聞いたら、来る 5
筑紫が調べた怪談は、以上のようなものだった。
時刻は夜の十一時過ぎ、怪談が本領を発揮し出す頃合いだろう。
カン君と筑紫は現在、日向製作所に戻っている。
筑紫が定位置の椅子に座り、来客用のスペースでカン君がスマートフォンを覗いている。
古ぼけた蛍光灯がチカチカと光っており、一層雰囲気を恐ろしげにしていた。
怪談を眺めるカン君にも、霊を怖がる気持ちはある。自分が霊だからこそ、本当に恐ろしい悪霊が世に跋扈している現実を知っているからだ。
しかし。
「……あまり、怖くはないですね」
ミツコさんの話は、つまりは微妙だったのだ。
「なんというか、ありがちというか」
「そうだねぇ。なーんか、ネット怪談の定石通りというか」
筑紫も似たような感想を抱いているらしかった。
でも、と筑紫が続ける。
「この怪談から、今回の事件は始まってるみたいだしなー」
「怪談の怖さは現実の霊障には関係ない、と?」
うん、と筑紫が首肯する。
「怖い怖いって思うと霊が寄ってくる……ていうのはあるけど、じゃあ怖がらなければ霊は来ないのかっていうと、また違うんだよね」
とすると、どういうことだろうか。
ありがちな怪談から霊障が始まっている。
怖い気持ちは霊を呼ぶが、怖くなくても来るときは来る。
つまり、この怪談の出来は関係なく、ただ事実は創作かが大事ということか。
腕を組んで、カン君は顔をしかめる。
「もう少し調べてみましょうか……筑紫さま、いいですか?」
「はいはい?」
「少々、お手を拝借」
筑紫が立ち上がり、カン君の元へ来る。
スマートフォンを操作したいカン君だったのだが、霊体ではそれも一苦労なので、筑紫に指示を出して手を貸してもうらうのだった。
「ここの設定を、こうしてですね……」
「うんうん」
スマートフォンを操作する筑紫の背後から、カン君があれこれと指示を出す。
そうしてすぐに、結果は出た。
「なるほど……この怪談の初出は一ヶ月前、かなり最近ですね」
「あれ、そうなんだ? ちょっと意外かも」
「しかし検索結果は十万件を超えてますから、多くの人に読まれているはずです」
怪談の最後に書かれていた「拡散」は、成功と言っていいようだった。
「つまり、怪談に触れた人間が全員死ぬのであれば、変死体続出というニュースが出てくるはず」
「場所を問わずに水死体、だもんね。でも、そういう話はまだ出てないよ?」
「ええ、一ヶ月もあればマスコミも十分動けるはずなんですが」
まだまだ分からないことが多い、と気付く。
こうして怪談の原典に当たっても、会社員の悪霊や新人の浮遊霊が生まれた経緯が分からない。
そもそもミツコさんの正体は、本当に身津沼という場所はあるのか。
「……そうだ。筑紫さま、次は『身津沼』で検索を」
「りょーかい!」
筑紫の華奢な指が滑り、新たなタブを開いて検索。
しかし、出てきた結果は芳しくなかった。
「カン君、関係ないのしか出てこないよ……」
あるいは身津沼の所在地が分かれば調査の糸口は掴めただろう。しかし、怪談におけるフェイク――あえて虚偽の情報を混ぜて発信者の身元を特定させない措置――は、それこそお決まりのルールとしてある。
「……参りましたね。いったい何を調べればいいのか」
二人でうんうんと唸ってしまう。
とりあえず最初の会社員の身元でも探ろうか、と無難な策程度しか出てこない。
地道な作業とはいえ、そこで何かが分かれば儲けものだ。
と、そこへ。
「――何かが、ずれている」
「うひゃぁ!?」
微かな、男の声がまざってきた。
驚いて顔を上げると、事務所の入口にはぼさぼさの髪をした男、日向が立っていた。
その身長はやけに高く、しかし非常に貧弱そうな体つきをしているため、彼を表現するには「ひょろ長い」という単語が的確だ。
その上、髪はぼさぼさで、上下ともに黒の出で立ちと、地味くさい印象を真っ先に受ける。
日向は、その無感情な表情のまま、のそりのそりと歩いてきた。
「あーびっくりした! 驚かすのやめてって言ってるじゃん、日向!」
「……僕はむしろ、筑紫さまの声に驚きましたが」
日向が自宅から出てくるのは、夜中にふらりと何処かへ放浪するか、あるいは筑紫たちの様子を見にここへ来るかのどちらかだ。
それも、大抵が困っているときに来る。一時には「監視カメラでも仕掛けられているのでは?」とカン君が疑ったが、どうやら違うらしい。
「――驚かしているわけでは、ない」
その表情には一切の変化がなかったが、聞く者が聞けば、日向が本心から謝っているのだと気付くことができただろう。
筑紫は頬を緩ませる。
「それは分かってるんだけどね。日向は昔っからこうだもん」
「それなら筑紫さまが慣れればいいのでは?」
「無理!」
即答だった。
「だって日向、ほんとに『視え』ないんだもん」
「――私が『視え』る者は、縁起に欠陥を持った者だけだ」
以前にも聞いたな、とカン君は思う。
――日向さんは、霊視では捉えられない。
それが何に由来しているのか、カン君には分からない。
カン君だってそれなりに日向とは長いが、社会的に被保護者である筑紫ですら「日向って何なんだろうね?」と聞くのだから、これはもう誰にも分からないのだろう。
それが霊能者の中でも最も異端とされる日向なのだった。
