ぼくとボクと僕の場所

第2話-1『夜中と昼と夜と夜中』

 冷気を含んだ風の吹きすさぶ十二月の真夜中。

 身を切る寒さと深い闇に拒まれて、出歩く人はまず居ないだろう。

 もしいるとすれば、それは陽の光を拒む者共。夜闇に紛れねば動くこと許されぬ影の住人たちであろう。

 郊外に広がる空き地に、夜にふさわしくない人数の人影があった。

 闇に紛れて詳細な人数はわからぬが、両手の指の数よりも多いだろう。

 影の形は多彩だ。2mを超える長身が居るかと思えば、小学生と思しき小柄な影がある。それどころか、明らかに角のようなものの生えた人とは思えぬ者もある。

 彼らは数人づつのグループになり、何やら会話をしているようだ。グループは別れ、集まり、人が減り、増え、常に変化している。


「未掌握のジャバウォックの件はどうなった?」

「新入りの件なら来るのは明日だ」

「そいつじゃない」

「じゃあどれだ。新人なんていくらでもいる」

「新人じゃない。腕利きが何人か殺られたって奴だ」

「それか、知っている奴は居るか?」

「さあな」

「突然、話を聞かなくなったな」


 人が問い、狼が答え、梟が補足し、人が応じる。

 彼らは『ジャバウォック』と呼ばれる変身能力を持つものたちだ。

 ここで開かれているのはこの街の『ジャバウォック』たちの連絡会。人の社会に潜む異形の者達が自然発生的に作り上げた、相互扶助の集まりだ。

 それぞれ事情は異なれど、彼らは平穏に暮らすことを望んでいる。そのため、社会的地位を持つものは持たぬものに立場や金銭を融通したりもするし、秩序を乱す同族を狩ることなどもある。


「『爪』のことか?奴の件は終わったろう?」

「終わったのか?聞いていないが」

「ヴォーパルに殺られたってさ」


 兎頭がそう話すと、回りにいた幾人かが笑った。


「ヴォーパルだと?そんなものはおとぎばなしだ」

「そうか?俺は居てもおかしくないと思うが」

「ハンマーを持った若い男だろう。俺は見たことがある」

「俺は杖を持った老人と聞いた」

「俺は石を詰めた布袋を持った女だと」

「一致しないな、どれが本当なんだ?」

「本当なんてない。ただの噂さ」


 彼らが思い思いに語っているその横を、一つの影が通り過ぎた。

 ダッフルコートを着た若い男だ。猫頭が彼の姿を見留め、声をかけた。


「『トモ』、お前はどう思う?」

「考えたこともありません」


 『トモ』と呼ばれた若い男は立ち止まると、面倒くさそうに答えた。


「つまらないこと言いやがって」

「必要になったら考えますよ、それでいいでしょう?」

「よくそんなんで『狩人』をやれてるな」

「つまらないことに気を取られないのも『狩人』の資質です」


 もういいだろう、とばかりに『トモ』と呼ばれた男は視線を反らし、近くに居たスーツの男と何やら会話を始めた。

 

「つまらん男だ」

「実力はあるさ」

「いつから『狩人』をやっているんだっけ?」

「二年か、三年か」

「厄介な案件もあいつならなんとかできるからな」

「多少の愛想のなさは眼をつぶるさ」


 好き勝手に語られる言葉を無視して、『トモ』はスーツの男から封筒を受け取る。中には数枚の紙幣が入っている。

 未掌握のジャバウォックの発見か、あるいはやりすぎたジャバウォックの処理か何かに対する報酬だ。誰がその金を出しているのかはスーツの男以外はしらないし、大多数にとっては興味もない。

 『トモ』はポケットに無造作に封筒を突っ込むと、その場から去っていった。


――――


 駅に近い住宅地にて、一軒家の鍵を『トモ』が開ける。

 明かりはついていない。住人が寝ているわけではないことは、玄関に置かれた靴の少なさと部屋の中の生活感のなさから伺える。

 コートを脱いだ『トモ』はキッチンへと向かった。冷蔵庫から食材を取り出すと、何かを作り始めた。

 中華スープの素を溶かした湯に肉と野菜を入れた簡素なスープ、冷蔵してあった米で作ったチャーハン、無造作に盛りつけられた生野菜。

 一人で使うには大きなテーブルに料理を並べ、食べ始め、食べ終わる。

 皿を洗い、風呂に入り、髪を乾かし、寝る。

 しばらくすれば朝が来る。『トモ』はやはり無言で朝食を作り、片付ける。

 洗濯をしていると、窓の外からは家の前の道をあるく小学生たちの姿が見えた。

 『トモ』はそれを無感動に眺めながら洗濯物を干し、自分も学生服に着替えると学校へと向かった。


――――

 

