第2話-2『居心地の悪い明け方』
ぽつりぽつりと、間隔を開けて街灯の光が道路を照らしている。その明かりの下を、何かの影がよぎった。
郊外であるが故に電灯と電灯の間は広い。だが、影は一つの明かりの下から消えるとすぐ次の明かりの下に現れる。
もしも人であるならばあまりにも速すぎよう。
自動車にしては小さすぎる。
バイクというにはあまりにも有機的な、その動き。
それ成すのはまさしく中型の四足獣、黒豹であった。
闇を駆ける黒豹は、時折首を曲げ背後をうかがっている。何が見えているのか、街灯の明かりに影を落とすものは黒豹以外に存在しない。
がさり、と、道路脇の林が枝を鳴らした。風であろうか。否。
木々の間から、振り子のように何かが飛び出る。人間大の塊は、しかしあまりにも人の姿からかけ離れている。
林から飛び出した塊は、着地するまでに街灯の間を何度か行き来し、甲殻質の八本足を器用に使い四足獣の前へと着地した。
駆ける豹よりなお低い姿勢、頭部に光る複眼と牙。それは人ほどの大きさのある蜘蛛であった。
豹はさらに加速する。目に浮かぶは一瞬の驚愕と、自負。
先回りされたことには驚いたが、追い抜いてしまえばそんなことは関係ない。地を駆けるならば彼に追いつけるものは無いのだ。
黒豹と蜘蛛がすれ違うその刹那、黒豹の体毛が逆立った。悪寒で逆立ったのではなく、もっと物理的な現象の結果だ。
黒豹の全身に糸が巻き付いていた。着地する寸前、蜘蛛が道路を塞ぐように巣を張っていたのだ。
全身を蜘蛛の巣にとらわれてなお、黒豹は己が速度を疑っていなかった。
己は虫けらとは違う。最速を持ってすれば蜘蛛の糸をちぎることなどたやすかろう、と。それはそう考えていた。
ぐい、と、黒豹の身体に巻き付いた糸が引かれた。ひねりを加えられた動きは、無数の糸ではられた巣を捻り束ね、一本の縄とするが如キウゴキデアッタ。
束ねられた糸は黒豹の速度をもってしてもちぎることはできなかった。速度のままに引きずってやろうとしても、糸を引く力は明らかに黒豹を上回っていた。
せめてもの抵抗にと黒豹は道路のアスファルトに爪を立てるが、それすら虚しく黒豹の身体は縄に引き寄せられている。
縄を引っ張っていたのは二足で立つ人間大の蟻だった。
蟻は六本ある足の二本で立ち、四本で蜘蛛の縄を掴んで引っ張っている。蜘蛛はもうそこに居なかった。
蜘蛛の縄に絡め取られた黒豹は、唸り声を上げて蟻を睨んだ。そこに蟻は居なかった。
代わりに現れた人間大のサソリが黒豹に毒針を刺すと、黒豹の意識はそこで途絶えた。
「確保完了……これで今日の『仕事』は終わり」
『トモ』は変身を解いて人間の姿になると、ダッフルコートの襟を整えながら道路脇の林に向かって声をかけた。
「はあ、なるほど」
間の抜けた声を出しながら、林から立原が頭を出した。
彼女は服についた葉を払いながら道路に横たわっている黒豹に近づくと、恐る恐るその毛皮を触っている。
「殺したんですか?」
「そういうこともあるけど今回は殺してない。このままなら明日の朝にでも目覚めると思う」
「へー……じゃあ、その、今からとどめを……?あ、私に殺させてもう後戻りできなくさせる奴ですか?」
黒豹を前に立原は謎のファイティングポーズを取ってシュッシュ、とパンチを繰り出している。
「お前の発想は怖いな」
「違うんですか?」
「違う」
立原の切れの良いシャドーボクシングを見ながら、『トモ』はため息をついた。
あとは黒服にこの黒豹を引き渡せば『仕事』は終わりだ。
早く済ませて帰って寝たかったが、結局教育役を引き受けてしまった以上は最低限の説明はしなければならないだろう。
頭の中で説明することをざっくりと整理して、咳払いを一つ。謎のシャドーボクシングを繰り返す立原に対して説明を始めた。
「まず第一に、後戻りできないとか足抜けできないとか、そういう集まりじゃない」
「足抜け出来るんですか?上納金を払わないと追手が来たりはしないと?」
「お前本当に発想怖いな。そういうのじゃないんだよ。あくまで互助会で連絡会、しずかに暮らせる環境づくりが第一の集まりなんだ」
「はあ……だったらこの人……人?豹?はなんで追われてたんです」
謎ファイティングポーズをやめた立原は、つま先でツンツンと黒豹をつつきながら問いかけてくる。
別にそれぐらいで黒豹が眼を覚ます心配もないが、大胆なものだ、と『トモ』は思った。
