聞いたら、来る 3

 カン君は霊体であるので、風を肌で感じることはない。

 それでも生前の感覚に引きずられてしまうのか、時折頬を風がなぶった気がしてしまう。

 夜風、と言ってもいいだろう。冬の夜は早い、すでに日は見えなくなっているのだから。


 ――気持ちいい風だ。


 彼は、当然ながら自分が死んでいるのだと自覚している。

 それでも筑紫の元で生者の真似事をすることに楽しみを、誇りを持っている。

 いびつだろうか、と自分に問うことなど、多々あった。

 そしてその度に、こう答える。


 ――これが、筑紫さまのためならば。


 生者が体験し得ない飛行で、生者の肌感覚を得て喜ぶ。

 どれだけねじれた構造に見えていても、気になりはしないのだった。


   ◆


 カン君の姿を認識したのか、浮遊霊の彼は明らかに驚いていた。


「……あんた、飛べるのか」


 第一声がそれである。

 二人は誰にも視認されない状況とはいえ、ビル三階相当の中空に漂っている。寒さに枯れてしまった街路樹が、ちょうど爪先くらいにまで届く、そんな高さだ。


「あなたも飛んでいるでしょう?」


 当然の返しだったが、カン君は思う。


 ――きっと、まだ霊体に慣れていないんだろう。


 よくあることだ。

 自らの死に気付けずに生前と同じ行動を繰り返す霊、そんな目撃談は枚挙に暇がない。怪談として知られるものでさえそれなのだから、現実にはより多くの暗数――明るみになっていない霊が存在する。また、死を自覚しても、自分が「お化け」になってしまったという実感が得られないという者もよく見られる。

 そういった浮遊霊の場合は、話が通じることが多い。

 カン君は胸をなで下ろしつつ、彼に聞いた。


「……何をしているんですか?」


 よくある世間話、ではない。

 こうして多少遠回りながらも、本題へゆっくり近付いてゆく。そうすることで、後の交渉がスムーズに進むのだ。

 浮遊霊の彼は、静かに右を指差す。

 そこにはまだ仕事に追われている大人たちの姿があった。それぞれが画面に向かって何か入力していたり、あるいは電話を片手にメモを取っていたりと様々だ。


「あの人、バリバリ働いてるよな」

「そうですね」

「俺もさ、したかったよ、そういうの」


 つまり、生前の同僚たちを眺めているのだ、という答えなのだろう。

 自分は彼らのようにはなれなかった、と嘆いているのだと。


「でもさ、もう無理だよなぁ。こんなんなっちゃったもん」

「そうですね、残念ながら」

「……へへ、あんた冷たいな」

「僕たち幽霊は、温度を感じられませんが?」

「お、いいね。幽霊ジョーク?」

「……ウケたのは初めてです」


 浮遊霊の彼は、顔をくしゃっとさせて笑った。


「いたなぁ、あんたみたいなの。学生の頃だったけど、丁寧なくせに遠慮なくて、なんでか可愛い後輩って感じの……そんで、どしたの?」


 可愛いと言われても嬉しくない。

 カン君は、前半をあえて無視した。


「単刀直入に申しますと」


 視線が交差する。


「私はあなたを、成仏させることができます。もちろん強制はしませんが」

「へぇ……つまり、なに? 霊能力者……の、霊、みたいな?」

「いえ。単なる学生でした。ただ僕の場合、霊になった経緯が特殊なだけで」


 それを説明する必要はないだろう、とカン君は思う。

 今は、彼への説明だ。


「……ここから同僚を見ているだけでは、辛いでしょう?」


 まぁなぁ、と浮遊霊の彼は答える。

 両手を頭の後ろで組み、中空で寝転がるような姿勢を取って見せた。


「きついよな、これ。ずっと見てるだけでさ、なんも出来ないもん」


 なぁ、と繋げた。


「成仏っていうけどさ、そしたら俺ってどうなんの?」

「……便宜上、成仏と言いましたが正確には違います」

「どゆこと?」

「僕が、あなたの魂をいただくのです」


   ◆


 憑依、という言葉がある。

 生者に何らかの霊的な存在が取り憑くことで、軽度であれば霊障を呼び寄せてしまったり心身に不調をきたしたりするが、重度のものになると意識を乗っ取られて望まぬ言動を取ってしまう場合もある。

 また、狐や狸などの動物が取り憑く「狐憑き」や、生者の益にならんとする霊体が取り憑く「守護霊」というものもある。

 これらに共通することは、憑依の対象が生者であることだ。

 ならば、対象が死者であった場合はどうだろうか。

 生者の取り憑く場合にはその体、肉体を意のままにしてしまう。

 死者の場合であれば、とカン君が考え出したのが、この憑依だった。


 そもそも生者に取り憑く場合は、生者が精神的な負荷や肉体的な疲労によって魂に「隙間」が出来ていて、そこへ他の魂が入り込んでしまう。ならば、霊魂であっても「隙間」があれば、そこに霊体が入り込むことは可能なのだ。

 しかし、霊体に霊体が入れば、混ざり合う。何しろ二十一グラム程度しか持たぬ粒子の系であり、肉体と意識によって輪郭を得ていた曖昧なものなのだから。

 こうして霊体が寄せ集められて強大な力を持つようになったものを、集合霊という。心霊スポットや自殺の名所といった負の想念が集う場所では、多くの場合が「なんかいやな感じ」という大小様々な霊の集合体が棲み着いているのだ。


 カン君とは、ある特殊な縁起によって作られた、自我を持つ集合霊なのだった。

 死者に取り憑く――霊体の主導権を奪う条件は一つ。

 相手よりも「強い」魂であること。

 今回のような場合、直前にカン君は会社員の悲しき悪霊を取り込んでいる。よって、すでに単一の浮遊霊よりも濃い魂を持っていた。

 条件は揃っている。後は、目の前の浮遊霊が応じるかどうかだ。

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