『トモ』が学校へと向かう途中、不意に背後から誰かがのしかかってきた。

 のしかかってきたのは背の高い男子高校生だ。


「いっようユーヤー!今日もイケメーン!」

「おい辰巳、なんだその雑な挨拶は」


『ユーヤ』と呼ばれた『トモ』は、首に手を回してくる辰巳と呼ばれた男子高校生をなんとか振りほどこうとする。

『ユーヤ』が嫌がれば嫌がるほど、辰巳のちょっかいは派手になっていく。


「うぜえ!何がしたいんだお前!」

「いやーよー!頼みがあってよー!」

「断る!」

「なんで!?」


 『ユーヤ』の答えにショックをうけたのか、辰巳は派手なリアクションで動きを止めた。

 その隙に彼の拘束から抜けだした『ユーヤ』は、ぐちゃぐちゃになった襟を直しながら冷たい眼を向けた。


「今の扱いをされて頼みを聞いてやる奴がいたら、そいつは馬鹿か善人だ」

「お前そうだろう?」

「善人ってか?」

「馬鹿でもある」

「こーとーわーる!」


 『ユーヤ』は辰巳から逃げるように走りだす。辰巳はその後を追いかけていくが、『ユーヤ』は追いつかれないように加速する。


「待て!そして俺に英語の宿題をうつさせろ!」

「テンプレ的な馬鹿だな!自分でやってこい!」

「めんどい!」

「帰れ!」


 加速し続ける二人の追いかけっこはいつしか全力疾走となり、教室につく頃は二人共肩で息をしていた。


「ようバカ共、元気?」

「誰が馬鹿だ」

「よう、ユミ。おはようさん」


 ユミと呼ばれた女子生徒に挨拶をしたユーヤは、自分の席にかばんを置くと中からノートを取り出し、無造作に辰巳に投げつけた。

 フリスビーのように飛んでいったノートを辰巳は器用に受け止めた。表紙には『英語 2-B 関友哉』と書いてある。


「おおう!サンキューユーヤ!マジイケメン!」

「もっとマシな褒め方しろよ」

「あ、ユーヤー、私にも写させて」

「勝手にやってくれ」


 二人仲良くユーヤのノートを写し始める辰巳とユミを横目に、ユーヤは自分の席に座ってぼんやりとする。

 ホームルーム前の教室はなかなかに賑やかだ。辰巳たちのようにサボった宿題のツケを払っている奴らもいれば、一人で本を読んで時間を潰している奴もいる。

 それ以外の大部分は友人と他愛のない会話をしている。


「隣のクラスの加藤、停学になったんだって?」

「私が聞いた話だと結局退学らしいよ」

「あいつら酷いって聞いたもんねー」

「なんかあっち不登校になった女子とか居るらしいしね」

「その子は失踪とか聞いたよ」

「マジ?事件じゃん」


 近くの席で会話をしている女子達は物騒な話をしている。

 だが、それも当事者でなければただのゴシップだ。数日もすれば過去の話になり、別のゴシップに成り代わる。

 

「あ、そーいやさ。今日転入生来るんだってよ」

「マジで?」

「ナベセンが知らない子連れて職員室に行くの、敦子が見たって」

「男?女?」

「女だって」


 ユーヤが周囲を飛び交うとりとめのない話を聞き流していると、担任の渡邉先生が教室へとやってきた。

 担任につづいて見知らぬ少女が教室へと入ってくると、教室の騒がしさがました。


「お前ら静かにして早く席につけー。今日のホームルームは色々あるから時間ないぞー」

「せんせー!その子転校生ー?」

「その話があるから静かにしなさいって言ってるんだ」


 ざわつきながらも生徒たちが自分の席へ戻ると、担任は連れてきた女子に教壇に立つよう手招きをする。

 恐る恐るといった様子で彼女は教壇に立つ。その姿はどことなく警戒心の強い小動物を連想させた。

 