だから、考えても仕方ない。
頼りになる筑紫の保護者、それだけで十分だった。
――それに正直、僕だって驚いた。
筑紫に「慣れろ」など言える身分ではない。筑紫のせいで驚いたとさりげなく誤魔化した恥ずかしさもあって、早く話題を切り替えようと決めた。
また、日向のように長く業界にいる者に話を聞いてみたい、とも思っていた。
彼がアドバイザーとして適任ではないのは重々承知ではあったが、選り好みできる立場にない。
「日向さん、ずれている……とは?」
ひょろ長の彼は静かに座り、テーブルの中央あたりへ視線を定めた。
「――踏襲と逸脱だ」
「……なるほど」
さて、正直なところ、カン君は日向の意図が読み切れていない。
というのも彼が本質を突いているのか的外れな筋を撫でているのか全く分からない言い回しはいつものことなのだった。
かといって聞き返しても明瞭な解が得られるわけでもない。
とりあえず話を先に進めさせて、理解できる部分だけ掴み、情報を整理する。
日向との付き合いで得た経験則だった。
「定石もそうだが、意図的でもない。真実であるこそ、だ」
頷く。
「――とすれば、因習もあったのだろう。しかし、禁忌の連鎖は反故こそが狙いだ。それを知った誰かが、箱を潰した」
再び頷く。
「それが、泥と汚水の縁起だろう」
もう一度頷こうとしたところで、カン君は止めた。
今が、情報を整理するときだった。
「待って下さい。ええと、つまり……」
「悪い何かそのものを封印しちゃおうって、誰かが沼にして埋めたってことだよ」
筑紫は付き合いが長いだけあって、会話を理解していたらしい。
「その悪霊は、埋められたせいで腐った姿になったという?」
「――証拠は無い。だが、真に証拠を持つ事象など、生死と世界の共生には……」
「ねーねー日向、他には何かないの?」
日向の扱いは、筑紫にとって慣れたものだった。
明らかに「話が長くなりそうだからストップ」の意味が込められた筑紫の制止は、カン君からしてみればさすがにやり過ぎなのではとヒヤヒヤしてしまうものだ。
それでも日向が怒った様子はない。
ただスマートフォンを手に取り、怪談の中身を再確認して言った。
「――全てが真実だと仮定すれば」
ほんの数秒で中身を確認したらしく、端末を置いて切り出す。
「物語に触れてから呪いが満ちるまで、幾らかの時が必要だ」
「確かに、聞いたらすぐ取り殺されるということはないようです」
怪談の語り手――小山で何者かに呪われた大学生の友人は、少なくとも体験談を怪談に仕立ててネット上に放流するだけの時間はあった。その元となった大学生もまた、墓石らしき何かに触れてから田舎を離れて友人たちに体験談を披露するだけの余裕を持っている。
それに、とカン君は『記憶』をさらう。
――会社員も新人も、そうだった。
今やカン君に取り込まれた彼らの記憶では、怪談との接触から死亡までおおよそ二週間程度の時間があった。
「早く効く呪いじゃない……じわじわ系だね」
「洋館事件でもそうでしたね。あの時は、秘密の暴露を狙ってましたが」
「――虚構の語り手には、意図があるものだ」
「でも……あれ? 変じゃない?」
疑義を挟んだのは筑紫だ。
ねぇ、と背後のカン君へと確認するように続ける。
「前の呪いだと、殺しちゃうなんてことは無かったよね?」
「ええ、知ってもらう必要がありましたから」
「てことは、ミツコさんの目的は……何か別の?」
「時間をかけて殺す……やはり生者を最大限に苦しめるタイプでしょうか」
タチの悪い悪霊であれば、そのような霊障を引き起こすこともある。
ミツコさんの怪談もまた、そういった悪意なのだろうか。
二人が朧気ながらも考えを整理しつつある中、日向が口を開く。
「――それもまた、ずれなのだろう」
音も立てずに立ち上がって、二人に背を向けた。
ふらふらとした足取りで、一歩、また一歩と事務所出口まで向かう。
「あれ、日向帰るの?」
筑紫の問いかけに日向は無反応だ。伝えるべきことは伝えた、とでもいうように。
しかしそれでは困る。カン君は、ひょろ長なれど頼れる背中へ声をかけた。
「日向さん、待ってください! この事件、まさか怪異が……」
言葉が途切れる。無情にも、扉が閉められたのだった。
カン君と筑紫は、少しの間をぼうっと過ごすことしかできなかった。
「……行っちゃいましたね」
「よく分かんなかったけど、日向は優しいから」
優しいから、助言くれたんだよ。そう筑紫は繋いだ。
果たして助言を正しく掴むことはできただろうか。
カン君は自信を持てなかった。
――語り手の意図、そしてズレか。
やはり、真意は読めない。
それでもきっと大事なのだろうと、頭に叩き込んでおくことにした。
「それとね、カン君」
筑紫が小さく付け加える。
「もし怪異がいたら……そのときは、筑紫が頑張るから」
自信満々の笑顔だった。
それでは駄目なんです、という言葉を、カン君は飲み込むしかなかった。もし本当に悪霊ではなく怪異であれば、筑紫に頼らざるを得ないだろう。
だからカン君は、ぎこちない笑みを返すだけだった。
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