第1話-2『つまらない日々にさよならを』
彼女と出会ってから一晩が経過した。
通学路を歩いていると、朝の陽ざしが寝不足の目に突き刺さる。昨日は一睡もできなかった。
獣人と、彼女。まるで現実的でない出来事と出会ってしまった高揚感が眠らせてくれなかったのもあるし、眠ったら記憶が薄れてしまいそうでもったいなくて眠れなかったのもある。
「いてて……」
まあ、あいつらに蹴られた腹が痛んで眠れなかったというのもあるのだが。
情けない。どんなに驚くような出来事があったって、俺の身体は情けない日常のくびきから逃れることができないのだ。
今日も登校しているのだってそう、学校をサボって衝動のままに彼女を探しに行く、なんてことをする勇気も俺にはないのだ。
もっとも、手がかりすらないのだが。
結局、俺にできることは眠い目をこすりながら登校することだけだった。
ホームルーム20分前。教室にはまだあまり人がいない。
こんな時間にいるのは朝練が早めに終わった部活連中と、遅刻しないように登校してくる真面目な奴ら。
あとは、遅刻ギリギリにくる不良連中と顔を合わせたくなかった俺ぐらいなものだ。
「おはよう」
「おはよう。今日はなんか調子悪そうだね」
前の席の友達に挨拶すると、そんな風に心配された。
「あー、いや。寝不足」
「眠れないような悩みでもあるのかい、青少年?」
悩みがあるのか、と聞かれればまあないわけはない。彼女のこともそうだし、不良共のことも当然だ。
が、前者は彼女が言った通り説明したところでまともな奴が信じるような話じゃないだろう。信じられても困る。
不良共の方だって下手に関わられても話がこじれるか最悪こいつまで標的になるだけの話だ。気づいていないならそれに越したことはないと思う。
「何が青少年だ。夜更かしすることぐらい普通にあるだろ」
「それもそうだね。まあ、なんかあったら遠慮なく相談してくれよ。聞くだけは聞くよ」
「聞くだけか」
「それ以上できるかは内容次第だ」
そういって友人は笑い、続いて昨日見たテレビがどうのといった益体のない雑談に話題が移っていく。
俺はほとんど反射的に相槌を打ちながら、彼女のことを考えた。
仮にこいつに聞くだけ聞いてもらったとして、彼女と再び出会うための方法はでてこないだろう。
友達の伝手をたどるとか、そういう常識的な方法で再開できるとは思えない。
そんなことを考えていると、予鈴が俺の意識を引き戻してきた。
ホームルーム5分前。ほとんどの生徒が登校してきている。
「マジだりぃわー」
「サボりてー」
そして、昨日俺をリンチした不良達も遅れて教室に入ってきた。
彼らは無駄に大声で会話しながら、行儀悪く机に座っている。
そのうちの一人、昨日俺の腹を蹴った奴がこちらを向いてきた。慌てて視線をそらす。自分の情けなさに泣きたくなってくる。
「くははは、マジねーわ!」
「何々、どうしたん?」
「あれよ、あれ」
腹を蹴った奴は笑いながら仲間に何かを耳打ちする。そいつもニヤニヤとこちらに視線を送る。
できるだけ意識していない風を装いながら、俺は目をそらす。
前の席の友人は奴らの視線にまったく気づいていない。巻き込みたくはないがここまで鈍いのはどうかとも思う。
隣の席の女子が俺のほうをチラチラとみているのに気づいた。
さらし者になっているようであまり良い気分ではない。半ばあてつけのような気持ちでそちらに視線を移すと、彼女は慌てて目をそらした。
担任がやってきて、ホームルーム開始のチャイムが鳴る。今日もまた一日が始まる。
血の香りに彩られた非日常と、針のむしろのような日常。どちらが面倒くさいのかということ少し考えた。
帰りのホームルームも終わり、今日一日の授業は終了。
自由になったクラスメイト達は部活なり遊びにいくなり、それぞれの放課後を過ごし始めている。
前の席もいつの間にか空になっていた。確かあいつも何か部活に所属していたはずだ。体育会系じゃないとは聞いたが、そんなに忙しいものなのだろうか。
