聞いたら、来る 1
「――と、こんなところです」
冬の空から差し込む日の光。
静かな住宅街の交番前で、青年が話に区切りを付けた。
年は十八前後といったところだろう、落ち着いた雰囲気を感じさせる顔つきにはまだ幼さも微かに残るものの、大人びた物静かな知性も感じさせる。街を歩けば出会いそうな青年で、長くも短くもない髪がまた特徴のなさを表していた。
彼の報告を受けたのは、地べたに座っている少女だった。
こちらの少女は彼に比べて子どもらしさを色濃く残した顔立ちで、うんうんと頷いている。
「……聞いたら来る、かぁ」
彼女は立ち上がる。スカートがふわりと風になびき、ふわふわとした少女の小動物的な雰囲気を一層引き立たせた。
向かい合う彼と比べると、背丈には随分と差がある。彼の方は決して高身長ではないので、単に少女の身長が低いだけだ。
少女は実際には高校生程度の年齢だったのだが、その外見から中学生くらいに間違われることは多々あった。
「ねぇ、カン君。いつも頑張らなくていいんだよ?」
「突然どうしたんですか、
この二人は、一目見てどちらが年上か分かる。カン君と呼ばれた青年が上で、筑紫と呼ばれた少女が下というものだ。しかしカン君が使う敬語は至って流暢で、これまでもずっとそうだったのだろうと感じさせる慣れがあった。
「だって、ね? 今回もアレを使わなかったから」
アレ、という言葉にカン君は、かすかに俯いた。もともと筑紫を見るために目線を下げていたのだから、その変化は注視していても気付けなかった程度のものだった。
「……それが僕の役目ですから」
「もー、筑紫はだいじょーぶだって言ってるのに」
「そういうわけには……」
カン君は「しかし」と言葉を挟む。
「今回は順調に進んでよかった。もし対策が違っていたら、僕だけでは難しい」
低く絞り出された声色には、本心からきた安堵が含まれていた。
と、カン君は視線を筑紫から外す。向こうから母親と子どもらしき二人が歩いてきたのを見つけたからだった。
カン君は開きかけていた口を閉じる。明らかに、親子を警戒しての行動だ。
それでも筑紫は、まったく関係ないといった調子で会話を続ける。
「だから、筑紫が頑張ればすぐ済んだことでしょ? そろそろバーッて解放したいんだけどなー」
「……筑紫さま、向こうから人が来ています」
「いーの。気にしない、気にしない」
そういえばね、と筑紫は顔を輝かせる。
この素敵なことを聞いてほしいという上機嫌な顔は、いかにも子どもといった奔放さを持つのだった。
「
「それは助かります。あの人がいれば、筑紫さまもアレを使わずに……ではなく!」
「あ、カン君ってばノリツッコミだ!」
「どこでそんな言葉を覚えたんですか!」
純真の主に振り回される堅物の従者だった。
そうこうしている内に、カン君の警戒先――通りがかりの親子との距離は大きく縮まっていた。
母親が怪訝な顔をするのとは対照的に、子どもはといえば、愛らしい瞳を輝かせて興味津々といったところだ。ねぇねぇと母親の服を引っ張るも、母親は気付かないふりをして歩調を早めてゆく。母親に答える気がないことを察すると、子どもは思いきって本人たちに話しかけることにしたのだった。
「ねぇお姉ちゃん!」
「なーに?」
笑顔を子どもへ向ける筑紫。
「お姉ちゃん、誰と話してるの?」
「ゆうた、はやく行くわよ! 帰ったらジュース飲んでいいから、ね?」
母親は子どもの手を掴んで引っ張ってゆく。子どももジュースへの欲が筑紫への興味に勝ったようで、はーいという素直な返事をし、筑紫へ手を振った。
残されたのは、ばいばーいと手をふる筑紫と、額に手を当てるカン君である。
「……この辺りにまで変な噂が広がったらどうするんですか」
「だーかーらー、気にしないって言ってるでしょ?」
「いいえ、なりません。僕たちの行動に支障が出ると言っているんです! いいですか、前も調査に赴いた地域で……」
「あーはいはい! 知ってるってば!」
カン君のお説教を遮って、筑紫はむーっと口を尖らせる。
「一人で話す電波少女がいる、でしょ?」
「そうです、それで以前も距離を取られ、調査もままならなくなったではないですか」
「それは面倒かもだけど……」
「僕が聞き込みできればいいんですが、知っての通り無理なのです。ですから、筑紫さまにしっかりしていただかないと……」
再びカン君のお説教が始まるが、筑紫はと言えば、はいはいと聞き流しているだけだった。
そんな二人の様子を、今度は別の通行人が怪訝そうに眺める。
彼には、そして先の母子にも。
少女が一人で誰かと話しているようにしか見えていない。
