう。


「そういう意味では、会社員の方は奥様への愛もあり、連れ去られるまで猶予があったのでしょう。その想いが強すぎて悪霊になってしまったわけですが……」


 何気なく口にする。

 会社員の悪霊を取り込んだとき――浮遊霊のときと違って激しい戦いの果てに取り込んだとき――でさえ、カン君の胸に去来したのは哀れみだった。相手が何であれ、同族喰いで自らの魂を長らえるなど、あまり気のいいものではない。それに、彼とて被害者だった。ボタンを掛け違えてしまっただけで、悪霊として霊障をふりまいてしまっただけだ。それを「悪霊退散」と割り切ることなどできない。せめて、自分が彼を解放してやったのだと――


「ねぇ、待って」


 鬱々とした念を巡らせていたカン君だったが、筑紫の声で我に返る。


「いまカン君、なんか変なこと言ってたよ?」


 え、と筑紫を見る。

 夕日に照らされた彼女の目は、どこか鋭さを湛えていた。


「だって、連れ去られたって。それは、どっちの人?」


 悪霊か、浮遊霊か。

 どちらの記憶を受けて「連れ去られた」など言ったのか。


「……どっちも、です」


 気付く。


「そうか、彼らの失踪扱いになっていましたが……」

「死体は見つかってないもん」


 迂闊だった。

 変死体のニュースばかり探していたので、肝心要の被害者たちがどう死んだのか確認していなかった。


「カン君のソレは、あの人たちの感覚だよね。だから、連れ去られたって印象が残ってたんだ」

「筑紫さま、しかし……彼らは死んでいます」


 現に、その霊と遭遇し、憑依して取り込んだ。

 それでも「連れ去られた」という感覚が残っているのならば。


「もしや、遺体を?」

「かもだね……なーんだ、それなら簡単だ」


 筑紫は、心底ほっとしたというように目を線にして笑った。


「てっきり死体は片付けられちゃってたのかと思ってたよ」


 最初に悪霊を取り込んだとき、得体の知れない怪談の登場や、他の被害者の霊を吸収したり怪談そのものに触れたり怪異の気配に怯えたりと、随分と遠回りをしていた。最初から「怪談の調査」と銘打たれたものだったら、こんな初歩的な見落としはしなかっただろう。遺体そのものに関しての調査をしていないなど。それもこれも、依頼を仲介された時点では「悪霊を発見し除去せよ」というものだったせいで、途中から追跡調査などしなければ――

 いや、とカン君は首を振る。


「僕のミス……簡単な見落としでした」


 調査の方針を切り替えなければならない。

 もう怪談を読んでから六日、そろそろミツコさんが来てもおかしくはない。

 今から調査を始めて、それの到達に間に合うだろうか?


「じゃあ、カン君」


 ん、と言って筑紫が右手を差し出す。満面の笑みだった。

 この動きに、差し出されたカン君は厭な予感を抱いた。


「……筑紫さま」


 恐れていた事態――筑紫が「力」を使おうとしているのだった。


「なりません! いいですか、筑紫さまのお体は……」


 また説教? と筑紫はすねる。


「筑紫なら大丈夫、自分のことだもん。『視る』だけならキツくないし」


 それに、と筑紫はちょっと上目遣いで挑発的な視線を投げる。


「このままじゃ、結局ミツコさん来ちゃうよ? 手掛かりナシで除霊するのと、ちょっと『視』て準備万端にするの、どっちがいい?」

「ぐ……」


 言い返せない。

 あるいは、怪談をスマートフォンで読んだだけの筑紫とカン君だ。

 その他大勢の一人と数えられて、ミツコさんが来ない可能性もある。

 しかし、それは希望的観測だろう。

 単に怪談に触れただけではなく、こうして周辺を嗅ぎ回っている。

 怪談の主が何を思うのかは不明だが、その他大勢より狙われる可能性の方がかなり高いのだった。

 対策のないままミツコさんと対峙すれば、間違いなく筑紫は切り札を使うだろう。そうしなければ二人とも取り殺されてしまうだろうし、筑紫も最近全力を出していないためか折を見ては力を使おうとしているようだった。

 だから、筑紫の力をほんの少し借りるだけなら。

 筑紫もガス抜きが出来るだろうし、除霊もカン君のみで成功する可能性がグンと上がる。

 明らかに、答えは後者だ。

 だが、筑紫が力を使わないで済むように立ち回るのがカン君の役割であったはずだった。それをあっさりと切り替えることなど、なかなか出来るものではない。


「ねーねーカン君。ね?」


 差し出した手の平をふりふりと動かし、早くしろと誘っている。


 ――これは、自戒だ。


 カン君はそう認識することにした。

 自分が気付けるはずだったことに気付けず調査を無駄にしてしまった、その罰。


「……分かりました」


 跪き、筑紫と目線を近くする。

 そして、目を瞑り。


「参ります」


 カン君もまた、右手を恭しく差し出す。

 その掌が、かすかに発光していた。


「よろしいっ」


 筑紫はいかにも満足そうに頷いた。

 そして、手を重ねる。

 二人の手は――触れ合わない。

 生者である筑紫と死者であるカン君だ、例え霊能者であっても触れ合うことはできない。

 それでも、発光するものを共有することはできる。

 カン君の内に漂う霊魂の一部、悪霊の霊魂だ。

 筑紫の『霊視』は、視たいものと深く繋がりを持つものがあれば、かなりの精度で背景に付随する情報を視ることができる。

 今回であれば、霊魂と長い時間を共有した入れ物――遺体である。


「……んー」

「筑紫さま? もうそろそろ……」

「まだダメ、もうちょっと」


 筑紫は目蓋を閉じて、体を左右にゆらゆらとしている。


「んふふー」

「……筑紫さま、もう視えましたね?」


 そう判断し、カン君はそそくさと手を下げた。

 霊視の精度は知っている、視たいものを決めていればほんの一瞬で視ることができるだけの高精度なのだ。

 明らかに、状況を楽しんでいる。


「あー、なんで離すのー!」


 強制的に霊視――というより、お姫様ごっこを打ち切られた筑紫は不満たらたらである。


「お力を少しでも残しておくためです」


 何でもないような顔でカン君は立ち上がった。

 もちろん、照れ隠しである。例え触れ合っていなくとも、年頃同志が手を重ねているのは穏やかではない。

 さて、筑紫はというと、こちらは一切の照れなどないようである。

 それどころか、だらしなく頬を緩めているのだった。


「にへへ……カン君の手、ひんやりしてて気持ちいいんだ」

「……霊体ですからね」


 必死の幽霊ジョークで場を誤魔化そうとするも、当然のことを言うだけで精一杯のカン君だった。

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