第1話-3『まるで夢のような話』
「それじゃあ早速だが、今晩ちょっと付き合ってくれないかな?」
と、彼女に誘われて、深夜の公園で待ち合わせをすることになった。
繁華街から少し離れた公園に明かりは少なく、人の姿はない。十一月の冷え冷えとした空気だけが広がっている。
おそらく昼間は子どもたちが使っているであろう遊具も、闇の中でたたずんでいるとなんだかひどく不気味に見えた。
ベンチに腰をおろし、適当に夜空を眺めてみる。
待ち合わせの時間まではまだ少しあるが、何か他のことをして時間を潰す気にはなれなかった。
「予定より随分と早いね。ここで三十分待つつもりだったのかい?」
いつの間にか、彼女が隣に座っていた。
俺が着いてからまだ五分と経っていないはずだ。いつの間に……なんて疑問は今更だろうか。
「居てもたってもいられなくて、つい」
「寒いだろうに。よくやるよ」
彼女がベンチから立ち上がり歩き出した。初めてあった時と同じ制服姿だ。
置いていかれないように少し急ぎながら、俺はその後ろを付いて行く。
「それで、これからどこに行くんだ?」
「口で説明するより見てもらった方が早いと思うけど……正直、どれくらいかかるか分からないからね。暇つぶしに、雑談でもしようか」
彼女は淀みなく繁華街の方へ進んでいく。この辺はそれほど栄えていない。いくら繁華街であっても、日付が変わる頃になると人影はまばらだ。
「さて、雑談……雑談か……何か聞きたいことはあるかい?」
特に雑談の内容が思いつかなかったのだろう。彼女は俺にそう尋ねた。
「今日の目的地はダメなんだよな。だったら……君が何者か、とか?」
「個人情報?」
「いや、そういうのじゃなくて……こう、爪とか、獣人を倒してた時みたいなことがなんで出来るのか、とか」
「はいはい、そういうのね。んー……他人に説明なんてしたことがないからね。どこから話せばいいのかなんていまいちわからないけど……」
歩きながら、彼女は少し逡巡する。足が止まる様子はない。路地裏へ、どんどん人気の無い方向へ進んでいく。
「私や、こないだの狼男やこないだの鷲なんかもそうなんだけど、これらは全部、怪物だね」
「ばけもの、って……」
「それ以外にあまり適切な言葉が思いつかなくてね。良くわからない能力を持った良くわからない何か、だと思ってくれればいい」
「そんな適当な……」
「自分が何かを適切に表現できる者なんてそういないさ」
ちょっと得意げな顔で彼女は言うが、そういう話でもないと思う。口には出さないが。
「怪物の持つ能力としてもっともメジャーなものの一つに変身というものがある。これは『元とは別の何か』になる能力だ。
姿形だけ変えるものからまるっきり別の存在になるものまで、効果も原理も様々だが……そもそも別のものに変化できる相手に対して種類分けしようなどというのは徒労だと私は思うね。
同じことを考えた奴がいたのか、そういう変身能力を持った『正体の分からない怪物』はひとまとめに雑にジャバウォックと呼ばれていてね」
「ええっと、つまり。君もこないだのやつも、その、ジャバウォックっていうのなのか?」
「そうなるね。今言ったとおり適当な分類だから、本当に同じものと言えるかはわからないけど」
俺はちらりと彼女の右手を見る。現在、そこには鋭く長い爪も生えていないし、血にも染まっていない、至って普通の手があった。
あの爪も、彼女が言うところの変身能力の賜物なんだろう。
「でまあ、それはそういう生き物だからその辺に居たり居なかったりして、社会に害があったりなかったりする」
「どっちだ」
「どっちも居るってことだよ。個体差さ。で、そういうわけの分からない悪いものを倒したり倒されたりするという因果な商売をやってる奴らがいる、と」
繁華街のビル裏で、彼女は不意に足を止めた。両脇にビル建った一本道、圧迫感があり、ひどく狭く感じる。
俺はどうしたのか問おうとしたが、言葉を口にする前に彼女が指を立てて「しっ」と言った。
「つまりこれはそういうわけなんだよ」
いつの間にか、俺を黙らせるために立てた指にはナイフのような鋭い爪が生えていた。
彼女は右手を無造作にビルへと向けて突き出した。まるで液体に手を突っ込むかのように、手は静かにビルの壁へと吸い込まれる。
肩まで腕を突っ込んだところで彼女の動きが止まる。ついで、耳障りな叫び声が響いた。
彼女が腕を引っこ抜くと、ビルの壁が少し崩れ、喉に爪の突き刺さった熊の首が出てきた。
熊は牙を剥いて叫んでいる。喉に空いた穴からゴボゴボと血の泡を吹いている。
俺と熊の眼が合ったような気がした。本当に合ったかどうかは、すぐに熊の首が一回と半分捻られてわからなかった。
「ちなみに、狼や、鷲や、この熊みたいに、ほとんど全身を変身させるのは雑魚だ。『変身前の自分』と『変身後の自分』が混ざる不調和に耐えられないから、元の自分とは別の姿を創りだす。変身前後を別のものと認識してやり過ごしているんだ」
ねじ切った熊の首をもてあそびながら彼女の講釈は続いた。俺は少し唖然としながら、なんとか言葉をひねり出した。
「それは、爪だけ変身できる自分はすごい、って言いたいの?」
彼女は少し得意げな顔をした。それが何よりの答えだった。