「今日から、うちのクラスに新しいメンバーが加わることになった。立原、軽く自己紹介をしてくれ」 

「あ、はい!今日からこちらでお世話になります立原愛海です。よろしくおねがいします」


 彼女が勢い良く頭を下げると、頭の後ろで一つにまとめた髪が尻尾のようにはねた。そんな姿がますます小動物のような印象を加速させた。


「立原さんどこから来たのー?」

「趣味はー?」

「そういう話は休み時間にしろ、すぐ一時間目だぞ。じゃあ立原、机はあそこ、関の横にあるやつを使ってくれ」

「はい!」


 どうやら、彼女の席はユーヤの横になるようだ。

 彼女はユーヤの隣の席に座ると、少し緊張したような笑顔を向けてきた。


「よろしくね、関くん」

「よろしく、立原さん」

「あの……関くんはその……」


 彼女はもう少し何か話そうとしていたが、すぐに授業が始まってさえぎられた。

 その後も休み時間になると彼女はクラスメイトに囲まれて質問攻めにあっており、ユーヤと話す機会はなかった。


「立原さんの好みのタイプは?」

「え、ええと……」


 馬鹿に絡まれていた時だけは、助け舟を出しても良かったかもしれないとユーヤは思った。


―――


 学校が終わると、ユーヤはバイト先の学習塾へと向かった。

 個人経営の学習塾はこの近辺ではそこそこ評判で、ユーヤはそこで週三日、受付と事務をしている。


「じゃ、関くん。私は授業だから、あとはいつもどおりお願いね」

「はい、西村先生」

「いつも言ってるけど、その呼び方じゃ私のことか旦那のことかわからないでしょうに」


 経営者である西村先生は四十代半ばの女性だ。彼女と彼女の夫の二人が主に教鞭を取っており、そこにバイトの大学生二名を加えたのがこの学習塾の教師陣である。

 受付兼事務室ではバイトの山田先生と夫の方の西村先生が授業の準備をしていた。

 ユーヤ……ここでは関くんと呼ばれている彼は三人分のコーヒーを淹れ、二人の前に置くと自分の作業を始めた。


「あ、あの……」

「はい、西村学習塾へようこそ。どのようなご用件ですか?」


 書類をまとめていると来客があった。

 客は女子高校生だ。所在なさ気に辺りを見回し、それに合わせて頭の後ろでまとめた髪が右へ左へ行ったり来たりしている。

 まごうことなき転校生の立原だった。


「あ、あの、私、ちょっと話を……」

「入塾のご相談ですか?少々お待ち下さい」


 関は仕事用の笑顔で対応し、奥で作業をしていた夫の方の西村先生を呼んできた。

 その間、立原はひどく困惑したような表情で関を見ていた。


「どうも、本日は入塾のご相談ということですが……」

「あ、いえ、えーと……」

「まま、まずはこちらへどうぞ。お茶とコーヒーどちらにします?」

「あ、お茶で」

「関くん、二人分お茶をお願い」

「はい」


 立原はまだ困惑していたが、西村先生におされてそのまま入塾の相談をしていた。

 二人の会話は随分と長く続き、関がバイトを上がって帰る頃になっても未だ話していた。


「それじゃあこちらが資料になりますので、親御さんと相談して決めてください」

「……はい、ありがとうございます」

 

 やたら憔悴している立原を尻目に、関はタイムシートを切って帰路へとついた。


――――


 バイト先から出ると時刻はもう夜九時近くなっていた。

 ここは連絡会の場所に近い。関……連絡会では『トモ』と呼ばれている腕利きの『狩人』は、夜のバイトが終わるとそのまま連絡会へと向かうことが多い。

 郊外へと向かうにつれて人気が少なくなっていく道を歩いていると、背後からパタパタと足音が聞こえてきた。

 振り返ると、遠くから走ってくる誰かが見える。顔形は分からないが、走るたびに尻尾のようにまとめた髪がせわしなく揺れている。

 おそらく転校生の立原だ。彼女はキョロキョロと当たりを見回しながら何かを探している。

 『トモ』は十字路を普段曲がらない方向に曲がり、すぐ近くの塀に身を隠した。しばらくして、立原が十字路を通過する。行き先は普段『トモ』が行く方向、連絡会の場所だ。

 『トモ』……否、『ユーヤ』に興味があって追いかけてきた、という可能性もゼロではなかったが、連絡会に向かっているということはそうでない可能性が高くなってきた。

 考えられる可能性はいくつかある。もっとも考えたくないものが当たらないといいと思いながら『トモ』は立原が行った後の道をゆっくりと歩いて行く。

 郊外の空き地に出ると、連絡会の面子数人が立原を囲んでいた。


「あんたが噂の新入りか、よろしく頼むな」

「あ、はい!立原……」

「まてまて、ここでは本名は名乗らないのが鉄則だ。昼と夜は関係ない。そういうことだ」

「はあ、じゃあ、えっと……じ、次回までに名前を考えておきます!」

「不便だなあ……っと、『トモ』!ちょうどいいところに」


 立原を囲んでいた一人が『トモ』の方を向いた。


「新入りが一人入ったんだ、面倒をみてやってくれよ」

「はい!立原……じゃない、えっと、その……よろしくおねがいします!」


 立原は『トモ』に頭を下げた。

 『トモ』は辺りを見回し、スーツの男を探した。スーツの男は『トモ』と眼が合うと、軽く頷いた。

 厄介事は得意だが、それはこういう厄介さじゃない。『トモ』はため息をついた。

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