俺はというと、目の前に広がる自由時間を持て余していた。
結局、授業中ずっと考えていてもどうすれば彼女ともう一度会えるかなどわからなかった。
せめてもの手がかりはこの学校の二年の制服を着ていたこと。
やはり俺が見落としているだけなのだろうか。虱潰しに二年生の教室を見て回ってみようか。常識的に考えて気持ち悪い奴なんじゃないかそれ。
それとも昨日出会った場所である旧校舎に行ってみるべきか。
「よぉ!元気だったかァ、心配したんだぜ?」
いつまでも自分の席で考え事をしていたら、不愉快な笑いを含んだ声をかけられた。見なくてもわかる、不良どもだ。
「昨日は大丈夫だったかよ。え?ちゃんと帰れた?」
「……まあ」
俺を蹴った奴を含めて3人、俺の机を囲むように立っている。
うつむくのも何か違う気がして、なんとか眼を合わせないようにしながら、相手の神経を逆撫でしないように答える。
視線が所在なく宙をさまよう。俺の情けない姿をみて、相手はニヤニヤ笑いながら俺の隣の机に腰を下ろした。隣の席の女子はさっきまで居た気がしたがもういなくなっている。
「いやあ、昨日は助かったよォ。また今度よろしく頼むぜ?」
一人がそういうと、残り二人が耐えられないとばかりに抑えた笑いを漏らす。
こういう奴らのやることなんて決まっている。暴力か、見せしめか、それとも金でも巻き上げるか。どうやらこいつらが言っているのは金についてのことらしい。多分、俺の諭吉は見事に消えてしまったのだろう。
彼女のことを考えてたかぶっていた気分が鎮火していくのを感じる。所詮お前なんてこんなものだと冷水をかけられたような気分だ。
――その時、視界の端に彼女の姿がよぎった。
一瞬だった。誰かが廊下を横切った。おそらく、彼女だと思った。
不良どもはまだ何かを喋っていた。でも、そんなことを気にしている暇なんてなかった。
俺は椅子を蹴って立ち上がった。
「あァ?なんだお前」
誰かが何かを言っていた。俺には関係なかった。ただ、彼女の姿を追いかけるようにかけ出した。
廊下に出ると彼女の後ろ姿が見えた。階段へと曲がっていく。声をかけるには遠い。
廊下に多少居る生徒たちをよけながら俺は走る。ぶつかりそうになった誰かが何かを言っているが聞こえない。
階段では上階へ登っていく彼女が見えた。俺は一段とばしで走る。なのに、何故か普通に歩いているようにしか見えない彼女に追いつけない。
二階、三階、四階を通り過ぎる。この先には屋上しかないが、常に閉鎖されていて出ることはできない。行き止まりだ、追いつける。
息を切らせながらたどり着いた屋上の扉の前には、誰も居なかった。目の前には鍵がかけられているはずの扉。
ここに居ないということは、どうにかして鍵をあけて屋上へ出たのだろうか。
扉に手をかける。鍵はかかっていないようだった。
深呼吸を一つして、恐る恐る扉を開ける。錆びているのか、少し重い。
軋む扉を開くと、屋上には晴天が広がっていた。青い空。誰もいない。
一歩出てみて回りを見回しても、人が居るようには見えない。俺の見間違いだったんだろうか。
おかしくて、笑いがこみ上げてくる。辛い現実から逃避するために都合のいい妄想でもみたのだろうか。本当に、我が事ながら情けなくて涙が出そうだ。
ポツリ、と頬に濡れた感触がした。まさか本当に泣いているのか、俺はそこまで追い詰められているのか、手で頬を拭うと、掌が真っ赤に染まった。
生臭さと、鉄臭さ、昨日もかいだ臭い。血だ。
「確かに、外に漏らさなければ特に君に何かをするつもりはないと言ったけれど」
頭上から声がした。
見上げると、屋上へ出る扉の上。給水タンクの乗った屋根に、彼女が立っていた。
「普通、ああ言われたらもう関わらないようにするものだと思うんだけどね」
ふわり、と重さを感じない動きで彼女が屋根から飛び降りる。
飛び降りながらも何故かひるがえりもしないスカート。彼女は軽やかに俺の前に降り立つと、呆れたように笑った。
「そこのところ、君はどう思う?」
