聞いたら、来る 4

「あなたの場合、このまま浮遊霊でいれば、いずれ自我の曖昧なよく分からない低級霊になってしまうでしょう」


「……そうなる前に、ボクに取り込まれてくださいってわけ?」


「そうなります。するとあなたは、これ以上さみしい思いをしなくてよくなる」


「……その、低級霊ってヤツになると、どうなるの?」


「眠っているようなものです。そして時折、目を覚ましては無念を思い出し、悲しい思いをして、また眠ります」


「そして、いつか消えちまう、と」


「ええ。低級霊には何度も『憑依』してますから分かります」


「……助かる方法は?」


「仏教由来の霊能者に頼めば、あるいは」


「生まれ変われる?」


「彼らの言う輪廻というものがあれば、の話ですがね」


「……てことは、ねぇんだ」


「そうとも限りません。僕は見たことがない、というだけですから」


「じゃあ、坊さんに頼めば普通はどうなる?」


「消えます。何も残りません」


「消えるのが早いか遅いかってことか」


「……そこで、頼みづらいのですが」


「どうせ消えるんだったら、俺の魂を寄越せってことか」


「……はい。僕も誰かから貰わないと、魂は消えますので」


「身勝手だな」


「自覚しています」


「……いいよ、やるわ」


「ありがとうございます。でも、なぜ?」


「あんたのおかげで、死んでから初めて笑ったしな。それにあんた、何か目的があるんだろ?」


「はい。とある霊能者の方をお守りしなければなりません」


「じゃあ、巡り巡って俺も正義の退魔士の仲間になるわけだ」


「退魔士……というのは、かなり誤解がありますが」


「いいんだよ。要するに、正義の味方だろ?」


「……まあ、狭義では」


「ならいいよ。そういうの、本当は生きてるときにやりたかったけどさ」


「……すみません」


「かしこまるなって。あんたが面白いから、食われてやるんだ」


「食われる、というのは……」


「はいはい誤解ね。あ、そうだ」


「なんでしょう」


「あんたの名前、聞いてなかった」


「……カン君、と呼ばれてます」


「へぇ、本当の名前は捨てたってヤツ? 格好いいじゃん」


「おや、先程は可愛い後輩のようだと」


「そうそう! あんたはそういう風なのが面白いよ」


「ありがとうございます」


「……じゃ、さっさとやってくれ。はじめてだから、痛くしないでくれよ?」


「……死者は子どもを作れません、と答えておきましょう」


   ◆


 喫茶店の窓から、筑紫は上空の様子を眺めていた。

 何かかしこまっていたり、笑顔を見せたり、ぎこちないながらも上手くいっているようだった。

 そして、カン君が右手を伸ばす。

 そこから二体の霊は重なり合い、やがて一体となった。

 カン君の憑依が成功したのだった。

 やがて、筑紫の正面にまで降りてくる。そのままガラスを通り抜けて、筑紫の元へと辿りついた。


「ただいま戻りました」

「お疲れさまー。それで、どうだった?」


 筑紫の隣に座る。

 置いてあった珈琲は無くなっていた。元々が筑紫の好意でもらったものだし、霊体であるカン君には飲めないものだったが、それにしてもいつの間にか無くなっているのはどうだろう。

 筑紫の自由奔放加減を再確認する。

 この明るさが、浮遊霊を取り込んだときの暗い感情を照らしてくれるのだ、と。


「とりあえず、彼も怪談の被害者でした。どうやらネットで見たようです」


 そして、ようやく知った名前。


「その怪談は『ミツコさん』と呼ばれているようです」


 浮遊霊に取り憑き、その霊体を貰い受けた際に見えた光景。

 そこから今回の事件に繋がりそうなものは、彼が腐った女の悪霊に取り殺される場面と、ネットで見た怖い怪談――ミツコさんの記憶だった。

 ミツコさんと呼ばれる存在に取り殺された者の物語が怪談として流布され、それに触れた者のもとへミツコさんが来るのだという。

 大きな収穫だった。

 名前は力を持つ。

 これで悪霊の正体に歩み寄り、また、悪霊もこちらを補足するかもしれない。

 そろそろ慎重な行動が必要となってくるかもしれないな、とカン君は気を引き締めた。

 だが、筑紫は別の方向へ興味を抱いているようだった。

 納得のいかない表情で、カン君へと聞いた。


「……ネットって、インターネットのこと?」

「そうですが……?」


 もしや、とカン君。


「筑紫さまは、ネット怪談に取り殺される霊障をご存じですか?」


 カン君が筑紫の元に居着いてからそれなりの霊障を解決してきたが、このような事例は聞いたことがない。

 しかしそれは経験の浅い彼のこと、仕方のないことだ。

 だが、筑紫の場合は違う。詳しくは聞かされずとも、他の仲間たちの反応でそうと分かる。

 年季が違うのだ。

 その彼女がうーんと首を傾げ、今度は反対に傾げ、ようやく横に振った。


「ないなぁ。初めて聞いたよ……どうしたら解決できるんだろ?」

「筑紫さまが分からないのでしたら、僕にも分かりませんね……」


 てっきり、筑紫に聞けば概要程度でも分かるかと思っていたが、当てが外れた。

 こういうとき、頭を捻るのがカン君の役割である。

 何の理由もなく、霊は現れない。

 生者には理解しがたい論理であっても、それが死者にとって正当なものであればいいのだ。

 そういった理外のものが、必ずある。

 例えば、水。


 ――水死か?

   いや、喉の渇きを訴えているだけかもしれない。


 他にも、今回の怪異は女性事務員の格好――OL姿をしていたとある。ならばあの会社に何かあるのだろうか。


「……まだ、情報が少なすぎますね。あれこれ考えても仕方がない」


 かといって、実際に怪談を閲覧するのは危険だ。

 仮に自分たちへ標的を決めたなら、筑紫を守れる自信がない。


 何より、筑紫ですら分からない理外のことであれば、とカン君は嫌な想像をしてしまう。仮に悪霊の振りまいた霊障であるのなら、難しいとはいえ彼にも解決できることだ。

 しかし、もし、例えば。

 悪霊よりも厄介で、生者よりも陰湿な存在の仕業だったなら。


 ――そうなったら、万が一にも勝ち目はない。


 彼が所属する霊能者業界では、一部の常識離れした者――筑紫や日向など――以外は決して近付いてはならない存在が噂されている。カン君も筑紫の従者となってからは一度しか出会ったことのない、特大の危険領域だ。

 いわく、怪異かいい

 何も分からない化け物を彼らはそう名付け、忌避している。

 生者でも死者でもなければ、神話でも精霊でもなく、困ったことにお伽噺でもない。そういう闇が潜んでいるのかもしれなかった。

 自然と体が震える感覚が来て、カン君は浅く体を抱くのだった。

 悪霊退治の依頼が、何か怪しい方向に来つつある。ここは先輩に助言を求めたいところだ。


「……日向さんにでも、話を……」


 そう提案しかけたところで、筑紫の動きが気になった。

 なにやらスマートフォンをいじって、長い文章を読んでいるようだった。

 黒の背景に白で書かれた文章は、いかにも「それっぽい」単語が並んでいる。


「……筑紫さま?」


 こめかみが痙攣しているのが自分でも分かる。

 とはいっても、カン君に物質的なこめかみなどないのだが。


「何を見ています?」


 集中していたらしい筑紫は、眩しい笑顔で見上げてきた。


「ミツコさんの話!」


 血の気がひいた。

 とはいっても、カン君に物質的な血管などないのだが。

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