彼女との夜の散歩はしばらく続いた。獣人……彼女の言う所のジャバウォックと遭遇することもあったし、しないこともあった。
彼女は圧倒的で、遭遇したらだいたいすぐに獣人を倒していた。殆どの場合、俺はそれを眺めているだけだった。それだけでも案外楽しかった。
「ふあ……」
ただ、どうしても夜遅くなってしまうので寝不足になるのはどうしようもなかった。
昼休みになると、つい授業中は抑えていたあくびが出てしまう。
「最近夜更かしが多いみたいだね」
前の席の友人に呆れられたが、眠いものは眠いのだ。俺は机に突っ伏した。
「夜遊びは程々にしたほうがいいと思うけど」
「若いうちの特権だろ」
「何かあっても知らないよ」
友人の言葉を聞き流して寝ていると、彼は「忠告はしたから」とため息をついてどこかに行った。
彼の言いたいとも分からないでもないが、だからといって普段通りの学校と彼女との非日常、どちらを優先したいかと言われるとそれはもう圧倒的に後者なんだから仕方ない。
開き直って寝ようとしていると、何かが身体にぶつかる感触がした。起きるのも面倒くさいので放置だ。
少し間をあけて、数度。俺の身体に何かがぶつかった。
どうでもよかったので無視をしていたら。
「おい」
誰かに声をかけられた。
眠くて面倒だったので答えなかったら、肩を掴んで無理やりひっぱり起こされた。
「無視してんじゃねえよ」
そこには相変わらずの不良どもがいた。何が気に喰わないのだろう、やたらと不機嫌そうな顔をしている。
いつもなら顔色を伺って刺激しないように対処するのだが、今日はとにかく眠かった。
適当に答えようと口を開けたところで、一際大きなあくびが出た。俺の口から間抜けな声が漏れ出す。
不良どもの数人が笑った。俺の肩を掴んでいた奴がより一層不機嫌そうになった。
「あァ!?ふざけんじゃねえぞ!」
頬に衝撃が走った。あくびの形に開けた口が、横から殴られたのだ。
いくらなんでも人のいる教室で手を出されるとは思っていなかったので、もろに食らって椅子から転げ落ちてしまった。
床に頭をぶつけた。見上げると、隣の席の女子と眼が合った。心配と怯えの入り混じったような顔をしている。今日は逃げそびれたらしい。可哀想に。
「ばっ、何やってんだよ!」
「うわっ、血ぃ出てる!」
「先生呼べ先生!」
突然の事態にクラスメイト達が騒然とする。不良も自分がやったことのまずさに気づいたのか、動揺しているようだ。
クラスメイトの一人が職員室へと走って行くと、不良どもはクラスメイト達を押しのけながら何処かへ去っていった。
起き上がろうとすると、確かに口から血が出てきているのを感じた。
手の甲で血を拭った。自分が事態の中心だというのに、なぜだか俺は教室の騒ぎをやけに遠く感じていた。
保健室で傷の消毒をしてもらった後、病院に行ったほうがいいということで俺は早退した。
かかりつけの病院で傷を縫ってもらった後の帰り道。ばったりと、彼女に行き会った。
「やあ、災難だったね」
「まあ、これぐらい……それより、学校は?」
「最初に聞くことがそれかい」
彼女はくすくすと笑い、すぐに笑みを消した。
「ああいうの、ウザいだろう?」
「まあ、そりゃね」
「消したいなら手伝うけど」
物騒な冗談だと笑おうとした。だが、彼女の眼は冗談ではないと語っていた。
剣呑な、自分とは違う常識で生きている者の眼。それでも俺はなんとか言葉をひねり出す。
「あいつらは別に、怪物ってわけじゃないだろ」
「私は別に怪物専門ってわけでもない。これぐらいの身勝手は特権だよ。証拠だって残さない」
初めて会った時、彼女は俺を消そうとした。
今度はそれを、あいつら相手に行ってもいい。彼女はそう言っている。
「だからって、そんな……」
「私は怪物だが、感情がないわけじゃない。友人があんな扱いをされるのは、気分が悪い」
彼女は真剣な眼で俺は見た。今度こそ、俺は言葉に詰まった。
「……いや、ごめん。君に負担をかけたいわけじゃないんだ。ただ、そういうことも出来る。それだけは覚えておいてくれ」
「ああ……ありがとう」
なんとかそれだけ絞り出し、俺は彼女から逃げるように家に帰った。
彼女の言葉はいつまでも俺の頭の中で回っていた。俺と彼女の、平凡と非凡の、決定的な違いだと思った。
次に会うときには答えを出さなければ行けない、そう思った。
待ち合わせの時間まで、俺は彼女の提案について考えていた。
なんとか答えは決めた。覚悟して、俺は待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせの公園には人影があった。珍しい、と俺は思った。
普段は人が居ないし、彼女は俺が来た後にどこからともなく現れる。いつもここは無人なのだ。
公園を頼りなく照らす街灯の下、二つの人影が立っている。片方は髪の長い女性、おそらく彼女だ。
そしてもう片方は、夜なのにつばの広い帽子を被った、背の高い男の姿。
街灯の光が瞬いた。その瞬間、糸の切れた人形のように彼女の身体がぐらりと倒れた。一瞬、手足がおかしな方向に曲がっているように見えた。
男が手に持った鉄パイプのようなものからは、粘つく、血のようなものが滴っていた。
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