聞いたら、来る 2
カン君が悪霊から得た情報では、被害者に怪談を聞かせたのは喫煙所で出会った新人だったとのことだった。
幸いにも、そのときの映像をカン君はしっかりと『記憶』している。彼が通勤していた会社の場所、外観に企業名、そして新人の顔もだ。
二人は今、その会社が見える喫茶店に席を構えている。
本来なら会社に入って新人に『直接』会えればいいのだが、子どもにしか見えない筑紫だけでは心許ない――カン君は認識されないし、仮に彼が『視え』てもせいぜい大学生程度にしか思われない――ので、アポイントメントを取るなんてことは出来そうにない。そもそも
だからこうして、彼が現れるのをただ見張っているのだった。
二人が通されたのはカウンター席で、ここなら常に会社の正面入口が見える。カン君の『記憶』では、残業が無かった場合はそろそろ退勤時間を迎えた者が出てくるはずだ。それに混じっている可能性はあるはずだった。
「……今更かもしれませんが」
席に座っているカン君が、隣の筑紫に目を合わせないままで言う。会話のせいで新人を見逃すことのないように、という判断だ。
「二つ、言いたいことがあります」
「……またカン君のお説教が始まったよう」
「はい、始まりました。まずは一つ……これは言っても仕方ないかもしれませんが」
多少大袈裟な溜息を一つ。
「筑紫さまの実力ならば、確かに事件は簡単に解決するでしょう。ですが、僕としてはそうならない方がいいと思っています」
筑紫の力、それが発揮されれば悪霊や怪異など恐るるに足りない。だが、それは回避したい。
確信と希望が入り交じった言葉だった。
「それは日向さんもアヤメさんも、みな思っているはずです」
「安賀多は違うみたいだけどね。いっつも筑紫のとこに依頼持ってくるもん。頼りにされちゃってるんだよねー」
心配をされる筑紫といえば、むしろ自分の力を使うことに積極的なようだった。
だから、カン君はもう一度大きな溜息だ。
「安賀多さんには僕から強く言っておきます……ですから、筑紫さまもどうかご自愛ください」
「あはは、ご自愛だって。カン君、心配してくれてるんだね」
「そ、そういうわけで……は、あります……ですが!」
照れを隠すように、語気を強くする。
「僕の心配に気付いてらっしゃるのでしたら、力の行使を少しでも……」
「でも、だって」
遮る。
カン君へと体を向けて、告げた。
「こんなの、放っておけないもん。自己責任の悪いお化けなんて……きっと本人も苦しんでるよ」
静かに言われた台詞ではあったが、一言々々を噛み締めるような物言いに筑紫の強い決意が表れていた。
「……えぇ、それには同意です。アヤメさんでもいれば、事は簡単だったんでしょうけれど」
「いないのは仕方ないよ。他の人たちだと危険かもだし、やっぱり筑紫が頑張らないと……うん、筑紫が頼りにされてるんだもんね」
きらきらとした顔で、頑張るぞ、ともう一度言う。
そんな筑紫を見て、カン君は更に気を引き締めた。
――筑紫さまは、僕が守らなければ。
実際には、カン君の力量などは筑紫のそれに比べてかなり劣る。
そもそもがカン君自体が霊であり、霊を――死者を祓うのは、生者の役割だ。
祓われる側が行う祓いなど、どれだけ趣向を凝らしてみても高が知れている。
それでもカン君が努力しなければ、筑紫の手を煩わせてしまう。
――なんとかして、僕だけで。
主人たる筑紫には、大人しくしてもらわないといけない。
彼の中には確固たる信念があるのだった。
「……それで、筑紫さま」
気持ちを切り替えて、今度は筑紫を見る。
彼女はテーブルに置かれたオレンジジュースのグラスを掴んで、ストローを吸っていた。
あくまで会社の入口から目を離さないような、かすかな視線だった。しかし筑紫は気が付いて、ストローをくわえたままに返事をする。
「んー?」
愛嬌のある大きな瞳がカン君に向けられていた。
オレンジ色がストローの中を流れている。向かう先は、筑紫の可愛らしい唇。
カン君は、鼓動が早くなるのを感じた。無論、気のせいだ。肉体を持たぬ霊体の身である、心臓などはとうにない。だから、生前の「ドキドキする」感覚が想起されただけなのだった。
――いやいや。
惑わされている場合ではない。
筑紫は使えるべき主人であり、自分のような従者が何らかの私情を抱いていい相手ではない。彼女の小さく可愛らしい仕草の一つ一つに胸を高鳴らせることなど、あってはならないのだ。
例えば今も筑紫は自分を見つめている。小首を傾げて「どうしたの?」という疑問を投げてきている。ストローを吸いながら。
一口に飲んでしまうのですか、というか会社の監視はいいのですか、と冷静な意志が巡り出す。ようやく落ち着いてきたのだった。
さておき、だ。
「もう一つの説教です」
「うげー」
見るからに嫌そうなしかめっ面だった。しかしこれも主のためである。
カン君は立ち上がった。
彼が座っていた席には、筑紫の手荷物が置かれていた。これが肉体を持つ者なら尻で潰してしまう行為だったが、一般的には認識すらされない彼が相手ならば、いわゆる席取りにしか見えない。
カン君は店内を指差す。
なかなかの盛況で、学生たちが多い。
彼らは、多くがちらちらと筑紫を盗み見ているのだった。それは喫茶店でジュースを飲む子ども(?)に対する可愛いもの見たさが半分と、もう半分が。
「わざわざ僕の分まで頼まなくてもいいんです、と何回言えば分かるんですか!」
それも席取りまでしておいて、だ。
傍目には、隣席を手荷物で確保しつつ珈琲を置いて見えない誰かと談笑にふける少女、という風にしか見えない。
「おかげで僕はさっきから視線が痛くて痛くて……」
「カン君、気にしない気にしない」
「いいえ気にします。霊体だから特に、視線は痛いんです!」
「あらら、邪視だね」
「気軽に言わないでくださいよ! ……と、筑紫さま」
一転、カン君は表情に落ち着きを取り戻す。
「来ました、彼です」
見上げた視線の先、被害者に怪談を紹介した新人の姿が見える。
正確に言えば。
面影を残した霊が、浮遊している。
彼もまた、おそらく例の悪霊に取り殺されてしまった。
カン君の得た情報では未来への希望に満ちていた青年。その表情は今ではやつれたものになっており、今日の仕事を終えた者たちを羨ましげに、そしてどこか哀しさを込めて見下ろしていた。
高さは、ビルの三階付近。そのフロアに生前の担当部署があったのだろう。
「あの人が浮遊霊になっていると踏んで正解でしたね」
将来への希望に満ちあふれていた青年が、わけのわからないものに極限まで恐怖させられて死ぬ。その無念は魂を固定させ、霊となっているだろう。それがカン君の考えたことだった。
人に害をなせば悪霊に、そうでなければ亡霊に。
今回の場合は、亡霊――その中の一つ、浮遊霊になっていたのだった。
読みが当たったことに小さな満足感を得つつ、カン君は筑紫に言いつける。
「僕が行きます。この様子なら大丈夫でしょうが、念のため筑紫さまは……」
「分かってる。ここで見てるからね」
「ありがとうございます。……では」
目を閉じ、集中する。
幸いにも、余力は十分。
カン君は、目の前の壁をすり抜けて、浮遊霊の元まで飛んでいった。
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