その問に答えようとして、彼女が右手に持っているものに気がついた。
それは、巨大な鷲の首だった。
人間の頭ほどの大きさだろうか。白い羽毛で覆われた頭は所々に血が付いている。眼は大きく見開かれ、くちばしからはだらりと舌が垂れている。
首は鋭利な刃物で斬られたような断面を晒し、まだ少しづつ血が垂れていた。
彼女は、おそらくその首を斬り裂いたであろう鋭利な長い爪の生えた右手で鷲の首を無造作に掴んでいた。
俺の視線に気づいたのだろうか。彼女は自分の右手に眼をやると、少し恥ずかしそうな表情をした。
「ああ、この状況でこんなものを持っているとまるで脅しているみたいだね。いや、そこまでするつもりはまだ無いんだけれど」
くしゃ、と握りつぶすように彼女が右手を握ると、そこには最初から何もなかったかのように鷲の頭が消え去った。
背筋を悪寒が撫でる。返答を間違えれば自分もああなるのか。脅迫というなら、今の行動こそ何よりの脅迫じゃないか。
口の中がカラカラに乾き、言葉を出すために唇を開くと、パリパリと乾燥したものが剥がれるような感触がした。
「俺も、そうするのが普通だと思うんだけど」
「思うんだけど?」
彼女の笑顔が怖い。心の奥がそわそわする。ごくりとつばを飲み込み、俺は言葉の続きを紡ぐ。
「普通じゃないものが、欲しかったんだ。普通の、平凡で、息が詰まる毎日なんかよりも、その……君のことが、気になって」
一息で言い切るのと、目の前に爪が突き出されるのは同時だった。
俺の眼球に触れるか触れないかの距離で、彼女の爪が静止している。このまま、俺も、さっきの首や昨日の狼のようになるのか。今もまだ爪から滴る血と同じものに、俺もされてしまうのか。
そう思ったところで、なんだかおかしなことに気がついた。
彼女はつきだした右手とは逆の手で自分の顔を抑えている。
「うむ……やっぱりそういうのはダメだ。本当に不得意なんだよ。慣れていないんだ」
彼女の声が少し震えているような気がした。それに、首筋が赤い気がする。返り血の色じゃなくて。
「えっと、その、もしかして、照れてる?」
「……答えたくないね」
何よりの答だった。
「いや、本当に俺は君のことを綺麗だと」
「分かった。分かったからやめてくれ。ストックホルム症候群とか吊り橋効果とか、昨日のはそういう気の迷いで言ってるんだと思ってたんだ。今、面と向かって言うんじゃない」
「美し」
「分かった。分かった。本っ当に分かった」
さっきまであれだけ非現実的なことをしていた彼女が、なんだか普通の高校生みたいな反応をしていた。
俺の目の前で言い訳をするように右往左往する爪と、そこから飛び散る返り血がなければ本当にただの美人の高校二年生みたいだった。ちょっと爪が頬をかすめて怖い。
「あー……分かった。君は普通に飽き飽きして私を追いかけてきた。そういうことだね」
「もしかしたらほとんど一目惚」
「そういうことだったら!君が飽きるまで君の言うところの”普通じゃない”ものに触れさせてやろうじゃないか。他言無用、という条件を守れるのなら、だが。どうだい?」
心臓が高鳴った。願ってもないことだった。
はい、と答えようとしたが、声が裏返ってしまって。なんだか空気が漏れるような良くわからない音が俺の口から出てきた。
こういう時すら決まらない。自分の小ささに呆れそうになる。
そんな俺を見て、彼女は意地悪そうに笑った。
「辞めたくなったらすぐやめさせてあげるからね。それまで、よろしく」
握手を求めるように、彼女は右手を差し出した。
俺は勢い良く握った。爪の生えた彼女の右手は握手に向いておらず、握ると刺さってすごく痛かった。
「もしかして、君、馬鹿なんじゃないのか?」
「周りが見えていない自覚はあるよ」
右手の傷を痛そうに抑えている俺の頭を、彼女はあやすように右手で撫でた。
いつの間にか爪はどこかに消えていて、そこには普通の女の子の手があった。
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