「目立ち過ぎたんだよ。変身した自分の力を使うのが楽しすぎて、やりすぎた」
「殺しを?」
「殺してない。見たとおり走ってただけだよ。別に人に被害が出るようなもんじゃないけど、それでも住宅地を黒豹が走ってたら噂にもなる。そういうのは好ましくないから、今日は警告のために拘束することになったんだ。この後、こいつは黒服に引き渡して、そこで何かを言われたりするんだと思う」
黒服が何を言っているのかを『トモ』は知らない。
ただ、一度警告された奴はしばらくおとなしくするようになるので、多分それ相応の何かがあるのだろうな、と予想していた。
「お前が言うみたいに殺しなんかしてたり……あとはまあ、『戻れなく』なったりした奴は殺すこともあるけどな」
「『戻れなくなる?』」
「たまに居るんだよ、変身から戻れなくなる奴が。変身するってことは、自分とは別の何かになるってことだ。自分が受け入れられない姿には変身できないし、逆に元の姿より変身後の姿の方が馴染みが良ければそっちが『普通』になっちまうこともある。まあ、見た目だけ戻れなくなったならまだやりようはあるけど……」
そこで『トモ』は話を区切った。
立原の様子をうかがうと、彼女はひどく真剣な目で話を聞いていた。黒豹のことももう視界に入っていないようだ。不用心な奴だった。
『トモ』は自分は黒豹から意識を切らないように注意し、講釈を続ける。
「大半は、そのうち心まで姿に引っ張られる。羊にでもなって草食ってんなら本人の人生だからどうでもいいけど、肉食獣の気持ちで町中を闊歩されても困るわけだ。だから、そういうのは処分する」
そこまで言ったところで、ふと脅しすぎたような気がしてきた。
確かにそういうこともあるにはあるが、あくまで少数派だ。
下手にこういう話で脅して連絡会から遠ざかられるよりは、多少欺瞞が混じっても嫌悪感などは抱かれない方がお互いのためだと思い、少しだけフォローを入れることにする。
「……まあ、あくまでそういうのはレアケースだ。大体は捕まえて注意して終わりだよ」
言い訳するようにつけたしたが、立原からは反応がかえって来ない。
立原の顔色をうかがうと、彼女はうつむいて何かをつぶやいていた。暗くて顔は見えない。
しばらく待っていたが、彼女はブツブツと何かをつぶやいたままだ。
「あー、立原?」
「関く……『トモ』!質問です!」
心配になってきた『トモ』が声をかけようとしたところで、彼女は突然バネ仕掛けの人形のように首を上げて、まっすぐ『トモ』を見た。
「『トモ』は色んな姿に変身してましたけど、何かコツってあるんですか?」
何を聞くのかと思えば、実にくだらない話だった。
あまりにくだらなすぎて、『トモ』は黒豹を肩に担ぐと立原を置いて歩き出した。
「えぇ!?質問!答え!」
「文章を喋れよ。大したコツなんかねえよ。戻れなくならないし自分じゃなくもない姿の幅が広いだけだ」
「幅が広い、へー。心が広いみたいな?」
「……さあな」
立原が後ろからついてくる。『トモ』は振り返らずに答え続ける。
「ああ、そうだ。お前、連絡会用の名前、早くつけとけよ」
「関くんの『トモ』みたいなのですか」
「そうだが本名呼ぶなよ……別に、怪しい大人が多いから本名バレ防いだ方がいいとかそういうのだけじゃなくてな」
喋りながら、ずきりと胸が傷んだ。『トモ』はそれを無視した。
立原は多分気づいていないだろう。
「あれは変身後の自分に名前をつけて制御するって意味もあるんだ。本当の自分と変身後の自分に別の名前があれば、変わった後が本当の自分だ、って勘違いする危険性もちょっとは減るからな。戻れなくなることを減らす先人の知恵だよ」
まあ、あんまりかけ離れすぎると今度は変身できなくなるから、本名もじったりするといいぞ、と『トモ』は付け加えた。
立原は少しだけ悩み。
「じゃあ『マナミ』で」
と答えた。
『トモ』は首を振った。
「人の話聞いてねえな。それ本名じゃねえか」
そう言われて、立原愛海は恥ずかしそうに首を掻いた。
『トモ』は大きくため息をついた。この調子だと、自分が名前をつけてやったほうがいいのかもしれないと思った。
姿のないジャバウォック ロリバス @lolybirth
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