それもそのはず。
カン君は幽霊であり、その姿は普通は認識できないのだった。
◆
二人、正確には一人と一体は、いわゆる「いつもの場所」へと来ていた。
街の中心部からほぼ端の地域、マンションや古くから残る店、駐車場と雑居ビルが群集する区画だ。
中でも特に誰も気にすることのなさそうな、小さな雑居ビルの四階。
表向きには「日向製作所」という看板を掲げてはいるが、それが確認できるのはビルの入口とフロアの一角だけで、世間にこの名を知る者は極めて少ない。また、名義にもある日向という人物が自宅のアトリエに籠もりがちであり、彼を頼る数少ない者も自宅の方へと顔を出すのが習慣となっている。
ここは、日向が契約した筑紫のための空間、いわば筑紫の自宅なのだった。
さて、その日向製作所には、事務机と椅子――筑紫の定位置――があり、他には来客用のテーブルが少々ある。他には筑紫の私室である小部屋が一つと、簡素なキッチン。年頃の少女が住むには生活感がなさ過ぎな、ただの事務所といった形だ。
事務所然としているなら来客に追われるのか、というと全くの逆。来訪者は筑紫と親しい数人程度だけである。よって、来客用のテーブルとは名ばかりの調度であって、基本的にはカン君の定位置となっていた。
今も腰掛けているのは、やはりカン君である。
「今回の事件ですが」
彼が定位置で話を始めた。
同じく定位置――窓を背負う形の事務机――にいる筑紫へと。
彼女の背丈では、大人用に拵えられた机と椅子では規格が違う。筑紫は椅子から伸ばした脚をぶらぶらさせながら、カン君の報告を受けるのだった。
「
「なんでそれだけで筑紫に話が来るのかなって思ったけどね」
「ええ、僕もです。しかし安賀多さんいわく、どうにも不穏な影が見えるとのことでして」
「そしたら、あれだもんね……怖かっただろうな」
筑紫は静かに呟く。死亡した会社員に哀悼の意を表しているのだろう。
その会社員こそが、依頼にあった悪霊に間違いはなかったのだったが、背景に潜んでいたものがいた。
「彼を襲ったモノは、まだ何者かは分かりません」
「カン君でも分からない、かぁ」
「ええ……僕の技も万能ではありませんから」
申し訳ありません、とカン君が小さく加える。そのまま咳払いをし、話を続けた。
「知っての通り、僕の取り憑きは『死の直前』や『強い無念』、それに関連した記憶しか吸収できませんから……ただ、あの会社員の悪霊の無念については判明しました」
筑紫は僅かに顔を曇らせる。
「それって、悲しいこと?」
「……はい。彼の無念は『妻を守りたい』でした」
そっか、と筑紫が呟く。
ある程度は予想していたのだろう、驚きの色はなかった。
「無念が強すぎて見境無く……ていうのは、よくあることだもんね」
二人の会話に、僅かな沈黙が生まれる。
事務所の空気までもが居心地の悪い暖かみを持ってしまったようで、カン君は換気扇を回そうかと考えたほどだ。
それほどまでに、悲しい物語だった。
会社員の男には、何の罪もない。ただ得体の知れないモノに追われ、せめて愛する者だけは守ろうという無念を胸に死んだ。その無念が暴走し、件の怪異以外の市井の者に対してまで牙を向いてしまったのだ。
どこかで何かが食い違ってしまった、霊現象。
カン君も筑紫も、霊障対策の専門家としてありながら、このような事件には暗い気持ちしか抱けない。
重い沈黙を破ったのは、カン君だった。
「それで、筑紫さま」
言われ、筑紫は顔を上げる。
「僕たちへの依頼は、一応解決しましたが?」
どうしますか? という問いが含まれている。
仲介者の安賀多から依頼されたのは、交番付近で霊障を振りまく悪霊の退治だ。それ自体は既に、カン君によって解決している。安賀多に報告だけすれば、後の処理は勝手にやってくれるだろう。
だが、ここでの「?」は、それ以外の意味を持っていた。
言外のそれを受け取った筑紫は、ぴょんと椅子から降りる。
「……ねぇ、カン君」
歯切れの悪い問いかけだった。
「その『自己責任』の話をした新人さんって、誰か分かる?」
言いながらも、歩く先はコート掛け。これから調査へ向かうのだという意思表示でもあった。
カン君は、どこか安心したような、それでいて気を引き締めるような、いわくがたい顔で肩を竦めた。
「おおよそは分かります……どうか、無理はなさらぬよう」
「そうならないように、してくれるんだもんね?」
「……そのように。では、調査を始めましょう」
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